★震災5年めにあたって
   
                  3月11日 記

 前回の、コンサートからの発見や「エンニオ・モリコーネの音楽と私」の続きはひとまずおいておいて、毎年している東北大震災・原発事故のことについての追悼コメントをアップいたします。
 亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、ご家族の方々にお悔やみ申し上げます。
いまだに行方不明の方々が多く、残された家族が葬儀をあげられない、お墓に入れられないまま前に進めずにいる無念さ、いかばかりか。また、地震でも津波でも無事で家も損傷していないのに放射能汚染で立ち退かされて帰れないでいる人たちの悔しさ、計り知れないです。

 5年経ってしまいましたが、当時想像した5年後の復興はもっと進んでいると予想していたのではないでしょうか。なぜ進まないのか・・。のちほど書きたいと思います。


★テレビがずっと壊れたままなので、午後2時46分にはラジオにあわせて黙祷し、各地のインタビュー等を聴いてから大悲願寺に行ってひとりで般若心経を唱えてきました。ここには終戦記念日と大晦日にも唱えに行きます。立派な鐘楼(しょうろう、鐘つき堂)があり、大晦日は人がたくさん集まって毎年突くのですが、今日は勝手に突いてはいけないと思い、壇上に登って橦木を空想の手で引っ張って突いて、心の中で鳴っている鐘の音がずっと東北まで飛んで行って海辺を鎮魂して響き渡りますようにと・・イメージしました。
 また、あわせてブラジルのパーカッション奏者ナナ・バスコンセロスさんが亡くなったので、ご冥福を祈りました。ナナさんは私が非常に影響を受けた音楽家なのでショックです。機会があったら詳しく書きます。

★昨年のコメントではまだ不便な仮設住宅を強いられている人があまりにも多いことや、震災・津波からは生き残ったのに、後に亡くなった方々が多い(関連死 と呼ばれる)、なんとかできないのかということを中心に書きましたが、全く改善されることなく、関連死は増えてしまい、今や3412人になってしまいまし た。阪神淡路大地震の後も老人が一人でなくなる「孤独死」が問題になりましたが、ほとんど教訓が生かされていないですね。
 そして防潮堤の形状のアイディアをいくつか書きました。フラッシュアニメを作って波をひっくり返す作戦を説明しました。

★5年経ちました。あっという間まです。昨年の3月11日からもあっという間です。
毎年同じようなことを書きますが、あの日のことを思い返しましょう。これは直接被害にあわなかったや行政にむけてであって、実際の被災者の方は、思い出さない方がいいので、このパートは飛ばしてください。
 私は東京の郊外ですので、直接の津波被害や強い被爆はありませんでしたが、あの長い揺れ、テレビのふがいない報道。(巨大な津波被害があるのに、ビルの屋上の煙とか映していた。あの揺れでこれだけなはずはないだろうと。)
 やがて信じられない光景の放映が始まりました。広く平坦な田園地帯(名取市若林区あたり)をどこまでもさかのぼって行く海水。海辺の町で堤防を超えてく る墨のような黒い海水。住宅街が大きな川のように化して、家、車、船がごっちゃに流れて行く。あの車の中人は乗っているのだろうか。クラクションが鳴りっ ぱなしの車もある。もっと早く、これは尋常じゃないんだ、極端な危険が迫っていて、緊急に避難を要するんだ、ということを訴えかければ急いで避難して助 かった人たちも大勢いたはずです。東京と東北では放映内容が違うとは思いますが、気象庁から各地の行政への連絡タイミングと内容、同時にテレビやラジオへ の通達方法と内容についてももっと振り返って改善すべきと思います。
津波にさらわれた人たちを助けるのに海上自衛隊や海上保安庁はなぜ救出に出ない?
ああ、もう日暮れが近い、非常に寒い。建物やがれきに挟まれたままの人も凍えてしまうのではないか。ビルの屋上や家の屋根、歩道橋に逃れたがまわりが水で どこにも行けないままの人たち。濡れたままの人もいる。夜をこえられるのか。毛布は無いのか、サバイバルキットのアルミシートがあれば・・。朝方はさらに 冷える、雪も降って来た。余震がある。

★原発の冷却機能がきかないことが報道されました。それじゃメルトダウンがおきるじゃないか。広島、長崎のような大きな爆発が起きるのだろうか。その前に遠くへ逃げるべきだろうか(多くの外国人は避難、出国しました)または、大きな爆発でなくてもチェルノブイリのように広範囲に汚染されるのだろうか。
恐怖感や不安。巨額の費用で準備されたはずの予測装置「SPEEDI」の情報が公開されません。
 情報が制限されている。印象を誘導しようとしているのか?
私はラジオですでに冷却する為の予備電源用の燃料が津波ですべて流されて無くなっているから、冷やす手段がないのではないか、という専門家の話を聞いたので、メルトダウンするなと分かりました。
 アメリカ(今立候補中のヒラリーさん)がこういう事態のための冷却剤を提供する、というのを首相はなぜか断った。(ホウ素とベントナイトなどでできているらしい)
 この時受け取って使わせてもらえばおそらく爆発は防げたでしょう。だってこの原子炉はアメリカの設計ですから。設計者のデール・ブライデンボー本人もど こに問題があるか赤裸裸に公表しているし。そしてスリーマイル島の事故経験やチェルノブイリ事故の研究、原子力潜水艦(容認したくないが)の技術があるのだから。バケツで臨界させてしまう日本よりは人材も機材も物資も技術もはるかに上回っていたでしょう。
 のちに、原発の冷却装置は設計段階に不備があったため、すべての電源が切れても作動する物があとから備え付けられたが、愚かなことにそれを外してしまっていたことが判明。しかもバレるまで隠しているという姑息さ。
 各地から緊急で電源車が40台もかけつけたが、コネクター形状が違うので物理的に接続出来ない。形式を伝えてなかったみたい。なんと「稚拙」な。それならそれで変換コネクターを作るぐらいの技術は日本にはあるでしょう。
 翌日管首相がヘリで現地に飛んで現状確認や指示を出した。(これが東電が事態を隠蔽していたためやむなかったのかパフォーマンスなのかは評価が分かれている)
 爆発を防ぐには圧力を抜く(ベント)しか無いが、しかしそれをやれば、放射性物質を空中散布するので広範囲に汚染されてしまう。爆発しても確実に汚染は広がる。
 本来のベントではいったん汚染された蒸気を水の中やフィルターをくぐらせて汚染物質を減らすが、その経路が不可能になっていて「直」でベントしてしまった。
にも関わらず、1号機に爆発が起きて白い煙があがった。
 例の枝マメ野がウソ会見で過小発表。燃料被覆管のジルコニウムと蒸気との水素爆発であり、格納容器は損傷していないと。いや、人間は損傷したでしょうが。地球も。その蒸気は本来外界に出ないよう閉じ込めておくべき物だから。汚染されているものだから。それはまるでおねしょしそうになって布団にもろオシッコしてパンツは汚れなかったからと言っているようなもの。
ベントに続き、放射性物質が漏れだしてしまった。

 しかしなぜ建物のことを急に「たてや」と言ったり、以前キュリー、ラド、レム、といっていた単位がシーベルトとかベクレルに変わったのか?
近くでの撮影が禁止され、許可された遠方からのものしか映されなくなった。
夜になって海水を注入し始めた。
救助活動のほうはどうなったのか?線路も道路も寸断され、電話が通じない、電気や水道が止まっている。火事も起きている。暖はとれるのか、食料は届くのか、トイレはどうする。
 情報を求めてテレビをつけると例のACのぽぽぽぽ〜んのイライラ放送。夜は特に連続で。
 今度は3号機が爆発、高く煙が上がり、炎も。また枝マメ野がウソ会見で過小発表。これも水素爆発であり、格納容器は損傷していない、 放射性物質が大量に飛散してはいないと。いやいや・・あなたの心の容器は損傷してるでしょう。これじゃまるで食品売り場で風邪引いたヤツが口を押さえずに ハーックション!とくしゃみして唾で周辺7mを感染させておきながら「だいじょうぶ、ちょっと風邪気味なだけ」と言ってるようなもの。
 ヘリが上から水を撒いてるけどすごくお粗末。とても冷やせるとは思えない。水を注入するしか無い、消防車がかけつけて海水をかけ始めた。
 チェルノブイリの時のことを知っている人は、牛乳や水は大丈夫なのか心配、特に妊婦さんや、小さい子の親は不安。数日で食品店からカップラーメンを中心に棚が空っぽに。
ガソリンが入手出来なくなるのではないだろうか。
 枝マメ野がウソ会見であのイヤな「ただちに影響ありません」を連発で煙に巻こうとしてイライラした。つまり「ただちではなく、あとで必ず影響がある」わけだ。
 この無責任会見は原子力安全・保身院・・保安院のメガネの冷たいピシ山に 受け継がれる。(文系で原子力の専門ではないのに。不倫問題がスクープされ、更迭されたのに、福島除染推進チーム次長になった。だから除染が進まないの だ。政府にはそんなにもまともな人材が少ないのか・・。このピシ山はその後で矢崎総業という巨大企業のオエライサンになっているようだ。こういうのを天下 りというのじゃないかな。こういう政府で復興が進むと思いますか?)
 東電本社ではいろんな時間に会見が開かれ、並んだ机に行儀よく座ってパソコンを広げ、まるで塾のように記者クラブの面々が当たり障りの無い質問をする光 景がテレビで2分ぐらいだけ流れるというパターンが繰り返された。実はフリーのジャーナリストは脇にやられていて、核心に迫る質問をしたり追求していると ころは放映されない。テレビは電事連、つまり電気会社のシンジケートがスポンサーだから都合の悪いことは流さないわけですね。一般の方はそこに気づかな い。
 ところがインターネットのストリーミングUstreamで質疑応答をすべて公開するチャンネルが現れた。こうしたところからネットの中で真実を探ろうという意識が広がっていきました。
当時、私はそうした中で重要なものをたくさん紹介してリンクも貼りました。

 

☆ここで再び書いておきたいのですが、私は、まだ日本でオリンピックをやるところまで復興出来ていないと思います。アスリートの人たちには申し訳ありませんが。
 毎回書きますが、東北の復興に使うはずだった資材がオリンピック関連施設用に行ってしまい不足。作業する人員も不足。招致した都知事は5000万の収賄 で辞任。メインの新国立競技場も異常な費用のため白紙撤回。エンブレムは盗作。佐野を擁護したデザイナーたちもパクラー。首相が「アンダーコントロール」 と宣言した福島原発では毎日汚染水が海に流れ出ている。開催地を8km以内にコンパクトにって売りで日本に決定したのに、建設が間に合わず、あちこち遠方 に拡散。これって世界に対する詐欺にならないのかな?
 何やってるんだろうね。
 まあ、これが現在の日本の力量なんだと思います。
 おかしいよ、と正したり、チェックするしくみがないってことです。それが現在の「お・も・て・な・し」ってことです。
 こんなので長い年月をかけて苦しいトレーニングで鍛え上げて来た世界中からのトップアスリートを招いて競技を開く資格があるのだろうか・・。各国の国内 で競い合って選考に残れなかった選手もいて、選りすぐられた人たちだけが人生をかけて世界中から集まって来るのだぞ。開会式で失態ぐらいならまだしも、判 定機器の不具合や、審判ミス、競技場のダブルブッキング、選手への情報ミス、テロを防げないなどやらかして選手の一生を台無しにしてしまわないか気が気で なりません。
 海外の大会に出かけるより日本選手に有利で金メダルが多くなる、ぐらいの姑息な心構えだと、恥かくのではないだろうか。
 実際ラグビーワールドカップがせっかく日本開催になったのに他の場所でやらざるを得なくなりました。
 戦後の復興で西洋列強においつくんだと一丸となって取り組んだ時代と違って、属国として守られた平和ボケの中、癒着ワイロまみれで利権争い、内部でも国 民に対しても化かし合い、責任のかわし合戦・・およそ健全なスポーツ精神とは遠いしくみで運営しようとしている・・・。
 この国税を使った茶番劇よりも、仮設住宅の改善、関連死を食い止める、造成工事の効率を上げる、除染の方法を改善、汚染された土の保管場所をどうする か、原発の汚染水貯蔵タンクの強化、避難で移住させられて人たちへの就職問題や精神ケア、行方不明者の捜索などなどエネルギーとお金と人材を注ぐべきこと がたくさんあるというのに。
 ・・今、確定申告の締め切りが迫っているので、続きはまた近日アップいたします。

 

   続く。    3月11日  記


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↓前前回の内容です。

★ライブのお知らせ

1月20日(水)秋川キララホール エントランスコンサート

お昼12時10分から30〜40分ほど 無料ですのでお気軽に。

駅からも近いです。

 ギター・編曲 能勢 祥二郎(わたくし。たぶんGodinのガットを使います。)

 クラリネット 岩崎拓哉 (非常に音色のよい名手です。バスクラも使い分けます)

「亡き王女の為のパヴァーヌ」M.ラヴェル、「ニューシネマ・パラダイス」E.モリコーネ、「シェガ・ヂ・サウダージ」A.C.ジョビン、「ロッキングチェアー」オリジナル、「白鳥」サン・サーンス他

詳しくは→こちらです

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↓昨年秋の内容です。★今だ捜索中なのでこの記事は残しておきます。

もとの詳しい内容はコラムのページで→こちら

 

リュックをなくしてしまいました。残念。

   2015年11月3日 記

オレンジ色に黒のストラップ類で、頑丈なハンドル(持ち手)がついたデイパックをなくしてしまいました。11月25日(日)の夜に小平市鷹の台付近か、あきる野市でなくしたと思うのですが、わかりません。

 

 中に、音楽ノートを3冊入れていました。しかもそのうち1冊はここ2年間ぐらいの、ハーモニーの研究成果を書いた分厚いものです。これが一番くやしい。

 他にはオリンパスの小型デジカメ、ギターにとりつけるカポダスト2個(しかも片方は特殊なパーシャルカポ)。楽譜用の筆記用具類。などなど・・。

 

 もしどなたか拾った方、私に連絡お願いいたします。

こちらです→ generate311-heal○yahoo.co.jp 

○を@に変えてお願いします。迷惑メールに仕分けされないよう件名に私の名前「能勢」と書き添えて頂けると助かります。

 または「お問い合わせ」のコーナーのフォームから送信頂くこともできます。

お近くの交番に届けていただけるのでもありがたいです。

中身をばらばらに散乱して捨てられた可能性もあります。デイパック以外に単体で上記のノートや品々を発見された場合もぜひご連絡お願いいたします。

 

 製品はまたお金を貯めて買うことは出来ますが、音楽ノートを失ったのが悔しい

 もしリュックを拾った人が中身をばらばらに捨てていたとしても、このノートだけでも誰か拾って届けてくれたらいいのに・・と祈っている毎日なのです。

 

   2015年11月3日 記


 

過去コメント再録のコーナーを設けました。

★みなさん、今日は何の日かお分かりですか?

★みなさん、今日は何の日かお分かりですか?今日は終戦記念日です。

  2018年9月2日 記
 え?前回8月15日に同じこと書いたじゃない、と言われるかもしれませんが、本日9月2日は世界的に第2次世界大戦が集結した日として認知されているのです。「対日勝利記念日」です。
海外ではVictory over Japan Day とかV-J Day、またはV-P Dayと呼ばれ、記念切手やコインが発行されました。
終戦時の夏、ポツダム宣言を「黙殺」したために原爆が2発も落とされ、日本各地で無差別爆撃を受けたが、軍上層部や御前会議では終戦の決断ができずグズグズしてどんどん犠牲者が増えて行きました。本土決戦が迫り結局8月14日になってやっと降伏することが決まった。翌15日に「終戦に関する詔書(玉音放送)」がラジオで流れ、国内では負けたんだ〜、終わったんだ〜となるわけだけれど、海外では別にその放送聞いてるわけじゃないですから大きな意味は持ちません。太平洋上の島や北海道の北の島など、日本兵自体に伝わっていないケースもあったのですから。( なお本土に敵が上陸しても民間人含め玉砕するのだと主張して玉音放送を流させまいとする陸軍のクーデターまで起こる始末でしたが、これは以前書きましたので繰り返しません )
この国内向けの日本語放送よりも、ポツダム宣言をやっと受諾して「降伏」するということで、東京湾に浮かぶ巨大な戦艦ミズーリの甲板で9月2日に調印した、これが重要なのですね。
写真やネット動画でも多く見られます。→こちら等
 これだけ大きな戦争になると終結には確固たる手続きが必要。いくら連合国側に連絡だけしても、口約束だけで破る可能性があるからです。しかも開戦時の日本軍によるハワイ攻撃が、宣戦布告前の卑怯な行動とされているため、信用がないから。(本当は宣戦布告の通達は真珠湾攻撃の前に送信済みだったが、大使館での担当日本人が解読・翻訳・伝達をまごまごしたために遅れたのが真実。だがあまり知られていない。一方で米国は独自に傍受・解読して知っていたが卑怯な悪者相手に闘うという大義が必要だったため、伏せていたらしい。米自国民は知りたくない事実。)
 例えば当時ヒトラー率いるナチスは日本と同盟だったが、仮にもし降参しますと連合国側に連絡だけして来ても信じられないでしょう。やはり各地で武装解除した上でナチ本人なりヒムラーなりヘスが正式な場に同席して降伏条件を記したしかるべき書類にサインや調印しなければ、認定できないでしょう。(これをせず、自殺したわけですが)
 というわけで東京湾に浮かぶ巨大な戦艦ミズーリの甲板でマッカーサーや連合国各国代表が立ち会う中、日本からは陸軍、海軍、外務省の代表たちが参列し、外務大臣の重光葵、参謀総長の梅津美治郎が9月2日、署名した。
ちなみにアメリカ軍は、この際にひときわ大きい兵隊を選んで並べさせ、体格的にも優れていることを強調したといいます。

これにて総数8千万人を超える犠牲者を出した大戦が終結したのだ。
それで私は8月15日と9月2日は特別な日としてお経を唱えたり、前後には毎年新たに浮かび上がる情報からドキュメンタリーを元に学んだりします。
その中で、一般的な学校教育や、日常的な報道では伝えられていないけれど、重要なのではないか?と思うことを書いて、みなさんに知っていただきたいと思う次第なのです。

 以前は体験した人がなぜもっと語らないのか、伝えないのか…と思っていました。
でも、よく考えたら戦場で兵士として戦った人は相手を殺さざるを得なかった人も多いから、戦争とはいえその事実を講演などで語るのは、抵抗があって当然なのです。こどもたち相手の会では触れるべきかどうか色んな意味で慎重になるべき。また相手国の人からも恨まれるわけで危険にさらされる恐怖感もあります。
また直接手を下していない人や、民間人で命からがら極限の危険を生き延びた人も、つらく悲惨な体験は長い年月が経っても心を締め付けるのであって、仮にその後家族ができて幸せな生活をしているようでも拭い去れず、夢に出たり、人に話せず苦しんで過ごす方も大勢いる。話すことで何か大切なものが壊れてしまうのではないか?偏見や軽蔑にさらされてしまわないか、自分はともかく家族がいわれのない差別にさらされはしないか、という恐怖もありましょう。
だから講演会や、学校やNPOなどの催し、メディアのインタビューなどで体験談を明かしてくださる方はとても勇気のある方で稀有な存在なのだな、と思います。

★兵隊さんで悲惨なのは、やはり太平洋上の島々やニューギニア戦線で食料も医療も弾薬も供給されず、飢え死にしたり病死したりした人たち。
現在の装備を持ってジャングル入りしても、その高温多湿、スコール、ぬかるみ、吸血動物(ヒル、蚊など)、蛇、など難航するのを、予防注射もなく、ろくに食べられず、疲労困憊に栄養失調状態で、マラリアで死んだ人は多い。
ガダルカナル島では1万5千人、インパールでは4万人、ルソン島では5万人以上が羅患して亡くなった。これは本人も家族も悔し過ぎる死因です。敵と戦って散ったというならばまだしも、食料が届かなくてやせ細って動けなくなり、置いてけぼりになっていったのです。中には靴が豚皮でできているので煮て食べた人もいたということです。やがて空腹の中、意識が混濁していきますう。体力が落ちていれば当然マラリアに対する抵抗力もありませんから、熱にうなされますます動けなくなります。やがて餓死して打ち捨てられ、虫や動物に食され、スコールを浴び、泥に沈み、白骨化していく。そして今も回収されず、ジャングルの中で眠っているのです。日本政府これらを調査、捜索、回収する意識はありません。
生き延びたり捕虜になった日本兵の写真を見ると、ガリガリであばらが浮き出して、ミイラ寸前。敵兵も驚いたことでしょう。いかに司令部が無能で指揮官が思考力不足だったかが分かります。
ジャングルには逆に獲物、食べ物はあるはずなので、一旦無意味な行軍をやめてこれらを採取する方法を確立すればもう少し違ったはず。実際に小野田少尉(ルバング島に29年)や横井さん(グアム島に28年)のように終戦を知らず長年ジャングルで生き延びた人もいるぐらいだから。兵士が倒れていけばそれだけ戦力不足になるということが分からなかったのか。
または蚊に刺されて感染して死んだというのも悔しい限りでしょう。有効な薬のキニーネは不足していたため支給されたのは上官だけで、兵隊は消耗品扱い。このような戦い方の意識で兵器の性能、体格、兵士の数、情報に勝る大国相手に勝てるはずがないでしょう。
ですから終戦記念日にはこうした無念の犠牲者が成仏できますようにと、せめてものお祈りを捧げるのです。

★民間人にも悲惨な出来事がたくさん起きました。
大東亜共栄圏という名目のもと「満州国」(現在の中国東北部)という植民地支配状態で入職してい た日本人は、敗戦と同時に、追い出されます。もともと住んでいた先住の農民たちは土地を取り上げられて差別されて来た恨みを晴らすため、棍棒やナタなどを持って集団になって日本人の家を襲い、略奪します。ほとんどの地域、兵隊に出ていて抵抗できる男性はいません。女子どもと老人だけです。棍棒で顔の形が変 わるほど殴られたり、性的暴行を加えられたり、殺された人も多いということです。
皆で畑の中に隠れて、夜の闇に紛れて少しずつ移動して、なんとか 日本へ逃れる手段を探します。でも港までははるか遠く、交通手段はありません。軍は武装解除や捕虜になって助けには来てくれません。皆さん、もしそのような状況下に置かれたらどうなさいますか?食べ物もなく、怪我人もいる、小さな子どももいる、病気になるものも出る。
 運良く列車に乗れても線路が破壊されて進めない。こういう地域ほど国が引き揚げ対策は遅れて、特にソ連の占領地域は引き揚げに関して全く無関心だったということです。
港まで遠い地域は何ヶ月もケアが遅れて、満州にいた日本人推定155万人、帰国できたのは127万人。
 ある人の告白によると、集団で隠れていたが、年老いた村長さんはじめ、皆で話し合って逃亡をあきらめ、夜の畑でお互いが殺しあう集団自決を行なったということです。といっても毒薬も武器もない。はじめに力のない幼子を首を締めて殺し、大人どうしが首を絞めあって殺すのだそうです。泣きながら、すぐ後から行くからねと我が子の首を絞める母親、そして大人どうしでも、という地獄絵図。しかし生き残ってしまった子どもがご本人で、山の中を隠れ、何日もかけて命からがら港に着いて引き揚げ船に乗って帰って来たということです。
このような体験をした人たちは沢山いて、焼き討ちにあったり、ソ連兵に襲われたり、収容所に捕らえられたり、戦争は終わっているのに、心にも体にも忘れ得ぬ苦痛を刻み込まれて、気の遠くなるような過酷な道のりを経て日本に帰って来た人たち。
 また、生き延びる手助けをしてくれた中国人の人たちも多くいた証言があります。幼子を連れては逃げ切れないということで、子供だけ預かってもらって、後ろ髪 ひかれる思いで引き揚げた人たち。その時の子どもが「中国残留孤児」で、のちに政府が親子再会の手はずを作って船で帰国できた人もいます。もう大人になっ ていて記憶が曖昧な人も。
このように戦争の及ぼす悲劇は戦闘そのもの以外に多岐にわたります。

★同時多発で太平洋上の各島で、中 国大陸で、朝鮮半島で、硫黄島で、シベリアで、ビルマで、フィリピンで、沖縄で、ニューギニアで、極寒のアリューシャン列島で、国内で、悲惨な出来事が起きた。それらのすべてに熟知していなければ意見を述べてはいけないということは無いはず。
それにしてもどう考えたって、巻き込んだ地域が広すぎ る。素人が考えたって、資源のない小さな島が地球上のこれだけの範囲に軍隊を置いて、気候も必要装備も違う地域に適切な弾薬の補充、医療と食料の供給、相 手に分からぬよう正確に連絡して勝つなど到底無理でしょう。現在の技術でも無理。
そして戦場で亡くなった兵士は、実際の戦闘より、食料不足による餓死、ジャングルでの病気によるものが多い。
これはほとんどが軍上層部の作戦ミスや自国軍の兵士をゲームの駒以下にしか見ていないような、人命を軽視した机上の地図上でただ動かすだけ、失敗は隠す、軍派閥での意地の張り合い化かし合い・・・。
高 級軍属、大本営の司令官はどろどろの前線の実地体験がないので、想像力の欠如が著しい。標高の違い、湿度の違い、降雨量、蚊など昆虫の媒介による感染病、 地面のぬかるみによる体力のロス、熱中症、脱水症、栄養失調。むしろ登山家や医師、動物学者など専門家を招集して対策を練るぐらいでなければいけないので はないでしょうか。
こういう無能な指導者、指揮官をポストにつけたことが罪なのです。そういうお国の構造だったのですね。
 今私たちはこういうことを繰り返さないために、全ての被害や戦況を学んでいなければ意見を述べてはいけないということはありませんが、せめて終戦記念日などにじっくり調べてみるのは大切と思うのです。
もちろん洗脳に近い教育によって天皇は神であり、日本は特別な加護を受けているカミカゼの国、と盲信してやまなかった人たちもいて、民間人やメディアも歯止めが効かなかったということは理解しておく必要があります。
当時の子どもたちの絵日記を読んでみると、完全に国粋主義に染まっています。兵隊として戦うのが憧れで、誇りで、兵隊さんごっこをします。伝えられる戦況で一喜一憂します。そして鬼畜米英に捕虜になるぐらいなら自決すべしという「戦陣訓」が叩き込まれていきます。
一方で知性のある人たちは疑問に思いましたが、意見を述べようものなら憲兵に逮捕されてしまいます。非国民と村八分にされた人もいるでしょう。しかし桐生悠々のように堂々と新聞で批判を書いて、「関東防空大演習を嗤ふ(わらう)」を発表するような強者もいました。
また小説家で軍部の命令で、仕方なく戦争を賛美する作品を書いたり、兵士の活躍を書いた者、逆に拒否して投獄された者、軍隊を鼓舞する曲を書いた音楽家・・など芸術表現にも恐ろしい影を落としました。
 こうしたことは知っておくべきです。細かな戦況の変化の日時や、犠牲者数を暗記していなくても、今後意識を操作されないか防御する準備は必要と思うのです。 つまりプロパガンダやミスリーディングに騙されないように、あるいは加担しないように注意を払う必要があること。それは考えもしない手法で意識に滑り込ん でくる。ある時は楽しいイベントとセットで、ある時は前回書いたように新たなストレスを生み出し、それを解決するためにお金を払うという偽りの必要性に よって、あるいは敵のように想定されたものに対する正義という衣をまとって現れるかもしれないのです。
技術や情報の洪水の中でかつてはなかった手法で産み付けられるかもしれない。
だから私たちは過去の出来事を注意深く分析し、記憶にとどめ、結局は人間の根源にある純粋さ、情緒、思いやり、発想の豊かさを持って生きて行くべきと思うのです。

まだ書き足りないことは沢山ありますが、一旦ここで筆を置くことにします。

    2018年9月2日 記
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★終戦記念日に。 人間は自分の日常から遠く離れた内容からは、目をそらしたくなる

  2018年8月15日  記

★人間は自分の日常から遠く離れた、忌避的な内容からは、目をそらしたくなる。
聞かなかったことにする、知らないふりをしたくなる。自分の身に起こったことでさえそうして心の安定を保とうとします。

 ですから遠い過去に起こった想像を絶する悲惨なことごとを、伝えられて真正面から捉えて、解決方法はないのか、と向かい合える人は多くはないです。
学校教育の中で戦争の悲惨さを写真などを交えて教えても、今ひとつ入ってこない。
その理由の1つに、自分が無力で重火器の前にさらされた時、ということを想像できないこと、重火器の威力自体を知らない、ということがあります。
カッコイイ漫画や映画の主人公は、敵の軍団が撃ちまくる弾幕の中でも当たらず、こちらが撃った弾では敵が次々と倒れる。
 もし主人公が撃たれてもすぐ治る。こういうことに慣れてしまっているのです。
チャンバラの昔から「活劇」というものはそういうものとして描かれてきました。
その後、死後の世界でも特訓して生き返る、又は幽霊として参戦する、という設定も登場する。
 ですから一回撃たれれば終わり、やり直しはきかない、という恐怖感が想像出来にくくなっています。
 この40年ほどはビデオゲーム(コンピュータやケータイ、ゲームセンターの機器)では、撃たれて死んでも次のゲームができるのが普通です。格闘技で闘って、残酷に倒されてもすぐ第2ラウンドが始まり無傷のコンディションで再戦します。これを子供の頃から1日に何十回も繰り返し、成長過程で何万回も行う。
これでは「やられる」という恐怖を想像するのは身につかないと思います。
実際に総合格闘技の試合などに出たとして、殴られれば痛いし鼻血もでるし、まぶたが腫れて見えにくくなります。蹴られれば、その激痛に、内臓が破裂したか もしれない、足が折れたかもしれないと動揺します。腕を絡まれれば、肘の靭帯が損傷するかも、首を絞められれば息ができず、死ぬかも、と思います。そうし た恐怖感、焦燥感、絶望感、恥ずかしさ、悔しさ、そういうものがビデオゲームにはありません。自分は柔道や少林寺拳法を学んだことがありますので、想像で きます。
 しかし銃火器では全く通用しないでしょう。遠くから引き金を引く(クリック)だけでお腹に穴が開いたり、頭が吹っ飛んでしまうのですから。
ゲームの中では簡単に続きができるし、相手を弔ったり、家族に謝罪に行ったりしません。
 もしコンピューター側がやられた時に勝手に再起動して再戦して来たら?泥沼の復讐合戦になって終わりがなくなります。そうなれば睡眠時間や、友人との交流、学びの機会は浸食され、肉体的にも精神的にも不健康な状態になるでしょう。
そう、つまりこれらは人間が、「わざわざストレスを作り出して、それを解決したくなる欲望を利用した商売」なわけです。これに踊らされてお金を払い続け、マインドコントロールされている状態ってもしかしたらたくさんない?
ドラマや映画での敵対設定、パチンコや競馬などのギャンブルとか、コレクターズアイテムとか、ジェットコースターとか、おばけ屋敷とか、入手困難なチケットとか。

  パチンコ場に行かなければ「負ける、すられる」という悔しい状態には出会いません。いったんお金を損すると取り戻したいという欲求が生まれ、抜けられなくなります。その中で適度に時々勝たせる設定に なっているので、「ラッキー!運が向いて来た」とか勘違いして続けてしまうのです。でも商売ですから、お客の方が儲け続けるようにはできていません。倒産 しますから。1ヶ月単位、1年単位で使ったお金、戻ったお金をメモしておけばマイナスになっているはずです。そしてその収益は、実は国外に吸い取られていたりします。
有名なアニメの設定やキャラクターなどもこの産業に利用されます。契約すると凄い利益になるため断れないのでしょう。
  かつて「たまごっち」というおもちゃがありました。小型の丸っこい端末のビデオゲームで、架空の生き物を育てますが、頻繁に面倒を見ないと死んでし まったり、凶暴になってしまったりする。そこで子どもたちは常に持ち歩き、育て具合を見せ合ったりしますが、授業中もいじったりするので、学校では困らさ れました。(私はかつて教員でしたので)
さらにこれが、生産数を少なくしたり、出荷を制限したりすることで「欲しい人が買えないというストレス」を生み出し、レアもの感を演出する。
するとお金に余裕のある人は高値でも買うということで、ネットオークションなどで法外な値段で取引される。話題にもなり注目される。ただしこの出品者がBAN○AI関係者でないという保証があるのかな。
     今、似たようなことがあります。「ガチャガチャ」とか「ガシャポン」と呼ばれるカプセルトイですね。昔から駄菓子屋の店頭や遊園地などにあって、お金を入 れてダイヤルを回すとゴロンとプラスチックの卵のようなものが出てくる。この中に様々なアイテムが入っているわけです。かつては文具だったり、おもちゃの 指輪、ガム、知恵の輪などでしたが、やがてキャラクターグッズやミニカー、リアルな動物フィギュアが増えて来ます。似たようなものにカラフルな銀紙に包ま れたチョコの内側にプラスチックの卵型容器が入っていて、開けると色々なアイテムが入っているという、キンダーサプライズとかチョコエッグ、チョコQ等も あります。
本来、何が入っているのかな?というドキドキと、これは何だろう、あ、そういうことかと理解する、という喜びだったので、他にどんなものがあるのかわから ないという、謎も楽しみだった。それがだんだん、こういうシリーズですよという写真付きの紙が封入されていたり、貼ってあったりする。すると「収集癖」が 刺激され、全部揃えたくなる。飾る楽しみ、持っているという所有欲、他の人はあまり揃えられていないという優越感、中にはネット上で写真を披露して自慢す る人もいるでしょう。こうしてシリーズ化したものを揃えたいという欲求が「創られ」ます。
アメリカの「Spawn 」ブリスター・フィギュアの革新(一時期集めました)か ら日本の小型おもちゃ造形も飛躍的に進歩して、今ではコンビニの食玩や缶コーヒーに付属した筒型容器、このガシャポンでも精妙な仕上がりのフィギュアや根 付けが展開されています。ユーモアのある造形、猫に被せるかぶりもの、などなど。ところが販売のおじさんと話をしてみると、そこにあるケースの中でコンプ リートできるとは限らないという。同じものが2回出てきてしまったり、目当てのものはなかったり。すると「ギャンブル性」というものが出てきます。
そしてたまごっち方式で、揃えてあるぞとオークションに出品されて競い合い高額になる。それを高値で買ったことで、所有欲は満たされるがある意味「ズル」 なのでギャンブルでは負けたことになるのだが。この中で、子供が欲しがるアイテムがあり、たまごっち方式で数が少なく中々出てこない。すると子どもは何回 もやってお小遣いを使い果たし、欲しくないものがたくさん手元に残る。かつての仮面ライダースナックのカードみたいなことに。
そこでお金に余裕のあるお年寄りがネットなどで何万円もかけてゲットして孫にこれがあるから遊びにおいで、ということになるのだそうだ。つまり遠くにいる おじいちゃんが孫の顔を見たいが中々きてくれないので、喉から手が出るほど欲しがっているガシャポンを法外な値段で入手して、それを目当てに遊びにきても らうわけですね。これって正常?
出品してる人誰?
このように新たに色々なストレスを産み出してそれを解決するためのお金で儲ける、という手法。これに踊らされるのって寂しくない?
 例えば手の込んだ食べ物で1日にこれだけしか作れまへん、という手作りのお店、行列になって、結局完売でたべられないひともでる。こいうのは仕方ないで しょう。品質が低くなって大量に作るよりも、作り手が納得いくものを丁寧に作っているから数に限界がある、ということ。これは工場で大量生産できているの に出荷を制限して「インチキの希少性という付加価値」を作るのとは違うのだから。つまり何のためにやってるの?という原点が問われる。自分が工夫したこ と、努力を重ねたことをお客さんが理解して評価して、喜んでくれる。その対価としてお金をもらい、生活する。農作物でも、建物でも、演劇でも、漫画でも、 音楽でも!それを、イライラさせる元を作って儲けようというのはどうかな・・。
  話は戻ります。ゲームの世界でゾンビやモンスターを殺しまくる、時には一般人も。この逆の状態を表示したらどうでしょう。モニターの中に自分が選んだ キャラクターがこちらに銃を向けて発砲する、私の胸に穴が開いて血が飛び散る、または大きな剣で切りつけてきて私の腕が切り落とされる、お腹から内臓が出 てしまう。あなたはこういうことをして楽しんでいるんですよ、と認識できる逆の視点。やられる側の立場が想像できるようにするゲーム。もちろん売れないで しょう。爽快なストレス解消にはならないでしょう。
でも、戦争で、どう?無人攻撃機を飛ばして、離れた基地や戦艦の中でビデオゲームのように画面を見て爆撃。もし撃ち落とされてもこちらは生きている。しかし病院を誤爆して民間人やお医者さんがたくさん死んだら生き返りません。
 誰が償うの?どうやって償うの?

・・・・終戦を機にいろいろ「病んでる」な、と思うことに触れるのも能勢流で、私がテニアン島など南太平洋で見たり、現地の人から伝え聞いたスーサイドク リフの出来事や原爆ピットといった実際に見たなまなましい傷跡と関連づけて掘り下げたいのです。一見無関係のように思える事象は実は同じような構造を持っ ているかもしれないとも思えます。

 戦争自体が「ストレスを作り出して、それを解決するためにお金を払わせる商売」の手法じゃないのかな?と感じるからです。

 この続きはまた後日・・・。

家からは近いけれどあまり人の来ない清流の脇で、戦時中と同じせみの鳴き声、水の音を聞きながら書きました。お昼には正座して般若心経を唱え、各地で散って行った未曾有の命の冥福を祈りました。

  2018年8月15日  記

★東北大震災からもう7年


★東北大震災からもう7年 関連死3,647人について考え直す必要あります。避難者はまだ7万3千人。

  2018年3月11日 記
家族・親族を亡くされた方、お悔やみ申し上げます。後年に関連死で亡くなられた方、ご冥福をお祈りいたします。
また、地震からも津波からも被害を免れたのに原発事故によって今も遠く離れた不慣れな土地で暮らす方々の悔しさ、怒り、お察しいたします。

私は3月11日14時56分に黙祷いたしました。毎年、この未曾有の大災害を振り返って、自分の生き方を問いなおすことにしております。
 また、年々世間一般では危機感やいたわりの意識が薄れて来たように思いますので、このページを使って黙祷だけでなく「文祷」もするようにしております(造語ですが)
 亡くなった方1万5895人、未だに行方不明の方2539人という状態です。

震災関連死で亡くなった方が3647人ですので、2万人を超える犠牲者の出た大災害なのです。
 その後土地の高さを2〜3mかさ上げする造成が進み(3県30地区4800億円)、住宅が建てられたり、交通機関が再開してある程度商店が戻った地域もありますし、人口が少しずつ地元に戻っている地域もある。夏に限定的ながら海開きをした浜もあります。一方で未だに故郷に帰れず、失った家や店を建て直せない、放射能汚染によって職業を再開出来ない、鉄道路線の修復が終わっていないところもあります。
あまりにも範囲が広く、土地ごとの事情が違うため十把一絡げに東北は、と言うことは失礼に当たるでしょう。
 ただ、避難者はまだ7万3千人いらっしゃいます。(復興庁調べ)
とても「復興の仕上げ段階に入った」とは言えないと思います。
復興庁のサイトで避難者の内訳を見てみると・・
仮設住宅や公営住宅、民間の賃貸住宅等にいる方が5万3446人で前年度より1894人減、
親族・知人宅が19632人で36人増、
病院等が271人で1人増  
73349人で1857人減
地域別では福島県17189人、宮城県9795人、岩手県8855人なのでやはり福島県が圧倒的に多い。いかに原発事故の影響が大きかったかを示しています。
 また仮設住宅の人が減ったのは強制避難だった地域が解除されたことも多いでしょうけれど、仮設住宅の無償提供が昨年11月に終了してしまったことも関係しているでしょう。必ずしも故郷に帰れたのではなく、親族・知人宅の数が増えていますのでそこへ移らざるを得なかったというケースもあると思います。
★また、毎年書いていますように「震災関連死」で亡くなる方がまだ増えています。
ですから亡くなったことで仮設住宅使用者が減ったという分もあると思います。なんと調べてみたら未だに毎年100人以上が亡くなっているのですよ。
「震災関連死」とは阪神淡路大震災で認識されて来たもので、仮設住宅や移住先の生活環境が悪く、精神的なストレスから睡眠不足、水や食料を十分に取れないことから脱水症状になったり、ストレス過多で心不全が増してしまうのです。
 東北大震災・原発事故の場合は津波や火災で家族が亡くなったことによる精神的ショックや周囲となじめない孤独感、言われない差別、といった過酷な避難生活が長期にわたっています。これは交感神経を緊張させ、血圧が上昇し、脱水も加わり、血液粘度が増して血液の塊(血栓)ができやすくなり、脳卒中・心筋梗塞を引き起こします。
加えて医療機関が遠くなったり交通の不便によって持病の悪化などから体調を崩し、免疫力が低下し、感染症、肺炎のリスクも高まります。さらに高齢者は生きている間に故郷に戻れる見込みが無いという絶望感からの病死や自死というようなケースもあります。
累計でなんと3,647人が関連死で亡くなっています。

阪神淡路大地震の犠牲者が6435人ですから、その半数以上の人数がこの関連死で亡くなっているのです。
 復興庁のサイトのデータを見てみますと、福島県で66歳以上の方が累計1984人と半数以上を占めていることはやはり原発事故の罪の重さを示しているように思います。
半年ごとの調査のpdf書類がありますが、表が非常に分かりにくく、冒頭に書いてある数字とも一致しないので、毎回の報告に文面で書いてある総数を地道に書とめ、前年度との比較を自分で計算して整理しておきましたのでご覧下さい。おどろくべきことが分かってきます。

時期 累計 年間死亡数 経過年数  
昨年9月までで 3647人   6年半後  
29年3月 3591人 119人 6年後  
28年9月 3523人      
28年3月 3472人 141人 5年後  
27年9月 3407人      
27年3月 3331人

242人

4年後  
26年9月 3331人      
26年3月 3089人 401人 3年後  
25年9月 2916人      
25年3月 2688人 1056人 2年後  
24年9月 2303人      
24年3月 1632人 1632人 1年後  
         

   

未だに毎年100人以上が亡くなっていることをみなさんご存知ですか?報道されていますか?
せっかく地震や津波から助かったのに、避難先で無念の死を遂げる方々・・。可哀想すぎます。
1年目は初期の混乱や仮設住宅設営が間に合わないとか不足、不備があったと思いますが、2年後までに2千人以上亡くなって、その後現在までおよそ1000人亡くなっています。
ところが復興庁の書類の冒頭を見ると毎回半年間で亡くなったのは4人とか8人とか書いているのです。いったいどういう計算法なのだろう?これを読んだ人は減ったんだな、改善されたんだなと感じます。対策も消極的になるでしょう。こういうのをミスリードというのではないでしょうか?
続く別表をじっくり見ればおかしいことが分かるのですが。公文書の書き換えとか政府がやりますし・・。

★ところで、福島県各地には、汚染した表面を削り取った土や草木といった「除染廃棄物」を入れた黒いバッグが積み上げられています。今はフレコンバッグと呼ぶそうです。フレキシブル・コンテナ・バッグの略で、化学繊維で折られて1トンほどの収納に対応しているようです。土嚢(どのう)として使ったり穀物や飼料を保管したり、土砂や粉末状のものを運搬するのに使われるものです。
これに各地(福島、宮城、岩手、栃木、茨城、群馬、千葉)で線量の高い地域部分を削り取った土砂などを入れて、膨大な量が積み上げられているのです。4段まで積み上げるとショベルカーが埋もれそうなほど。もちろん袋に放射線を遮断する機能はありませんから、ある場所を除染して線量を下げても、別の場所に集めればそこの線量が上がります。
上や横には汚染されていない土を入れたフレコンを積んで覆って放射線が外に漏れにくくし、その外側に雨除けの巨大ビニールシートをかぶせるということになっているようですが・・・→こちら
私が見たテレビの映像や写真ではただ積んで一面が黒い面積になっているものだけです。→こちら等
 こうした広い「仮置き場」はおよそ福島県で1100カ所。民家や学校に置かれている「臨時保管」13万7千カ所もある。近所の人が不安になるのは当然のこと。
 これらが事故のあった原発に近い双葉町と大熊町で建設中の「中間貯蔵施設」に運び込む予定。そこの収納限界は2200万袋分(東京ドーム18杯分だそうだ)。
ある仮置き場からは8台のトラックで1日3往復160袋を中間貯蔵施設に運ぶという。ということは一台で6袋しか積めないんだね。
この中間貯蔵施設に置くが、そのあとどうするかは決まっていない。
それでこれを「除染」ではなく「移染」だと思っている人も多いようです。
場所を転々と移動しているだけでたらい回し。かといって子ども達もいる生活圏内で高い線量を放ち続けるのを対処しないでおくわけにもいかない。

 私の住んでいる地域で以前ゴミ処分場建設の問題がありました。山の中に新しい最終処分場を作るということで反対運動が起き、長期間に渡る裁判が行われました。これは、その近くの廃棄物広域処分場へ多摩地域26市1町で燃やされた焼却灰や処理された不燃ごみを埋立てていた22haが容量限界になるので、新たに第2処分場を作るというもの。→こちら参照。
 非常に自然豊かな山の森を広大な面積(59.1ha)で木を切り倒して、埋め立て場を作るというわけですが、地面との間に敷いたシート(薄くちゃちなもの)に穴が空き、上にどんどん捨てられて来る燃焼後のゴミからダイオキシンや重金属類等、毒性の成分が流れ出しているというもの。ここの地下水は立川や国分寺の飲み水になっているわけだから、徐々に健康を害する、奇形児が生まれると警鐘を鳴らして抵抗したのです。団体は弁護士を数人雇ったり、都が出したり隠したりするデータを別の科学者で検証して信憑性を疑ったり。ちょうど原発の汚染水問題の小型版のような感じです。
 私は主要メンバーではありませんでしたが、寄付したり山の中で行われたコンサートでPAをやったりしました。母校の武蔵野美術大学の教授もインスタレーション「緑の森の一角獣座」を作って破壊しないようにという活動をしたり、田島征三さんが絵本を何冊も発行してうったえたりしましたが、結局強制失効で都に押し通されました。

    こちら参照
ちなみにこの処分場ではエコセメントというものにリサイクルして各地で建設用資材として活用されています。
これは、運び込まれる焼却灰からでる焼却残渣(ざんさ)や溶融飛灰を使って作るという。1日平均、なんと約430トンも生産していると表示されています。東京駅や東京スカイツリーにも使われたようだ。
これがまた安全なのかという問題がある。

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続きは週末にアップロードいたします。下書きは出来ているのですが数字など間違えないよう確認もありますので、もう少々お待ちください。

Glückliches Neues Jahr! 謹賀新年2018年

Glückliches Neues Jahr! 

 

    2018年1月14日 記

皆さま今年もよろしくお願いします。

本年の目標は・・もちろん引き続き全身全霊で音楽の結晶化に取り組むことに変わりありませんが、「不屈の精神、鋼の心臓」を座右の銘とします。

雑 事、雑音にダメージを受けず、作品に集中する。自分はいわば一種の楽僧、修行僧のようなものですから、精神の汚濁から身を遠ざけて粛々と音の真理を探求、 純化して成果をまとめることに精進すること。これが音の表現によって社会に還元していくには重要。ライフワークを達成する唯一の道なのでしょう。

 

さて、暮れから正月まで、非常に忙しくしておりました。どこのおうちもそうですよね。

私の場合ちょっと特殊なのは、お年始のあいさつとして新曲を作り、年賀状に楽譜をプリントして送るというのをやっています。そしてホームページで「あること」をするとその曲を聴けるという仕組みを作っておき、方法を書いておくわけです。

ライブもCDも間隔が開いてしまっているので、今私の音楽はこういう方向になってますというSheet Music Postcard なのです。海外の友人にはメールに添付して送信します。

いただく年賀状にも「次のCDはいつ?」「ライブの時は知らせて」というお声を頂いているので、近況報告として重要なものなのです。

  また、この年賀曲シリーズはCDには収録してませんしライブでもやらないので、私と年賀状をやりとりしている人間だけが聴けるという「エクスクルーシヴ」 チューンなわけで、応援してくださる方への特典という意味もあるのです。いつかは年賀曲集としてCD化するか、アップロードするとは思いますが。

忘れ去られてしまわないように、作品の進化をセルフレポートしているのですね。

未来的には楽譜ではなくQRコードの画像などをプリントして、スマホをかざすと音が出る、となるかもしれませんが、現時点ではアナログです。

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 また毎年末「こん詰める」たびに火事場のバカぢからというか「ゾーン」(笑)に入って、新たな表現獲得するのです。(ちなみに昨年のバトミントン奥原選手には非常に強く感銘を受けました。) 過去のお年始曲を聞き直すと確かに次の段階へのステップアップになっているのです。

 

 今回もこの15㎝×10㎝ という範囲に入る楽譜にまとめるのが一番の難関で、研究中のたくさんのことから、どれを主体にして何を省略するか、挑みました。

主体とした「無伴奏でも感じ取れる遠隔調への新しい転調方法」は昨年の手法を深めるという事で、ここに半音階旋律と跳躍を組み合わせる方法、ハーフディミニッシュ前後の新しい連結、少ない跳躍で和音進行を感じさせる方法、オルゲンプンクト(保続音)でクロマティック進行やエンハーモニック転調、部分無調性、単旋律擬似2声などを少しずつ残し、切ったり、組み替えたり、調を変えたり、と実験を繰り返しました。かつ曲として新鮮さ、楽しげな生命力も出すのをおろそかにしないように。

  いつも短い曲の中で工夫を凝らすということではシューベルトの「Heidenröslein( 野ばら)」が心の中にあります。はじめに提示した主題が2回目にエキゾチックに変化して・・・詳しくは次回書きます。

    毎年12月中旬からこれに向けて徹夜続きでヘトヘトになります。しかも楽譜のスペースは、縁取りに若干の装飾、挨拶の言葉のマージンも空けますから、実際は14㎝×8㎝ぐらいになります。長い曲にしてしまうと縮小して読めないぐらい細かいものになってしまうし、プリンターの解像度を越えてしまいつぶれ気味になってしまう。

和声に興味があるのでピアノの2段譜で記したいところですが、小節数が半分になってしまう。そこでジャズでよく使う「リードシート」式、つまりメロディーを5線譜に書いて、上にコードネームを添えておくという方法を使う場合が多いです。

 ところが私の設定した和音をきちんと記すと、例えばB7♭13#11/A♭、E♭aug△9/G、というテンション表記になってしまい、相当ジャズをやった人間でなければ弾けませんし、音楽大学出身者でも無理でしょう。

  興味がもっとポリフォニックなものになると、これだけでは表しきれませんから、音符の棒を逆方向にして2パートを書き込むべきですが、見づらくなるし、果たしてこれを見て弾く人がいるのだろうか、ということになっては無意味です。

ここが悩みの種なのです。海外のグリーティングカードぐらいのサイズなら、まだ自由度があるのですが。そこで和音自体のテンションは少ないが転回形、分数コードを連結する事でシンプルにする方法を編み出しました。

しかし困ったことに、印刷する段階でプリンターが不具合を起こす(かのEpson)。高いインクを買って交換して、テストプリントしてヘッダー調整してまたテストプリントして、やっと刷れんのかというところで「◯色のインクが少なくなりました、交換してください」だって。この繰り返し。今まで2台使ってきましたが同様。しかも黒に2種類あるうちの片方フォトブラックだったり、色ですらないグロスオプティマイザー(透明コーティング、不要なのに!)だったりする。ふざけんな、2度とエプソンは買わない!この作業で今までどれだけ睡眠時間とインク代を失ったか。

 結局以前ギターを教えていた方が買い換えるのでと寄付してくださった、古いCanonのプリンターを使わせて頂いています。ネットで対応の安いインクを入手して。

それでもドライバーソフトが現行OSのものがないので、工夫して、と風前の灯火。本来はレーザープリンターが必要なのでしょう。レッスン時の資料やコンサート時に渡すパート譜も綺麗にプリントできるし滲まず、CDジャケットも教則本も再販が希望されているギターノートも作れるはずです。

  ソフトも以前使っていたイラストレーターが、今のOSでは動きませんが、買い直そうとしてもフォトショやウィーバーなど全部セットのものを買わなきゃいけなくなっていて「法外な値段」。ほんと、あこぎな商売しますね。だから無料ソフトをダウンロードして使うわけですが、代表的なGimpはテキストツールで日本語が使えないときている。

それで他にレイヤーが使えて日本語テキスト入力のできる描画無料ソフトを探し、結局マンガ原稿用のものをダウンロードしてやってみました。

・・・と全てがブレーキベクトルで、私のクリエイティヴな活動を止めにかかってくるわけですが、精神力と睡眠削減で乗り越えるわけです。まあお金があればもう少し楽なんですが。

 事務所に属していませんから、プロモーションとしても、ある音楽家が生きた記録としても、この年賀状新曲は一大イベントで取り組みます。まあ極真空手の寒稽古のようなものです。

  かといってあまり、教条主義的に、完璧主義、強迫観念的になりすぎないように気をつけたほうがいいのかもしれません。(いや、すでになってんじゃないのってわけですが)

 

 ということでお年始曲作曲、年賀状プリント、音源のアップロード、あて名とコメント書いてから発送、と七転八倒し、1枚のハガキにしか見えないかもしれませんが、膨大なエネルギーが詰められているのです。これがひと段落してやっと私の1年が始まります。

 

★他には、ドイツの親戚に、ウィーンの音楽家とやりとりしているメールを添削してもらったりして、やはり日本のドイツ語教本の信用しすぎに注意しないといけないなと勉強になりました。

 

★あと、久しぶりに地元の同級生とセッションしました。

小・中学の同級で、高校時代は一緒にバンドもやったギターの友人ですが、当時私はヴォーカルでした。ゆったりできる広さにギター、アップライトピアノもある羨ましい環境で、今回は私がピアノを弾き、彼がギターを弾きながら歌ったりしました。あくまで遊びですが、こういうドメスティックな環境での小編成でもハーモニーを高めていけば良いアンサンブルになるはずです。日本ではあまり行われないでしょう。カラオケが日本の生音楽を殺したと言ってもいいですね。

各地のピアノ教室の先生がコードの読み方やさまざまな伴奏パターンを教えるだけで状況は激変すると思いますが、やらないですね・・・。題材にすべき日本の歌曲がないというのも原因ですね。アメリカならカントリーやフォスターの歌曲、フォークリバイバル以降のフォーク、カーペンターズやバカラックなどのポップス、1900年代初頭からのミュージカルや映画の曲などがあるし、イギリスならブリティッシュ・トラッド、もちろんビートルズ、ケルト民謡、スキッフル、ダスティ・スプリングフィールドらのヒット曲、フランスならシャンソンやルグランの映画主題曲、イタリアならカンツォーネ、ブラジルならサンバ・カンソン、サンバ、ボサノバ、ロマンチカ、MPBなど。つまり電気楽器やドラムが無くても国民の多くが口ずさめる曲ですね。そうしたものは家庭や酒場、パーティー、学校の放課後等でピアノやアコーディオン、ギターの伴奏で歌われてきた。年代を問わず浸透しています。これが日本にはないのですね。

この問題はまた別の機会に詳しく書きます。

 

★さて、昨年は私のライフワークでもある音楽と自然について、バランス的に植物の性質と近づけました。学生時代から常に絡めながら活動してきましたが、恒常的に管理しながらというのが難しいのです。現在はハーブが寒さに弱いので家の中に入れて簡易ビニールハウス的にして、夜は不織布をかけています。東京ですが家の中でも0度になりますので。果たして春になって復活してくるか・・?

    このテーマというのは入れ子をひとつ外に行くと「芸術表現と宇宙」ともいえます。弦の振動は空気を震わせ、聴くものの鼓膜を通して耳小骨を揺らし、リンパ液の中の細胞が電気信号として蝸牛神経に伝達され、脳に感情の変化を引き起こします。時には鼓動や血流の変化をもたらし、健康に影響を及ぼすこともあります。これは食べ物が体内に入り、エネルギーになると同時に筋肉細胞や骨、神経細胞の材料となることに似ています。汚染されたものを多く摂取すれば、新陳代謝に寄って汚染された肉体に傾き、汚染された精神を生み出し、悪循環を招くことと似ています。

つまり良い振動を伝えるには私が汚染されていない状態でいる必要があります。シューベルトやバッハ、ショパンなど素晴らしい作曲家の作品が今も心に響くのは、こういうことが関係していると思います。Devotionですね。

 これが私が精神を磨き、筋トレをして、語学の努力、自然へ耳を傾ける理由でもあります。

ただし、時間がかかります。その分、成果があがるまでお金もかかります。

鍛錬、集中、積み重ね、あるのみです。

 

具体的には、今年は★鍵盤の習得にもっとエネルギーを注ぎ、★ギターは前回書いたような変速ハープチューニングの活用、★クラシック音楽の専門書の勉強(前回書いたような古代脚韻ーメトゥルムーダクテュロス ,アナパイストス,イアンボスなどがどのように旋律に反映されてきたのか、対位法の元になった定旋律はどこからきたのか、近代以降Olivier Messiaenのmodes of limited transpositionを使った和声法、チェレプニンの9音音階,LevyのNegative Harmonyなど) を深めつつ、★木管楽器のジャズ的室内楽の作曲と実現に結実させる。これが目標。

 

 長いスパンのものなのでそれほど昨年と変わりはしませんが、資料を国立図書館から取り寄せたりネットから翻訳したりするようになってきました。買うとお金がかかりすぎるからです。ただし届くまで時間がかかるのが難点で、持ち帰れない場合も多い。音楽大学の資料室も使えればと思います。ドイツ語で原書を読めるようになるともっと加速できるのですが・・・。

そして発表にはインターネットの活用も促進しようと思います。

  さらに他にも竹の弦楽器の完成、ハーブからの精油抽出、庭の収納の修理、11弦ギターを修理して練習、ロングネック・ギターの再活用、録音システムの効率化、3rdCDの完成、語学の強化(ポルトガル語、イタリア語も)、録画してある各分野の講座の勉強、ヴォイストレーニング、5弦フレットレスベースを再活用してギターとの新しいアンサンブル法、サックスの練習し直し、教則本の完成と販売、ヒグラシ録音の編集とCD化、インターネットラジオ録音物のライブラリー化、不要物のオークション出品など整理、4月には自動車の車検、HDDデータの重複を解消してデフラグし、どの端末からでもアクセスできるようにする、テレビの録画DVDに焼いてHDD容量を空けられるシステム作り、レーザープリンターを導入、オリジナルギターノートを増刷して販売、ゴダンのGR信号でVP-9000を使った表現、などなどやるべきこと、なさねばならぬこと、なんとかせねばならないこと、なせばなること、やれば道が開けること!など沢山あります。

でも1番の優先事項は良い作品を作って、インターネットで発表することです。

「不屈の精神、鋼の心臓」です。

それでは皆皆の者、お互いコツコツ頑張りまっしょー。

 

Schönen Jahr noch. Bis bald !

 

              2018年1月14日 記

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大晦日!

★大晦日だす!ぐは。    

        2017年12月31日  記

今年もあっという間でしたね。

この間までセミの鳴き声の中タンクトップで汗だくになって竹を加工したり、虫さされ対策でハーブを育てて成分を抽出したりしていたのに。

なんか今年は急激に寒くなった感じ。そして雨も多かったので、あまり青空の下で秋を満喫することが出来なかったように思います。

でも晴れた日はとっても空気がおいしいです。

 

★さて更新がだいぶ久しぶりになりました。

主に通信環境の変化でいろいろエネルギーを使う必要があったのと、もらい事故で車の修理に1ヶ月以上というのがとどこおった原因です。あと各種保険の見直し。

 メインで契約しているDion( 現au One net )がホームページ公開サービスを10月いっぱいで終了、というので、徐々にこのJimdoサービスに移行していたのですが、完全に移りました。

そ のためもともとアップロードしていた膨大なコンテンツを自分のMacにダウンロードする必要があったのですが、FTPソフトで作業していた古い Mac(G4)が起動しなくなってしまい、さまざまなパスワードがわからなくなってしまいました。そこでau One netに問い合わせて本人証明して郵送で送ってもらったり、これが種類に寄って別便になったり、かなり手間がかかりました。

そのコンテンツをJimdoに移植しようとしたら、今度はJimdoがログイン方式を変えてきた、という感じで手間取りました。

  また、20年ほど使って来たPHS(携帯電話)、運営はウィルコムから現Yahooモバイルになっていたわけですが、ブラウザーを一切使っていないのに請 求が極端に高くなる月が時々あって、あまりに信用出来ないので解約しました。問い合わせても誠実さが無く、「Yahooモバイル以外」でiPhoneに変 える計画を遂行したのです。驚いたことにこんなに長期継続していたのに、やめると損になるという要素が無かった。まあ、ひどい会社ですね。正式キャリア (通信会社)の劣化版なんですね。みなさんお気をつけあそばせ。

 熟考の結果、出先で調べものやメモが出来て、録音も出来て、デジカメが今 手元になく(理由は以前書きました)写真や動画を手早く撮影出来て、自動車運転中に道に迷った時地図として使えたり、渋滞を回避する役にも立ち、レッスン 時に伴奏音源を鳴らすことも出来るし、自分の作品を聞かせることも出来るし、PHSサービス自体が削減されていくことになっている風前の灯ということ等か んがみて、さすがにスマートフォンが必要になってくると判断しました。(その他アドレス帳や目覚まし時計代わりにもなっています。電話は5分まで無料。)

音楽作品を世界に発信するためにも必要な機材と判断して、Yモバは解約でキャリアもので契約しました。

 コースや条件などよく調べてからにしないと、2年縛りがありますし、割引は1年目だけだったり、不要なオプションを自動でつけられてしまったり等、セー ルス勧誘情報が大半で真の情報を得て試算するのは結構難しい。端末本体だけ買って格安SIMというのが対抗馬でしたが、キャリアでは売っていないので Appleで買うか中古を探すかです。Appleで買うとやはり高いし、中古もかなり探しましたがiPhone6はあるが6S以降が少なく、あまり安くな らない。と、以前書いたようなことをネット、実店舗、店員情報と調べて比較し、検討に検討を重ねた結果、iPhone7で安く運営する最善策をひねり出し て移行しました。

 同じキャリアでも店舗によって割引サービスが違うので実際に何店舗も回って試算したりしました。特典の商品券分も換算に入れて。そして同時に自宅でのイ ンターネット接続を無線通信方式のものに変えると割引になるのですが、固定電話も無線通信に出来るモジュラーが安く提供されだしたので、思い切って全て切 り替えました。これによって今まで払っていたNTT料金は不要になります。つまり自宅でWi-Fi電波でネットも固定電話も出来る状態になり、携帯も含め て番号を変えずに済んで、毎月の割引要素に出来たというわけです。さらに不要になるPHS端末を下取りに出すことで、毎月わずかながら割引になりました。 移行にかかる手数料も無料の方法で。これらの総額を24で割って2年分の毎月の平均を出して比較したのです。けっこう時間と手間がかかりました。

★10月にセブンイレブンに車を止めていた時にセブンイレブンの商品搬送トラックがバックして来て追突されました。両者怪我はありませんでしたがバックドアがへこんでバンパーが傷ついてしまいました。昨年末も追突されてなおしたばかりなのに。当然100 : 0であちらが全部修理費を負担してくれるわけです が、私のダークグリーンの部品がディーラーで生産中止で、中古で探すことに。しかし同じ色のものが出ないので、他の暗めの色のもので探して塗装しなおす と。これに時間がかかりました。

 次に修理工場に出すにあたってラウムを空っぽにして、ある程度掃除するのでひと作業かかる。修理期間は代車になるわけですが、このヴィッツがひどいしろ もので、まずCDドライブが無く常に勉強するドイツ語や英語などをかけられないし、研究すべき音楽CDが聴けない。自分の作った曲はCD-Rに焼いて音質 等チェックするのですがそれもできない。ラジオも感度が悪く、とぎれとぎれという具合で語学番組やFM番組を聴くことが出来ない。走行系もアクセルペダル を軽くしか踏んでいないのに、時おりエンジンが「ゔお〜〜」と不意に回転数が上がる。そのくせ馬力が全然ない。オートロックではないので乗る時は常に鍵で あけ、降りる時は運転席にシンクロしないためそれぞれのドアでポッチを下げていないといけない。こういうイライラって精神を削られる。私のラウムは両側ス ライドドアなので、出張レッスンのときギター等をすぐ降ろせるが、ヴィッツはいちいち後ろに回って後続車やスペースに気を使って開いて取り出したり載せた りしなければいけない。その他、筆記具等すぐ使うようなものは普段定位置に入れているのが、方法を変えなければいけなかった。(こういう不便さって、相手 の負担でレンタカーに変えられると後で知りました。私の保険会社の担当がだいぶ力量不足で、肝心な情報が得られなかった。)

 そして1ヶ月、やっと修理が終わって返還する際、空っぽにして掃除してガソリン満タンにして返すと言う作業が必要。なおったラウムに今度はもとの状態に 復元、つまり筆記具や語学CD、記録簿、楽譜類、ティッシュペーパー、地図、雨具やトレーニングウエア類などを使いやすいよう配置しなければいけない。職 場との往復に使うだけの人と違って移動事務所でもあるので、手間がかかります。

 また、この事故・修理に関連した連絡を、保険会社、相手の会社、工場と何度も自分で電話しなければいけなかったり、都合の悪い時間にかかって来たりしま す。とにかく加入している保険会社の担当者が今一でイライラさせられたり。最後に工場への支払いは相手が行うけれど、保険を使わずやるというので示談書が 郵送されて来て証明やはんこを押して返送したり・・。こういうことがこまごま積み重なり、いちいち作曲や研究、入力を中断しなければいけない。

 私が行う作曲とは出来合いのフォーマットでイージーに踏襲するのではなく、新しいハーモニーの方法論を開拓したり、音階自体をあらたに設定したりしつ つ、同時に西洋音楽1000年の進歩をしかるべき資料で調査し、演奏実技や読譜力、コンピューターのハンドリングの技量も常に切磋琢磨しなければいけない ので、「深い領域」に入るには集中できる環境でまとまった時間を確保しなければいけない。画家や彫刻家と同じようなものです。もともと私の過失ではないも のなのに、ちょこちょこ中断しなければならなくなる、何時までに電話しなければいけない、というのは、腹立たしいし、芸術活動としても精神衛生としてもダ メージを受ける。これは制作活動に没頭したことの無い人には理解出来ないことですね。

 それで年末に保険の更新なので解約して最近のネットで加入する格安のものに変えるか、または人身障害の額を下げたり車内携行品の保障をカットして額を下 げるか・・などまた電話したり調べて、変更しました。またこれはこれで慎重に検討しないと、教員時代に入っていた協栄生命保険が、他の保険会社の破綻があ いつでいたので大丈夫か大丈夫かと何度も確認したら「大丈夫、傾いて来たら他の保険会社が支えるという会社自体の保険で支え合うシステムになっているか ら」ということでしたので、退職する時に解約しようとしたら、破綻しました。ウソつき。(現ジブラルタ生命に)。そのため積み立てて戻って来るはずのお金 が極端に少なくなった、というのがあったため慎重になるのです。

 ということで更新が滞りましたが、晩夏以降をざっと、近況報告的に↓。

 

★秋にはウィーンから毎年訪れてくださる木管五重奏団の 演奏がとても勉強になりました。私はギタリストですが、いざ電気のない状況、被災地等では音量的にほんの少人数にしか聴かせられないという楽器の特性なの で、管楽器のアンサンブルを研究しています。管楽器なら完全にアコースティックで表現が出来る。ところがこの編成でジャズやブラジル音楽などやっている人たちは世界にほとんどいません。ドラムとベースを入れずに可能なのか?ジャズの和声をやるには5声は必要なので難しい。サックス5重奏では時々あるようで すが。今年の演奏曲ではモーツァルト等クラシック曲以外に「チコチコ」「メイプルリーフ・ラグ」などリズミカルな曲もあり、編曲が参考になりました。

 この人たちと今年も交流を持つことができてクラリネットとファゴットの二重奏曲を作って献呈したり、ドイツ語でメールをしたりしています。首席奏者や音楽大学の教授もいます。

 

★毎年恒例で美大の芸術祭で弾き語りライブをしました。「Just Way You Are」など。研究室に自家製の梅酒や杜仲茶を提供したり。

 

★ 図書館で音楽構造の専門書や語学の本を取り寄せて勉強したり。国会図書館にしかない本も取り寄せられますが、来るまで何週間もかかり、持ち出せないのが難 点。しかしなかなか情報の無いトロカイオス、ダクテュロスなどのメートゥルム(古代言語からドイツ語等に受け継がれたメロディーのリズム単位)について調 べたりできました。自分では独自に作曲やアドリブの構成要素として音型を分類していましたが、やはり古代の人も形式を分類して叙事詩や旋律に使っていて、 それがクラシック音楽に受け継がれていたと分かりました。ゲーテやシラーもこれを踏み台にしており、ベートーベンやシューベルトもそれを曲に使っているわ けですね。まあ、君の味方だよ〜、幾千のォ〜、会いたいぃ、をコピペするちぇ〜ポップとは次元が違いますね。

 

★一方ドイツ語能力はなかなか深まらなくて、安全策的に英語も勉強。テレビの洋画やドラマなどの音声を切り替えて聞き取れるかやったり。英語で書いた分をドイツ語に翻訳したりその逆をやったり。古本で受験英語の参考書を入手しておさらいしたり。

年末に他の市の図書館も広域利用で登録して文法解説書や会話例などCD付きでたくさん借りられました。

 

★音楽実技面ではゴダン・ギターをハープチューニングにしたり。

変 則チューニングで何通りか構築してます。「モザイク」「ナッシュビルⅡ」など編み出しましたが、弦によってオクターブを変えるにはゲージも変えなければい けませんから何度も張り替えて、調も替えて実験するので大変。ネックに妙な負担がかからず、弾きやすさも考慮したり。これで対位法はやりやすくなるけれ ど、ジャズ的なアドリブは難しくなる。いずれアイバニーズの7弦に応用しようという計画です。

 

★紅葉の変化を定点観測で撮 影したり。(これは綺麗に撮れているので、動画として連結したりして後日Neighbor Nature Everのコーナーにアップロードします。以前これを分解写真のように年賀状にプリントしたら好評でした。iPadの導入であらためて美しい自然の変化を 観察・撮影しました。)

 

★日常的には資料用にクラシックを中心にジャズ、民族音楽と語学をインターネットでMacに毎日録音して曲目や作曲者データの編集。テレビは放送大学の語学、音響と大脳生理学との授業、芸術論、錯覚や記憶に関して心理学、等を録画してかいつまんで勉強。

 

★ギターや作曲法、即興理論とエクササイズの教則本原稿を書き進めています。pdfでネット販売か、レーザープリンターを導入して自分で印刷・製本するか?・・

 

★鉢植えで育てているハーブ・が元気なくなっちゃった。

秋 にいったん元気がなくなって葉っぱがしょぼしょぼしていた後、復活してみずみずしい葉っぱも増えて来ていて安心していたんだけど、上記のいろいろなこと やっているうちに、しなしなのカサカサになっちゃった。庭の木や公園の木は落葉樹以外いつも元気なので木ッてすごいなー、この寒さの中風にさらされても、 雨を浴びても大丈夫なんだなすごいな〜強いな〜という印象をもっていたので大丈夫と思っていたのですね。・・ごめんなさい。

そりゃそうだ、 最近は氷点下になってますので。夜帰って来て懐中電灯あてると地面がキラキラ光ってきれいだけど。朝なんか車の屋根とフロントガラスが真っ白になっている 時がある。家の中も寒いので冬物だしてきたり寝袋など自分が凍えないよう対応策やっていたら、わっさわっさに茂ってたミントもあっという間に枯れかかっ ちゃって、しまった!

今は室内に入れて簡易ビニールハウス的な状態にして養生してます。さらに夜には不織布をかけてます。

春に復活するかな?いい香りはしているので。

 

★ 昨日パンク修理しました。おとといの夜イオンモールの駐車場に止めて食糧買って戻ったら、左前タイヤがぺちゃんこになってました。んがックク。スペアに替 えて自走して帰り、今日までのタイヤ館でぎりぎり修理して前後のリプレイスもしました。どうも釘が刺さったようで。ああ〜もうこんなのでいちいちブレーキ がかかるんだ。

 

★あとは体力トレーニングで、走ったり腕立て、シャドウボクシング、体幹トレなど。腹筋の時もジーブン・ウ ント・ツヴァンツィヒ、アハト・ウント・ツヴァンツィヒ・・とドイツ語で数えるようにして頭と体と同時トレしてます(笑)。でもシューズがぼろぼろで、 ジャージもまともなものがないので重ね着を工夫したり最近は手袋して。準備に手間がかかるとおっくうになりがち。

 

★Ohkiii〜Dooooki、それではまだこのあと年賀状作業に掃除、除夜の鐘付きと石仏周りするので、このあたりで。あ、年越しそばはさっきゆでて食べましたよ。野菜と豆腐もゆでて。

それではみなのもの、良いお年を。

 

            2017年12月31日  記

 

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