★元旦コメント
Glückliches Neues Jahr!
          2017年1月1日 記
★新年あけましておめでとうございます。
抱負!今年はとにかくここ何年もかけて来た新しいコンセプトのアンサンブルを完成させて演奏会を開きたいです。コンテンポラリージャズとクラシック室内楽の融合です。
これをインターネット動画等で発信して行けたらと思います。そして賛同者を募ってクラウドファンディングで活動資金を集められないかと思います。
この音楽スタイルは木管楽器を中心としていますが、その先には自作楽器や民族楽器も加えて行きたいです。
もちろんギター音楽の方も新しい糸口をつかんでいますので、自作曲のソロ独奏や小編成ライブ、クラシック曲のパラフレーズやリハーモナイズ編曲、即興曲も取り組みたい。
これらを含む3作めのCDを完成させたいというのが今年の目標。というかここ数年来の目標。
ギター教室の方も動画をやろうかと思います。

★そしてとにかくドイツ語を上達したい!やたら難しい文法と実践的な会話を結びつけたい。
同時に英語リスニングのブラッシュアップ、ポルトガル語、少しはスペイン語も。
ポルトガル語はブラジル音楽を深めるには必須で、ラテン語の名残が強く、文法も難しいけれど、かつてブラジルを回った時の経験があるので若干イメージしや すい。ポルトガル語のニュースも毎日録音しています。ヴィニシウス、ミルトン、カエターノ、ジョアン・ボスコ、ジョイスらの詩を英語と同等ぐらいまでは理 解したいんです。
スペイン語はやはりギター音楽のふるさとでもあるし、フラメンコの人と話すのに少しはできなければ。イタリア語もやるきべだけれど、時間の配分で今は待機 状態です。これらは音楽資質を高めるのに必要な言語と思っております。かつての大作曲家達もさまざまな言語を操っていたし。

 あとピアノももっと研究・練習したい。昨年後半、左手の弱い指コンビネーションをかなりトレーニングしたのでローインターバルリミット(低域で近い音は 濁る)問題の対応策で跳躍するのに少し慣れてきました。ショパンの左手が参考になります。まだまだ右手とのコンビネーションをトレーニングして同時別行動 で自由に弾けるようにしたい。これにはバッハの対位法も練習するべきなのでしょうね。イナモリ・メソッドもじっくり練習したい。
 これらの練習法は、そのうち「作・編曲のためのピアノ習得」とか「ギタリストが練習すべきピアノ」とか「大人になって始めても自由に音楽の仕組みを操る ピアノ」とか「ピアノ弾き語りで素敵なハーモニーを組み込む方法」みたいに楽典を組み合わせてまとめた教本か動画を作るかも。
 それは、日本の、ピアノ教室に長年行ったり音大に行っているのに、学理が分かっていないため楽譜が無ければ弾けない、リードシートやコードでは演奏出来 ない、またはコードが読めてもヴォイシングが出来ていなくて稚拙に弾いてしまう、という忌むべき状況(!)を改善したいから。正直に言えば我慢出来ないか ら、です。(暮れにやっていたビートルズの分析紹介テレビ、放送事故かってぐらいひどいレベルだった。)

★他には長年録り貯めて来たヒグラシの鳴き声や鳥の鳴き声のCD(もしくは音源データで)を発売したい。これは毎年言ってますが、あまりに膨大なので選ぶ のに苦労するというのもあります。ですが、ある程度絞り込んで来てますし、USBで発売出来るかな?とか自然素材(竹)などと組み合わせたオブジェを検討 中です。MacProをもっとフル活用しなければ。

★ヴォーカル曲作りむけに、詩も研究しなおしているので、谷川俊太郎さんを読んでみたりしてます。そしてノーベル文学賞をとったボブ・ディランはもとよ り、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤング、ポール・サイモン、ビヨークなどの歌詞を読みなおしたり自分用に翻訳してみたりしたい。
 有名文学や聖書、神話からの引用やメタファーが出て来るからその知識も広げなくては。というあたりから、放送大学を聞いていて中世・近世ヨーロッパ文学 に興味を持ちました。(ダンテ、ゲーテ、フランソワ・ヴィヨン、フランソワ・ラブレー、ジェフリー・チョーサー、ジョヴァンニ・ボッカッチョ、バルザッ ク、ウォルター・スコット等)専門家ならばラテン語の原典などを読むべきでしょうが、そこまではできませんから翻訳本で概要の斜め読みと、部分部分の読み 込みが出来れば、と思います。
 マージェリー・ケンプの書やカンタベリ物語、デカメロン、ガルガンチュアとパンタグリュエル、ティル・オイレンシュピーゲル、トリスタンとイズー等・・・。これらは文学にとどまらずオペラや演劇、後に映画の脚本の原型になっていったものなので。

★自作楽器を作りたい。これまでに土でオカリナ(縄文土器風に野焼きで)をたくさん作って来たし、太鼓、石琴(よく響く石を並べたもの)、竹の巨大な打楽 器(ジェゴグ風の)、回転させる音具(うなり弓など)を作ってきましたが、今は竹でチェロを作れないか、いじってます。
これを、冒頭に書いた室内楽アンサンブルといつかは組み合わせたい。

他には書きためた物語を絵付き小説のような感じで発表できたらとは思うけれど、とにかく音楽の掘り下げが第一なので待機かな。
 体力トレーニングのほうは内容を加減して少なめで続けてます。循環器系が衰えないようにしたいし、歌やサックスに肺活量は必須だから。最近は前蹴りや順 突き(リードストレート)を練習してます。別に誰かと戦う予定は無いんだけれど(笑)。重心の流れや体幹のコントロールなどは楽器演奏にも関係してくるの で。ユジャ・ワン(P)さんの脊柱起立力はすごいな、と思います。

 まあ、やればやるほど・・まだ本質をつかむのに時間がかかる、ということに気づきます。もっと反復が必要だし。古い時代の異人達は一体どうやって時間の問題を解決していたのでしょうか・・?
ユマニスト達や、カフェやサロンに集まった近世の芸術家達、2つ以上の分野に長けていて、もう一方の専門家と理解し合えて、音楽も作曲だけでなく母国語以 外でオペラの脚本も書いたり、批評に随筆、弁護士や医者でもある人がいたり、ダンスの先生でもある人がいたり、別の国で教えたり・・驚きます。しかも社交 界でも通用していたのだから教養はもちろん身なりやマナー、ファッションセンスも持ち合わせていたのでしょう。こういう人たち、まあもともと神童だったの でしょうけれど、教育体系はどうなっていたのかな?
 学校、音楽院のシステムはもちろんのことながら、印刷の無い時代では調べるのに「写本」を入手しなければいけないのをどうやっていたのか疑問です。古い ものが出たというと馬に乗っては遠くの市まで入手に行ったらしいですね。現代の何でもインターネットや図書館で情報が手に入れられるような時代とは比べ物 にならないほど不便だったし、コンビニや電子レンジも無いから食事の用意や交通手段も時間がかかったはず。貴族など裕福な出身だと執事やメイドがいたで しょうけれど、平民、商人出身の人もいる。
 まあ、レオナルド・ダ・ヴィンチでさえ制作途中のまま、あちこち移動してさまざまな分野にとりくみ、完成作品よりも膨大な手記が多く残り、未完で放棄さ れたものも多いのだから、限界はあると思うけれど・・。それにしてももっと効率よくしたり、優先順位をコントロールしなければ。収入も増やさなければ。

 ということで、大晦日は近くの大きめのお寺で除夜の鐘を突いて、石仏に空海が唱えたという虚空蔵菩薩呪を唱えてきました。求聞持法(ぐもんじほうといって暗記力が超人的になる)というやつです。ほんとは100万回となえなければいけないんですが・・・。
 そしてお堂で般若心経も唱えて、今年は大きな災害やテロが起きないように祈りました。
みなさまも健康に気をつけて、健康で文化的に過ごせますように。
        2017年1月1日   記

 

 


秋の近況報告

      2016年10月5日〜12月5日 記

★ひさしぶりの更新です。近況を報告しましょう。
うちのまわり、自然がいっぱいで紅葉が素敵になって来たところで雪が降りました。
とにかく毎日やることが多い感じなので、整理して減らそうとは思っています。
 次の作品やライヴを待ってくださっている方には申し訳ないのですが、ライフワーク的にかなり深いところにダイブして来ているので、もう少々お待ちください。
さて、何をばたばたやっているの?
箇条書きでヘッドラインのようにしてあとで補うという形にしてみました。
<1> 10月には今年もウィーン管弦楽団やウィーンの音楽大学の先生たちから成る木管五重奏団が来日して、計3回、いろいろと交流出来ました。あらかじめ楽譜と 音源で送信しておいた曲について。楽器の最適な音域について。新たに編曲した曲を聴いて頂いたり。肖像デッサンを書いて差し上げたり、CD作品を頂いた り、等。やはり一流の音楽家と話すと勉強になりますし、モチベーションの上がることが多いです。
 ここ数年、私はギタリストなのに、木管の室内楽編成を掘り下げています。特にホルンを勉強しています(持っていないのに)。ホルンを制するものはアコースティック音楽を制する、と重視しています。なぜか?(後述)
昨年この楽団に出会ってからドイツ語を勉強し始めましたが、なかなか自由に話すのは難しかったです。とにかくべらぼうに文法が難しいので、込み入ったことになると結局英語になってしまいます。
やっとよさそうな本をいくつか見つけたので、勉強を深めて行きたいと思います。

(後述)

<2> クラシック音楽の研究
あいかわらず毎日3台のコンピューターでFMのインターネット放送を録音しています。古楽、交響楽、協奏曲、室内楽、リート、独奏曲、吹奏楽・・・。4年ぐらいやっているので何万曲にもなっています。加えてジャズ、民族音楽、現代音楽、ブラジル音楽、映画音楽なども。
 この方法のメリットは、曲の前後にちょっとした解説をしてくれたり、時には演奏者や指揮者の談話があるので、曲そのものからだけでは気づかないことを知ることが出来る点です。基本的に無料で。音楽の歴史の解説本とその時代に鳴っている音がだいたい一致してきました。
 デメリットは曲名、作曲者などファイル名をつける作業をするのに時間がかかるため、長い曲はなかなか最初から最後までじっくり聴けないことです。交響曲は1時間以上のものも多いですし。曲作りとのバランスをとらないと押しつぶされてしまいます。
 ようはライブラリー作りですね。分類しておいて作曲家名でも、形態名でも、楽器名でも即座に発見して聴くことが出来る、という状態を作ること。アジア人 が「クラシック音楽というもの」をとらえるのには後天的にかなりの勉強が必要ということです。私はもとがポピュラーやジャズ方面から入ったので、「耳にク ラシックのモードを作りこむ」のに時間がかかるのです。
それでこの数ヶ月は特に思うのですが、極力不要な音(不浄な音)を聴かないようにするのが大切な気がしてきました。特に日本の商業音楽やCM。(後述)
また、そうして整えた耳で、あらためてかつて心酔した音楽を聴いてみると発見が多いです。
 こうした番組録音の他に、さらに図書館や古本の専門書と照らし合わせたりしています。

<3> 出身の武蔵野美術大学の芸術祭
ジャズ研のセッションや、こどもたちを集めて工作などするサークルに顔を出してきました。少し前、実家でかつての古い記録写真のポートフォリオを発見したのですが、見せることが出来ました。
研究室でミニライブ。これはたいていギターで弾き語りということになります。今回はEaglesのDesperadoとMoon Riverを歌ってきました。

<4>竹の加工
かつて美大生現役だったころ、自然の素材でいろいろ作ったり性質を研究しました。木の繊維で和紙作り、縄文土器のような野焼き方式で楽器作り、竹や石で音 具作り等。今ひさしぶりにモウソウ竹をいじっています。これは夏に切ったものですが、「乾式油ぬき」をしたりしています。つまり火であぶって、樹脂を浮き 出させて拭き取るわけですが、これによって保存性が良くなります。水分や樹脂、微生物を取り除いて「もち」をよくする作業です。日本の農家にいろりがあっ たころ、天井に使っていた竹が煙でいぶされて茶色くつやつやになった、あれですね。
実はこれは長年録音してきたヒグラシの鳴き声と結びつけて作品にしようと思っているのです。
コンピューターに向かう作業が多いのですが、指先で実物素材をいじくり回すというのは大切ですね。

<5> 音楽の研究 (常に行ってますが)
音楽の研究は毎日発見です。楽譜上でもギターでも、鍵盤でも、入力ソフトでも、自分で発見することもあれば、専門書に書かれていることを鳴らしてみて理解したり、それを応用して試作してみたり、演奏の訓練をしたり、きりがありません。
最近は和音と音階の分離について興味があります。
というのは、私たちが日常で耳にする音楽は和音が鳴っている時にそれに即した音階が使われています。まあ卵とニワトリ的な関係なのですが、言い換えると伴 奏で鳴っている音とメロディーの音が重複することが多い。それが「くどく」感じてきました。むしろ和音で鳴っていない音を使うほうが透明感が出る。さら に、和音をともなわずに成立する状態とは?という研究になってきます。
また、実施面では当然楽器の演奏能力を向上しなくてはいけません。ギターでは右手親指の爪側のアップピッキングを使う跳躍音の新しい技法を開拓しています。
左手は独自のオルタード音階をあらゆるポジションで弾くこと、即興演奏のため和声音に対しての倚音・刺繍音と逸音のコンビネーション・2重転位音・クロマ チックな隣接音列を瞬間的に組み合わせる反射訓練、そして2声の自由な別行動を一方のラインを持続音でキープして行う練習。普段気づかないテンション和音 やヴォイシングの開拓、などです。
鍵盤では24の調において、転回型和音やBポジション、4th Buildと音階を弾く練習、特に左手の小指と薬指の訓練。ギターと同様に和声音に対する隣接音の反射訓練。ローインターバルリミットを察知する(低域になると濁る問題の解決)注意力。
 あと、歌ではブリッジ(ヘッドヴォイスとチェストヴォイスの境界で不安定になる音域)をつなげる訓練。メッサ・デ・ヴォーチェや、ファルセットにヴォー カル・フライを混ぜる練習。あくまでポップス系としてですが、これらでアカデミックで滑らかな発声を訓練する一方、ドン・ヘンリーの曲を歌ってみたことで ひさしぶりに「ちょいハスキーまじりのロック系発声」も再発見したりしてます。いったん細くしたエアビームをあてながらわずかに声帯の緊張を緩めてヴォー カル・フライのノイズを混ぜるとよいことがわかって来ました。

・・などなど、このようなことであっという間に時間が過ぎてしまうのですが、さすがに形に残ること、もっと収入につながること、を重視しなくては、と思っています。
それで「ゴールデンタイム方式」というのを採用してます。つまり優先順位をイレギュラーにするアプローチです。語学放送・クラ番組の録音や勉強、ゴミ出し の時間、体力トレーニングなどは、日常化しないとおろそかになるので、極力ルーティン化して持続していますが、そのあまり完遂することが目標になってしま います。ところがこれらはすぐには収入にはつながらないし外からは見えない部分。一番重要なのは作品を作ることなので、作曲の新しいアイディアが浮かんだ 時や、そのもととなる新しい和音や音階をつかんだ時は本来のルーティンを崩してでも優先する、ということです。その結果語学番組の録音が抜けたとしても、 ゴミ出しが次の指定日になってしまったとしても、この瞬間のインスピレーションは替えがたい。もちろん要点をメモしたり、断片をメモ録音しておいたりはし ますが、別の作業してから戻って来ても芽生えていたさまざまな変奏の可能性や音感はなかなか蘇らないものです。逆にいったんのめり込んだ時の集中力と掘り 下げ力、持続力、応用力は私の武器で、昔から「怪物」「無尽蔵」といわれていたので、むしろこれを使ったほうがいいな、というのが最近の考えです。

    2016年10月5日〜12月5日 記
-----------------------------


★んくッ オリンピックが見られない
  2016年8月15日    記

★さて、話は変わってオリンピックえんたけなわで、体操等活躍素晴らしいですね。
ところが、私は見ることが出来ません。
ブラウン管テレビにつないでいたのですが、電源が入らなくなってもうすぐ1年。そこでやむなく液晶テレビを注文したのですが、いつまでたっても来ない。配 送状況の欄を何回見ても「配送要請」となったまま表示に変化が無い。「要請」ということはまだ発送していないのか?もう4日経っているのに。Qoo10と いうネットの店だ。けしからん。アマゾンだと何便でどこまで移動中なのかとか経過が分かるのだが。そこでメールで質問したけれども返答が無い。これは詐欺 か?次の日電話してみた。すると自分から名乗らない覇気のない担当の女性が出た。状況を説明したり質問するが、ようはお盆休みでまだ発送していないという ことで、まったく反省の気配もない。明日四国の配送センターから発送ということなので、朝一番に出すよう要請してくれと伝えた。行動しそうにないが。
自分は柔道と体操をやっていたのですが、柔道のメダルも団体の金も内村選手の連覇の金も見れませんでした。テニスの3位も。このあと女子バレーボールも見たいのだが。編集した場面を見るのと、結果がわからず手に汗握って応援するのとは違いますから。
木曜までにつかなければキャンセルしようと思う。
そして閉会式では、私のアイディアが無断で使用されないかもチェックしなくては。
 今回はこの辺で。                    2016年8月15日    記



★終戦記念日コメント
        2016年8月15日 記

今日は終戦記念日でした。
みなさんいかが過ごされましたか?
私は今年もまた大悲願寺にお参りしてきました。般若心経を唱えて、第2次大戦で亡くなった兵士や民間人の方のご冥福と、世界から戦争が無くなりますようにと祈りました。
 このページの「冒頭コメント」を書くようになったのも、そもそもたいした知識や情報もなく南太平洋を回った時に、期せずして戦闘機の残骸や沈没船、砲 台、スーサイドクリフ、そして原爆ピットなど生々しい傷跡に遭遇して意識を新たにした私が、8月15日に終戦の追悼を述べる為に始めたのがきっかけです。
 終戦記念日は過去の過ちを再認識して戒めたり、亡くなった方を追悼したり、戦争を体験していない世代に伝えたりするのに大切な日ですが、これは国内での話で、世界史上では重要な意味をもちません。昨年も書きましたが、重要なのは9月2日に 東京湾に停泊した戦艦ミズーリの上で降伏文書に調印した時なんですね。本当に戦争が終わったのはこの時。国内でラジオ放送が流れたとか外務省がポツダム宣 言受諾を電信で伝えたらしい、とかいうことは未曾有の死者を出したこの世界的な惨事ではあまり重要でなく、本当に降伏を認めるかどうかが重要だったので す。
「枢軸国」の同盟国が降伏後もまだ戦闘を続けていたのは日本だけなので、正式な降伏が確認出来なければ信用出来ないわけですね。
 どちらにせよポツダム宣言は7月26日に発せられて日本が受諾したのが8月14日なので、あと8日早く受諾していれば長崎に原爆は落ちず、もう少し早ければ広島に原爆は落ちなかった。大規模空襲による被害者もでなかった。
突然ソ連が「日ソ中立条約」を破棄して北から攻撃して来るのが8月8日なので、これも起きなかったし北方領土問題もこじれなかった。(ちなみにこの侵攻はアメリカのルーズベルトがソ連に促したようですね。そしてヤルタ密談で決まっていた。)
 歴史というものはあとから分析すると、これこれが原因だったとか、この時こうすれば被害を減らせたとか分かっても、実際その時点の渦中では分からないこ とが多いもの。しかし、このポツダム宣言受諾をぐずぐず遅らせると、どんなに被害が大きくなるかが分かった上でのものなので「愚か」としか言いようが無 い。一部の権力者達が何日もぐずぐず決断を遅らせた為に何万人もの「民間人」が犠牲になったのですね。陸軍と海軍のプライドの小競り合いや、陸軍が若い兵 士のクーデターを恐れて決断出来ない、とか天皇体制を保持できるかとか、何日も平行線で停滞しているうちに地上でも北方でも満州でもどんどん命が失われて いた。この時の会議の出席者は誰だったか、今でははっきりしている。いいかえれば、この時の発言ひとつごとに1000人は犠牲になってますよ、という状態 です。もちろんそれすらたいしたことと思っていないのでしょうけれど。何せ上陸させて「本土決戦」をしようとしていたのですから。つまり自分が神の国の民と盲信している人たちと国民全員が心中させられようとしていた。
 


★オリンピック前に盗作予防
    2016年8月3日 記

久 しぶりの更新です。ハードディスクのOSのインストールしなおし、導入したパソコンへの移行、故障ハードディスクからのサルベージなどで時間がかかってし まいました。常にインターネット・ラジオを40時間ほど録音しながらドイツ語、ポルトガル語を勉強して、作曲、練習、ギター教室、さらに夜明け前と夕方に ヒグラシの鳴き声などのフィールド・レコーディングにでかけるといった毎日で、なかなか新しいMac環境が完成しませんでした。でもオリンピックにむけて あらかじめアップしておいた方がいいと思うことがあるので、取り急ぎ更新いたします。
★熊本の地震についていろいろ書いたのですが、別コーナーで後日アップいたします。

    2016年8月3日 記


★少しずつ寒さも和らぎ、春の訪れを感じさせる日々となってきました。
              
2016年2月14日 記
 でもきっとこのまま順調に暖かい春の訪れと行かないのが、ここ15年ぐらいの人間への試練なのですね。きっとがくっと寒い日がまたあると思いますので、みなさん体調にお気をつけてください。
 1月20日のコンサート無事終了いたしました。
コンサートにお越しの方々ありがとうございました。まだ雪の残る中およそ100人の方々がお越しになって、聴いてくださいました。
 機会を与えてくださった方々、ならびに会場を用意してくださった方々に感謝いたします。
徐々に目標としているジャズ的室内楽に近づいていると思います。チェロやファゴット、ホルン等加えて新しいスタイルの室内楽を確立したいと思います。
 詳しいコメントを書いていたのですが、ハードディスクの調子が悪くなり、書き直したりしてアップが遅くなってしまいました。
★今回のコンサートではたくさん学ぶことがありました。もちろん私の場合、毎回何かしら実験や挑戦・冒険をするので、そこから得るものが多く、それを次回や作曲などに活かすわけですが。

 
今回はマイクを使わないクラシック楽器とアンプで拡声するギターとのバランスという点、曲中でバスクラリネットに持ち替えて頂いて私がアドリブするという 点、その逆に通常低音で伴奏するバスクラを主旋律にしたり(白鳥)、準備が年を越すことと寒さ対策、純粋なクラシック作品をデュオに編曲すること、などな ど珍しいとりくみがいろいろありました。
 そうした中でもクラシック曲、ボサノヴァ、映画音楽、オリジナル曲など通常ではありえないジャンルの組み合わせ のわりには統一感が出せたと思います。お客様に書いて頂いたアンケート用紙でも満足して頂けたようです。教員時代の知人(先輩になります)もお2人お越し いただきました。以前私がやっていたライブに来てくださった方々です。意外にも「このギターまだ使っているんだね」と覚えていてくださったこと。24年ほ ど使っていて、私の表現の幅を広げてくれた楽器ですが、世間一般では珍しいコンテンポラリーなギターなので(後述)。以前のようにジャズをもっとやってほ しかったようです。

★まず、音楽コンセプトとしては、よくある「お安いリードシート式」(単旋律とカラオケ的コード伴奏に単純化したもの、たいてい買って来た楽譜で)にはしたくなかったので、いろいろ工夫をしました。
もう1本管楽器を入れたかったのですが、年越しにかかってしまったり、既に別の予定が入っていたりで、今回は岩崎さん(Cl,Bcl)とのデュオになりました。そこでまず曲の構造を分析した上でデュオへの編曲作業ですが、モリコーネの「ニューシネマ・パラダイス」は聴きやすそうでも実は複雑な和声構造があることを発見。逆に印象派で浮遊感のあるラヴェル曲もコードとして解釈できることがわかりました。
 どちらも勉強して来たクラシック和声の理論本ではタブーとされていることが使われています。楽譜を参考にいろんな編成の、いろんなヴァージョンを繰り返 し聞いて対旋律や保続音などを書き取りますが、その際に和声の規則が障害になってました。この音は使っているはずがないという先入観がじゃまになるので す。(平行5度など)ギターでその部分だけ鳴らしてみると確かに美しくない。ところが旋律と後ろの保続音が同時になるととたんに感動的な美しさになるので す。これはモリコーネマジックの新しい側面に気づいた気がしました。
 しかしギターでは同時に鳴らせる音の数や距離に限りがあり、弦楽合奏的なこの曲をギターで再現するのは困難。
 移調してカンパネラ奏法(ハイポジションと開放弦を組み合わせる)や複音、ハーモニクスを組み合わせたりオクターブを切り替えたりすることで原曲の和声はある程度出せますが、演奏の難易度と記憶要請が尋常ではなくなります。また、楽器や規模が違うためソノリティ(その楽器特有の音像)のニュアンスまでは出しにくいことを痛感しました。
擦弦楽器系(ヴァイオリン系)のようには音を延ばし続けられないことも大きいです。
 またピアノとくらべ音域が狭く、同時に鳴らせる音が限られているということでギターという楽器の限界を感じました。もうひとつ管楽器かチェロが加われば何倍にも可能性が広がるのですが。
こうした限界がありますので、各音の重要度を調べた上でどの音を省くか検討しました。
 主旋律にクラリネットがある時、その音をユニゾン(重ね合わせ)するか。弾かずにその分ハーモニー要素を豊かにするほうがよいように思われますが、実際 に音を出してみますと、ユニゾンがあったほうが音色にふくらみが出て音楽的には説得力が出る部分が多いことに気づきました。
これが「ソノリティ」というものなのですね。
ジャズではジョージ・シアリングという盲目のピアニストがブロックコードという手法でこの効果を使い、ギターやビブラフォンとユニゾンにして一聴して分か る独特のサウンドを生み出し、世界中に影響を与えました。ラテン・ジャズのピアニストがよくアドリブ旋律を2オクターブ離したユニゾンで弾くのもこの効果 ですね。
 また、音域の関係でギターの音数が減ってしまっても、ビブラートをかけると、しょぼくなりにくいことに気づきました。音程の組み合わせだけではなく気配 とか存在感もコントロールする必要があることを学びました。音数が増やせない時はこの方法を検討してみようと思います。フラメンコギターではこれを駆使し ているのですね。
 また、今回は追求しきれませんでしたがクラリネットの旋律音程の上のハーモニーラインを弾いたらどうなるか。
 普段ソロギターでは一番上に主旋律をもってきてその下にコードトーン、その下がベース音というのが常套手段なのですが、大編成の場合は音量をセーヴして 主旋律の上に平行に動く音を加えられます。よく考えると少人数でもアメリカの巧みなコーラスグループは行っていますね。(CSN&Y、S&G、マンハッタントランスファー、Take6等)これを次回は試してみたいです。
 これらはまだまだ研究が必要で、シューベルトのリート(芸術歌曲、魔王、セレナーデ、冬の旅等)を調べてみようと思います。あとハインツ・ホリガーのオーボエとピアノのデュオ等も録音してあるので研究素材はありますが、ギターに置き換えるというところが難航すると思います。


 ★さらに、時期が毎年おこなっている「お年始の新曲」の作曲と同時進行だったのでハードでした。これは新年のご挨拶として近況報告をかねた小品を作曲し て楽譜を年賀状に印刷して送って、音はインターネットで聴けるようにするというものです。10年ほどやっていますが、曲の内容を年賀状の狭いスペースに入 るようにする制限もあり、自分に課した題材ですが、なかなか難しい。そしていざプリントするのも精密な内容なのでプリンターが不具合を起こしたり、インク 切れなど必ずブレーキをかけてきます。(もうEPSONは買いません!) そして年賀はがきでなくメールの人にも送信しますが、アドレスを記録した古いMacが起動しなくなっていたり、アドレスが変わっていたり・・けっこう時間がかかります。
 これらのめどがついてやっと実家に帰るという感じです。
このとりくみと平行して編曲や楽譜書きを進めたわけですが、リハーサルの日に雪が降ったり、個人練習しようにも室内の気温が4度で指先が冷たくなってしまって動かないこと、など。イメージの世界ではいろんな音が鳴っているのですが、現実の世界ではなかなか進みません。
というわけで年末年始に新しいことをやるのは厳しいことが分かりました。

 

 ★ところでエンニオ・モリコーネという作曲家は私にとって特別な存在で、一般の人が「ニューシネマパラダイス」中の曲がテレビ等でバックに流れるのを「きれいな曲ね」「よくCMで使う曲だね」というのとは違います。少々長くなりますがおつきあいください。
 こどもの頃からサントラ・ベスト盤(映画のサウンドトラック集)で繰り返し聞き、その頃すでに王道を行く他の作曲家とは一線を画す「反逆児」的な存在と認識して愛好しておりました。ある意味「B級の美学」みたいなものがあって、これはアカデミックなものを信奉している人たちには分からないだろう、というようなある種、心の友みたいな部分があったのです(と思いつつも生徒会長に薦めたりして、彼は後に私のライブに来てくれたり、今でも交流があります)。
 後年気づくのですが、私のオリジナル曲を好んでくださる方は、このあたりのニュアンス、つまり、法律的なものをふりかざす人に対して「正論ではそうだけ ど、人間それだけじゃないでしょ」みたいな感情とか、またはこどもの頃、自分が悪いのではないのに怒られて、悔しいけれど説明する技量が無い、あるいは涙 が出て説明出来ない、さらにはなんとか説明しても「いいわけ」と決めつけられたり、あの時の絶望感、孤独感、権力者に対する不信感。
 そういったものが私が作曲する際には伏線で流れており、聴く方が無意識にその感情に同調してくださるのではないかと思うのです。
 実はこれはこどもの頃からモリコーネを聴いたことで養われたものと思います。(そうしたことから能天気な明るいヒットソングや偽善的な曲に興味が持て ず、 ボブ・ディランやポール・サイモン、初期のオリビア・ニュートンジョン、キング・クリムムゾンに傾倒して行ったのだと思います。)
 その頃のモリコーネは、一連のマカロニ・ウエスタン(アメリカの開拓時代を題材にしたイタリア映画の西部劇)やブロンソンものなど、 ご家族で安心して鑑賞出来るタイプではない(笑)作品につけることが多かったのです。
 例えば「荒野の用心棒(For a Few Dollars More)」 でのジューズハープ(口琴)の リズムに乗せた有名なさすらいの口笛。意外なものをメインにしたというだけでなく、このエスニックでややコミカルな音色にダ ンディーな口笛を乗せる組み合わせという発想は常人では思いつかないものだったのです。しかもここにエレキギターのメロディーが加わって勇壮になるのです が、ということは古来からある原始的な楽器や口笛というものと、何千年も後の電気楽器が組合わさるというもうひとつの意外な組み合わせという「入れ子式」 になっているのです。
 この手法は「夕陽のガンマン(A Fistful Of Dollars)」でも使われてスペイン風のトランペットとあわせて彼の代名詞ともなります。ちなみにどちらもクリント・イーストウッドが主演で彼の出世作です。
 これだけでもたんなるおふざけではなく、また普通の音楽学院の優等生とも違う異色の作曲家といえるでしょう。
 
 他にはフレーズやシーケンスの執拗な反復があります。(クラシックではオスティナートの部類にあたる)ここに加わる分かりやすい和音が変わって行く、私が「置き去り効果」と呼ぶ手法がよく使われました。
「荒野の用心棒(For a Few Dollars More)」でのオルゴールのシーケンス。(これはストーリーと関係していてラストに分かるしくみ)
「狼の挽歌」でのエレキギター。「アルジェの戦い」の低音ピアノ。「死刑台のメロディ(サッコとバンゼッティのえん罪事件を描いた作品)」のジョーン・バエズの歌。
「ウェスタン(Onece Upon A Time In America)」のハーモニカ(これもストーリーと関係していてラストに分かるしくみ)、それを支える弦楽の3音の反復も。
のちには「海の上のピアニスト」の寂しいシーンでピアノの「ドレミソ」を繰り返し(ミが♭を引っ掛けて調子っぱずれ風でペーソスにしてある)、弦楽がかぶって来る。
 この手法はロック、ポップス界にも影響を与え、後にシンセサイザーをシーケンサーで繰り返し、コードが変わって行くというのは多くの人に使われますが、 安易なものやたんなるリズムパターンに陥っているものが多く、モリコーネほど印象に残り、心理効果を演出しているものは少ない。パット・メセニーはよくこ の効果をうまく利用しています。

 また「続・夕陽のガンマン(The Good, the Bad and the Ugly、実は先ほどの夕陽のガンマンとは無関係)」での有名な、叫び声でヨーデルしたような「~、ホヮーわーわー」(あ=ミ。ア=高いラ。でご想像ください)はCMでも使われましたし、初期のヒップホップでもサンプリングされて使われました。(ちなみにアフリカバンバータ来日時行きました。)
 このスキャットとも鳥の声とも効果音ともつかない粗野なようでコミカルなようなモチーフは主題歌としても使われますが、物語序盤で黄金をめぐって競い合 うことになる3人の場面にあわせて音色を変えることで、人格を象徴するというアイディアになっています。巻き舌のビブラートの笛に答えるようにハンドビブ ラートでワウワウ効果を出したハーモニカと声のユニゾン、獣の咆哮を思わせる低い笛など。(主人公はこれもイーストウッド!)劇中でもオカリナやファゴッ トなどさまざまな楽器に変わって使われます。
 この作品の中ではハーモニカと捕虜兵隊のハミングによる美しいバラード、目的の広い墓場でピアノのシークエンスとイングリッシュホルンから始まり美しい 女性スキャットによってリードされ、合唱や管弦で盛り上がる壮大な「黄金のエクスタシー」も目玉商品です。そこから3人の対決でギターのフラメンコ的シー クエンスと押さえた管弦のコール&レスポンスから始まり、クライマックスを迎えるろうろうとしたスペイン的トランペットの「The Trio」、と単独で聴ける曲が目白押しになって来てます。
ちなみにこのギターのシークエンスとピアノのシークエンスはモチーフが共通です。また「あアあアああ~、ホヮーわーわー」の野獣性と女神の歌声のような女性スキャットを対比していることも忘れてはいけません。
 この映画のサントラLPレコード(赤と黄色のデザイン)は中学時代の愛聴版で、ステレオのある友達の家に持っていってはこれを聴くべしとかけていました。(迷惑?いや、まさにモリコーネ伝導師)世界中でこれにはまった人は多く、オリジナルそっくりに再現する人たちや、別楽器の編成でアレンジする人、また、「スパゲッティ・ウエスタン・オーケストラ」というパフォーマンス演奏にまで高めた人たちまでいます。(皆こどもの頃、理不尽に怒られたのかな?

  このように楽器とも効果音ともメロディーともつかないようなありえない音色を組み合わせて独自の革新的な手法にしたり、お涙ちょうだい的なメロディーより も断片的な繰り返しを用いた心理効果を使う、というアウトサイダー的な持ち味が、王道に対するパロディーのような立ち位置で、アカデミックなものにうんざ りしていた人たちに受けていたわけです。

★これが1960年代後半になると、作風が変化してきます。
徐々に王道路線にシフトして行き、弦楽オーケストラを多用して、映画音楽の巨匠のように認知されていくのです。
 ただ、これはプログレッシヴ・ロックの有名グループがポップ路線に変更してコアなファン達から「裏切られた!」と思われるのとは似て非なるものなのです。「ニューシネマ〜」はその一番大きな転換期になった作品なのです。
 おりしも、自分は教員になり、前述の「正論ではそうだけど・・」と思いながらもルールをふりかざさなければならない、という立場になってしまいました。 この時には、そういう複雑な心境の、私の特殊な配慮や、意表をつく言動に、共感してくれた生徒は「おばか風だけど実は考えがある」「変わった先生、でも向 き合ってくれる」と慕ってくれましたが、全く意図が通じない生徒からはかつての自分がしたように敵視されてしまい、逆の逆(?)のような状況になってしま います。
  続く!   2016年2月14日 記


★ライブのお知らせ

1月20日(水)秋川キララホール エントランスコンサート

お昼12時10分から30〜40分ほど 無料ですのでお気軽に。

駅からも近いです。

 ギター・編曲 能勢 祥二郎(わたくし。たぶんGodinのガットを使います。)

 クラリネット 岩崎拓哉 (非常に音色のよい名手です。バスクラも使い分けます)

「亡き王女の為のパヴァーヌ」M.ラヴェル、「ニューシネマ・パラダイス」E.モリコーネ、「シェガ・ヂ・サウダージ」A.C.ジョビン、「ロッキングチェアー」オリジナル、「白鳥」サン・サーンス他

詳しくは→こちらです


新年あけましておめでとうございます。
みなさまいかが年を越されましたか?
私 は暮れに棚を作りました。膨大な楽譜や専門書、CDなどを収納するためです。そして毎年やっている年賀状に印刷するお年始の新曲の作曲。大晦日は例年通 り、年越しそばをゆでて食べて、悲願寺に行って除夜の鐘を突いてきました。四国八十八カ所めぐりを模した石仏が並んでいるのですが、いくつかをまわって真 言を唱えました。それから岩走神社にお参りして戻り、年賀状作業です。東急ジルベスターコンサートの「ボレロ」のダンスも見ました(後述)。

 今年はさらに気を引き締めて音楽様式の確立に精進したいと思います。今年こそ木管とチェロの室内楽団を実動させたいと思うのです。昨年秋にウィーンフィルの方に私の曲を聴いて頂くことができ、好評価を頂きました。やっていることは間違っていないと確信出来ました。
 手始めにクラリネットとデュオで、秋川キララホールで1月20日(水)にミニコンサートを行います。お昼12時10分からエントランスで無料です。


 ★昨年を振り返って。
ピ アノの練習を工夫してだいぶやりました。私はギターリストですが、やはり本格的な作曲・編曲を追求するには、ピアノに習熟しなくてはいけません。そして本 来はタッチや生音の反応、ソノリティーの確認など本物のピアノで練習するのが一番なので、毎回練習施設を予約してお金を払ってやってきました。ところが、 安い施設だと、隣のスタジオの和太鼓軍団やターヘなバンドのやかましい音などが漏れて来て、いまいちです。そこで普段はMIDIキーボードをMacの音源 ソフトと接続していつでも研究・練習できるようにしていますが、音域が狭いのが難点でした。鍵盤タッチがシンセのぺこぺこですし。そこでオークションで音 域広めの中古MIDIキーボードを落札し、これでだいぶ前に進めました。やはり両手を別行動にコントロールしたり6声、7声のヴォイシングとなると76鍵 は必要です。(製品自体がほとんどないのです)これで左手小指の訓練、両手でのアッパー・ストラクチャートライアド、Bポジションと4thBuildの連 繋などを12の調(短調含め24調)で慣れてきました。これを木管やチェロに置き換えるわけです。
★そして暮れにはMacをなんと3台寄付して頂きました!だ いたいセットアップできました。これでクラシックやジャズのネットラジオと語学講座(ドイツ語、英語、スペイン語など)の録音を同時にしてもエラーが起き ないし、先述のMIDI鍵盤の音源も平行して使えます。しかも高性能のMacProは緻密なミックスダウンにも使えますし、映像編集もいけます。今年は新 編成の音楽を映像で撮ってYoutubeなどで配信しようと思っていましたので助かります。MacBookはギターレッスンで出張する際に伴奏や作曲方法 などいろいろと使えます。
やはり私のようにスポンサーがついていない芸術家の場合、一番助けになるのはこういうものです。

★ また、昨年は健康について注意を喚起させられた年でもありました。2月にひどい咳が出て、私にしては珍しく病院というものに通いましたが、なかなか原因が 分かりませんでした。結局耳鼻咽喉科で見てもらったら副鼻腔炎で、薬を処方して頂いて薬局で買い、飲んでいたらなおりました。はじめから耳鼻科に行けばよ かったんですね。
  そして、あいかわらずトレーニングをしていましたが猛暑の夏に、調子が悪くなりました。以来、塩分を控え、炭水化物や脂質の低いものを選び、総カロリー摂 取量を押さえています。食べるものの表記を毎回調べて記録する習慣をつけました。なにせ口から入ったものが体になるわけで、蓄積して行きますから。これで 改善されました。この数ヶ月トレーニングは控えています。

★ その猛暑ですが冷房を使わず乗り切りました。ここ数年そうしています。これは私なりの東北支援なのです。つまり原子力を極力使わない生活で努力するという ことです。なんでも便利、快適、というものに慣れると、それは環境を汚染するということと比例します。なのでクーラーを使わず、扇風機で我慢です。普段、 車の移動でガソリンを使ってしまっているので、相殺(そうさい)する意味もあります。贖罪(しょくざい)的な感覚です。
 音楽制作の能率を考え、昨年は冷房使おうかなという予定でしたが、結局使いませんでした。(それが体調を崩した原因かも知れませんが)ヒグラシの鳴き声録音でろくに眠らなかったし。尾根で夜明けにとてもいい音が収録出来ました。これを販売して東北の支援にしたいです。
暖 房も、この冬まだ使っておりません。寒いです。家の中でも4度ぐらいになって息が白いですから。重ね着とホカロンで我慢してます。棚作りも庭でやっていた ら気温0度になってました。クラシックの発達した北ヨーロッパではもっと寒いと思うのでこれぐらいでへこたれないようにしなくては、という鍛錬でもありま す。
★ そして昨年はあいかわらずインターネットでFM番組を録音して勉強しました。図書館ではCDは毎回2枚しか借りられませんし、交通費もかかります。ところ がラジオだと解説付きで無料で入手出来ます。作曲者や指揮者等もネットの番組ページからコピペしてiTuneのタグで探しやすくします。このファイリング の作業がちょっと面倒ではあるのですが、クラシック音楽は各時代の特徴、時代背景、作曲者の人生等とあわせて把握するべきだと思いますので。
  図書館でもよく解説本を探しますが、的確な「文字の大きさ」で解説してあって、「かつ適切な大きさの楽譜」で例を示してあるものはほとんどありません。当 該曲を録音したファイルの中から見つけ出しても何小節めかわからないし、なかなかその部分を見つけるのは苦難です。また、内容にシンクロしたCD付という ものも少なく、あっても曲番号と本のページとの関係を調べながらコントロールしなくてはいけなくて集中出来ません。
ましてや、作曲者がその前の時代の流儀から何を変えたか、どんな工夫や発見をしたかを楽譜と音で解説出来ているものはいくら探しても見つかりません。この21世紀になっても。これじゃ私のように熱心に独学しようというものでも、らちがあきません。
  それがラジオでは解説してくれて曲も流れます。ですから資料として非常に役立つので、毎日録音してしまうのです。しかし交響曲等1曲で1時間半とか、オペ ラなんか4時間とかありますのでじっくり聞く時間がないのが困りもの。今年はこの時間コントロールを改善したいと思います。
やはり本末転倒にならないように、作り出す方を優先すべきですので。
★秋からはドイツ語も勉強し始めました。ウィーンの人と英語で話しましたが、かたことでもドイツ語を出来るようにしたいものです。まだデア、デス、デム、デンという段階ですが・・。

★年を越す時に東急ジルベスターコンサートをテレビで中継していて、ラヴェルの「ボレロ」のダンスが素晴らしかったです。テレビの前でマネして踊ってしまいました(笑)。そしてちょうど曲が終わると夜12時になって年が明けるという生演奏で。
新年のカウントダウンにはそれほど興味がなかったのですが、シルヴィ・ギエムさんのダンスがほんとうに素晴らしく、しかもこれで引退のラストダンスということで胸に迫るものがありました。

★年が明けてからは、特別番組で面白いものがありました。

ラ ジオで「歳神様」を紹介する番組が面白かったです。大学の女の先生が的確に説明してくれて、ゲストや司会の人もちょうどよい知性で、神事の現場の中継で小 さい声で話したりするので、聞いていてもきもちいい。下世話なテレビのように芸No人や低能人のやかましい無駄トークで中身が薄くなることもなく、ちょう どいいバランス感覚で、プロデューサーが優れているのでしょうね。特に南九州の島での「トシドン」が抜群に面白かったです。若い頃佐世保の黒島に滞在して シンポジウムをやった時に耳にした方言を思い出しました。他にも水をかけられてしまう「ホトホト」も。

★それでは、今年もよろしくお願いします。

今年が平和で、みなさまにとって良い年でありますように。

               能勢 祥二郎

 

リュックをなくしてしまいました。残念。

   2015年11月3日 記

  最近ヤフオクで入手した、オレンジ色に黒のストラップ類で、頑丈なハンドル(持ち手)がついたデイパックをなくしてしまいました。SwissGearの 非常に優れた品だったのに残念。11月25日(日)の夜に小平市鷹の台付近か、あきる野市でなくしたと思うのですが、わかりません。警察には届けて、近く のお店にもたずねたのですが・・・。

 中に、音楽ノートを3冊入れていました。しかもそのうち1冊はここ2年間ぐらいの、ハーモニーの研究成果を書いた分厚いものです。これが一番くやしい。

ア ピカの無地のノートに手書で五線を書いて、ジャズの4声、テンションを美しくコントロールした トゥー・ファイヴ・ワンやアッパーストラクチャー、3声だけでもしゃれたヴォイス・リーディング、クロマチックアプローチ、ブロックコード、他のノートに ばらばらに書き貯めていたものを整理して書いた和声・・・。色分けしたり解説も書いておいたノートです。

 生ピアノがある施設に行って鳴らして書き留め、室内楽の作曲と編曲に応用しようと研究してきた内容なのです。黒いカバーをつけたB5サイズ,100ページほどのものです。

 他の2冊も6年以上使って来た、歌用に、小節ごとのコードと歌詞を書いて弾き語りしやすくしたA4のものです。私のギター・レッスンでも使っているものなので、これもないと困ります。

 他にはオリンパスの小型デジカメ、ギターにとりつけるカポダスト2個(しかも片方は特殊なパーシャルカポ)。楽譜用の筆記用具類。などなど・・。

 もしどなたか拾った方、私に連絡お願いいたします。

こちらです→ generate311-heal○yahoo.co.jp 

○を@に変えてお願いします。迷惑メールに仕分けされないよう件名に私の名前「能勢」と書き添えて頂けると助かります。

または「お問い合わせ」のコーナーのフォームから送信頂くこともできます。

お近くの交番に届けていただけるのでもありがたいです。

中身をばらばらに散乱して捨てられた可能性もあります。デイパック以外に単体で上記のノートや品々を発見された場合もぜひご連絡お願いいたします。

 

★ このスイスギアのリュックは長年デイパックやかばん類を使って来て不満だった部分がほとんど解決している、素晴らしい機能性で、このページでも紹介しよう と思っていたところでした。 一番はストラップが非常に幅広で重さを軽減し、背中の面ともどもにエアーフローを考慮したクッションで、空気が通るように別れていて、体温がこもらないよ うになっているのです。収納はノートパソコンを保護して入れるスペースと、本類等入れるスペースに別れて、重心のいいところにワイヤーを芯にした頑丈なハ ンドルがあって持ちやすく、各ジッパーも大きくスムース。ストラップの長さは背負ったりおろしたりする際に簡単に締め付けたりリリースしたり出来るような オリジ ナル部品になっていて、瞬時に調節出来ます。もちろん小物を入れるスペースもたくさんあり、左右に小物入れとネット、眼鏡をひっかける部分もあり、内部にキー鍵等を止められるカラビナ的部品、音楽プレイヤー用のポケットからは外のストラップまでケーブルがつながるよう配線されているのです。

 私のように森などフィールドに機材を持って出かけて研究するような人のことを考慮して作られたものだったのです。スイスだけあって救助活動をする際にも使いやすいようになっているのでしょう。

 

 製品はまたお金を貯めて買うことは出来ますが、音楽ノートを失ったのが悔しい

これは映画で言うなら「マイティー・ソー」でナタリー・ポートマン扮する科学者ジェーンが特殊な気象現象を長年研究して書き留めたノートのようなもの。S.H.I.E.L.D.によって没収されるが、映画ではソーが取り戻してくれる。いいな〜、ソーよ、私にも取り戻しておくれ。

 もしリュックを拾った人が中身をばらばらに捨てていたとしても、このノートだけでも誰か拾って届けてくれたらいいのに・・と祈っている毎日なのです。

 

   2015年11月3日 記

「戦後70年、明らかにすべきこと。」

          2015年9月4日 記
★毎年終戦記念日を機にこのヒールジャムでは戦争を振り返ってコメントを書いております。
 今年は「終戦記念日」ではなく国際的に認知されている「終戦の日」にアップしました。
 本来音楽のことだけに集中したいところですが、海外に行くたびに歴史に無知な日本人の軽薄なふるまいを見て嫌気がさしたり恥ずかしく思うので、やはり芸術表現にはまず過去の経過を知っておかなければ、と思うのです。
 そうでなければ音楽は今のJ-POッ苦(笑)みたいなあさはかな大量生産消費音楽ばかりになって世界に恥ずかしいし、それを聴いて育ったこどもたちの耳って、かつて「戦陣訓」を覚えさせられたこどもたちや兵士と同じように、それがあるべき状態と刷り込まれてしまうから。それじゃだめですね。
 やはり「無知は罪」だと思います。
ほんとに歌詞もメロディーも伴奏もコンピューターであっちからコピペ、こっちからコピペで演奏技術も低く楽理も学んでいない小手先上手なパクラーが蔓延。で、誰も指摘しない、しかもセンス最低、みたいな。J-Paックリですね。いつも書きますが「君のそばにいるよオォ〜」「幾千、幾万のォ」「ッてシま〜う」「Gonna Be All Right」とか禁止にしましょう。まさに今デザイナー界を震撼させているあのエンブレムの人と同じことやってるわけですね。審査員や経過・理由、他の候補作品もあきらかにしないといけません。逃げ得はダメですよ。擁護した人たちも、しっかり立場の表明を続けて行くべきです。逃げれば同じ穴のムジナということになります。

 いかに「オリジナル」と言い切れるものを生み出すには努力と年月がかかるか、ということです。修行が必要なんです。当たり前の基本です。これを機に商業音楽もどんどんサーチして指摘されるようになるといいなと思います。これもか、おまえもか、ってぞろぞろ出てきます。そうなれば本当に音楽的実力のある人のよい作品だけがでてくることになり、正常な状態になって、切磋琢磨がやっと「始まる」と思いますので。
・・・ということふくめ、毎年太平洋戦争や第二次世界大戦についていろいろ勉強しています。終戦から70年経ってかつての体験者、生き延びた兵士、満州から帰還した民間人、戦争孤児など高齢になって、語っておこうという気持ちになった方も多く、また、アメリカの機密文書が公開になったり、ききとりの録音テープが発見されたりで、今まで秘密だったことが暴露されたり、不明瞭だったことが明らかになってきました。
 そのなかからみなさんにも知って頂きたいと思ってここ数年私が書いたことでは、★日本陸軍にも秘密情報部隊があって施設は今も杉並区に残されていること、アメリカ軍の通信を傍受して原爆が落とされることが分かって上層部に報告したが対応しなかったこと。
★日本でも原爆を作ろうと科学者が集められウラン堀り作業にかり出された人たちもいたこと。
★真珠湾の宣戦布告は、係が大使館のパーティーによって攻撃よりあとになってしまったが、アメリカ軍は傍受・解読して知っていたこと。
「海軍乙事件」で、艦隊の参謀長だった福留繁中将らが不時着して 、アメリカ側フィリピンゲリラに新Z号作戦や暗号の最高機密書類を奪われたのに言い逃れしていたこと。これが米軍に流出したことで太平洋戦線の戦況が悪化したこと。(こいつ責任逃れて昇進までして、戦後も役職に就いてる)
★多くの少年兵士が「回天(人間魚雷)」「伏龍(人間機雷)
海龍 (特攻用の小型潜水艇)」「震洋マルレ艇(特攻ボート)」で犠牲になったこと。しかも稚拙な作戦や練習で。
★小説家、作家は戦争を鼓舞するものを書くよう指導されたこと。そぐわないものは内容修正されたり、発売禁止や回収になったり、印刷前にとりおさえられたり、作者が糾弾されたりしたこと。
★ポーランドへのナチス侵攻とソ連のだまし討ち、おそロシきカティンの森事件
この悲惨さ。
などなど・・。
★そして私自身、何の知識もなくテニアン島(マリアナ諸島)に旅したとき、現地フィリピン人に「スーサイドクリフ」を案内してもらった時に知ったことについて。戦争当時沖縄の人を中心に1万人ほど日本人が住んでいましたが、戦況が悪化してアメリカ軍の船が迫っているということで、日本軍兵士が民間人を何千人も崖の上に集め、手をつないで並ばせ、銃剣を突きつけて下がらせていき、そのまま50m下の海に落として行ったということです。
強制自決です。
 集合させられる時、不穏な空気を察知した母親が幼いこどもを洞窟等に隠し、生き残った人たちもいて、その人達ももう高齢です。毎年のように集団で日本からその岬に訪れて、供養し、1週間泣いて行くそうです。やっと費用を出し合って石の供養塔が出来たというところでした。このようなことは各島、沖縄でおきていたようです。教科書には載らないし、一般の方は知らないことでしょう。
 このところ不穏な法律が出来たり、ISに加わろうとする若者がでてきたり、その悲惨さ狂気を伝えるには、今までの教育的な反戦ものでは役不足になってきているのではないでしょうか。

★今日書き加える内容は、「なぜ、今まで生還した兵士からの体験談があまり語られなかったのでしょうか?」ということです。
生還した兵士の気持ちになってよく考えてみたいと思います。
その人が戦時中も戦後も天皇をあがめていた場合も、逆に上官や軍上層部が低レベルすぎると気づいていた場合も、「人殺し合戦」に参加していたということに変わりはありません。
 砲弾の飛び交う大陸を行軍していても、魚雷や戦闘機のせまる船の上にいたとしても、うだるような暑さの高温多湿の島のジャングルにいたとしても、戦うということは相手を殺すということです。もし、体験談の場で「敵を何人殺しましたか?」とたずねられたらどうしたらいいのでしょう。
 もし戦場で実際に敵兵を殺した人がその様子を正直に語ったら、「ひどい」「残酷だ」と責められるかもしれない。もちろん本人は逆らえない命令に従ってやったわけだし、また、当時はそれが正義、美徳、功績として教育されていたというのもありますが。もし鬼畜米英!という時代だったら、讃えられるかも知れませんが、現在聴いている人が理解してくれる補償はありません。
 逆にだれも殺していないと言ったら、右翼の団体から「何の為にイクサに行ったのだ!」と責められるかもしれない。
 もし戦場で実際に敵兵を殺した人が、覚悟して相手を撃ち殺したことを話そうと思っても、相当の精神力がいる。毎回その光景とともに、当時のさまざまなつらいこと、残酷なこと、無念なこと、言葉にできない長年悪夢にうなされたことがよみがえる。
 戦友達が爆死したり、餓死、病死、理不尽な処刑されたり、親しい友人が特攻に行ったが、自分は生き残ったということに後ろめたさを感じてしまう人も大勢いるでしょう。
 また、現在の若い人たちを対象に話していたとしても、同期の生還者に内容が伝わるかもしれない、軍人会の未だに天皇を神と崇める老人たちがどう監視しているかわからない。自分の家族にどんな影響が及ぶか分からない。きっとこういうことがあるので、なかなか人前に出て来てお話するのが難しいのでしょう。
 さらに、世の中にはニュートラルな視点の人ばかりではありません。戦争マニア、殺人嗜好の人たちもいます。そういう人たちが違う趣向で聴きに来るかも知れません。だから公の場に出て、講演会というようなことはまず難しい。やはりジャーナリストや作家が礼を持って、知識を持ってインタビューするのに答えるのがやっとなのではないでしょうか。
 戦後にNHKなどがききとって録音したテープがたくさん残されていて、まだすべてを再生して事実関係を関連づけることはできていないようです。すでに現在亡くなっているかたからの証言も多くあるようなのです。
 これらも劣化するからしかるべき方法でバックアップをとらなくてはいけないと思います。テープは保存状態によってはベトベトになってくっついてしまったり、磁気が消えてしまったり、伸びてしまったりします。早く現在のデジタル音声に置き換えて、リストアップして時系列や人間関係を照らし合わせて、しかるべき人が(変な会長にコントロールされない人)クリアーにしていくべきだと思います。歴史学者はもちろん、現在音楽界で行う「リマスタリング」の技術者達にも加わってもらって、劣化したテープからノイズも取り除いて証言を掘り起こすべきだと思います。南京のことや慰安婦のことも。
 テレビ番組では東北大震災、津波の証言や別角度の映像を照合して映っている人を特定したり、生き延びた本人に当時のことをインタビューした番組がたくさんあるのですから、優秀な人がけっこういるのだと思います。そういう人にも協力をあおぎ、まだご存命の人にインタビューして点と点がつながって、見えて来るものが多いと思います。当時の一般人の日記を見ても、戦争を応援して軍人を讃えているものが多い。これはたんに「洗脳」というだけではないのです。

 ということもかんがみて、時系列にしてある戦時中の映像を見てみると、やはりアメリカ軍のカラー映像が非常に多い。帯同していたジャーナリストだけでなく、戦闘機や爆撃機に備え付けられたカメラが自動的に記録しているものが多い。そこでもう差はついていたのですね。
テープや証言、攻撃命令書などをつきあわせていくと、これはあの港を空襲銃撃した映像だ、あそこは誰々さんの家だとかまでわかるでしょうし、その戦闘機に乗っていたのはあの兵士だということもわかるようですね。やはり人対人の殺し合いなんだ。
 証言では、地上を逃げながら戦闘機に乗っていた米兵パイロットの顔も見えた、というものもよく耳にします。そのぐらい低空まで襲って来た、その爆音や恐ろしさ、急激な変化はゲームやアニメでは想像出来ないでしょう。プラスティックの弾で戦争ごっこをするゲームがあるようですが、甘い意識でISや傭兵部隊に加わったり、現地の言葉や教典も勉強せず戦場記者まがいのことをしようとしたら、腰抜かすでしょう。
 また、長くなっていたので、今日はここまで。今年は体調もあって、何回にも分けてアップして行くことにしております。
                            2015年9月4日 記

-----------------------------

↓前回の記事です。

 

     2015年9月2日 記

★みなさん今日は何の日かお分かりですか?
「終戦の日」です。
あれ、8月15日じゃないの?と思われる方が多いと思います。
それはあくまで日本国内での「終戦記念日」です。
海外では8月15日はたいして意味を持ちません。天皇様の「玉音放送」がラジオで放送され、国内で負けたんだ〜、と悔しがったり、やっと終わったんだーと喜んだりした日。
 ところが海外からはそれよりも、実際に「調印」した日の方が大事。口約束でもなく、大勢の目撃者がいる中で実際に書類に署名してはんこを押した、東京湾 上のアメリカ戦艦ミズーリ甲板上において調印した、これでポーツマス宣言が受諾された、と確認された日が、戦争の終わりなのです。
 太平洋戦争戦争の始まりも宣戦布告より先に真珠湾を爆撃しているので、あいまいはダメ、ということです。15日よりも、意味があるとすれば8月14日に スイス政府経由でアメリカ合衆国大統領トルーマンに電信したことですが、それだけでは戦争は終わらない。降参します、と証明出来る状態でなければいかない わけですね。
 今まで何回か書いていますが、この受諾をぐずぐず遅らせている間に2発もの原爆が落とされ、北方がソ連に蹂躙され、領土問題も残し、各地の爆撃やシベリ ア抑留の被害者も増えてしまったのです。なぜはやく終わらせられなかったのか、ここ数年はテレビの特集もあり、明らかになってきましたが、ひとことでいっ て軍部上層部のおろかもののせいですね。そのために何万人も犠牲になったわけですから。
 ヒトラー率いるナチス、ムッソリーニ率いるイタリアとの日独伊三国同盟、「枢軸国」の最後の国がやっと降参を認めた、というのが今日です。

★さて、毎年「終戦記念日」をめどにこのヒールジャムにコメントを書いてきましたが、今回は国際的な「終戦の日」にアップしました。
 いつも長文になるのですが、今回はこわけにして、アップして行きます。
というわけで、今日はここまで。

 

        2015年9月2日  記


★皆のしゅー、ヒグラシシャワーを浴びましょう。
                                  2015年8月8日 記  
   皆さん、ヒグラシは今が全盛期。ちょっとピークを越しています。ぜひ耳を傾けてください。朝の4時23分です。涼しいし気持ちいいですよ。
毎年山の中等に入って録音し続けて来て、今年は集大成、渾身の一撃(一録)がとれました。(引き換えに失うものもありましたが。)
 山の峠で、真っ暗な谷間から徐々に徐々に、風が起きるように鳴り始めます。
クマの出るようなところで設置してたりするのでちょっと恐いです。
      詳しくは「ヒグラシジャーナル」のコーナーで。こちら

 

 「今年も」毎日恐ろしい激暑続きですが、私は現在のところ冷房を使わず「今年も」扇風機でしのいでおります。きついっす。(なぜ?→後述)

 

★さて、おかしなことがありますよ。
原発事故の時にあれだけ電力が足りないとかいって、春なのに強制的に停電にしていたのに、今は真夏でちっとも節電を呼びかけてこないじゃないですか。(結局原子力無しでも足りてるんですよね)

現在日本の原子力発電所はすべて発電しておりません。それぞれ運転停止、運転終了、定期検査中、廃止、廃炉中、建設中。確実なる0万Kwです。
ここから各発電所の状況が確かめられます。→運転実績  →こちら
<http://www.gengikyo.jp/facility/powerplant.html>


そして連日の猛暑・酷暑・激暑で熱中症患者が激増。そしてニュースや天気予報等を通じて「水をこまめに飲んでください、冷房を使ってください」と言う。あ、電力使っていいんだ、みたいな。

  ところが熱中症とじゅっぱひとからげに伝えているだけで、日光のもとでスポーツをしていたのか、冷房のきかない家の中で意識不明になったのか、室内だが厚 着での作業のため体温が上がったのか、状況を言わない。おそらく伝えているキャスターも理解していない。厚生省(現・厚生労働省)もなんら対策を考えてい ない。これは前に予言した通りです。もう、かつてのような暑い日に30度越えたか〜?という時代ではない、という認識がないのですね。この殺人的気温と湿 度の中、どう生き延びるかという指導をするぐらいでなければいけない。地球規模の異常気象なのだから。
例えば安売りしているポリエステル100%のシャツ等は論外。「速乾」「吸水」などすべてウソです。早い話ビニールを着るわけだから水も吸わない。ベルト 位置に垂れて行くだけ。伸縮も悪く摩擦も大きいので着ようとしただけで暑い。これは何年も前から指摘している通りです。
 プロサッカー選手に支給されるようなものは別製品で、特殊な素材で脇、背中などパーツパーツによってメッシュ度も伸縮度の方向性も違う生地を縫い合わせ て作ってある高価なものである。その上にユニフォームを着るのである。ユニフォームも工夫が施されているが、激しいぶつかり合いや地面に転んだ時に保護す る役目、日光を遮る役目もかねながら、通気性も考えられている。
 これを安価なポリ100%ものを2枚重ね着して炎天下でプレーしたらとたんに体温が急上昇するのはあたりまえ!少年サッカーや野球のお母様達、気をつけ てください。監督やトレーナーがそういう知識や配慮を持っている方ならいいのですが、自分が育って来た時代の根性論をそのままおしつけて軍隊方式にやった ら、倒れるこどもが続出するでしょう。

 もちろん綿のシャツなら汗を吸ってくれます。タオルを着るのと同じだから。そのかわりなかなか乾かない。形が崩れる。肌にぴたっと付いてしまうと、体温 の発散を遮るし、皮膚呼吸も妨げられる。そこで、綿と麻の混紡が良い。そしてむかしながらの「ちりめん織り」「クレープ生地」「ちぢみ」等、横糸にだけ撚 り(より)をかけて織る生地が良い。撚りが戻ろうとする性質で表面に独特の「シボ」というでこぼこができて、肌に触る面積が減り、吸水性、速乾性、伸縮性 に優れたものになる。 こちら「京ちじみ」

   こちらステテコ

昔の人は考えていたんですね。現在の大量生産、合理性優先(合理的ではないが)、質の低いものを安価に、ということより、「お客様が肌につけるもの」を丁寧に作る、という信念や、あそこの品はよい、と誇りに思えるよう取り組む。そして買う側も、品の価値、善し悪しが分かっている。これは非常に大切なこと。
 現在のように安いからと、食べ物に異物が入っていたり、危険な成分が入っていたり、合成保存料に着色料、偽装されているのを気づかずにお手軽に食べて、こどもにも与え、病気になったり、精神疾患になったり。

 い。
 当然「切れやすいこども」や平気でいじめるこども、裏切るのを何とも思わないこどもも自動的に量産されます。とんでもない事件がしょっちゅう起きているでしょう?
これはほとんどの場合、現在の親の世代の親が悪かったのだと思います。
技術の進化、情報手段の変化、ラジオ→テレビ→ネット(PC→ケータイ→スマホ)、食習慣の変化、生活時間の変化(朝、昼、晩の自然サイクルから深夜型の 無段階へ)、価値観・ステイタスの変化(教員の権威→地に落ちる、天皇→人間宣言、政治家→うそつき)、地元コミュニティのあり方の変化・・。これらに対 応出来なかったのです。自分の世代のしきたりをかたくなに押し付けるか、逆に分けも分からずこどもの世代のうのみにしたり。ものが足りなくって大切にして いた時代と、100円ショップに100円バーガーの時代、そのギャップを吸収できずにこどもを育てた、それが現在の親の世代。
何が正しいか、何を大切にすべきかという「その家の主義」を吟味して行動してこなかったということでしょう。とはいえ、この短期間の変化に正確に対処出来た人なんてほとんどいないかも知れませんが。
 偉そうにアドバイスしていた投資家だってリーマンショックの打撃を受けるし、地上げでブイブイ言ってた不動産屋だってバブルがはじけて文無しに。オリン ピックを誘致した都知事も5000万円の収賄で辞任、ウォーターフロントでコンパクトなアクセスと売りにしていたのに建設が間に合わないと、競技場は各地 に離れて設定、メインの新国立競技場にいたっては当初の1300億円でさえ破格なのにやっぱり3000億円必要ですってアホか。年間維持費で約41億円っ て誰が払うの?日本は東北震災からまだそこまで復興してないと思います。でデザインの白紙撤回ッて。世界に、嘘つきジャパンとレッテル貼られそう。
この巨額なお金と人材が右往左往している間、東北の復興はほったらかし。廃炉は進まず、「氷の壁」は失敗し汚染水は常に海へ流れ出て、除染した土は行き場 を失い、移住させられた人たちは帰れない。4年経っても蒸し暑いウサギ小屋、うなぎの寝床に押し込められたままで体調を崩すお年寄りたち。

このような変化、誰も予測出来ないでしょう。でもこれがThat's日本ですから。
むしろ目先のお金優先で左右されない芸術家が時代を俯瞰していたのかも知れません。

  ご参考までに→報道の透明性は世界で53位 このリンクも→日本人の鵜呑み度・・グラフで
 とにかく質の悪いもの、甘さで引き寄せるものはいつの時代もあるし、これからはケータイも含めてさらに増加してきます。仲間から外されないようにという恐怖も加わってきます。
親はこれを見定める「知的な価値観」をまず持っていなければいけない。その上で幼少期から、充分な愛着や正義が豊かに育まれたか。
これを見定める「知的な価値観」をまず持っていなければいけない。その上で幼少期から、充分な愛着や正義が豊かに育まれたか。
それが欠けると「境界性パーソナリティ障害」になりやすい。これはBorderline  Personality Disorder略してBPDといいますが、さまざまな傾向があります。
最近専門家の講義を聴いたのですが、私が仮説を立てていたこととすべて一致しました。
   以前教員として働いていた時に、問題行動を起こすこどもの生育歴が大きく影響を与えているのを「全身で」感じていたこと、つまり臨床で得ていた直観とリン クしました。一見普通のこどもや、リーダーシップのあるこどもなんかが、例えば中学2年になって突然非行や暴力に走る。または自傷行為に陥る。集団による いじめがはじまるが誰も止められない。教員も親も気づかない・・。

 

   各地で毎年起きていることだと思いますが、現在は担任の責任とか、一教諭の指導力不足のようにとらえられたり、校長が出て来て謝ったり、あるいは逆に隠蔽 したりです。そんな低次元では対処出来ません。よくて、PTA会議で教員、保護者、地域一丸となって・・と唱える人がいますが、「予備軍」に若干だけ抑止 力があるぐらいでしょう。
 また校内にカウンセラーが配されるようにはなってきましたが、普段一緒に活動していないカウンセラーがどうやって何百人の中から見つけて救うのか。親し い友人でさえ気づかなかったというケースが多い。また、こどもがカウンセラー室に行くのは勇気のいること、誰かに見られたら・・・。チクったのかと外され ないか・・。そもそも自分で自分の問題を認識出来ていなければ行かないし。保健室では他の人たちが来ているし・・。
 じゃ、どうすればいいんだ!というでしょうが、私なりの考えはあります。そもそもその家庭の成育歴に問題があるとき、ある活動を通してそれを補える例が あります。また現在進行中だったりする場合はその親を指導しなければいけませんし、そんなこと可能か、ということもあります。
 私のこのHeal-jamを読まれている方々は知的で文化的意識のある方でしょうけれど、世の中には、非常に低い文化水準の家庭もあるのです。文化と いっても、なにも文豪作品を読んだか、名作オペラを見たか、とかいうことではなく、会話を理解する、思いやりを持つ、前回の失敗を記憶している、おだやか な生活空間がある、何が正しいか判断する基準がある、といったまさに本来の「文化」といったものが、著しくそこなわれた環境です。信じられないかも知れま せんが、世界には教育を受けられず、差別を受けてそういった状況、(犯罪・暴力・薬物依存・突発的復習・自傷行為)に陥る人たちが多いのをご存知と思いま すが、日本の隣人でも、存在しています。
安全そうで、飽食のようで、教育が整っていて、平和そうな日本でも、その隙間隙間に異常な生活の家庭があります。
生活保護を受けながらギャンブルをしたり高級車を乗っているとか、給食費を払わないのに飲み歩いている親とか。ペットのように気まぐれにかわいがる親、憂 さ晴らしに小突いたりはたいたりしながら育てる親、すべてを自分の思うがままに支配しようとするコントロールフリークの親、当然病的な人格を隠し持つこど もに育ちます。体は大きくなります。
そうした状況に、教壇に立ったこともないお役人仕事の文部省(現・文部科学省)の背広族が机の上で書類を書いて指針を示すなんてまったくの無意味なのです。
これから少子化というのに、病的なこどもの割合が増えたらどうするんですか。
環境が重要になります。
たんに表現の自由というのとは別のところで、こどもを取り巻く「キレやすくする(キレたもん勝ち)」「仲間が生き返る」「近道で得をするのが美徳」「自分の拳を痛めずカンタンに攻撃出来る」系の害毒をどう遠ざけるかが関係してきます。
逆にそれらに頼らない素晴らしい内容の物語、作品がもっと増えてくれば、幼くても判断出来ると思います。ただしいかにも「上から推薦して来る系」「お説教 系」のものでは拒絶されます。絵柄、世界感の設定、性格設定など十分な魅力を持っていなければいけません。例えば「トイストーリー」のシリーズは素晴らし いと思います。
サイヤ人が「大猿や超サイヤ人、超サイヤ人第2段階・・超サイヤ人第5段階」になって延々殺し合う話よりは何千倍も良いでしょう。知的で良心のある大人が真剣にこどもたちのために練りに練って作っているのが伝わってきます。商業利益優先で、作者がいやがるのに連載継続させて、あらゆるグッズ展開メディア展開で増殖させるポリエステル100%作戦とは違います。
 映画では「ナイト・ミュージアム」のシリーズ、古くは「ジュマンジ」がよく出来ていると思います。でも日本のこどもたちは集中力と想像力が低下している ので、物語の面白さを理解する前に、登場人物の顔の好き嫌いや特殊CG効果や目先の現象にとらわれるでしょうから、「ファインディング・ニモ」や「アナ 雪」のほうがいいのかもしれません。でも、問題の小学校中学年の男子いわゆるギャングエイジから中3までの発達で興味をそそられる部分で良い作品を作らな ければなりません。
 もちろん「ボールにしまえる動物をGetして持ち運び、好きな時に呼び出しては戦わせる」こどもたちの話や、不良少年が「死んだり生き返ったりしなが ら」武術会で戦う白書や、「三白眼で腕の伸びる少年」が海賊同士で殺し合う話より魅力的(笑)でなければいけないでしょう。

 私が良い作品として思い当たるのは「デジモンアドベンチャー」です。とくに最初のシリーズやその続編。こども達が未知の世界で協力し合ったり、反目し合ったりしながら冒険をします。しかもこれは良識のある大人が見ても楽しめる。
 今の日本のクリエーター界には残念ながらそうした人材は見当たりません。そういうコンペティションもないですし。まともに批評する場や、言える人もいま せん。大人数アイドルや見た目派手の話題性等、腹黒いプロモーターが影にいる短期間でお金になる商品がまかりとおっているのですね。
これら、こどもを取り巻く環境は大きな問題ですので別の機会に取り上げますが、もっと教育関係者がBPDやADHDなどをよく理解することが第1で、どの ような療法があるのか、学校で可能なことは何か、どうやって暗黒面に引きずりこまれるのか、親の信頼を得てうまくアドバイスする方法は・・と研究を繰り返 す必要があります。

 

★さて、暑さ対策の話に戻りましょう。
こちらも厚生労働省が率先して、医学界、科学界、ソーシャルワーカー、建築学者、アパレルメーカー、民俗学者などなどを招集した研究会チームを作り、この 酷暑を生き抜く生活法、ヒートアイランドを軽減する方法、広範囲に気温を下げる方法などを見つけ出し、啓蒙するべきです。

   先ほどの通気性のある下着ということでは、日本ならではの「生地」や服のデザイン、製法を生み出すことが考えられるでしょう。政府は、温暖化で熱帯化する各国に、誇りを持って輸出出来る品になる、国益になる、ということに気づかなければいけません。
例えば琵琶湖西岸の、滋賀県高島地区で生産されたクレープ生地は「高島ちぢみ」と 言われ200年の歴史があるようですから、その親方達に相談して現代のあらゆる最先端「凄ワザ」を組み込んで進化させてはどうか。例えば横糸だけに強く撚 りをかけるけれど、1行おきに逆向きの撚りにするとか、縦糸も10本ごとに撚りをかけるとか、繊維の太さのヴァリエーションなど実験を繰り返せば、「21世紀のちぢみ」が 作れると思います。和紙を織り込んだGパンというのがここ数年出て来て、私も1本持っています。Gパン(ジーンズ、デニムパンツ)というのはもともとアメ リカ西部開拓などで頑丈なテント生地に虫やヘビを遠ざける染料をしみ込ませ、ポケットにリベット打って強化するというところから生まれました。でも、その 後70年代フラワーチルドレンやロックによってファッションアイコンとなり、日本でも日常化しました。でもこの熱帯化する日本の日常生活では重労働に耐え うる厚みは必要ありません。そこで和紙を裂いて撚りをかけた繊維を混紡して薄めの生地で作れば吸水性、速乾性はよくなりますから、目のつけどころはいいと 思います。

 ちなみに私は美大生時代に、高知県、福岡県、埼玉県など手漉き和紙の村や公房を訪ねて歩き、自分で木の皮と木灰から大きな和紙を作って作品にしていました。
 あとは耐久性や伸縮性でしょう。では、和紙の繊維を作る時にレーヨンなどと組み合わせてはどうか。こういうことを一企業の開発に任せるのでなく、国が率 先して一流のアイディアマン、技術者、職人、実験環境の提供など補助して行くべきだ、というのが私の考えです。以前書いた津波に対する次世代型防潮堤の開 発も同じです。
 とにかく本当の「超吸水&超速乾+通気性ばつぐん」という生地を作り、さらに体の部位でメッシュを変えてカット&ソーすればよい。ステテコや上の下着だけでなく、パンツや寝間着、靴下も。
ところがある世代から上の人にとってステテコとU首、または前ボタンの肌着姿というのは複雑な心境になります。ある人たちにとっては懐かしいお父さんの 姿、ある人たちにとっては、これに腹巻きと帽子で「お呼びでない?…」の植木等だったり、ある人たちには恐い暴力団系の人だったり・・。これをいいイメー ジにする取り組みも必要でしょう。アイドルが普通に着用するとか。また、デザインを変えて、現代的にするといいと思います。現在の服飾は結局西欧伝統型だ と思います。背広やスラックスというのはヨーロッパのものだし、ジーンズ、Tシャツ、短パン、タンクトップはアメリカ、ポロシャツも馬に乗る球技の POLOで着用し、テニス大会でも使われ出したからイギリス。
いったん世界標準のようになると、「標準語」と同じように国際的な会議でも、オリンピックや世界大会の観客も、みなその格好をする。ただ、インドの人はよ く民族衣装でいることが多い。アフリカの国の人も時々見かける。それはことさら民族色をアピールしているのではなく、そのほうがコンフォータブルなので しょう。
 そこで、日本の紋付袴とは違う、現代の発想で新しいデザインの夏服を作ったらどうか。Tシャツッて閉じてるから体温を逃がしにくい。着るのもかぶってく ぐるのが大変。汗まみれになるとくっついて脱ぐのが大変。では前ボタンをつけたら?上だけつければポロシャツだが、あまり状況は変わらない。前すべてボタ ンにすると、つまり半袖シャツになるけれど、今度はすべてのボタンを留めたり外したりが大変。耐久性のある生地にしなければいけない。また、暑いからッて 半分もボタンを開ければ、ダラーっと開いてしまってだらしなく見えてしまう。すると、日本の「作務衣」(さむえ)系が有効なのでは?。
まあ、薄い柔道着とも言えるけれど、簡単に前を開いて体温を放出できるが、肌けすぎる。そこで品がいいようにひと工夫したデザインにする。
そして肩とか脇あたりに目立たないようにスリットを儲けると涼しい。これは逆に冬山用品で湿気を抜く機能の服を参考にするといいと思います。
また、袖もまくって半袖状態で止めたり、7分丈ほどに延ばすことも出来るようにするとか。そういう工夫をして格好よいものを、「超吸水&超速乾+通気性ばつぐん」の21世紀ちぢみで作って、よいネーミングで一般化したら、海外からも注目される。
 異常気象で暑さに悩まされている国で採用されて、いろんな国でスシと同様常識化すれば、これこそ「クールジャパン」じゃないか。
しかしそこには粗悪コピー品には出来ない、21世紀ちぢみの繊維技術や縫製の秘密がなくてはいけませんね。

 

 服だけではありまへんえ。猛暑日の昼に数回「打ち水」を すると効果があると思います。これを人力でやるか、水まき車が通るようにするか、道路脇等にスプリンクラー的な装置をしこんで自動にするか。コンクリート のビルの壁面もそうです。上からタラーッと水をつたわせれば、その建物自体もそうだし、周囲の気温も下がる。壁面に、ゆっくりと流れて行きやすような溝を もとからデザインしておくとか。建築家、設計士、流体力学の人たちにチームを組んでもらいましょう。
また、例えばグリーンカーテンの 推奨はここ数年広まっていて、自分もゴーヤでためしたことあります。でも育つ時間を逆算して用意したり、秋に撤去など、手間がかかる。特に大きな建物の壁 面等大変。そこでそういうグリーンカーテンを別の場所で作っておき、取り付けて、秋に撤去するという仕事を作れば良い。この就職難の世の中、人助けにも環 境にも良くて仕事になるアイディアいかが?NPOを作ってもいいですね。過疎化して農地が無駄になっている地域にはこのグリーンカーテンの育成地にさせて もらって、土地の使用料を払う。

  これからの世の中には、こういう「コーディネート」する発想が必要です。営利目的とかお役人ではない立場の「オルガナイザー」というポジションが必要なのだと思います。(私にはその才能があるので国が雇ってくれれば威力を発揮します。)
日本はそういう部分が遅れていると思います。クリーンエネルギーの浸透にも、著作権問題も、知的財産の問題も、東北復興の問題も、同様です。「カネになら ないから」「利益が出るまで時間がかかりそう」という打算的な企業と、「前例がないから」「言い出しっぺが責任とらなければいけなくなるから」「そんなこ としなくても給料もらえるから」と怠慢な公務員のどちらかしかいないのか!?という感じ。
 海外では有意義で必要な社会奉仕的な活動と商業を結びつける専門家を育成する学校があります。または、違う専門分野の人材をどう引き合わせて本当のコラボレーションにするか(軽薄な「コラボぉ〜」ではなく)、 広い分野の専門知識を概論だけつかんで関連性を見つけたり、大学でも科目にあるわけです。日本ではまさに空洞化しているところですね。日本人は古来より、 海外で発明されたものを加工したり、組み合わせたり変化を加えて作り変えることを得意としている民族です。利己的な考えをおさえ、猛暑対策に集中してブレ インストーミングしたり、ディティールに入っていったり、実験してみたり、工夫で解決策が見つかるはずです。
 たんに涼しい場所を作ってそこで過ごせるようにするのでもいい。多くの人は図書館や大きなショッピングモールに行くでしょうけれど、臨時の大きな日陰を 作って、板などを渡して気軽に座れるようにして、シートやござがあって、風が通るようにして打ち水する。運動会用テントでも、タープをつなげても良い。高 い木のまわりにタープを使ってもいいし、ワゴンかトラックにピラー(柱)を建ててタープをつないでもよい。
冷たい飲み物やかき氷を出す。地元の幼児連れのお母さん、お年寄り、夏の宿題したい学生、将棋や碁を打てるスペース、ちょっとした絵本のコーナー。そうい う日中ののんびりコーナーを毎日セットする。公民館の庭、小学校の校庭の隅、もとゲートボール場、使っていない農地、河川敷など歩きで来れるような場所 で。イベントを設定しないでゆるやかで気負わず、無料で、気軽にただごろごろ昼寝出来るぐらいの場所。特に避難生活の地域や、多摩地域等郊外の公園、過疎 化しつつある農村など、コミュニティが希薄になりつつある地域で、いろんな年齢の人が涼んでのんびり出来る場所。
 とにかくこれで冷房の利用率が下がるから電力も節約出来るし、室外機から排出される熱気が減るので外気温も下がる、人と会話してコミュニケーション力が育まれるし、地域のつながりも出て来る。
 用具は町役場や公民館にしまう。ラジオ体操と同じように、各地であたり前にする。役場の人材で「力不足」なら、アウトドアを得意とするNPOに協力して もらったり有償ボランティアを募ったり。(ただし交通安全協会は使わない。天下りで会費を不正利用しているから。)午前の設置と夕方の解体だけの安〜いバ イトを高校生等に募集したり、お金の代わりに図書券などで中学生にやってもらってもよい。社会性が育まれる。
 私自身は原発が停止中と言っても、前に使った分もあるので、自分を律する為に冷房を使わずがんばっています。行水したり、顔の前に扇風機置いたり、楽譜ノートもって川原で作曲したり。
もしみんなが好き放題に使ったら、「今年の夏の電力量はこんなにかかった、それを火力発電中心でやってるから、高くしなけりゃいけない」と値上げして来た り、「だから原発で安くする必要がある」と電事連や政府が難くせつけて来るかもしれないからです。いつまでたっても自由化しないし。

 良心的なNPOがもっと活動出来るように整備されればいいのだけれど、あの岩手県山田町の「大雪カバ・・りばぁねっと」のように復興予算を5億以上も使 い込むような醜悪な例があると、一般の人は敬遠してしまう。あのような鬼畜がいるとNPOというものが信頼を失ってしまう。あれは山田町がよく調べもせず 異常者の詐欺にあったということで本来のNPOではありません。役人も企業も手のとどかないところもNPOならとりくめる、というむしろ「たのみの綱」で あるべきなのです。

 とにかくこのままじゃ気温40度は行くし、気象庁の計測は芝生のあるところの百葉箱の中の温度計だったりするので、実際はすでに43度とか行っているで しょう。甲子園球場の応援席なんか47度くらいじゃないかな?毎年この状態が来るのだから、熱中症の死者・患者を減らすには、政府が真剣に取り組まなけれ ばいけない。
例えば、海外からの旅行客も、日本には行きたいけれど夏は蒸し暑いから嫌、と減って来れば国益を損なう。こういうことに気づかないとね・・。

 解決の「」を見つけましょう、おーきぃー、Do Key、長くなりましたので今回はこの辺で。
 皆の衆、ヒグラシが鳴きやむ前に浴びるべし。

ヒグラシジャーナルの方も読んでくださいね。)

        

           2015年8月8日 記

★始まった。虫の世界が。
                                  2015年7月10日  
さまざまな鳴き声、羽音。
少し前まで、特に夜は注意深く聴かなければ生き物の音がしなかった。
いや、もちろん人間が気にとめないというだけで、実は活動している。それが土の中だったり、木の上だったり、枝の中だったりで、目立たないのです。あるいは繭の中だったり、まだ卵の中の場合もある。(これは人間の聴覚の及ばないところですけど。)
 それが夜の間、チーチー・・とかヒャァ〜〜とか持続音がしはじめた。おそらくもうしばらくすると、ちちちちちとか、グィーッチョ!グィーッチョ!とか、 私の好きなぴぴぴぴぴ・・も増えて来るはず。よく「秋の虫」というけれども、実は彼らは初夏からかなりの種類が鳴いているのです。
 私はよく深夜にトレーニングで走るので、静けさの中、季節によって音の種類が移り変わって行くのに敏感なのです。でも、昆虫採集趣味ではないので、積極的につかまえたりはしません。あくまで音楽家なので、耳を傾け、さまざまな音を味わうのです。
また、潔癖性な人や女性など「虫が嫌いッ」という人もいるでしょう。でもバッタやコオロギ、キリギリスは特に人を刺したり、病気を媒介したり害をなすもの ではありまへん。もともと彼らのいるところに、人間がやってきたのです。私の天敵の「か」や死滅すべき「ブユ」最悪の「あぶ」に比べれば100倍も千倍 も、情緒深い風物詩として楽しませてくれます。もちろん、人間のために鳴いているのではありまへん。メスにアピールしたり、縄張りを主張したり、警戒して 威嚇したりしているので、彼らなりの必死の活動だったりします。
それを人間が「いい音だなぁ・・・」などと聴くのは不思議なことですね。
 そしていよいよヒグラシが鳴き出したよ。夕方に、家の裏山でソロで数回鳴きました。
物悲しい響きです。
 夕方は単独で鳴くことが多いですが、早朝は「全員合唱」をします。「ヒグラシジャーナル」のコーナー等で再三お知らせしていますが、それはそれは非常に 神秘的で荘厳な響きなのです。一般の人は「朝も鳴くの?」程度ですが何十年も録音して比較して来た私にとって、この宇宙でも特別な音です。それをなんとか CDでみなさんに聴いて頂こうと、真っ暗な山の中に入って行って、「か」に刺されたりくもの巣だらけになったりして録音してきたのです。今年はまだ朝の合 唱は弱々しく、繊細な状態です。
 この数日いったん気温が下がって雨続き。洗濯物も乾きにくくて困っていたのが、突然猛暑日の連続。
セミは地中で4回脱皮します。ですから食事である木の根の養分の具合等で4年か5年か変わってきます。よく7年というのは古い研究者の間違いが流布されてしまったものです。
 いったん地上に出ると天敵がいっぱい。はやく枝や葉っぱまで登って行って最後の脱皮をしなければいけません。皆さんご存知の背中が割れてのけぞるように 脱皮するやつですが、この途中で雨が降ると羽が広がって乾く段階を失敗して死んでしまいます。やっと地上に出て来てクライマックスに近いところで命を断た れてしまうのです。ですから、雨が降らないだろうな、晴れてるだろうな・・と幼虫達は地上近くまでトンネルを掘り上げて様子をうかがっているのです。もし 判断を間違えれば一生の不覚、と慎重に聞き耳たてているのですね。
 だから近年のように梅雨が明けたのかどうか分からない、気温が上がったような、寒戻りしたような、突如豪雨に見舞われたり、台風が来るようなこないよう な、というのでは彼らも困ってしまう。それで思い切って地上に出た派と、いやまだだと地中で待っている派で足並みが揃わないため、まだ早朝の全員合唱はパ ワーにかけるというわけなのです。

 「虫の世界」が始まると「鳥の世界」も活発になります。餌が増えたということなのか、鳥もにぎやかになる。うちのまわりは木がいっぱいなので、さまざま な鳥の鳴き声が聞こえて来る。トイレで用を足している時も窓から、枝の上できょろきょろしている鳥が間近に見えます。でも冬の間はほとんど鳴き声もせず姿 を消している。春になると現れ始め、夏には歌いまくる。彼らは冬の間どこに行っているのだろう?
虫なら繭とか地中とかわかるし、ヘビやクマは冬眠している。でも鳥はいったいどこにいたの?まだまだ自然界のこと、知りたいな。

さて、スポーツ界も宴たけなわ、人間達も会場でおおいに「さえずり」ます。
サッカーなでしこお疲れ様でした。
意外な幕切れでしたが。多くの人がワールドカップブラジル大会でドイツに大敗したブラジルチームを思い起こしたと思います。ブラジル大会の試合はすべて録画してあるので、あの歴史的な試合と比較しています。次回詳しく書きます。
それでもワールドカップで準優勝とはすごいことです。前回は優勝、ロンドン五輪で準優勝。男子と比較してしまう。

 そしてウィンブルドンもついに決勝が終わりました。
こちらには本当の鳥がコートに舞い込んで、観客の注目を浴びました(笑)
私の想像通り、そして期待通りジョコビッチ対フェデラーになりましたが、壮絶なる戦い。おそらくテニス史上最も高度な試合になったのではないでしょうか。 サーヴでは200Km/h超え、ラブゲームの取り合いに、サーヴ・アンド・ボレー、両者ネットぎわでのボレーの打ち合い、ロビングの打ち合い、スライスに ドロップ、片手バックハンド、スライディング、ラインに数ミリ乗るだけのコースへ強打、リターンエース・・おそらく考えうるほとんどの技術が見れるのでは ないでしょうか?人間という生き物がこのような「動作」を何時間も続けられるという奇跡。
しかも雨による中断のとき、コートをシートでカバーする素早い技術も見れました。(笑)そのときボールボーイがすっころんでボールをばらまいてしまうのも(まあ、可哀いそう)。
 また次回詳しく書きます。
それでは、皆の衆、暑さ対策も決勝にむけしっかり準備しましょう。
近いうちI'll Be Back. ダン・ダン・ダダダン!

 

    

       2015年7月10日 記

 

-----------------------------


前回の内容です↓


★春が暮れて行く・・。写真です。

                                  2015年5月31

前回、梅は咲いた〜ぞ、桜はま〜だかいな・・。と書いていましたが、満開になってきれいな写真をたくさんとれました。「ネイヴァーネイチャーエヴァー」のコーナーに公開してますので、ご覧ください。

 それにしても寒い冬からやっと春だ、と思ったら現在、もう「夏」か?っていうぐらい暑いですね。日本の季節の中で、私にとって春と秋は1、2を争うぐらい好きのですが、私の天敵「か」がいないだけ春の勝ちなのです。それなのに貴重な春の期間を縮めてもう夏なのか?

 お天道様は中間でとめるブレーキが壊れてしまったみたい。

でも昔 は「太陽の申し子」ぐらいに夏が好きでした・・。たぶん何か抑圧を感じてたんですね。常に美術に音楽に武道に、と切磋琢磨していて時間が足りないのに、 「果たさなければならない興味の無いこと」がさらに圧迫して来る日常、それが夏休み等で減るからね。着るものも楽でいいし、海にも行ける、旅もする。美術 大学時代はこども達を集めて自然の中で工作したりの合宿もあり、近辺で畑仕事に植林、など新しい体験や知識を獲得出来た。かつては「日差しよ、来い!日光 よ俺を焼き尽くしてみろ」ぐらいで、曇りの日なんか太陽に「だらしねえな」と思うぐらいだったのに。

 今は特に音楽の掘り下げが新しい次元に入っているので、暑さにかまってらんないよ、っていう感じ。汗が出るし、集中しにくい、「か」が出て来る。私にとってめんどくさい季節になってしまいました。

 新しい次元というのは何回か書いている、木管楽器とチェロを主体にした室内楽編成でジャズと西洋音楽(近代クラシック、バロック、ボサノヴァ、映画音楽等)を融合した音楽を生み出すこと。もちろん今までの私のギター主体の音楽もこの傾向でしたが、より専門的なうらづけを固め、高次元、精密でアコースティックなアンサンブルを作ることなのです。

 その ために日夜ピアノの練習、複合和音ハーモニーの研究、クラシック専門番組をMacに録音して編集とファイリング、読譜訓練、専門教則本での勉強等・・。ほ とんど睡眠無しで取り組んでるのに追いつかない。その合間に体力が落ちないようランニング、ジグザグ走り、ネイマール走り(笑)、筋トレ、コアトレーニン グアイソレーション、シャドウボクシング等を行います。(以前は近くの川で上流に向かって泳ぐ、高い岩から飛び込む、MTBで林道登りなどもやってましたが・・)そして東北の被災者を応援するため、不便な生活をします。(なんで?って思うでしょうけれど、大変さを分かち合う為です。詳しくは別の機会に)

 そん な感じで、人生の中で最も音楽の研究にエネルギーを注いでいて、発見のある毎日なのです。若い頃から独学で研究して、和音のつながりはこうなっているなと か、演奏の現場やセッション、多重録音で、これをこう組み合わせればいいんだなとか確かめて、あの音はこれを使っていたんだ、とかこういう場合はこういう 手法がよい、など発見し蓄積してきましたが、それ以上に発見の連続です。まだまだ掘り下げるべきことが多いので海外の専門書等、加速情報を取り入れて、実 技も向上させてるところです。

 バッハの曲ひとつとってもその旋律には単に和声や対位法の様式だけでなく、数学や宗教、時代背景が絡んでいるのです。それが古典派〜ロマン派に入り、工業の発展とともに楽器も進化し、巨大な交響楽が生まれ(ベートーベンからマーラー他)、神話的なオペラの展開(ワーグナー)、一方で独奏ピアノを徹底的に掘り下げたり(ショパン)、神秘的な精神性との結びつきまで高めようとしたり(スクリャービン)、世間に注目されないながら歌曲に豊かな可能性をもたらしたり(シューベルト)、理不尽な革命やナチスからの迫害から逃れて亡命して活動したり(ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、バルトーク等)、新たな和声や音階の可能性(ドビュッシー)、その他知れば知るほど、それぞれに学びたい事柄が出て来てしまう。

 やっ かいなのは交響曲や協奏曲等は1曲で1時間とかあるし、オペラなんかだと2時間とかざらで、通しで聴いて研究するにはあまりに時間がかかる。有名曲が第2 幕の中盤で登場して、「これだったんだ〜」という具合です。その結果、劇のどういう時代設定のどんな物語のこういう場面でこの人物が歌っていた、という曲 の意味、作曲家の意図が分かってきます。また、それをコンサート用に編曲しなおしたり組曲にしたりすることがよくあります。でもさすがに全曲この調子で掘 り下げるほど余裕はありません。 

 ま た、さらにやっかいなのは指揮者があまりに音量差をつけてしまうため、小さいところは「ハ?聞こえないんすけど・・」と音量を上げると突然超大音量でド ガ〜!!と来る。驚かせたいの?心臓マヒで殺したいの?スピーカー壊したいの?って頭に来る。だから録音したあとに波形ソフトででかいところは小さく、聞 こえにくいところはノーマライズして、和音や旋律に専念出来るよう作りなおすんです。とても聴きやすく、研究に向いている。

でもスピーカーが中低音で共振しないよう、旋律の部分部分でバランスとって音量曲線を書いて調整する(いわゆる手コンプ)し、読み込んだり書き出したり、「フライング拍手」の削除等にMacの処理時間がかかる。高性能のMacがもう一台あればいいのだけれど・・。こうして資料作りもしているわけで、3万曲ぐらいになってきました。

 それらをもとに西洋音楽の発展と各手法を勉強した上で、自分なりの感性やアイディアを加えて、新鮮さとホスピタリズムと革新性を兼ね備えたものにするのです。

ンなこと日夜やっているので、むしろ「私の人生では今が夏!」

 ところが、このリアル気候の暑さは何だ。初夏を通り越して、8月前半ぐらいの気温じゃないか。桜の満開の時に急に寒戻りしたり、やっと暖かくなったと思ったらこの暑さ。

 本番の夏と唯一違うのは、まだ夜〜朝は涼しいということ。ほんものの夏だと熱帯夜で気温も湿度も下がら無いので、体温も下がらず、体力を奪われる。(原発反対なので冷房を使わないので)

 ただ、私のまわりは自然がいっぱいで、東京なのにアスファルトとコンクリの率が低い。だから昼から夕方まで我慢すれば、まだ過ごせる。夜なんか寒いぐらい。

本当の 真夏では、気温の下がった深夜にトレーニングにでかけることもありますが、アスファルトの上で走ると暑い。地表を手で触ってみると熱い。日中受けた熱が蓄 熱し、わずかずつ放熱しているのだ。充電式自動ストーヴ。これでは熱帯夜になるのは当たり前。そしてまだ冷めきる前に朝日が昇って来て、の繰り返しにな る。ビルのコンクリートの壁も同じ。それで人間達は大量に電気を使い、エアコンで自分のいる場所を涼しくする。ところがその分、外に熱を発しているのだ。 気温はなおさら上昇する。そしてその為に使った電気で毎日汚染物質がうみだされる。また、事故の起きていない原発でも、蒸気を起こす為に原子炉の水の中に パイプを通し水を循環させますが、さらに冷まさなければいけないので海水のタンクの中も通します。で、海水も暖まってしまうので循環させます。この熱が海 に移動するわけです。専門家の計算では原子炉の核分裂で発生した熱の2/3は海に捨てられているという計算もあるそうです。海を暖めている。ということ は、上空の気温も上げている。
ガスや石油等の火力発電は温暖化を加速するから原子力の方が良い、というのはウソなのです。しかも原子力は必要な分を使う、今多すぎるから止める、少しだ けの反応にする、といった調節は出来ません。そのためにまったく温暖化もCo2も排出しない水力発電をわざわざ止めて優先しているのです。おかしいで しょ?みなさんだまされてるんですね。

 とにかく地球上では電気もクーラーも無い時代の方が長かったし、それで生きて来れたんだ。問題は冷房前提で家やビルや街が造られているから、我慢しにくい。(まるでカーナビを売るために道路標示をわざと分かりにくくしているのと同じ)

だから 科学者と建築家ががっぷり組んで夏涼しく冬暖かい建物の様式を考えればいい。都市計画も、道路計画も連繋して、日本ならではの知恵を活かし、省エネルギー でフォースと、もとい自然とともに安全な生活を作りましょう。オリンピックより優先してほしいものです。法改正より真剣に取り組んでほしいものです。

 

さて、ま〜んで暑いわいね、とにかく、健康をちゃ保って、晩春のような初夏のような真夏のような今日このごろを乗り切りま。(あってる?)

次回は5月連休に撮った写真も載せようかな。

 

 

          2015年5月31日記

 

-----------------------------

 

 

★春ですね。番組がいろいろ変わる!

                                  2015年3月27日記

梅は咲いた〜ぞ、桜はま〜だかいな・・。
家のまわりにある梅の木は満開です。今年の梅の花は生命力があって、寒かった冬の終わりを祝っているようです。
まだ桜のほうはつぼみがちらほらです。都心では咲き始めたようですが、私の住むのは西多摩地区ですので。
でも満開になると、よくトレーニングに行く自然公園の尾根道は左右に咲き誇ってきれいです。もう1週間ほどかな、と思います。

みなの衆、いよいよ土屋太鳳(たお)さんのドラマ「まれ」が始まります!Whooo〜ッ。

現在私が注目している若手女優さんは3名いるのですが、その中の筆頭なのです。
一般の人にはあまり知名度が無いかと思いますが、4年ほど注 目して来た人です。問題作ドラマ「鈴木先生」でのクラスのマドンナ小川さん役が一番印象深いと思いますが、他にも「真夜中のパン屋さん」も大事な役で良 かったし、「黒の女教師」などの学園ドラマで問題を抱える生徒の役をやらせると抜群でした。長い黒髪で純日本系の美人だけれど、どこかエキゾチックな雰囲 気もあって、意外と小柄で、これだけフォトジェニックなのにグラビアや表紙にはほとんど登場せず、勉学に励みながら大学に進学して日本舞踊も学んでいる。 とってもまじめで、本人のブログでも、「役」に対して自分がどう取り組んで何を悩んだか等、私のコメント欄に通じるかのような「長文」でつづって、誠実な 人柄が現れていました。
 これは本格派だ、と思っていました。どこか影のある面持ち、小柄であまり長くない足(私、短足なので)にもとても親近感が感じられて、なぜこういう人が世間にもっと評価されないんだろう、って思っていたら、朝ドラ主人公に抜擢されました。やった!ついに主人公。噂だけは聞いていましたが、紹介番組が放送され、いよいよ3月30日(月)からスタートします。
なんか、こつこつ努力して積み重ねて来て、ついにここまできた・・。と感慨深いです。(親でもないのにね)
 今回トレードマークの長い髪を切ってがらっと印象を変えて取り組みます。きっとそろそろイメージチェンジをしてもいいと思ったんじゃないかな、もちろん 「まれ」の役では長い髪ではない方がいいのもあるでしょう。元気なほっぺ満開で笑顔も多く、いつもと違う太鳳さんが見られそう。でもきっとそのあいまあい まに悩んだり怒るシーンがあって、迫力があると想像してます。
 ご本人はインタビューで髪を切ったらまれちゃんに会えたと言っています。明るくヒマワリのような輝く存在で撮影現場も華やいでいるようですね。新しい環境に反応して成長して行っているのでしょう。
まわりの配役にはちょっと疑問があるけれど、これで国民的な知名度になるでしょうから、今後の出演作品もぜひ芸術クオリティーの高いドラマや映画に限定して欲しいです。

 でも・・実はちょっと寂しい気もします・・。なぜかというと、「知る人ぞ知る、実力派女優」みたいな感じで、この人を知っているのは「通」という誇りも あったのに、一般人、ミーハーにも広まる、惰性で見る人、雑誌の露出も増えるでしょうから便乗でファンになる人。 おまいら価値分かってんの?みたいな ファン心理を持ってしまいます。おとなげないな。
 ギターで言えば孤高のギタリスト、アラン・ホールズワースがメジャーになっていくとちょっと違うな、というような?。パット・メセニーが「ブライト・サ イズ・ライフ」でジャコパス擁するシンプルなトリオで画期的で神秘的でもある表現をしていたのが、編成が増えて、ラジオのおしゃれ番組でも流れて、グラ ミーも取って、デパートのBGMで流れたりすると・・違うんだよな・・みたいな。(まあ、「ジョジョ」のエンディングで使われる分には良いのですが。「正しいから」)
 いやいや、太鳳さんがこれからより広い世界、高い表現の世界へと羽ばたくためにはそんなりょうけんの狭いこと言っていてはいけませんよね。俺の方が前から知ってたんだゼェ〜、みたいなのはいけまへん。
だって実際の生活の周りの人や撮影スタッフのほうが初期から知っているわけで勝てるわけないんだもの。
 そして自分がお金持ちで有名プロデューサー、監督で責任持てるってわけじゃないんだから。独占できるわけではありまへん。だから「通」だけの世界に閉じ こめずに、一流になってもらう為にどんどん宣伝して世間一般に知って頂くことがファンの役目なんでしょう。それが応援というものです(涙)。

 この「まれ」が受け入れられて視聴率が高くなることを祈りましょう。土屋太鳳さんの魅力、演技には絶対の信頼をおいていますが、本来、実直で地味な作品 のほうがフィットすると思いますので、前に流行った「じぇじぇじぇ」みたいなギミックセリフはいらない。往年のアイドルと新人アイドル、怪優を取り揃えて 各年齢層に媚を売ったどたばた軽薄コメディー、みたいにはしてほしくない。作品離れたらちっとも実力が無かったみたいなのとは違うから。それはJポッフと 同じでよくあるJドラみたいになっちゃうから。太鳳さんである必要がなくなるから。太鳳さんの真価が誤解されてしまうから。
 でも全国放送だし、お年寄りにも分かりやすく、かつこどもたちにも受け入れられるということになると、それなりのバランス感覚やネタは必要になってくる のかもしれません。脚本と演出、他の役者次第ですね。このところ遠ざかっていた、現代が舞台の物語だからごまかしがききません。
 まわりの配役にはちょっと不安があるけれど、ん〜。きっと、撮影のいろんな局面でも常に吸収して、女優の資質を高めていくと思います。いろんな経験で成長して頂きたく思います。
 たとえ不評をかったとしても、私は信じているので、負けずにがんばってください。ああ、初回放送がうまくいきますように・・。
(嫁に出すお父さんかッ)
 というわけで、みなさんも見てくださいね。「まれ」です。再放送わくもあります。

 

 ★さて、3月の終わりといえば卒業や進学就職のシーズン。
別れもあれば旅立ち、出会いもあります。つらい受験シーズンが終わって望みの学校に進めた人もいれば、今一の結果で我慢発進の人もいるでしょう。学業置き去りで手探りで不安な就職活動を強いられた末にやっと就職先が決まって責任ある社会人の一人になる人、
就職先が見つからずバイト生活に突入する人、いろいろです。私も大学院を出て教員の試験を受け、島に赴任しました。詳しくはコラムのページで。

 

 

★ここ2年ほど毎日ラジオをMacで録音しまくって主にクラシック音楽を勉強しているのですが、この時期はラジオ番組も存続が決まったり打ち切りになったり、番組は続くがナビゲーターが変わったりと変化が大きいです。
 クラシックカフェで高山久美子さ んが7年間の役目を終了するのがショック。これは寂しい・・・。曲目や作曲者について短く解説する声は穏やかで知的で優しげで、なにか頼れる大人の女性と いう印象で、不要な個性は出さずプレーンなナレーションを維持しながら機械的にならず、ちょうど良い落ち着いたスピードで文節の切れ目も間を取りすぎるこ と無く、サ行のきつさも無く、波形で見てみるとマウスノイズも全く無く、一部の音だけ突出するということも無く、実はこれがプロのなせる技だと感心してし まうのです。昔の「軽音楽をあなたに」の水野美紀さんに匹敵する女神度だったんですけれどね〜。おつかれさまでした。
 いっぽう「ミュージックライン」のナビゲーターが変わるようなのでとてもうれしい!
 というのはその前の時間帯の本格クラシック番組が終わって、美しいライブ収録に感動して余韻に浸っているところに、ジングルも挨拶も番組名も何もなく、唐突に鼻声でしゃべりだすので、汚い冷水を浴びせられるようで腹が立ッてしょうがなかったのです。 高山久美子さんの正反対で知的背景も無く、内容に深みも無いナレーションに、やかましいJポッフ(大量生産歌謡曲)をかけるので、雑音甚だしい。 わたしは外出中には自動録音にしておいて、帰って来て聞きますが、クラシックのあとにテーマ曲がフェードアウトすると突然鼻声で話しだすのでもうMacBookが「けがれる〜(怒)」ぐらいのもんです。D川哲郎か泉P子クラスと同等の汚染。それが降板ということなのでよかった。

 ただ、もしプロデューサーというかディレクターが同じ人だと、また軽薄な人を選んで、イライラさせる内容になるんじゃないかという心配は残る。実は前の担当もこの手の残念な人だったので。)

 いっそのこと、この「ミュージックライン」やめにしてジャズ番組をやってほしい。もちろん土曜日に児山紀芳さんのすばらしい番組があるので、その再放送でもいいです。昨 年秋にinterFM小川隆夫さんのジャズ番組「ジャズ・カンバセーション」が終わってしまったのもショックでしたので、小川さんに同等の番組をやって頂 くとか。あと以前J-Waveでやっていた小曽根眞さんの「オズ・ミーツ・ジャズ」や「プレイヤーズ」なども継続してほしかった番組でした。こうしたジャズ・プレイヤー目線の番組が欲しい。

 貴重なライブ音源を聞かせてくれるJ- Waveの「ミッドナイト・トレイン」も素晴らしかった。本当に耳の肥えた音楽ファン向けの大人の番組。余計なおしゃべりは極力無く、CD購入が出来ない ライブ音源を放送してくれた、あの時Macで録音出来ていたらな〜。または尊敬する遠藤真理さん(Vc)の出ている「きらクラ!」の再放送をこの時間にす るのも良い案です。または三船優子さんがピアノ曲を解説しながら弾いてくれる番組があったら最高です。

 Jポッフ(笑)なんて他の局でも、AMでも、テレビでも毎日流れてるんだからもうたくさん。テレビCMもうるさいくらい。コンビニBGMで充分。ピシっ。

とにかくFMなんだから音楽内容もナレーションも質の高いものを目指して、日本国民の耳と知識を引き上げて頂きたいです。

 

Ooooki〜 Dooocki〜 今回はこの辺で。詳しくはコメントページにあとでアップします。
 さ〜
土屋 太鳳さんを毎日拝見出来るという喜びが近づいて来てます。私は、なるべく我慢してますが実は甘いものが好きなので、土屋 太鳳さんが作ったケーキを食べたいです。撮影用の失敗作でもいいので(笑)。

それでは、「まれ」を見るのにテレビの前にあつまれ〜。

                     2015年3月27日記


-----------------------------

 

★しばらく体調崩していたので更新があきましたが回復してきました。
東北の震災並びに原発事故からもう4年になります。
                                     2015年3月11日記

 

  亡くなった方々のご冥福を祈ります。また、ご自身が生き残って家族を失った方々の悲しみをお察しいたします。そして現地で今なお生活の再建に苦しんでいる方々、原発事故により、遠くで避難生活を強いられている方々、仮設住宅で 不便な生活をせざるを得ない方々、家族のご遺体がいまだ見つからず心の安定を得られない方々、その他さまざまな状況で苦しんでいる方達のご心労、いかばかりか。
まだまだ国を挙げて出来ることがあるはずなのに・・・。と思うのと同時に、自分の無力さを感じます。

犠牲者の総数は少なくとも2万1668人になるという未曾有の大災害でした。

 死者行方不明者は1万8475人で、東北3県では、宮城県が9539人、岩手県4673人、福島県1612人であわせて1万5891人にも上ります。(他の県でも被害者はいらっしゃいますが、東北地域でのデータで。)また避難生活など関連死で亡くなった方が3000人以上なので、あわせると少なくとも2万1668人にもなるのです。

仮設住宅や親族の家などで避難生活を余儀なくされているのは22万人以上にもなります。

 「関連死」とは昨年も書きましたが、原発事故などでやむなく別の土地に移って暮らさざるを得なくなったり、将来の見通しが着かない不安、故郷に帰れるか 分からない、地域の共同体がバラバラになって、知り合いがいなくなったり行事や神事の張り合いがなくなったこと、地域での自分の役割が無くなって生きる活力が無くなったこと、などで体調や精神状態が悪化して亡くなる方々です。悲しい。
 復興庁によると関連死は昨年9月末時点で、福島県の人が1793人、宮城県900人、岩手446人合計3194人にも登っています。
 このうち福島県は、なんと震災・津波等直接の被災で亡くなった犠牲者の人数を上回っていいます。つまり地震や津波からは助かったが、その後の生活で体調を悪くして亡くなった人の方が180人ほども多いということになります。これはもっとケアしなければいけません。
 なぜ福島県の人が多いのか、私はこれは原発事故で避難生活を余儀なくされた人の割合が多いからと思っています。慣なれない土地で暮らさざるを得なくなっ たこと、農業や漁業等積み重ねて来た技術がいかせない職業に就かざるを得なくなったこと、職業自体見つからないこと、仮設住宅の環境が悪くて心労が増えた こと、高齢者や持病のある人はもともと通っていた地元の病院のように行かず、遠かったり勝手が違うため、健康維持がうまくいかないというのが大きく響いているのではないかと思う。
もしかしたら当時放射線を浴びて具合が悪くなったことで発病した人もふくまれているのではないでしょうか。「ただちに」健康被害がないといわれていた「ただち」の 期間が終わって、影響が出て来たり抵抗力が落ちて感染症になったりした人もいるのかもしれない。もちろん電力会社も政府機関も調査しないし補償しないでしょうけれど。

 また、復興庁によると仮設住宅や親族の家などで避難生活を余儀なくされているのは22万9000人もいる。これはひどい。22万人越えですよ。
避難先は全国47都道府県に及んでいる。(関東甲信越地方に避難している人は3万5249人)
 内閣府によると今年1月時点で仮設住宅に入居中の人は3県あわせて8万2985人います。これは住むべき家が流されてしまって建てられない人が多いのだと思いますが、原発事故からの避難者も多いことでしょう。家は普通にあるのに、放射線が強くて戻れないという人たち。
 果たしてオリンピックをやれるような状態なのでしょうか。原発は「コントロール下」にあるのでしょうか。
1日350トンの汚染水が毎日出ます。大きなタンクが2、3日でいっぱいになる。
そのタンクを作り続けていますし、漏れても来ます。置き場所はいっぱいになるでしょう。そうした放射性廃棄物をどう処理するのかは「廃炉計画」には明記さ れていません。海にも流れ出ています。地下水が汚染されて海に流れて行くのを氷の壁で取り囲んで阻止する、という荒唐無稽な計画は「やはり」失敗しました。東電が発注して東芝が作った放射性物質の除去装置・ALPS(アルプス)も故障を繰り返し、結局まともに稼働していません。
この状態は後手後手に回って処理しきれていない状態、例えば雨漏りが20カ所あるのに受けるバケツが15個しか無くて水が垂れてくるのにあわせて急いで移 動して受けようとしているような感じです。足りない分、雨水にあわせてバケツを移動させなければいけません。もちろんタイミングが間に合わなくて床にこぼれま すし、バケツを探しに行ったり買いに行って増やしたくてもそこを離れられなくてできない。バケツを持つ人がもし5人しかいなければ?そしてバケツで受けてたまった水はどこか下水に流さなければいけないけれど、流しやトイレに持って行っている間、数はさらに減ることになります。雨がやむ気配はありません。だんだん床がびちょびちょに なってきました。滑って転んだりします。・・・そんな状態に似ています。そしてもしこの雨水が実際に放射能の汚染水だったら?

 また、太平洋戦争で東京大空襲から70年でもあります。空襲では軍事施設だけでなく民間の居住区も無差別に爆撃を受け、およそ10万人が亡くなっていま す。体験した人間にしか分からない戦争の恐ろしさ。そこから生き延びた人、再建した人々・・。はるか遠い昔、小説や写真、映画、アニメの中の話のようにな りがちですが、当時こどもで生き延びた人たちがまだご存命です。そしてそういう方々が、今まで語らなかったことを、伝えなければと、活動する方もいらっ しゃいます。

★こうした節目の時に、被災者ではない人たちも、もう一度当時それぞれのことを思い浮かべて、まだ出来ることについて考えるべきと思います。
テレビ等の特集も例年に比べ少なく、報道関係の意識が低くなっているように感じます。

 私は直接の被災者ではありませんが、あのときの恐怖感、焦燥感はまだ失われていません。放射能は大丈夫なのか?原爆の爆発のようなことにはならないだろうか?

 まず大きく思い出されるのは、テレビ各社のニュースがお粗末だったこと、原発事故の恐怖のふたつです。
 現場の映像がなかなか届かない等あったと思いますが、都心でビルの壁がはがれたり、千葉県の石油コンビナート火災等をえんえん映していました。もちろん 九段会館で天井の崩落も犠牲者が出て大変な事故なのですが、広範囲な津波被害の実像が伝わるのが、あまりにも遅かった。もしテレビ局に映像がリアルタイムで来なくても、言葉や文章では情報が入るから、それだけでも伝えて、今回は尋常ではない、ということを強調すべきだったのではないでしょうか。私自身はなかなか把握 出来なかったです。
 家の中にいた人、車で走っていた人、海抜の低い位置の建物等にいた人など、もっと早く、この「尋常ではない」津波がせまっていることを知ったら避難が間に合った人も多いと思います。
 マグニチュードも震度も津波の高さも、原発事故のレベルも実際より小さく伝えていました。
 また、港の映像が映っても、すぐ近くの道を走っている車や沖に出ようとしている船を映している。これじゃ逆に、なんだ大丈夫そう、と思わせてしまうじゃないか。
そして津波よりもなぜか山火事がなかなか消せないというところを何度も映したりしていた。
 これがほんとうに現代の報道の実力だとしたら、あまりにレベルが低いと思われます。政府なり電力会社なりが報道を規制して、「意外とたいしたことないんだな」という印象を植え付けようとしたのでしょうか?これらについての検証はあまり進んでいないように思います。
 確かに、現地では、今まで地震があって津波の注意報が出ても、実際はたいしたことなかった、というのが繰り返され、油断もあったでしょう。しかしあれだけ大きな揺れが長くあった時、これは特別な事態だ、というのをしっかり認識させることは国や自治体としておおきな役目と思います。
 私の住んでいるところでもしょっちゅう防災無線で火事の知らせが放送されます。深夜だろうが早朝だろうが、あちこちのスピーカーからおぼつかないアナウ ンスでどの住所で「車両火災」が起きたとか繰り返し放送される。車両火災ってそんなに頻繁におきるのかな、と疑問になるが、しばらくして愚鈍な声で「先ほ どの・・○○での・・車両火災は・・調査の結果・・間違いでした」と2回放送されたりする。これが繰り返されると、むしろ、どうせまた間違いだろう、とい う軽んじる習慣を植え付けられてしまう。
津波の注意報も似たようなことがあるのではないか。

 その後の「ビッグデータ」でいろいろなことが分かってきました。ビッグデータというのは主に商業マーケティングで使われることが多いですが、この広範囲の大災害を把握するのに、各地での被害状況を時間をかけて多面的に研究されたのも重要なデータです。
 テレビ局だけでなく民間のケータイ等で撮影された映像で同じ場所を撮ったもの、別の角度、違う時間に撮ったものはないか、生き延びた人の証言やインタビュー、地形データ、破壊されたり移動した建物、船舶、がれきの位置でどこまで海水が来たか、それは何時で第何波か、どういう地域が孤立したか、引き波の 被害は、どういう人は救助されたか、そういったことを地道に突き合わせていったものです。
 このデータ照合にたずさわった人たちのボランティア精神、集中力、苦しい映像を見つづけなければいけない心情、専門ちがいの連繋など、苦労を察します。
大学の研究者等、自主的に、自腹でやってくださっている人も多いので、国の対策機関がもっと積極的に動いて、エネルギーも資金も使い、早くやるべきと思い ます。きちんと報酬を保証すべきです。まだまだ収集したり、地図データと照合したり、時系列で比較したり、その後の水の引き具合、自衛隊や米軍の救助方 法、電気、医療品の不足具合、交通手段がどうやって回復して行ったか、原発事故との関係、水や食糧、暖房器具、トイレの補充は、医者や看護士の補充は、携帯等電話がつながったかどうか・・と、自然のパワーの解析自体はもちろん、生存者に必要だったものとの関係も含め、もっと人材を増やして円滑にデータをつきあわせて、分かってくるものが多いと思います。
 人類史上、今のような記録能力があってこの広範囲の大災害、というのははじめてのことなのだから、後世のためにもしっかり残すべきでしょう。
NHKだけでなく民放、地方局、個人の映像も収集して、どの避難所に何時に行った人たちは助かったとか、どういう位置の避難所は被害にあってしまったとか、記憶や爪痕が無くなってしまう前に調査すべきことが多いと思います。
一時期それをもとにした番組も時々放映されていましたが、だいぶ少なくなってしまいました。やはり、もしまた災害があった時に、どうすれば生き残れるか、その参考になることをもっと国民に知らせるべきと思います。

以前はみのもんたさんが「朝ズバ」などで現地の苦しみや、国の対応の問題点ををよく伝えていましたが、番組を離れなければいけなくなってしまったので・・残念。

 収集されたデータや聞き取りからわかったことで、地域の防災無線が放送されなかったところも多い。これは改善されなければいけない。
もちろん自分の命を犠牲にしてまでぎりぎりまで放送し続けてなくなった女性職員もいらっしゃいます。その伝える声から尋常ではないと思って避難して助かった人たちも多いようです。
 ですが、海に近い広範囲の地域で、どの町ではどの時点でどういう放送をして、実際に避難した人はどう聞こえたのか、あまりあきらかになっていないように思います。明らかにならなければ改善も出来ない。また、普段の防災放送との違いも関係して来るでしょう。
 私がよく考えるに、津波が今どこに来ているのか、それを放送してもらえるかどうかが大きいように思います。というのはお年寄りや体が不自由な人もいるの で、すぐそこまで来ていたら、外に出たらむしろ危険かもしれない、2階や屋根に上がるほうがいいかもしれない、とか、まだ30分あるなら、もっと高台に移 れるかもしれない、など、判断に必要だからです。
 特に老人ホームや保育園、学校等、病院など団体で移動するには時間がかかる。それを率いる人にとって、そこにとどまったほうがいいのか、もっと海抜の高い位置、もしくはもっとがんじょうなコンクリートの建物、または階数の多い建物に移動すべきか?
もしみんなで移動中に波にさらわれたら?不安と焦燥感でいっぱいになるでしょう。
放送や連絡が無いのは、大きい津波がこないからなのか、分からないからなのか、地震で伝達機能が壊れてしまったからなのか、もわからないのが不安と思います。
 また、自動車を運転中だったり、またはバンやマイクロバスなどで移動しようとした場合、移動スピード自体は速いが、道が混んでしまうのでは?水で運転不能になるかも?
などがよぎるでしょう。
あるいは今職場で自分は高台にいて安全だが、家にこどもかお年寄りがいる場合、助けに戻る時間があるか?
 というそれぞれのケースでの問題があるからです。残された時間はどのぐらいか?
仮に正確にどのぐらいの規模の津波が現在どこに迫って来ているか、というのを把握出来たならば、動かない方がいいか、歩きで裏山目指した方がいいか、考えることが出来る。
もちろん考えた上で判断を間違えることもあるとは思いますし、時間がないからってあきらめらるか、とか、もし伝えられた時間が間違っていた時に責任とれるかとか、あるとは思いますが。

 後に集まって来て放映された映像で田園地帯の平地を波がえんえん襲うのを空中から撮影したものがあって、皆さん目にしたことがあると思います。何台か車 が逃げているのですが、道は波に対して直角や平行の方向ではありません。それぞれ斜め方向の一本道で、交差点がある。運転している人の目線は空中と違って どのように波が迫って来ているか分からない。気づいてもこのまままっすぐ行ったら離れられるのか、逆方向なのか、わからない。車を捨てて近くの建物に上が らせてもらうべきか、でも木造だったら耐えられないか、電柱のような柱によじ上ってぎりぎり助かった人もいます。歩道橋で助かったけれど寒い夜中過ごさな ければいけなかったという人たちもいました。
 しかし、どのぐらいの規模の津波が現在どこに迫って来ているかは4年前の技術では自治体は知ることができなかったでしょうから、知らせることも出来ませ ん。知らせることが出来ないということも知られていなかったと思います。自治体はただ気象庁等からの指示を放送するだけで、独自に調査装置を設置しておいて常時把握出来るようにしていたところは少ないでしょう。もし気象庁等から連絡が入らなかったら?気象庁等の情報が間違っていたら?停電で放送機器が使えなかったら?
 町中に水が入って来たり、川を「遡上」(そじょう)して目視できてから、あわてて伝えることは出来たかも知れませんが、それでは遅い。沖の何kmに時速○○kmでせまってきています、ということを伝えられるシステムが欲しいところですが、無かったと思う。現在でもどうか・・。
 当時の映像で唯一、自衛隊のヘリが海岸線から500mぐらい?に迫る津波を空中からとらえたものがあったと思いますが、本部に伝え→自治体→放送したとしても避難には間に合わなかったことでしょう。調べたらこちらに映像がありました(後半)が・・。
宮城県仙台市若林区付近と思いますが時刻表時を見ると16時12分で、実はその前の映像があり、既に沿岸部は水没し、近くの名取川も遡上して大きな被害が出た 後でした。だからこのヘリがとらえたのは第2波と続く第3波なので、地震後すぐ津波調査→警報を目的で飛び立った映像ではないようです。残念です。
地震が14時46分なので1時間強でこの状態になってしまっています。恐ろしい。
第1波の到達時間がよくわかりませんが、この地区での避難の猶予は地震がおさまってから30分ぐらいだったのではないでしょうか。その間にできるだけ海から遠くに行くか、高い場所を目指すか、コンクリの頑丈な建物で上に行くか、判断が分かれるところです。小学校等の屋上に避難している人たちが映っていて、 まわりは水没していますがおそらく助かったと思います。ただ地域や地形によっては屋上まで水浸しになってしまったところがあるので、判断が難しいです。こ のような河口付近で平地が続いてしまう場合はコンクリの頑丈な高い建物が欲しいです。
 少なくとも沖5kmでは住民全体が知っていなければ避難方法の判断は難しいと思います。あと何分で到達します。というのでも知りたいことと思います。
おそらく現在でも、海岸線全地域でこれを即座に把握して、住民に伝えるシステムは確立されていないのでは無いでしょうか?
沖の様々な地点にGPSのブイを設置して衛星から把握しておくとか、ブイの上下動を何らかの方法で把握出来るか・・こういうことにお金と人材をかけるべきなのではないでしょうか。これが確立出来ないと住宅を建てて住むとか職場を再建するとか安心して進められない。
また、防波堤、防潮堤の形状や設置法をもっと研究して、もし完全に食い止められなくても津波を軽減したり到達時間を遅らせたり、速度を落としたりするよう にしなければ再建が進みません。それは以前、図やアニメーションにしましたので、お時間ありましたらご覧ください。

(サッカー記事もカップリングですが)。→こちら

 下にフラッシュアニメだけ表示しておきます↓。

私の考える防潮堤の断面図

(Flashプラグインがない人は見られないと思います。)

工事費用も捻出しなければいけません。 対テロで外国におよそ2400億円寄付できるほどまだ復興出来ていないんと思うのですが・・。


 また、第2波、第3波のほうが被害が大きいことがあるようです。いったん遡上した海水が沖に戻るけれど、大きな「波長」でまた戻って来る。ブランコのように。あるいははじめの海底の断層のずれ具合で持ち上がった水量の上下動で生まれた波に時間差があったのか。まだあまり研究が進んでいないように思いま す。第2波は実際に第1波より遡上高が高くなるのか、それとも、第1波が引いた後、安心して低い地域等に出て来てしまって被害が拡大するのか・・。そう いった調査が必要と思います。
また、「引き波」被害も想像より大きいようですが、それは沖に戻る波の早さやパワーが押し寄せる時より実際に大きいものか、いったん破壊された建物や瓦礫が浮かんで海に移動するため、巻き込まれてしまうからなのか。

 また、人間は恐怖から心を防御する心理作用があるため、大きな地震がいったんおさまると安心してしまい、助かったんだ、と一段落したり、片付けものをはじめてしまったりする。心の崩壊を避けるため、実際の悲惨さより軽く考えようとする作用でしょう。
ところが実際にはあとから大規模な火災が始まることも多いし、余震が来て、耐えきれずに倒壊する建物が危険だし、そして津波が来る。大災害はこれから始ま るんだ、と動き出さなければいけない、けれど、何か、これ以上大変なことはないと心に言い聞かせてしまったり、別の場所にいる家族の安否確認を始めたりす る。本当はいちはやく最低限の通帳か必要な薬かだけ持って高台の避難場所に行ってサバイバルしなければいけないのだが。
 テレビの番組でも意外とここが軽んじられているように思うのです。津波被害の前にまず「巨大地震があった」。その直撃で亡くなった人たちも多いのです。そのあとでの心の作用ということも、あらためて考えるべきではないでしょうか。

 もっとデータを照合し、時系列で上空から簡易アニメ化して水の流れを整理出来れば一般の人にも分かりやすく、第2波までは何分あったとか、第1波より高 いところまで来るのかはっきりしてくれば、次の被害の時の「逃げ方」に参考になると思う。もし第1波が引いた後、安心して出しまって被害にあったケースが 多いなら、もっと啓蒙すべきだし、遡上高が上がるのであれば、第1波が引いた後、急いで移れる高い避難所があるなら移れるか判断材料になると思います。
 何より自分のいる場所が「海抜何m」なのか分かるようにすべきだし、避難している場所ごとに「海抜何m」なのかを表示すべきでしょう。例えば第1波のあ と、第2波が来る前にもう少し海から離れた別の避難所に移動しようと判断しても、そこの海抜がたいして変わらないのであれば、出ない方がいいかもしれな い。
 そういう意味でも前に書いた「遡上高」という観念を報道がもっと使って一般化すべきでしょう。海からの距離という感覚だけでは、坂道が多くてすぐ高台に なる地域と、平地がずっと広がる場所では海からの距離に何倍も差が出る。問題は、この地域では「海抜何m」まで遡上した、どこどこ避難所は海抜何m、あな たの家は海抜何m、この病院は海抜何mというのがいつも意識出来るようにすること。
 分からない時にも、はやりの「スマホ」や発売の始まった時計型端末でそういうことがとっさに分かるようにすることが大切。自分の位置の東西南北と海抜が 随時分かるようにしたり、最寄りの避難場所までの距離と海抜が自動的に表示されるぐらいでないと、調べているうちに海水が迫って来てしまう。
 今までの経験で、こういう端末を持っている知人に、終電や豪雨の情報など調べてもらってさくっと分かった人は、残念ながらいない。結構時間がかかるか、 分からずに終わる。いつもその作業をしている人なら出来るでしょうが、まだまだソフトや機器のユーザビリティーは低い。もしノート型Macかタブレットが あってネットにつながっていれば自分で調べられるが、ケータイのような小型端末では表示形式や速度が違う。だから「情報時代」とはいうけれど、ゲームやラ インのおしゃべりではなく、本当に素早く必要な重要な情報がすぐさま入手できるかどうかを通信会社も国も取り組むべきだと思う。

 そして助かった人の映像で、舗装された町中で徐々に足ものとの海水が増えて来るのに危機感を覚えて近くのマンションやコンクリートの大型店の階段に登り、窮地を脱した人のものがありました。その人が撮り続けた変化だと、足下の水はあっという間に水面が上がって行き、道路を走っている車が走行不能になっ て行くのがとらえられていた。結局「勘」が大事なんですね。その場所が海から離れていても大地震の後で水が増えて来るようなら、異常だと気づき、コンクリートの高い建物に登る。上からは見やすいので、逃げかねている人がいるような声をかけて、招き入れる。
 もし近くに頑丈で高い建物が無い時は、どうするか。それは問題です。
そこで私のアイディアでは、自動的に開く大きなエアーボートを各所に設置しておくべきと思います。これは海上で非常時に使われるもののように、自動で膨張 して浮かび、オレンジ色で見つけやすいもの。消火器や、救急用のAERなどと同じで公共のゴムボートです。普段は小さく収納されているが、衝撃や、ある部 分まで水につかると自動で気体が注入されるようにします。船や飛行機で非常事態に自動で膨張するライフジャケットの大きいものです。脱出用の滑り台も同じ ような仕組みで、圧縮された気体が注入されて膨らむのです。
 人がいてもいなくてもとにかく浮かんでオレンジ色で目立ち、乗ったり捕まったりして窮地を脱する。そして万一広がらなかったときの為に、分かりやすいレバーと表示が着いていてとっさに手動でも開けるようにする。
 これもいくつかの種類を用意するといいと思います、数人で乗れる大型のもの、浮き輪のようにとにかくつかまるのが目的のものなど。つかみやすい形状の短い棒やヒモがついているといいでしょう。とっさには滑ったりしますから。
電波でのビーコンが発信できれば、引き波で沖に行ってしまっても見つけて救助できます。予算がそこまで行かない場合は緊急用の笛を備えておくだけでも無い よりはよい。こういうものをあちこちに設置しておけば、少なくとも溺れたり、引き波で沖にさらわれても助かる率が上がると思うのです。

思い出されるのは、震災から数日が非常に寒く、現地では雨や雪が降る場所もあったということ。
津波の後すぐ日が暮れて、捜索もサバイバルも困難になりました。もし生き残っても寒さで命を失ってしまうのではないかと、焦燥感を持ちました。生き残った人たちにはこどもやお年寄りもいるだろうし、怪我をおっているかもしれない。津波で体が濡れた人もいるでしょうし、精神的なショックもある。急いで避難して防寒着が充実していない人もいるでしょう。それが暖房も電気も食べ物も無く、暗くなって雪が降って来たら、これは大変なことです。低体温症です。
 ニュース映像を見て、とにかく今夜出来る救助活動はすべてやらなければ、と焦燥感にかられるが自分にはどうすることもできない。
 屋根に乗ったり何かにつかまって溺れなかったけれど、沖に流された、という人も多かったと思います。ところがいっこうに海難救助の活動が報告されない。暗くなる前に船から助けてあげなければ、と思いましたが、映像でもニュースでも、船で海の捜索について上がってこない。結局初日は海上自衛隊、海上保安局、海難救助隊が船で助けているのは見ることが出来なかった。空中からの映像でも、瓦礫や水浸しで陸側からの救助が困難でも海側から船で近づいてボートを出せばできることは多かったと思うのだけれど。また津波が来るかもということで、行かなかったのかな?法律的な安全基準などがあるのかな?
一方アメリカ軍の大きな船はすぐ動いて、そこからヘリが飛び立って物資を届けたりしていた。地震から1時間ぐらいのニュース映像で次々にあらかじめ緊急事態用にパッキングされた救助用物資が輸送機等に積み込まれて行くのが映っていました。それは空中から投下しても大丈夫なようにいくつかの箱がビニールで梱包された1m四方ぐらいの立方体でした。食糧、救急キット、ハイテク防寒毛布などがセットになっているように報道していたと思います。まずそういうセットが作られているという事実。そしてすぐに輸送出来る位置に保管してある。隊員が躊躇せずばんばん積み込めるよう訓練されていること。すごいなと思いました。

 陸での救助活動は道路の陥没、崖崩れや、流れて来たガレキ等で通れないため足止め、そしてガソリン不足などで目的の場所にたどり着けない。
それならヘリや飛行機類しかないが、仙台空港が津波に襲われた。あの広い平らな滑走路を泥水がすごいスピードで覆い尽くして行き、車も飛行機もヘリも押し流されて行った映像を見て、あ、これは空輸も空撮も滞ってしまう、と衝撃を受けました。なんとかしてここを復活させなければ、自衛隊もアメリカ軍も救助やけが人の搬送、食糧物資の運搬ができない。道路も電車もダメなのだから。少なくともターミナルビルの屋上とか高い位置にヘリだけでも着陸できないものか、と思った。
 かなりあとのテレビ番組で、アメリカ空軍中隊が徹夜作業で水浸しのフロアを掃除したり、ガレキの除去、滑走路の復活を確保した様子が映った。体力、臨機応変な活動力等、すごいな、と思った。
以前、家の隣がガレキを取り除くのに2人ほどが手作業でやっていて半年もかかって騒音に悩まされ、体調を崩したのを思い出します。もし米軍が来たら1日で終わったろうなと思いました。
それにしてもあのひどい状態の空港をどういう方法で復活させたのか?
調べてみると、まず航空自衛隊松島基地にアメリカ空軍特殊作戦コマンド用輸送機が着陸。(たぶん全長30mとかあって、大勢の人を救出に乗せたり、車両もつめる大きな飛行機、福生基地で見たことがある。)人員と機材をおろし、次に軍用車両で仙台空港に行って、最低限の着陸スペースを作ったようです。
そこにアメリカ空軍特殊作戦コマンド用輸送機が、復旧用の機材や車両を輸送してきた。かなり危険な強行着陸だったようです。
この輸送機130系は一見プロペラ機のように見えますが、種類によっては短距離の滑走で離着陸できるように補助ジェットエンジンを装備しているものもあるようです。、その機種だったかどうかは分かりませんが。

 そして、運ばれた重機を使って折り重なった飛行機や自動車を次々にどかしていき、流されて来た生木、泥、倒壊した建物の部分などを取り除いて行った。もちろん屈強な隊員の手作業も。
これだからね→→写真リンク1  

写真リンク2   写真リンク3  写真リンク4  写真リンク5 写真リンク6

 

適した重機も使うが、肉体もはんぱじゃない。質量が違うんだよね。k-1選手並の隊員が集結して次々やったら早いわけだ。夜はターミナルビルに寝袋で寝泊まりして作業に専念。

 重機も戦争で建物のガレキを撤去して部隊が通れるようにするのに適していて、かつ飛行機で運べるものが開発されている感じ。それが災害用にも使えている。道路工事や解体作業用のものとは違うようだ。
ちなみにカナダ極北で氷点下30度になるような先住民の村をつなぐ氷の上の道「アイスロード」についての紀行番組をやっていたが、湖の上の氷から雪をどけて道を作る重機は特別仕様でした。重さを分散させるため、キャタピラが横にえらく幅広い。重さで氷が割れて湖に落ちたら大変だからだ。軍ではないけれど。

 とにかく作業に使う重機も種類を選ぶ。そうして滑走路が広く確保できたら、次に航空管制機能が失われていた仙台空港にバックパックラジオという持ち運び型の無線機で臨時の航空管制を確立して空港機能を復活させた。すごい。これがまた強力な無線なんでしょうね。
ここまでくればどんどん空輸が出来ます。
 以降、米軍はこの空港を使って200万トン以上の食料、水、毛布を被災地に輸送するなど、4月7日まで日米合同救援活動「トモダチ作戦」の拠点として使用されたという。やはりここの滑走路を確保できなければ救助活動、復旧活動は半分以下だったんじゃないかな。そうして日本の航空管制機能が復活し、通常運営に戻った日、米軍がいたとは誰も気づかないようにあとかたもなく去ったという。フロアに寝泊まりしていたとは気がつかないような、もとの建物に戻っていたというのです。む〜。絶対戦ったら勝てない国ですね。もちろん感謝。

 


-----------------------------
★ 次に巨大地震が来るのが、50年後か、明日か、300年後かは、わからない。そこが悩ましいところですが、何十年前、何百年前の前回よりはコンピューターや映像技術の発達で残せるようになった。
同じ地域ならば、避難のノウハウが活かせるはずです。
これが東海直下地震だったり、富士山の爆発、別の原発の爆発だったりするとまた対応法は違うでしょう。
でも、避難場所を知らせたり、救助の交通を確保、正確な報道、医療関係の補充方法、ライフラインの確保など、応用出来ることは多いと思います。こうした積み重ねから日本の多様な災害への判断力、対応法は発達して行くと思います。

-----------------------------

★そして、もうひとつ福島原発事故、爆発。隠そうとする報道。当時の感覚が風化しない為に、かいつまんで書いておきます。
政府や東電は、テレビでは質問に対し執拗に「メルトダウン」という言葉を否定していたが、結局3基ともメルトダウンしていました。たぶん海外メディア対策なのでしょう。チェルノブイリの事故と同等に思われてしまうと、狭い国土の日本は汚染されてしまったというイメージが着いて、生産物の輸出もダメージを受ける。海外に原発を売って儲けようとしているのに日本のものは欠陥、危険だから避けようと断られると「損」になるということで、わざと漢字の日本語でごにょごにょとお茶を濁し、海外の新聞、ニュースに乗る時に分かり食いようにしようという「お幼稚な作戦」だったのですね。

  私はよくラジオを聞くので、海側にある冷却する為の電源や非常用燃料がすべて流されてなくなっている、というのを放送で知っていました。現場では今、犠 牲的精神で爆発を食い止めるかどうかの瀬戸際だと思います、と専門家が行っているのをすでに聞いていましたので、爆発は時間の問題だな、と思っていまし た。ところがテレビでは東電も安全・保安委もあの答弁ですから、落差に驚きました。「まだら目」が首相に構造上爆発しませんからとでたら目言っていたら爆発した。
 外国人向けにインターFMでは英語だけでなくいろんな国の言語で状況を放送していました。これは海外からの旅行者や留学生にとっては意味があったと思いますし、もっと評価されるべきでしょう。テレビと連繋して外国人はインターFMを聞くようにと促しても良かった。
 やがて諸外国は自国民を避難させだしました。大使館員に東京より南に避難するよう勧告したり、移動させました。アメリカは福島第一原発から80キロ圏外への退避勧告。フランスは政府機も出して自国や韓国に避難させた。軍用機や輸送機を出した国もある。
これは、いろいろな意味で日本を不安にさせました。取り残され感、私たちッて汚れてしまったの?感、海外に比べ日本の危機管理が幼稚なのではないか、あるいはわざと過小評価して避難させないつもりか、とか。
 東電の対応や政府の隠蔽報道をかんがみると、やむを得ない。すでにメルトダウンしている、古い軽水炉マーク1の3号機を転用してプルサーマル発電していたから。(これで臨界が起きた場合、プルトニウムから発生する強い放射線により被爆が大きい)
未だ冷却方法が見つけられずにいるのに、アメリカが提供するという冷却剤を拒否してしまった、圧力を抜くため放射能濃度の高い空気を放出してしまった(ベ ント)、緊急時の放射能影響予測ネットワークシステムの予想データを隠している。(略称SPEEDI、ちっともスピーディではなかった)
これらを重く見たということとで、日本より、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故をしっかりとらえているのでしょう。
 また、水や食品の汚染がはじまった。政府への不信感。思い出してください、枝まめ野の偉そうな「ただちに影響ない」。ただちでないならいつ?東京の水道も汚染されました、お店からお水が売り切れました。
頻繁に原子力安全・保安院のスポークスマンとして記者会見していた眼鏡で冷たく偉そうな西山審議官。まったく原子力も物理の知識も無く、ウソ会見を繰り返し、しまいには女性問題で更迭。
政府御用達の学者が「笑っていれば放射線の影響は出ません」と説明したり。
「原子力むら」のかばいあいで、何が危険で何が安全かはっきり明言しない、誰の責任かうやむやにする。
こうしたインチキ会見の日常化で政府や東電は全く信用に値しなくなった。(むしろそれが作戦かもしれないが)
いっぽうYoustreamの配信では記者クラブに属していない人たちが東電の会見でするどく質問したり、京都大の小出 裕章さんや、以前から危険を訴えて来たジャーナリスで作家の広瀬 隆さんのインタビュー・講演会が見られるようになり、いかにテレビでの報道と現実が違うかが明らかになって来た。
 テレビから情報を得ようとしてもCMの代わりに「エ〜シ〜」の「ぽぽぽぽ〜ん」とかの執拗な繰り返しでイライラ。
そして汚染水を海に垂れ流し、これによって東北の漁業が大きな打撃をおったのは言うまでもありません。
これは海外から強く批判されました。それまで同情的な視線で、たくさん援助もするという姿勢から、がくっと悪者に変わりました。
高額な費用をかけた、電源喪失時でも働く緊急冷却装置を外してしまってあったのが判明しました。
時間が経つと忘
れてしまいがちですが、あの数日間の政府発表の情報のへの不信感はそうとうなものでした。
 後に事故調査委員会がいろいろ検証していますが、どの会見がウソだったかとか、誰がそれを言わせたかが国民には伝えられていません。まあ、80%以上は インチキ報道でしょう。それが故意のものがほとんどで、実力不足で把握されていないで言っていたもの、専門家でない人が原稿をただ言っただけのもの、連絡 の提携不足で汚染レベルのケタを間違って言っていたもの、等も含まれていたでしょう。どれが恣意的で、やってはいけないことかを検証して、会見した本人や 原稿を書いた人、「指令」を出した人を断罪すべきと思います。なぜならもしまた原発事故が起きた時、同様な報道をするからです。

 

若いアスリートには申し訳ないけれども、オリンピックを開催出来る段階に復興していないように思います。湾岸地域で選手の宿舎と競技場が近くてコンパクトと売り込んでいたのに、工事が間に合わず結局遠くの競技場まで行ってもらうことになってしまった。やたら招致に力を入れていた都知事の猪瀬直樹は怪しげグループから5000万円受け取っており、辞職に追い込まれた人物。
 東北での復興工事、津波から守る護岸工事や住宅を高台に作るための造成、住宅建設、仮設住宅の住み難さを改善、失われた職場を再建などなかなか進まない、必要な資材、人材、労働力がオリンピック施設の建設や改築にとられてしまっている。
東北の人は、くやしくてもなかなか言えない。

 冒頭に書きましたように「350トン」もの汚染水が毎日出るのですよ。巨大なタンクが2、3日でいっぱいになる。メルトダウンして建物の地下に沈み込んだ炉心に地下水の流れが触れて海に流れています。雨水も同様です。これが日本の「アンダーコントロール」なわけですね。
廃炉行程40年というが、見直しを迫られている。しかも行程で出て来る汚染水等の放射性廃棄物の採集処分が示されていない。影の軍団はおそらく報道関係に気づかれないよう海に捨てたり地面にこぼしてしみ込ませたりするつもりでしょうが、バレるでしょう。もちろんバレたところで放射線を除去出来ないし「原子力むら防御機構」によってだれも断罪されないでのでしょうが。
福島原発の現場自体の作業員も不足しています。防護服を来ていても少しずつ被爆しますから、上限に達した人は作業出来なくなります。すると訓練されていない新人に変わって行きます。作業のスキルや物理の知識ある職人で活動期間の残っている人はもういないのではないでしょうか。
いまだベントした廃棄塔の下は線量が高いし、もちろん炉心には近づけない。あちこちにホットスポットがある。クレーンで燃料棒をつまみ上げて移動させる作業で手一杯。

 -----------------------------

★まだあります。
復興のために増税して作った19兆円が、まったく関係ないことに多額が使われています。まるで詐欺です。本来は除染作業、宅地造成(住宅地の高さを盛り土で高くするなど)、公営住宅建設、等に使うためのお金です。
それが東京の税務署改修や北海道・沖縄の道路建設、シーシェパード対策費まで復興とは関係のない事業に役人によって流用されています。
中でもひどいのは核融合の原発実験に40億円以上使われること。「国際熱核実験炉計画」(イーター計画)の研究開発・設備費用だ。原発がコントロールできず事故でこのような状態になっているのに、さらに難しい核融合炉をやるために使われてしまう。
これ避難者にきちんと説明出来ますか?
これらは「犯罪」だと思うのですが、いかがですか?
そしてこういう使い方を決めている役人達は全く担当者の名前があがってきません。
原発ではなく国民をアンダーコントロールして儲けているわけですね。
避難者被災者の事情を良く分かっているNPOやボランティアを予算の使い道を決めるメンバーに参加させられないものでしょうか。市民オンブズマンや、記者クラブに属していないジャーナリストなども参加させるべきです。
 また、なぜ予算が除染に使われないのか。
除染費用は国がいったん立て替えてから東京電力に請求するようですが、東電が多くの部分で支払いを拒否してきたらしい。除染の基準が不明確ということで、政府が2013年までに請求した212億円のうちでも、159億円の支払いを拒んでいるという。
となれば、国や自治体もガイドラインを厳しくせざるを得なくなったのです。こういうことが背景にあるようです。ひどいね。
結果として復興費として予算化されているはずの除染費用の3分の2が執行されないという異常事態を引き起こす結果となった。

震災復興特別交付税も使われず残っている。・・・

 

 

 

このホームページにも曲や時事コメントを書きますのでちょこちょこご覧下さい。

 

能勢 祥二郎

 



★以下↓はその前の回のコメント内容です。

★終戦記念日に思うこと。芸術家や職人にできる「国防」

     ワールドカップ終わった、

      そして。暑さに耐える。

              2014年7月20〜8月23日  記

 ★今回も巨編ですので心してお読みあれ

★ついにサッカー・ワールドカップが・・終わ・・り・ました。・・!・・

数々のドラマ、驚き、感嘆、悲しみ、勇気をもたらし、ブラジル大会は幕を閉じました。

あまりにも様々なドラマ、人間模様と試合があったので簡単に総括出来ないのですが、そういっている間にも選手や監督は新しいチームと契約したり、どんどん展開しています。

これは別コーナーに書きました。後日リンクを貼ります→ここに。

★ヒグラシの鳴き声は・・7月8日に川原でキーボード練習(無音)していたらかすかに聞こえて来て。その後、毎年書くように音程が 統一されて来て「シンクロ鳴き」「リレー鳴き」「鈴鳴き」など変化して行き、現在はもう全盛期を過ぎた感じ。今年もあちこちで録音作業しました。今年こそ はヒグラシ鳴き声だけのcdを発売するつもりです。何百もの録音ファイルから選んで、ジャケットも作り。売り上げから東北の支援に使います。

★それにしても暑いですね・・。私はいまだ冷房を使わず我慢してます。家の中34度超え。簡易クーラーもありますが使わず、扇風機でがまん。

 8月15日は終戦記念日でしたが、かつてガダルカナル島等、弾薬どころか食料物資や医薬品も不足し、熱帯雨林に取り残され、情報も無く、病気や飢餓で苦しんで亡くなっていった兵士の方々への供養の意味もあり、毎年こうしているのです。

  現代の便利すぎる生活に慣れた自分を戒めるため。さらに東北大震災以前から原発による放射性廃棄物を少しでも減らすには節電することなので、大きな電力を 消費するクーラー冷房を極力使用しないと言う意味もあります。そして事故後はなおのこと節電しなくてはいけないということ、原発事故収束のため、この猛暑 の中密閉された防護服に包まれて作業する人たちの苦しみを少しでも分かち合う、という意識で。

 このように4重5重の意味をもって暑さをやせ我慢、いや「汗我慢」で暮らしています。

政治家も問題の○○神社に参拝したりお金を寄付するよりも、数日でいいからこの冷房無しで仕事してみたら?そのほうがもらったお金を寄付するより、自分の体を使うからよっぽど供養になるし、国民にも誠意が伝わると思う。

  前に瀬戸内寂聴さんをモデルにしたドラマで、宮沢りえさんが夏の暑い部屋で、手ぬぐいを頭に巻いて作品執筆に専念していたシーンを思い出します。横で阿部 寛扮する、作家で不倫相手の小杉慎吾が、横でうちわで扇いで、たらいで冷やした手ぬぐいを取り替えてあげたりしてかいがいしく世話をしてたのが印象に残ります。

 私の場合そういう人はおりませんので(笑)頭がもうろうとして来るし、今これを書いているMacBookのほうが内蔵ファンの音がすごく てまいってしまいそう。そういう時は近くの川に行って蚊帳(かや)を張った中で仕事します。作曲したりMacBookに音符を入力したり編曲の専門書で勉 強します。私の血はえらく虫が好むようでブヨにも刺されるので、簡単に自立する持ち運び式の蚊帳を使います。

 熱帯夜で寝られない時は朝暗いうちにヒグラシの鳴き声を録音してから川原に蚊帳をはった中で仮眠とりますが、長袖でも寒いぐらいになります。秋か?てぐらいで測ると20度以下です。みなの衆、放射能にたよらず涼しく過ごせる方法を編み出しましょう。

 理論書を読んでいてふと見上げると、外界(笑)では太陽が昇っていて、高い位 置に来ると木の葉がまるで4月の新緑のようにみずみずしく透き通ります。普通6月以降にもなると葉っぱは分厚くなって色も濃くなりますが、あまりにも強い 日差しのため、下から見上げると透けててまるで生まれたばかりの葉のような明るい色に見えるのです。

 こんな強い日差しと熱に耐えてはっぱさんっ て偉いな〜、って思うけれど、逆に日光が大好物なのかな?実は光合成の詳しい仕組みは現代の科学でも完全にはわかっていないようです。でも世界中ではっぱ さんは日光の方に伸びていきますよね。そして、このあたりはあきらかに都心より空気が「上質」です。

 さらに寝転がって和音を五線紙に書き留めた りしていると、崖から生えている木の幹がきらきら揺らめいているのに気づきました。ん?と観察すると、日差しが川面に反射し、日陰の暗い木の幹を照らして いるのですが、水流で水面の形がゆらゆら変化するため、まるで黄金のヒョウ柄が揺れているよう。神秘的な現象でSF映画のCGみたい。もっと言えばシュワ ちゃんの「プレデター」(もちろん1作め)でプレデターが光学迷彩で森に隠れているようです。

よく見ると太めの木の幹だけでなく葉っぱにも反射してます。

寝っ ころがっていたから気がついたのかもしれませんが、やがて大量物資を持ち込む子連れのレジャー軍団がいっぱい来ても、誰も気づかなかった。川でびしゃび しゃやったり魚がいるかなとか、食べ物の用意に気を取られ、そこで起きている美しい自然現象には気がつかないんですね。

 私は「美しさに気づくにはある程度の静寂が必要」なのではないかと思っています。

ぎゃあぎゃあ騒いで落ち着きのない中では、自然の美しさに限らず、誰かの親切な行動や、重要な助言や、しぐさ・ふるまいの流麗さに気づくのは難しい。

  現代のようにテレビで番組もCMもケタたましく、コンビニでも大型店舗でもひっきりなしに芸術性の無い大量生産商業音が垂れ流しになっている生活では、気 づかぬうちに人の心が殺伐としてきて、利己的になり、正常な価値観が育まれなくなるのではないでしょうか。異常な事件が相次ぐのも、関係があるように思い ます。内戦や紛争で爆撃や銃撃が繰り返される中では、冷静に感じ取ることが出来なくなる。

 逆に、よく若い頃に学校の教室では、授業中に同級生がよく見えるので、それほどすンばらしくなくても惚れちゃって、恋愛が生まれ ることが多い(笑)。で、早く終焉がくるとか?(笑) また、あまり混んでいない電車の中で「コトン、コトン」と揺られているとき、窓の外の風景に新鮮さ や懐かしさを発見したりすることもあるでしょう。それとか、お寺や神社を見学に行くと、人々は虫の鳴き声や木々の葉が擦れる音に気づく。

 私がや かましい飲み屋が好きではないのはこのせいかもしれない。会話が聞こえづらく大声になる。そんな中で発見や気づきがあるとは思えない。ガラガラ声でグチや 下品な冗談やかけ声で盛り上がってもたんなるおふざけや憂さ晴らしというケースが多いでしょう。それだったらスポーツしますわ。で、よくないことに、これ と同列にカラオケがあること。音楽がおふざけや憂さ晴らしのための道具に。そんな中で良質の音楽文化も、知性も発展しないでしょう。

 この「美しさに気づくにはある程度の静寂が必要」というトピック、これはまた別の機会に掘り下げてみましょう。

 さて、話は戻り、自然の中に来ているのに、そこにある、日常では見れない美しい現象や(時には恐ろしい現象)、多様性にとんだ 音、わずかなにおいの変化を感じ取ることなく、ただ焼き肉を焼いたりビールを飲んだり、水の流れの素晴らしさ(時には恐ろしさ)を味わうことなくバチャバ チャやったり石を投げたりしているのなら・・・プールや焼肉店に行って欲しいんだ。

 もし高い岩から飛び込んだり、手づかみで魚を捕まえたり、釣りをしたり、上流に向かって泳ぎの練習をしたり、こどもに教えたり一緒に遊ぶなら意味がある。

で も、たんに冷たい水で遊びたい、お肉が食いたい、仲間内で騒ぎたいっていうヤカラだったら、水が汚されるだけだし、煙いし臭いし、うるさいので、ヨソに 行ってほしい。どうしても川に行きたいのなら水道も駐車場も道具もトイレも完備したバーベキュー川原があるので、そちらへ行ってください。

 もし 「ベア」なエリアに行きたいならその資格を持つべきだと思う。よく夏になるとニュースで水の事故が報告される。川でも海でも家族連れで来ているのにこども が溺れる事故があいつぐ。親は小さなこどもがどこにいるか把握しないでビール飲んでんだから。水をなめてんだよね。車を運転していても、ガードレールの無 い道を幼児がふらふら車道側を歩いていて親はくっちゃべって歩いてるというのにしょっちゅう出くわす。

 さてプレデターのいそうな美しい川原はけたたましい喧噪と煙さで耐えられないので、やむなく荷物をしまい、他のポイントを探 しに行く。涼しく静かで勉強出来る場所。さらに上流のほうに行ってみた。その辺は水道の水を取り込む地帯で保全林として管理されている一帯。ここは水源地 なのでバーベキューやキャンプは禁止という看板があちこちにあるのに毎年子連れのレジャー軍団が大勢来てガチャガチャキャーキャーやっていて疑問に思って いた。車をとめられる部分があって川原に降りるのも簡単なためだろう。ところが今回は車が1台も止まっていなかった。川べりに沿って新しく立派な金網が ず〜っと連なっていて人っ子一人いなかった。やはり、森林保全の組合や水道局が、これでは汚されるということで防御したのだろう。良かった。黒光りする高 い金網の塀が享楽的ないんちきアウトドアファミリーを排除した。

 私は他の場所を見つけて体温を下げました。川に降りにくいところなのですが、気 をつけながら降りると神秘的な美しい淵がありました。透き通って底の川がくっきり見えて川の神様がいるような場所。水面に浮かんで空を見上げると、葉っぱ が多いかぶさって日光を防いでいます。私は「ありがとうございます」と唱えた。

みなみなの衆、とにかく放射能にたよらない方法を各自で編み出しましょう。

★毎年終戦記念日をめどに太平洋戦争のことを学びなおし、コメントしています。

今気をつけていなければいけないのはやはり「集団的自衛権」の問題、それに絡めて憲法を変えようという動き。少し前に特 定秘密保護法を強引に通されましたが、うかうかしていると知らないうちに決定されて押し付けて来るといういつものパターンになってしまいます。でも今回は 増税とか、住専問題というように国内で市民から搾取して一部のずるがしこい権力者とそのコバンザメたちが裕福になるだけでなく、国外との関係だから、戦争に発展する可能性がある。これを憲法第9条等が食い止めているのだが、好きなように解釈出来るよう変えられてしまうと、自分は戦闘に行かないずるがしこい権力者たちが決めて若者が強制的に戦場に送られることになる。(少子化なのに)それだけでなく、国内が攻撃されたり戦場になる可能性すらある。

 だから現在の憲法は簡単に変えることは出来ない。だが、一方でこの憲法は太平洋戦争に負けた時、アメリカの押し付けによって作り出された憲法なのだろうか、という疑問がある。

  アメリカがGHQ案を提示したが、参考にしなさいというだけで強要はしていないという説もあれば、GHQ案を日本語に翻訳させるのに外務省で英語の堪能な 白洲次郎らを何10時間も拘束して明文化させたと言う説もある。どちらにせよ日本人が作った原案をアメリカと相談して練り上げたものではない。だが、逆に 当時の日本人にこれに匹敵する憲法を創り得たかというと、ちょっと・・・。

 この憲法が書かれた当時、世界大戦が終わった時代で、まるで悪意のある国はいないという前提のもとに書かれているようだ。

  だが情勢は変わって来た。現在もパレスチナではミサイルが飛び非戦闘員が殺されている。ウクライナではEU派と親ロシア派で内戦、無関係な上空の旅客機が 撃墜された。また、海では武装した海賊船によって襲われる。そして日本のすぐ近くの国がミサイルを撃って来る。挑発するように船をぶつけて来る。

 このような時代に果たして、軍隊無しに国を守れるのだろうかという心配が生まれる。

今までは軍事大国のアメリカが守ってくれると思い込み、無意識の中で戦争は遠い世界のことにしてしまい、そのうち多くの人は考えることを放棄してしまった。

 こうした日本のことをアメリカでは「タダのり」と批判する声がある。そりゃそうだ、アメリカ国民は税金で軍事費を多額に納めているが、それを使って軍事費を払っていない日本を守るというのでは割にあわないと思うでしょう。

  何か日本がアメリカによほどの益をもたらしてくれるなら別だが・・日本車がどんどん入って来てアメリカの自動車会社が倒産。逆にお米や牛肉は買ってくれな い、となれば経済的にはよい関係には無い。しかし、軍事的には、日本に基地があることで得をする。本国から広い太平洋を経てからアジア諸国やロシア、中近 東へ出撃するより、日本に空母、戦艦、待機していればあっという間だ。

実際、湾岸戦争もイラク戦争も日本の基地から出撃している。このことに日本人はあまりにも無頓着、無関心、無知すぎる。

  もし相手国が、攻撃されないようにしようとすれば、日本の基地を攻撃するだろう。だから相手国から報復や先制防御として日本の基地が攻撃されないかヒヤヒ ヤした。私の家からそう遠くないところに福生基地がある。米軍はアフガンでもイラクでも軍事基地を攻撃すると言って民間人を爆撃したり病院を破壊している ので、それを批判するべきだが、それって日本の基地から攻撃してるんだよ。うちら加担してんじゃん。

 だからアメリカを敵と見なす中近東の国から すると日本はグルになっている敵国となる。時々起きる日本人の誘拐事件は無関係ではないでしょう。しかし長い間日本は中近東のイスラム国からは友と思われ て来た。それにはある組織の起こした事件が関係していて、英雄と見なされて来たから。日本のマスコミでは滅多にこれに触れない。ややこしくなるので今回は 書きません。

 とにかく日本に基地があることで、アメリカは軍事的に得することが多い。軍事的に優位に立つということは他国に対して政治的にも経済的にも優位に立てるということだ。

スノーデン氏があきらかにした例の「プリズム」(エシュロン)シ ステムも日本の基地に設置してある。巨大な丸いドームアンテナがあって、日本国内の通信は官邸から企業からすべて傍受されている。あなたの携帯電話のお しゃべりも、メールも記録されている。その中から必要な部分をコンピュータープログラムが摘出し、統合して行く。日本にいる中国人の通信も、イラン人が母 国に送る内容も、ロシア人の取引も、北の国の作戦も盗聴している。当然その中には本当のスパイもいるから、アメリカ基地を探ってどういう戦闘機が何機配備 されている、今どういう船舶が燃料補給に寄港しているとかを本国に通信しているのを逆にチェックしている。何せドイツ首相メルケルさんの携帯電話も盗聴す るぐらいだから。

情報網としても日本に基地があるのは米軍にとって得なのですね。

そして一方で日本は「思いやり予算」といって基地で使う 費用に毎年1千800億円(!)前は年間2千億円(!!)も負担している。私たちの税金からですよ。これ以外にも基地周辺対策に1千700億円強、米軍再 編関係費に1千160億円などがかかっている。湾岸戦争では130億ドルも資金供給した。こりゃほとんど軍事費ですな。

 ではそのアメリカの力がなくなったら?悪い国になったら?受け入れられない条件をおしつけ来たら?同盟を解消すると言って来たら?

日本はぐるり海に囲まれているけれど、まず単純に揚陸船をつけられて次々兵隊が乗り込んで来たら守れますか?あらかじめ入国していた人たちがそれに突如加わったら?こういうこと考えたことありますか?ハイテク兵器以前の問題です。

ミサイルで官邸や石油コンビナートを攻撃されたら?原子力発電所に撃ち込まれたら?今5つぐらいの国はこれが可能でしょう。

  また爆撃機で爆弾落とされたら?(かつての空襲のように)もしかしたらクラスター爆弾や劣化ウラン弾も使われるかもしれない。果たして日本という国の状態 を保てるだろうか。このような事を書くのは初めてですが、決して私は右翼ではありません。戦争は避けなければいけません。しかし、これだけ緊迫して来る と、いざという時のことをみんなで話し合っておく必要があるのではないでしょうか?原発事故を収束出来ない今の政府に判断を任せても大丈夫ですか?

 今までは「原爆を落とされた国」、軍隊を持っていなくて、その後は侵略をしていない国、ということで攻める対象にされない、と思い込み、考えるのを怠っているのではないでしょうか。

 どちらにせよ憲法9条では戦争を放棄しているから自衛隊は軍隊ではない。

他の国の人がこれを理解しているかという問題も あります。カンボジアのポルポト派内戦のあとにPKO(国連のピース・キープ・オペレーション)で派遣されたとき、いざ戦闘になっても日本は戦わず逃げる のか、という問題がありました。下手したら自衛隊を他国の軍隊に守ってもらうぐらいになってしまう。実際、警察枠で派遣された方が襲撃されて亡くなってい ます。

 じゃ戦闘に参加するのか、戦闘に参加しないならはじめからいかないほうがいい、いや戦闘以外の任務がいろいろある。でもお金は出すけれど 兵士は出さないと批判されている。と論議は賛否両論だ。他にもペルシャ湾での機雷除去、東ティモール独立時の治安維持、インド洋で対テロで後方支援、イラ ク戦争での空輸、ルワンダの難民救済、ネパールで停戦監視、ソマリアの海賊対策などで自衛隊は海外に行っています。そして現在もスーダンで展開中です。

 もし本当に戦争反対という場合は、武器を完全に放棄する勇気が必要だ。それを国民全員が承諾出来るだろうか。家族が暴行を受 け、こどもが殺されるのを無抵抗でいられるだろうか。自分が後ろ手に縛られ、後ろから銃殺されるのを受け入れられるだろうか。まさかそんな事は起きないで しょう、と思うでしょうが、今もパレスチナ、ウクライナ、イラク、ソマリア・・起きていることですし、日本も北方領土でソ連兵による残虐行為を受けまし た。沖縄の米軍兵による女性への暴行も減らず、地位協定で裁くことが出来ません。最近の出来事です。

 太平洋戦争末期、もう日本は負ける、という 時点になってからソ連は日本と約束していた不可侵条約を一方的に破棄して攻撃して来ました。そして日本が8月15日にポツダム宣言を受諾して降伏したあと も北海道の北の「樺太島」(サハリン)を砲撃して上陸してきた。島に住んでいた人たちは次々銃殺され、略奪、陵辱された。ぎりぎりまで郵便局で通信の為に 残った女性職員は北のひめゆりともいわれる惨劇に至ったのです。何度もドラマになっています。

 スターリンの計画では北海道を2分して共産主義領土とするつもりだったのです。北日本共産主義国みたいに。連合軍がこれを否定したので未遂に終わりましたが、あわや朝鮮半島や東西ドイツのようになりかねなかったのです。

 日本人は「玉音放送」の流れた8月15日が終戦の日と思っていますが、世界的には東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリの甲板で降伏文書に調印した9月2日が戦争終結の日なのですね。

 でも正式な調印の後もソ連は攻撃をやめず、日本兵の捕虜はシベリアなど北方に送り込んで劣悪な環境で過酷な重労働を強制し、多くの方が亡くなった。なんと恐ロ4ア(わかりますね)。

しかも調査団がおかしいおかしい帰ってこないと追求してもこのことをずっと隠し、否定し続けていたのです。昨年書いたのでぜひお読みください。一般人には1年に1度のことですから→こちら。

 また、満州国にいた人たちも同じような目に遭いました。この満州は日本が侵略して奪って作った領土ですから、戦争に負けたとなれば、もともといた人たちから復讐にあうわけですね。引き揚げ船までたどり着くまでは終戦と呼べるものではなかった。

 ソ連はポーランドに対しても残虐な仕打ちをしました。ナチスドイツがポーランドに侵攻していた時に、ソ連はポーランドのレジスタンスつまり抵抗勢力に、集結して戦うよう呼びかけ、ソ連も合流して戦うことになりました。いわゆる「ワルシャワ蜂起」で す。ところがいざ戦闘が始まるとソ連は参加せず、対岸から傍観し、物資の支援も断った。はめられた!。なんと恐ロ4ア。ポーランド人民軍はほとんどの兵士 が銃器を持っておらず、ドイツ軍から奪ってかろうじて戦うしかなかった。ドイツ側にはカミンスキー旅団など素行の悪さで悪名高い部隊も参加して、ポーラン ドの一般市民は略奪、暴行、虐殺にさらされた。2ヶ月ほどの市街地激戦の後、ポーランド人民軍は降伏した。ワルシャワはナチスに破壊され、生き残ったレジ スタンスは処刑され続け、なんと市民含め20万人もが亡くなった。そのあと廃墟になったワルシャワにソ連軍が来て占領したのだ。なんと恐ロ4ア!

 しかしこれだけで終わらず、「カティンの森事件」でポーランド人を2万2000人も虐殺していたんです。穴を掘って何重にも遺体が重ねられて埋められているのが見つかった。なんとひどい。しかもこれをナチスのせいにしていたのだ。

  ずっと赤十字社や石を含む国際調査委員会がおかしいおかしいと指摘していたが、ナチスの仕業と。(なんか今回の旅客機撃墜事件に似てるな・・。)ところが 恐ロ4ア式に後ろ手に縛られ後ろから銃殺されている。ペレストレイカ以降徐々に情報が公開されて来て1992年になってからこのジェノサイドの命令書が出 て来て、やっと認めた。カティン以外にも3カ所で同様のことを行っていた!しかも3,800人ほどは未だ消息不明。

 にもかかわらずポーランドや 遺族に何も補償はしていないし、誰も戦犯の裁きを受けていない。殺したもん勝ちの逃げ得。スターリン率いるソ連軍はこういうこと同時におこなっていたんで すね。ナチスと変わらない。つい70年ぐらい前のこと。シベリア抑留でかろうじて生き残った人が高齢でもまだ生きているという時代です。こういうこと学校 では習えなかった。ショパンの故郷ポーランドがこんなに悲劇を背負った国だったとは・・。

 しかし悲劇はここで終わらなかった・・。

ロシ アのスモレンスクに慰霊碑が建てられ、2010年、カティンの森事件70周年追悼式典が行われることになりました。これに出席のためにポーランドのカチン スキ大統領や夫人、国務長官や安全保障局局長ら政府の要人、陸・海・空軍それぞれの司令官が乗った飛行機がスモレンスクに向かいましたが、なんと・・墜落しました・・・・。96名全員死亡という悲劇。とにかくこの映画を見なくては。→「カティンの森」

 そして今まさにウクライナで・・・!。だから、どこか遠い国の大昔の話、という感覚ではいられない。日本はこういう恐ロ4い国に 対して何か打つ手がありますか?仮にアメリカの基地を日本から退去させてしまったとして、サハリンや北海道から恐ロ4アが侵攻して来たら?中国と組んで日 本海側から広範囲に上陸して来たら?もちろん軍備では桁違いでかなわない。だからそうならないよう、日本を攻撃するのは損だ、という状況を作らなければい けない。それが「外交」というものです。

 しか し資源は無いし、今や財政も危ない。世界的に保護すべき芸術家、作曲家などがいるわけでもない。それを、価値があって敵に回したり破壊したら損、と思わせ られるか・・。人物の魅力や会話術も必要だが、その力量のある政治家が今いるかな・・?カードとなるものが必要です。日本の無農薬お米で新鮮な魚でのお寿 司、これが食べられなくなるとか、アニメが作られなくなるとか?和太鼓が聴けなくなるとか?野球でアメリカを倒すのが見られなくなるとか?ン〜弱いな。

 だからお国は、ただ商業主義ではなく長い単位で「国を守る為に日本独自の美しいもの」を支援するべきだ。

 例えば芸術性が低くなっている日本映画にはテコをいれるべきだが、かつて世界の黒澤明監督がクオリティの高さを求めるあまり、東宝から契約を切られたり、「トラ・トラ・トラ!」でアメリカとの制作方針の衝突で解任されたりして自殺未遂にまで至っていたのを「デルスウザーラ」で復活させたのは実は恐ロ4アなんですよね。

当 時日本が見捨てていたようなこの監督をリスペクトし、あの過酷な環境の大変な撮影を監督の望みをかなえて成功させ、世界の黒澤復活に導いたのが恐ロ4ア。 それは侵略に明け暮れるだけでなく芸術面を発達させていたから。チャイコフスキー、ムソルグスキー、スクリャービン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィ チ、トルストイ、ドストエフスキー・・・。だから黒澤芸術をリスペクトしていたんですね。

これはある意味日本映画界の大きな汚点といえるでしょう。しかもこの「デルスウザーラ」は暗に恐ロ4アの大国侵略主義を批判するメタファーを含んでいるのにもかかわらずである。優れた芸術が国家やイデオロギーの対立、過去の因縁を超えて結びつけた例でもあります。   じゃ逆に、他国の監督が日本人によってアイヌが侵略されて行く作品を撮影したいといった時に日本映画界が協力して実現させてあげることが出来るだろう か。国が予算を割いて人材を割り当てられるだろうか。これができて初めて胸を張れると思うのです。臭いものにフタをしたまま、やくざ映画やタレント映画や ちゃちなアクション映画でなく、芸術の視点に立って映画という表現を見れるわけです。

 フランスはヌーベルバーグがあったし、アメリカにはニューシネマがあった。今まで何度も書いてきましたがアメリカ先住民の虐殺について「ソルジャーブルー」「ラスト・オブ・モヒカン」「ダンス・ウィズ・ウルヴス」「小さな巨人」といった作品群がある。自国の犯した罪、負の歴史を描いて戒めることが出来る。そして大衆はそれを見て高く評価し、賞も取る。そもそも、まずその原作がある。それを書ける人物がいて、それを出版してくれる会社がある。この時点でなんか「差」を感じるんですよ・・。サッカーワールドカップなみの・・。

 確かに現在のアメリカ映画はエンターテインメント優先の即物的お祭り商業作品が多いけれど、一方ではミニシアター上映の作品やインディーズ作品もある。マイケル・ムーアのような監督も現れる。日本で首相を真っ向から批判する映画を撮れる監督いますか?

だからもっと成長して日本映画でしかあり得ない不可侵な芸術性を確立すべきでしょう。かつての浮世絵のように。

 美術館や博物館も重要です。そこに遺産として貴重なものがあると簡単には破壊出来ない。劣化ウラン弾も使えない。狭い国土ですから、上野以外にもあちこちに貴重な収蔵の美術館があれば、爆撃しにくくなる。

 他には、工場の熟達した職人によるものつくり。機械ではなしえない、わずかな精度を人間の皮膚や目で査定し、繊細な手さば き、材料に対する経験則など高い錬度によって生まれる日本独自の品々。漆の器、日本酒、醤油、日本刀、手漉き和紙、宮大工・・これらを国は支援し、世界に アピールする事が大切。この貴重な技術が失われるような攻撃をしてはならない、って思ってもらう必要がある。

 もしヨーロッパで戦争が始まった 時、イタリア、とくにクレモナを砲撃、爆撃することは躊躇するでしょう。ヴァイオリン制作のメッカだからです。良質のヴァイオリンが作られなくなるのは芸 術を重視するヨーロッパでは困るからです。職人だけ拉致してから破壊するかもって思うでしょうが、長い年月乾燥させた材料の木、特製の道具、名器の型紙な ど、工房には重要な品々や環境があってこれを失うと再現出来なくなるものがある。日本でもここを破壊してしまったら、あれがなくなってしまう、あの人が死 んだらもう○○が食べられなくなる、新しい作品が見れなくなってしまう、と満載にすればいいのです。徹底的に魅了する、クオリティの高いものを作る。

  それを考えると、国内製品だけでなく海外の製品に日本の精密な技術が必要、という状況を作るのも効果があります。仮にですが、iPhoneに日本の工場の 精巧な技が使われていたら、そこを失うと製造出来なくなる。するとアメリカはその工場関係は破壊しないでしょう。他の国もiPhoneが使いたい国は爆撃 しないでしょう。それには日本の技術が使われていることを宣伝しておかなくてはいけない。メーカーは工業スパイに製造の秘密を知らると困るから秘密にして おきたい、でも、知られても再現できないものがある。それが日本人の職人技です。長年かけて鍛えられた指先の感知力、素材の変化を読んだ上での道具の使い 方・・それらはデータ化出来ない有機的な判断力や加工術、知恵が一体化している。他の工員にやらせても再現は出来ない。そういうものを海外製品にも組み込 めば、日本を攻撃出来なくなる。

 こうしたナマの技術の世界は今席巻しているスマホ、ネット動画、大人数斉唱アイドル(笑)、 といった分野からは遠い存在。どう「遠い」かというと、まず単純に現場からの距離が遠い、と言い換えられます。つまり、職人さんや芸術家に会ったこと無い でしょ?ってこと。いくらネットで調べて情報だけ得てもそれは「どこかの誰か」がアップロードしたもので、自分で現場に行って見聞きしたり本人に会って尋 ねたことではない。そしてそのアップした「どこかの誰か」は実際の職人、あるいは職人とリアルに接している人なのかはわからない。他人が書いたものをコ ピーしただけかもしれない。だから真実を伝えているとは限らないのである。

 確かに現場まで距離があると思うし移動には交通費がかかる。汗もかくし、雨や雪が降るかもしれないし、宿泊の必要があるかもしれないし、学生はバイトや部活を休まなくてはいけないかもしれない。だから時間の能率ではネット検索の方が勝っている。ところが「100の空虚な情報より1の現場体験の方が価値ある」という面があるのです。

 美術大学の後輩の学生と交流があり、今年も笠間市の廃校の分校で工作の合宿を行って来たばかりです。みな善良な人たちだけれど も、これだけ素早く情報が得られるにもかかわらず、重要な画家を知らない。価値観を問いかけたムーヴメントを知らない。また、個人レッスンで音楽を教えていますが、重要なミュージシャンや曲を知らないのである。シンガーソングライターを目指しているといってもキャロル・キングやジェームス・テイラーを知ら ない。ジャズをやりたいですと申し込んで来てもマイルスもエヴァンスも知らない。ファンクにはまってるんですよというのに、ザップもラリー・グラハムも知 らないという。ハードロックが好きというのにキングクリムゾンのRedを聴いていない。万事こういう調子なのだ。サッカーでペレを知らないようなもの。そ して重要なものをいくつかあげて念を押しても、次に会ったとき、まだ見てませんという。

 これが「ザ・スマホ文化」なのだ。つまり、あまりに労を せず情報を入手出来て、いつでもアクセスできるため、あとでいいや、ってことにしちゃう。情報が軽すぎる。行動力が衰えて来る。目の前の人間からこれは 知っておかないと恥ずかしいものなのだよと直接いわれても、それがネット世界のブログの文字より重要だということに気づかない。つまり情報が未曾有に並列 にあって、果たしてその中のどれが重要なのかを判断する基準が持てていないのである。その基準は人間性がある程度熟さないと整備されない。重要人物に直接 会ったり、実際にやってみて失敗したり、達人の技を目の当たりに見て仰天するとか、現地で学ぶ体験が少なすぎて、本来現場で学ぶべきナマの状態が目の前に あるというのに、無責任なネット上の文字との「差」に気づけないのですね。こうしたことから、若い層からほんものを見抜く力がどんどん衰えて来る。

 電力会社主導の宣伝であたかも今流行っている、売れている、と価値観が誘導されていて、自分もそれに踊らされているかもしれない、という基本情報を得ていないため、安っぽいJ-ポッフ(笑)や、やかましいアニソンに翻弄されてしまう。

好みとかいう前に先に耳をヤられてしまっているのである。

そ こに本格的な音楽を紹介してもなかなかその落差に気づけない。ビル・エヴァンスが開拓したハーモニーはもちろんのこと、スティーヴィーが発明した新しい コード進行と音色の組み合わせ、Take6が実現した声による近接ライン、モードアプローチ的メロディーと社会派メッセージや文学的な詩を組み合わせた ジョニ・ミッチェル・・聴かせてあげても「わからない」んですね。可哀想に・・。感性のスポンジの穴にフタがされていて、吸収出来ない。

それでよく、音楽は分かる分からないじゃないから、とかいまだに言う人がいる。じゃ何?というと楽しいとか好みの問題だから、とおなじみの浅はかな意見を 言う。いや、楽しいと感じたり好きと思うのはなぜ?そこで表現されたものが分かったからでしょ?分かるかどうかは感性のスポンジにフタをされていないこと が大切。ビートルズを知らない子たちが多くなって来たのとも関係している。

 私は大学院時代、油絵科だったけれど和紙を研究して自分で作ろうとしていました。その時、埼玉の頑固な手漉き和紙職人のところに 何度も行ったし、土佐和紙の村を探してリュック背負って右も左もわからない四国の山を歩いたものです。今のようにネットの情報が無く、まともな地図も無く 手探りで夜に真っ暗な道を登っていきました。九州では八女市(やめし)の和紙工房も訪ねて、いろいろ教えて頂きその後も良くして頂きました。

 こうして体を使い、人と会い、素材に触り、実験を繰り返したことというのは人生を通して財産になります。何かに応用も出来るし、自信にもつながります。そこには端末を指先で撫でただけではつかめない情報が電子雲のように付随しているのです。

 体を使わず、指先で操作しただけでそんなに重要でリアルな知識を得られるわけ無いんです。スマホなんかほとんど親指だけだもの。 全身と空間と人間関係から得るものには匂い、温度、まわりの空気感、場合によっては味、時間にそった感情の変化や驚き、費用の心配、お腹がすいたり、恥を かいたり、もしかしたら怪我するかもしれません。

指先を器用に使うこと自体は大事なことではあるが・・・→。    

 かつて教員時代に「美術教育を進める会」という全国規模の研究団体の中の「手仕事・工作分科会」を担当していたことがありますが、人間の成長、人格形成において手で行う活動が脳と密接に関係している点を研究していました。

  ★こどもと美術 No.32 1992年秋冬号(あゆみ出版)

には「インジオの手しごと」と いうタイトルで、私がブラジル・アマゾナスのジャングルでインジオから学んだことをイラストや写真を交えて載せています。意外と若い人に見せると興味深く 読んでくれます。ジャングルの奥地に住むおじさんがナタ(山刀)1本で、器用な手仕事を見せてくれました。ある時は木の繊維から縄を作って「ペックー ニャ」という輪にして足にひっかけてスルスルと木を登ったり、細めの竹で笛を作ったり、そこには当然植物の種類を瞬時に見分ける知識と蓄積した経験も必要 ですし、皮膚が丈夫で厚いことも、筋力も大切。

お腹壊した時はサーラクーラミーラという植物が薬になると教えてくれました。削って水に入れるとジュワワ〜と反応してビールのような泡が出て黄色くなりま した。味はちょうど「ワカ末」そっくりの苦さで、直観でいかにもききそうでした。ジャングル漢方ですね。ああ、これをガダルカナルやインパールで亡くなっ た兵士の人たちに、当時だれかが教えてあげられたら・・と思いました。地域が違うからサーラクーラミーラは無かったかもしれないけれど、マラリヤからくる 下痢や高熱を軽減する薬草があったのかもしれない。現地の古くから住んでいる人にあらかじめきけば・・。

 まあ軍部はそんな教養が無いから士官も考えられないし、食料も無くもうそれどころではなかったと思いますが。それにしてもルバング島で終戦後29年も生き抜いた小野田寛郎(おのだひろお)少尉さんはすごい。なんと亡くなったのは今年だったんですね。いろんな意味でサバイバルの達人だ。調べたら小野田自然塾っていうのやっていたんですね。しまった。習いに行きたかった。残念。

 先に発見されたのは終戦後グァム島で28年生き延びた横井庄一さ ん。まだ戦争が終わっていないと思っているから、見つからないように逃げながら、ろくな道具も無い中での生活。昔読んだ本では、植物の油からのランプの作 り方が書かれていましたが、作った隠れ家が火事になってしまい、すっぱだかで逃げ出し、まさに裸一貫になってしまい、植物の繊維から布切れを作って服にす るところからやり直したということです。すごい!。

 やはり「カ」(毎回書きますが昆虫の風上にも風下にも置けぬヤツなので漢字は使いません)は 大敵だったと書かれています。冗談で「よっこらショ」の代わりに「よっこいショ〜いち」という人がいるのは不謹慎!・・不謹慎だな〜と思いながらも、プっ とつい笑ってしまいます。横井さんすみまへん。でもかならず、これ言った人には横井庄一さん知ってるの?とききます。すると「え?実際にいる人なの?」っ て知らないくせに言ってるのです。だからジャングルで28年もサバイバルした人なんだよと教えていますので、許してください。

 とにかく指先を器 用に使うことは、重要なのですが、スマホではたんなるトリガー機能だけで、変化を感じ取ったり、加減して力を加えるということが無い。これがもうひとつの 「遠い」。触っているものの表面の感触、温度、堅さ、可塑性などを感じ取らなければ意味が無い。つねにつるつるした液晶画面だったり、プラスチックのキー ボードでは意味が無いのである。そしてInputとOutputが有機的な相互関係にないといけない。

また、自然素材の工作、例えば竹を割る、枝 を削ぐ、木の皮をはぐ、薪を割る、土をこねる、という操作には指だけでなく腕、肩の反動、もちろん腰や体幹、重心が関係している。その上での手の使い方な のである。(これは楽器演奏も同じである。上達の遅い人はこの連動が無い。目先手先の操作だけに意識を奪われているのである。)

 つまりスマホやネットのフルアクセスは文化的な上級者が扱うもののように思うのです。体全体の作業も知っている、情報の優劣も判 断出来る、そういう人たちが使って効果を発揮する。実物を知っている人が、これはヴァーチャルだとわかった上で時間短縮の為に活用する、そういう道具なの であり、精神的にも基本知識も乏しい人たちが24H頼るのでは、メリットよりも人間の智慧をスポイルする方が多くなってしまう。

 しかも匿名で誹 謗中傷出来てしまう。カッターをうまく扱えないこどもがのこぎりを不用意に振り回す、包丁をろくに扱えないこどもがナタを振り回す、そういうことなのだ。 もし自分が怪我したら、という想像ができない。そしてゲームではゾンビを殺しまくる。これが現代の歪んだ事件の背景にあることはむしろ疑いが無いでしょ う。

 だからこれからは小学校から、情報の選択方法、活用方法を授業で教える必要があるのではないか、と考えています。もちろん信頼性を見抜く方 法も。そしてスマホに初心者向け、中級者向け、上級者用、プロ専用みたいに段階をもうけて、端末自体に物理的制限をもうけてもたせるべき時代に入ったので はないかと思います。上級者用機器には30歳ぐらいまでは免許制にした方がいいのではないか。若くても有能な人はアマチュア無線と 同様、資格を取れば上級機種を使えるというふうに。これによって匿名によるくだらない掲示板書き込みでいがみあったり、自殺や殺人に発展したり、国際関係 が悪化したり、詐欺にあったり、覚せい剤や脱法ハーブ、爆弾の作り方など負の情報が拡散することを防げるでしょう。平たく言えば若いうちは足を使い、人と 接しなさい、手でものを作りなさいってことです。これが日本の国防につながるとは普通の人は気がつかないでしょう。

 だが、通信システムや新機器 を普及させるのにはお金がかかるため、より多くのユーザーを獲得して単価を下げる必要がある。と言う面もある。どちらを選ぶか、ってことになります。かつ て毎回接続して深夜帯だけ割引だった時代は、通信の内容、使い方を無駄にしないよう意識していた人が多かった。ところが現在の24時間常時接続になると、 実際は無料ではないのだが、のべつまくなしにアクセスするから、小中生でも掲示板に安易に誹謗中傷や捨てぜりふを書くし、無責任になって行くのである。

★ということで、一見関係ないかのようなことだけれど、軍事力のない日本が国を守るには日本独自の高度な技術や美しい品々、高い芸術文化を充実させることが大切。そこに向けて若い世代が情報端末から有益な情報を的確に選り分けられるような教育をすること。これによって「芯のある」価値観を発達させて行く、これは実は大きな国防でもあると思うのです。いかが?

  かつて私が先の研究団体の全国大会でパネラーをやった時に「美術教育は世界を救う」という提言をして本にも載りましたが、この時は某番組タイトルのパロ ディもこめて、注意を引きつける作戦もふくめたキーワードでした。それが今、この情報端末の時代、そして世界の軍事関係が変わりつつある時代に、あらため て意味をもつようになったと思います。

 というわけで、基地で使う費用に毎年1千800億円もの「思いやり予算」を投じるならば、その1%でも私たち芸術家の支援に分けておくれ、っていうわけだ。(笑)

最後まで読んでいただきましてありがとう!それでは残暑の時期もなんとか放射能使用は少なめに過ごしましょう。

 

    2014年7月20〜8月23日  記