Heal-jam   by SHOJIRO NOSE      music and insight


このサイト「ヒールジャム」はアーティスト能勢 祥二郎のページです。音楽と自然の関係、環境と人間の生き方を中心軸に、個人レッスンのギター教室、ジャズ理論、時事コラム、季節の自然の写真などのコンテンツを記しています。携帯電話やスマートフォンでは横棒のある小さめの枠が左上等に表示されると思いますので、そこからたくさんのコーナーへリンクになっています。     Since  2000 Dec.

新年あけまして

    おめでとうございます

  2024!

 

 

 おめでとうと祝うには、昨年は戦争が悪化してしまい、自然災害・異常気象も頻発で、ひどい状態ですね。

 人間のモラルと行動力がさらに問われる時代になって来ました。せっかくパンデミックの厄災から脱したはずなのに。

 更にはテクノロジーへの対応や情報の虚実を見分ける能力も必要とされるようになりました。

わたしは除夜の鐘を突いて穏やかなコーダが来るよう祈りました。

 今年こそ平和に近づき、人種間・宗教間の対立や領土欲・地位欲が弱まることを願っています。

 宗教が戦争の理由になったり道具になるなんてひど過ぎるんです。

「歴史は繰り返さない。だが韻を踏む。」と言いますが、昔からこの対立は繰り返されて来ました。

 私からすれば

「歴史はコーダの無いダ・カーポ。そしてクレシェンドをともなう。」

です。つまり音楽に例えれば、終結部が無くいつまでも反復する無限ループの曲だ、しかも徐々に強くなるばかりというわけです。このままでは復讐が復讐を呼び、また2千年憎しみを増大させていってしまう。

 宗教とは本来、病気や飢饉、迫害などの苦しみから救われるためのものだったはず。なのに、かつて迫害された民族が逆に迫害したり侵略したりするとは。何の躊躇もなく殺りくを繰り返し、国連も止めることができない。

 さらに金儲けやサギの手法になってしまうなんて。心の救いへ導くはずのものなのに、逆に心の苦しみを増大させてどうする。しかも強要されたり洗脳されるのでなくそれが正しいと思いこんでやってる者も多い。まさに悪魔の導きに気付かないうちに同調し、破滅に向かって敷かれたレールの上をまっしぐらに下って行くようなもの。誰が気づかせるのだろう。気づかせられるのだろうか。もし気づいたらブレーキをかけるのだろうか、そしてつぐなうのだろうか?

 

 わたしは除夜の鐘を突いて般若心経を唱えて祈りました。石仏の並ぶミニお遍路をお参りしてそれぞれの真言(サンスクリット語のマントラ)を唱えてお願いしました。

 何とか平和への終楽章が訪れますように。自分にできることは何か?・・

考え、行動して行きたいと思います。

              2024年元日

     

   (あとで少しコメントを書きたそうと思います。)

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↓ は前に書いた分です。

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ヒグラシの時代

   2023年7月16日up

今日やっとヒグラシが鳴いた。(7月9日)

普通だったらこれだけ暑い年はもっと早くに鳴き始めるのだが・・。

ということで、予定を少し変えて、今回はショートで。

 

みなさん勘違いしているようでヒグラシが夏の終わりに鳴くものと思っている人が多い。

夏の終わり頃はツクツクボウシです。

ヒグラシが朝と夕方に鳴くので涼しい時に聞こえるという印象で夏の終わりと勘違いしているのだと思う。ヒグラシは暑い年は6月から鳴き始めます。

梅雨の開ける頃、始めに聞こえるのはニイニイゼミです。

ミンミンゼミがミンミン鳴くからといってニイニイゼミがニイニイ鳴くわけではありません。

持続音でチーーーーーと鳴きます。まあニイィーーと聞こえる人はいるかも知れませんが。

青い空にチーーーーーと聞こえたら夏が始まるという合図。

でも、普通の人は気にしない。あまり特徴が無いから。

実はハルゼミなど小さなセミの仲間はすでに鳴いているのだけれど、知られていないし「セミ的な」鳴き声でないので気づかない。

で、その次に来るのがヒグラシなのです。

だからチーーーーーを気にしていない人にとってその年の初めにセミと気づくのはヒグラシなのです。

それなのに夏の終わりと思っている人が多い。

本当は6月の終わりから鳴き始めることも多い。

それが、今年はこれだけ暑いのになかなか声が聞こえなかった。

そしてアブラゼミらしき鳴き声が聞こえた。おかしいな。

アブラゼミはジワ〜〜〜と鳴く。やはり長い持続音だがよ〜く聴くと素早くチキチキチキチキ・・

鳴き終わりに途切れとぎれに。私はなぜかバルタン星人が思い浮かぶ。鳴き始めにジーわジーワジワジワじわジぃ〜〜とエンジンをかけ始めるときのように鳴くことが多い。鳴くのはオスだけでお腹の中にある固い膜を「鳴筋」という筋肉で引っ張ったりリリースしたりして震わせるのだけれど、調子を整えるのかもしれない。人間が歌ったり講演の前にうほんと咳払いするようなものかな。

ニイニイゼミも暑くなるとびぃィ〜〜と大きい音になってくる。

通常ならヒグラシが鳴き始めてから7月の終わりから8月、いわゆる夏休みまっただ中で精神的気温を上げるヤツですね。

でもヒグラシがなかなか聞こえないのでおかしいな〜と思っていたのです。

実は鳴き始めると本格的な夏が始まってしまうので、「まだ鳴かないで〜」というのが本心。

なんというかこの間まで寒かったのに、「まだ暑さ対策出来てないよ〜」というのと、たんに「汗かくから暑いの嫌だよ〜」というのと、「ヒグラシの鳴き声の録音作業に明け暮れる毎日が始まる〜」というのが理由。

私のHPを読んでいる人ならご存知と思いますが、私は学生時代に木の上で寝た時に一種の神秘体験をしていて(笑)、UFOに連れ去られそうになったのかもしれないのです。

短く言いますと、真っ暗闇の中、UFOとしか思えないヒュンひゅんヒュン・・という回転するような音が3方から聞こえて来て空から近づいてきたのです。宇宙人からすると「なんで木の上に人がいるの?」としばらく私の様子を観察しているような感じ。恐すぎて眼を開けられなかった。気配ではグレー系の小さい宇宙人が近くまで来ているように感じた。目が合ったら嫌なので狸寝入りしていたのだ。謎の音はしばらくしてから飛び去って行って、アブダクトされずに済んだ〜というわけですが、本当に宇宙人だったのか、定かではない。

その時ひゅんひゅんと別に回りにバックグラウンドでミュワ〜〜という持続音があってそれも神秘性に拍車をかけていた。こちらはまわりをとりかこんだ山々にいるヒグラシが一斉に鳴くと空中で混じってオルガンのような持続音で響く、というのは判明した。他の土地でも山が深くて少し離れて聴くと同じ現象になる。毎年あちこちで聞いているよ。

しかしメインのヒュンひゅんヒュンがわからないんだ。

 それもセミの鳴き声なのかを確かめるべく、毎年ヒグラシの鳴き声を録音しているわけなのです。

みなさんあまりご存じないようですが朝夜明け前頃から鳴き出すので、聞こえ方でUFOのように聞こえたのかな?というのと、セミは地中に4年ぐらいいるので、ある年にあらわれる一族は、その前の年のものとは違うのです。地中でトンネル掘って木の根をちゅーちゅー吸ったりして生きているので「別の年族」と出くわす可能性もあるが、成虫ではないので交尾はしない。

海外には「整数ゼミ」というのがいて、7年や11年ごとに大発生します。彼らは間の年には一切現われない。

 だからヒグラシも次の年にUFOの鳴き声ではなくても、別の年にその特徴の一族がまた出現するかもしれない。ということで毎年録音することになったのです。

ところが極力同じ木のところで録音するのだが、同じような音は録れない。

 しかもそのサクラの木の下は後輩の学生達が大きな穴を掘って生ゴミ用にしたり、「泥プール」で子ども達と遊ぶ為に大きく掘って水を入れたりと繰り返しているので、土中で死んでしまったり追いやられてしまった可能性がある。UFO族が土中で3年過ごして脱皮し、来年地表に出るぞ、というところでザクザクやられた可能性が有る。

また、その鳴き方をする一族が、そのサクラにしか生息していなくて、他の地域にはいない完全な固有種というのは考えにくい。

 それで夜明け前の真っ暗なうちに出かけて茨城県笠間市や町田市の森、八王子の山奥や水源地、あきる野市の日の出山の尾根などで録音してきたのだけれど、いっこうにあのUFO音系は録音出来ない。明け方に家の裏で弱々しく鳴き始める時に少し似てるな、と思うときがあるが、あの迫力ではないし、すぐニイニイゼミやアブラゼミがビいぃぃ〜とさえぎってしまうので確かめられない。

やはりセミではなく本物のUFOだったのか?

と思い始めている。

 唯一可能性のあるのは、動物が木の上にいるので威嚇する為に出した珍しい鳴き方?セミは木の枝に小さな穴を掘ってたまごを産みつけるので、それを守る為に敵愾心を抱いて遠ざけようとして、とか。

む〜、無くはないが、大きい鳥やら猿やら似たようなシチュエーションはあるはずだが、これだけ録ってもないというのは・・・。

 あの時、眼を開けて確かめていればこのような事態(笑)にならなかったのだが、もし眼を開けてグレイと目が合ってしまっていたら誘拐されたり、何か埋め込まれたり、記憶を操作されたりという世界中でおこっている事件になっていて現在こうしてはいられなかったかもしれない。

 現在朝はまだ弱めで短めだが、夕方は演たけなわになってきている。果たして今年は出会えるのか・・?

 

★演たけなわといえばウィンブルドンがいよいよ決勝。

今はフェデラー黄金期の頃ほど見ていないのですが、男子は20歳でランク一位のアルカラス(アルカトラスでは無い)が見応えあっていよいよジョコビッチと頂上決戦。世代交代か?君臨継続か?

女子はサバレンカ選手が負けてしまったのが残念。あのギリシャ彫刻をしのぐような姿が力強く駆け巡るのはそれだけで人類の至宝と思っています。足長過ぎ!背筋の美しさ、研ぎすまされた表情のお顔、もしミケランジェロが生きていたらモデルになってほしいと頼んでいたと思うよ。

 

まだフランス大会の事件についてで続きがあるのだけれど今室内が36℃!なので、涼しいところに行って作曲して、戻ってからアップします。では、後ほど。

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↓前回書いた内容です。

★追悼ジェフ・ベック

 

 今回は前に書いた素晴らしいシンガーMorissetteAmon(モリセット・アモン)さんの楽曲ごとのリンクと合わせ詳しく書く予定でしたが,大変なことが起きてしまいましたので、そちらを先にアップします。で2回に分けるかも。ごめんねMori。期待してた人すいません。

 

 私のギター・ヒーロー、ジェフ・ベックが1月10日に亡くなってしまったんです。ショック!愕然。ショック!悲しい・・御年78才とはいえ昨年までご活躍で新しい表現も開拓し続けていたのに・・。

 私は今でこそ3.11原発事故以降、電気を使わず演奏する方法を模索し続け、ギターには限界があると感じ木管五重奏を中心に掘り下げているので、ある意味今と全く正反対のエレクトリックで未来的なジェフの表現ですが、魅了され聴き込んでいました。若い頃アコースティック・ギターからエレキ・ギター中心に移った時、非常に影響を受けたギタリストです。

 高校時代、武道館に来日公演を見に行きました。2009年も横浜に見に行った。

かたや若い頃の全盛期、かたや再評価期。

 そのジェフ・ベックのご冥福を祈って追悼特集をしたいと思います。

 ちまたの一般ニュースでは取り上げられないのがいかに日本の文化が浅いか浮き彫りにされます。

 やたら芸no人や大人数でないとなりたたないアイドルや大量消費インスタント曲を取り上げる番組やニュースが多いのに、この偉大な音楽家の訃報を取り上げない日本の文化レベルがバレるというものです。

3大ギタリストの一人、ITで言えばスティーブ・ジョブズが亡くなったのと同次元なのに。

 海外では多くのミュージシャンが追悼を捧げYoutubeにもR.I,P.投稿が次々挙げられています。

 私はかなりラジオもチェックしますが音楽番組でもピーター・バラカンさんの番組とか一部の番組しか特集を組みませんでした。パーソナリティーやディレクターの知見の低さを物語っていますね。

 現在ロックやポップスで使われているさまざまな技法、例えばボトルネックでメロディーを弾く、アームアップをたくみに操作する、ハーモニックスをメロディーに取り入れる、ヴァイオリン奏法、フィードバック、ノイジーな効果音を楽曲に溶け込ませてしまう、トーキングモジュレーターで歌詞があるかのように表現する、ピックを使わず弾く、歪ませたトーンでないのに音が伸びる、タッピング(ヴァン・ヘイレンとは違うシンセのトリルのような手法)がジェフにルーツがあることを、若いバンドマンは理解出来ていないんだね。また「ロックインスト」が成り立つということを確立したのもジェフなのに。

 つまり自分がやっていることが孫かひ孫の劣化コピーなのに、始祖を知らずさらに進化した恐ろしいレベルでつい最近まで現役だったということもわかっていないのです。

 また、みな気づいていないのですがギターの技法だけでなく、どうやって歌なしのインストをロックとして成立させるか、つまりちまたにあふれているインスタントなヒュージョン(笑)やエレベーターミュージックではなく、悪ッい子のおッんがくだっぜェ〜スピリット(笑)を失わずスタイリッシュに成立させるかを成功させた。

それはロックやファンクも演奏したしジャズを追求してきた私でも見落としがちなこと。商業スタンスの中でやるには→覚えやすいメロディーがあります、綺麗なハーモニーの伴奏があります、分りやすいリズムにのっていますみたいなことを常識にするし、それは間違ってはいない。                 ところが「悪ッい子のおッん・・(笑)」でやるには教科書通りとかクラス委員長のようなものに反する方法論を持たなくてはいけない。これが皆なかなか思いつかないのだ。だいたいリフが繰り返されている中で弾くか、ファンク伴奏にのせるかになっちゃう。

ではジェフの曲はどうなっているのか?それはヤン・ハマーやトニー・ハイマスの力が大きな役割を果たしました。さらにその背景にはジョン・マクラフリンマハヴィシュヌ・オーケストラで開拓したことが欠かせない。そしてもちろん名匠ジョージ・マーティンのディレクションも大きい。このことはおって解き明かしますので、曲を進めながら。                                    そしてさらに見落としがちなのが「逆に」歌が入っているのに独自のコラボレーションを行う、という点です。通常ならイントロや間奏を弾く、歌の最中は邪魔しないように伴奏する、というのがクラス委員長の規範だ。凡庸なギタリストはそれをめざす。もし歌の切れ目が長めのところ(デッドスポット)があればオブリガートやフィル・インをいれるぐらい。アレンジャーがカウンターを書いていれば指定どおり弾く。洒落っ気のある達人だとライブでは「コール・アンド・レスポンス」に引きこめるかも。 ところがジェフの場合、伴奏でも同じパターンをずっとは繰り返さない。歌に絡むようなフレーズで有機的に絡む、など変則的にアプローチする。このある種お行儀の悪さ、落ち着きの無さが面白いのであって、「悪ッい子のおッん・・(略)」テイストなのだ。他の人と替えがきかないわけだ。ロニー・スコット・ライブでも味わえるし、B.B.King御大との共演でもやっちゃう。これもあとで述べましょう。 こうしたことを50年も前から切り開いてレコーディングやライブを残してきたことを思えば、自分の成果がいかにちっぽけかと思い知らされる。

 

★さて、ジェフを紹介する時おそらく多くの人がアルバム「Blow By Blow」「Wired」を筆頭に上げると思います。このピックアップで間違いは有りませんが、まるでレコード紹介本やポップカルチャーの歴史本でたくさんのアーティストを紹介する中にジェフのわずかなページで代表作としてあげてるみたいなもんです。しかも古い情報や「また聞き情報」で。                             私はちょっと違う角度で紹介したいと思います。バラカン方式ならぬ「能勢さん方式」で。       というのは、特にネットでこの5年ほど宣伝の多いブログが多く、読み進むのに本人も誰が撮ったか知らない写真の宣伝がこれでもかというぐらい挟み込まれ、(間違ってクリックしてアフェリエイト収入が入るようにしてる姑息さ)ネットニュースなどでも「お前ほんとはろくに知らないだろ」というライターがさわりだけ書いたものが多くてヘキエキしているからです。 逆に専門誌がやたらうんちく自慢のようにこの時のレコーディングはどこで誰と仲が悪かったとか、ドタキャンした、とか知りたくも有りません。そのくせどういう経緯でUPPメンバーとテレビ出演やアルバム客演しているのに「Blow By Blow」でジョージ・マーティンがリチャード・ベイリー,フィル・チェンと組合わせたのか書いてあるものを見たことが有りません。こういうことにうんざりしている音楽ファンやミュージシャンが結構いると思うので、それにお答えしようと思うのです。つまり音楽家が成し遂げようとしていることは音楽の中にあるのでまずはその内容で掘り下げたいのです。そしてしっかり演奏技法も。

   それがジェフに捧げる私なりの供養です。

 まず○○期と分けて順には紹介しません。本人なら、かいつまんで聴かれるなら若い頃の未完成なものより、これはうまくできた、という独自のものを聴いて欲しいと思うに違いないから。 これは、画家でもスポーツ選手でもそうでしょ?もちろん録音時の周囲の、あるいは世界的な音楽事情は関係してきますので多少は触れます。作品や演奏の価値に関わりますので。 またあまりにもレアなマニアック音源ではなく、発売されていたり、Youtubeなどで試聴出来るものを中心とします。

 

★私のこのページを読んでくださっている方々は音楽に詳しかったり文化的に広い知識をもっている人が多いとは思いますが、ロックはあまり聴かない、若い人等ジェフを知らない、功績も知らない、下手すると音も聴いたこと無いという場合もあり得るので、そういう人たちに紹介する意味と、かつてはよく聴いたが一時期から聴かなくなった、とか近年の作品聴いて驚いた、という「中ぬけ」一派も再発見できるような、兼ね備えた方法で音源や映像を紹介して行きます。 通常はヤードバーズなど古い音源から歴史に合わせて紹介することが多く、ジェフ・ベック・グループがなんとレッド・ツエッペリンの原型または異母兄弟などと触れたりするのですが、それらとは違う、ギター道バカ一代、エレキギター表現をここまで拡張した、という面に焦点をあてたいと思います。 ジミヘンばりに歪んだ轟音で爆発的なブルーズ・ロックを弾く暴虐武人なギターギャング、という印象ではなく、まず「声のかわりにリードギターで歌を歌う人」というような印象を刷り込むというぐらいの若干悪だくみです。

 奏法や音楽構造にも触れますので楽器をよく知らない人や、逆にアレンジャーやプロデューサー系の人も「そういう事なのか!」と楽しめる内容にします。(そのかわり長くなるよ!) 活動歴の長さと作風の変遷から簡単にベストトラックは選べませんが、とにかく異次元と言われる彼のギター音色を中心に行きますよ。 あえてあとに解説を書きますので興味の有る方は動画視聴のあとに読むか、先に読むか選びましょう。読みながら見るのはオススメしません。なぜかというと音に集中できないのと、ジェフ独自の巧みなアームさばきやパーム・バイブラート、ヴォリュームノブ・コントロールを見逃してもったいないからです。今どうやった?なんでそう鳴るの?満載なので。

  ちなみにリンクした映像は小さい窓で見るより右下に表示される四角マークをクリックして全画面にするか、YouTubeロゴをクリックして、Youtubeのページで視聴することをお勧めします。

 また、ブラウザによっては初めや途中にいまいましいCMが自動的に流れてくることがありますが、右の他の動画(どれでも構わない)をいったんクリックしてからブラウザの戻るボタンで戻ると解決します。または追加機能で宣伝を回避するアドオン(プラグイン)を入れておくとか。

一番お勧めするのはブラウザを優秀なBraveをインストールすることです。やかましい宣伝から解放されます。

 

★さて、これから行きましょう。

オペラのアリアで“Nessun Dorma(眠ってはならぬ)です。

 Jeff Beck Nessun Dorma Live At The Crossroads Guitar Festival, June 26, 2010

  ロックギタリストの紹介なのにぅぃきなりオペラ?と思うかも知れませんが、伸びやかで情緒たっぷりで感動的!この雄大さに驚くことと思います。  今までロックギタリストがクラシカルな曲をもとに演奏した例はたくさんありますが、これほど豊かな音色で広がりを持たせたものはありません。まさに名演! これはアメリカで行われる「クロスロード・ギター・フェスティバル2010」に出演時のものです。野外ですごい観客数。  アリアというのは劇中でろうろうとメロディアスに印象的にうたわれる歌曲で、歌手の腕の見せ所、これだけを個別にコンサートで歌われることもあります。(逆にセリフっぽく音程感があまりなく歌われるのはレチタティーヴォといいます)

この「眠ってはならぬ」はいわゆるクラシック・クロスオーバー(クラシック曲をマイクでバンドで歌ったりアンビエント的なアレンジで歌ったりする)でもよく取り上げられる曲。しかしエレキギターのインストで表現するとは。  ギターがすでにまさに歌声になってるんですね。映画「フィフス・エレメント」じゃないけど宇宙人が来て熱唱してるような感じ。  ちなみにドラムはあとで紹介する“Red Bootsのあのイントロ叩いた人で、マハヴィシュヌ・オーケストラ第2期のナラダ・マイケルウォルデン。ヘヴィーな音で手数王という手法を切り開いた人と思うよ。(一方でR&B,POPフィールドのプロデュース業でも手腕をみせ、アリサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストンをヒットさせグラミーまでとってるという2刀流。現場にもどってきた〜みたいな。)

ベースはロンダ・スミスでタルちゃん(後述)のあと、かなり長期間サポートしてます。なんとエレクトリック・サイレントベースでアルコ弾きしてます。(クラシックのように弓で弾くこと) やはり一流には一流のプレイヤーを配することが大事ですね。  ちなみにこのフェスはエリック・クラプトンが自分の麻薬中毒体験から、治療の為のチャリティーで始めたものでクロスロードとはブルーズの神様ロバート・ジョンソンの曲名から来ています。1999年、2004年、2007年、2010年、2013年、2019年に行われています。B.B.King、バディ・ガイ、ロバート・クレイ、ジョン・メイヤー、ボニー・レイット、デレク・トラックス、といったブルーズ勢だけでなくジョン・マクラフリン、アラン・ホールズワース、など錚々たる面々が出演。 アメリカのギターマニアやブルーズ愛好家が集結する祭典!  そこでろうろうとアリアを奏でる大胆さ(笑)。通常で考えたら彼の“Brush with the Blues”や、古い時代の“Jeff's Boggie”をやれば大ウケなんだけれど、安易にそこに行かず、今とりくんでるヤツ聴いてほしいということなのでしょう。(それでも今から12年も前ですよ!)   ジェフは2曲弾きますがその2曲めです。1曲目もまさにロック!という感じで素晴らしく、ワウワウで始まってかなりラウドなものでジミヘンをアップデートしたかのような、ダイナミックなジェフを代表する演奏とも言えますが、今回の趣旨ではこちらのみを。客席の歓声がその感動や驚き、賞賛を物語っています。

スタジオ・アルバムでは「エモーション・アンド・コモーション」2010年(65才時!)に収録。  予備知識ですがこのアリアはジャコモ・プッチーニの有名オペラ「トゥーランドット」からのもので、あらすじは美貌の姫トゥーランドットに求婚する男は、三つの謎に答えられなければ処刑されてしまうというもの。冷酷な姫は、かつて祖先の美女ロウ・リン姫が異国の男に騙されて非業の死を遂げたことに対し復讐心を持っていて結婚などしないという。  国を追われて身分を隠して放浪中の王子カラフは姫に一目惚れしてしまい、求婚に挑戦する。そして三つの謎に正解してしまう。それでもトゥーランドットはなお結婚したくない。(わっがままァ〜)  そこで今度はカラフが姫にひとつだけ謎かけを出す。「夜明けまでに私の名前をあててください。そうしたら私は潔く命を断ちます」そこで女王はどうにかして名前を知る必要があるので国民に誰か知るものはいないのか、今夜は誰も寝てはいけない、この者の名前が分からなければ皆死刑にする、というおふれを出す。(超わっがままァ〜)そこでカラフが勝利を確信して歌うのがこのアリアなのです。

 100年ほど前の作品です。プッチーニが完成度にこだわりを見せ発案時から4年ほどかかり、最後は未完成のまま亡くなってしまう。なので劇の終盤はプッチーニの草稿をもとに弟子が補筆して完成に至ったのです。

 この曲はルチアーノ・パヴァロッティの名唱で広まって、世界中でセールスを記録し、あの「三大テノール」活動のきっかけになった。フィギュアスケートでも使われます。「テルマエ・ロマエ」でも(笑)。

 ん〜ストーリー的にはこれ、デラわがままなんじゃないの?って感じだが、古代からスフィンクスとオイディプスなどの謎ときものがあり、この「謎かけ姫系」はペルシャに伝わる物語の一類型で1100年代の叙事詩に原型があるそうだ。(ちなみにペルシャやイランに伝わる物語の本を読んだことがありますが、とても面白い)

 これがヨーロッパ世界に紹介されたのが1700年代で、ここですでに600年経ってますね!その後ウェーバーが100年後の1800年代初頭にオペラ化、ブゾーニもそれから100年後の1900年代初頭にオペラ化してます。でプッチーニ版が初演され、さらにその100年後にこのジェフ・ベック版が演奏されたわけです。

 ですからヨーロッパに登場してから300年以上、原型からはなんと千年の歴史のあるものなんです。この、時の積み重ねをしても私が常々日本の「エセ洋楽」が浅はかという意味がお分りいただけると思います。

 こうした周辺知識を知っていてもいなくても心を揺さぶられるジェフの伸びやかなトーン、そして最後のかき鳴らしにロック魂が集約されています。日本ではストロークといってますが本当はstrumming (ストラミング)といいます。ロバータ・フラックの歌詞にも出てくるでしょ。そのまさに魂をかき鳴らされるような劇的なstrumming!指よ裂けよとばかりに「アgaGaごごご・・!」お行儀のよいエンディングではなく「悪ッい子のおッん・・(再)」的で、ダダをこねるような、あるいは慟哭のようなstrumming!

それは劇の最後に冷酷だった姫が理性を越えて魂を揺さぶられて改心することに呼応するかのようです。

 長い?(笑)ここまで掘り下げるのが能勢方式ですから。

 

★次はこれ。“Where Were You

1989年「Jeff Beck's Guitar Shop」収録

  まずアルバム・バージョンをできるだけヘッドフォンで聴いていただきたい。

映像は動きませんので目をつぶって。幽玄でどこか切ない宇宙空間を味わって欲しいのです。

短い曲なので、そのあと下記のライブ・バージョンをご視聴ください。すると、え、こんな風にやってたの?あそこはこうしてたのか、という発見が楽しめます。

Where Were You - Jeff Beck

 アルバム邦題がただ「ギターショップ」で、この頃ギター・ワークショップというレクチャー的な企画ものが国内でもあったので、ベックも正式アルバムでなく何か企画ものなのかな?と勘違いしていてあまり重視していなかった。その前のアルバム「フラッシュ」が歌もの系でこのあたりから今一疎遠になった人もいると思う。私的にはその前の「There And Back」が好きでそのまま宇宙的・未来的インストを高めて行ってほしかったのでちょっと肩すかしだったのかも。若かったし。

 が、調べるとグラミーでベスト・ロック・インストルメント賞を受賞している。日本でも9位まで行っていたんだね。

収録の“Big Block” は後にライブでもよく演奏してます。ホンダのCMで使われた曲も有ります。

 それでこのアルバム中の“Where Were You”を紹介しますが、この頃からハーモニックスやアームをがっつり旋律に組み込んだバラード系という手法が確立したのだと思う。彼のバラードはBlow By Blow中の「悲しみの恋人たち」(後述)が有名で、コピーしたギターキッズも多いのですが、それがしっとりした人情系だとしたらこれはもっと硬質でソリッドなもの。音質は全く違うけれどウェイン・ショーターやマイルスの世界に近いかも。宇宙人の人情、みたいな。ん?人じゃないから人情とはいえないか。もし宇宙にも詩があるとしたら宇宙人がポエトリー・リーディングしてるような状態。

 

 一応説明しておくと「ハーモニックス」とは弦の1/2, 1/4, 1/3などの「死点」に指を触れてピッキング(はじく)すると出るオクターブや5度上等の高い音を出す奏法。「死点」とはブッソーですが弦や空気の柱、長細い固まりなどが振動して音を発する時に振動が反転するのにいったんゼロになる地点。長さを整数で割った地点に現われます。

よく振動している腹の部分を触ってしまうと止まってしまったり弱まってしまいますが、この死点は触っても振動はとまりません。それで木琴・シロフォンの各木片が糸を通して次々にぶら下げてある穴は長さの1/4の2カ所です。鉄琴の金属が乗せてあるのも。

 この地点を通常のように強く押さえるのではなくそっと触れて弾くと倍音の高い音が出るのです。ブリッジ近くをピッキングした方が出やすい。ヴァイオリンでもフラジオレットといって協奏曲で高度な技法で登場する。 

サックスにも「フラジオ」というものがある。(弦と同様に管楽器も「気柱」で振動するので)

 通常は発生しやすい半分の12フレット(oct上)、1/4の5フレット(2oct上)、1/3の7フレット(5度上)を使い、他の弦で同様の場所で鳴らして出る音程と組み合わせます。もしそれ以外の音が必要な場合は、左手で押さえたフレットからブリッジまでの長さでこの3種類の場所を見つけて右手で工夫して弾きます。アコースティックでもチェット・アトキンスが達人。開放弦とも混ぜると「ブロー式ハーモニックス」になりますが別の機会に。

 で、ジェフはこれを2フレットや3フレット付近で特殊な倍音を出すことの開拓者です。今ではヘヴィメタでも使う人が多いが、ディストーションで歪ませて出やすくした状態で効果音として使う場合がほとんど。ジェフはライブでクリーントーンでも出すし、主旋律として組み込んでいるのでとてもリスキーです。

さらに「ヴァイオリン奏法」と組み合わせて使うことが多いのでさらにリスキー。

 この「ヴァイオリン奏法」または「ヴォリューム奏法」とは、ヴォリュームをゼロにした状態でピッキングしておいて、あとからヴォリュームを上げるという方法です。ぅにゅウぅっと入ることでピッキング時のアタック音を無くして、延ばせばちょっとカントリーやハワイアンのペダルスティール的なニュアンスにもなります。

 これをロックで歪ませた音色でやるとヴァイオリンのように感じるというわけです。足下のヴォリュームペダルでやる人もいるがジェフはギターについている手元のヴォリュームノブをたくみに回す。

 「悲しみの恋人達」ではイントロから使いまくります。これはテレキャスターの使い手であるロイ・ブキャナンに捧げると明記してあります。「メシアが再び」で使っているからね。(テレキャスターとは照れやさんのニュースキャスターではなく、Fender社のギターの種類名。トレブリーな音色でカントリーでよく使われる。これをジェフはギブソン製のピックアップと組み合わせて通称「テレギブ」に改造したりしていた。ネックだけ交換したりとかイクイップメント面でも革新的だったのですね。これは後述する自動車いじりと関係します。)

 

 それでジェフはこの「ヴァイオリン奏法」を実音だけでなく、ハーモニクスをピッキングしておき、あとからヴォリュームを上げるのでフィーーーという口笛のような高い音や、ヒョーンという鳥の鳴き声のような音を出します。宇宙船が飛来して来たかのようなイメージにも。

 で、これを鳴らしやすい12フレットや7フレットではなく、はっきり鳴らすのが非常に困難な2.8フレットを組みこんだりするのでさらにリスキー。うまくやらないと音量上げたら音が出てなかった!ということになりかねない。

ライブではさすがのジェフも時々こうなっており、すぐさまリカバーしていますが、ギターに詳しくないと気づかないかも。

 また、さらにこのハーモニックスを弾いてあらかじめ無音状態でアームアップ(またはダウン)で音程を変えておき、ヴォリュームが上がって来ると同時に動かすという離れ業も織り交ぜたりします。リスキー・キング!

 アームアップとは、トレモロ・アームを音程が下がる方向とは逆に引っ張り上げる方向に操作する方法。通常はギターの弦を止めてあるブリッジ部分をテコの原理のように動かして張力を弱めて音程を下げます(本当はWhammy Barといいます)。ベンチャーズのワう〜んーですね。これを逆方向に動かすと張力が増して音程が上がるのですがデフォルトのストラト・キャスターではボディで止まってもとの状態にもどるだけで不可能。フロイド・ローズのユニットなどに付け替えないとできない。そこでジェフはもとのブリッジなのに浮きあがった「フローティング状態」に改造することで両方向に操作できるようにしてあるのです。(私もやってある)

 ところがこれを、たんに効果音でポルタメント的に連続的音程変化させるのではなく、途中途中にブレーキをかけてしっかりメロディーに当てはめてしまうわけです。これを先述の3フレット付近のハーモニックスやヴォリューム奏法と組み合わせて演奏するので大忙しだし精密さと耳の反射神経も必要なのでさらにさらにリスキーなのです。リスキー・エンペラー。

 まあやっている人は他に思い当たりません。

それではライブ版の方をご覧あれ。

 

私はジェフはある意味「ハーモニックス・マニア」と言えると思います。スティーヴィー・ワンダーの名盤「Talking Book」に、“Lookin' for Another Pure Love”でゲスト的に参加していますが、左チャンネルを注意深く聴くとメロディーをハーモニックスでなぞっている。

 長い?(笑)まだ宵の口ですぞえ。

 

★さて泣きのインストが2曲続いたところで、歌とのコラボレーション行きます。        有名な「Super Suition」邦題「迷信」のライブです。

Stevie Wonder and Jeff Beck Perform "Superstition" at Rock and Roll Hall of Fame 25th Anniversary 

 これはジェフがB,B&A時代にやっていた曲。ベック、ボガート、アピスの3人のハードなバンドで来日公演のレコード(日本のみ発売)も大人気で、私も高校時代コピー演奏しました。

で、作曲はスティーヴィー・ワンダー。これにはいろいろ経緯があって、まずイギリス人のジェフはブルーズやソウル、モータウンレコードなどアメリカの黒人音楽にご執心だった。それでスタッフの紹介でスティーヴィー・ワンダーのレコードに参加することになって、モータウンのスタジオに行っていた。で空き時間に遊びでドラムを叩いていたんですね。そうしたらスティーヴィーが入って来て、「お、いいグルーヴだね〜」と気に入ったんだ。ジェフはいやいやこれはただの遊びだから、とやめようとしたら、「いや、そのまま続けて!」と言ってクラビネット(リズミカルな演奏むけのエレキピアノの機種、チェンバロの音が伸びにくくなったような音)でリフを刻み始めた。

そうしてまさに「セッション」をしていたらアイディアが湧いて歌も入れ始めて、スティーヴィーは、む、ここからはお金の発生する仕事だ、となった。それでスティーヴィーは完成した曲をジェフにプレゼントしたのです。

 それでそれをもとにB,B&Aバージョンで演奏したのだけれど、モータウンではこれいい曲だな、あげちゃうのもったいないな、ってことになってしまってスティーヴィーのバージョンを先に発売してしまったんだ。

それでジェフはどう思ったか分からないけれど形としては裏切られたような感じに。

 それで後に、スティーヴィーは代わりとして後述の「悲しみの恋人達」を贈ったらしい(でもこれは当時の奥様の歌手シリータのアルバムのために書いたものなんだけど・・?もう一曲「セロニアス」を書いていて、クラビネットも弾いているがクレジットはされていない)

 とにかくそうした経緯があってジェフのハードロックテイストの「迷信」とスティーヴィーのソウルテイストの「迷信」と2種類あるんです。どちらもかっこいい。

 で、ここではスティーヴィーのライブにゲストとして登場し、ソウルテイストのバージョンにジェフの宇宙的ギターが加わるという究極のバージョンになってるんです。ロックンロール・ホール・オブ・フェイムの25周年ライブでさまざまな有名アーティストが各自ライブしたり共演したりしています。スティーヴィーは8曲ぐらいやっていてその最後にこれをやったわけです。

 登場してジェフとスティーヴィーが有名なリフを弾くかっこよさ!サビの半音進行からオチのひと節に行くわずかなブレイクに強力なハーモニックス&アームの高音「きゅおお〜〜っ!」からの低音「duぉwWo〜⤴︎」の戻し。なんというか一刀両断!みたいな。

  そのあとのソロでの、グルーヴ重視の中音から始まってクリケット奏法(後述)の連打、ボトルネックのフレーズを模したかのようなフレーズに少し下の音程で答えるようなセルフ・コール&レスポンス(笑)、からシンセのトリルを模したかのようなタッピング(左手で押さえておいて右手の指で素早くトリル)に素早くハーモニックスのキョイ〜っ、ぶフぉーんの「音響奏法」(後述)を挟んで、泣きのロングトーンからブルージーな3拍フレーズ×4でずれていくトリックで緊張感を作ってからのStrumming(前述)でストレートに盛り上げて、サビの半音進行にシンプルなペンタトニック音階フレーズの終わりを♭5にしてしまい(ディアボリング・造語・後述)、強力ハーモニックスのアームアップで「pぃYuおwoO〜〜!」の雄叫びロングトーンでしめくくり、リフに戻る。みごと。この短いスペースに縦横無尽にさまざまな要素を組み込み、好き勝手に弾いているようでしかし起承転結にかなっている。にもかかわらず優等生っぽく感じさせず

  悪ッい子のおッんがくだっぜェ〜スピリット(笑)

なのがシビれるわけです。ホーンも入ったフルバンドなのに、はっきりと浮かび上がって来る音色。多くのギタリストが輪郭のはっきりしない歪ませた音色で「ぼっくだってぇ〜」早弾きするのとは一線を画するぞい。

 

次はこれだ!

"Blue wind” 邦題「蒼き風」名作「Wired」B面の1曲目。

 インストに戻るよ。今はB面といっても伝わりにくいけれどもレコード盤を物理的に裏返してターンテーブルに乗せ、針を落とした時に鳴り始める音で、ワクワクして始まる第2幕、みたいな感じ。

 ジェフはこの曲、当時のライブではよくやっていてすごい演奏がたくさんあり、ブートレグでも素晴らしいものがあるのですが、今回の特集ではyoutubeにリンクを貼るスタイルで、単独のものがなかなか見つからない。

 それでまずはオリジナルのレコード盤を聴いていただきましょう。

映像はジャケット写真で動きません。

やはりできるだけヘッドフォンで聴いていただきたい。パン(楽器の左右の配置の聞こえ方)に工夫がありますし、ドラムのドライな音色が面白いので。

Jeff Beck - Blue Wind   (1976)

 イントロの、「だ〜ンだァー・だらダッター」で始まる複音メロディーがとても印象的。これはリディアンというファが半音上がった音階で作られているのでエキゾチックな感じがするのです。この複音の一方だけちょいベンディング(日本ではチョーキング)している、ギターならではのカントリー的技法。未来的なのにどこか土着な香りを残していて私は感性としてだいぶ影響を受けました。

 後ろでハイハット・シンバルが「ツクしーツクしー」とシンプルに刻むけれど6拍子に

4拍子がはさみこまれるようになってる。6拍子も3+3とも4+2とも捉えられる。(詳細を後述)

 またドラムがツったんツったんではなくタッつくタッつくで入って来るのでん?逆?とトリッキー。

 テーマに入る直前のシンセが跳躍アルペジオにエコーかけて、ひPiら・きゅPiら・・と上昇する感じは宇宙的で、のちの曲でも時々あらわれます。

そしてスティーリーなテーマメロディーに入りますが、頭抜き(1拍めが休符)なのもトリッキー。

 ヤン・ハマーのシンセとあえてわずかにずれたり重なったりするのがカーレースの抜きつ抜かれつを彷彿とさせてスピード感を出していますね。

ここでもクラス委員長のようにぴったりユニゾンにしたり、ていねいにハモリを平行したりしない。どれがシンセでどれがギターか判断しにくい箇所もある。この頃、ヤン・ハマーはキーボードなのに音色もフレーズもロック・ギターのように弾くというのを確立しており、一方でジェフもアームやベンディングを駆使してシンセサイザーのようなフレーズを弾くのを開花していたため、独特の類似性が発生しているんだね。

 またこのスリルは落ち着いて分析すると、ひと区切りのメロディーが半分のところで低音フレーズに分断させられることも影響している。バッキングで「がががががががが」と刻んでいるのがドゥイーdaドゥイーdaドゥロどぅんダっターと毎回挟み込んでくる。

 これは黒人音楽のコール&レスポンスを低音に取り入れたとも言えるよ。

そして語尾が上がって行くのはまるでレースでマニュアルのギアを一つずつあげて行くかのよう。そして最後の上昇フレーズが「ンたッたッたッきゅおーwo〜」とOff beat(裏拍リズム)ノリになるので、出だしの「タッつく」「入りの頭抜き」というOn beatノリに対してオチをつけてまとめているわけなんだ、これに気づいて欲しい。みごとハマーってるわけです(笑)。

 そしてアドリブパートでは、独自ハーモニックスで「ココここ・キキかか・・」と不思議な音を使います。ライブでは顕著に使います。私は彼のアプローチを分析する時、いくつか通常と違う把握の仕方が必要と思っています。そしてこれは「音響奏法」と名付けておきます。つまり具体的な旋律や、コードにフィットする音ではなく、どこか、窓の外から聞こえて来るような音。かといってたんなる効果音(たとえばベンチャーズのテケテケ・・とか)ではなく、フレーズとして音楽の一部で成立させてしまう。

 クラシックの教科書「楽典」では冒頭に、音には音楽に適した「楽音」とそれ以外の「噪音(そうおん)」がある、と書かれています。その「そう音」なのに「楽音化」してしまっているのですね。

 この系統ではタイプライターの音を取り入れたルロイ・アンダーソンや大砲の音を取り入れたチャイコフスキー、ピアニストが演奏せず観客が動揺してざわめく音が曲ですというケージ(!)などありますが、ジェフはあくまでも手弾きで、楽器のしくみから導きだしているというところが画期的なわけです。また、あたかもでたらめやっているようで実はリズムとの関係を利用しているのだ。ある意味音程感付きの打楽器(コンガスやタムタム、ティンバレス、へピーキなど)のソロの作り方に似ている。

 ソロパートに入るとベースは例の「ドゥイーdaドゥイーdaドゥロどぅんダっターをモチーフに繰り返してコール&レスポンスではなくバッソ・オスティナートになる。これも隣で別の車が走って競っているようなスリルを感じさせる。

 また、コーラスの合間に毎回空間があるのが、バスケでゴールして攻守交代でリスタートする感覚を彷彿とさせる。そして1拍少ない。気づいてる?

これは楽譜で通常の4拍子で書いていったならラスト小節だけ3拍ということ。オリジナル盤ではこの3拍部分にFill in を入れている。だけれどブレイクに入ってからは7拍なのでそこだけ7/4拍子と捉えた方が取りやすい。

 これによって1,2,1,2とビートを感じていると2,1とひっくり返る。ノリを重視する音楽では非常識じゃないかっ。これはイントロの「ツクしーツクしー」からの「タッつく」に対応しているのですね。

 でもアグレッシヴな「ドゥイーdaドゥイーdaドゥロどぅんダっター」と「悪ッい子のおッんがく」テイストが来るのでノリノリになっちゃうのだ。ちっきしょーめ。

 

 こういうトリックはイギリスものに多いのです。プログッシヴ・ロック勢のさまざまな曲はもちろんのことだけれど、ビートルズのポップな「Two of Us」「Here Comes the Sun」などもそうです。インドのリズム構成にこういうスタイルがあるのでヒントにしている場合もある。当然ジョン・マクラフリン率いるマハヴィシュヌ・オーケストラの影響があるわけです。作曲もキーボードもドラムもマハヴィシュヌ・メンバーのヤン・ハマーなわけだから。

 そしてエンディングは冒頭のギターの、6拍&4拍リディアン・リフを繰り返すところに左右でギターとシンセともソロ的に弾く中でドラムのフィル・イン大会で盛り上がり「ダ!ッだァ〜」で終わる。・・のだが、レコードでは完全に解決和音の感じではなく、サブドミナントで遠くを見る感じで終わり情緒を残します。

 一方ライブではだいたいギターとシンセがひたすらユニゾンで反復するところにドラムが大暴れできるコーナーとしてることが多く、各ドラマーの腕の見せ所でもあり、アプローチが違うので面白い。そしてオーラスにピカルディ終始(本来短調の和音が長調になる)にあたる「ダ!ッだァ〜」で終わることが多い。

 

 さてこのリディアン・パートの繰り返しには面白いことが隠されている。

 6拍部分をどうとらえるか。シンコペーションに慣れていると4拍におまけの「ダッだ〜」2拍がついてるように聞こえる。

 しかし出だしの「だ〜ンだァー」という単位でとらえると3拍なので、次も「だらダッだ〜」という3拍に聞こえて、3+3+4のように感じる。そして続きのの「ダッだァ〜」も3拍で、単位を16分音符的に区切るとダくツだあアになる。

これが出だしの「だ〜ンだァー」も区切ると同じダくツだあアなのだ。つまり出だしの「だ〜ンだァー」をスタッカートにしてラストの「ダッだァ〜」というオチにしているんですね。

 さらに、6拍&4拍の4拍側も「だ〜ンだァー」=ダくツだあアではじまっている。ということはこのリフはダくツだあアという「3拍」ユニットをアナグラム的に配置することで作られていることが判明する。

 曲を知らずにここだけ読むとギャグか、て思うかもですが、実際の曲を聴いて脳内再生すると「なるほど!」と意味がわかると思います。少しテンポを落として舌で刻んでみないと追いつけないかもしれませんが。

 しかしメロディー的にはそうだとしても、なおとりにくいのはツクしーツクしーからのタッつくという4音単位(スクエアーといいます)に乗せてくるからなんです。しかもベースもそのままドーっつドーっつとスクエアーにくるから上の3拍が見えにくい。一時的ポリリズムになっているのです。

 さらにこのダくツだあアは6シラブルでダくツだあアの3+3に分解できます。ところが次の3拍は「だらダッダー」なので3+3ではなく2+4なんです。

そしてこれはインドの方法論なんだ。勢いがあってカラフルなのでシンプルに感じる曲だが一筋縄ではいかない。こういう曲作ってごらんと言われても中々できるものじゃない。ほんまにそんなに凝って作ってあるのぉ〜?と思うかもしれないがこの曲だけ作曲者のヤン・ハマー本人がドラム叩いているのだから。しかもうまい!デッドスポットでないところでもフィルをかましてきて緊張感を生み出している。

 こういうところがコマーシャルなひゅージョン(笑)と違う手法のヒントです。また音色との関連も重要。このモーグ系のシンセにベックもシンセ?と思わせる類似性のある音色で、未来テイストとセットなんだ。宇宙人の兄弟がおしゃべりしたり口喧嘩してるような面白さ! 想像してほしいこの曲のアコースティックバージョンを(笑)。これをピアノで弾いたって成立しない。

 また、私が影響を受けた別の素晴らしいギタリスト、パット・メセニーが弾いたらどうか?合わないでしょう。彼が本領発揮するのは複雑なコード進行なのにメロディアスに紡ぐ、繊細なドラムワーク上で音を詰め込む、というところだからこのようなコード進行が無いも同然でドラムがドカドカやってる中では生かせません。ではジョン・マクラフリンなら?もちろん激フィットします。

 イングヴェイだったら?今一ですね。マイナー音階じゃなくミクソリディアンの世界だから。アル・ディ・メオラなら?行けますね。リターン・トゥ・フォーエヴァー時代や80年代の彼なら特によい。名作“Elegant Gypsy”以降“Scenario”“Tour de Force”などヤン・ハマーとしょっちゅう共演してるわけだし。

 実は故トミー・ボーリンが非常にフィットすると思います。マハヴィシュヌ・メンバーのビリー・コブハム(Ds)のリーダー作「Spectrum」でヤン・ハマーとも共演し、ずば抜けたソロを弾いてるから。そしてこの「悪ッいおとなのおッんがくだっぞ〜with超人的スキル」な痛快作はなんと1973年でBlow By Blowより前なんだ。さらにジェフはこのアルバムから"Stratus" をライブでよくやる。むしろここからヒントを得た可能性があるぐらいです。

 あと故アラン・ホールズワースならば?合います。新しい魅力を発生させる可能性もあります。

 そしてアルバムの裏をよく読むと、プロデュースはジョージ・マーティンだが Blue Wind「以外」となっていて、この曲のプロデュースとRed Bootsなど5曲のリミックスはヤン・ハマーとなっている。つまり特にこの曲は作曲、シンセサイザー、シンセ・ベース、ドラム、ミキシングもヤン・ハマーなわけで、ギター以外すべて彼なのだ。

 そして名匠ジョージ・マーティンがいるにもかかわらずヤンがremixしている、ということはいったんミックスまでいったものをヤンがミックスしなおしたということになる。それだけジェフが彼を信頼しているということと、このアルバムのサウンドの統一性、シンセの存在感に貢献したということ。この辺の経緯はよく調べないと。当時の英語の記事を漁ればわかるかもしれない。約50年前か・・

 勝手な想像ではモーグ・シンセに粒立ちを際立たせるようコンプレッサーをかけ、ディレイで空間を演出し、ギターと左右のパンを調節したのではないかな〜。

ヤンはその後スタイリッシュな刑事ドラマ「マイアミ・バイス」の音楽を担当しビルボード1位になったりグラミー賞を受賞しています。だからすでにプロデュース能力や機材の知識、耳の良さを持っていたということなんです。

 ちなみにナラダ・マイケルウォルデンも超絶ドラム以外に実はこのアルバムの半分を作曲していてLove Is Greenではピアノも弾いているのを見逃してはいけない。

 こういう例ではドラマーでジャック・ディ・ジョネットもピアノを弾くし作曲も行いグラミーもとっています。トニー・ウィリアムスも有名な「シスター・シェリル」や各リーダー作で作曲している。天才ホールズワースの右腕ともいえるゲイリー・ハズバンドも作曲するしキーボーディストとしてマクラフリンとも共演するぐらい。フィル・コリンズはジェネシスでドラムを叩いていただけでなくメイン・ヴォーカルとして活躍、Brand Xでも高度なスキルで叩いたり、ソロ・アルバムで歌だけでなく作曲,ピアノも弾く。全英・全米ともに何度も1位になり、グラミーを20回近く受賞しました。

 こういう面を日本の音楽界はなおざりにしすぎなんですよ。

 もちろんドラマーがただ技術を練習するのではなく和音楽器も身につけて作曲できるようにすべきなのはいうまでもありませんが、たんに二つ以上の楽器をやれという意味だけではないのです。どの楽器のプレイヤーでも自分のパートだけ見てるのではなく、音楽のしくみを俯瞰で見られて新しい表現をクリエイトしていく力を持つべきだということです。

 いつまでも「すでにあるもの」を目標に練習するのではなく、新しい表現を見つけるにはどうすべきか見通さなくては。仮に2つ以上の楽器ができてもどれも「すでにあるもの」をなぞっていたら何も起きない。視野が広がって別の価値観を構築できるかどうかなんです。

 また、各個人の努力だけでなく、音楽学校や業界などもそうした環境を整えたほうがいい。単純に「新しい」ものがいいとは限りません。つまりCDが売れないよ〜といって大人数アイドルやボーカロイド系やSNSばえ系にたよるのではなく、耳のいい人、大人リスナーが何度でも、何年後でも聴きたくなるものを生み出せる国であってほしいということなんです。アニメでも料理でもできるのだから音楽でも可能なはず。

 というわけでこのアルバムの軸になったナラダとヤンのマハビシュヌ・メンバーが何度もグラミーとる大物になっているということです。転換となった前作“Blow By Blow”が後述するマックス・ミドルトン(Key)やリチャード・ベイリー(Ds),フィル・チェン(B)といった職人,ミュージシャンズ・ミュージシャンが貢献したサウンドなのに対し“Wired”はプロデュース目線を持った主張の強い個性的なプレイヤーで成り立っているという違いに気づきます。それがこの2作の肌触りの違いなんですね。

 こうして制作状況など調べていくと「悪ッい子の・・」スピリットでガッチョえェ〜インストを成立させるには「リズムのトリック有りなのにドライヴする」「固有の音色」「機能性コード進行によらない」という3種の神器があることが分かってきますね。あとで出て来る曲にも共通しますよ。これはあなた、もう有料にすべき情報です。

 また、一方でこれは別の見方するとインド音楽(もしくはフラメンコ)とブルーズの融合ともいえる。パルマ(手拍子音)や「オレっ」が入ってないじゃん、とかタブラやシタールが入って無いじゃん、とかそーいうこといってるんじゃありまへん!

 マジな音楽構造の話でモード(インドならラーガ)とリズムユニット(スペインならコンパス)をブルーズの「ファンクションとは限らないコードや、リフ」(例:Mannish BoyHoochie Coochie Manなど)と融合させているという、本当のフュージョンだといえるということ。ひゅージョンではなく。

 長い?能勢方式ですから〜。1曲の解説でここまで掘り下げる人いますかってんだ。まだ許しませんぞ。

 

  それではライブ版をご紹介しましょう。よく探したらヤン・ハマー・グループとのライブ版をアップロードしている人がいたのでこれをリンクしておきます。アナログレコードをかけてる映像が映ってるだけですのでヘッド・フォンで目をつぶって。

 Blue Wind - Jeff Beck With The Jan Hammer Group (1977)

 

 これは「Wired」を出したあとのツアーでジェフとヤン以外は

Tony Smith : Drums, Vocal

Fernando Saunders : Bass

Steven Kindler : Violin

テーマもほとんど崩さず弾いているし、ヤン・ハマーとのバランスも良い。

アドリブソロでぅいきなりハウリングからの音響奏方から入って幻想的なロングトーンから、アームのヴァイブラート、得意の異弦同音(同じ音程を隣の音をベンドなどで近づけて交互に弾く。トゥーイたトゥーたのように聞こえる)からのラン(短い音型の素早い反復・3連符を4音ずつとか16分音符5音ずつなどでリズムのずれトリックにすることが多い)をちりばめ、リフをなぞるようにまとめる。

ヤンもkyぅいッ⤴︎・・kyぅいッ⤴︎・・kyぅい〜ん⤵︎ と犬の鳴き声か?というコールから始まってジェフが弾いたランに応えるかのように素早い4音のランをこれでもかと連打してスピード感を作ってから泣きの高音ロングトーン。ギターのベンディング(日本ではチョーキング)を模したかのような別のラン「タぁタカラ・タぁタカラ・タぁタカラ」の6音単位でずれていくスリル、これはマハヴィシュヌでマクラフリンのフレーズに影響を受けたものと思われます。その6音フレーズを半テン(単位を倍の長さにする、半分のテンポにしたかのようなとり方)にしたようなまとめのフレーズにつなぐ。

そこから半テン16beatのドラム・ヴァンプになりいったん一息置くが、客の歓声がすごい。インストでこれだけ魅了するというのはすごいことだ。ステージ上であおるジェスチャーをしていたかもしれない。

そこから倍テン(元のとり方)になって別曲「Stroll On」のリフに変えてしまい、ここでも二人ともよいソロを展開してる。この曲はヤードバード時代にやっているからセルフ・オマージュみたいな。原曲は「Train Kept A Rolling」で Tiny Brad Shaw(タイニー・ブラッド・ショウ) 1951年。リズムは往年のブギウギでジャジーだ。力強い歌声、サックスのグルーヴィーなソロも素敵。

 また、この曲は当時ヤードバード時代にミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画Blow Up - 1966 邦題「欲望」に出演依頼が来て、劇中で(ジミー・ペイジも)演奏しますがアンプの調子が悪くなり頭にきてギターを破壊するシーンがあります。

 実は監督が演出上求めたのですが、ジェフはそれはThe Whoとかのパフォーマンスでしょ、僕はやりたくないな〜と意思表示したけれどやらざるを得なかった。そりゃそうですよ、音の荒々しさの反面、本人はシャイで謙虚な人柄だし、ギター始めた子供時代にありあわせのものを自分で組み立てて作っていたぐらいですから、壊すなんて。

 でも映画ではやらざるを得なかった。ディープ・パープルの破壊パフォとかジミヘンのステージで燃やすやつ(!)とか当時はロックは暴力的というイメージがあったからなんですね。(映画はパルムドール受賞)

 

ヤードバーズ時代。若いよ!

The Yardbirds- Stroll On 1966年

しかしその歌詞はBrad Shawが、さらに遡ったジャズの楽しい1942年「Cow Cow Boogie」をもとにしているということ。タイトルからして楽しいね。

男女は逆で面白いアクセントで歌うカウボーイについての内容であまり似てないんだけども。

Get alongとかyour wayが繰り返し出て来ることぐらい?あとコード進行かな。

コマタあいあーエイ、コマタゆっぷりアイえー

(Comma ti ai-yay, comma ti yipply yi ay)

とハーレムタッチで歌うカウボーイ。楽しい。

ちょっと余談だけれど、1930年頃のカウボーイソングで、タイヤイゆぴゆぴ(Ti Yi Yippi Yi Yo)とオチをつけるものがあります。

 また、タイゆぴヤイヨーかえ〜(yippie yi yo kayah! )とみんなで歌うのがある。(“I'm an Old Cowhand”)

映画「ダイハード」シリーズでブルース・ウィリスが反撃を決めるときにYippee-Ki-Yay, Mother f×××er!という決め台詞があります。これは一作目でスーツを着た相手の犯人が、孤軍奮闘する彼を通信で「ミスター・カウボーイ」と揶揄したことに対しての返礼として使ったのが、続編でも踏襲されるようになったのでしょう。アメリカ人じゃないとわかりにくいでしょうね。もし日本なら「この田舎者の与作が」とバカにした犯人に「ヘイヘイほー」と言って反撃食らわす感じで、他の国の人にはわかりにくいのと同じようなものかな。

 やはり1930年頃のアニメキャラクター、ベティ・ブープBetty Boopは「ブぷッPiドゥー」が有名だが、テンガロンハットを被ってロバ?と縄跳びする出し物をゆっぴーヤよー(Yippie-Yi-Yo) と歌いながらやってるシーンがある。

 これらはカウボーイ特有の掛け声、合図を出したりはやし立てる時の定番みたいなものなのでしょう。野生の馬をてなづけるのに暴れ馬を乗り切るロデオだったり、投げ縄だったり、牛を追ったり、馬の上だと出しやすい声で通りのよい発声があったんじゃないかな。

そして酒場や祭りでの腕試しや収穫祭など、おそらく彼らの独特の文化があったんだと思う。

今ではからかったりスラングで使われる場合が多いようだけど。

それをさらに独特の訛りで「コマタあいあーエイ、コマタゆっぷりアイえー」と歌う男について「Cow Cow Boogie」では歌っている。

この頃はまさかシンセなど想像もつかなかったでしょうからアメリカの音楽界の進歩の速さにおどろかされます。

 

 ちょっと聞いてみましょう。楽しいよ!Ella Mae Morse(エラ・メイ・モリス)がビッグバンドの伴奏で歌う。

 そしてさらにさかのぼれるみたい。

  ジェフのBlue Windからどうしてそこまで行くの?関係ないじゃん、と思うかもしれませんが、これによってある作品について表面の結果だけでなく、背景や周辺にある文化を知ることができる、その曲を調べなかったら出会うことのなかった習慣やおきてや当時の生活の楽しみに、あるいは問題点に気づくことができるのです。まだ電気のなかった頃の生活のルーティンだったり、宗教儀礼、差別だったり、医療レベル、当時ならではの職業だったり、これが「粋」としてステイタスがあったんだな、とかを知るきっかけになる。

  そうした掘り下げの蓄積によって他の曲や映画を見た時に、あ・あれのことか、とかあの頃はこうだったはずだからな、あれの引用か、あの事件のすぐあとなんだな、とかこれはダブルミーニングになってる、あのことのメタファーだ、などとしっかりした根拠のある評価、価値基準を持てるのです。

 現在のマスコミ系のせいぜい30年間ぐらいの商業ヒット作との比較ぐらいでしか話せないような評価能力では素晴らしい芸術家が過小評価されて、ゴッホやサティやフォスターのような悲劇が起きてしまう。

  逆に小手先で即物的な類似品がもてはやされてお金が流れてしまう。さらにそこにはステマ(ステルス・マーケティング)やサクラ、お金で買う「いいね」や、「全米が泣いた」といった誇大広告、とか「あの○○」(知っているのが常識かのように印象付ける)、とかリピート率99%(確かめようがない),マネーバックの★5つ(アマゾン)、とか売り上げ○万本(確かめようがない)、といった心理誘導欲求操作が仕込まれているのだから。もちろんしこみの使用者の感想には「個人の感想です」が気づかれにくいよう5mmで表示、成分2倍!には「当社比」が気づかれにくいよう5mmで表示される。

 これらに惑わされてないって言える?今、かの侵攻国がやってるのと同じことなんだ、と気付けるかです。かといって扇動的な陰謀説にあおられて暴動を起こすのも愚かなこと。

 プロパガンダや負のアジテーションやデマゴギーを見抜く力を鍛える道場が芸術なのではなかろうか。

 色々掘り下げることでリスナーとしての感性が豊かになるだけでなく、権力の欺瞞(ぎまん)や理不尽にも気付けるようになるし、詐欺に騙されなくもなるし、悲惨な歴史を繰り返さないためのヒントを得ることにも繋がると思うのです。今起きていることは過去のどんな課題に原因があったのか気づいたり、未来から見て現在が歴史の分岐点として何かを左右するのではないだろうか、このままでは悲惨な状態を導いてしまうのではないだろうか、と客観的にかえりみることにもつながります。

  こういうことは作曲したり作品を生み出す立場の者にとって重要なことでもあります。あさはかな「エセ洋楽」や「バブルガム・ミュージック」に陥らないためにも。

 もし100年前のあのヒットがなかったら、今のこの曲はあっただろうか、中世ヨーロッパ発祥のあの踊りがなかったらこのリフは生まれてこなかったのかも、とかあの詩があったからこういう形式に踏襲されたんだな、または逆にアンティテセスとしてこうスタイルが生まれたんだな、とか。

ボブ・ディランジョニ・ミッチェルをちゃんと理解するにはこういうレディネスが必要と思います。

 ところでこの「Cow Cow Boogie」は南部カウボーイの民間伝承で歌われていたものを題材に

Herb Jeffries(ハーブ・ジェフリーズ)が歌った曲らしい。彼は初の「黒人歌唱カウボーイ」ということです。混血のエンターティナーで、1937年から黒人の観客向けに4本のカウボーイ映画を撮ったと。

 当時人種差別で白人映画ファンが好んだ従属的なものではなく、黒人を主人公として描いたこれらの映画を見た白人はほとんどいなかった。だからこの「カウ・カウ・ブギー」がラジオで大ヒットしたとき、彼女がハーブ・ジェフリーズについて歌っていることを白人は知らなかったけれど、黒人はよく分かっていたのだそうです。

ちょっと面白いような悲しいような話ですね。

でもこの情報は今確かめようがないので、いずれ追求してみようと思います。

下手したら移民前のアイルランドかスコットランドに原型があったりして。するとケルト民謡まで遡ったりして。今回はそこまではダイブしませんが。(笑)

その後エラ・フィッツジェラルドも歌っている。

 で1956年にJohnny Burnetteロックンロール・トリオがちょっとエルビス・プレスリー的なロカビリー・スタイルでカバーし、このリフの原型を弾いています。ギターのポール・バーリソンによると間違ってアンプを落としてしまい、真空管の異変で歪んだ音(今でいうディストーション)が出ることに気づき、使い始めたという。

これがディストーション・サウンドの起源じゃないかという説があるそうです。

 で真空管が調子悪いので楽屋でちょっとG majorの曲(ト長調)で弾いていた時、メインのシンガーJohnny BurnetteがE major(ホ長調)の曲を弾いていたと。すると彼が「これで行こう」と言ったそうです。わかりにくいんですが、想像するに、GdurとEdurは短3度の関係にあります。だからGを主体に考えるとEはマイナーコードになるべきもの(平行短調)、逆にEを主体に考えるとGの音は長調では出てこない。短調なら3番目の音として出てくる。Emollです。これが入り混じってしまい、両方の音を含む「だーどだーどだど」というリフになったんじゃないかな。そして長調なのに短調の音を使うというのはブルーズの真骨頂だから。

 

 おや、ちょっと面白いつながりに気がつきますね。このリフはアンプの故障から生まれたようなもの。それをジェフは映画の中で弾いてるうちにアンプが故障し、ギター共々破壊してしまう。ミケランジェロ・アントニオーニ監督がこの関係を知っていたかどうかはわかりまへん。

また、“Blue Wind”も“Stroll On”(Train Kept A Rolling)も伴奏リフがOn Beat ノリできたところ Off Beatの「うたッたッたッた」でオチをつけるというところも。

 

 ただ「Stroll On」と「Train Kept A Rolling」ではリフは同じなのに歌詞が違う。女性に去って欲しくない、という部分以外は別のもの。Train Kept A Rollingでは列車でデラべっぴんさんと乗り合わせて仲良くなりたいのに言えない、列車は走る一晩中、彼女を去らせたくはない、というもので地名も出てきてロードムーヴィー的な視点。でもStroll Onには列車は全く出てきません。

 どちらにせよ和訳するのは困難で意味不明です。dameは「お嬢さん,とか気ぐらいのある女史」または男性コメディアンの扮する貴婦人だけれど文脈から言っていかした姉ちゃんという雰囲気と思う。彼女はhipster。ヒップスターとは流行りのものに懐疑的で独自の価値観を持って芸術やサブカルに詳しい人たちのこと、先ほど書いたような誇大広告に惑わされない人、まあ私のような系統の人間のことですから、その女性は知的でかっこいいのでしょう。(笑)しかし続くMan a real gone dameがわかりまへん。可能性では「今では珍しい(いなくなっちゃった)女だぜ」みたいな?manがOh,boy(おや,まァ)系としてなら「いや、ホンマに貴重な姉さんやがな。」とぞっこんなのを表すと思うけれど名詞でMan who a real goneの意味なら「本当にいなくなった(死んでしまった)男」になるが dameがついてるので意味不明。別の考え方では男が死んじゃうようなという修飾の dame、つまりノックアウトされるほどいい女という感じか?。

とにかくスラング系でイケない歌詞なのでしょう。ところがすぐ次にShe wasn't prettyと来るから、ン?どっち?となる。

 すっごくいい場合にBadとか逆を言うことがあるので例えばThat girl is bad!だったらあのコ超イケてる!ってなるけれどwasn't prettyと言い切ってるからな〜。その後がFor New York Cityだからニューヨークにはあわないけれど、とか・・? わかりまへん。

さらに続くAs we strut down on that ol' fairlaneも意味不明。strutは気取ってとか闊歩するだからstrut down the street なら「通りを闊歩する」だけれどon that ol' fairlaneなので古いフェアレーンの上を?

old fairlaneはフォード社の古いスポーツカーだから車の上は歩けまへん。主語もweだし。そもそも列車の中の話のはずなのに。とまあこんな感じであまり意味のない歌詞なのでしょう。

何回も出て来るWith a heave and a hoもわからん。heave hoなら拒絶するとかお払い箱だからフラれる、ってことと思うけど、なぜWith aがついてる?これがロックンロールの定番として歌われるのが不思議なのです。

もし文をつなげてしまって勝手な意訳すると、「彼女はめんくらっちまうほどのヒップスターで、俺たちがニューヨークでスポーツカーに乗せて見せびらかしてすぐお払い箱にするような可愛いギャルとは違うんだ」かな? でもWith a heave and a hoだけで出て来るから前述のタイゆぴヤイヨーかえ〜yippie yi yo kayah!のようにやっホ〜いみたいな掛け声の意味かもしれないが。今回はこの曲の特集でないし、歌詞がなくて成立するジェフの話だから(笑)このへんにしとく。

 

1曲の途中部分にどんだけ掘り下げんだ、って感じですが

能勢さん方式ですから〜

 とにかくディストーション・サウンドのリフとしてヤードバーズでジェフが弾いて以来ハードロックのスタンダードみたいになり、Led Zeppelinもカバーしてオープニングに使ったりエアロ・スミスがトリに演奏したりしてます。

 こういうことになったりもする ↓(笑) 

Jeff Beck, Jimmy Page and Flea with Metallica - Train Kept A Rollin' 2009 HQ

これは例のロックンロール・ホール・オブ・フェイムの2009年だけれど、メタリカとジョイントでペイジ、ロン・ウッド、カーク・ハメット、ジョー・ペリーなど何人いてもベックだけ異次元ということが分かる。

 

 

でその後ジェフがどう弾いているか。↓

 Jeff Beck - Train Kept A-Rollin' (Live At The Hollywood Bowl / 2016) ft. Steven Tyler

ここではゲストにエアロ・スミスのスティーヴン・タイラーがヴォーカルで風貌といい高音シャウトといい存在感を出してて、男だとこのぐらいのヴォーカルじゃないとバランスが取れないということがわかる。

 というわけで“Blue Wind” ライブの話にもどりますよ(笑)

「Stroll On(Train Kept A Rollin')」のリフ上で両者ソロをとったあと再び半テンのドラム・ヴァンプになり、イントロの「だ〜ンだァー・だらダッター」で始まる複音メロディーに戻る。なるほど!

 

 

 

 

今回の最後はこれにしましょう

★「Nadia」 You Had It Comming 2000年 収録

Jeff Beck - Nadia - (Live at Ronnie Scott's)

  これは「Where Were You」の続編的なインストで、バラード的なニュアンスとドラムンベースをバックに疾走する感じが同居している。

それまでのジェフに比べエスニックな雰囲気なので、あれっ新境地?という印象を持ちましたがメロディの終わりをすっと下げたりボトルネックバーでポルタメント的に弾いたり、先述のアームダウン&アップで正確にメロディー音程を描く、ハーモニックスを使ったヴォリューム奏法など彼のトレードマークなので、むしろうってつけの題材だったと言うべきでしょう。

 そしてジェフが敬愛するマクラフリンがインド音楽を本格的に吸収して「シャクティ」をやっていたことへの憧れもあるのではなかろうか。

 この曲はジェフが「インドのスティーヴィー・ワンダーだ」というニティン・ソウニー( Nitin Sawhney )の曲で、車でロンドンへ運転中にCDをかけた中にこの曲があって感動して、車を止めて聴き込み、すぐにメモしてカバーしていいか連絡して自分ヴァージョンにして表現したということです。(原曲は後述)

 この曲をタルちゃん擁するメンバーでのライブのアップロードで楽しんでください。

タルちゃんとはカーリーヘアがトレードマークのTal Wilkenfeld(タル・ウェルケンフェルド)というオーストラリア出身の女性ベーシストのこと。当時ただでさえ若いのに童顔で小柄なので、え?子供がベース持って出てきたぞ、何か体験コーナーなの?それともギャグなの?とはじめみんな驚いていたんですね。ところが弾き始めたらグルーヴもスキルもすごいので2重に驚かされたわけです。チック・コリアやハンコックとも共演してるぐらいの技量ですから。超絶ドラムのヴィニー・カリウタが発見してジェフに紹介したんです。

 この「ロニー・スコッツ」ライブも彼女だし、「コモーション・アンド・エモーション」でも彼女が弾いている。お披露目は前述のクロスロード・ギター・フェスティバルに出た時と思いますが、あの大観衆の前にかかわらずどうどうたるもの。ジェフは「悲しみの恋人たち」で珍しくベースソロ・コーナーを与えていて、ボディランゲージですげ〜よ、みんなァー・すごいでしょ〜と注目させている。

このNadiaの映像は有名な「ロニー・スコッツ」ライブで、2007年ロンドンでのライブを収録したCDとDVDのもの。正式には“Performing This Week... Live at Ronnie Scott's”で邦題「ライヴ・ベック3〜ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ」なのですが長いので「ロニー・スコッツ」としています。もっと短いタイトルにすれば一般にも周知されたと思うのだけれど・・。

 当時、いくつかライブ盤が続けて発売されて驚かせました。それまで正式なライブアルバムが少なかったしオフィシャルな映像作品は出ていなかったから。この手元アップの多いクリアーな映像見てやっと「こうやってたんだ〜」「このポジションだったのか」「ここだけスライドバーか!」「やっと謎が解けた、でも出来ん」(笑)と世界中のギター研究家たちが湧いたものです。でも「これだけアームを使いまくってなんでチューニング狂わないの?」とか「リアピックアップでこの音?」などまだ謎は残っている。

この中のビートルズ・カバー「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」はグラミー最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞しています。次回紹介したいです。

で、「ロニー・スコッツ」とはイギリスのサックス奏者ロニー・スコットがロンドンに開いた老舗のジャズ・クラブRonnie Scott's Jazz Clubのこと。彼はケニー・クラークのビッグバンドやスタン・ゲッツとも共演してますね。

エラ・フィッツジェラルド、ビル・エヴァンス、ウエス・モンゴメリー、ニーナ・シモン、チェット・ベイカーなど大御所がここでのライブアルバムを発売している。ジャズ以外にもソフト・マシーンやフィル・コリンズ擁するブランドX、カーティス・メイフィールドもライブアルバムを作っていますね。

イギリス行ったら「一本やっとく?」「収録せにゃ」ぐらいの定番どころなのでしょう。おそらく音響もよく信頼できるのでしょうね。

 ロニー・スコッツ自体でもレーベルを設立しサラ・ヴォーンやリー・コニッツなどリリースしています。

普段ジェフはコンサートといえば大きな会場やスタジアムで大音量で行なっていたから、インタビューで歴史のある有名なジャズクラブだし、目の前にオーディエンスがいる状態だから出演するか躊躇したよ、と語っています。

 

 ところでこの曲が収録されているアルバム「You Had It Comming」について書いておく必要があると思います。

これはある意味過渡期と言えるように思います。ドラムン・ベースのリズムにのせて割と歪んだ音で抽象性の強いサウンド。

ドラムンベース(Drum and Base, またはD'n'B あるいはDrum'n'Bass)とは一時期流行った形式で早めのテンポで「ドゥンtuッたっtuか・zukaドゥンたっtuka」を繰り返してる上にアンビエントでダークな効果音系を乗せたようなスタイル。コード進行やメロディーのある曲はあまりありません。生演奏ではなくDJがターンテーブルやサンプラー(短めにデジタル録音したものを再生する機械・ドラムパッドやキーボードをトリガーにして鳴らす場合が多い)、パソコンなどでコラージュして非日常感・アンダーグラウンド感を演出する。セリフ的なものや抽象的な断片の反復、ほかの曲の一部分を切り貼りしたりします。その前の「Jungle」を無機質にして電子音多めにした感じ。

 このテンポで普通の人がステップ踏んで踊ったら1,2曲で疲れちゃう。テンポを遅くすると近年流行ったEDMに近くなるかも。

で1990年代イギリス発祥らしいです。このころサンプラー機器がEmulatorや日本製のAkai、Rolandなどによってそれ以前より安く入手できるようになり、コンピューター部品の発達・小型化によってメモリーが増え、持ち運びしやすい形状になり、DJや音楽制作の場で頻繁に使用されだしたからね。音楽ソフトで打ち込み(自動演奏のプログラミング)とデジタル録音をパソコン上で統合できるようになってきたのもこの頃で、ドラムやシンセのリズムパターンがデータとして販売されだした。これを組み合わせれば楽器が弾けなくても曲の形になる。

 それでジェフ本人の興味かプロデュ〜サーの意向かわからないけれど、このリズムを使った系統でこの頃3作続きました。古くからのジェフのファンはこの時期の作品は好みが分かれるでしょう。

逆にそれまでジェフをよく知らなかった人にはかっこよく聞こえたんじゃないかな。ラジオか映像のサントラとしても新鮮かも。

 

 ジェフはいつまでも同じ表現を繰り返すのを嫌うので、それまでやってきた「伴奏の上に単音のリードが乗る」という構造ではない新しい手法を模索したのだと思う。

だから複音で弾く部分やオーバーダブで重ねるか、あえてかなり濁らせたトーンを使ったり、ジェニファー(次回・述)のギターとクロスするようにして渾然一体としたサウンドが軸になっています。クレジットには珍しく作曲にジェフの名が加わっている。おそらくリズムトラックの上でアドリブで弾いたものをもとにしているからでしょう。そういう意味ではウエザー・リポート(ジョー・ザビヌル)とコンセプトが似ているかも。

 また音響奏法の展開には凄まじいものがある。別の意味でヘッドフォンで聞いたほうがいい。または大型スピーカーで大音量で。もはやシンセ風とか意表を突くとかいうよりは「異世界」からの音、それもアニメやゲームのヨーロッパ中世風ではなく、アースガルズか「スターゲイト」「トロン」のようなちょっと畏怖心さえ感じさせるようなまさに未知の世界からの音。“Dirty Mind”はグラミーのベスト・ロック・インストルメンタル・パフォーマンスを受賞してる。

 私はこのあたりの作品が再評価される日が来ると思うが、かなり先になると思う。何か話題の映画に使われるとか、この手法を引き継いだ作品が登場して大ヒットして、もとはこれだった、みたいな。

 で、このダークで抽象的な作品の中に「Nadia」があるということなのです。

だから単体で、あらキレイな曲、というのとは別にアルバムを通して聴いた時でこその感動、驚きがあるのです。何かさまよった宇宙空間にオエイシスが現れた的な。

エスニックなバラードに倍テン(倍の音符で刻んでアクセントが半分の位置に来ること)でドラムンベースが入って来ることでリズム部分にはほかの曲と統一性がありながら、しっかりしたメロディーがあり、コードが美しいストリングス系で水彩画のように描かれる。

ちょっとディストピアに発見した安全なスパのよう。

 そこから次のエキゾチックでダークな"Loose Cannon" に続くのだ。

こうしたコンセプトの3作のあと今回1曲目に紹介の、ろうろうと歌うような曲の多い「Emotion and Comotion」に至るのです。

 

 ところでこのNadiaの作曲者ニティン・ソウニーはイギリス生まれのインド人なのでコスモポリタンな感覚でインドをとらえて表現しているようです。

作曲やアレンジ・プロデュースがメインですがキーボードも弾き、実はギターもうまく、私の弾くコードとよく似ているんです。

ジェフはちょうどドラムンベースを扱ったアルバムを作っていたから、この曲が途中ドラムンベースになるのでフィットすると考えたのでしょう。

 原曲の歌詞、なかなか翻訳が難しい。Nadiaとは「川」のことで、歌詞の大意は「川でさえ時に敵対する」「恋人が目覚める」

というような数行を繰り返す。

川が満ちあふれる→愛が満ちあふれるというポジティヴにとらえるか、川が氾濫するという災害面でとらえるか・・

原曲はこちら ↓

元アルバムのジャケットデザインは強烈なので風景などと合わせたこのヴァージョンで。

Nitin Sawhney - Nadia

 

スタジオライブのバージョンが有りとても美しい声で癒されます。 演奏がとてつもなくうまく、それぞれ高度なスキルを持ちながらこの曲の世界にフィットするようなプレイをしている。主旋律が出て来る前に導入部がかなり長く、この意味について投稿した人が正しいか分からないが、聖なる詩の一部ということだ。  ニティン・ソウニーはイギリス生まれで差別を受けていたことをこのアルバムで表現したらしく、ジャケットも苦痛に叫ぶような彫像の写真。 だからこの前半部分にテーマが現われているのかもしれないが、ジェフはメロディーとリズムアレンジに感銘を受けたのでしょうからそれほど詩は気にしなくていいでしょう。先ほど書いた「畏怖心をもたらすような未知の世界」と生活感のある人間界をつなぐような意味では川というのは意図してなくても面白い。

 Nadia - Nitin Sawhney feat. Nicki Wells & Ashwin Srinivasan, Coke Studio @ MTV Season 2 

 

 

 それではこの曲が収録されているジェフのアルバム「You Had It Comming」のバージョンを紹介して今回は筆を置くことにします。

映像はこのアルバムのジャケットそのものですが、ジェフ本人の手で油だらけです。

 彼はかなりのクラシックカー好きで古い車をレストアするのが趣味だそうです。つまり修理・調整だけでなくバラしてオーバーホールして組み立て直すとか筋金入りのマニア。ツアーの時は各地で部品をあさって行くそうです。

クラプトンの話によると、「ジェフの家に遊びに行くと、ギターを弾いてるか車いじりしてるかのどっちかなんだ」ということ。

かつて来日時に日本のテレビ番組に出た時も「25年間、自分の車はBuildしてきたんだ。この指の傷は車いじりで怪我したんだ」と手を見せました。インタビュアーが「楽器を弾く人は手が大切だけれど構わないんですか?」ときくと「特に気にしないんだよ。あまり気にし過ぎると逆にアクシデントが起きるんだ」ということ。そうした作業で油まみれになっている手の写真がジャケットになっているわけです。

ライブ映像でよく見るとストラトのボリュームノブのギザギザの間が汚れてる時が多い。普通の手で使っていればそんなに溝が黒くはならないはず。つまり車いじった手でギター弾いたりしてるからで、クラプトンが言ったことが誇張ではないということがわかりますね。(笑)

 で、実はこの車いじりが彼のサウンドや表現方法にそうとう密接に関係していると思うのです。これがどんなに機材を真似たり、奏法をコピーしても「あの音」が出せない秘密なんですね。

それについては次回書きます。

 まだ有名なあの曲やこの曲・その曲、隠れた名曲について書いてませんので。

実は私の音楽観にとって重要な人物があと3人亡くなっているのです。

一人はデヴィッド・クロスビー、もう一人はバート・バカラック。そしてつい先日ウェイン・ショーターの突然の訃報。

この人たちについても書きたいです。

 でもその前に、東北大震災について書かなくてはいけません。この時期確定申告もあって時間がかかってしまうのですが、ドキュメンタリーや特集番組、ニュース、各部署のデータなど新しい情報も精査して、皆さんに考えていただきたいことや責任の逃げ得を許さない、そしてエネルギー問題について自分なりのアイディアなど、毎年書いております。ですので次回はこれについて。そしてその次は昨年から言っている素敵なシンガーMorissette Amonについて。それからジェフの続きかクロスビーを書こうと思います。 

 

 

O〜ki〜Doooki〜、筆の置き時、それでは今回はここまでで。

  次回をお楽しみに。

 

                    2023年2〜3月 記

 

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前回アップした内容です。 ↓


Happy NewYear 2023

      2023年正月

みなさま、あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

Ich hoffe, das neue Jahr bringt Ihnen viel Freude und Glück !

 

 短く巻頭言的に(笑)。PC環境の改善進みましたので、今年は作品発表が多くできると思います。

昨年は体調を戻すのと戦時下での狂気の調査にだいぶ時間を使ってしまいましたが、鍵盤の練習から新しい和音や和声進行を掘り下げられ、木管のアンサンブルも次の境地に入れたように思います。

 この10年ほどかけて蓄積してきたことを統合する年と思っております。ジャズの巨人・クラシックの巨匠たちが開拓したことを学び、歴史や知識を吸収し、分析し、模倣したり習作を経て蓄えてきたことを、もともと自分で創作してきた系統(ボサノヴァやギター表現、プログレッシブ・ロック、民族音楽、ファンク、メッセージソング、即興ソロ、映画音楽の影響)とシームレスに融合させ、俯瞰で見て自分を信じて表現できるようになってきたように思うのです。

 自問他門に多答でかっこたる自答に行き着くのに時間がかかってしまいましたが、ウィーンの音楽家に高評価いただいたり、世界中の独自な表現で発表している人たちをたくさん見ている中で、充分に熟成したな、もう出してもいい価値を備えたな、と思えるようになってきたのです。

 どうしても「誰かの真似になっていないか」「独自と思っているものがとっくに使われていた手法だったのではないか」逆に「この手法をやっている人がいないのは器楽的に無理な理由があるのではないか?すでに先人たちが挑戦して失敗したことを繰り返しているのではないか、しかしそうだとしてもまた失敗するとは限らない、でも時間対成果では他のアプローチにエネルギーを向けるべきなのだろうか」

「あさはかな表現の段階にいるのではないか」「緻密なコントロールでのみ発現する美しさにはまりこみ、実際の生演奏は不可能なのではないか」「商業的に成立しないのではないか・またはそれを足かせとする必要があるのか」「電気がないところでも大人数に聴かせられるだろうか」

などといった自問が多くなり、クリアーすべき壁が大きく、偉人たちはこうしたことを超えてきたんだな、と思うとブレーキがかかっていました。

 

 さらにコロナウィルスの影響でライブやアンサンブルの構築、ギターレッスンも滞り、もとより3・11大震災と原発事故以来不便な生活を自分に課していることもあって遅々としていまして体調も崩しましたが、ダイブ環境が作れれば次々にアイディアが湧いて、作曲が進み、コード進行も次々とバリエーションを思いつき、新しいリズムの組みあわせ、創作音階の展開法などなど可能性が限りなく広がりモチベーションは衰えません。

 「ダイブ環境」とは家事やテレビ、仕事の予定、電話、ラジオ録音、支払い、メール、他人の雑音、さまざまな書類の提出、興味がないのに果たさなければいけない雑事、といったことから遮断して音楽だけに集中できる状態のことです。

時間の感覚が薄れ、宇宙空間で音の構築にだけ没頭しているようなフロー状態。スポーツでいうところのゾーンに入った、というやつです。映画でいうと「アルタードステーツ」の箱の中、マイケル・ジャクソンが常用したりベッカムが怪我を治した酸素カプセルみたいな状態をナチュラルに生み出す感じ。

作業や感性に没頭しているのでマインドフルネスともトランス状態とも違うと思います。ピアニストや画家はこの状況の経験が多いと思います。もしかしたら数学者も。

 若い頃だったらギターとテープレコーダーですぐ入れましたが、表現が複雑になり、社会的にも課せられることが多くなると中々構築しにくくなります。

 Sibelius(記譜ソフト)が流暢になってからは山の中に行ってMacbookで始めるとダイブできることが多く、時には車の後部座席で寝っ転がってヘッドフォン、時には小型のmidiキーボードをつなげて河原などで作り出します。これを長めに繰り返すと普通に家でも公園でもダイブできるようになりますが、雑事で忙しくしているとしっかり構築が必要にはなります。

 この状態でまだまだ試してみたいことや新しい響きの発見が地平線に向かって膨大に広がり、どんどん進んで行きたいという状態なので、必要なのは時間と実現する機材、生演奏では演奏家とスタッフです。そのためにはお金も必要なのですが。これはクラウド・ファウンディングなど工夫の必要があります。

 しかし「全部を試してから」というのでは発表する前に死んでしまうので、ある種ひらきなおりも含めて今の時点でとにかく発表しよう、という気になってきたのです。もちろん今までもCD2枚製作し、ライブやHpでのアップロードなどしてきましたが、3・11原発事故以来、「電気を使わず成立する表現の確立」ということで取り組んできた表現での話です。

 十分オリジナリティーがあり、目標としている活動への足がかりにもできるクオリティーに達したと思えてきて、先ほどの自問に答えられる段階に来たのではないかということなのです。

まずはYoutubeで発表してサウンドクラウド、Spotifyなどインターネットを使って徐々に進めて行きたいです。

それでは、今年も平和を重視して、環境にも気を配って充実した生活を送りましょう。

皆さまのご健勝とご多幸をお祈りしております。

           2023年正月

 

 


 ↓ 前回の内容です   (長いよ〜。心して読むべし。出典・リンク付き)


 終戦の日  9月2日

冥福を祈ると同時に欺瞞を見破ることで供養しましょう 

 

    8月12日〜9月3日  記

もう9月、ヒグラシも終わり、秋の気配がしてまいりました。

今日は終戦記念日です。実際の調印が東京湾で92日なので、世界的には今日なのです。

もちろん日本では玉音放送の流れた815日が終戦記念日で、毎年この日と311日は襟を正し、近くのお寺に行って般若心経を唱え、冥福を祈ります。

無念で亡くなった方々が苦しみから開放されて安らかに成仏できますように、と祈ります。

そして改めて勉強してこのHpにコメントを残します。

 ですので前回モリセットさんの個々の曲の魅力について書く予告をしましたが,次回ということで。実はモリセットさんのフィリピンでも太平洋戦争時、日米戦闘で100万人にものぼる犠牲者を出してたり、日本軍が市民に残虐なことをしたり、捕虜にひどい扱いをして多数の死者をだしたり,神風特攻隊が発進したりと・・まだまだ不勉強なので。日本も現在侵攻中の国と同じ残虐性を持っていたのですね。

 

戦後77年経ちました。

 この数年、機密文書の公開や、詳細の日記の発見や、当時の体験者の聴き取りテープなどによって戦時の状況がより明らかになってきました。米軍英軍が撮影した映像・画像を参照することも出来て時系列でどの兵士がいつどこで亡くなったか、誰が作戦支持したか、などあらたな事実が発見されたり、曖昧だったことがはっきりしたり、謎だった部分が解明されたり。

 それにしてもひどいよ。ひどすぎるよ。残酷すぎるよ。悲惨すぎるし可哀想すぎるよ。

 毎年書くけれど、戦闘そのものでなく食糧が無くて餓死した兵士たちの無念、マラリヤや赤痢にかかって病死した兵士達、日本兵に強制されて自決させられた民間の人たち。ゲリラじゃないのにゲリラとされて日本兵に殺された現地の人たち。もちろん原爆で亡くなった人たち、その後の原爆症で苦しんで亡くなった人たち、条約を破って終戦時に急襲してきた連邦のならずものに略奪・殺戮された北方の民間人の方々。沖縄で上陸してきた米軍の火炎放射器で焼かれた民間人の人たち。書ききれません。

 

  生き残ってもあまりの悲惨さとトラウマにずっと口を閉じて家族にさえ話さずにいた高齢の方達が、さすがに死ぬ前に伝えなくては、ということで衝撃の事実を明かすケースが増えてきました。自分の心や家族の問題だけでなく、戦友の家族が受けるショックもあるので言わなかったケースも。またすでに亡くなっているが生前に書き残した詳細な手記や日記が発見されたり。

 

 私はテニアン島やロタ島に行った時、思いがけず太平洋戦争の残骸・爪痕を目の当たりにし、エノラ・ゲイの発進滑走路、スーサイドクリフにおける日本兵の強要自決による悲しい出来事を親切なフィリピン人から聞いたこと等、以前書きました。その時、親の機転で生き残った子どもたちももうかなりの高齢だけれど、日本では教科書にも載らないしドラマ等で取り上げられることもないな・・と思っていました。

 一昨年ぐらいから映像ドキュメントが増え、このテニアンの生き残りの家族が体験したことの証言映像を綴ったものがあります。

   非常に衝撃的な内容で、沖縄のガマと同様なことが太平洋のど真ん中でも起きていたのですね。それは女性ジャーナリストがある一家に長年取材したもので、たんに一過性にインタビューしたものではないのです。この取材者が根気強く何年にも渡ってていねいに接して信頼を得たからこそ明らかになったのです。この時詳細まで話してくださった母親ももう亡くなって、生き延びた娘さんも高齢になって来てやっと明かした内容もありました。ここでも愚かな日本兵の強要自決で亡くなったり我が子を殺さざるを得なかった人たちなどいるのです。

 私が残念でならないのは将校や士官などが重大なミスをおかしたり、後方の司令部が無謀な作戦を強要したりで無駄な犠牲者を未曾有に出して、かつ敗戦につながったのに、自分だけ逃げて生き残って、責任を問われないばかりか昇級までして長生きしている者がいるということです。

 部下や新兵や軍属や民間人には「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」とか「お国の為に竹ヤリでも戦車に向かえ」「爆弾を載せて敵船につっこめ」「この手榴弾で自決しろ」といって強制していたパワハラ士官が兵隊を置き去りにして自分だけ逃げて帰国してるんですね。(もちろんこういう輩は戦後も自白しません。)

卑怯で、狡猾で、残忍で、不道徳で、愚鈍で、邪悪で、利己的で、それこそ非国民。

 しかもこれらのヤカラは戦後再編された警察や企業等のお偉役になっているのです。

 3・11原発事故の後と同じですね。

そしてそのことがあまり知られていないということ。

 無惨な死に方をしていった犠牲者の方々がほんとうにあわれであわれでならない。悔しくて悔しくてしょうがない。そして自分が何も救ってあげられない事が恥ずかしい。

 だからせめてここに明記することでほんの少しでも供養になればと思うのです。ほんのわずかでも無念を晴らせればと。

 

 そしてまた万が一、有事の際に同じことを繰り返さないために。あるいは有事でなくても政治の闇によって富裕層や悪徳政治家が得して一般市民や高齢者が搾取されるということにならないように。またブラック企業の上司から無理な業務を押し付けられて過労で亡くなったりしないように。

 いくつか例を挙げてみましょう。

重要書類を持って乗った飛行機が不時着してゲリラに囲まれた際、フクトメは自分が助かる為に暗号書類や作戦計画書、地図などの機密書類を渡してしまった乙事件 当然その後の作戦は全て漏れ、先手を打たれ、戦況は一気に不利に。地図をもとに原爆投下計画が練られた。

フクトメは戦後、防衛庁の顧問になっている。

★44年9月10日 ミンダナオ島で米軍が上陸したと誤報してゼロ戦100機壊滅したダバオ水鳥事件 

 司令部はろくに確認もせず、迎撃のため北のセブ島基地に零戦を中心に多数集結させた。誤報と分かったが空からの奇襲を受け、ほとんど飛び立たないうちに炎上、約100機とベテランパイロットを失った。この損害で通常戦闘が困難になり、特攻作戦に繋がった。

米軍が上陸したと報告した者ははじめの見張り所だけでなく何人もいるが、私の調べた中では名前は判明しませんでした。

 確認せず書類を焼き払って司令所を撤退した人、報告を疑ってゼロ戦で偵察して誤報と確認した人などは判明しているが。通信記録を追えば簡単に調べられるはずだが、おそらく追求されなかったか隠蔽されたのでしょう。海軍の恥だから。

  ちなみに失態のテラオカは別の艦隊の司令に任命されたが、ここでも索敵が不十分で米空母を本土に近づけてしまい、日本本土への大空襲を招いている。

 

そもそもの真珠湾攻撃で開戦する際、宣戦布告の重要な通達が日本から大使館に電信され、攻撃前にハルに渡すように前日から知らせてあったが、大使館員がパーティーに行って誰もいなくなり、通達が遅れて攻撃後になってしまった。

日本が卑怯者にされた参戦に躊躇していたアメリカに大義を与えてしまった。(米軍は傍受・解読して知っていたが、憎しみや復讐心による参戦の理由が必要だった。遅れなくても宣戦布告なので対戦は始まったと思うが、卑怯者として憎まれ、日系人が収容所送りになり、そこでの扱いや、日系人部隊の前線送り、戦後の差別の大きな要因に。)

 

この大使館員2戦後は外務省の最高官職である外務次官に昇格、これによって外務省の大失態を漏れないようにした。

大きく戦況が転換したミッドウェイ島作戦で米軍艦隊がせまっている報告を司令官イソロクが対応しなかった米空母からの爆撃機に日本の空母が攻撃を受けて4隻とその搭載戦闘機全て(約300機)を失い、その後の太平洋戦争を著しく不利にした。 これはハワイとの中間にあるミッドウェー島の米軍飛行基地を攻撃する事で「敵空母をおびき出して叩こう」という、イソロク立案で強引に通した作戦。一般にナグモ中将の判断ミスで大敗したと認識されているもの。

 

この戦局を著しく変えた大失敗でもイソロク、ナグモの責任は問われず、国民向けだけでなく軍内でも情報統制がしかれ、隠匿されました。

  私はあまりにも索敵(敵がいないか偵察)が軽視されすぎと思って、資料で数えたところ、偵察用飛行機(略で零偵・零観・水偵など)は参加戦力中になんと150機もあるじゃないか。空母に限らず巡洋艦、戦艦、水上機母艦、さらに潜水艦にも備えていて発進できるのです。

それがたった7機しか出してない。それで広大な太平洋を監視できるのか?しかもはじめに敵機動隊ありの通信が入った時ではなく、攻撃機第一陣が出撃してからの出発で間に合うのか?

 先行しているナグモ自身の第一機動部隊だけで19機持っており、本隊でも53機ある。イソロクの乗る大和にさえ6機載せている。いつでも発進させられるし、間隔をおいて2段、3段でも出来るし、見落としのないよう1回の発進に20機でも可能。それが71回だけですよ。第一陣攻撃隊を出す遥か前に出発させられたのに。

 

 利根からの4号機発艦が遅れたことをとやかく言う傾向があるが、それ以前の問題ですね。

 さらに、実は筑摩からの1号機は敵のいる上空を通っているにもかかわらず雲の上だったので見落としている。しかも爆撃機と遭遇もしているのに報告しなかった。こちらの方が責任重大でしょう

  ソロモン海戦時、米軍は探索機を23機飛ばしています。

  結局魚雷→地上用爆弾→やっぱり魚雷に戻す、と言う換装が間に合わず米機の急降下爆撃で次々炎上・爆発、あっという間に3隻の空母は撃沈となった。これを索敵機からの報告が遅れたからとか、あと5分あれば間に合ったのに、とかいう説があるが、どうやら指揮の失敗の印象を軽減させるためのでっち上げということが分かってきました。

 

悪名高きインパール作戦を執拗に提案して実行したムタグチ冷静に検討して、やるべきではないという人たちを非国民と退け強引に決行した結果失敗して戦没者は3万人(撤退後を合わせると16万人)にも登り攻略自体も出来なかった(うち8割が戦闘ではなく餓死・病死)して指揮していたムタグチは自分だけ帰国して反省もせず77歳まで生き続けた。

   証言集は→こちら  

   映像集は→こちら

 

(詳細は後ほど別記)

原子爆弾をつんだ特殊作戦機がせまるのを傍受した陸軍諜報機関が上に報告したのに黙殺して全く対策しなかった 50万人以上が爆死・焼死し、後遺症で亡くなり、現在でも苦しんでいる人がいる。

 

 

 ↑これらの者は責任を問われていません。名前が分かっていて問われない者、名前が分からない者、名前が分からないよう操作した者もいます。犯罪者のようなものですね。

 犠牲者に申し訳ないです。今なお太平洋やビルマに遺体が回収されず取り残されています。(現地の人が白骨を回収して遺族が来るまでと保存している分もある)現在ならDNAで鑑定も可能だが、国は何もしない。酷葬()の費用があるならまずこちらを弔うべきと思います。

 

 

この中でも特に最悪・悲惨といわれるインパール作戦について少し書かせてください。

これはビルマ(現ミャンマー)でイギリス軍と交戦した時のこと。

すでに全体の戦況が不利になってからです。ラングーン側からたった3週間で急峻な山道や密林、大河を越え高地の拠点インパールに攻め入り、占領するというもの。

 思い出したくないということや、上官からの報復が恐かったりで当事者達の証言が少なかったのが、打ち明け始めたのと、イギリス軍が撮った多くの写真や30時間の映像フィルム保管されていた詳細の書類、当事者の証言、現地住民の証言、現地で75年振りに発見された詳細な手記、生還した兵士(その後亡くなったが)のご子息が発見した詳細な日記、当時聞き取った音声テープ、こうしたものを時系列に照合し、精査することで鮮明になってきました。

従来戦死者はおよそ3万人と言われてきたが、作戦中止後にさらに地獄が待っていて実は16万人が犠牲になっていた事が分かって来たのです。

 いかにずさんな作戦で司令部、大本営が腐っていたかが証明される。従来言われていたより想像を絶する悲惨さ・無念さが浮き彫りになりました。

  そもそも大きな河や急峻な山道、密林を大砲や武器弾薬などの荷物を運んでたどり着かなければならないという時点で無理だと素人でも分かる。アラカン山脈の高低差3000m距離470Kmにも及ぶ行程を現地の村から牛や食糧を略奪しながら進んだ。東京から滋賀県までとほぼ同じ。運搬車両が通れるかも調査してないから場所に寄っては大砲を分解して人力で担いで登る。太平洋の島でも似たようなシチュエーションがあった。

  仮に現代の探検家がきちっと装備してたどってもそうとうきついものを牛や羊を連れて、重い装備を背負ってろくに食糧も無く、しかも近づくに連れて上から攻撃される。熱帯で湿度も高いから当然汗をかくから熱中症やマラリヤや赤痢等の感染症とも戦わなければならない。もちろん予防注射も治療薬も用意していない。

 これは密林や熱帯の登山経験の無いシロウトが考えることで精神論でできることではない。ヒマラヤをTシャツ・サンダルで登れ、ゴビ砂漠を水無しで徒歩で渡れ、というのと同じこと。しかも万一撤退する場合の方法も考えてない。

 私もアマゾン川のジャングルやグランドキャニオンの谷底、アリゾナ砂漠、南マリアナ諸島に行ったことが有りますので、一見美しい自然が転じていかに恐ろしくなるかは想像出来ます。ひとたび始まれば無尽蔵なエネルギーで無慈悲に無限に猛威をふるまい続ける。地球のホメオスタシスの前では人間等砂粒にも値しない。

 

念のため背景・状況を補足しておきます。

イギリスは3度の戦争の末英緬戦争・えいめんせんそう)ビルマを、植民地支配していたインドの一州としていました。ビルマは当然独立して解放されたがっていました。

 それを日本があの大東亜共栄圏という呪いのもとに各地に侵攻。マニラ占領。シンガポール占領。

19421月 イギリス領ビルマ全土を制圧・首都ラングーンを占領。イギリス軍はインドに敗走しました。大本営はインド侵攻を検討したがすぐに保留。この時は上から

大本営南方軍15

というピラミッド構造。ところが前述のミッドウェーで敗戦後、43年のガダルカナル島撤退、アッツ島守備隊全滅、マキン島、タラワ島守備隊全滅・・とアメリカ軍に連敗。戦線は後退、で敗戦濃厚になっていたのですね。イギリス軍もビルマ奪回のため反撃。

 その中で一矢むこおうとインパール作戦が浮上したのです。

それで19433上から

大本営南方軍(東南アジアを統括)15軍 

というピラミッド構造だったところへ「ビルマ方面軍」を新設。河辺正三を司令官に。

大本営南方軍ビルマ方面軍15軍  

という構造になったのです。悲劇の砂時計がセットされてしまいます。

河辺は東條フデキ首相と陸軍大学校の同期で「太平洋で戦局が悪化しているので、せめてビルマでひと旗上げてくれ」と言われていた。

同時期に第15軍の司令官にムタグチが昇進。インパールへの侵攻を強硬に主張。

 

  計画に反対する意見はことごとくはねのけられたといいます。この第15軍のムタグチ直属の小畑参謀は強行に反対した。彼は貴重な兵站(へいたん前線の部隊に食料や弾薬を補給する任務)の専門家でした。彼が残した写真と詳細を書いたアルバムが残されています。この作戦は実施すべきではないと主張したが、ムタグチが消極的と叱責し、わずか1ヶ月半で更迭、ビルマから左遷された。良識があり、勇気を持った軍人もいたんですね。作戦が強行されても、もし彼がいたらここまで悲惨な死に方にはいたらなかったのではないか?

 ムタグチが頼ったのがビルマ方面軍の河辺正三司令官 (盧溝橋事件の時上司と部下)。これがムタグチにやらせてやりたいと語るようになり、作戦を認可。

その上の階層、南方軍の寺内寿一総司令官も同調。

ただ大本営ではビルマ防衛に徹するべきという声も増えていた。

そんな中大本営の杉山参謀総長から寺内の最初の所望なのでなんとかしてやってくれと言われ、参謀たちは断れず認可し押印していった。つまり作戦の合理性や正当性ではなく人情論や人間関係が優先されてしまったのだ。

これによって194417日、インパール作戦は認可されてしまった。ムタグチは中部のメイミョー(現ピン・ウー・ルウィン)に第15軍の司令部を置いた。調べると標高1000m強で涼しく、イギリス統治時代には避暑地として栄えた所。古代寺院の遺跡が多く残っています。

 今回はじめて現地の元司令部だった建物に調査が許可されたということ。現在ミャンマー国軍士官学校の中に位置しているようで、当時のまま残されていますが、紫がかった赤レンガと木造が組み合わさった美しい建物です。これを当時の日本軍が建てたのか、イギリス領だったので元々あったものを使ったのかは、資料が見つからないので分かりませんが。

この美しい建物の中でおぞましい作戦の指令が下され、現地からの物資要求を却下していたかと思うと残念でなりません。前線からは約4500kmも離れたところで遂行出来るのか?東京から滋賀の距離と同じ。

この距離とほぼ同じ。

 ここへ23歳で配属された齋藤博圀 少尉が当時の司令部内を詳細に記録した日誌や回想録が発見されました。会議で当時の参謀がムタグチ同様反対意見を封じていくさまが記録されています。

経理部長が補給は全く不可能と明言しても、全員が大声で「卑怯者、大和魂はあるのかッ」と怒鳴りつけ、従うしかなかった。つまりイエスマンしか近くにおかないという体質が悲劇を生んだのですね。それこそ勇気がなかったのです。

これは海軍がミッドウェー作戦を開始する前に机上の模擬戦を行って、米船団が待ち構えているケースにいたっても、無いことにしたのと同じような体質ですね。実際は待ち構えていて甚大な敗北になったわけです。しかも模擬戦時は索敵機を3段回出しているのに、現場では一度だけで発見が遅れた。

 また、イソロク司令官が前線から遥か後方に離れたところの大和にいたのもそっくりです。

 194438日インパール作戦開始。3師団、9万の将兵(データによっては16万)で実行されました。いよいよ悲劇の砂時計がスタートしてしまいました。

雨季が来る前に3週間で南から第33師団、中央から第15師団、北の第31師団は北部のコヒマを攻略しインパールを孤立させるという3方向からの進軍。

中々位置関係を把握しやすい地図が見つからないので作ってみました。概略です。

(戦史叢書 の図に上書きさせて頂きました。)

最大470㎞を踏破しなければいけない前例のないもの。15師団と31師団はまず大河を越えていかなければいけない。

ちなみに自然環境ともう少し広範囲を照らし合わせるのにこちらもアップしておきます。(Googleより)

深い密林のイメージが分かると思います。バングラデシュとなっているところは当時はイギリス領インドです。コヒマのあるナガランドは現在東に伸びたインド領です。独立への紛争が続いていますが若者のアニメファンも多いようで見た目は日本人そっくりです。

 

 さて地元民から牛を奪い、荷物を運ばせ、食料にもできるという考えだが、河幅600mのチンドゥイン河を夜間に渡るうち牛の半数が流されました。愚かすぎにもほどがある。川の深さや流れの速さ、水の抵抗など考えておかなければならない。イカダを組んで乗せるとか、何本もロープを渡しておくとか、何か考えるのが作戦というもの、災害時で流されるのと同じことをわざわざ受けに行くとは。牛が可哀想。現地の人たちに牛を返してあげたい。

 そのあと、標高2000mを超えるアラカン山系を登っていく。

車で通れる道はほとんどなく、映像ではトラックや大砲を解体して人力で担いで運んでいます。河を渡るだけで疲弊しているのに途方もない。その後上に向かって戦闘するなんてアイアンマンレース(もっとも過酷なトライアスロン)の後にキックボクシングの試合をするようなもの。

上半身裸なのでかなり暑かったはずです。

大砲を分解して馬4頭ほどに分けて積んで行くが、馬が山道を踏み外して転落したりした。残りの部品で大砲に戻せたのだろうか。馬が可哀想。

この時点で兵士たちはかなり消耗していたといいます。あたり前だ。

2週間の位置シンゲルで南から進んでいた33師団はイギリス軍と最初の戦闘になります。

戦車砲や機関銃を浴び、ここで1000人以上の死傷者。今でも日本兵の遺骨が見つかります。

現地の住民が白骨をたくさん見つけて、遺族が取りに来るまでと保管してくれている人もいるんだ。

この33師団長の柳田元三 中将は3週間で攻略するのは不可能という事でムタグチに作戦の変更を強く進言した。(すでに突撃隊は玉砕している)

他の師団からも同様のうったえが相次いだ。しかし司令部にはムタグチの怒号が響いていたという。

 

開始3週間後、北出発の31師団はコヒマにたどり着いた(凄い!)が、イギリス軍の戦力は非常に増強され一変していた。

イギリス軍が撮影した10時間を越える映像が残されていた。彼らは武器や食料、医薬品など1250トンを飛行機からパラシュートで前線に投下できるようになっており持久戦に持ち込めるようにしていたのです。イギリス軍が日本の司令官・参謀など17人から尋問調書をとっていたのが発見されました。

その中で31師団長の佐藤幸徳 中将はコヒマに到達した時点で戦闘継続は難しい状態だったと。すでに食料は消費、周辺でも入手できず後方からも届かず、絶望的になったと。

  今もあるコヒマとインパールとディマプルとの三叉路、そこを見下ろす丘の上に強固な陣地を築いており映像があります。突撃を繰り返す日本軍を上から据え置きの機関銃で圧倒。

 斜面には日本兵の遺体が累々としています。可哀想だけれど、命令に従うしかなかった。ところがこの不利な状況で2か月もの激戦となりイギリス軍にもかなり戦死者が出たようで、いったんはコヒマを制圧出来たということなんです。しかし佐藤師団長は食料・弾薬の補充が来ない以上維持できないので兵士の無意味な死を避けて撤退したという事で、ムタグチに更迭されてしまいます。

これはよく調べないといけない。

 実際に従軍もしていて、何百人も取材していて信頼できる高木俊朗さんのノンフィクション、インパール5部作を読むべきでしょうね。そもそもこの悲惨な作戦を世に知らしめたのは彼だし。恐らく「抗命」あたりにコヒマでの状況と、佐藤師団長の状態が記されていると思うのです。→このサイトで一部読めました。

 他に土門周平著「インパール作戦」

 戦史叢書のインパール作戦 : ビルマの防衛 

 また、対戦したイギリス軍側の視点も知る必要があり、尋問のほとんどを担当した語学将校のLouis Allenルイ・アレン)記した

Burma The Longest War 1941-45 

End of the War in Asia 

(翻訳本が出ているようです)

司令官だったWilliam Slim(ウィリアム・スミス)

Defeat into Victory」→(部分訳:敗北から勝利へ

などを精査すべきなのでしょう。どれも名著とされているもの。

あるいは実際に戦場で戦った生存者が書いた記録や集めて書籍にしたもの、各地の戦友会が編纂したもの、証言映像集など照合していけばコヒマに限らず現場の具体的な事がより明瞭になり、一般的に認識されている(脚色された小説や映画などで)事とはかなり違うかも知れません。上層部が失態を隠すために変えて言ったものをもとに作られた場合もあるので。

 これには時間がかかる、私は音楽家であって戦史研究家でもミリタリーマニアでもないのでそこまでエネルギーをさけるかは分かりません。平和に導けるような曲を作る事にエネルギーを使った方がいいとは思うのですが、前回書いた「アーティストを信頼できるかと、作品の価値との関係」については昔から自問他問もしてきたテーマなので、知っておくべき事はなおざりには出来ません。時間はかかっても図書館などで読んでみようと思います。ただ、地元の図書館にない場合リクエスト票を書いて出すのですが、他館から届くまで10日間ほど、国会図書館の場合だと2週間ほどかかるのです。また国会図書館の書籍の場合、貸し出しはしていないので関内で閲覧するだけになります。  

  齋藤少尉の記録によれば師団長とムタグチのケンカのやりとりが続いたという。「善処しろとは何事かバカヤロウ」の応答。何という愚将。

一方ムタグチと上官の参謀との間で頻繁に語られていたワードがあった。

「どのぐらいの損害があるか」と質問があり、ハイ、5000人「殺せばとれると思います、と返事していた。これは敵の数ではなく味方のことです。味方の犠牲の事を平気で「殺す」と表現している訳です。参謀部の将校から「何千人殺せばどこがとれる」という言葉をよく耳にしたと記録している。しかも何千人という単位ですから、はなからものすごい犠牲者が出ることを想定して進めているんだ。だから作戦承認の時もそのぐらいの犠牲者が出るのを折り込み済みで、どうしようかな、南方にも数が必要だしな、どこを優先しようかな、まぁ、河辺がどうしても、というのだから仕方ないか、と押印したのでしょう。この時点で何千人も殺した訳です。味方を。結果は何千人ではなく何万人となり、ケタが違っていたのです。

少しでも戦死者を少なくする方法はないかという考えは持ち合わせていないのだ。士官学校でそう教えられてきたのだろう。

そうするとムタグチらの言動の根拠が読み取れましょう。つまり〇〇人は死んで当然なのだからすでに死んでいる兵隊で、言うなればゾンビ軍団です。なんでゾンビにメシを食わせなきゃいかんのだと怒る訳です。はなから同等の人間として見ていないんですね。 

2ヶ月経過の5月。

ムタグチは現場の指揮官に原因があるとして、それぞれ3師団の師団長を更迭(こうてつ・クビ)した。

インパール目指し中の15師団の山内正文 中将33師団の柳田元三 中将。コヒマの31師団長 佐藤幸徳 中将(作戦中止間際に)

 全ての師団長を更迭するという異常事態に。自分達は涼しく快適で安全な場所から命令するだけ。それでうまく進まないということでゾンビが言う事きかないと稚拙な逆ギレですね。結果統率がとれなくなり、より悪化してしまうのです。 

 ところで親補職(しんぽしょく)というのがあります。

 まず天皇が直々に任命する役職の「親任官」の文官、武官があって、軍では陸海軍の大将のみがつく。一方で「親補職」というのがあり、中将や師団長は親補職で親任官と同等のようだ。 

それで中将であっても大将に対し行政命令を発することができたとある。これによって師団長を更迭するには天皇の手続きが必要なので一司令官(中将)がかってに罷免することはできない、だからムタグチは軍機違反だという指摘がある。でも結局誤魔化して問われなかったんですね。

悲劇の砂時計は加速します。

 あと、この前線から遠く離れたメイミョーの司令部近辺には料亭、御座敷があって参謀などが頻繁に出入りして楽しんでいたという記録があり、歴史研究家やそれを知った読者が激怒するという事があります。→高木俊朗氏の書から

     

   コヒマでの戦いをもう少し調べたところ、ドキュメンタリーなどで語られるよりかなり色々な部分的な作戦があって、トンザン激戦区、ビシェンプールや、ティディム、インダンジー、サンジャック、ガリソンヒル、レッドヒル、トヘマなどで物語があったのですね。コヒマの他にも撤退する中でのシッタン作戦など。

  イギリス側の記録の方が確かめやすいかも。

このコヒマの戦いは、宮崎繁三郎 中将が師団中の第58連隊のみを率いて攻め込んだのですね。概略しますと、まずウクルルを攻撃したらイギリス軍はサンジャックまで後退。さらに何回も追撃して攻略に成功しますが、500人の死傷者がでました。ここでイギリス軍の食料や武器を獲得しています。

 そのあと1,500m~2,000m級の稜線を踏破してコヒマへ迫る。偵察すると相手は動揺しており、日本軍が来るのはまだ2週間後と思って戦力を置いていない様子。突入したらほとんど抵抗無しに退却して行きその日のうちにコヒマを占領しました。

  ところがイギリス軍は対面の高地に陣地をいくつも構築して立て籠ったのですね。

それぞれの陣地にイヌとかサルとか名前を付けて攻撃するけれど中々攻略しきれない。2か月かかってあと「イヌ」だけになったが激しい抵抗に合い、相手は例の空中からの物資補給で強化されていったという。

そこにはもともとバンガローとテニスコートがあった。なんと前線は数メートルまで接近していたけれど両軍ともに弾丸を撃ち尽くしてしまい、手榴弾を投げ合うほどの接近戦となった。

これは後に「テニスコートの戦い」と呼ばれるようになったのです。

 

ここにイギリス軍(か連合軍)の映像がありました。→Bruma  campaign

爆撃で逃げ惑い難民化する現地の人達、ジャングルの中を進む姿など映っていますので、現場がどうだったか想像を助けてくれます。インド人を訓練して兵隊にして行く様子や各国から兵隊が集結してくる様子も。ビルマ人、インド人、グルカ人、だけでなくオーストラリア人、アフリカ人、ニュージーランド人、中国人、アメリカ人も加わっています。

車輌を分解して飛行機に乗せ、日本機を避けてヒマラヤ方面に迂回して飛んで行く様も。

 映像中に出てくるLedo Roadはインド側から中国に物資を運んで対日強化するための輸送路。日本ではレド公路と呼ばれるもの。どうやって切り開いたか(自然を破壊したか)が分かります。

またChindits(チンディット=ウィンゲート旅団=空挺の遊撃隊)が準備しているところも映ります。

ただコヒマでの戦いはほとんど描かれてなく、Ledo Roadが貫通した〜というところで終わります。日本軍はJapsと蔑称で呼ばれてます。まあ、Naziと同じですね。

  こちらの映像は現代的なニュースで、コヒマの追悼式典の様子です。こちら

ある兵士の記録では、まるで雪合戦のように手榴弾を投げ合っていた、と言うことです。日本兵は銃も無い、食料も無い、と連絡し対応を得られなかった事に触れています。 

 

こちらはジャーナリストが受けた投稿から調査して作ったものらしい。

The Battle of Kohima 1944 World War II

双方のリアルな貴重映像と現場での解説も。テニスコートでの手榴弾の投げ合いも映ります。現在の平和な様子も。

 

ちょっと横道それますがものすごく興味深い映像を発見しました。

Japanese Culture

当時(より10年ほど前)の日本文化を紹介してるのですが、西洋風と古来の伝統が混在している事に注目して、服装、生活様式、相撲、野球、音楽、柔術、農業、ダンスホール、能、庭園、掃除、生け花、歌舞伎、食事、茶道、部屋の出入り、お参り、挨拶・・広範囲に捉えていて、解説も的確でむしろ日本人より把握している。映画からのシーンもあって、まだ日常に着物が多い。

これは絶対見るべき。この映像の普及度が分からないのですが、当時どのくらいのアメリカ人がこれを知っていたか、決して日本人を野蛮で低俗な民族とは考えていない。もし皆が見ていたら戦争にならなかったのでは?

解説を読むと、1943 年頃にOffice of Strategic Services (OSS)が作ったもので、今でいうCIAがエージェントの訓練用に作ったものらしい。すでに真珠湾以降か・・

 なるほど潜入するには良く知っておかないとね・・でも反日の人に見てもらいたいな。

 または逆に、昨今の海外の日本好きの若者に。今見れないものもあるから。アニメ、ラーメンだけやありまへんがな

 

というわけで佐藤師団長率いる31師団本隊ではなく宮崎中将率いる58連隊の死に物狂いの活躍でコヒマをとったと。

ところが「イヌ」がとれず、イギリス軍は増援部隊が次々到着し、砲撃は110,000発が宮崎支隊に降り注いだ。423日に夜襲をかけたが、自陣のガソリンに引火して明るくなり、丸見えになったところに砲弾で狙い撃ちされ、撃退されてしまう。

これ、もし佐藤師団長の本隊が駆けつけて加勢していたらどうなっていたんだろう?どこにいたのかな?

 攻守が入れ替わり、防戦に。毎日10,000発の砲撃、空からは航空機の攻撃、さらに地上では多数の戦車も追加されて襲ってくる。

対戦車砲はもう無かった。

もう絶対絶命じゃないか。通常なら白旗あげて投降か、撤退ですね。

しかしそれでも、爆雷を持って戦車に突撃する「肉薄攻撃」をかけた。これは自爆同然の特攻。証言も残っています。爆雷とは海軍のではなくこちらと思われます。→九九式破甲爆雷

周りの4つが磁石で、亀に例えられたようです。これを持って戦車に向かって走って行き装甲に貼り付け、安全ピンを抜いて信管を叩くと、約10秒で爆発するらしい。これでないと分厚い装甲は破壊出来なかった。おそらく安全ピンは先に抜いておくでしょうし、近づいて信管を叩いてから貼り付けなければいけないケースもあったでしょうから間に合わず爆発してしまう危険もあるし、戦車は止まってないで走ってくるわけですし、周りに歩兵を伴っているでしょうし、斜面を駆け上がる、雨で地面は泥どろになっている、という状態で成功させるには恐怖に打ち勝つ相当の精神力と体力と運がなければ難しいでしょう。

  これ→リー戦車に向かって行くんですよ。

爆発させられても自分も吹き飛ばされたり、歩兵や戦車の機銃で撃たれてしまう。マンガのヒーローのようにはいかない。だからこれを命じられた兵士は99%死ぬ、という覚悟で臨む。生き残った兵士の証言でも隣にいた友人が命じられて突撃していったんだといいます。

それでも戦車6輌を撃破して、イギリス軍は戦車での進軍はやめて砲撃だけに切り替えたという。もう超人軍団ですね。

当初はうっそうとした植物に覆われた高地が焼失して赤肌露出の荒野になってしまい、イヌ陣地はイギリス軍から「ガソリン・ヒル」と呼ばれたらしい。多分もともとここはギャリソン・ヒルGarrison hillという場所だったので引っ掛けたのかな。ガソリン・ヒルというのは日本wikiにしか出て来ませんね。翻訳間違えたとか?

 英語wikiだと戦いの内容がかなり詳しく書かれていて、それぞれの陣地は誰が率いていて、日本軍がどう攻撃して来たか、とか第60連隊がKanglatongbi(カングラトン)の物資集積所を占領したが食料・弾薬は空だったとか、大本公雄大佐率いる51連隊が滑走路を見下ろすNungshgum(ヌグンジム尾根)を獲得したが戦車の支援で追い出せた、など。でもギャリソン・ヒルです。

ダックスフォード帝国戦争博物館にジオラマがあると書いてあったので探してみたらありました。→テニスコートの戦い

明らかに日本軍(手前)が不利ですね。でも毎晩夜襲をかけたという事で相手も物資不足で水を制限したそうです。

 これが現在のビューコヒマ・ウォー墓地

 ぐるっと周りを見れますがかなりの傾斜を登って来てたんですね。

 

  この頃、佐藤師団長はムタグチから、この宮崎隊3個大隊と砲撃の1個大隊をインパールの侵攻に転用するよう命じられ、躊躇していた。てんのーのたんじょーびのてんちょーせつに間に合わせようとして、それまで再三の物資補給を申請しても応じてなかったのに、突然の変更を要請してくる。3週間の予定がすでに遅れまくっているので4/29のてんちょーせつに陥落を間に合わせて批判を軽減しようと姑息な魂胆だ。しかも4700kmも離れた安全な避暑地から命令して。

 こんな無能な愚将に大切な部下の命をかけるべきなのか?

  佐藤師団長は出発前に後方主任参謀に、約束してあった。20日分の物資は31師団で輸送するが、その後は補給が必要になるからいつまでにこれこれのものを補給するようにと。

それは全く守られていない。

 生き残った兵士の証言では「弾薬も食料も無い。野草や、バナナの木の幹などあたり構わずなんでも食べた。ヘビ・トカゲ・鳥、次に敵の死体から携行食を奪って食べた。」という。

  この遠すぎる司令部というのは流石に批判する者が出て来た。15軍の上級司令部であるビルマ方面軍司令部でも、前線に出るように督促したが1ムタグチは動かず、督促は再三に及んだという。こちら

  新聞社の記者によると、ムタグチは豪壮な洋館を官邸にしていて、小道が清明荘という料亭に通じていたという。日高級将校専用で日本から芸者や慰安婦が来ていて、5時に仕事を終わりにしてそこで宴会・遊興していたという。

どうも現地妻のようなのもいたらしい。それで中々移動しなかったらしい。前線では草をはみ、1万発の爆撃にさらされ、戦車に肉薄攻撃している時である。

最低だね。愚将というだけでなく人間としても。

催促は再三に及び、やっとメイミョウを出ることになったが中々進まない。イラワジ河を渡ると、シュウェボでとまってしまったが、料理屋が新しくできていて、芸者、仲居がメイミョウから出てきた。

そのためにノロノロ進んだのか?

方面軍司令部がさらに催促してやっとチンドゥィン河を渡り、インダンジーに戦闘司令所を置いた。420日。とうに予定の3週間は過ぎている。

  ムタグチの暴走をとめようとした軍人は他にもいた。柳田元三中将は、実施を見合わせるよう意見具申を重ねたが、受け入れらなかった。

 

5月上旬、大本営の秦彦三郎参謀が来て10日間視察して回り、作戦は不成功だと見た。しかし戻って参謀総長フデキへの視察報告では「作戦成功の公算低下しあり」と曖昧に伝えて剣幕で怒鳴られ、てんのーへの報告でも

「現況においては辛うじて常続補給をなし得る情況、剛毅不屈、万策を尽くして既定方針の貫徹に努力することを必要と存じます」と伝えられウヤムヤになってしまった。

 ビルマ方面軍では、高級参謀の片倉衷カタクラただし)大佐が、牟田口計画に真っ向から反対していた。やばい大声でどなり、ののしるので有名な人物で、満州事変を画策し、実現させ、関東軍を暴走させた首謀者のひとりであったらしい。まったく、かたや盧溝橋、かたや満州事変と、日本を暴走させた魑魅魍魎の巣か?

 ならばむしろ真っ向衝突していればよかったのに。15軍よりビルマ方面軍の方が上なのだし。でもなぜか参謀に伝えさせたのだがムタグチに叱られて帰って来る、また片倉に怒鳴られる、という訳で司令部の空気が悪化するばかり。河辺司令官は治める力が無かったので総軍の稲田総参謀副長に頼んだ。

  こういう、内容じゃなく、大きい声出した者勝ちで進む、というのは他の組織でも見かけるヤツだ。組織が成熟していないんだね。株式会社や公務員ならまだしも殺傷能力を伴う組織でこれは悲劇しか生まない。  

  で稲田も位の高い人から言ってもらおうと大本営に連絡して竹田宮(竹田恒徳・明治てんのーの孫の事と思われる)と、南方主任参謀の近藤少佐のふたりを招き、兵棋演習(机上での模擬戦闘)をやる事に。

そうしたら完全には否定しなくて研究の要ありで保留になっちゃった。ここで補充が出来ないのでダメッて切っておけばよかったのに。

 こういう重要事項を、人づてにして伝言ゲームのようにリレーするたびに薄まって、本来の目的を失ってしまうのも未熟な組織の特徴ですね。 

 ただ、反対した片倉参謀は、相澤事件で切られて瀕死の永田を人工呼吸したり、二・二六事件で磯部にこめかみを撃たれて、軍刀で斬られようという時に「刀を収めろ!陛下の命令なくして軍隊を動かすとは何事か」と怒鳴り相手を戦意喪失させたり、このビルマで命を落とした兵士の遺骨収集に積極的だったというから、信条・気骨のある人物と思われます。ムタグチに怒鳴り技で作戦をやめさせてくれていたらな〜と思います。

 

 実はインパール作戦開始に先立って、19441に、2次アキャブ作戦というのを行ったが失敗して敗走しているのです。

アキャブは上の方でアップした地図に記してあります。

 これはアラカン山脈の反対側の海辺から進軍するルートでいわばインパール作戦の支作戦・陽動でした。

重要な飛行場があり、前の年、イギリス軍(連合軍)はそこを奪還しようと試みましたが敗退しました。イギリスはそれまで日本軍に負け続きだったので各国の連合で充分に準備してもう一度望んだ。そこでの攻防で連合軍がとった円筒陣地の防御を崩せず日本軍は物資不足になり、敗退。

花谷正 師団長、桜井 歩兵団長ら上層司令部もなんら有効な策を打ち出せぬまま指揮官や部下に自決を強要した、とあります。この失敗を教訓にできず、同じことをインパールで大規模で繰り返してしまったのですね。

 

 ちなみにこの花谷(ハナヤというのがムタグチと同類の凶悪・狡猾な卑劣漢なのが証明されていて、精神疾患や自殺に追い込まれた者多数。しかも帰国して軍人恩給で暮らし長生きしてる。そこまでそっくりとは。

 この時の円筒陣地作戦、連合軍は「アドミン・ボックス(admin box)と呼んだ。英語の解説を見るとインド第7師団7th Indian Infantry Division)の管理地区(administration areaだったところからつけられたようです。

 

ただ、なぜここで負けたかは、なかなか詳しい資料が出てこない。大雑把に機関銃・戦車砲等を外に向けて円陣を組み、陣地内に空から例のパラシュート投下で物資を補充したからと有るから、インパールで苦戦の原因になるのと同じ。

    参考映像  (注:遺体が写ります。)

  英語で「ダコタ連合軍の輸送機は、アドミン・ボックスの守備隊を含むカットオフ部隊に配給と弾薬を投下しました。彼らは合計 714 回の出撃を行い、2,300 トンの物資を投下しました。」とある。

ダコタというのは多分これの事と思われます。→C47

  米ダグラス社のDC-3を輸送機型にしたもので通称スカイトレインという名機。ジープや対戦車砲も乗せられた。これのイギリス軍に供与された機体がDakotaだからです。

 でもここでの制空権はスピットファイヤvs隼で初期は隼が圧倒、アキャブの頃でも五分五分のはずだから、重くて反応の遅い輸送機がそう簡単に補充出来たとは考えにくい。

       スピットファイヤ   

  キ43 一式戦闘機「隼」

 イギリス軍の映像を見ると航空機の支援は無くて斜面や沼地で泥や雨に苦しみながら、インド兵たちとも協力して乗り越えた、的なもの。そして始めて日本人に勝てたということで記念すべき闘いで、これをもとにインパール戦に臨んだという感じです。

 Battle of Sinzweya シンズウェヤともいわれる。

 

いいかげんなことは書けないので現在図書館で取り寄せ中。

 

 ちなみに上記の映像のようにすればチンドゥィン河も疲弊せずに渡れたんですね。

まずトラックで運んできたボートを降ろして川に浮かべます。そのボート2隻に橋のように板をまたがせ、はしけからジープ、大砲を載せてボートを櫂で手漕ぎで進めています。

地元の人が使うような木造の伝統的なもののように見えます。日本人ならなんなら現場で作れるようなもの。工兵がいれば1日でしょう。何せ古来から城を短期間で建ててしまうぐらいですから。この方法なら牛を何百頭も死なせなくて済んだし、後から物資を供給するのにジープやハーフトラックを渡らせて速やかに届けられたのに、て思います。

 この方法は敗走する日本軍を追撃する時の映像にも映っています。注意深く見ると戦車を載せるのにボートは増やしていて、はしけごと乗せてるので戦車は岸ですぐ上陸します。

 さてコヒマで対戦中の宮崎繁三郎率いる第58連隊というのは超人軍団だな、と思いますが証言映像を見つけてみると、実は大変な思いでぎりぎりだったことが分かります。

証言 58連隊の生き残り 特に10分あたりから (注:遺体が写ります。牛が流されるのも。)

「馬も登れないから結局105kgの砲身を2人で担ぎ人力で担いで山を登った。」

「こちらが一発撃つと相手は450門で一斉に撃ってくるから、しまいには小銃隊から撃たないでくれと言われちゃう。」と。

他の証言でも「11万発の砲撃、その発射音はまるで祭り太鼓のようだった。その後にこちらの前へ横へと降り注いでくる。」

英軍の映像でも砲弾を入れては撃つ姿がしょっちゅう出てきますね。

40㎏の背嚢(リュック)担いで山脈を登って降りての繰り返し。途中の小休憩でうとうと仮眠10分間だけ。まとめて5時間などの睡眠は無かった。」 

 他の証言から、コヒマには食料の入った倉庫があってあてにしていたが、イギリス軍は撤退する時に飛行機から焼夷弾で焼いてしまった。食べものは全部燃やされてしまったという事です。かつてナポレオンが北に侵攻した時と同じですね。

「コヒマに着いた時点でもう食べものは無かったので、経理部の兵が、現地民が竹のザルでジャングルに隠していたのを徴収して来て、もみを鉄兜の中でスコップの柄で叩いて白米にしておかゆにして食べた。現地の人たちは自給自足だからお米を取られたら生きていけないので隠してあった。軍票ぐらいは払っただろうが使えないから苦労したんじゃないか。」と。(現地の人たち、ごめんなさい。)

「夜襲は音で気づかれるというので靴脱いで行った。剣には布を巻いて反射しないようにして。涙が出た。」

「向こうはパラシュートで補給があるがこちらは無い。例のダコタですね時々流れて落ちてくる分を奪ったりした。」昼のうちに木に引っかかったのなど場所をよく見ておき、夜に取りに行くが命がけだそうです。見つかれば撃たれてしまいます)

「片手に銃剣、片手に手榴弾で突撃で、手榴弾の安全装置のピンを口で抜いている暇がないから先に抜いておいて、信管を自分の靴の裏にぶつけてから投げる。そしてすぐ次の分を。自爆覚悟で行く。」(発火してからおそらく3〜5秒だから投げ遅れたり落としてしまえば自分が死んでしまいます。ピンを抜いたままだから走ったり匍匐前進で衝撃が加わればその時点で爆発すると思われます。)

「頭部なら即死。腹はひどい、手がもげた足がもげたとなれば40℃だからすぐ化膿して腐ってくる。壕の中にいてもすごい匂いになる。」

 また、時々ヘリコプターみたいのが飛んで来て、と話に出るが、この頃まだヘリコプターはなかったように思います。映像にも解説にも出て来ません。ベトナム戦争になるとかなり使われ、悲惨な事態になるのですが。あと兵や物資を運ぶのにグライダーは使われていました。ところが、ネックになったテニスコートの戦いで、こちらは濠を掘って隠れたりしている(ジオラマ参照)が、何か妙な飛行機が飛んで来る。知らないものなので、相手も兵器不足で旧式の飛行機なんか持ち出して来たか〜と思ったのだそうですが陣地の上を飛んできたあとは正確に砲撃して来てたまらない。談話の〈3

「そいつがとんでもねえ話で、それが最新型の飛行機だったのね。それは、わたしらの陣地を、ここを撃てっていうのを、砲陣地へ無線で指示してるわけだから。それをはじめわかんなかったのね。その飛行機が来っと、一斉に撃って来る。あれは大変な飛行機だっていうの。だから、その飛行機が来っともう、いっせいにもう、壕ん中、飛びこまねえと間に合わなかっだ。」という事です。ジャイロかな?

これはまさに今ユクレインが侵攻側に対して行っているのと同じ戦法ではないか。どうもこれがこのギャリソン・ヒルの勝敗を分けた大きな要因のひとつと思われるが、一般的な記録では見かけない。・・資料取り寄せ中。

 

 それでも戦場にはいろいろ噂が届いて、てんちょーせつには味方飛行機が爆撃してインパールは陥落する、そうすればそこから物資・食料が届くと。そうしたわずかな希望を胸に死線を駆け巡っていた。

ところが20日過ぎても連絡が来ないからダメなんだと分かって来て、落胆したといいます。

 軍司令から参謀が視察に来るので佐藤中将師団長は要望でとにかく補給を、と怒鳴っていたと。参謀は少将だから小さくなってというのが何度もあったと。おそらくその参謀は戻るとムタグチに怒鳴られていたのだから、あの作戦反対していた片倉衷からムタグチに伝えに行くと怒鳴られて戻るというのと同じこと、現場でもやってたんですね。

 佐藤師団長はビルマ方面軍に

「でたらめなる命令を与え、兵団がその実行を躊躇したりとて、軍規を楯にこれを責むるがごときは、部下に対して不可能なることを強制せんとする暴虐にすぎず」

久野村参謀長以下幕僚の能力は、正に士官候補生以下なり。しかも第一線の状況に無知なり」

「司令部の最高首脳者の心理状態については、すみやかに医学的断定をくだすべき時機なりと思考す」

と批判の電報を送った。

久野村桃代クノムラとうだい)は、はじめに補給重視の進言で更迭された小畑さんの代わりに来た参謀で、ムタグチのイエスマン。その無能ぶりから無能むらモモヨと揶揄された。前線の苦闘をよそにムタグチとともに例の清明荘に通い、酒と女に興じていた。他の参謀がお気に入りの芸者に手を出したことに激怒、兵隊の見ている前で殴りつける乱闘騒ぎを起こしている。

少佐が女の奪い合いで大佐を殴った事件はたちまち兵士達の間で噂になっただけでなくイギリス軍諜報部に知られ、最前線でマイクのプロパガンダに活用された。この腰巾着カスを告発しているわけです。

 

 佐藤師団長は、現場を知らない司令部の傲慢な命令に対し、コヒマを死守せよというが、兵器・弾薬・食料が無ければ出来ない、だからウクルルまでいったん下がるからそこへ補給してくれ、と交渉し、下がってみると、補給は無い。 堪忍袋の緒が切れた佐藤師団長はいよいよ司令部に↓

「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に詫びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」(原文は漢字・カタカナ)

と電報を打ち、ついに命令に背き撤退する。フミネまで後退。

 

 現在10冊以上取り寄せたり参照中。今のところ間違っているところは無さそう。

ただ非常に読みづらい。色々な兵士や参謀の名前が出て来るが、ある時は階級名で、ある時は役職名で書かれているので、ん?これさっきの人?別の人?と分かりにくかったり、細かく地名が出て来るが、何処なのか分からないので位置関係、距離や標高差が分からない。時々地図が添えてあるが、文中の地名が記されていなかったり、現在のGoogleで見ても発音が違っていたり、地名が変わっていたり現地語だけだったりして見つけられない。ましてや第○○高地など戦術上の地名ではそれを示す地図を加えてもらわないと。

また書かれたのが古い時代というのもあるし、戦争用語の浸透性・標準レベルが違うのかちょいちょい調べる必要も出て来るので。(擲弾筒とか榴弾砲・速射砲・山砲、鹵獲、挺進隊、騾馬、輜重兵など)

○○部隊と書かれている時、それが相手の軍の事だったり。

例のアキャブの戦いについて歴史群像の特集号を読んでも、やたら開始までの戦況や部隊構成について書かれ、戦闘の経過や敗因についてはわずかしか出てこない。実際はシンゼイワ盆地に作られた陣地を包囲したが攻略出来ずという事で、やはり相手は航空支援で補充、日本軍は用意した分を使い尽くし、補充も来ないというインパール盆地と全く同じ過ちでした。これを教訓に出来なかった軍の愚かさは確かめられました。

 私の気になった現地の住人の生活状態や、感情については知られざるビルマ(大野 徹・著)で感じ取れます。高地のシャン・ビルマ族と河川周辺で耕地のあるモン族とでかなり古くから抗争があった。上ビルマ対下ビルマという構図。

 そこへ13世紀後半にの猛威で壊滅、そして上ビルマにはシャン族が入って来た。追い出されたビルマ族は下ビルマに降りて来てタウングー王朝を作り、結局モン族を征服した、という事なんですね。

 それから調べてみると、お隣りタイのアユタヤ朝に侵攻したり、モン族の反乱などを経てコンバウン朝になり、アラカン王国(アキャブ、シットウェ含む)マニプル王国(インパール含む)や、アッサム王国(コヒマ含む)を支配下に。

つまり日本軍の目標を全て手中に収めていたんだね。これがイギリスが植民地化していたインドと接近していたのとイギリスが広げようとしていた利益と衝突し、3度の英緬戦争につながったのでした。

そのさまざまな王朝の栄枯盛衰には内乱・暴動・暗殺・王の追放・虐殺・破壊・焼き討ち・ポルトガルの傭兵を雇ったりなど血生臭い抗争が繰り返されて来て、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、18にもなる少数民族、言語の違いと絡み合って把握するのは難しい。現在では軍事政権と民主化との対立から内紛、ロヒンギャ問題など皆さんの知るところとなったのですね。

色々と現場でのディテール、作戦を止められなかった経緯などわかって来ました。

特に悲惨な餓死や病気については

「泥の蝶」津本 陽 著

激戦の詳細や次々戦死して行く様子と地理関係、アキャブ作戦は

「昭和史のてんのー」9(読売新聞社編)

に詳しくありました。また、アキャブ作戦は

戦死 インパール牽制作戦第五作)高木俊朗 著

でも描かれています。真ん中から進んだ第15師団の師団長 山内正文 中将が病気が重くなり、さらに無念の更迭の詳細は

憤死第四作)高木俊朗 著

にありました。 

★あと、大本営発表がいかに現実と違った欺瞞だったかは、当時の新聞が発見され、確認出来ました。

中部日本新聞戦時版中部日本新聞社

太平洋戦争中の1944(昭和19)年3~10月に、中日新聞社の前身である中部日本新聞社が発行していたもの。第1号を除く全号が本社内から見つかった。

とりあえず3月分の第一面を現実と照らし合わせましたが、まさにでたらめ、でっち上げにも程がある!というレベルでした。これは今侵攻中のあの国がやっている事。

 

 そして、いまだムタグチは無能でお下劣という事に一点の曇りなし。

 

 

コヒマ撤退の時系列を調べてみました。

5月末に雨季に突入。例年より早く、ただでさえ世界一の雨量なのにこの年は例年より多く、壕(弾避けの為に地面を溝状に掘って低くしたもの)にいても水が溜まる。睡眠も取れない。頭を出せば狙撃される。身動き出来ない。兵士達は食べるものも弾薬もなく餓死しつつあり、マラリヤ・赤痢・デング熱に侵されていく、治療も出来ない、負傷者の傷にはウジが湧いている。

 師団司令部の近くの川はすでに恐ろしい濁流と化し、橋は流され、崖はくずれたというから、まさに今日本などで起きている水害が毎日続いている状態なのです。

 イヌ陣地が落とせないでいる間に英&インド軍はディマプールから元気な兵隊が続々到着して交代しました。コヒマの場合、空中から輸送されるインパールと違い、陸路がそのままインドにつながっているため、戦車・兵器・弾薬・食料・医療・兵隊がどんどん供給される。米・英の軍需工場と直結しているような状況なのです。したがって時間が経つほど絶望的になるわけです。

 

佐藤師団長とムタグチ・司令部との通信

5月で撤退する決意を打電。

これに531

無能ムラから返電

「補給の困難を理由にコヒマを撤退するのは諒解に苦しむ。あと10日間現態勢を確保されたし。そうすればインパールを攻略し、増援する。」

到底不可能なので直ちに撤退命令。

これに驚いたムタグチは各師団へ

「万斛の涙をのみて、31師団をコヒマより撤退せしむ」

と布告。つまり後から佐藤師団に撤退する命令を出した形。これは佐藤師団長の行動が命令に抗う抗命という罪に当たるので、そうならないよう撤退の命令を出したという事になるが、師団長・中将クラスが従わないとなると大事件で司令部の力量が疑われるというのと、軍の恥になるので隠す(特にフデキに念を押されていたカワベ司令官が)という目的と言われている。 

 一方で高級参謀の木下秀明大佐によると、インパールは主力を手前のビシェンプールに変えて突撃してもダメで八方塞がりだったので、31師団の視察から戻った橋本参謀から、主力をいったんウクルルに下げて補給で整えてからインパールへ、という方法しか無い、という意見具申があり、検討の末そうしようと決まったところに佐藤師団の独断撤退の知らせが入った為、すぐに上記の命令を出した、と証言している。 

 佐藤師団長は完全撤退するのではなく、何度も約束を破られた「補給」のあるところに行き、餓死しつつある兵士達に食べさせ、マラリヤ・赤痢・デング熱の者たちを休ませ、負傷者に治療を与えたら戦える者で編成し直し、また戦いに出ると言っているのです。「食ったら行く」と何度も伝えている。

 (ところがウクルルという集積所にたどり着いても、全くない。15師団が持ち去ったという資料もある。とすれば指揮系統もおかしいし、キープ出来なかった補充部隊もおかしい。)

6/2   転進に関する軍命令が来た。「4個大隊・歩兵一個大隊の宮崎支隊でコヒマ-インパール道の遮断を続行、ソジヘマの支隊を指揮して北方を確保し、主力は6/10までに15師団と交代してサンジャック西方面に展開完了するように。」

あまりにも戦況と隔絶しており、不可能。

 

  気になっていた撤退時の31師団本隊と宮崎繁三郎率いる第58連隊の関係は少し分かって来ました。58連隊はギャリソン・ヒルやコヒマ-インパール道遮断で激闘していたわけですが、他の支隊も各地区に分かれていたんですね。

 そもそものチンドゥィン河を渡る前から右突進隊、中央進隊、左突進隊(これが58連隊)3つに分かれて、さらに左突進隊は右猛進隊、中猛進隊、左猛進隊に分かれ、5種類の進路で進んでいたのです。

↑高木俊朗氏の「抗命」p129の図に書き加えさせて頂きました。赤が重要地点、黄色が遮断していたが徐々に後退した道路。
↑高木俊朗氏の「抗命」p129の図に書き加えさせて頂きました。赤が重要地点、黄色が遮断していたが徐々に後退した道路。

 

 今回の趣旨(愚将による被害)からズレるので細かな戦闘経過は省きますが、いったんコヒマに攻め入った時、それぞれの高地(ウマ、イヌ、サル、ウシなど)、相手陣地での戦いの後、イヌが取れずテニスコートの戦いになっていました。  その時点では次のようになっていました。

師団本体は少し手前のチャカバマ。

右地区隊  歩兵第138連隊  柴崎大尉

中地区隊  歩兵第138連隊  鳥飼大佐

左地区隊  第31歩兵団  宮崎少将  歩兵第58連隊主力

↑読売新聞社:編「昭和史のてんのー」9巻p194の図に書き加えさせて頂きました。佐藤師団長は赤丸のチャカバマ。青緑の線が先に出しておいた連隊を戻した経路。
↑読売新聞社:編「昭和史のてんのー」9巻p194の図に書き加えさせて頂きました。佐藤師団長は赤丸のチャカバマ。青緑の線が先に出しておいた連隊を戻した経路。

138連隊(島飼)は西、ズブサ川を超えてディマプール方面まで出ていたが、右地区のメレマ付近に下げて防御体制を強化。

58連隊第一(森本)がやはり西のジョツマまで出ていたのを主力に戻して強化、三叉路の反撃で苦しくなっている左地区隊を支援するため戻した。

124連隊(宮本)が北のチュズウェマまで行っていた(北からの敵を遮断の為)のを、左地区隊の後方アラズラ高地まで南下横移動させ、第二戦線を張った。

おそらく場所だけでなく、同じ連隊の連帯感も重要。

 

 

 

コヒマ三叉路のテニスコート、チャカバマに置いた師団司令部の位置関係を上空から見た地図を作ってみました。距離25km程、

現在だと車で1時間強、歩きで5時間半程と表示されます。

 さらに三叉路を拡大しました。この三叉路が高くなっていて激戦で何百人も亡くなったのですね。 

 コヒマ・ウォー墓地になっていて既出のリンクの場所になるのです。

 さらに拡大、右下に50mのスケール例がありますので比較してご覧下さい。いかに狭く、目の前での激戦だったかをうかがい知る事が出来ます。

ご冥福をお祈りします。

こうして各部隊から増援していたのですが、次々に全滅して行きます。

そうして宮崎隊も124連隊が作った第二防衛戦に下がらざるを得なくなったのです。(上の二つの地図のアラズラの位置・黄色い道路)

↑再び読売新聞社「昭和史のーー」からの地図に書き加えさせて頂きました。p227
↑再び読売新聞社「昭和史のーー」からの地図に書き加えさせて頂きました。p227

  宮崎隊長はひとつところで食い止めようとして全滅するよりも、ビスヘマ→マオサンソン→マラム、と区切って陣地を構えて数日ごとに後退して、足止めして粘りました。(凄い)

  一方、南では中央からインパールを攻めていた第15師団の右突進隊も、このコヒマ-インパール道を遮断するため、カングラトンビで英・印軍を食い止めていました(右図紫)。この松村隊長もやはりサタルマイナに下がり苦しい戦いを強いられていましたが、もし北で宮崎隊が破られると、前後挟み撃ちにされてしまいます。

 

ムタグチはインタンギーに司令部を移していた。そこへ6/6 方面軍の司令官カワベが現状を確かめるため、ムタグチのところへ来た。(盧溝橋事件を起こした2人)この時初めて31師団が下がった事を知った。つまり15軍の司令官が各師団にどんな命令を出して戦っているか知らないシステムになっている。当然弾薬がない、飢え死にしかけている、傷病者1500人、補給無し、という実情は把握できてない。

どちらも作戦を中止した方がいいと思いつつ、言い出せなかった。小学生の恋愛かッ!

 戦況は「今が峠なり。これ以上は心配はかけず」とだけ言い、カワベはそれ以上追求しなかった。何のために来たんじゃ!

15師団長の山内中将を病気なので更迭する事(本当は気に食わないから)を認証してもらい、31師団は独断で退却という事は言わなかった。どちらもお幼稚・・なんか布団にオシッコ漏らしたのを隠してる幼児みたい。相手イギリス軍のスリム司令官は「日本軍司令官たちには道徳的勇気が欠如している。自分たちの作戦が間違っていた事を認める勇気がなかったのです。」と残しているがその通り。

 宮崎少将の左地区隊は佐藤師団長の隷下をはなれ、15軍の直轄(ムタグチの奴隷、又は肉の壁ともいう)になり、宮崎支隊となっていてコヒマの防衛を命ぜられていたが、佐藤師団長はこれにも撤退を命じていたようです。

 それでも宮崎隊長は、コヒマ-インパール間を通してしまうと次々と戦車や銃火器、兵士がインパールに増援されてしまい、15師団も33師団も被害が大きくなり攻略は不可能になってしまうし、まず松村隊長の率いる右突進隊が前後挟み撃ちになってしまうから、踏ん張った。でも弾薬も兵士も少なく、あと数日でミッション(最後の陣地カロンと松村隊が逆向きに踏ん張っているサタルマイナ・紫との中間)まで来てしまうという事は連絡とりあっています。

そうしてついに突破されてしまい、次々に英軍戦車が通って行きます。

 

6/20 松村隊の西田 中隊長以下35名が戦車に肉薄攻撃、しかし戦車4台が砲撃を続けててきて動けなくなった。午後3時頃、何10、何100と戦車や自動車が通過していった。夕方までには千台を超えた。

 ついに宮崎隊も松村隊も破られ、コヒマ-インパールが開通してしまったのです。苦戦のインパールへは空中だけでなく地上の輸送も可能になってしまったのです。

これは先のアキャブ作戦とコヒマでの状態を合わせたようなもので、いち早く撤退を開始しないと犠牲者の増加が加速されます。

 

同じ頃ヨーロッパでは連合軍がフランスをドイツから取り戻すべく海から上陸しました。有名なノルマンディー上陸作戦ですね。それが日本語で書かれた「陣中新聞」に載っているのを英軍飛行機がまいていく。日本兵ははじめはニセ情報でプロパガンダだと思っていたが、やがて自分の軍より正確な情報として信じ始めるのです。そりゃそうですよね、ずっと泥に埋もれてご飯も弾も配給されず戦車や飛行機に襲われる中、ただ突進しろと怒鳴っている司令官とどっちが信用できるか、てわけです。しかも草を探して食べたり下痢に苦しんでいる時に涼しい料亭で芸者遊びをしている連中ですから。

6/16 連合軍がサイパン島上陸。日本本土が爆撃されたと。

6/26 北部の要所ミッチーナが包囲され、5000人の日本人が孤立無援と。

 ここはイラワジ川の上流で日本軍の飛行場があり、当時ミイトキーナとも呼ばれた。ここで連合軍に飛行場を制圧されると航空輸送と爆撃もさらに拍車がかかるし、先述のレド公路が開通してしまい、インドと中国がつながってしまう。

 このような戦局の不利が伝えられていた。 

6/22   33師団の佐久間連隊はコヒマーインパール道を遮断する準備をすべし。と命令を受けた。さっきコヒマから撤退の布告があって、31師団も15師団も壊滅状態なのに今から自分の連隊だけでインパールに行けるはずがない。まだ攻略を強行しようとするムタグチは異常に思えた。

 

こうした不可能で前後チグハグな命令が来るのは、ムタグチが前線の状況を知らされていなかったかららしい。参謀が不利な戦況や敗北を報告に行くとムタグチが怒鳴り散らすのでビビって報告しなくなった。また、ムタグチが不可能な命令を出しても、怒鳴られるのが怖くて反対せず受け取るか実行しないかだったという。

本来こういう、司令官がおかしい時やキャパ越えてる時に補佐するのが「参謀」「幕僚」という役職なのにまるで仕事をしていない。

つまり作戦の練り上げも、指揮伝達系統も完全に麻痺して、単なる小間使いになっている。だから悲惨な犠牲者を増やしたのはこの参謀たちにも責任があるのです。これもなんか、お使いに行かされた幼児がお財布落としちゃって、親に怒られるのが怖くて言えない状態のようです。

こいつら専門の大学出てさんざっぱら優遇されてきて、高給とりなくせに現場で全く不能で、何万人もの命を無駄にしたのです。そして自分は生きて帰国してる。

 皆さん、許せますか?

いよいよ悲劇の砂時計の残りは少なくなって来ました。作戦中止になるか?

 

この頃、佐藤師団長達は泥の山道を200km歩いてウクルルにたどり着いたが一粒の米も弾も無かった

飛行機からの攻撃を避けるため夜の行軍、 1800名の傷病兵を先に後退させるが100に近い担架が並び、飢えと熱と下痢と雨の中、もう少しで食べられる、と頑張って来たのに何も無い。この絶望感、約束を守らない事への怒り、軍から疎かにされている虚無感はいかばかりか。泥の中を31師団の行列の後ろの方はまだ遥か後方。食料が無いので兵達は草でもキノコでもヘビでも猿でも食べた。山砲など重いものを引かせて力尽きた馬は内臓まで食べた。9割の馬を失ったが、その荷物を人が運ばなくてはならなくなり、この労苦で人が死んでいった。そしてアメーバ赤痢で血便を繰り返す。担架を引いている兵も倒れた。置き去りにする者もいた、手榴弾で自決する者も。このままでは全滅してしまうのでとにかく一時でも早く食料のある所へたどりつかなければ。それにはまだ先のフミネにあるという120トンの食料、4千足の靴を得る事。輜重隊(補給・徴収の部隊)を取りに向かわせて現在地に調達したいが、彼らは重症患者の輸送を行なっており、遅れて後方にいるので間に合わない。結局師団の先頭をフミネに進めるしか無い。ウクルルで落胆しないよう励ましつつ、フミネで補充できたら北の15師団近くに集結して戦闘に戻ろう、と決めた。

彼はまだ戦いを放棄したわけではなかったのですね。これを各部隊に伝え、先頭に立って出発した。

抗命に問われ、軍法会議にかけられてもかまわない、ムタグチはじめ参謀、軍の無能さを明らかにして正してやる、という覚悟だった。担架の上の病人を「フミネまで頑張れよ」「命を大事にせいよ」と励ましながらフミネ方面へ歩いて行った。

 一方、軍から補給主任参謀・薄井誠三郎少佐がフミネに物資を見に行ったが、雨季で車は使えず人力で運ぶしかなく、ウクルルに持って行っても、飢えた15師団にことごとく持ち去られ、31師団の分が無かったのである。

そこへ佐藤師団長を説得するために来た無能ムラと合流した。電報に封をして、連絡が取れなくなっていたから。新しい作戦につくよう説得しようとしていた。

6/21   三者はフミネへの途中ルンションで会合。

佐藤師団長ははじめ拒絶していたが結局は会談。まず約束を全く守らない薄井を叱った。

そこで無能ムラは参謀達を外に出して伝えたのが

  1.  現在コヒマ-インパール道に居る宮崎隊に歩兵一個大隊と砲兵一個大隊を増援せよ。
  2. 900名使ってフミネから補給物資を自分たちで持って来なさい。
  3. インパール攻略中の第15師団に合流し、左翼を担当せよ。

どれも不可能なもの。宮崎隊は6/19にマラムで突破されて以降連絡途絶え中。この道はすでに敵が開通して戦車、トラック、兵団がまかり通っているので増援のしようが無い。「増援」の意味がわからない。仮に送り出しても、900人をフミネに取りに行かせたら、もう手元に兵隊が残らないから、15師団に向かわせる分は居ない。

 つまり軍司令部、司令官は、残存兵力や、傷病者の数、残っている武器・弾薬数を把握していない。

この会合で、無能ムラ「命令を実行するのか拒否するのか」

佐藤師団長「実行はフミネで補給出来てからの話」と伝えたが、

佐藤師団長は、フミネまで下がって良いと捉え、その後行く準備をしていた。一方無能ムラはもう命令は聞かないので、更迭した方が良いと判断した。この齟齬が後に抗命かどうかの判断で重要になる。こういう重要な事は参謀も含めた複数人で文書に残し押印しておくべき。ただ師団長は早く出発したいし、2人ともに頭に来ているので正式なものを残さなかった。この時無能ムラが他の人を外に出しているし、故意におとしめるつもりだったと見る向きもある。

 そして師団はフミネにたどり着いたが、2日分の食料しかなかった。また兵站病院が食料が無いため重症者の入院を拒否。傷病者を運びながらチンドゥィン川方面へと南下せざるを得なかった。なんという悲劇。

 ここで航空機の支援はいったいどうなっているんだ?と思われるでしょう。私もそう思い探したら高木俊朗・著「インパールp192 にこういう会話があったので抜粋します。

シャン高原のカロウにある第五飛行師団の司令部。田副 登 (たぞえのぼる)師団長に方面軍の中参謀長が訪れて会話。

中「海からと北のミッチナがいよいよ危ない。空挺(多分ウィンゲート旅団)が降りて来て南雲の中国軍も入って来た。」

田副「空挺は早く潰さんと命取りになるとあれほど言ったのに」

中「空挺対策に安・第53師団を出したがムタグチがくれと言うので半分インパールに出した。結局飛行機でやってもらわなきゃいけない」

田副「飛行機があれば出す、敵の飛行場を攻撃しているが哨戒網を張っていて、突っ込んでも毎回犠牲が出ている。その飛行場の飛行機だけでもこちらの全力より多い」

中「そこを何とか」

田副「地上の連中はこっちの言うことはまるで聞かないで、困った時だけ頼みにくる。

ムタグチは飛行機なんかいらん、と大した自信だったが、各師団長はこちらへ直接協力を頼んできている。31の佐藤師団長は15軍が食糧を全く送ってくれないから飛行機で送ってくれ、15の山内師団長は大砲と戦車に攻め立てられてどうにもならないから空中から協力してくれ、33の柳田は抑えられて出ることができないから飛行機で叩いてくれ、と。実際の電文は・・

佐藤師団長からー弾一発、米一粒も補給なし、敵の弾を奪って攻撃中。今やたのみとするは空中よりの補給のみ。敵は武器弾薬・食料に加え兵士も空中輸送している

山内師団長から第一線は撃つに弾なく、今や豪雨と泥濘のうちに傷病と飢餓のために戦闘力を失った。これは軍とムタグチの無能のためなり”  と来てる。

わしのところに敵さんのような輸送機でも有ればすぐに送ってやるがたった一つのMC(輸送機)まで爆撃でやられてしまった。出来るだけインパールに出しているが爆撃機がたった1機、援護の戦闘機5機ほどが限界だ。

前線で食料難と聞いて、戦闘機の操縦士が航空隊用のお菓子やキャラメルをインパールで落としてやった、そうしたらお礼の電報がきて、“本日、日の丸の飛行機が見れただけでなく、貴重なる糧秣(りょうまつ・食べ物の事)を投下され、全員の士気が上がり、突撃を実施せり”と。本当のところインパールは勝てるのかい?」

中「ムタグチは柳田を更迭して前線に向かった。今度こそやるだろう」

田副「自信があるならいいが、適時に見切りをつけた方がいいと思うが・・」

 実は航空機の支援は作戦計画時に航空師団が協力しますよ、というのをムタグチが断っていた。航空戦略に詳しくなかったからという。さらにウィンゲート旅団と戦うはずの兵力を自分の所に追加してもらったために逆にウィンゲート旅団に苦しめらる。(補給用の橋や線路の爆破・ジャングルでの撹乱など)

愚将極まれり

 

私は戦闘機の操縦士の命令を越えた思いやりに泣けてくる。そして、地上の兵士が毎日敵機に激しい爆撃を受けているところに日の丸の描かれた飛行機を見た時の心強さが想像されますし、輸送機でないのに食べ物を落としてくれた事を理解しての感謝、お菓子でもそれを貴重なる糧秣と表現、それで士気が上がり突撃にのぞむ、という所に心を動かされます。この突撃で何人生き残れたかは分かりませんが、少なくともまだ味方がいた、応援してくれる仲間がいた、という心の支えを胸に抱いて挑んでいったのでしょう。

 また、この田副師団長は人望があるのか、この頃大本営から派遣されてきた情報参謀の徳永八郎中佐が訪れ、会談。鈴木参謀長(田副の部下と思われる)も同席。

徳永「後方補給は失敗でした。大至急、飛行機でなく全力で自動車部隊として弾薬・食料を送って欲しい」

田副「輸送機を30機でも持っていたら苦戦させなかった。連合軍は全て空輸でやる。今回負けた最大の原因はここにある。“泰緬鉄道”(後述)を無理して作っても何の役にも立たないじゃないか。何万人も犠牲者出しておきながら。それだけの手間と金をかけるなら輸送機の100機も作ってくれたら、ここまでならなかった」と。皮肉な笑いを浮かべ、続けた。

「必要なら自動車部隊でも何でもやりますよ。その自動車はどうするんですか。ビルマ方面軍の自動車はもう使い物にならない。大本営が送ってくれるのか?また自動車があったとしても道はどうするんですか。補給路は豪雨で流されて泥田になってます。」情報参謀の不見識さに怒りをあらわした。

 

徳永は一言も言えなかった。会談後、参謀の鈴木が言った。

鈴木「大本営の不勉強にはあきれます。インドの雨季を日本の梅雨ぐらいにしか見ていない。雨季あけを待つそうですがアラカン山脈の雨に2か月も3か月もうたれていられると思っている。びっしり雨雲がはりつめて司偵(飛行性能の優れた偵察機)でさえ入れないのに」

 というわけで、航空機は北の対応もあり、機数も少なく、輸送機も破壊されてインパールの支援は困難な状対だったようです。ムタグチから司令も出ていないし。それでもこの田副さんが言うように泰緬鉄道の労力や財力(または大和を作る生産力)が飛行機生産に回してもらえればもっとやりようがあったはずです。輸送機一機でも供給してくれたらインパールに投下してくれたでしょうから餓死者や傷病者5000人、いや1万人は救えたでしょう。

この田副さんのように冷静に分析できて発言も的確な人が司令官だったらインパールもコヒマも落とせていたかも知れませんね。空との連携も取れるし。いや、元から作戦を実行しないか。または別の防御作戦を立てたかもしれません。とはいえ太平洋がイソロクのせいであのような状態になった以上連合軍に日本が勝てたとは思いませんが。

この人この時多分中将で、この後、航空本部総務部長、兼務で航空総監部(教育する部門)総務部長になって帰国してますね。昭和20年4月、新設の航空総軍の参謀長に就任し終戦を迎えたという事です。原爆対応ではどうだったのでしょうか。今回は触れませんが。

こういう人にこそビルマでの戦いの正確な経過を記して欲しかったです。

 

この泰緬鉄道(たいめんてつどう)というのがまたヤバいもので、日本軍が非人間的な労働を捕虜に強制して作って死の鉄道 (Death Railway) と呼ばれました。ヘルファイヤーパスとかアルヒル桟道橋とか(Tham Kra Sae Bridge)、チョンカイの切り通しとか人力で作らされた。

 その時、泰緬鉄道建設捕虜虐待事件イギリス軍捕虜6904人、オーストラリア軍捕虜2802人の死者を出した。

このような捕虜の扱いはいくつもあり、サンダカン死の行進マレーシア)では当初2000人いたオーストラリア人の中で生き残ったのは6人でした。★750人いたイギリス人は一人も生き残れませんでした。

 バターン死の行軍(フィリピン)では 収容所にたどり着けたのは、捕虜となった約76千人の内、約54千人で、約7千人から1万人がマラリアや飢え、疲労などで死亡(行方不明含む)米軍の死亡者は2300人と記録されている。

他にもカラゴン事件(タイ国境近くのビルマ東南部モールメンの村)日本軍がカラゴン村に入ると、陸軍第3大隊、第215連隊、及びモールメン憲兵隊は全ての住人を集めて取り調べを行った。この尋問の中で虐待、拷問が行われ、およそ600人の村民が殺害された。

 

この泰緬鉄道やバターン死の行軍に辻 政信(ツジ)というこれまた凶悪で狡猾な異常権力者が関わっている。

ノモンハン、シンガポール華僑粛清事件での虐殺、ガダルカナル島、バターン死の行軍での虐殺など日本人が世界から憎まれ、軽蔑される原因をたくさん投下し、自分は戦犯で裁かれないよう各地を潜伏して逃げ回り、本を出版して印税で裕福になり、衆議院議員にまでなった。なぜ裁かない?ここが日本のなおさなければいけないところ。

冤罪で死刑になったり長期間投獄された人には補償も無く、凶悪事件の被害者の方がプライバシーを侵されているのに、悪徳宗教団体が野放しで、疑惑の首相を異常な金額の税金で国葬し、裁かれなければいけない者が許されるだけでなく組織の上位になれる国。

 今回のテーマで取り上げるべき悪魔なのだが、インパールの一区切りまでを優先します。さすがに音楽作業に戻らないと。

  とにかくこういう事するから戦後も尾を引いてイギリス人はまだ謝罪されていないと反日が長引いたのです。

ーーーーーーーさて作戦の中止は?

遙かなインパール伊藤桂一・著インパール高木俊朗・著、「昭和史のてんのー」読売新聞社を参照すると・・

6/19(と思われる・資料によりズレ有り)コヒマ-インパール道が突破される。

6/21 ルンションで上記した33師団の佐藤師団長に無能ムラが作戦を伝えに行って会談。

6/26 無能ムラが中止をほのめかす方面軍宛ての具申を木下参謀に書かせ、ムタグチがサイン→電報。

6/29 方面軍は上の南方軍に打診するため、中と青木参謀が重要書類を持って飛行機で出発。

6/30 すでに南方軍ももうダメだろうと判断、東京に出張中だった美山参謀を通し大本営に具申中だった。方面軍から青木達が来たので手続きを取った。(この手順部分が分からないが、大本営が相談の上→てんのーに許可を申し込んだのでしょう)

7/1  大本営が中止を認可

7/2  それを受け取った南方軍からビルマ方面軍に下令した。「マニプール方面の敵に対しチンドゥィン川の西岸や北で持久戦にあたれ」という内容。マニプールとはインパールのある地域。つまりチンドゥィン川まで下がって西岸に渡り、敵をくい止めよという事。いわゆる転進。

7/3  深夜ビルマ方面軍カワベが受領。本来それから下の第15軍ムタグチに中止を伝えるはず。

  ところがカワベは「任務に変更があるだろう」としか伝えていない。さらに2日後

7/5  やっと中止を命令した。しかし第一線師団の後退と、何をとち狂ったのか「態勢立て直しの軸心とするためパレル方面を固めて守るように」命じたのです(ムタグチが怒鳴るのが怖かったのか?それとも発狂でもして全員で玉砕に行ったらまずいと思ったのか?まだインパールに未練があったのか?)パレルとはインパールから南に下がった位置にある。

7/6 ムタグチ側では勘違いしたのか、わざと解釈を変えたのか、中止ではなくパレル方面を攻撃するようとらえて部隊に命令。愚将の中の愚将ここに極まれり。

パレルから南にいた山本支隊にパレルを攻撃するよう命令した。補給を裏切られて南に向かっている31師団にも山本支隊と合流して攻撃せよと命令を出した。前線側ではもはや怒りを通り越して苦笑さえ出ています。愚将というよりプ将

山本支隊たちはやむなくパレルに向かって出発した。疲労と病で片手に銃剣、片手に杖でよろよろと。

7/15  やっと中止が伝わった。カワベが、流石にパレル攻撃は無茶過ぎるとムタグチを止めたというのである。いや、あんたのせいでしょうが。きちんとインパール作戦は中止だから転進(撤退の事)せよ、と伝えず余分な事を付け加えるからだ。プ将兄弟。もし加えるなら重症者・歩けない患者を先に下がらせこれを守りながら進め、とかこれは大本営の命令である、でしょう。

このモタモタしている間に10人、50人、100人・・と死んでいくのが分からないんだな。

6/26に決めた事を7/5に間違って発信し、7/15にやっと伝わった。

 

さてさまよえる第31師団ですが、やっとフミネについても2日間分しかなかった。これで戦いに戻っても、その後の補給はどこにも予定がないことが分かっているので、南へ下がっていったが、河は怒れる濁流と化していた。この退路で悲惨なことが沢山あって書ききれません。

悲惨すぎます。むごすぎます。

可哀想すぎます。

まず高低差。

ただ下っていくだけではなく、また登り、また下りと繰り返さなければいけないのです。

猛獣もいます。

インドヒョウに食べられているのを何度も見た、と言います。

これは2011年の事件。https://lifener.ti-da.net/e3448993.html より。
これは2011年の事件。https://lifener.ti-da.net/e3448993.html より。

 

これですよ?私は大型猫類は美しく好きですが、写真や映像、動物園など安全な状態で見ている訳で、もし雨の山の中、暗い密林で突然飛びかかられたら?

しかも兵隊さん達はすでに体力の限界・ふらふらで歩くのがやっと、もしくはへたり込んでしまっているところ、かなうわけないじゃないですか。

木の上にも→これ

うつむいているところにここから襲い掛かってくるから手立てはない。ここから  

 記述の中で模様の入った大きな猫とあるのでウンピョウかもこれ

 

 コヒマ方面から撤退した分隊長の佐藤哲雄さんによると、ハゲタカは人間が立っている間はいいが、転んだらとたんに襲われると。だから立っていなくてはいけない。

これですよ。インドハゲワシ

意識朦朧のところにこんな威嚇もある。もはや鳥とは思えない。

怖い。

 亡くなった方には本当に申し訳ないのですが,連合軍も含め、人間同士が殺し合うために秘境に来て、野山を焼き払い、豪雨や細菌、野生動物、虫に排除されてしまうというのは地球に怒られているような気がしてきます。

少数民族が質素に暮らしているところに、利権の取り合い、領土の拡大、人種の衝突、おクニの威信、資源の奪い合い、宗教の対立などで多くの牛や馬を死なせ、住民の食料を奪い、わずかな田畑をめちゃくちゃにし、砲撃や爆撃で焼け野原にし、その後の紛争の種をまき、死体を放置していく。これらを自然が愚かですよ、無意味ですよ、と教えようとしているような気がしてしまうのです。

 以前にも書いたのですが、私はグランドキャニオンの谷底まで行った時、途中でものすごい雷雨にあった事があります。それまでカンカン照りで、岩だらけの急峻な道を降りて来て、いったん開けた台地に出て砂漠地帯を中ほどまで進んだ時、青空だったのが急に暗くなり、黒い雲が一瞬にしてもくもく湧いて来たのです。その渦巻く煙のような雲の中で稲妻が切り裂くように走っています。まさかあれがこっちに来ないよな?と思うもなく雨が降り出し、暗い雲が空全体に広がり、強い風が吹き始めました。スコールが降り始め、ざぁーッという音と共に乾いた黄色っぽい大地はあっという間にダークブラウンに変わりました。その雨はあっという間に大粒の雹(ひょう)に変わり、横殴りの強風でバシバシと当たって来て痛い。

 どこか雨宿りできる場所はないか探しますが平原で、わずかな低木しかありません、細い茎で草のようなものです。遥か向こうに高床式のログハウスが見えましたが、すでに雷が落ち始め、間に合いません。しまった、この辺りでこの状態になりやすいから避難所として作ってあったのだなと気が付きましたが、ここで凌ぐしかないと決めました。

その貧弱な低木の後ろにかがみますが、効果はない。それこそ弾丸のように水平に飛んで来て身の危険を感じ、小さなリュックを顔の前に盾のようにしました。雷が地面に落ちて、砂けむりが上がります。ゴロゴロというよりガシャン!!というような大きな金属音です。それがだんだんこちらに近づいて来ます。腕時計など金属系のものはぽーんと投げて遠ざけ、少しでも高い所は危険なので地面にはらばいになり、かと言って雹もまるで氷の矢が絶え間なく飛んでくるといった強烈さなので、低木のかげでリュックを風上に掲げ、目も開けにくいのですが前をチラ見すると、遠くの断崖に雷が落ち、岸壁が崩れ落ちていくのが見えました。

 塊でブロックのようになり、規模が大きいせいか、スローモーションのようにゆっくり倒れていくのです。怪獣映画のようでもあり、南極の氷山が崩れる映像のようでもある。

一体が閃光に包まれるほどの落雷が迫ってくる。ガシャーンがそれこそ爆弾が落ちるようなドーン!と轟く衝撃音になり、近づいて来たように感じました。流石に、もう終わりか、これまでか、と焦りに包まれる中、一瞬だけ俺の死体どうなるのかな、発見はされるだろうけど、火葬してから日本に?それともすでに黒焦げか?と心配してしまいました。そうして体中に力が入ったまま、びしょ濡れで、耳を塞ぎたいが、リュックから手放せば氷の弾丸を浴びてしまう、あたりは昼なのに真っ暗、という状態に置かれましたが、しばらくすると、すっと音が遠のき、辺りが明るくなって来ました。あれ?気がつくと雹は止み、あの暗黒の使者のような雲はあっという間に消えて驚くほどさわやかな青空に変わったのです。

 心細かった低木は水を吸って小さな葉がツヤツヤの緑に、乾き切っていた地面はかつて日本でも見た茶色の土に、つまり現代のどこもかしこも舗装される前の懐かしい地面を思い起こさせるような状態になり、岩々は鮮やかなオレンジに輝いています。唖然としている私の近くを小鳥達が楽しそうにさえずりながら飛んで行きます。お前さんらどこにいたの?雨の前、全然気配が無かったのに、そしてどこでしのいでいたんだ?今思えば、彼らは先にこの雷雨を察知して安全な岩の間とか斜面の木の陰とかに潜んでいたのかも知れませんね。

辺りは清々しい潤いのある新鮮な空気に包まれ、再びさんさんと輝く陽を浴びて楽しそう。

まるで「ああ〜いいおしめりでした、またお願いしますね〜」みたいな。

 私は立ち上がり、金属類を拾い集め、泥を払いながらさっき崩れた岩壁の方を見ました。新しくあらわになった断面が一皮剥けました〜みたいに光を浴び、さっきの出来事を知らない人が見たらもともとそうなっていたかのような立たずまいでそびえ立っているのです。

今動画を探してみたらこういうのがありました。→powerful lightening

上から見たらこうだったのかもしれません。もっと凄かったけれど。

結構ガイドブックは読み込んでいたし、ビレッジの人の注意事項もしっかり聞いていましたがThunder strike については全く警告がありませんでした。 HEAT KILL を凄く強調していて立て札もあってとにかく水を持っていけという事でしたが。

 どのぐらいの頻度で起きるのか、毎日か、ある時期だけなのか、わかりませんが、ログハウスまで行くとかなり高い高床式で、下で雨宿りもできるぐらいでした。多分よくある事なので避難用に建てたのでしょう。

それであたりの地形を見て感じるのは、このような気象現象でてきた場所なのだなと。もちろんコロラド川の浸食がメインですが、その水は空からも注がれます。これだけ乾燥して地表温度が上がれば雷雲も起きてバランスを取ろうとするでしょう。そうして急激な温度差で岩には亀裂が入るし、重さに耐えられなくなって崩れたり、落雷の衝撃で破壊されたりして谷の斜面が形作られていくのでしょう。これを何万年、何億年と繰り返してこの渓谷の地形が出来上がったのだな、と思うと人間の営みがいかにちっぽけなものか思い知らされたのです。→これでも上の方から見たほんの一部です

 その数日後新聞を見たら、この雷雨で発生した濁流に飲まれて亡くなった方々がいたということを知りました。また、今調べてみるとグランドキャニオンで雷に撃たれて死んだ方もいます。自然の美しさや、レジャー性に気をとられていても、自然の方では全く関係なく太古からの営みを続けているだけなのです。

 だからビルマ、インド東部でも、もともと世界一の雨量だったわけで、雨季になれば毎年川は増水、土はぬかるみ、作物を育てるのが困難で高低差1000m以上、気温差も激しいという地域だったわけです。

そこに対策も立てず、自然への畏敬の念も持たない者が殺し合いのために多勢押し寄せてrefuseされても文句を言うすべは持てないのです。   だからムタグチが元から山道に不慣れな牛に重いものを乗せ、食料が尽きたら殺して食べれば良いと何千頭もこき使おうとして死なせたり、人間にも食べ物を与えず弾が無くても戦えと死に追い込んで、上手くいかないと神だのみしたところでお門違いなのです。

 作戦司令部近くの丘の上に、10坪ほどを地ならしし、部下に丸太を削って鳥居を作って立てさせ、大声で祝詞を唱えていて異様だったようだけれど、八百万の神々を敬うのが日本古来の精神なのに、自然に唾吐きかけ、踏みにじっておいてさぁ勝たせてくださいなんて全くのお門違い

 川を渡る時、川の神様に挨拶してきましたか?無事渡らせて頂けるようお祈りしましたか?山に入る時山神様に許しを得ましたか?壕を掘った時に土の神様に謝りましたか。砲弾を、数的には英軍の方が圧倒的に多いとはいえ日本軍も何千発も撃って山肌をえぐっています。山の神様に謝りましたか。自分の命令で何千、何万人が死にましたが冥福を祈りましたか。何一つせずただ自分の欲望だけ叶えたまえ〜、て勘違いも甚だしい。

 さらに7/12頃、佐藤師団長との会談にしておきながら前線視察とかいって隠れていて、去った後に例の鳥居に司令部の将校達を集合して立たせ、訓示を叫び出した。「佐藤師団長は食うものが無いからと言って勝手に後退した。皇軍なら弾が無くても足で蹴れ、足もやられたら口で噛みつけ。日本は神州である。毛唐に負けるものか、食べ物が無くてもやり抜くんじゃ。」などと1時間も演説し、体力の限界だった将兵たちは脳貧血などで次々と倒れたという。抗命」p244情報班 中井悟四郎記述より

皆さん許せますか?もはやプ将というより腐(ふ)将。

さて悲劇の砂時計の砂は落ちきって上容器は空になりましたが、ここから上下逆さまになって第二ラウンドに入ります。

作戦が中止になったからといって戦闘が終わるわけではありません。救出のトラックが来て安全地帯に行けるわけでもありません。連合軍の追撃は続きますから、飛行機に見つかれば機銃掃射・爆撃を受けるため、夜間しか移動できません。猛獣に怯え、仲間からの略奪も牽制しながらアメーバ赤痢とマラリヤに犯されて雨の中を裸足か、靴の代わりに布を巻いてよろよろと食料を求めて歩いて行くのです。

  ここで、資料類の返却期限が来てしまいましたので、続きは次次回にいたします。

疑問点だった、第二次アキャブ作戦の敗因ですが・・

航空支援については 第五飛行師団(田副さんの)は連合軍に数でおとり制空権を握られ、インパール支援にも出さなければならなくなって、敵の空中補給を妨害する兵力が無くなったという事です。作戦時期が重なって二兎を追うものは一兎を得ずになってしまったのですね。スピットファイアVSはやぶさでは互角以上と思われますが、連合軍がそろえた恐ろしいほどの物量が、すぐ近くの飛行場から発進するのではあまり意味がなくなってしまいます。

地上では相手の後方にも回って遮断した最初の奇襲から、取り囲んだ後は特定地域の固定になったため、機動力よりも火力が求められるようになった。相手はM4重戦車もあり、包囲は出来たが、撃破は出来る火力が無い。そうこうしているうちに、外側の敵に襲われ、準備した2週間分の食料が底をついてしまった。相手は練習しておいた空中からの補給を使い例のアドミンボックスで立体的に戦い、全滅しそうになって退却したという事で、すでにインパールと同じ負け方をしていたのですね。

第一次アキャブの戦術を再度行おうとしたが、相手は対抗策の円筒陣地という新しい戦法を使った。

日本は同じ勝ち方を2度繰り返そうとしたが、相手は同じ負け方を2度と繰り返さなかった。

さらにインパールでは日本は同じ負け方を2度繰り返した。いかに陸軍の学習能力が低いかが証明されます。

★もう1つの疑問点、コヒマ・ギャリソンヒルでの戦いで証言に出てくる「ヘリコプターのような新型飛行機」については今のところ記録を見つけることができませんでした。おそらくオートジャイロだと思いますが、軍事的に秘密なのか実験的な使用だったので記録が少ないかだと思います。実際の戦闘で苦しめられた人の証言を信用したいと思います。

 というわけで、この後チンドゥィン川に向けて悲惨な退却、川に着いてからも悲惨。ボロボロになって生き残っても、この後のイラワジ会戦、さらにシッタン作戦に投入されさらに理不尽な苦しみに見舞われてしまうのです。

全ての元凶は牟田口というわがまま幼児が権力を持ってしまったことにあります。

 犠牲者の方々、ご冥福をお祈りします。

そして牛、馬、ラバ、象など利用されて死んでしまった何千頭もの動物達、ごめんなさい。安らかに眠って下さい。

 

 

それでは次回は、一旦予告していた

Morissette Amonさんの曲ごとの紹介について書きたいと思います。

悲惨な内容が続きましたので、心を救ってくれるような彼女の歌声をご堪能ください。moriさんについては前回のコメントをご覧下さい。 ↓

 

インパール作戦とその後についてはその次に続編を書きたいと思います。

 

   2022年 10月8日いったん筆を置きます。

 


最終型シンガーです。

        2022年724日 

 ふぐ、激夏ですね。ヒグラシもいよいよ本格化してきました。今年も私の探し求める「UFO鳴き」には出会えそうに無いですが・・。

 さて私が注目している新進気鋭のシンガーが数人いるのですが、今日はその中の1人について書こうと思います。

この3年ほど主にインターネット上で世界中を驚かしている規格外の若い歌手が4人ほどいます。それはほとんどヴォーカル界のゲームチェンジャーとも言えそうな衝撃なのです。

それは

 Dimash Kudaibergen

ディマーシュ・クダイベルゲン。 

★ Angelina Jordan

アンジェリーナ・ジョーダン

そして

Morissette amon

モリセット・アモン!

  もう1人は実は一番聴き込んで感動していた稀なコントラルト音域の歌手ですが、かの侵攻している国の人なのでここではDAとだけしておきます。「アーティストを信頼できるかと、作品の価値との関係」については昔から自問他問もしてきたテーマなので、別の機会に書きます。

 ディマーシュはカザフスタン出身の男性で見た目は日本人とも近いです。クラシック・クロスオーバーを得意とし、驚くべき音域の持ち主で、5オクターブとも言われます。その表現力は衝撃的で、オペラ風の低音から女性の音域までカヴァーし、マライアのようなwhistle register も使いG8まで出るようです。

私はTV3年ほど前に見て仰天したのですが日本ではほとんど紹介されて来ませんでした。活動は中国や現在侵攻中の国やアラブ首長国連邦など東系が多いのもあると思います。まあその歌唱力が広まったら日本の芸NO界はひとたまりもないからね。

近年やっとYouTubeのリアクション動画をきっかけに広まって、皆ショックを受け、愕然としているのです。

  アンジェリーナ・ジョーダンはジャズ的な表現を軸として、10代前半でかなりraspyで大人びた声質で驚かせました。出身はノルウェーで、8歳でオーディション番組に優勝し、アメリカのコンテストに出てボヘミアン・ラプソディを独自の解釈で歌い、注目されました。Quincy Jhones 85歳の記念ライブにも出て話題になりました。

  さてMorissette Amonさんについてですが、結果から申しまして・・

もう大好き!

はじめに言っておきますが、その素晴らしさから中毒性が高いので、時間が無い方はご注意ください。でも活力・勇気がもらえます。

 

Morissetteさんはフィリピン、セブ島出身で、愛らしい丸みのあるお顔からは想像できないほど芯のある熟成された声で、精妙で様々な表現を織り交ぜていき、クライマックスでは信じられないほど豪快・爽快・壮絶()に歌い上げます。

間違いなくワールド・トップクラス、グラミーレベルです。今、最もunderrated(過小評価されてる)なシンガーでしょう。音域は4オクターブと2音あります。

 

私は「完璧なるビルター」と呼んでいます。

つまりイントロからは繊細で精密でかつ感性豊かに囁くような歌声で始まり、それが歌の内容に沿って様々な表情に変化しつつ徐々に盛り上がっていき、クライマックスではど迫力のベルティングで爆発し魂を揺さぶられるのです。そしてしっかりエンディングを迎えます。

まるで一本の大作映画を見終えたみたい。

 こうした“build up”は中々成功させるのは難しいものです。途中で引っ張りきれず飽きさせてしまったり、いよいよクライマックスというものがそれほど盛り上がらないとか。

また、“belting”(高い音域でも太く迫力で歌う唱法)もあまり多いと耳が飽和してしまう。彼女の場合クリアーなHead voiceMixed voice と織り交ぜながら肝心なところで芯のあるど迫力Belting をぶち込んできて、とぅは〜って感動していると、さらに上まで行って、え、まだ行く?と驚いているとさらに予想を上回るパワーで次々と打ち寄せる波の如く皆の魂を引っ張り上げ、人間に可能なのか!?というところまで連れて行ってくれる。

 そして日本で蔓延しているキンキン声にはならないんですね。むしろ落ち着いて頼もしい声色で、勇気に溢れて雄大で、とことんパワフルで、天空に舞い上がっていくよう。

 リアクション動画では椅子でのけぞる人、歓喜の踊りを始める人、あまりにも見事すぎて笑っちゃう人、動揺して撮影カメラの方を凝視する人、泣いちゃう人もいます。Blown awayですね。

感受性の強い人は魂の許容量が追いつかなくなって再生を止めちゃう人もいます。それで心を落ち着けてから恐る恐る再生して胸に手を当てて茫然としてたり。

 英語苦手で意味が分からなくても音だけで連れていかれちゃうのに、詩の意味を知ってもう一度聴くと、魂の震えが止まりません。

 マライヤやホイットニーなどベルティングの使い手ディーヴァをベルターと言いますが、build upとの完璧な融合なので「ビルター」と呼ばせて頂きます(造語)

そもそもベルティング自体、日本人で出来る人はほとんどいないけれど。

 

 昨今のヴォーカロイドや波形編集での貼り付け、オートチューンなど生歌よりデジタル加工主体の音楽界において、もしかすると暑苦しい、生々しすぎる、濃すぎると感じる人がいるかもしれません。カバー曲が多いので、元ヴァージョンを聞いてみると、あれ?薄い・・ショボい、物足りない、と思う場合が多いと思います。

すでにモリセッツ・マジックに取り込まれた兆候です。もっと聴かせて、他にMori曲無いの?もっとちょうだい!ってなっても当局は責任持てまへん。しかも昔のようにレコードしか無い、高いライブビデオ買うしか無い、といった限界がなく、ネット上には本人がSNS系の日常的にあげた喋りながらの弾き語りから、パンデミック期にリモートであげた精妙なアンサンブルのもの、オフィシャル以外にもライブでオーディエンスがスマフォで撮ったもの、マッシュアップにリアクション動画など無限に近い数のアップロードがあり、名曲は何度も見てしまうので、止まらなくなります。

暑い部屋で見続けて熱中症になったり、夜通し見続けて寝不足になったりしないようご注意ください。

でも、流行りのサウナで言うと汗をかいて「整う」という感じかも。

 

とにかくこの60年間ほどのPopR&BSoul、Rock popの集大成のような存在と思います。

 

中でも大きな影響を感じるのはMariah CareyWhitney HoustonCeline Dionだけれど、Jessie J、Beyoncé、も内在していて、ロック的なパワーに引き上げるところはChaka Khan , Christina Aguileraも感じるし、なんならジャニスもいる。一方でミュージカルやディズニーものにも興味をお持ちのようで歌い始めの声を聴いて「あ、ディズニー。プリンセス!」と反応する人も多い。その他Barbla Straisand, Bette MidlerLiza Minnelli、といったポップスやミュージカルの王道を作り上げて来た人々からAretha FranklinRoberta Flack , Stevie Wonder、Lauryn Hill Alicia Keys、などといったソウル、R &BHip hop系のシンガー達の業績が凝縮されて現れてくる。

さらにもちろん本国O.P.M.のスターたちのモノマネや共演もしてるし、アメリカで活躍しているLea Solangaの影響もあると思います。

 

どんな人かというと・・

タトゥーしません。

よくありがちな下着同然の露出やりまへん。

ヤクやりまへん。

SNS→色々やってるようです。facebook,tiktok, フィリピン独自のKumuなど。

チェストヴォイス深みがあります。自然にコンプレッサーがかかったようなサウンドから迫力のディストーションまで(機械使わずで)

ヘッドヴォイス→ ピュアかつ芯のあるトーンです。

バイブラートもちろん使います。旋律や歌の内容に合わせて微妙なもの、素早く震えるようなもの、ロングトーンの最後にかけるもの、各種取り揃えております。大袈裟で音程がうわずるようなわざとらしいのは入れません。

Falsetto→透明感があって楽器のように豊かな音量でふくよかさがあります。

Mixed Voice →あらゆるバランスでシームレスに使えます。

Break point →あたかも無いかのようです!

Riffs & Runs→もちろん入れて来ます。切れ味・アジリティーはワールドクラスです。マライヤの影響が大きいかも。白人ヴォーカルコーチは技術としてn〜ice!と反応するけれどブラザーの人達(African American)はnmn!とかYes!とかSoul分かってるね〜という共感を示します。

one breath→やります。ヴォーカルコーチのリアクションでは背中に酸素ジェネレーター背負ってんじゃないか、と言う人もいます。特に“Akin ka na lang ”のクライマックスは圧巻。まだ行く?まだ行く?おい一体いつ息吸った?と興奮する人います。

GlowlClack→自在に入れて来てKnock outされます。親しみを込めてunleash the dragon と反応する人もいます。

breathyairy →自由自在でわずかなスペースでもサーっというシズル音を同時に重ねられる。Jazz saxsubtoneを彷彿とさせますが、詩に合わせてなんです。

transition→0.1秒ぐらい?気が付かないうちです。

side mouth →曲によって使います。

full resonance →PA機器が壊れそうという人がいます。もちろん彼女はベルティングで盛り上げる時マイクを離すし、顔を右に向けたり真上に向いてフカレが出ないようにもしてるんですが、電子機器が耐えられないようです。正式のステージやWishラジオなどではエンジニアがCompressorかけて防御(笑)してるんでしょうけれどライブをスマフォで撮った映像では歪んでる事が多い。iPhoneにもCompressor機能内蔵してるはずなのに。会場ではいい音で出ていてもthresholdを低く設定出来ないと追いつけないんですね。drum録音でいうところの「回っちゃう」というヤツかな。想像では音量面だけでなく倍音などで部屋やiPhoneが共振しちゃうんじゃないかと思います。

portamento →無段階に上がって行く時、宇宙船が飛び立つよう。

Belting→世界最高レベルの使い手です。よく興奮してsing it Girl ! come on !と叫ぶ人がいます。ブラザーのシンガーも認めてます。

 

Whistel Register (超高音域)→マライヤ、アリアナに匹敵します。E6は行く。

そしてVocal crack とかsquealsqueakeと呼ばれる一瞬のRaspy voice 入れます。昔からあるもののはずなのに、海外の人たちはこれに異常に反応します。Did you hear that? と言って巻き戻す人や、spicy tasty !と言って空中で手で捕まえてアムアムと食べる仕草をする人もいます。

さらに時々これを極端に素早くグリスアップする独自のGlideを入れます。 (2017年のAsia song festival など)

流石に聞いた事のない音で、皆、何今の!?なんだ・どしたんだー・何が起こったんだ〜!と仰天します。逆に伴奏の楽器の音と思い込んで気づかない人もいる。(笑)

 

 つまり「超高級幕の内弁当」なんですね〜。

あらゆる美味しいものが詰まっていて、2段になっていて、組み合わせもよく、でもフレンチやイタリアンの気取ったフルコースではなく幕の内弁当という手の届くところに収めている、という感じ。庶民の味方的な。

 

 フィリピン人は彼女の流儀を知ってるので、ライブではベルティングが始まると「そら、来た」とすでに拍手喝采です()whistle register に入ると「出ました〜!」とスタンディング・オベーションになります。野球観戦かッ。

そのカラフルな歌声に技術の高さを評価する人が多く、Asia’s phoenix という二つ名が与えられています。

声だけでなく身振り手振り、お顔の表情も大きな要素です。変幻自在のお口、表情豊かな眉毛、流れるような髪、普段黒目がちなのに歌うときらめく深いエメラルド・グリーンの瞳、溢れでる笑顔。で、お肌がツヤッつやなんですね。またほとんど日本人のようにも見えて、渋谷あたりを歩いていても違和感無い感じ。どちらかというと小柄で手足も長くない所に親近感持つ人も多いんじゃないかな。ところが大きめステージでキラッキラのドレスで出てくると凄いオーラを放つ。

 

 Wish crusive という、ラジオ局がバスの中にしつらえた移動スタジオで生でお届けするシリーズの動画があるのですが、大きな窓の外には観客がたくさん見ていてスマフォで撮ったりしてる。

彼女は曲によってはイントロの最中に笑顔で手を振ったりしていて、初めて見る外国人の視聴者はShe’s so cute! あら、可愛い。といってるのですが歌い始めた瞬間にえ?て目がテンになる。予想と全く違う熟成されて深く落ち着いたトーン、緻密なコントロールに意表を突かれるのだ。

そして想像だにしなかった壮絶なクライマックス()に、speechless・・・となったりchills と腕をさすったり、goosebumpsと言ってカメラに腕の皮膚を見せようとしたりします。

聴き終わって一言めにOh my goodnessとかHoly moly, を繰り返す人が多い。そしてphenomenal , Something elseとかOne of a kind,という感想が多いです。スラング系ではinsaneとかCrazy (やべーぜ)!とかFire (かっけ〜)を連発する人、物騒だけどshe’s killing it(最高)、極端にshe’s definitely slayerと言う人もいます。こんな可愛い人になんてこと!て思いますが最高級の賛辞なんですね。つまり次々とkill をするからなんですけど。(別の機会に)

 

 

そして大切な事はこれだけの声量でぶちかまして、リミッター外れた!状態でgrowlも入れてるのに何故か下品にならないんですね。あくまでも誇りと勇気と慈愛に満ちた雄大な響きで、言うなれば弁天様と不動明王と観音様が同時に現れちゃった、みたいな。

 よくAngelic voice と感嘆する人が多いんですが、この人の場合、出来るのにキレイキレイで終わらせないで、必ずgrowlclack など入れて、あくまでも人間臭さを追加してきます。

 

それは、どんなに科学技術が発達しても、宇宙に進出しても何かが置き去りにされそうな時、「ここに人間がいますよ!ここに!」と息吹を刻印するかのような印象で、今のパンデミックや紛争、レイシズムで混沌とした世界に人間性を呼び戻すような歌声なんです。

 

特徴はお口が曲の状態や母音の種類によってある時はトランペットのベルのように、ある時は口笛を吹くように尖らせ、ある時は口角を上げて逆三角形になったり、白い歯がズラーッと輝くハート型に、そしてまたクライマックスでは上顎の内側まで見えちゃう、というほど大きく開けて無限の音色を生み出す事です。

 

愛らしいルックスなのにそれを売りにするところは感じられず、何処か芯の強さやオーラが感じられます。日本でよくある「等身大」とかいって身近さを強調したり、同情を誘う系のお頼り方式じゃなくて、むしろギャルサーの総元締めのお姉、みたいな()生命力が漂います。

かといって尊大なところは全くなく、いたずら好きの少年のように早口でしゃべり、よく笑う。

天才にありがちですね。ユジャ・ワン、ジェイコブ・コリアー、パット・メセニーなど。

 そして歌唱は緻密で深く、格調高いのに、終わると、あーいいお湯だった、もうひとっ風呂浴びる?ぐらいの感じなんだ。“Fly like a bird”のような難曲を歌った後もグリコポーズのように小躍りして、あたかもアタイ、歌が好きなんだ、という表情。その落差にまた仰天します。天才にありがちですね。

 

 ファンは彼女の事を親しみを込めてMori と呼ぶ人が多い。日本で言うと森よりもコナンに出てくる毛利小五郎の毛利の方が近い。

 少しでも歌に取り組んだ経験のある人なら彼女の歌声を聴いて、トーンの美しさ、いかに自然に超高難度のことをやっているか気づくはずです。

よく分からないという人は軽く同じ旋律を口ずさんでみるといい。デタラメ英語でもハミングでも構わないからなぞってみるといい。ディティール以前に音程自体追いつけなくなる。

 

 シンガー、ヴォーカルコーチのほとんどはShe’s doing effortlessly! と言います。つまり苦もなくやってる、マジか?しかも座って歌ってるじゃないか!と驚く。彼女以外にもフィリピーノ・シンガーは小さめのライブハウスで座ってしかも足組んで高音まで歌ってる人は結構います。

  よく日本のヴォイトレ本でまず肩幅に足を広げてまっすぐ立ってみましょう、からイラスト入りで書いてる本があるけれどridiculous 。そこに数ページ使ってしまい、重要な声帯や舌の位置、Passagioなどは説明できてないものが多い。

Bret Manning も座ってコーチしてるし、実際Mori“Could You Be Messiah ”では通して床に正座のまま歌ってます。

また、テレビ番組でwhistle register 含む難曲をお風呂用みたいな低い椅子でトライさせられたり、床に腹這いになって歌えるか無理難題をリクエストされるが、クリアーしちゃう。終いには歯科用の固定器具を口に付けたまま歌わされる。(もちろん世界レベルのディーヴァにこんなことさせちゃ失礼です!でもそういう番組で、フィリピンの国民性の一環なんですかね)

普通なら断るような事をやり遂げちゃってスタンディング・オベーションになっちゃう()。驕りのない彼女の人間性で、愛される所以でもありますが。

(ちなみに海外ではファルセットよりはファルセトー、ミックスじゃなくてミクストですね。ビブラートはバイブラートです。バイブレーションっていうでしょ。Asia’s phoenixもアジアズ・フェニックスではなくエイジアズ・フィニクスです。)

 

 というわけでMoriの技術・技法に着目する人が多いのですが、私はむしろ歌の内容をどうやって声に乗せるかという構成や感情の動きに重点を置いているように思います。

すでに技術的な事は無意識に行ってるんじゃないかと。

 世界中のヴォーカルコーチが映像をとめては部分的に解説しているが、仮にその音程、その発声法で再現したとしてもこのような感動的なrendition にはならないでしょう。結果を部分的に説明しているに過ぎないから。

今こう歌った、今こうやった、と言っても、ンなこた分かっているわい、今聴いてたんだから。

重要なのは何故そこでそういう発声を使ったか、何故その音量で歌い、そのバイブラートにしたか、という点なのです。

Moriのその時点での歌い方は詩の内容と歌の意味、旋律と和声の動きと相まって前後の関係や感情移入によって起こっています。その判断を生み出しているのはMoriの心情や感じ方、生き方の姿勢から生まれるのだから、それをコピーする事は出来ない。

 これが冒頭に触れた「アーティストを信頼できるかと、作品の価値との関係」なのです。

 

歌に限らず末端の技術だけ分析してもそれほど大きな意味はないでしょう。

もちろん専門家が称賛する事によって、よく分かっていない人にも気付かせ、評価が上がっていくという効果はありますし、真似てみたい人は参考になりますからやってもらって構わないのですが。

 ただ、それだけが真の価値に近づく方法ではないという事なんです。

 もし小説家のワープロソフトの打ち方、指の割り当てを真似ても同様の作品を生み出せるわけではないのと同じように。

 もっと言うならばもし夏目漱石の文体を分析して、文言を真似ても、どうしてそこで主人公はそのセリフを言ったのか、という心情、そしてそうさせた作者の意図は真似られない。仮に理解はできたとしても匹敵する新たな作品を紡ぎ出す事は出来ない。

 逆にMoriはカヴァーを歌う時、直感的にそれをやっているのではないか?つまり作曲者がテーマにした事、詩が何を伝えるためにどういう構成でこの言葉を選んでいるか、元のシンガーはそれをどういう感性で表現したか、を感じ取れるから、末端の発声法を模倣するより、曲に内在する本質を受け取る。

それが彼女の性格、生き方と反応を起こして新たなrendition が生まれる。

だからリスナーは一見Moriの技術の見事さや声量に感動しているようで、実は彼女の生きる姿勢や魂に感銘を受けているのですね。

 

よくあるイメージビデオを添えるよりMoriが歌っている様子をそのまま見せた方がいいのです。

 

さらに面白い事にある時はストーリーテラーに、ある時は物語中の人物になって語りかけるのですが、並行している時もある事です。よく夢で起こる、カメラのように俯瞰して見ているようでその当事者になってもいる、という状態に似てくる。これは幽体離脱や、死に際に自分の体を空中から見てるようだという現象にも似てる。

こういう要素がMoriの歌に霊的な感動を与えている要因のように思う。

 

もちろん聴いている人は気づいていないし、Mori本人もそうするつもりでもなく、自動的になっているのじゃないかな。

 そこがただの感情移入と違うところですね。だから元バージョンより良くなっちゃう事が多いのです。

 

 というわけでモリセッツ論になりましたが、今回はあえてリンクを載せませんでした。次回はお勧め動画リンクと、個々の曲の説明をしていきたいと思います。ヘッドフォンとティッシュを用意しておいてね。

 おっきぃ〜dokey、 それでは皆さん増え始めた感染にお気をつけて。セミもベルティング始めたので(笑)熱中症にも要注意。なおヒグラシの真価は朝4時23分でっせ。これだけはMoriに匹敵する。特に森の中では(笑)。

      2022年724日 

 


おすすめのドラマです。

        2022126日 

まだまだ寒い日が続きますね。

 

実は去年の秋から魅入られている長編ドラマがあります。

それは「女医明妃伝」という中国のドラマです。じょいめいひでんと読むようですが、本来の発音は分かりません。ニュウイー・みんふぇい・イェンみたいな感じかな?

  その昔「明」の時代、厳しい儒教によって女性の地位が低く、医師になるのは許されませんでした。祖母から密かに医術を学んでいる娘・允賢(いんけん・本来の発音はインシェンのようです)は困っている人を見捨てられない性格で期せずして人を助けることになり、父親からひどく怒られ折檻を受けます。

 それは、差別されるだけでなく、かつて宮中で高名だった医師の祖父が罠にハメられ、汚名を着せられたまま亡くなったという家系だったからです。現在姓を変えているのが露顕すると大変なことになるという理由があるのです。

これが前半の主軸となります。字幕です。

  物語の中で、クセのある男性と知り合い、助けてもらったり助けたりという出来事が起きます。登場する2人の男性が実は身分を隠しており・・おっとこれ以上はご自身で。

 とても長い話ですが飽きさせず、大河ドラマより重厚な脚本で、壮麗な宮廷のセット・衣装など美術は時代考証も力を入れたもので素晴らしく、様々な漢方や鍼灸・祝由(しゅくゆ)などの医術、魅力的な人物たちによる群像劇、カメラワーク、戦争場面のアクションの迫力、政治における覇権争いと、権力者を操ろうと暗躍する者たちの心理サスペンス等、山あり谷あり草原ありで見どころ満載です。

 音楽も素晴らしく、ヒリヒリ迫る緊張感、心静まる回想シーンなどを古来の楽器と現代音楽をうまくミックスした表現で、主題歌やエンディング曲も美しく、詩がドラマの内容にリンクしています。日本のドラマでスポンサーの都合やアイドルを起用して曲調も内容にそぐわない安易なものとはレベルが違い格調高いものです。

  役者さんの演技も素晴らしく、たびたび登場する妬みや卑怯な罠に対して誠実さだけで太刀打ちできるのか考えさせられるシーン、歴史ものというだけでなく、何が正しいのか・なぜ真実が見えなくなるのか、信頼と離反、仁や徳、戒律と革新、など哲学的命題も盛り込まれ、ジーンとする場面があって泣いちゃう。

 横暴だった人物が少しずつ聡明になっていったり、逆に謙虚だった人物が徐々に傲慢になっていったり、疫病も登場しますし、過酷な吹雪に見舞われたり、モンゴル民族の文化も描かれ、投獄されたり、狼に囲まれたり、親しい人の死、医食同源、お茶や筆使いなどの文化、旅の一座、親子や親戚の割り切れない愛憎劇、偏見に対する抵抗、貧富の格差、主人公の成長と挫折、妬みと改心、師弟愛、ロマンス、権力欲と忍耐、男同士の友情、和解と裏切り・・。それらが運命を揺さぶりながらタペストリーのように織り綴られていき、波乱万丈な生き様が重層的な曼荼羅のように描かれるのです。ある意味昭和のドラマを彷彿とさせますし、手塚治虫の大作に通じるところもあります。

 しかもこれが実在の人物をモデルとしているのが驚き。

中国四大女医(漢代の義妁、晋代の鮑姑、宋代の張小娘子)のひとりで、女性のための医学制度を確立したり、彼女が残した「女医雑言」は後世の中国医学に大きな影響を与えたといいます。

 主人公の女優が美人すぎないのも好感が持てます。(:中国・韓国ではものすごい美人という評価で、劇中でも讃えられています初期のややおてんばで無鉄砲なところから様々な苦難を乗り越え、だんだん綺麗に見えてくるから面白い。特に涙目の演技が素晴らしい。もちろん現代の姿でおしゃれすれば綺麗な方だと思うのですが、他にも美女・美男がたくさん出て来ますので。

 それがあと1回で最終回を迎えます。見るのが怖い。

月曜から金曜まで放送される量なので録画しておいてもなかなか鑑賞が追いつかなかったのですが、暮れに入院し、退院した今もまだ激しい活動は控えなければいけないため一気に見ています。

 録画予約しておき、宣伝をカットしてブルーレイディスクに焼いて後でまた見れるよう保存しています。長編海外ドラマは結構見て来ましたが、たいてい一話である程度の解決をして、最後に次回を見なければと思わせる部分(いわゆるクリフハンガー方式)を作るというパターンですが、この作品はそのセオリーから外れます。そしてたいてい欧米ものは初期は楽しめるんだけれど、無理な引き伸ばし的部分が増えて来て、あの件はどうなったの?伏線は回収されるの?早く結末にたどり着いてくれ、だんだん飽きてくるが途中で見るのをやめるのが悔しいので一応最後まで見なければ、というものが多いのですが、この作品は人間ドラマでぐいぐい引きつけていき、逆にまだ終わらないでくれ〜、という寂しさがつのります。(アマゾンなどのネット配信でも見られますが、テレビ放映の方が一話分短いため、切れる部分がずれます。)

 もちろん全く難点がないわけではありません。広大な領土ですが、宮中の場面が多く、庶民の生活があまり登場しません。何段階かあるはずなのですが・・。暴れん坊将軍とか水戸黄門だと長屋の生活、商店が並ぶ城下町、食事どころや峠の茶屋、川や船着場、米問屋、農村地帯や旅する山道、職人の工房、城内の御座敷、などが登場するので、ある程度生活や身分が想像できるので慣れているからかな。不慣れな古代中国で官職の名前や宮中の配置、上下関係などがイメージしにくいため、想像で補う部分があることです。(役職名などの意味はテロップで説明が出ることもあります)

  また軍勢が何万、十万とかいうのですが、画面に出てくるのは数百人規模なのです。それでも城の攻防や肉兵戦など充分迫力ありますが。地図を明示してどこが攻められていて、今どこにいるのかというのが分かるともっと緊張感が伝わると思うのですが。  

  あと、軍事費に困って貴重な宝飾品をお金に変えたというシーンがありますが、どうやって換金したのかが描かれません。庶民では買えないと思うので。

  それと施した治療効果の出るのがちょっと早すぎるような気がする・・。

でもそれらを差し引いても見る価値のある素晴らしい作品です。

もしご興味が湧いて見ようかなと思った方、ネットであらすじなど調べず、いきなり見た方が楽しめます。数話見てから、分からなかった部分があったら一話ずつ解説してるサイトがあるのでそこを参照するといいです。

本編を視聴するには・・Amazonに登録していたらPrime Videoの「エンタメ・アジア」仮登録で見て期間内に解約すれば無料で大丈夫です。有料で見ても価値があると思います。あとはTSUTAYAでレンタルもしているようです。今はネットで予約して郵送してもらう方法があると思います。むしろDVDを再生して大きい画面で見た方が良いかもしれませんね。

  何事も道を極めるには、困難がつきもの、たゆまぬ努力や衰えない好奇心はもちろん、優れた師や助けてくれる友人、実績が大切と気づかせてくれる作品。これから最終回を見ようと思います。あ〜、見たら終わってしまう、でも見なければ物語の行方がわからないまま、と複雑な気持ちです。

  次回は、なかなかいいな、と思うテレビアニメについて書きたいと思います。

      2022126日  記


★ギターレッスンについてはこちらへどうぞ→「出張・個人レッスン」

レッスンの内容例として・・ 初心者にはコードチェンジを間に合わせる方法やFの克服法★経験者や弾き語り中心の方には切れ味のいいカッティングやハイポジションと開放を混ぜたアルペジオ、★ペンタトニックの手癖から脱却したい人にはコードトーンの位置やDim,Altスケールの覚え方★上級者にはクロマチックとブロークンコードの組み合わせ方やクリシェへの対応法、サブステューテッド・コード等プロ演奏者にはアッパーストラクチャーをレイキング、アウトサイドの様々な技法、2声以上を同時にコントロール★作曲・編曲も深めたい人にはキーボードで和音の転回型,4thBuild,テンションとメロディーの関係,L.I.L.など★ギター独奏研究家には正しいアポヤンドやP指のフォーム、10度,6度の複音、ボトムと旋律の関係、対位法など・・

知りたい内容にあわせてマンツーマンでレクチャーいたします。詳しくはこちらへ「出張・個人レッスン」

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↓前回の内容です。

★みなさま明けましておめでとうございます。

  まだまだ新型コロナウィルスの脅威からは解放されませんが初期に書きましたように「ワクチン」が開発され広まった事、治療薬の開発、そして検査や医療体制の拡充、国の連携、マスクの一般化などによって少しずつ良い方に向かっていると思います。

 とはいえまだまだ亡くなったり重症化する方がいますので、声高くおめでとうとは言いにくいのが今回の正月です。

  そしてワクチンや治療法の推進は残念ながら日本の力では無いんですね。感染症対策については予算を削って来てしまったため充分な研究を進められなかったんですね。

  もしアメリカからワクチンが供給されなかったら、まだ感染者が膨大な数で苦しむ人、医療従事者の苦労は計り知れない状態だと思います。今後の世界、また別の感染症などでパンデミックが起きた時、協力しあって解決に向かえる世界である事を祈っています。

  さて私自身はというと、体を壊してしまい12月丸々1か月入院していました。まだ毎日たくさんの薬を飲んで水分や塩分など制限する生活です。東北大震災と原発事故以来、自分にも不便な生活を課しながら作曲するというのと、派遣で働いた工場の作業が体に合わなかったのとで負担をかけすぎたのでしょう。何事も精神力で乗り越えられるみたいな感覚を持ちすぎたのですね。

   それでも音楽の研究は進めていますし興味も尽きません。MacBookを前に五線紙を前にすると次々とアイディアは湧いて来ますし、実験したいことも数珠つなぎで生まれて来ます。この10年ほど研究している「電気に頼らず精妙なハーモニーを響かせ即興を入れられる音楽」(木管+チェロなど)をジャンルとして確立して、全国に何万といる楽器愛好者、吹奏楽部団員、卒業して演奏しなくなっているOBらに可能性を示し、さらに新しい室内楽としてインターネットを通じて世界に広める、ここまでやる前には死ねません。

   今、大山倍達氏をモデルにした「空手バカ一代」アニメが再放送されていますが、精神性は影響受けていたかも知れません。まだ大きな実績を生み出せていない事が悔しいですが、ウィーンの演奏家や教授には高評価を得ておりますのでこのまま作品を増やす事が大切と思っています。

  そしてこれからは多少自分の体をいたわって、便利な家電なども取り入れつつ集中できるようにしたいです。ここまで来たら被災者・避難中の人たちも許してくれるかな・・と。

  というわけで音楽を優先しますのでこのページのコメントの更新も滞りがちになりそうですが、以前と違って短めでならアップしていこうと思います。

  それではみなさまの健康と心の平穏を祈っております。

    2022年1月1日

 

 

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追悼ライル・メイズ

新型コロナウィルスと、電気エネルギー、ギフテッド、熱中症

    2020/3月後半〜6月  記 

 前回の続きです。東北震災からの関連でコロナウィルスへの対応について書きます。

 

 罹患されて現在闘病中の方がなんとか回復しますようにお祈りしております。また亡くなった方が御成仏できますように、ご家族の悲しみの癒される日が訪れますように。
現在陰性の方が感染しませんように。
そしてパチンコ中毒者がいなくなりますように。
飲食店や交通関係、観光業・宿泊業など営業に大打撃と思いますし、教育の滞りによって足踏み状態のこどもや学生がモチベーションが失われず学習に復帰出来るよう工夫が必要。
でもいつかは解決します。一番は、時間がかかりますがワクチンと治療薬の開発、それが必要な人に届くこと、充分な治療空間が確保されること。それまでは人々の生活様式の改善、PCR検査の促進が大切です。
そうして医療機関が通常業務に戻り、人々がまた通常に日の下に出られる日が来るはずです。あの太平洋戦争の爆撃の焼け野原の敗戦から復興したのですから。原爆の惨禍から、立ち直ったのですから。
ただ、政府の対応は力量不足すぎます。もっと最悪な状態を想定して、大げさでも対策して、過剰すぎたとしても大きな被害は無いと思います。対策不十分や「遅延」で死人が出るよりはましです。
今地球規模で人間の生き方が問われているのだと思います。
一見新しいウィルスへの対応方法、のようですが、付随して浮かび上がって来る、なおざりにされて来た大切な問題から目をそらしてはいけないのだと思います。
生活に必要なものが自国で作られているか。
政治のシステムこれでいいのか。
モラル・エチケットは強制や教育からでなく個々人の心から育まれているか。
ものの適正な価格設定とは?
情報の透明性は?
科学・医学知識の世界的共有。
個人情報の管理。
貧富の差。
人種問題。
そして職業とは何なのか?
芸術の保護。
経済事態の在り方。
自由と政治との関係。

 

こうしたことに加え組織の長の人間力も問われているように思います。

この新型コロナウィルスについては刻一刻と変化して行っていますが、ほぼ私が3月上旬に予想して書いたとおりになってます。オリンピックが延期になることも。(ちなみに来年でも「完全な形で行う」のは無理と思っています。それこそ選手スタッフだけでなく観客全員が入場時に陽性か陰性か即座に正確に判定できるシステムが開発されなければ。)
 さて、あまりに多岐に渡るので、まず一般的にテレビやネットの話にあまりのぼっていない視点のものや、エネルギー問題との関連で書こうと思うのですが、でもでもその前に、非常に悲しいお知らせがあり、哀悼の意を表したいと思うのです。

 

追悼ライル・メイズ

ライル・メイズ氏が亡くなりました。
とてもショック。寂しい。ご冥福をお祈りします。今年の2月10日に再発性疾患で亡くなったということで新型コロナウィルスが原因ではないようです。
本格的な音楽ファンでなければ知らないかもしれないけれど、ジャズピアニスト、キーボーディスト、作・編曲家で一番の功績はパット・メセニー(ギタリスト・作曲家)の盟友として数々のすばらしい録音、ライブを行ったことです。
何回も見にいきました。
その中でもシンセサイザーをいかにジャズやポップミュージックの中に溶け込ませるかということでたくさんの美しい先例を築き上げたことは大きな業績です。現在耳にするポップミュージック、映画音楽などのコマーシャル・ミュージックにおいて影響を受けていないものは無いのでは?というぐらいなのです。
もちろんシンセ黎明期からハンコックやチック、ヤン・ハマー、ザヴィヌル、スティーヴィーと名手はいるけれども、キーボードの延長やエレキバンドの中でギターやベースの代わりにという役割が大きかった。しかしライルのアプローチはもっとイマジナリーでアンビエントなもので、知的で洗練された中に郷愁感があり、時にどこかの民族楽器を彷彿させるかのような音色でアコースティックなアンサンブルに溶け込ませることも出来たのです。ある意味、私の青春をふりかえる音色とも言えるのです。
一方でそのアコースティック・ピアノではモダンジャズのアカデミックなプレイはもちろんのこと、シンセを使わなくても心理的にアンビエントな演出をもりこんだアドリブというスタイルを作り上げていました。
初期有名曲のピアノソロ部分から→San Lorenzo (1977)
40年以上も前の演奏です。私たちの心の中の情緒空間を広げてくれた、育ててくれたようなプレイです。最後の高音和音がライルのオートハープだったとは!このエンディング和音だけでも泣いちゃう。

彼のリーダー作からClose to Homeのlive音源
初めてライルの演奏を聴いたのはパット・メセニー・グループ初期作品のApril Joy で、ベースのメロディアスなイントロ、平坦な8beatにならないシンコペーションを紡ぎ合わせたリズム表現、素早いフレーズとマイナーフレーズと切ない旋律感、コード感を出す複音フレーズが次々切り替わって行くギター、と4人がシームレスに絡み合った表現に驚きましたが、ライルの弾く追いかけるようなオブリ、オーギュメント和音、ディミニッシュ和音、ピカルディ解決に衝撃を受けました。音域というものに気づかせてくれた演奏でもあります。あたかもこのスタイルのフォーマットがあるかのような完成度・密度ですが、このメンバー、この時代ならではのクリエイティヴなアンサンブルで彼ら自体同様の作風は現れないので私にとってなおのこと特別な曲なのです。

 また、彼はクラシック世界の現代音楽の系譜を継ぐポジションでも実験的な作品に取り組んでいます。
 この人はハービー・ハンコックやチック・コリアなどメインで興行を行うタイプではありません。サポートするミュージシャンの個性と感覚をより高い状態で結晶させるプロデューサー的視点と同時に実際の演奏で素晴らしい音を提供するといったミクロとマクロを両立させるアプローチでした。それだけでなく、さらに新しいテクノロジーを導入してサウンドの広がりやパフォーマンスの方法論も開拓したのです。
いうなればジョージ・マーティンとビル・エヴァンスが融合したような存在にロバート・モーグ(シンセサイザーの開発者)の才能が加わったようなものなのです。
 今では見られる光景ですが、ライブではよく彼のキーボードのかたわらにMacBookが置いてあってソフトが立ち上がっていました。まだ「ソフトシンセ」「プレイバックシンセ」というものが一般化していない時代からですから。彼らのように超高価なシンクラヴィアを世界各地に持ち歩いてライブで使用した人たちも珍しいですが、リアルタイムでコンピューターとシンクロしたり音色として利用した人たちも珍しいでしょう。
 また、数種のキーボードを並べるのは他のキーボーディストも行いますが、ステージにグランドピアノを置いて、そこからMIDI検出してシンセサイザーの音色を部分的に鳴らすということをやっていました。今でも珍しいと思います。やはりいくら技術が進んでも実物のピアノの鍵盤タッチや「胴鳴り」感を大切にしたかったのと、即興的に弾いた和音をシンセ音でも重ねてライブ感を出したかったのでしょう。
どんな最新テクノロジーを使っても出て来る音楽が良くなければ子供騙しですが、彼の場合グランドピアノに置いても「First Circle」など素晴らしいアドリブプレイを聴かせてくれるので、むしろ何か新しい機材を駆使しているな、というのは忘れてしまうのです。
実際メセニーグループで来日時にお忍びでライブハウスでジャズスタンダード中心の演奏会があり、確かECMのファンクラブ等の関係で友人が誘ってくれて見に行きましたが、スリリングで複雑な7連譜フレーズ等をすらすらと弾いていました。
彼をたたえてYoutubeにも分析やトリビュート映像が多数上がっています。その中からひとつ美しいものをあげておきます。
Letter From Home
ライル・メイズについては別の機会に詳しく書きたいと思います。
R.I.P. Lyle
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とにかく今回述べたいことは、能力の低い政治家や官僚がモッタもたしている間にどんどん感染が広がり、死者も増えていること、そして中小企業、自営業が 停止して生活出来なくなり、芸術家も生活が成り立たなくなる。何せ公務員はウィルスが増えても給料は減らないから、1時間、1秒の急を要するということが 理解出来ないのです。だからギフテッドの人たちに協力をお願いして解決策を練ってもらうこと。一日も早く!
 例を挙げましょう。台湾ではオードリー・タン氏(39歳・IQ高すぎて測定不能)が2016年よりデジタル担当政務委員(大臣に相当)に抜擢されていましたが、マスクの在庫を誰もが確認出来て、公平に買えるよう数日でシステムを構築しました。(ちなみに日本のIT担当大臣は79歳・はんこ議連会長)。
eMASKというシステムで、保険証にICチップがついたようなもの(NHIカード)で本人確認が出来て、携帯電話で予約しておいて買える。日本のようにPakaちんが買い占めして高値で転売したりオークションに出品したりということはできない。
台湾では昨年12月のうちに原因不明の肺炎が発生しだした、武漢からだ、ヒトからヒトへの感染もするから危険、という情報をキャッチし、すぐに入国を制限し、感染が広がるのを防いだのです。感染者総数443人、死者7人、回復429人(6/5時点)に押さえている。
メーカー各社にマスク国家チームの結成を要請、1ヶ月半で生産力が13倍になり、安定して供給出来ている。
一方無能なWHOは前回書きましたが1月22日になっても手泥す(わかりますね?)が「パンデミックの危険は無い」「マスクには有効性は無い」などと、お幼稚発信していたのです。もはや「人災」ですね。
★★つまりギフテッドさんが直接大臣になってしまうのが一番手っ取り早いという良い見本です。
そしてこの台湾の実績やノウハウこそWHOが世界に広めるべきだが、台湾はWHOには加入していない。中国寄りの指導者だった時期はオブザーバーとして出 席出来ていたが、独立志向のあるリーダーになってからは圧力がかかっているようで出席を阻まれている。なんと愚かな。手泥す(わかり・・)が大金を寄付してくれるChu〜国に忖度しているのか?という状態。国連と似たりよったりですね。
 日本も中国国家主席の来日会談があるため忖度して中国人の入国規制をためらっていた。この期間に感染していた中国人がたくさん来日し、ウィルスを拡散さ せてしまった。観光や例のバスツアーで蔓延してしまった。もう忖度ではなく損を選択してしまった「損択」ですね。その中国国家主席来日が結局ウィルスで延 期になったとたんに中国からの入国を規制し始めたが時すでにおそし。おそすぎし。恐ろしくおそかりし。
 というわけでこういう低次元のミスを繰り返す高給取りの政治家には任せておけないので、ギフテッドの方々を10人以上募ったり招待して感染拡大の阻止、どうやって感染が再増加しないように制限を緩和して行くかなど具体的な方策を練ってもらうのがいいと思うのです。
 これは、もちろん非営利団体としてです。政治的な権限も授けるわけではありません。(余計な反発を招かないため)いわばシンクタンクです。少なくとも 「あの臨教審」よりはよい導きを与えてくれるでしょう。例えば彼らが専門家会議とやらを30分鑑賞しているだけでも、この集団の問題点が分かるだろうし、 改善策が次々に出て来るはず。ただ、それを指摘したとしても「不要・不(!)のプライド」のために老人たちは受け入れられないだろうからギフテッドの会議は別の場所ないしはリモートで行う。常人はブレーキかけるだけだから。 
 

 ところでeMASKシステムもタン氏ひとりで作り上げたわけではない。トレード・バン・インフォメーション・サービス(関貿網路)という会社で許建隆(発音わかりまへん)氏を中心に50人のチームが編成され、不眠不休体制でOtoO(オ ンライン・トゥー・オフライン)をくみ上げたということ。オンラインで予約と支払いをしてオフラインで配送・受け渡し、これをNHIカードのシステムと連 結させ、金融機関と支払いの仕組み、郵政と配送連携、コンビニと受け渡しシステムの構築など5日間でおこない、2日間のテストを経て運用に。(466億円 かけて何週間経っても届かない、届いたものが黄ばんでいる、虫が混入、カビている、検品に8億円かかりさらに遅れるアベのろまスクとはずいぶん差がありますね。あげくに300人の学生寮に2枚だけ届く・・あきらかに国内生産出来るよう工場に補助したほうがよかった。アホのタスク
 この関貿網路という会社はもともと政府の一部署だったけれど、島国ゆえに「通関」に20以上の政府部門で承認を得る必要があったため、電子化で効率化を 進めて行き96年に民営化したということ。99年からは税申告システムもてがけて全てをオンラインで行えるようになっている。

 またg0v(ガブゼロと読む)という市民のコミュニティがあって協力しているようですね。これは代表を作らない透明性のある集団で、プログラマーやエンジニア、デザイナーなどITを中心とした技術で解決しようという非営利組織です。こういうのをシビックテック(Civic Tech)といいます。
まず政府の保険庁がマスクの在庫を30秒ごとにオープンソースCSV形式で公開している。(これ自体がすごいけど)これに対してシビックテックの方々がい ろいろアプリを作ったりする。地図で表示できるようにしたり。g0vも在庫を可視化するサイトを作ったりしていたので、政府の方針にあわせて在庫CSVに 緯度・経度情報を加えたりしてアプリ開発効率をあげるように協力したようです。
 タン氏はご自身では、政府側のテックチーム(Gov Tech)とシビックテックのパイプ役をやっていて、自分では手を動かしていない、と語っている。ほんまかいな!であれば台湾がいかにIT文化が発達していて、透明性、ボランティア精神、官民協力体制が成熟しているかに驚かされますわ。ユビキテる。
 これらによってさらにeMASKは改善されて行きます。当初、身分証番号の末尾が偶数の人は月水金、奇数の人は火木土に購入という制限をし、日本のよう にPakaちんが買い占めして高値転売ができないようにした。薬局に行ったら売り切れていたということにならないようどの店に在庫があるか分かるよう当局 がリアルタイムマップの公式アプリ提供→特定の店に集中しないようにできました。しかし日中薬局に行けない人も居る→インターネットで予約してコンビニで 予約票を印字して受け取れる(ローソンのRoppiみたいな)ように→1人が1週間で3枚買える→子供用と大人用と分けて入手出来る→家族分を同時に受け 取ろうとすると操作時間が長くなるので、スマートフォンの予約確認画面をレジで見せれば受け取れるように(Amazonの店舗受け取りみたいな)→2週間で9枚買える(1枚約18円)→自分に割り当て分のマスクがいらない場合は「他国に寄付」を選べる。というように短期間でも進化して行ったのです。アーbe〜のマスクとの差がすごい。

 タン氏ですが、幼い頃はギフテッド冒頭に書いたように学校でねたみのいじめにあい、3つの幼稚園と6つの小学校を代わり復学と休学を繰り返したといいます。台湾で もそうなんですね。インターネットで大学教授と交流を持つうちに通学の必要性を感じなくなって中学を中退し、プログラマーとして活躍し会社も起業し、アッ プルのデジタル顧問もやった。両親が文化的で聡明な人たちだったのが幸いです。このように日本でもギフテッドの人に環境の悪さを詫びて、なんとかお助け をぉぉ〜と問題解決のコンサルタントになってもらえばいいのです。

 医療の専門家は感染を防ぐ為に極力人どうしの接触を避ける、お店の営業を制限することを提言します。一方で経済の専門家はGDPが下がりすぎるとか、援 助金ばかりだしていたら国庫が底をついてしまうとか、早く各企業が再開しないと、と言うでしょう。ではどの「しきい値」で制限を解除しますか?また県ご と?国全体?
 こうした相反する要素の調整をして、成り行きをリアルタイムで監視して軌道修正できるような人材が必要なのです。いつも言うように優れたコーディネイターです。ファシリテーターといってもいいでしょう。
 私のアイディアはこれだけでは止まらないのです。
このウィルス危機のあとに別の危機が訪れた時(自然災害・原発事故・汚染水の置き場所が限界・少子化・領土問題・経済危機等々必ず!必ず来るから)、再度 招集して解決策を練ってもらう。もちろん新しいメンバーが加わったり来れない人が居てもいい。強制ではないから。リモート会議参加でもいい。
 私が提案したいのは、彼らギフテッドさんたちがメインでネット上の公開会議室を行えばいいと思う。顔は明かさなくてもいい。つまり議事進行の大筋はギフ テッドの人たちが行うけれども、一般人も参加出来るようにするのです。博学な東大生、国際機関で働いた経験のある人、元ギフテッドで抑制されて来た人、国 境なき医師団で活動した人、それから中村哲さんや板 茂さんのような既存の枠組みを越えて実績を展開している人も参加出来るようにして、ブレインストーミングも行えるようにする。これはただの無責任な匿名掲 示板と違い、確かなデータや出典も明かしながら進めます。なんならただ文章での投稿ではなくMindmap方式と併用出来て図も示せたりルートを複数に別 れられるようなフォーマットが良い。
 こうした会議が本当の透明性でしょう。当然横やり、迷惑書き込み、故意な妨害などの「荒らし」行為といった先ほどの低俗な14パーが入って来ることは2 ちゃんねるなどでも日常化しているけれど、これらが軽蔑される風潮がネットの上では生まれているようになっていなければいけない。それが日本が成長して行 くということ、成熟して行くということ。
 もちろん極端に攻撃的とか異常なものは自動的に削除されるべきだが、検閲とか恣意的と批判されることも予想されるから、故意に話題をインターラプトする とか茶々を入れているとかヤジレベルのものは横のスペースに外されるなどのシステムにする。そうすればア、こいつ横やり入れたがはじかれた、と恥ずかしい ことになるから。現在のAIならすでに可能です。その構築がめんどうならば、このフォーラムに参加する人間はきちんと素性を明かして登録するという方式で もいい。匿名だから無責任な攻撃を書くわけで、実名では安易な批判を書く勇気がない。とはいえ会議に参加時はハンドルネームで良いが、登録時に免許証等で 確認が必要で管理者からは特定されていて、誹謗中傷を書いた場合は警告が来て、参加出来ないようロックされる、ということでもいい。
 そして24時間365日継続では疲弊してしまうし管理が難しくなるので、例えば3日間開放されて、2日間ほどは整理期間として出されたアイディアや問題 点をある程度分けてまとめてから表示し、次の3日間またそれぞれの焦点に絞って討論を深めて行く、というのを何回か繰り返して行くのがいいかもしれない。
 あるいはテーマを決めておいてこの期間にやるよとあらかじめ告知しておく。例えば「放射性廃棄物をどこに処理したらいい?」とか「自然エネルギーを日常レベルで一般的に活用出来るようにするには?」というテーマでこの日から10日間やります、など。そうすればそれに向かって資料を用意しておいたり勉強し たり新しいアイディアを練ったりしておけるから。それでネット会議のひと区切りのあと、まとめを表示し、その中から実行レベルに移せるものがあって挑戦し たい人がいる場合は、やってみると明言する。クラウドファウンディングで資金が集まったり、企業が連携したりも出来るから。(もちろん失敗に終わったって いい。その結果を報告して次の会議で解決出来るかもだから。)
そうして1年後などに同じテーマでまた開く。すると前回の提案をもとに実動してみた人の経過や、あらたなアイディア等、1ステップ上がれるのだから。いかが?「官」にたよらず本当の知性をもち、社会を良くして行こうという人たちのアクションです。
 ぜひこの高機能フォーラムが実現してほしいけれどもすぐには出来ないと思うので、当面はギフテッドの人たちに解決策を練ってもらった案を何通りも公開した上で、政府はこれを選択した、とするのがいいでしょう。
 じつは私は東北震災原発事故の際、ネット上のMindmap機能でエネルギー問題解決のアイディアを募るページを構築しました。中心から棒線でつなげた 先にアイディアや情報を書き込み、そこからまた線で広がってと樹の枝葉のようになるやつです。でも、ただ匿名で散文を書き込む一般的なものではないので、 ほとんど認知されませんでした。今でも一般的な手法ではないので何かバズる方法を考える必要があるのでしょうけれど。
 その分、電力節約のため個人の活動として昨年の夏もクーラーを使わず小さな扇風機と換気扇と扇子だけで乗り切ったし、冬も石油ストーヴや電力をとても使 うオイルヒーターなどの暖房を使わず、電気毛布と厚着とホカロンで乗り切りました(室内5℃になったりする)。不便な生活を自分に課すことで東北への贖罪 としているのです。常に意識を向けるという意味でも。その分作品作りは遅くなってしまうのは否めないのですが・・・
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次の話題です。 
★熱中症の激暑が迫っているのに対策は?
インフルエンザ系と夏の気候は組み合わせをイメージしにくいと思いますが、今回のウィルスは長引くと思います。ただでさえ夏には毎年熱中症で多くの人が亡くなります。年間では1000人を越える年もある(2010年・13年・18年)。厚生労働省
昨年は7万1千人が救急車で搬送され、1581人が亡くなっています。4割は屋内。
(厚生労働省と総務省消防庁とで数値は違う)
そもそもこれに対する長期的、恒常的な対策を考えなくてはいけませんが政府も建築家も衣料品メーカーも涼しくなると忘れてしまう。自分がクーラーの効いた室内ワークで満員電車も乗らないので、利益が感じられず、取り組むモチベーションが湧かないのでしょう。一方で未だに小学生に炎天下の校庭で運動会の練習させたりする。高齢者(65歳以上で70%以上)が住居で高温多湿で脱水症状に。低所得者が狭い部屋で冷房が無く脱水症状に。道路や駐車場スポーツ観戦で直射日光。
加えて今回はマスクも着用しているのでなおさら体温が上昇しやすい。国としてなんとかしなくちゃいけないでしょう!(これ書いてるのは3月)
 今回のウィルスの怖いところは自覚症状が無いけれどすでに感染していて、人にもうつす、というところ。無症状キャリア。HIVと同じようなことです。だから病院に交通事故で運び込まれても、火傷で救急車で担ぎ込まれても、食中毒、転倒、脱水症状、心筋梗塞として搬送されてきても、それだけじゃなく新型コロナに感染してるかもしれない。
その患者があとでCovid-19陽性と分かり、治療に当たった医師や看護師が感染してしまっていたという事例が多い。あるいは必ずしも全員感染したとは限らないが、濃厚接触者として可能性が高いので別の患者さんにうつしてクラスターに発展しないように、PCR検査して陰性が確認される、または2週間自宅待機して発症しなかったと確認出来るまで治療には当たれない。これが病院の人手不足に拍車をかけてしまう。
 さらに病院の管理職がしっかりしていなくて、この患者のPCR検査をしなかったらどうだろうか。実は陽性で治療に携わった人が感染したのに気づかないままになり、他の患者の治療で感染が広がってしまう。病院クラスターです。
また、産婦人科で生まれたばかりの赤ちゃんが母親から感染していてお産に立ち会った医師達が感染するケースも出ています。
 だからあなたが現在新型コロナウィルスの自覚症状が出ていなくて、骨折で、あるいは食中毒で、腰痛で、病院に治療に行った時、他の人にうつしてしまうかもしれないし、うつされてしまうかもしれない。
つまりPCR検査しない限り自分はすでに陽性なんだと思って行動する方がいいのです。
こういうことがパチンコ依存症者たちには理解出来ていないようですね。自分がうつされるかどうかしか意識にない上に自分は感染しないと思い込んでいる。あたかもアクション映画の主人公が敵の銃弾にあたらないのと同じように。
 さて熱中症が多い理由なのですが、これはしょっちゅう書いてきたように、まず服がいけない。量産店などで安売りしてる半袖シャツの宣伝文句「吸汗」「即乾」「涼感」あれは99%ウソです。特にお安いものは素材が「100%ポリエステル」となっているので買う前に見てください。これは汗を吸わず、水分は下に垂れて行くだけです。そもそもほとんど吸っていないのだから乾きもしません。気化熱による涼しさもおきませんし、脱水症状になりやすい。ようは穴あきビニール袋を着ているのと同じ。レインコートを着ているのをイメージすれば良いでしょう。それに加え摩擦が大きく、袖を通す際にすでにずりずりと抵抗感があるでしょう?着たあとに動けば皮膚とこすれて摩擦熱も起きる。それが涼感になるわけないでしょ!
 肌に密着している箇所は蓄熱しやすい。綿なら細かな凹凸による隙間が多く、四方八方への伸縮性もあり、厚み方向での弾力もあります。それがポリエステルにはほとんどなく熱がこもります。生地自体の放熱効果も望めない。気化熱効果もない。だからメッシュ状にして物理的に窓を増やすしか無いわけです。スケスケになっちゃうレベル。
 私はもし、熱中症になった人の衣服を調べればかなりの割合でポリエステル100%を着ていると思います。熱中症が増えた年と安価なポリエステル100%が量販されはじめた年とだいたいシンクロするはずです。
 汗を吸わせるなら綿がよい。コットン。ところがよく吸ってくれるけれど、乾くまで時間がかかる。気化熱は発生するけれど、重くなるし肌にくっついて皮膚呼吸の妨げにもなることもある。乾きの早さなら麻(リネン)でしょう。ところが型くずれ、縮みやすい、触感がチクチクする場合も多い。そこで石油化学製品の繊維を混紡した生地で形の維持と強度を補うといいのです。一長一短を補いあうように組み合わせて通気性の良い編み方で作った生地を使うのがよい。それこそ政府がその方法を確立するのに研究費を出したり、機械を導入するのに援助金を出すぐらいでいいと思うのです。
一流スポーツ選手用のウェアは、ポリエステルを使っていても混紡で綿とレーヨン、場合に寄っては麻や毛と組み合わせた生地になっています。長時間外に居るゴルフ選手用のグレードの高いウェアの素材を見るとわかります。
 そしてサッカーでは背中、脇の下など、場所によって混紡の割合や生地の織り方を変えたりスケスケのメッシュになっていてベンチレーションしていて、肌との距離があくようにゆるゆるの立体裁断でカットソーして体と擦れにくいようにしてあるし、強度も考えてある。当然値段も高いので一般人の普段着向けではありません。テニスウェアでもこれがうまく機能しないと熱がこもってしまう。有名日本人選手が体温上昇で顔を真っ赤にして、試合中に何度も着替えているのを見るでしょう?対戦相手の海外選手はそれほど暑そうではありません。クローズアップになると、脇腹、背中など明らかに薄くて通気性のよい生地で種類を変えてカット・ソーしてあります。伸縮性が良さそうで、汗が蒸発する気化熱も作用しているようです。もちろん体質もあるでしょうけれど天候条件は同じです。
 電気工事や建築現場、道路工事、引っ越し業者、自転車での宅配などはもちろんのことですが、制服ぐみなどラフな服装が許されない人たち、セールスや現場視察など外まわりの仕事の人、交通整理、葬儀、警備員、刑事、モデルルームの案内・・。下着にも工夫が必要と思います。私が教員だった頃、背広と白Yシャツにネクタイの時は汗だくだくでした。そりゃそうです、高温多湿ではない国の服装を取り入れたわけですし、首もとを密閉すれば体温や効かした水分が上に抜けて行かずこもる。白Yシャツの生地も厚手で通気性の悪いもの。これがその後改良されていって、ある時白Yシャツ専門店で相談して夏用に改良された生地のものを買ったらずいぶん良くなっていました。まず生地が軽く、通気性がよくさらさらしていて、まさに吸水・速乾性に優れていたのです。ですから制服の背広はもちろんのことポロシャツTシャツ、作業着など現代の科学分析や製造技術、そしてギフテッドの力を借りれば「着た方が涼しい」ぐらいのものを作れるのではないかと思うのです。
同じ素材の生地でも編み方が違えば吸水率や発散速度が変わりますし、糸や織り方、縦糸と横糸の種類を変える、同方向でも列単位で糸の種類を変える、張力を変える、撚りの強さの違う糸を交互に使う・・とか柔軟な発想で組み合わせるとか、クレープ(強撚糸)、サッカー(しじら織り)、鹿の子、レーヨン・リヨセル・キュプラ(どれも石油製品ではなく植物繊維を再生したもの)、ワッフル織り、ドビー織り・・また、着たことは無いですが新しい糸クレメルマスター、中空糸や毛細管現象など工夫して内側から外へ水分を移動させる仕組み、肌との接触を極力少なくする表面、下着ともう一枚上に来たシャツとの関係性で気化熱を増加させる工夫など、本気で取り組めば体温上昇を防ぐ方法はまだまだ編み出せると思うのです。現在スタンダード化している生地の織り方だって、当時に開発された機械によってあらたに生まれたものですし、その時々の要望、必要性もあったわけですから、現代の知識・知恵・技術で「超吸汗」「超涼感」「超速乾」の生地を生み出すのは理にかなっているし特許を取れば経済の立て直しの役にも立ちます。
 私は、ものに触れた時にその物質の持つ独自の温度があるように感じています。同じ気温の室内でも触った時に温度に差がある。気温にどのぐらい左右されるかも関係していると思います。特に金属はひんやりします。同時に熱が伝わりやすいから暖まってしまう面もある。だから繊維の中に織り込むとか、上に着るメッシュ状の放熱ベストみたいなアイディアや、保冷剤ポケットと連動してみたりもできるのではないか。他にも毛細管現象を利用したり、柔軟性のある細いパイプを使った水冷式等、実験、改良を繰り返せば何か生まれるはずなのです。これによって密閉の空調で体調を崩しやすい高齢者や、原発解体作業に従事している人たちやウィルスからの防護服を着る場合にいかせると思うのです。
これもギフテッドの人たちとテキスタイル技術者やデザイナーが協力することで素晴らしいものが生まれるはずです。
 以前ジーンズに和紙を撚って糸にして混紡したものを売っていたので買って着ました。私は前にも書きましたが手漉き和紙を一時期研究して自分のアートに取り入れたりしていました。それで現代の新しい利用法は無いものかと気にしているので、このジーンズはいいなと思ったのです。涼しく、軽く、薄く、乾きも早かった。けれど耐久性は今一で私のようなヘヴィーデューティーなユーザーだと1年たつと擦り切れて来て、2年では膝が破けてしまいました。でもこれは研究を続ければ強くする方法があるはずです。また、シャツや下着の生地としては充分な可能性があります。日本古来からの手漉き和紙の職人さんが失われて行く中、世界に伝統と現代カルチャーの素晴らしい融合と評価される事になります。これが本当の「クール」ジャパンでしょう。
 町田 誠之さんの本に、平安など古い日本の家屋には和紙による障子、ふすま、屏風が満ちていて、夏の空気中の水分を吸ってくれる役目があったということです。そして乾燥しがちな冬には逆に水分子を放出してくれる。そうやって高温多湿の気候を乗り切る工夫があったわけです。木と紙の家です。ところが先ほどの背広Yシャツと同じように西洋の「石」系の建築を導入したがために密閉・通気性の悪さ・輻射熱・湿気によって、より冷房に電力が必要になった。
 各施設、家、自動車で冷房を使えば熱気が外に出される→ますますヒートアイランド現象を加速し、外気温が上がる→暑いので余計冷房を使う→の悪循環。しかもコンクリやアスファルトは土や漆喰などに比べ蓄熱して中々温度が下がらない。日中直射日光を浴びた道路やビルディングは深夜2時になっても暑く、熱中夜を招きます。明け方やっと放熱が終わるかという時に日が昇り始め、すぐに温度が上昇します。これは異常気象を招きますし、突然の豪雨につながります。これはビルディングの東向きの外壁の角度や材質を工夫することで軽減出来るはずで、都市部の林立するビル群では一棟だけでなくたくさんのビルで行えば周辺の外気温が下がるはずです。蓄熱しにくい素材にしたり、二重構造で空間を作りその隙間の空気を循環させる、グリーンカーテン、屋上菜園、打ち水などでビル内の室温も少し下がりますから冷房も少なめになり、室外機から出される熱気も減り、電気の使用料も軽減される。建築法である程度規制してもいいぐらいですが、効果の高い建物にできた場合、不動産の税率を下げる法律や、気温上昇抑制ボーナスのような援助金をあげるのでもいい。ある種建築界の「ブーム」になるぐらいに仕掛けて、抗高温多湿化の日本独自の景観が生み出されるのではないか。
 能力の低い政府は目前のことにあたふたで、それにも間に合っていないぐらいなので、夏にどうなるか全くイメージしていないと思う。
Stay homeで建物の中に居る人が多くなればエアコンを使う。電気調理も、テレビなど家電も使用時間が増える。時間帯も重なる。学生さん等勉強や調べものをする人たちは空調の効いた図書館の机でおこないたいが制限されて家で空調を使う、一番暑い昼から3時頃、大きなショッピングモール内のベンチで休憩したり、飲食店で過ごすことは危険を伴う、プールが営業していないかもしれない。個々の家で冷房を使う比率が増えます。
 ストップした工場の分、電力は少なくはなるけれど、大きい工場では重油等で自家発電を使っているところもあるので、その分は変化しません。それよりも本来親が働きに出て子どもが学校にいる時間に、Stay homeでそれぞれの家で電気を使うということの方が使用量が増加すると思う。こういうことも経産省や大学等の研究機関が先手で先読みしなくてはいけない。「あの」東電にStay home割引させらる力量があるかな。

★そんな中での原発作業員(事故後の冷却作業・瓦礫の撤去作業・廃炉作業)のマスクは?汚染水放出の件は?
電気の使用量が増える、ということは原子力発電が必要という口実を与えてしまう。あまり知られていないけれど、国中の原子力発電所を全部停止しても電力は 補えるのです。むしろ今、水力発電を止めてまで原発を優先しているのです。かつて古くから住んで来た人たちを追い出して村を貯水湖の底に沈めて、巨額の費 用、年月をかけてまで作った水力発電施設!もったいないことにこれを停止して原子力を優先している。それは、原子力の場合、いったん止めるとまた稼働させ るのに非常に手間がかかるからです。臨界状態を作って核分裂を安定した状態に持続させ、安全に冷却して蒸気をコントロールしなくてはいけない。ガスコンロ を消す、つけるというのとは全く違うのです。一方水力発電は「すでにそこに水がある」のですから、こちらを使うべきです。
大きな話題や問題が起きるとその前にあった未解決の問題への意識が薄くなります。森友学園、加計学園、桜を見る会・・もりそば・かけそばにさくら餅?。選 挙スタッフへの増額支払い(→実は贈収賄が発覚)。検事の定年延長問題とか、何かと抱き合わせで法案を通そうというこすずるい手法をとりたがる。だから Covid-19対策にだけ意識が行っていると、いつのまにかやられてるということになる。そこで汚染水を気づかないうちに海に流さないか心配なのです。
 ★みなさん忘れがちですが、毎日170トンもの汚染水が作られているのですよ。(以前は540トン!)原発事故でメルトダウンした核燃料いわゆる「燃料デブリ」は今も高熱を発生し続けていて冷やさないといけない。電気を作ってもいないのに。
どばどば水をかけてそれが放射線で汚染されてからタンクへと貯蔵される。毎秒2リットルということなので、今みなさんがこの文章の1〜2行読む間に大きな ペットボトル1本の汚染水が完成する。セシウム134、137、ストロンチウム90など62種類はAlpsで吸着させて濾過していくが、トリチウムだけは取り去る方法が無い
これは薄い濃度なら海や川に放出しても問題ないという。
 ほんとーかぁー?じゃあんた飲んでみてよってわけです。当時の東電役員や、安全委員会、まっだら目、西山ひでぇ〜ひこ(連日記者会見で冷たい答弁をしたメガネのやつ→その事故対応の重大期に不倫→更迭されたのになぜか福島除染推進チーム次長に就任→なんと副社長に天下り) とか、その「安全な汚染水」でお風呂に入ってごらん。復興大臣に任命されて被災地の知事にサッカーボール蹴りつけたり稚拙な暴言パレードで復興を一挙に失 速させたぼっちゃん議員松本ぴゅうとか、絶対事故は起きないから安全だからと地元有力者を買収した議員や次官、一家でプールがわりに泳いでいいですよ。今 は首相に噛み付いているが当時与党で「ただちにぃ」健康被害は無いと答え続けた枝豆野くん、お家のウォーターサーバーに100年分は補充出来ますので毎日 美味しいコーヒー飲めますよ。その汚染水だけの水槽で養殖したお魚や貝でお刺身食べてください。得意の料亭の接待で使ってください。桜を見る会でごちそう に使えます。出来ますか?その覚悟ありますか?できないなら東北で海に流すのはやめましょう。
Alps処理後も基準値の2万倍の放射性物質が出たという事実もある。ストロンチウム90などが1リットルあたり約60万ベクレル!トリチウム以外も検出されてるのに→隠蔽
いいか、とー電ならそんなことやるぞ。わかった?(ぼっちゃん議員風

 もう東北はありあまる実被害、風評被害で電力使う都会の身代わりになっているようなものだから、一番電気を使う東京等に運んで流してみなよ。もちろん反 対されるし、体内に入れたくない。せっかく埋め立てからきれいになってきた江戸前の漁業がダメージを受ける。じゃどこに流す?各都道府県で押し付け合いに なる。もうタンクを置く場所が無くなってきた。113万トン、タンク1000基以上!月平均28基増えていき22年半ばに限界に達する。
 しかも実は7割はトリチウム以外の放射性物質も排出時の規制基準を超える濃度で含まれているのです。これは、浄化処理が始まった当初は、まずは規制基準を守るため、敷地境界(原発敷地内と外の境界)における追加の被ばく線量を下げることを重視していたためだとか。
しかも通常運転してる原発でも放射性廃棄物は出続けるよ。使用済燃料は約19,000トン以上存在してます
まずウランを鉱山から採掘するのに放射性の残土が出ます。ウランを精錬したり、濃縮・加工するのに劣化ウラン等出ます。天然ウランには約0.7%しか含まれていないウラン235を2〜5%に濃縮します。遠心分離機でぐるぐる回しながら六フッ化ウランガスを注入して重いウラン238(同位体)を外側に移してから抜き取るのですね。(濃度が20%以上の高濃縮ウランは原爆など核兵器に使われますので特に危険です)化学処理で粉末状の二酸化ウランにしてからペレットという粒状に焼き固めます。

  こうした採掘から燃料加工までをフロントエンドと呼ぶようです。

 

燃料ペレットを棒につめたようなものが燃料棒。これを並べて設置して核分裂して発生する熱を水の中で冷やしてコントロールし、蒸気熱で回るタービンで電気を作ってから、使用済み燃料棒になって行く。さてこの後をバックエンドと呼び、特に問題だ。私たちのように専門家でない者が調べる情報では、使用済み燃料にはまだ使える物質が多く残っていて、これを取り出して再使用するのだ、というところで終わる。

  あたかも再処理工場なるものがあって、すでにサイクルが確立しているんだな、と思わせるような文面や図がほとんだ。しかし、あれ?そうだっけ?高速炉「もんじゅ」の事故 多発で実現してないとか、Mox燃料問題、六ヶ所村問題とかもっと社会的な課題で、苦しめられている地域の人や、利権がらみで癒着とか、貯蔵施設押し付け 合いとか、問題が山積しているはずだけど?でんじれんじゃー(分かります・・よね?)のマスコミコントロールや心理的プロパガンダとかで気づきにくくしているのかな?

 ここで「一 般的な一般人」はめんどくさいと無関心になってしまうでしょう。クラスのいじめで立ち上がらなかった人たちですから。しかし心のどこかに正義を残している人間や公平性、弱者の声を聴くアンテナを失っていない人たち、あるいは実践型エコロジスト、そして冒頭に書きましたように芸術家は、おかしいぞ・・・と調 べてみる。

 

このようなページを発見する。

なぜ核燃料サイクルはできないのか

破綻している核燃料サイクル環境市民団体の比較的分かりやすいpdf

 

核燃料サイクル政策 撤退すべき

完成20年遅れ、でも3兆円税金投入

 

もんじゅ停止中も、維持費は1日5500万円

 

もんじゅの事故

 

六ヶ所再処理工場から出る放射性物質

 

核燃料サイクルマネーで選挙買収

 

ようは核燃料サイクルって実現出来てないってこと

 もともと2種類の原発、高速増殖炉と軽水炉のセットでプルトニウムを消費するのが目標だった。軽水炉を運転するとウラン燃料が核分裂してより危険なプルトニウムが発生するが、原爆など核兵器のもとになるので保有してはいけない。日本はすでに46トンも持ってしまっている。だからこれを燃料として発電所で使うのだ、という状態にしたいわけだ。ウランの燃え残りも再利用しようと。

 事故続きのまま廃炉が決まった「もんじゅ」のような高速増殖炉( FBR=Fast BreederReactor)は中性子を高速でぶつけて連鎖反応を使う、燃料はMOX燃料を使う。(Mixed oxide、ウランとプルトニウムの混合で作る燃料)プルトニウムは燃料に使った分より増えるから原料を掘って来たり輸入したりせず軽水炉で発生した分を利用出来るというのでセットで考えられた。

 ン?おかしくない?プルトニウムが増えちゃうじゃん。計画通り動いたら「増殖」するわけだから核兵器の原材料がどんどん作られる。もちろん国連系のIAEAが監視するわけだが、一般にはプルトニウムがどこ行っちゃったか分かりにくくなってる。実は再処理などフランスとイギリスに運んでやってもらってる。(情けない・・トホホ状態)

  内閣府によるプルトニウムの所在

  • イギリスに21.2トン
    フランスに15.5トン あわせて36.7トン
  • 国内   9.0トン

そして高速で中性子を扱うため冷却に水ではなく溶解金属(ナトリウム)を使う。この特徴のどれもが技術的に難易度が高く危険で、ナトリウム漏れの火災、原子炉内に装置が落下、機器の点検漏れなどで「もんじゅ」は22年間まともに動かなかった。

他の国の高速炉は?

  • アメリカ→実験炉や原型炉が1940年代から10基ほど作られたがどれも閉鎖。中には炉心溶融事故をおこしたものものもある。
  • イギリス→実験炉や原型炉が1950年代から2基作られたがどれも閉鎖。商業炉も計画中止。
  • イタリア→実験炉が1970年代に着工したが計画中止。
  • フランス→実験炉や原型炉が1960年代から3基作られたがどれも閉鎖。アストリッドの計画も中止。高速炉開発は終わり。
  • ドイツ→実験炉、実証炉など1970年代に進めていたがチェルノブイリ事故で反対運動が高まり本格運転せずに計画中止に。ワンダーランド・カルカーというテーマパークになった。また福島原発事故を受けて脱原発を進め軽水炉も次々停止・廃炉解体中、残りも停止予定。
  • ロシア(旧ソビエト連邦)→実験炉4基は運転終了。BN-1200計画は頓挫中。

 はい、無理と。

そこでMOX燃料を強引に軽水炉で使おうということになった。これがプルサーマル利用=プルトニウムのプルとサーマルニュートロン・リアクター(熱中性子炉)のサーマルを繋げた造語、plutonium thermal use。

しかし通常の軽水炉(LWR=Light Water Reactor)はウランを使うことを前提に設計してあるので、プルトニウムを混ぜたMOX燃料を使うのは安全性が落ちる。→長年研究して訴えている小出先生のpdf。特に10ページあたり。たしかに灯油前提のストーブにガソリンを混ぜれば危険ですよね。お医者さんの団体でも警鐘を鳴らしています。日本科学未来館の特設ページでも安全性だけでなく経済性についても触れています。

再稼働した5原発9基のう

全国の原発で16~18基の導入を目指したが、プルサーマル炉として利用可能なのは9基で、3.11福島原発事故で全国の原子炉を停止し、再稼働しているのは現時点で4基にすぎない。しかもこれもサイクルできていない。

 プルサーマル利用は1997年に開始する予定だったのが10年以上遅れました。これは、まずMOX燃料を日本では大量に作れないので、ベルギーとイギリスで作ってもらって運び込んだのだけれど、関西電力用にイギリスの会社BNFLが作った燃料に不備があることが発覚し、イギリスに返品したんですね。これにともなって福島第一原発3号機用のベルギー製のものは製造基準がイギリス製より低いということでの使用反対運動が起こりました。市民側の敗訴になりましたが、とー電が複数の原子炉に亀裂があることを隠していたことが発覚して、保留になった。新潟県の柏崎刈羽原発でも反対運動が起こりました。

 整理するとすごいことになりますよ。つまり高速炉を動かす為のMOX燃料を海外で作ってもらい運んで来る(六ヶ所村の工場は未完成)→しかし使うはずの「もんじゅ」は失敗続きで22年間まともに動かず廃炉に→プルトニウムを持ちすぎて危険なので軽水炉で無理矢理使うことにするプルサーマル計画で利用(たった4基だが)→使用済みのMOX燃料は日本では処理出来ず、フランス等に持って行ってやってもらっている。

 なんていうか・・ひどくない?通常運転でも放射性廃棄物が出て来て最終処分場も決まっていなくて、海外で処理してもらっていて、高速炉技術失敗したのにそれ用の燃料を無理矢理軽水炉で使うが、そのあとの処理もできず海外でやってもらう。その他とりあえず臨時保存中。資源の少ない日本が自国でエネルギーを作れるようにすることが大目標なのに、他国におんぶにだっこ、しりぬぐいという状態。本末転倒だし恥ずかしい・・。

 とー電でんじれんじゃー(わかりますね)や、やーれんそーれん(きっとわかるはず・・の組織)や、国の原子力組織はこういうことを一般の人に知られたくないんですね。WEBサイトを見ても○○予定とか、可能になりますとか目指していますとか未来形で、稼働中とか、今年の実績という現在形のところがない。もんじゅが成功した前提の六ヶ所村の再処理工場&MOX燃料製造工場だったのが失敗になった今、進める名目・大義が無くなってしまったんだ。

 もんじゅは1994年に運転開始から22年間で数ヶ月しか稼働せず、建設や運営に1兆円かかっています。

 電力会社は原発を建設する立地自治体に対し、使用済み燃料(プルトニウム含む)は冷却プールに一時保存してから再処理に移動する、と約束して来た。ところが六ヶ所村のほうでは再処理工場で再処理を行わないとなれば原材料ではなくただの核のゴミなので受け入れられません。現在ある分も持ち出さなければいけません。ところが行き先がありません。置いておく場所が無いのです。だから再処理はする予定だ、核燃料サイクルは続けるンだというスタンスをとり続けるのですね。そしてこれには莫大な税金が使われて行くのです。

 しかもMOX燃料は使用済みになるとTRU廃棄物(超ウラン元素)、放射性物質の種類が増えて処理が大変になる。また舘野淳氏のこのページ下の方にデータもありますが、プルトニウムにも種類があり同位体で数が多いものになることを「高次化」と言います。放置するとα線によってアメリシウムに変化し、燃料としての燃えやすさは低くなって行きます。等価フィッサル値で比較すると大幅に低下する上にダーティ・プルトニウムというガンマ線の被爆が多く扱いにくくなり燃料としては価値がないので使用済みのMOX燃料を処理してまた使うということは無意味で、経済性でも安全性でも愚かな行為ということになります。

 

 このように「核燃料サイクル」はお題目だけで全く実現出来ていないのに、税金や電気料金からものすごい額が投入され続けていて、そのほとんどが利権がらみで腹黒妖怪タヌキたちの私腹を肥やしているのが現状なんですね。

とにかく通常発電しても、危険物が増産されます。制御棒やチャンネルボックス、使用済み燃料の再処理で水溶液にするためにできる放射性廃液、燃料棒の部品、ガラスに溶かし込んで・・といった核のゴミです

 ウラン廃棄物は200リットルドラム缶で10万本以上保管中になっているのです。

  1966年に東海村の東海発電所で原発が発電し始めてからフロントエンド、バックエンドと膨大な放射性廃棄物が蓄積しています。こうした放射性廃棄物の処理や使用済み燃料の再処理、福島原発事故後の処理、廃炉作業・・危険で時間がかかり、お金もかかる。かつて「オメガ計画」というものがあって、放射性廃棄物をただガラスに閉じ込めて地下に保管するのではなく、半減期の違う核種を分離したり、半減期を早めるという研究があった。1989年スタート。半減期が30年と言われるセシウムをなんと45分で処理できるとか。福島の原発事故の汚染でなぜ活用されなかったのか?ある議員が文部科学省に問い合わせるとデータを紛失した、という。当然多額の税金が投入されたはずだが、ネットで探しても出てこない。汚染地域を予測するSpeediが100億円かけたのに情報公開されず、放射性物質が濃い地域へ住民を避難させたのと同様に隠匿されたか。

MOX燃料を本来の高速炉ではなく軽水炉で使った場合、アメリシウム等が余計多く出てしまうので、今こそオメガ技術を駆使すべきなのだが?それとも研究してるフリだけでただの机上論、無かったことにしようとしているのか?

  放射性廃棄物はこのままずっと青森県や福島県に押し付けるのだろうか?ソ連時代に秘密にされ、発覚後も過小評価されてるウラルの核惨事のような事が起きないと言い切れる?除染した土を入れた袋(フレコンバッグ)の山はどうすればいいの?まさか津波対策の土地のかさ上げに使ってはいないよね?誰かチェックしてる?廃炉作業で出た汚染された瓦礫や、毎日出る作業員が使った防護服やマスク類、Alpsで吸着させた放射性物質のゴミ、どこに置くつもりなのかな?
ギフテッドの人たちに助けを求めたいんです。助けて!もう愚か者たちの手には負えないのです。腹黒タヌキ、二枚舌キツネの妖怪たちに牛耳られたままでは放射性物質であふれかえっちゃう、ガン患者が増えて、白血病の子どもが増えちゃう。
それこそクラウドファウンディングでシンクタンクを設立して招くのがいいのかな?ギフテッドの人、もしこのページ読んでいたら助けて!

 

このバックエンドに膨大な金額がかかるのですが、いろいろな設定の計算方法で額が変わってきます

1993年から約2兆1,900億円超の費用をかけた青森県のた六ヶ所村にある再処理工場。

電力自由化で2016年から原子力でない電気を使っている人もバックエンド事業のコストを負担させられているようだ。

 

 ここで私の疑問ですが、事故後の福島原発に冷やす為にどばどばかけて汚染された水、Alps使ってトリチウム以外は取り除けるというのならそれをまた使えばいいのに、って 思う。あらたな水を使うから汚染水が増え続ける。濾過後の水をタンクから太いホース等でまたデブリ冷却に投入して、汚染されたらまた濾過すればいいのでは ないか?というかAlps濾過後にタンクへ移動せずにそのまま冷却に回すことはできないのかな?あわてて応急処置の1年目ではないんですよ。9年経ってる んですよ。
そもそも毎回使う水の水道料金っていくらぐらい?毎秒2リットルを24時間、8年、9年、10年・・・の膨大な水道代、普通に支払ってるのかな?誰のお金で?そこに癒着とかないよね?電気料金にその分負担されてるとか?まさか密かに税金で負担させられてるとか?
 しっかしこれだけ社会に問いかけるべきことがあるのに、ラッパーの人たち、お互いをディスりあってる場合じゃないでしょ?

  さらに 再処理関連施設も老朽化したり使用しなくなるのでこちらも解体・処分します。

 まだまともに稼働してないけど。


 福島原発の汚染水ですが、もう少し調べてみたところ、まず油分を除去する、ということです。以前は吸着剤を入れて泥状のスラッジとして沈殿させていたが現在は吸着塔という円筒フィルターで濾しとる。使用済みの吸着塔は容器で保管する。
 次に海水の塩分を取り除いて淡水化。初期に海水を使って冷やした時の塩分がまだあるようですね。この際に廃液が発生。そのあとでやっとALPSで放射性物質を吸着させる。ここで吸着させたスラリー(泥状のスライム)は高性能容器(HIC)で保管するけれど、その場所の8割が埋まっている。ポリエチレン製で、一個2,6立方mは要る。月平均28基で22年半ばに限界に達する。

 

  初期Alpsでは取り除けなかった核種が残ったままの、つまり高濃度汚染水がいまだにある。それを現在のシステムでもう一度濾過するという。すると未処理の高濃度汚染水、初期の高濃度汚染水、Alpsが故障していたときの高濃度汚染水、それらの高濃度汚染水を再除染した低濃度汚染水・・と種類があるのだ が、こういうの管理出来るのかな・・。どのタンクがどれでどのぐらいの放射線量を放っているとか。まだ許可が下りてないが、もし海に放出することになった 時、これはトリチウムだけですからと初期の高濃度汚染水を間違って流したりしないかな?(または故意に・秘密裏に)

 

  さてさて膨大な文章量になって来てしまいました。

エネルギー問題についてはこのぐらいにしておきたいと思います。といっても毎日電気を使い、このページをアップするこの瞬間の私も、読んでくださるあなたも電気の恩恵の上になりたっているのだから無関係ではいられないわけで、部屋の灯りをつける時、テレビをつける時、冷房の温度を調整する時、掃除機をかける時、洗濯機を使う時、あるいは冷蔵庫で食品を保管する間「どのぐらいのウランを使ったのだろう?」「プルトニウムも混ざっていたのだろうか?」「このために発生した放射性廃棄物はどのぐらいだろう?どこに保管されるのだろう?」「だれが処理するのだろう?」と想いを馳せてみる事は大切だと思うのです。また新型コロナ患者の治療の為に、あるいは検査の為に使われる電気、医療従事者用のマスクやフェイスシールドなどを作る為にも電気が必要とされます。

 今回取り上げましたのは毎年の3.11コメントからのつながりで新型コロナ問題について考えを深めているわけで、医療従事者だけでなく、福島原発の事故処理、除染作業、廃炉作業で過酷な作業を続けている人たちのことも忘れてはいけないということなんですね。そういう人たちのマスクも足りているのかとか、心配なのは新型コロナは血管に悪影響を及ぼし、血栓が出来たりしますので、被ばくによって白血球の状態が変わっているところにウィルスの相乗効果で、急な脳梗塞、心筋梗塞、肺炎などにならないか、人類がまだ出会ったことのない状況にさらされるのできちんとPCR検査を受けられているのかとか、クラスターにならないよう管理者は対策を練ってあるのかとか・・という点なのです。政府がよく使う「手」の、あることを知られたくないがために、他の問題を強調して意識をそちらに集中させる、という誘導に乗せられていないか、今は注意を高める必要があるということもあるのです。汚染水をいつのまにか海に流していたということがないか、警戒を高めたいということもあり、原発の様々な問題に言及いたしました。MOX燃料、プルサーマル利用、プルトニウム保持量、放射性廃棄物の行方・・常に心の隅にとめておいて、テレビの情報だけで判断しないように気をつけていきましょう。

 

次に移りたいと思います。

★テモファ、無知の愚。
冒頭のギフテッドのところで中間の「一般的な一般人」は基本的には善良と申しましたが、積極的に悪事を働かなくても意識が低いためにイライラさせる人たちや本人の知らないうちに迷惑をかけている人たちが居ます。
例えば大きなショッピングモールなどは通路が広いですが、子連れで横に広がって歩いて来る家族ですね。そのまま来ればぶつかるよってやつです。入り口のガラスの自動ドアでもそうです。透明だから前を見ていれば見えるでしょ、っていうところに全面に広がって通ろうとする。まるで相手が自動的によけてくれるかのように。
 非常事態宣言のさなか、5月の連休に沖縄旅行6万人も予定している。沖縄に限らず島は医療体制が万全でないため、もし感染して重篤な状態になったら観光客の方でも島民でも救うのは困難ですよと表明しても行こうとする。ニュースで批判的に取り上げてやっと減ったらしいが、それでも8千人は行ったという。こういう部類の人たちです。自分たちは陽性患者の居ないところへ行きたいというもくろみなのだろうけど、自分達がばらまいてる、ってことに気づかない。
 外出自粛の期間、神奈川県の湘南地域、茅ヶ崎等にサーファーやレジャー客が大勢来ていた。非常に残念。サーファーは遊んでいるかのようで実は自然の怖さを知っているから、いざという時は公共のためになる行動をすると思っていたので、非常に残念。
私は以前、年に1回だけは湘南に行って潮風を感じながら作曲したりすることにしていましたから、駐車場事情が分かるのですが、浜辺に隣接した何カ所かの駐車場にむらがって早朝からずらーっと渋滞になります。これが閉鎖になれば、あとは町中にあるわずかなコインパーキングしかありません。
市長さんが意を決してテレビで「来ないで」と訴えかけ、苦渋の決断で駐車場を閉鎖して、やっと少なくなりました。おそらく訴えるだけで駐車場が開いていれば人ごみになったでしょう。あらかじめ駐車場が封鎖される映像が映ったのが効果的だった。行ってもとめられない、と断念したんでしょう。
 他にはコンビニの中を走り回るこどもを野放図にしている親。ガードレールの無い道で幼児を車道側に歩かせて手も繋いでいない親(ふらふら車道に出て事故にあっても運転手の責任にされてしまう)。川原にバーベキュー(実際は鉄板焼き)に来て油の付いた鉄板やら調理具やらを川で洗って行くファミリー。そういったレジャーに来てゴミを帰りに寄ったコンビニに捨てて行く楽しいファミリー。自分たちは自然を満喫し、子ども達にいい経験をさせたと思い込んでいる。
 こうしたレベルの人たちを私は「テモファ」と呼ぶことにしているのです。

低モラルファミリーの略です。
自分の一家や仲間だけ良ければいい、という感覚の人たち。身内に甘く、稚拙な権利を主張したがる、概して環境問題や社会問題、芸術に関心も知識も無い。簡単に懐柔されて与党に投票してしまう。テレビの宣伝やネットの「いいね」に操られてしまう。

 
 大企業手動のイベントやテーマパークに行きたがる。親も少年ジャンプ系マンガの戦うアニメや映画にはまりがち。(実は懸賞ハガキ等の人気投票やアンケートで読者の希望するストーリーを訊いてそうよう作られている。だから暴力や超能力で相手を倒してスカッとするという安易なものが多い。テモファの希望通りだだから商業的にヒットする。さらにこれに感化されて相手を倒してスカッとしたい実生活にフィードバックするというサイクル。)
 ある時、夏に冷房節約のため、朝のうちから比較的近くの涼しい川縁に行って音楽の専門書を読んでいました。するとワゴン車でゾロゾロと家族連れが来る。親戚か友人家族で複合で来るのもいる。私は心の中で「あ〜テモファでありませんように」と祈るのですが、前に来ている人たちのことなど全く気にかけず大量物資を持ち込むと「キャー」「ぎゃー」バシャバシャ騒ぎ始める。私はやむなく上流の方へ移動しました。多少足は濡れますが浅めなので河原の石に荷物を置いて、倒木の上に腰掛けてギターで作曲を始めました。するとさっきの場所では父親と小学生らしい女の子が川に石を投げています。はじめは近くでボッチャンとやっていたのが、向かいの崖に投げて当てはじめます。ガチンッ、カキン。遠くに投げたいだけで上流のこっちの方へ投げてきます。水の上で石けりならわかりますがただ稚拙にストレス発散で投げるのです。そこにだれかいるか安全性を考えずに。バシッ、ゴキーン、とこっちに近づいて来たのでさすがに「危ないから石を投げないでっ!」と言ったらやっと止まりました。もちろん「すみません」の言葉はありません。低モラルファミリーですから。親の親も教えてこなかったわけですから。さて娘にどんな顔をしたのでしょうか?教育上よくありませんね。学校でいじめっ子になる可能性大です。
 別の日、この川のもっと上流へ行きました。そこは私がサンクチュアリと名付けている、ヒグラシの鳴き声を録音する、ほとんど人の来ない静かな峰へと続く途中の場所です。きれいな川が続いていてこの辺一帯の人の飲み水をとるところです。ですからあちこちに看板があって「飲み水をとる場所ですので汚さないで下さい。水遊び、キャンプ、バーベキューなどはしないでください。」と表示してあります。ところがやや広めになっている場所があり、本来は林業や水道局の人や森林保全の人が車をとめたりUターンするためのスペースだが、そこへテモファがワゴン車をとめて、川に入ってぎゃーぎゃーやったりバーベキュー(実は鉄板焼き)をやったりしている。それを苦々しく思って通っていたのだが、毎年10家族ぐらいがやってくる。環境のこと等みじんも考えない利己的な生活の人たちですね。子どもにも見えるよう看板があるから、大人も平気で違反する、親がいいっていうんだからいいんだ、みたいにこどもに伝承されて行くわけです。文化感染といいます。
 そしてある年、その辺一体に高い金網が出来て、一切入れなくなった。さすがに市のほうで業を煮やして予算を使ったのでしょう。これによって全くテモファ汚染が無くなりました。良かった。だから湘南で駐車場を封鎖してるニュースを見た時、ああ同じだなと思ったのです。

こういうあさはかな人たちの心ない行動で感染が止まらないのだと思います。

このあとさらに続きをアップします。

(そ れにしてもこのJimdoというWebサービスは使いづらい。私のMacBookとも相性が悪く現在下書きしつつアップみたいな状態になってますので、 時々続きを見てください。以前はGoliveでhtmlも書き足したりしてアニメーションタイトルも付けてちょこちょこアップしていたんですけどね。時代 ですね。)


↓ 前回アップした内容です。


★震災9年目+新型コロナウィルス
   2020/3/11  記
久しぶりの更新です。このHeal-jamでは毎年終戦記念日と3・11には襟を正してというか、新しい情報も精査して、自分の認識も再確認してコメントをアップしています。
本来の本格的な長文ですのでご注意あれ。(2回に分けようと思います)

☆震災から9年目です。
今回は新型コロナウィルスの蔓延で追悼式典も縮小でしかできないような状態で残念です。私はお寺で般若心経を唱えてきました。
被災して亡くなった方々、ならびに避難生活で心身疲労や病気で関連死された方々のご冥福をお祈りいたします。
いまだに原発事故の放射能などでふるさとに帰れずにいる人たちの心が安静になれる日が来ることを願っています。
加えて、原発産業で私腹を肥やし、責任も問われていない「やから」に正義の鉄槌が下ることを、そして復興に関して本当に適切で有能な人材が配されることを、心から願います。

★それにしても災害の多い日本で対応の悪さの原因を落ち着いて俯瞰してみると「過小評価」しているということではないでしょうか。
自然が及ぼす力の大きさに対しても、原子力がもたらす危険に対しても。また温暖化がもたらす災害に対しても。未知のウィルスによる感染力に対しても。
そして「想像力の欠如」が問題だと思います。
津波・原発事故・豪雨・台風・そして感染症と共通していえる事だと思うのです。
「情報が適切でない」というのもあると思います。
新型コロナウィルスについては1月後半に中国で発生してからすぐに反応しなければいけなかったのに、国会では桜を見る会でのホテルの割引がおかしいとか、検察官の定年を延長するのはおかしいとか、緊急ではないことの「口論」に時間を延々と費やしていた。
野党もいったんおいておいて、ウィルス対策はどうするんですか?という質問をしていかなければいけなかった。指摘されないと動かないところもあるので。
 また、このところWHOの能力も低下しているように思う。1月23日の緊急委員会でPHEIC(国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態)には該当しない、と発表したのが痛かった。→こちら
 私はえ?と危機感を覚えました。予想通り、これに従って「甘く見た」各国の衛生機構は対応程度を設定したためにパンデミックになったわけですから。そして今頃になってパンデミックだと言っている。もう1ヶ月も世界中で続いているのに。これって福島の原発事故でいつまでもメルトダウンではないと言い張ったのとすごく似ている。事務局長テドロス・アダノムの判断力はもう信用に値しないように思う。
 これは前任者が2003年のSARSコロナのパンデミックに続き、2009年から10年にかけての新型インフルエンザもフェーズレベル6/6としてパンデミックと警報を宣言したけれど、実際は通常のインフルエンザとあまりかわらない程度のものであった、というミスがあったためと思われます。その際に大手製薬会社が影響を与えているのではないかとか、欧州議会から追求されたため、自分も同じミスを犯さないようにと及び腰になったのだろう。
 すでに昨年末に発症しているのだから、早急にヒト→ヒト感染を調査して1月には各国BSL4(バイオセーフティーレベル第4段階)で対応、研究の体制をとっていなければいけなかった。
 初期段階での空港検疫や入国管理、バスツアーにクルーズ船での対応や追跡が遅すぎた。

 もちろんすべてをお国がパーフェクトにできなければアウトだというわけではありません。万能ではない。国民一人一人の意識が高くなければいけないし、より正しい行動を心がけるべきです。
しかし個人個人では対処出来ないことには組織で対応する必要があります。そこに「国」の意味がある。だから税金を払っている意味がある。それを無駄遣いしたり着服していて、肝心な実務がお粗末になっているのが許せないのです。
 政府も市民も「甘く見ている」ということですね。
原発の危険性を訴える科学者やジャーナリストがたくさんいたのに過小評価したり押さえ込んで、せっかくとりつけた緊急時の冷却装置をはずしてあったり、予備電源が津波で水浸しになる位置に設置したままにしたり、いざという時の為に大気中の放射性物質の流動を予測するシステムSPEEDを活用しなかったり隠蔽したり
すでにスリーマイル島事故(1974年)やチェルノブイリの事故(1986年)で恐ろしさは知っているはずなのに。国内でも原子力船「むつ」放射線漏れ(1974年)、高速増殖炉「もんじゅ」事故(1995年と2010年の2回)、東海村JCOでのバケツ裏マニュアル臨界事故(1999年)も起こしていた。にもかかわらず大丈夫だろう、と対策を怠っていた。まるで「うちの子に限って」思想です。
 そこには産業が不振で原発産業に頼らざるを得なかった地域の経済を改善できなかった首長たちの力量不足や、政府の思惑があり、電力会社や原子力委員会、暴力団のなすがままにされてしまったことも絡んでいます。
原発を誘致するかわりに地域に膨大な交付金が入るという構造、雇用が増えることで農民が出稼ぎせずに済むことや、建設人員や操業人員の住宅作りで億単位に儲かる一部の人たち。原子力委員から関連会社への「天下り」。こういうどうしようもない暗黒面を改善しなければいけない。また、これらのことを知りもせず(あるいは知っていても真剣に考えず)湯水のように電気を使う都心の生活や企業、製造業。
結果現在も電力を産んでもいない事故処理のために冷却することで毎日170トンもの汚染水を作り出してタンクにためこんでいる。このことを忘れて電気を使っている国民。そのタンクの水はALPS多核種除去設)で放射性物質をフィルターで濾過するようだがトリチウムだけは処理出来ず、これを近いうちに海に放出するという。

当然漁師さん達は反対です。
私はこのALPSで濾過や吸着させた放射性物質はどう処理するのかも心配。まだマスコミは取り上げていないけれど、結局放射性物質を移動させただけになるのだろうか。そして作業員さん達の防護服などの汚染された品々も含め、フレコンバッグのようにどこか「臨時」の場所に密かに貯めているのだろうか。
あまり密集させるとクラスターじゃないけど放射線量が高くなる。
もちろんこの黒いフレコンバッグを保管する「中間貯蔵施設」をどこに設置するのかはまだ決まっておらず大きな問題になっています。
つまり9年もの間棚上げにして、さらに最終処分場もどうするか決まっていない。にも関わらず現在も原発は各地で稼働しているのです。そして私たちは電気を使っている。

★また、毎日のニュースで今日の感染者はどこで何人という情報は必要とは思うけれど、だんだん麻痺して行くのではないかというのが怖い。
なおった人の数も報道すべきです。何かいったん感染したら終わりみたいな雰囲気になっているので。
新たに感染が確認された人と回復した人との差し引きで、現在陽性の人は何人ということが大切。どの国が一番危険か累計数だけが公表されると、誤解を生む。まだワクチンなどは出来ていませんが人体が本来持つ治癒力で回復する人たちもいるのだから。
例えば陽性から陰性に変わる率、つまり回復率と致死率も公表すべきです。

現在の新型コロナウィルスの蔓延はまだまだ続くと思う。おそらく1年以上は。
「山場」とか言って学校を休みにしたりイベントを取りやめにしたりしているけれど、その期間を過ぎたら感染がなくなるのかというと、そう簡単には行かないと思います。残念ですが。
例えばAIDSがなくなりましたか?エボラ出血熱や高熱病デング熱、コレラがなくなりましたか?
3ヶ月程度で片がつくようなものではないのです。
ばい菌ではなくウィルスなのでワクチンが作られなければいけないけれど、当分出来ないし、認可が下りなければならないし、大量に製造する力量、接種提供する環境がなければならない。エボラ出血熱の場合1976年に最初の患者が出てから有効とされるワクチンが発揮したのは2015年頃になってからですから実に40年近くかかっています。そしてなお確実な治療法はまだ確立されていないのです。
もとはアフリカのendemic (エンデミック- 地域流行)でしたが、なんとかパンデミックを防ぐことができた。
明治時代にはコレラで10万人以上の死者が出ました。ハイチ地震でも多くの死者が出ました。
今回は現代の化学、情報手段をもってしても感染拡大が続いているのでは、オリンピックは無理でしょ。少なくとも有名選手は来日したくないでしょうから記録の価値が下がってしまうし、もし無観客で行えばただの記録会になってしまうのだから。森さん「考えてません」じゃなくて考えぬいて各方面と協議してください。選手は4年のピークを持ってこようとトレーニングしているのだから。

★私は常に思うのですが、上記の様々な問題の解決には「ギフテッド」と言われる人たちの助けを得るべきだと考えています。(次回詳しく)
★あと、アメリカ合衆国も感染者がもっと増えると思います。大統領選挙で大規模集会は続けるということですが、ニューヨーク州では、郊外のニューロシェルがあるウエストチェスター郡で州兵を動員して封鎖に踏み切りました。万が一バッファロー方面に進むとナイアガラによる水力発電がストップという大問題に発展するし、心配。
     ・・・次回に続く。
               2020/3/11  記


  ↓ 前回アップした内容です。


★完成した。

 2019年9〜11月 記  11月16日アップ

完成した。そして終了する。
    何が?新作?
いえ、オーケストラです。
    お、ついに企画していた室内楽ジャズの小型オーケストラか!?
すいまへん。自然界のオーケストラです。
    んがくく?
毎年聞き惚れている秋の虫達のオーケストラです。スズムシにマツムシにコオロギ、キリギリス・・
美しい鳴き声。その響き合い、澄んだ空気が漂う中に広がる宇宙的な振動、サラウンドな音響、タイミング、本当に素晴らしい。魂がマッサージされるよう。
多少不便でもあきる野市に住む大きな理由になるのです。
 実は夏でも鳴いていて、猛暑日の日が暮れて涼しくなって来た頃に、セミとは別に地面から流れて来る鳴き声も好きなのですが、やはり9月〜10月は宴たけなわとなります。
  鳴くと言っても羽をこすり合わせるわけですが、どうしてこうも大きな音が出せるのか、そしてこんなに多彩で様々な音が出るのか不思議。すぐ近くで聴く時に 個別に認識出来る状態と、少し離れたところで風景の一部として聴くのと、さらに離れて様々な鳴き声が混ざって“面”として聴こえる時、そしてそれら遠景、 中景、近景がブレンドされた時の立体的な音響が絵画的で美しい。
 これはある程度広いところでないと生まれない効果なのです。

   ヒグラシの鳴き声を長年研究して気づいたことですが、強弱のパルスが複数で鳴いてズレますからスティーヴ・ライヒのミニマルミュージック的な効果になりま す。木造の大工さんが家を建てる時に釘をげんのうで打ったり、ほぞ等の組み手を木槌でトン・トンと叩く時、数人の叩く音がずれて2拍3連のように聞こえた り、シャッフルのリズムのように聞こえたりするのと似ています。
 鳥と違ってその姿は中々見えない。そこが神秘的。
また、大雨でも台風でも次の日にはまた鳴いている。すごい生命力。いったいどこでしのいでいたのか?セミのように木の幹につかまっていることは出来ないから、じゃぶじゃぶの川のようになる地面でどうやってサバイブするのでしょう?
 寒くなるとだんだん元気がなくなりますが、今年のようにふりかえるように夏日になって気温が上がるとまた復活して大きな合唱になります。
  今まで何回も録音をしてきましたが、中々難しい。フィールドレコーディングを経験したことのある方ならご存知と思いますが、遠くの車の音や電車の音などが かすかに入ってしまう。私たちの耳は目的にしたがってフィルターをかけて、聴こうとしている音を優先しています。だから虫の鳴き声に注意を絞っていると、 他の音を遮断して認識しているのです。ところがマイクはただ波形を記録するだけですから、録音時に気づかなかった遠くの音やかすかな自然音・生活音も入っ てしまうのです。
  もちろんコンピューターである程度はカット出来ますが、肝心な虫の鳴き声も少し影響をうけて変化します。空高く飛んでいる飛行機の音も入ってしまいます。 また、マイクが風に吹かれると、ボワボワとすごいノイズが乗ります。これも対処法はあるにはありますが、ちょっとした工作や工夫が必要になります。
 さらに今年はとある事情があって、鑑賞するだけにしました。残業でヘトヘトになって帰ってきて車からよろよろと降りた瞬間、フワ〜っと繊細な微風とともにこのオーケストラが迎えてくれます。しばらくたたずんで感覚を預けます。
 あきる野市に住む大きな理由になるのです。

 こうした秋の虫達の鳴き声、都会でも場所によっては聴けるでしょう。公園や川原に垣根のしげみ。川原だと川の音が大きくてかき消されてしまうことが多いです。
郊外に行くに連れ、カラフルで多様で大きくなります。
東村山市や小平市など・・・。
さらに檜原村に近づくに従って場所は増えてきますし、広い場所も。
田畑や空き地、大きめの自然公園、大きめの庭、丘のふもとの家のまわり、林道、そして山の中。
  今まで私はあちこち録音に回りましたが、不思議なことに人の居ない山よりも、家の近くの方が鳴き声がいいです。野生動物に食べられないからなのか、人間が 生活の中で出す何かが彼らの鳴き声をよくする効果があるのか・・? 人間の活動音が録音にはいらないように山の中や開けた谷津田、川原などでも録音してみ ましたし、他の人の家の近くも聴いてみましたが、私の家のまわりがいちばん素敵なオーケストラなのです。裏が山なのと、前が畑で、横が雑草の多い駐車場で 庭は木がいっぱいという条件が関係してるのかも知れません。すわ〜〜っと一面に混じり合っている中から、チー、チー、チー、とかキュッ・キュッ・キュッと かスイーッチょ!とかソロが浮かび上がります。何の虫なのかぴーぴーと小鳥のように鳴くのもいて、他の場所では聴けません。ちょうど風の通り道なのも関係 してるかも知れません。でもここで録音しようとすると、やや先にある通りの車の音や、家の生活音などが入ってしまうのです。来年はなんとかいい録音をして 皆さんが聴けるようにしたいと思います。

 このオーケストラ、さすがにもうそろそろ終楽章に入りました。生命力の強い者だけがわずかに鳴いていて、晩夏のセミの終焉もそうですが、これはこれで寂しげな風情があります。これから4月頃までは自然界はかなり静かな状態になります。

  というわけで、今回の完成は虫のオーケストラでした。


                 2019年9〜11月 記  11月16日アップ


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前回のアップです↓

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完成した
2019年7〜8月 記 8月15日アップ


完成した・・。
何が?
ついに新しいCD!?
すみません、残念ながら違います。
山が完成しました。
山が。
7月も半ばになった時です。

どういうことか。
私は生活の中で自然を感じ取ることを重視しています。家の近くの木々の変化、草の種のつき方、花のつぼみ、薬効成分、匂い、雲の色、観察して発見したり、感動したり、驚いたり、インスピレーションを得て作曲したり、地球上で生かされていることを実感したりします。
それでも見慣れたいつもの場所でも新たなことを発見し、こんなことも知らなかったんだな、見過ごしていたんだな・・・って自分の小ささを思い知らされたりします。
 昨年、紅葉が例年と違った感じがしました。
うちのまわりの山々が、いつまでもモザイクのようにオレンジ色のように残っていたり美しかった。
派手なもみじも素晴らしいが、真っ赤になってすぐ終わり、というのではなく、いろんな木が微妙な色合いで長く彩っていたのです。
いつもこんなだったっけ?ってたくさん写真や動画を撮っておきました。
やがて正月にもなろうかという時期にやっと葉が落ち、寒くなり、無彩色に近い山の状態が続きます。グレーの骨のような幹と枝が露出して、青空の日も少なく、虫のオーケストラは長期休暇、鳥達の鳴き声も少なく、やや殺伐としたものが多くなり、寒々とした季節が続きます。
 年を越し(きらいな年号になり)少しずつ気温が上がると、また生き生きとした葉が広がっていきます。
でもそれが今年はやけに遅いな・・・と感じていたのです。
普通、4月は透明感のある若葉が初々しく輝き、5月になると色が濃くなり、葉の厚みも増し、少しだけ「怖い」感じになって来る。そしていつ梅雨なんだ?という時期を過ぎるとニイニイゼミが鳴いて空を高くして、いつの間にか激暑になる、というのが近年のパターンだけれど、今回は中々葉が成長しなかった。
異常気象との関係?昨年紅葉が長かったのと関係あるのかな?
それともついに世界の終わりが近いのか?またはレイチェル・カーソンの沈黙の春なのか?
などと不安になっていたのです。
それが、遅れながらも葉の厚みが増し、木々が濃くなり、山が威厳を醸し出したのです。
それは、今年の山の完成です。

 もちろんただ見た目が美しいとかではなく、花が咲いたり、実がなったり、匂いを出したりしますし、深い森に迷いこめば、危険です。高山でなくとも遭難します。方角が分からなくなって抜けられなくなったり、毒性の植物や、危険な動物と遭遇したり。
しかし森は虫達に豊かな環境を与え、水を調節して山の一部となり、鳥を住まわせ、動物達の世界を確保し、また葉が散り枝が落ちては土になるのです。
 ああ、今年も美しい山になった。ああ、今年も恐ろしい山になった。
また紅葉でカラフルになるまでの間、王者として毅然と君臨するんだな、というある意味安心感と、畏怖感と、敬う気持ちで山を見るのです。
その気持ちを知って頂こうと思いました。終戦記念日ですが、今回は直接戦争のことではなく、戦争があってもなくても自然の営みは続いている・・。という思いを馳せて書きました。
今年の山が完成したのです。

2019年7〜8月 記


 

 ↓ 前回アップした内容です。



★東北大震災から8年が経ちました。
今年もコメントを表示したいと思います。

  2019年3月11日 記


毎年同じことを書くようですが・・11日に向けて意識を高めるためテレビ等の報道番組が重要のはずなのに年々少なくなって来ています。今年はついにほとんどなくなってしまいました。当日の本日少しあるぐらいです。被災していない多くの日本人にとって、現状は伝わりにくい。果たして津波被害で流されてしまった町はどうなったのか?どんな助けが必要なのでしょうか?
以下様々な問題をざっとだけでもあげてみたいと思います。
仮設住居の期限が来て出なければならなくなった人たちはどこへ行ったのでしょうか?
土地をかさ上げして家を建て直すというのはどの程度進んだのでしょうか?そしてどのぐらい住民は帰って来たのでしょうか?
放射能で強制避難になった人々は移転先でどんな生活をしているのでしょうか?帰郷のめどはあるのでしょうか?
また、避難指示が解除された地域ではどの程度の住民が帰って来ているのでしょうか?その際、学校、病院、生活必需品の商店、交通機関などに問題は無いのでしょうか?引っ越したりか奥を修繕したり自営業を再開したり費用がかかりますが、その援助は?
原発事故で汚染された土や落ち葉を集めた黒い袋「フレコンバッグ」はいったい何百個になって、どこに置かれているのでしょうか?それらを保管する「中間貯蔵施設」はどうなったのでしょうか?→関係ページ
事故を起こした原発を冷やす為に投入される水は毎回汚染されるわけですが、それを貯蔵するタンクから漏れ続けていたのは解決したのでしょうか?またそうした汚染水や原発内で地下に染み込んだ汚染水が海に流れて行き魚類が汚染されるのは食い止められたのでしょうか?
それを土中に「氷の壁」を作って食い止める計画は失敗を繰り返していたが成功したのでしょうか?またこれにかかる費用はどのぐらいのもので誰が負担しているのでしょうか?→関係ページ タンクの設置場所自体が満杯になってしまうのはどうすればいいのでしょうか?
廃炉作業等に従事する作業員が浴びる放射線の限界値が限度に来たら人員は足りるのでしょうか?
このリンクには日々起こる福島原発での問題、廃炉作業中の事故等が写真入りで報告されています。

そして重要なことは、東電や政府から表示されるデータがどこまで信頼性があるのでしょうか?
さらにそれについてどうやって確かめればいいのでしょうか?
時間が経つにつれて避難者や地元で復興をがんばる方々もどんどん高齢化していっています。体力、気力ともに限界も来ます。
私はあの津波が起きて、原発事故による恐ろしい日々、そしてガソリン不足で車が遅めに譲り合って走っていた日、電力節約で夜は暗めになっていた町、工場の稼働を消費電力が分散するように配分したり、自分に何か出来ないかと寄付したり物資を送ったりボランティアで片付けに行く人が多かったあの日々を覚えています。
今は夜の町にネオンが光り輝き、車はあおり運転で死亡事故に追い込んだり、イベントだということで膨大な量のLEDでイルミネーションを発行させ続け、すでに美しい建物なのにプロジェクションマッピングを映し出す。
人々の、エネルギーの出所に関しての意識はどうなったのでしょうか。
過去にこのヒールジャムの冒頭ページに書いたコメントを見つけたので、まずそれを再録したいと思います。まず3年目のものです。
それからまた考えて続きを書きたいと思います。↓

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★前回アップした内容です。↓

Frohes neues Jahr!
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
  2019年1月5日 記

年末に過労と寒さでダウンしてしまい、更新も年賀状もその他もろもろずれ込んでしまいました。咳と鼻水がなかなかなおらないのです。しかもプリンターが2台とも故障で年賀状作業が滞り、結局悩んだ末新しいものを買いました。使っているMacのOSが古めのため、機種の選択肢は限られていましたが、だいぶ割り引いてもらい複合機にしました。(Epsonは2度と買いません)

 毎年「音によるお年始の挨拶」として新しい曲を作って、年賀状に楽譜をプリントして発送しており、これは私の音楽創作の方向の近況報告もかねているのです。だから精密に印刷出来るプリンターが必要なのです。毎年ハガキ面のスペースにおさまるよう作曲しつつクオリティを維持するのはかなり苦心するのですが、今回は若干このルールは緩め、はみ出す長さでもいいことにして作曲しました。それは、たまには自分の写真をプリントして送ろうと思い、楽譜とオーバーラップして配置するので完全に網羅した楽譜である必要がなくなったからです。まあ、実際私から毎年楽譜で届いても弾いている人は一人か二人ぐらいかな、というのと、こちらへ届く年賀状には送り主と家族の写真をプリントしている人が多く、結婚した→赤ちゃん生まれた→子どもが受験→こどもが大学生→こどもが社会人→孫が生まれた(!)など姿も変わって行く様子、人生の縮図を見るような感じなのに対し、長く会っていない人には私の顔も忘れられちゃうかな?ということでたまには写真を入れようということにしたのです。近所の自然の風景をバックに撮ったものがあったので。

 まあ自分にとっては曲がこどもみたいなものなのですが。今回はクラリネット・ピースで3拍子ピアノ伴奏です。のんきな旋律ではじまりますが、意表をつく転調に発展し、時にケオティックなホールトーンのようになり、最後は穏やかに終わりますがアウトロでは抽象的な鳥の鳴き声のようなシークェンスに至ります。わずかにミニマルミュージック風になりますが、実はイントロ等にこのシークェンスの断片を使ってあるのです。

 今回の収穫は3拍子中に4連符を使ったり、5連符のブロークンコードなどリズムに変化を付けたこと、旋律と低音位の関係を使って新しい転調法をいくつか開発したこと、トニックディミニッシュやトニック上のドミナント系ディミニッシュを工夫したり、sus4を低音に持って来たディレイドリゾルブ等、聴きやすさとコンテンポラリー感を同居させたことです。

 私から年賀状(もしくは年賀メール)をもらった人はそこに書かれている「ある操作」をするとネットで聴けるようになっているので、当座は「エクスクルーシヴ」チューンというわけです。いつかはおおやけに発表するつもりではいますが。


 前回の更新の続きも途中まで書いてあるのですが、ブルーディスクの使い勝手やなぜそんなに映像を保存する量が多いのか、それと紅葉がいつまでも終わらなかった不思議についても写真をいっぱい撮ってあるのです。同じ場所の変化をとらえた定点観測的な写真のまとめも含め、一段落したらアップロードいたします。

 昨年はとにかく自然の写真を撮りまくりました。iPad proで近くの林、川、山そして空。朝5時から4時間運送会社で働いた後、森の中に入って行ったりして撮影しました。私は植物の専門家ではありませんが、さまざまな葉の美しさや、近づいて良く観察すると新しい芽が隠されていたり、花と思っていた部分が実は葉だったり、花びらが散ったあとの種のしくみとか、普通だったら気づかずに過ぎてしまうことに目がいくようになり、日にちを追ってどう変化するのか興味が湧いて来たのです。

 特に雲の美しさ、不思議さが例年より際立っていて夏の畑やイオンモールの屋上等でよく撮りました。まるでヨーロッパの絵画のような鮮明な雲の形、緻密なグラデーション。でも一眼レフカメラにはかないません。夕方の微妙なグラデーションや夜勤明けで夜明けの平原の壮大さはなかなか伝えられるレベルで撮れないのが残念。
 教員の頃はオリンパスのカメラでフィルムで撮っていました。リバーサルフィルムで撮影してスライドで映写するのです。学校の文化祭で「レンズの魔術師」と題し、体育館に大きく映し出して、バックミュージックは作曲、多重録音したものを流して映画か青春ドキュメンタリーのように発表しました。中学生たちが、普段一緒に暮らしている仲間や先輩が部活や運動会で活躍する瞬間瞬間が大きく映し出され、それぞれ歓声が上がり、終わると自然と拍手が起きてうれしかったものです。
リバーサルフィルムは現像すると普通のネガフィルムと違い反転せずにそのまま見ることが出来るのが魅力。35mmのコマの中にまるで博物館かミニチュアの用に取り込まれて並んだ風景や人物。その中から「マウント」に選んで白い枠にセットして専用のアルバムにしまいますので場所はとりますけれど。
 これをプロジェクターに映写したい順に差し込んで準備しておき、スイッチをオスとカシャ、カシャ、と写真が変わって面白いんです。
 現在のデジカメ系でも機器をそろえれば可能とは思いますが。
 音楽でもCDやダウンロードではなくアナログレコードというのが魅力なのは、ジャケットがアートととして飾れるし、丸い板を丁寧に扱って針を乗せる、何曲目はこの溝だ、B面を聞くには裏返す、しまう前に拭く、とか今手に持っている物体に記録されているという確かさがある。ただし場所をとるし重いけれど。またハイエンドなオーディオファンには真空吸着式のターンテーブルとか、黒くしていないビニール版の方が音が良いとか真空管のアンプ等、凝る人は凝るようで、ピーターバラカンさんのFM番組で高級機材で毎週名盤がかかる。
 写真もフィルムを交換したり現像や管理、保管と面倒だし費用もかかるが、レンズのF値とか被写体深度のコントロールとか、超望遠とかフィルターとか、凝ればより芸術性が出せるようになる。
 今はとにかくあらたな室内楽形式の完成にむけて集中しなければいけないのでカメラにはこれませんが、iPadやiPhoneの可搬性・機動性、映像も撮れて画面ですぐ見られるというのは別の可能性を秘めています。
そしてパノラマ機能があるので横だけでなく縦にも細長〜い写真をたくさん撮りました。このHPでも左の枠など時々使っています。これからはYoutubeで活躍させる予定です。
 ただ私の現状ではファイルの転送や、色の調整のソフト等まだ改善しなくてはいけないことが多く、iPad proやiPhoneの可能性を完全には引き出せていません。
 とにかくUSB端子がついていないので、Lightningから変換しなければならず、いちいちメールで自分あてに送信したり、AirDropで転送しなければいけないのですが、MacBookのOSが古いせいか、AirDropが認識出来ないんです。iOSどうしとMacBookどうしではできているのですが・・。
 それで変換ケーブル+ハブを注文した所です。これによってUSBフラッシュやSDカード、おそらくHDDもつなげられて、ファイルの移動やバックアップがしやすくなるはずです。さらにオーディオインターフェイスにもつなげられれば、iPadでの録音、作曲、楽譜作業等が円滑になり、当初目的としていたことが果たせるはずです。
 ★今年の抱負など詳しくは後日アップしますね。
とにかく今年もよろしくお願いします。新しい音楽をネットで発表して行く準備中。資金がたまれば楽団を募ってコンサートにこぎ着けたいです。
    2019年1月5日 記

 


★近況報告・・体力バランスとりつつ芸術の秋、ブルーレイ

 2018年11月12〜18日 記

 

久しぶりの更新となります。
秋晴れの清々しい日もあれば、冬を思わせる寒さの日もあるこの頃。
みなさんいかがお過ごしですか?
うちの周りはかなり紅葉付いてきました。一方、秋の虫たちは気温が低くなり、やや元気が無くなってきました。
 少し前までのあの恐ろしい猛暑の夏がまるで遠い過去のよう。
それにしても今年も激暑、酷暑、極暑、獄暑(!)の夏でしたが、私はまたエアコンを使わず小さい扇風機でしのぎました。なぜエアコンを使わないかは、1つは電気を極力使わないで暮らせるかということと(人類が原発なしで生活できるよう)、2つ目に各人から排出された熱気が地球温暖化やヒートアイランド、異常気象につながると思うからです。また、震災や豪雨などで避難生活する方々の不便さを忘れないようにするという自分への戒めもあります。
どうしようもない暑さで熱中症になりそうな時は、近くの川に入り、体温を下げました。(後述)
洗濯も極力、洗面器で手洗いで。天日ですぐ乾きますので。

 さて近況報告としては・・・★自分の作曲した室内楽を演奏する小管弦楽団を設立・活動するため、ギターレッスン以外に早朝の配送アシストや、深夜の工場と、無茶なスケジュールで働いて資金を作ろうとしています。直したい楽器などもあるし、レコーディング環境改善のためもあります。それで手首などちょっと痛め気味。(その現場では私が積み上げてきたスキルは通用しません。音楽を作る能力、絵を描くこと、精密な工作、自然素材を使った活動、教育活動、文章を書く、発想力、会話力→役に立たない・・。ただ目的に向けて機械に合わせて秒刻みで体を酷使する。ヘトヘトになります。)
★ここ何年も取り組んでいる、クラシック楽器での木管五重奏作りで、毎年多摩地方に演奏に来てくださるウィーンの木管五重奏の方々と再開して交流を持てたこと。私の新曲を聴いていただき好評価頂いたこと。
★竹の弦楽器作りを再開したこと
★MacBookのバッテリーが弱って持ち運んでの作業が厳しくなったので、止むを得ずまたamazonで買って交換して改善したこと。(ただ、クラシックやジャズ、語学のインターネットラジオを録音し続けているため、HDD容量は常に苦しい。)
★物語作りの勉強では図書館利用で世界の伝承を読んでいること(イランやモンゴルの昔話などで発見が多い)
★歯医者に毎週通って何本も治療したこと(あまりにヤブ医者が多いので前回は都心の大学病院に通って直したのですが、数年たって被せ物の中が虫歯になったりなどしてるようで、時間に融通がききそうな地元のきら○歯科に行ったのですが、やはりヤブでした。それで公立の口腔外科に通いました。レントゲンも撮り直しで余分な出費させられた。)
★ムサ美の芸術祭(ジャズセッションや洋楽弾き語り。ひさしぶりに洋楽歌コピー、ジェームス・テイラーやビリー・ジョエル、ドン・ヘンリー・・やっぱりすごいや)。
★久しぶりに弦楽器フェア(パク・キュヒ生演奏)に行ったこと。
★iPadで身近な自然を撮り続けています。パノラマ機能を使った写真、このページ左にも載せています
★番外編としてブルーレイ・レコーダーを購入して今までHDDに録画してきたドキュメンタリーや放送大学の授業、語学番組、映画などをディスクに移し始めたこと、など・・・良いこともあれば良くないこともありで。
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★前回2回書いたのは終戦記念日に際して改めて太平洋戦争について学び直したこと。自分が平和な国で生存できているということを認識し直すと同時に、未だ解決されていない戦争の爪あとや、人類が抱えている「業」についてみなさんにも考えて頂くという意識喚起の意味もあって。
こういうことを書くきっかけになったのは以前南太平洋の島を旅した時に、図らずも出くわした生々しい戦争の残骸や現地の人に聞いた話から受けたリアルな 、その恐ろしい出来事が青々とした美しい自然との対比によってより悲惨さを帯び、人間の愚かさを思い知らされたからです。特にスーサイド・クリフでの悲劇。以前にも書きましたが、もちろん学校では習わなかったこと、本で読んだり映画になったりしていないことです。
前回の続きを書いてアップロードしようと思っていましたが、毎年新しい事実が明らかになったり、隠匿されていたことが暴露されますが、中々短期間では網羅できず時間が経ってしまいました。手持ちの資料や放送の録画を精査して揺るぎない自分の意見をまとめるというのは難しいことです。
ノモンハン事件、ルソン島、満州からの引き揚げでの悲惨な出来事、平和協定を突然破って北方の島に攻撃してきたソ連軍の蛮行・・。
すでに学校で歴史の授業で習った一般的な認識では浅はかすぎるという段階ではないでしょうか。
でも歴史研究家や社会学、文化人類学、の専門家ならともかく、私は芸術家として作品を生み出し届けるのを生活の主軸にする者、客観的な視点で中々これだという認識を作り上げるには時間がかかりすぎるのです。匿名のネット書き込みとは違いますので、間違った認識を広めてしまわないよう注意が必要なのです。
違う情報源や角度の違う視点からの検討、できれば体験者の話を聞く、それらから共通する部分が信頼できる事実として自分の見解の土台にするのか、バイアスのかかった情報ははじいいて、より俯瞰でニュートラルな選び方をするか、その場合でも見抜くには訓練が必要。

 一見、歴史を学びなおすのは過去の出来事が主軸で、逆に芸術家は今まさに見出したものを主軸にする分野だからということで相反する活動のように感じられます。
 しかし一方で過去の過ちから今進行中の政治経済の問題点、宗教対立や人種問題、難民、エネルギーの枯渇に温暖化、病気の蔓延、異常気象、自然災害など、起きかねない災いを遠ざけるすべを見出すということにしっかりと繋がるとすれば・・・芸術も単に今流行のスタイルや素材に頼ったり商業的な成功を意識し過ぎたり、話題性に といった軽薄で一過性のものではなく、「なぜ自分はこれに人生を注ぐのか」「なぜ表現し続けるのか」といった原点を見つめる時、ダダイズムであったり印象 派の活動を時代背景とともに見直したり、ルネサンスやバロック、イコンと教義を照らし合わせた上での宗教絵画、古代ギリシャ、さらにはロスコーの壁画と いったところまで遡り、たんに個人の感情吐露とか嗜好性や技法のアイディアといった次元ではなく、なぜ人間は図像を書き残すのか?なぜ歌を歌うのか?なぜ 踊るのか?そしてなぜ祈るのか?というところに向き合い、より価値ある活動に繋げるということでは共通してくると思うのです。
かといって自力で情報を精査して確固たる意見を築くには膨大な時間を要する、その時の一助となるのが学者やジャーナリストではないでしょうか。絞った分野ごとに多くの資料や 実地におもむき事実確認、概論、各論にまとめる。調査代行のようなもので、いわば時間短縮装置のようなもの。ただし専門用語が多くなって読みにくくなった り、他の学者と対立する見解に至ったり、場合によっては名誉欲などのために恣意的な変更(考古学の捏造のような、あるいは新聞記者が故意におこなうミスリーディングのような)が行なわれることがあり、どれが信頼できるのかわからなくなる時がある。これでは逆に時間がかかってしまい、本末転倒。
むしろ一般の方々がどのようにケリをつけているのか知りたいです。
というわけで、ひとつひとつの点について理解が深まれば別の機会に書いてアップいたします。


★さてブルーレイディスク・レコーダーについて。
自分が購入時、苦労したのは各社の各モデル、どこが良く、何が問題か、ということがメーカーのカタログやWEBページでは「もちろん」わからなくしてあるし、購入して使っている人のきちんとした感想やフィードバックも少なくて比較する段階にはなかったこと。
こうしたデジタル家電ではわざとそうしていることがあるみたいで、例えばプリンターのインクのコストや印刷スピードとか(特にトナー交換が高価なレーザーのカラープリンター)、暖房器具で同一の部屋を同じ温度にするまでの時間や消費電力量とか、Wi-Fiルーターで家庭内でデータや映像を共有する際の対応機種や転送スピード・・・
会社ごとに単位が違ったり、カタログの目立たないページに1mmの文字で但し書きしてあったり、比較しにくくなっているのです。ひどいのは「自社製品比較」だの「当社比」というヤツ。自社製品の旧機種より良くなっているというわけで、そんなの当たり前で、じゃ前のどの機種で、それはどういうスペックだったの?というと書かれていないことがほとんど。
ネットショップで買った人の感想でも、自分の前使っていた機種よりは少し早いとかここが面倒になった、などのコメントで頼りにならない。
例えば自動車ではトルクだったり馬力だったり、加速力だったり、燃費だったり、ある程度統一されている。そしてそのデータを額面受け取らず、何割でということで販売店やモータースさんが相場を教えてくれる。(タイヤはやや事情が違うが。)録音機材ならS/N比や周波数特性など。パソコンならCPU速度やメモリ量、記憶容量など。
 ということで、どの機種にすべきか中々踏み切れなかったけれど、拡張した何個もの外付けHDDは日々いっぱいになって「早く見て消さなきゃ」状態が続いたので、思い切って東芝のレグザシリーズDBR-W1007にしました。テレビも前のチューナーもレグザシリーズだから互換性が良いだろうということで・・・。
 一番知りたかったのはすでに外付けHDDに録画してある分を「レグザリンク」機能によって購入するブルーレイ・レコーダーに入れたディスクにムーヴ(ダビング)できるのか?ということだが、この情報が少なすぎて、例えばどの機種ならできるとか、どういう場合はできないとか、どのぐらい時間がかかるとか、使い始めないと分からないことが多い。
結果から申しまして、「できるけれど工夫は必要」という感じですね。

 買ってからも分厚い説明書が極端に分かりづらく(説明がド下手)、辞書のように何ページ参照で飛ばされる。飛ばされた先でも分からず、URLが書いてあってインターネットで調べるようになってる不親切さだが、そのWEBページに行こうとしても存在していなかったり404エラーになる。東芝の配慮の無さ、不備に驚きます。

 大手電機屋店頭にその説明書を持って行って店頭で尋ねたが、はじめはネットワークを構築した上でダビング先を指定するというような手順と言っていて、それにはいろいろな設定、ユーザー登録等しないといけない。そんなに大変なものなのか・・?と思っていたら、店員が何人も入れ替わってタブレットで検索したりでやはりレグザリングのページは存在しなかったり、で結局、明日メーカーに問い合わせておきますという感じでした。
 結果、ネットワークを構築しなくてもテレビとレコーダーそれぞれがインターネットにつながっていれば出来るということのようだが、それぞれの機器のメニュー表示からインターネットへの接続を設定するが、片側からは認識出来ないようでダビングが出来ません。両方の機器から相手を認識出来ないといけないようです。

 それでまた大手電気屋店頭に行って店員にたずねてみると、メーカーの人の返答は無線LANだと時間が極端にかかったり、通信品質によっては途中でエラーが起きて最初からやり直しになり、場合によってはダビング元の録画が消えてしまう、という恐ろしいもの。メーカーの人も自信持って薦められないらしく、LANケーブルで物理的に繋いだ方がよいということでした。

再び家に戻り、どちらの機器もネットの接続をいったん切る設定にした上でもう一度つなぐように設定しなおすと、ダビングが可能になりました。テレビ側から無線LANでデータを送信しブルーレイレコーダー本体のHDDへも、挿入したディスクへもできます。しかし非常に時間がかかります。そしてテレビとレコーダー、どちらかが録画中はダビングできません。だからスポーツの長い番組や映画を録画中の場合、終わるまで待たなければいけない。ダビングの方は予約機能はありませんから。

 また現時点が録画中でなくても、ダビング完了までの予想時間内にテレビで録画予約があると開始できません。レコーダー内で本体HDDからディスクにダビングする時は録画予約が近くても可能だが、その録画がブルーレイディスクへの録画予定の場合はHDDの方になる場合がある等の警告が現れます。

またディスクにダビング中はそのディスクの再生はできず、録画番組の一覧も見られません。

ですから寝る前に複数番組を選んでダビングを開始してから寝るとか、外出前に開始するなど時間について工夫が必要なのです。また、起きてみるとダビングが失敗していることがありますが、どういう時ダメなのかまだはっきり分かりません。

今のところ元録画が消えたというのはありませんが。

また、時々全くダビングが出来なくなる現象もあります。どのディスクに入れ替えても、レグザリンクどころか、本体内でのダビングも出来ない。ダビングのアイコンがブラックアウトしていて選択自体が出来ないのです。近い録画予約もないのに。これには困り、結局本体の電源コンセントを抜いて少し待ってからまたつなぐと、可能になりました。

 このようにいつでも手軽にというわけではないんですね。こういうのは使い始めないと分かりませんし、果たして高級機種だと不具合が無いとか書き込みが早いのかとか、録画中もダビング出来るとか差があるのかどうか・・?

 また、テレビの方はつないだHDDの残量が少ないと何かが削除され、録画が優先されますので消えては困る番組は保護しておかなければいけない。でも何か録画中はこの指定や解除ができないのです。一方レコーダーの方は残量が不足していると録画が中断してしまう。それで容量の残りが重要なのだけれど、13時間と表示されていて大丈夫と思ったいたのがあっという間に0時間になっているということが多いため、重要な番組はテレビのほうと両方予約しておく必要があるのです。

 これからブルーレイディスクレコーダーを買う方は参考にしてください。

また、書き込むディスクはBD-Rを買って来るわけですが、私のようにダビングしたりHDDに戻したりと自由に書き換えるにはBD-REでなければいけません。

 ところが一般的に販売されているのは25GBのもので、ドラマや語学番組などシリーズ物を記録しようとしてもすぐいっぱいになってしまう。すると頻繁にディスクを抜き差ししなければいけませんが、昔のカセットテープと違っていちいち読み込むのに時間がかかるのです。となると容量の大きいものが必要で50GBと100GBのREが使いたくなるわけですが、当然価格が上がってきます。また、100GBのREは現在Sonyからしか販売されていないようです。これなら円盤形リムーバルHDDのようなイメージで使えます。まだ高いですが。

こうしたことが情報の洪水といわれる現代でもなかなか分からないようになっています。Sonyからは125GBのREが発売になったようですが、まだまだ入手しにくいようです。

 なぜそんなに録画したいものが多いのか・・。

   続きは明日?アップします。


↓前回アップした内容です。

自宅近くで撮った写真です。
自宅近くで撮った写真です。

★みなさん、今日は何の日かお分かりですか?今日は終戦記念日です。

  2008年9月2日 記
 え?前回8月15日に同じこと書いたじゃない、と言われるかもしれませんが、本日9月2日は世界的に第2次世界大戦が集結した日として認知されているのです。「対日勝利記念日」です。
海外ではVictory over Japan Day とかV-J Day、またはV-P Dayと呼ばれ、記念切手やコインが発行されました。
終戦時の夏、ポツダム宣言を「黙殺」したために原爆が2発も落とされ、日本各地で無差別爆撃を受けたが、軍上層部や御前会議では終戦の決断ができずグズグズしてどんどん犠牲者が増えて行きました。本土決戦が迫り結局8月14日になってやっと降伏することが決まった。翌15日に「終戦に関する詔書(玉音放送)」がラジオで流れ、国内では負けたんだ〜、終わったんだ〜となるわけだけれど、海外では別にその放送聞いてるわけじゃないですから大きな意味は持ちません。太平洋上の島や北海道の北の島など、日本兵自体に伝わっていないケースもあったのですから。( なお本土に敵が上陸しても民間人含め玉砕するのだと主張して玉音放送を流させまいとする陸軍のクーデターまで起こる始末でしたが、これは以前書きましたので繰り返しません )
この国内向けの日本語放送よりも、ポツダム宣言をやっと受諾して「降伏」するということで、東京湾に浮かぶ巨大な戦艦ミズーリの甲板で9月2日に調印した、これが重要なのですね。
写真やネット動画でも多く見られます。→こちら等
 これだけ大きな戦争になると終結には確固たる手続きが必要。いくら連合国側に連絡だけしても、口約束だけで破る可能性があるからです。しかも開戦時の日本軍によるハワイ攻撃が、宣戦布告前の卑怯な行動とされているため、信用がないから。(本当は宣戦布告の通達は真珠湾攻撃の前に送信済みだったが、大使館での担当日本人が解読・翻訳・伝達をまごまごしたために遅れたのが真実。だがあまり知られていない。一方で米国は独自に傍受・解読して知っていたが卑怯な悪者相手に闘うという大義が必要だったため、伏せていたらしい。米自国民は知りたくない事実。)
 例えば当時ヒトラー率いるナチスは日本と同盟だったが、仮にもし降参しますと連合国側に連絡だけして来ても信じられないでしょう。やはり各地で武装解除した上でナチ本人なりヒムラーなりヘスが正式な場に同席して降伏条件を記したしかるべき書類にサインや調印しなければ、認定できないでしょう。(これをせず、自殺したわけですが)
 というわけで東京湾に浮かぶ巨大な戦艦ミズーリの甲板でマッカーサーや連合国各国代表が立ち会う中、日本からは陸軍、海軍、外務省の代表たちが参列し、外務大臣の重光葵、参謀総長の梅津美治郎が9月2日、署名した。
ちなみにアメリカ軍は、この際にひときわ大きい兵隊を選んで並べさせ、体格的にも優れていることを強調したといいます。

これにて総数8千万人を超える犠牲者を出した大戦が終結したのだ。
それで私は8月15日と9月2日は特別な日としてお経を唱えたり、前後には毎年新たに浮かび上がる情報からドキュメンタリーを元に学んだりします。
その中で、一般的な学校教育や、日常的な報道では伝えられていないけれど、重要なのではないか?と思うことを書いて、みなさんに知っていただきたいと思う次第なのです。

 以前は体験した人がなぜもっと語らないのか、伝えないのか…と思っていました。
でも、よく考えたら戦場で兵士として戦った人は相手を殺さざるを得なかった人も多いから、戦争とはいえその事実を講演などで語るのは、抵抗があって当然なのです。こどもたち相手の会では触れるべきかどうか色んな意味で慎重になるべき。また相手国の人からも恨まれるわけで危険にさらされる恐怖感もあります。
また直接手を下していない人や、民間人で命からがら極限の危険を生き延びた人も、つらく悲惨な体験は長い年月が経っても心を締め付けるのであって、仮にその後家族ができて幸せな生活をしているようでも拭い去れず、夢に出たり、人に話せず苦しんで過ごす方も大勢いる。話すことで何か大切なものが壊れてしまうのではないか?偏見や軽蔑にさらされてしまわないか、自分はともかく家族がいわれのない差別にさらされはしないか、という恐怖もありましょう。
だから講演会や、学校やNPOなどの催し、メディアのインタビューなどで体験談を明かしてくださる方はとても勇気のある方で稀有な存在なのだな、と思います。

★兵隊さんで悲惨なのは、やはり太平洋上の島々やニューギニア戦線で食料も医療も弾薬も供給されず、飢え死にしたり病死したりした人たち。
現在の装備を持ってジャングル入りしても、その高温多湿、スコール、ぬかるみ、吸血動物(ヒル、蚊など)、蛇、など難航するのを、予防注射もなく、ろくに食べられず、疲労困憊に栄養失調状態で、マラリアで死んだ人は多い。
ガダルカナル島では1万5千人、インパールでは4万人、ルソン島では5万人以上が羅患して亡くなった。これは本人も家族も悔し過ぎる死因です。敵と戦って散ったというならばまだしも、食料が届かなくてやせ細って動けなくなり、置いてけぼりになっていったのです。中には靴が豚皮でできているので煮て食べた人もいたということです。やがて空腹の中、意識が混濁していきますう。体力が落ちていれば当然マラリアに対する抵抗力もありませんから、熱にうなされますます動けなくなります。やがて餓死して打ち捨てられ、虫や動物に食され、スコールを浴び、泥に沈み、白骨化していく。そして今も回収されず、ジャングルの中で眠っているのです。日本政府これらを調査、捜索、回収する意識はありません。
生き延びたり捕虜になった日本兵の写真を見ると、ガリガリであばらが浮き出して、ミイラ寸前。敵兵も驚いたことでしょう。いかに司令部が無能で指揮官が思考力不足だったかが分かります。
ジャングルには逆に獲物、食べ物はあるはずなので、一旦無意味な行軍をやめてこれらを採取する方法を確立すればもう少し違ったはず。実際に小野田少尉(ルバング島に29年)や横井さん(グアム島に28年)のように終戦を知らず長年ジャングルで生き延びた人もいるぐらいだから。兵士が倒れていけばそれだけ戦力不足になるということが分からなかったのか。
または蚊に刺されて感染して死んだというのも悔しい限りでしょう。有効な薬のキニーネは不足していたため支給されたのは上官だけで、兵隊は消耗品扱い。このような戦い方の意識で兵器の性能、体格、兵士の数、情報に勝る大国相手に勝てるはずがないでしょう。
ですから終戦記念日にはこうした無念の犠牲者が成仏できますようにと、せめてものお祈りを捧げるのです。


↓前回書いた内容です。


シューベルトの「野ばら」はリートの代表、アスリートの代表は・・
       2018年2月19日 記
★前回、年賀状用に毎年作曲する件でシューベルトの「野ばら」(Heidenröslein)の影響があるということを書きましたのでその続き。
シューベルトについてクラシックにあまり興味が無い方の為に、一応一般的な解説を付けておきます。(自分ももともとはロックやジャズ方面からきたものでだいぶ後から学んでことですし、まだ勉強中ですが)
フランツ・ぺーター・シューベルトは1800年代前半、ロマン派初期に歌曲をたくさん書いたことで有名なオーストリア、ウィーン生まれの作曲家です。交響曲 も作曲しました。通称「ザ・グレート」「悲劇的」が有名ですが未完成のもの、楽譜紛失も多い。ピアノ曲では「楽興の時」が有名。オペラも作曲しましたがあ まり演奏されません。室内楽は弦楽がありますが、やはり歌曲が中心の人です。ショパンがピアノ曲に集中したのと似ていますね。
とにかく作品は総数1000曲以上!と言われています。
 その中でも「野ばら」はシューベルトの代表曲でもあり、リートの代表曲でもあるのです。
私の環境には無かったけれど、学校等のチャイムや、駅の合図でも使われるようです。

先日降った雪の時、家の近くの公園の写真です。
↑先日降った雪の時、家の近くでトレーニングや作曲をする公園の写真です。


「リート」というのはピアノ伴奏で歌う芸術的歌曲です。民衆の歌謡よりは高尚で技術を要し、詩も文学的な深い表現のもの。
「野ばら」はすでに文豪だったゲーテの詩につけたもので、私はあとでこの詩の意味を知り、いつ読んでも胸が締め付けられるような思いがします。詩としても名作として知られる作品。これを明るい曲調で書いてしまうなんて。ペーソスのコンセプトもあるのですね。
この同じ詩にウェルナー(ヴェルナー)、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスが旋律をつけたものがあります。

他にリートの名曲としては「魔王 (Der Erlkönig)が有名。
私は習わなかったけれど、よく中学の音楽の授業で聴かされて恐くなっちゃうらしい。これは父親が風の吹く夜、自分のこどもを抱えて馬で走っているシーンで短編恐怖映画のよう。こどもには悪魔が見えてささやきが聞こえ、魂を奪われると恐れ父親に訴えるが、父親は錯覚だよととりあわない、さらに悪魔のささやき、そしてやっと宿についたが・・・。という話。
 ピアノ伴奏だけで、緊迫感と幻想世界を作り出すのはさすがで、映画のクライマックス部分から見始めたかのよう。低音の3連は弾くのを想像すると指がつりそう。遠隔調の和音が移り変わり、ポップス系や汎用系の16小節単位で繰り返すのとはわけが違う。まさに「ロマン派」。
3者のセリフを織り交ぜて構成しながら、父親には魔王の声が聞こえない孤独感とサスペンス感を盛り上げる手腕がすごい。
しかしシューベルトはこの楽譜を巨匠ゲーテのもとに送ったがなかなか返答がもらえず、かなり経ってから凡庸という評価が帰って来てショックを受けたようだ。時代はまだ彼を認知するだけの耳になっていなかったのでしょうか。
しかしゲーテは作曲者死後にこの曲の演奏を聴き「全体のイメージが絵のようにはっきりと浮かんでくる」と高く評価したといいます・・。生前言ってよ。
いつの時代もこういう悲劇は起こる。サティ、ゴッホ、モディリアーニ、アンリ・ルソー、フィリップ・K・ディック・・でもシューベルトのまわりには彼を評価する友人達の集まりがあって、シューベルティアーデという仲間内の歌の会が催され、泊まるところ、食べ物、手伝い等支えてくれていた。私の想像では、ゲーテはまだ無名だったシューベルトの曲を聴きもしなかったか、使用人か弟子がきちんと彼の手元に届けなかったのではないかと思う。

「鱒(ます、Die Forelle)
これはゆったりとした曲調でややユーモラスで、テレビのちょっとしたコーナー転換なんかでよく使われます。弦楽四重奏に編曲された版もあります。主人公は川辺で鱒のみごとな泳ぎを見て感心していたが、釣り人が老かいな技でとらえてしまう。これは若い女の人に警告するという意味なんですね。

「糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)
これも素晴らしい。幻想的で、テクニカルで早いパッセージの伴奏ラインはくるくる回るスピンドルを感じさせ、これに優雅でものうげな旋律が乗る。グレートヒェンとはゲーテの有名な戯曲「ファウスト」に登場する数奇な運命に翻弄される悲劇のヒロイン。歌曲ですが、私は今世界中で演奏中のユジャ・ワンさんのピアノ独奏版が大好きです。素敵すぎる!続けて「魔王」を弾いてる映像もあるけど、指の動きが速すぎて分身の術みたいになってる。ハチ鳥の羽状態。「海の上のピアニスト」の対決シーンみたい。ゲームの高橋名人も真っ青(笑)。それでも背筋はぶれず肘から手首まではほとんど上下動せず、手首から斜め下に向けた指先までが柔らかに鍵盤を踊るという私の考える最適のフォームを体現しているのです。ギターでこう弾きたい。

★ちなみに「アリア」といった場合は、劇場で衣装を着てオーケストラを伴う長時間の物語オペラの中で、旋律がはっきりしていて印象に残る曲をさします。(実は宗教曲の中にもあります)
リートがピアノ伴奏だけか小編成のものがほとんどなのに対し、アリアはオーケストラをともなって劇的な展開を伴います。
 かなり前ラジオで劇場で記録された貴重な古い録音(たぶんテープではなく鉄線に記録)を聞きましたが、あまりにみごとなアリアだったため観客の拍手やかけ声が止まらず、まだ劇中なのにアンコールで歌ったのがすごかったです。それだけオペラが身近で、民衆の文化だったのですね。天井桟敷の人々!
 有名な曲としては、フィギュアスケートでもよく使われるプッチーニの「トゥーランドット」からの“誰も寝てはならぬ”。(まあ、これって残酷な女王が、自分に出された謎が解けるまで部下たちに寝ないで考えろと命令してるんだから身勝手なもの)
同じくプッチーニ「蝶々夫人」からの“ある晴れた日に”。
アメリカ海軍士官と結婚した日本女性の悲しい物語。舞台はなんと長崎。結末が悲しすぎるよォ〜・・。

モーツァルト「魔笛(Die Zauberflöte)から、素早い高音が特徴の、夜の女王のアリア“復讐の炎は地獄のように我が心に燃え”。コロラトゥーラという高音の素早い技術を要します。時々サスペンスものに使われる。同じ歌劇から「パパゲーナとパパゲーノのアリア」などユーモラスなものもあります。

など多数。あ、聴いたことある、というものが多いと思います。
一方、物語進行のためのセリフ的なもので旋律がそれほどキャッチーでないものは「レチタティーヴォ」といいます。また、「アリア」は、オペラの舞台ではなくコンサートとして抜き出して演奏、歌うこともあります。あるいはスタジオやホールで録音してレコード作品にしたものもあります。圧倒的名手マリア・カラスのアリア集は有名。情熱と、正確なコントロールと、低音から高音まで滑らかなトーン、オケとの有機的な融合、ほとんど宇宙空間。神話の世界から響いて来るよう。

「コラール」という場合はキリスト教の宗教歌。
宗教改革でプロテスタントの源流になったマルティン・ルターが、信者がドイツ語で歌えるようにと作り始めたもの。それまでラテン語で専門の合唱隊が歌っていたものに対し、教会に来た信者が歌いやすいような単旋律を重視していたのですね。
 この旋律にヨハン・ワルターやゼバスティアン・バッハが聖歌隊の歌う別パートを作って4パートの合唱等になって行きました。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」が有名で卒業式や結婚式等で器楽演奏されますが、日本人の多くは内容を知らない。実はカンタータ第147番「心と口と行いと生きざまもて」の中の、イエスへの絶対的な愛を歌ったもの。卒業とは一切関係ありまへん。(別の機会に書きます)

「ア・カペラ」も宗教歌。
よく伴奏無しの歌だけの合唱ポップスと思い込んでいる人が多いが、コラールからさかのぼり、15世紀から16世紀のルネサンス期に、作曲家が複雑で豪華な曲調で競っていたことに対し、パレストリーナ等が簡素な旋律で歌詞を聞き取りやすく作ったもの。
 日本ではゴロが赤、ペラと似てるのでアカ・ペラと勘違いしている人が多いが、これはドンキー・ホーテと思い込んだり、ジャンヌ・ダルクで勘違するのと同じ。a cappellaのカペッラは教会や聖堂のこと。だから「聖堂にて」という意味だし、必ずしも無伴奏とは限らない。
その後、正教会では器楽伴奏をつけるのを禁じていたので無伴奏のものが多く作られて歌われた。
 一方黒人霊歌では埋葬時などに無伴奏で行われたり、教会でのゴスペルソングが無伴奏のものがあり、これは綿畑等での労働歌が原型にあるようです。奴隷として強制的につれてこられて、もともとの宗教は禁じられて、新しい宗教と音階システムを強要されたが、なじまないということや、貧しくて鍵盤楽器を備えられなかった、という面も関係しているでしょう。
 これらが大衆化して「Doo-wop」に転化された。同時期に発展していたジャズのハーモニーを取り入れたものが商業音楽として広まった事でポップミュージック、ソウルミュージックに大きな影響を与えました。山下達郎さんがこの分野の筋金入りのコレクターなのが有名で、毎週ラジオで紹介されてます。
白人にもクリスマスに町中をまわるキャロルの習慣があったから、Doo-wopに影響を受けて無伴奏で流行歌を歌う4人組コーラスなどが出て来るわけです。商業音楽の実権を握っているのは白人ですから。高度なジャズハーモニーを取り入れたグループ、フォー・フレッシュメン等が席巻します。これらの形式がア・カペラ的ということで商業音楽界で流用したのがそのままになったようです。
 その後Rockapellaや現代的なThe Singers Unlimited などがポップス界で話題になり、やがて黒人のTake 6という決定版が出現、スティーヴィー・ワンダー的なフェイクや半音階的和声、コンテンポラリーなアレンジ、超絶技法を展開しました。さらにボビー・マクファーレンが器楽的唱法や音響法、一人アルペジオ、現代美術的視点を取り込んで、多重録音も駆使しました。それらを吸収した若き天才Jacob Collierの登場になるというわけで、ネット動画の効果によって世界に波及しているのですね。
 この進化ぶりを聴くといかに日本のレベルがお粗末かが浮き彫りになります。まあ、一回マイクでズクツク言うのはやめにして、ハーモニーの仕組みからやり直した方がいいですね。(ただしタイムファイブさんだけは別格。楽器も出来るし。早すぎたのかも。)
 余談ですがドン・キホーテはセルバンテスの小説に出て来るマンチャ村の男の話で、ドンとは爵位のある人や医者、教員など家柄がよくて尊敬される人につけるもの。だから我輩はマンチャのキホーテ様だぞ、という感じ。donkeyだとロバ、そこから愚か者、のろまと揶揄する意味だから逆になっちゃう。鈍器だと刑事物になっちゃうぞ。
ジャンヌ・ダルクという聖女はアーク村のジャンヌ( d'Arc )→ジャンヌ・ドゥ・アークを早く言ったわけでダルクという名前ではありまへん。英語ではジャンヌ・オブ・アークでほとんどジャノボークみたいになります。リュック・ベッソン監督、ミラ・ジョボヴィッチ主演の映画ではっきり聞き取れます。
 あ、レオナルド・ダ・ヴィンチをかっこつけてダビンチが〜とか言うのも赤っぱじで、Leonardo di ser Piero da Vinciつまりヴィンチ村のピエロさんの息子のレオナルドという意味。ダ・ヴィンチだけ言ったとしても、だからヴィンチ村の誰?ってことに。こういうの多いので、東京オリンピックで恥かくナレーターやスタッフがいないか心配・・。
 少なくともサッカー等で「フィジカルが強い」「メンタルが弱い」とか繰り返すのも浅はかで恥ずかしい間違いのでやめてほしい。形容詞だから「肉体的強い」となっちゃう。全国の中学校の英語の授業で教えるべきです、これは間違いですと。フィジカル○○が強いならわかるけど。physical abilityに優れているとかphysical strengthが足りないとか。○○が思いつかないんでしょうね。「メンタルトレーニングが不足」「メンタリティに弱点がある」ならわかるけど。かといって不用意にphysicsにすると物理学になっちゃうしphysicでとめると薬になっちゃう。体格について言いたいならphysiqueと言えばいいんですがフランス語からなので言いにくいし、ただ体格と言えば良い。ひとつに海外選手に比べ体の頑強さの差を感じていると思います。ならばbody rigidity(車で使う剛性)がいいと思うけど日本人には言いにくい。つまり外来のスポーツだからハイカラに言いたいが語学を勉強するのはめんどくさいし、カッコつけてると批判されたくないという中途半端さ。
 そもそも肉体的何なのか○○のところが日本語でもつかめていない、このぼんやり感が実力にも投影されているのでしょう。背の高さなのか、耐久力なのか、跳躍力なのか、加速力なのか、体幹の強靭さなのか、反射神経なのか、胸板の厚さなのか、体重バランスのコントロールなのか、動体視力なのか、しっかり言い切らないと。ボクシングの場合ははっきりリーチが長いとか、スタミナ面で勝てるとか、打たれ強いとか具体的に認識しているから世界に通用しているのですね。野球もそうですが中継や解説が適切だと見る人の目も肥える。すると若い競技者の意識も高くなる。現役選手も自分の試合や対戦相手の試合のビデオを見るから、視点を学べる、トレーナーも参考になる。で、これらは音楽にも全くあてはまるんですよ。日本には本格的な音楽批評がないから。
 あ、おまけとしてポルトガルやブラジルのサッカー選手をロナウドというのは間違い。Rが始めに来ているからホナウドです。インタビューやファン達の声、中継を聴けば確認出来ます。私がブラジルを回っていた時に、たくさんの人たちに肖像デッサンを描きましたが、もみあげを長くしてリーゼントにした人が、似てるだろ?「ホッケンホー、ホッケンホー」というので何の鳴き声のことかなと思ったらRock and Rollのことでした。エルビスそっくりさんというわけです(笑)。同様にホナウジーニョ、ヒバウド、ホベルト、ヒカルド、ホビーニョ、ホマーリョです。ヒオディジャネイロ、分かりますね?サッカー雑誌記者、解説者、間違いをなおしましょう。

英語読みするならロナルドと言わなきゃ。かつての大統領みたいに。スペイン人が日本のことをハポンと言うのはいいですがヒッポンと言われたらどうですか?
今回のオリンピック中継、以前より良くなって来ているけれど、ルールの解説等まだまだ改善したいですね。もっと多重放送やデータボタンを活かしてほしいです。

前大会の時も書きましたがカーリングで投石したあとの選手の顔をいつまでも超どアップで撮るのはやめにしたほうがいいですね。早く石がどうなったかを上から映すべき。それもごしごしスィープをアップにするんじゃなくて、サークルとの関係で見える構図で映さないと意味が無い。サッカーで言えばフリーキックを蹴った選手のどアップを延々と見せられるのと同じ、早くボールがどうなったか見せてよってわけです。

フィギュアスケートも、音声切り替えで不要な解説無しに出来るようにしてほしい。どの選手もやっている技なのに脅かすような早口で「フライングシットスピン!!」とか聞きたくないです。音楽と現場の音だけで見たい。その美しさが分かるし、振り付けがどういう意図で行われたか、選手が音楽にどう乗せているか心境が伝わって来るはず。むしろ主音声を解説無し、第2音声で解説付きにしてもいいくらいです。日本人の、芸術性の理解力をスポイルしないで欲しい。

★というわけでアスリートではなく「リート」の代表曲「野ばら」ですが、無伴奏でも印象に残るハーモニー感がすごいなと思うのです。
 軽くアナリーゼしてみますと、まず出だしに同音4音Mi・Mi・Mi・Mi(=Terz)を置くことでリズムを定着させると同時に長調であることを提示してから、この音を挟むように上がって下がるライン。(So→Fa・Fa→Mi・Re〜)ハーモニー面で見るとドミナントコードのコードトーン(SolとFaとRe)が経過音でつながっている状態(So-Fa-Mi-Re)。それぞれに倚音をつけて(Sol→Fa・Fa→Mi)Reに着地する。リズム面で見ると2音単位になっています。
提示されたReはドミナントコードのコードトーンであると同時に上主音(Super Tonic)で、最近のお手軽な理論本ではただ第2音というわけですが、すぐ下の主音に下がって安定したいという性質を持っているのです。そしてこれを受ける句が来ることを予想させます。
 受ける句は下がらず上昇して行き、上の主音に解決して一段落になる(Re→Re・Mi→Fa・Sol〜↑Do)。
この時に冒頭で置いた4つの音が生きて来る。ここがRe・Re・Re・ReではなくRe・Re・Mi・Faと2つ続いた後に上がって行くので次に来る音に期待がかかるわけです。
 次に来たSolはいったん伸びてジャンプ台のようになって上の主音に跳躍します。
このSolは第5音で支配音(Dominant Note)であると同時に主和音のコードトーン(Quinte)でもあります。どっちのつもりかは伴奏の和音が鳴れば明白ですが、4度進行で跳んで主音に帰るという動きをすると(Sol↑Do)戻った、安定したことを示します。ベースラインでよくこの動きが使われますが、思い切ってメロディーでこれを使っているのですね。しかもその前に上がって来てますから。
ちょうどスノーボードの競技ハーフパイプみたいに斜面を滑り降りてボトムから勢いよく駆け上ってジャンプするのに似ています。
 和声としてはRe・Re・Mi・Fa・So〜lFa→Miと下がって解決するのもありですが、躍動感が不足します。また、この次に冒頭と同じMiから始めたいのでMi続きになってしまう。それで上の主音に行くことで一段落感を出しているのです。
 ここまでシンプルながら、わずかな部分でリズムとハーモニーを提示して品があって覚えやすい、詩も野原の情景を描き、場面設定が完成する、という達人のなせる技になっています。1音1音に意思があるのですね。昨今の凡庸なポップスだとRe・Re・Re・Reをやってしまうでしょう。ぜんぜんぜんぜん、みたいに。
 一段落の後、次に冒頭の同音4音(Mi)が来るが、いったん上がって下がる時のFa音がもうさっきと違って半音高い(Sol→Fis・Fis→Mi・Re〜)。ここが私が影響受けたポイントです。
ハーモニーセンスの悪い人が聴くと、間違って歌ったと勘違いしそうですが、このファ#、合唱の世界では「フィ」と呼ぶ音で、ドミナントコードに対する導音(Leading Note)です。もしこれがハ長調(C dur, C Major)でスタートしたとするなら第5音Solの世界すなわちト長調(G dur, G major)に転調したくなるわけです。
「導音」とは通常、半音上の主音に磁石が吸い寄せられるように解決する性質を持っているのです。
イタリア語ではSi→Doのところ。(トニックソルファではTi→DoとかFi→So。なぜシと言わずティと言うか・・は、短調ではGis→A=So#→Laを短いシラブルでSi→Laと歌うためにSiを使いたいから。音階7番目の音はもともとなかったので、ある程度自由に設定出来るのですが、イタリア語で作られたSiをもとにするとSi↑Do、第3音から第4音へもMi↑Faとどちらも母音が i なので、半音上に行く時に– i で統一したいということに。それでFaもFiになるのです。ところが短調のエオリアでは7番目のSoと主音である8番目Laが全音で離れており終始感を出すには半音上げる必要があった。今で言う和声的短音階( Harmonic Minor scale )、または旋律的短音階の上行( Melodic Minor scale- Ascending )ですね。そこでSoをS-iにしたいが、もとのSiと重複してしまう。そこで長調のほうはTi、短調でSiにするというように決まったんですね。以前も書いていますしここでは詳細は割愛します。(ミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージックのドレミの歌を聴きましょう、TiはジャムとパンとTeaで覚えましょうというのが元の歌詞)
で、このフィを成就させるのをドッペル・ドミナンテ(Doppeldominante=Double dominant)と言います。ドミナントに進むドミナントだからです。
 この曲ではFisを下がるラインで組み込んでいるところが大きなポイントです。
こどもの頃聴いたときは、ただ妙な音、エキゾチックと感じましたし、ある程度成長してからはSFのパラレルワールドにスリップする感覚をもち(結果的にこれは正しかった)、またジャズを研究し始めた頃はリディアン・モードになったのか?と思ったものです。
 また、はじめにReに下がったときはすぐ下のDoに行かず上のDoに行ったし、今は変化したFiが来てもすぐ上のSolに行かず下がって来る、というところに単純そうで実はあまのじゃくなアプローチなのですね。
 さてReに着地しても、すでに上主音(Super Tonic)ではなく、属調の音階に移行しているので第5音「Sol」の役割に変化しているのです。
Solは先ほどのように4度上がって主音に行きたがります。(Sol↑Do)
そして行きます。で続く音はDo・Do・Re〜Do、Ti-Do-Re-Mi↓Doと一段落になる。(元の調のまま言うとSo・So・La〜So、Fi→So→La→Ti↓Soにあたる)
これはドッペル・ドミナンテを成就させて、属調での上主音(Super Tonic)に上がって戻る「刺繍音」の動きDo-Re–Doと、導音から戻るTi→Doをつなげ、Do-Re-Do-Ti-Doと新しく設定された主音の上下で刺繍していることになるのです。(モリコーネのガブリエルのオーボエも同じ動き)ところが、ここで止まらずTi→Do→Re→Miと上がって行くところが非凡なのですね。そのあとDoにすとんと解決するのです。ジャズで言えばⅤ7の13th音→主音なので今はそれほど特別なものではありませんが、まだ古典主義の残っている時代のことです。
私はこのMi→Doはふたつの意味を持っていると思います。もとの調で言うとSol→La→Tiと上がって来た音にあたるので、導音として元のDoに引き戻されそうになるので、違うもんね〜と断ち切って、今向かおうとしている属調の主音に折り返しているのだと思います。
もうひとつは伴奏をよく見ると低音が属調の主音に行っておらず、属調の平行短調の主音La(ⅵ)に行っています。ハ長調(C dur)スタートで言うなら属調ト長調(G dur)の平行短調でホ短調(e Moll)です。コードで言えばEmになります。Cから数えたⅢm(トーニカゲーゲンクランク,Tonikagegenklang)ではなくGから見たⅥmなのです(ドミナントパラレーレDominantparallele)。
 日本の理論本には書いてありませんが、こういうのを「対和音」といいます。ポップスやジャズと違う点でクラシックの格調高い和声のとらえかたです。というか歴史的には先にこれがあったのですが、どのコードにも7thをつけるようになったり、7つの音階和音を並列的に考えファンクションを薄める傾向等のせいか、英語系大衆音楽には受け継がれなかったのでしょう。
とにかくこれによってMi→Doはマイナーコードの5th→3rd(kleine Terz) すなわちDo→Laというつながりに読み替えられ、一瞬だけ悲しげな趣が出ます。ここは歌詞が2番で野バラが自分を折ろうとしている少年に私を忘れないように刺しますよというところで、denkst an michの部分、3番では少年には痛みも効かずのdoch kein Weh und Achの部分にあたるのでほんのわずかだけ翳りが隠されているのです。
こういう工夫で伴奏無しでも転調を感じさせる効果が出ているだけでなく、伴奏がつくことで隠された別の意味が現れるというところに影響を受けているのです。

このあとはDo–Mi–Re–Do→Ti–La–Si–La→Fa〜Ti→Doと一段落になります。
これは属調になったことを強調しているのですね。ここの骨格は属調の主音Do、下属和音コードトーン3rd(Terz)のLa、ドミナントのトライトーン、属調の主音への解決になってます。
それでDo–Mi–Re–DoはコードトーンTerzに行って経過して戻る、私が「見返り型音型」と呼んでいるもの。続くLaに対しては上下からの倚音で刺繍するようになっていますが、上からはTi↓Laの全音(Scale width)で、下からの倚音はSol↑LaではなくSi(So#)↑Laとなっているのが注意点です。これはLaに対して一時的に導音になって半音で引き寄せられている。だからひらひらと滑らかな流れを印象づけるのですね。
そして、Laは先ほど書いた属調の平行短調の主音でもあります(Dominantparallele)。さっきは伴奏の低音で鳴った根音が今度は旋律の方で現れているのですね。ところが逆に今度は低音がⅣを鳴らしているためマイナーコードではなく属調での下属和音として響くのです。
ここで、もう一点クラシックの和音でよく使われる和音がメジャーコードでの6thです。三和音で単純すぎると感じるとき、ジャズ系ではやたら△7、ポップス系ではadd9にしがちですが、付加6和音にするのですね。特に下属和音(Sub Dominant)の時。少し曖昧な性質になります。するとFa,La,Do,Reなのですが転回するとRe,Fa,La,DoになりⅡm7と同じになります。これがⅡmのファンクションがサブドミナントとするいわれなんですね。そしてこれは下属調では平行短調Ⅵmにあたります(Subdominantparallele)。
市販の「なんちゃって理論書」では書いてありません。
しかも、ここでは伴奏が6thを入れて5thは省いて三和音なので、もろにⅡmの第1転回(erste Umkehrung=Sextaakord)になっています。その結果Si↑Laはマイナーコードの5th(Quinte)に半音倚音(Chromatic Lower Neighbor tone)で接近しているわけです。つまり旋律はⅵに解決したかのようでバスがⅣ、だが付加6でⅡmの転回型ということでぼかしてあるのです。
これによってLaに導かれながらもそれほど悲しげではなくひらひらのスラローム感だけを演出し、続くトライトーンへのジャンプ台となっているのです。
さらに低音はその前の属和音(属調での主和音)も第1転回でⅢが来ているため、Mi→Faと半音で吸い寄せられているのです。
このように単純そうであまのじゃくな工夫があって微妙な色彩を含んでいるのが、200年も世界中で歌い継がれる秘密なのですね。
 続くFa〜Ti→Doでやっとストレートな属調主音へ解決する一段落感が印象を残します。Fa,Tiはトライトーン(トリトヌス)という関係で1オクターヴを半分に割ったようなインターバル。FaからTiへは増4度(übermäßige Quarte)TiからFaへは減5度(verminderte Quinte)ですが、どちらも全音に置き換えると3つ分で等距離関係にあります。
 教会音楽を中心に発達して来た西洋音楽において、このインターバルは悪魔の音程(ディアボロ)として延ばすことを禁じられました。もともと西洋の音階は古代ギリシャから受け継がれたもので、一本の弦を半分、その半分、または1/3、というような整数比で得られる音程から構築されて行きました。この整数比で得られる純粋な響きを神に見立て、これに不協和を成すものを悪魔と見立てたわけです。詳しくはここでは述べませんが、ピュタゴラス音階や純正律、平均律についてはたくさん研究があって本もたくさん出ています。
それでFaは半音下のMiに引き寄せられ(Plagal Cadence、アーメン終始)Tiは先ほど書いたように半音上の主音Doに導かれます。この2つが成就するとDo&Miが完成して安定します。これがドミナントモーション=ケーデンス(der Kadenz)です。そのためこのトライトーンは悪魔であってもあえて使うわけです。神の力で正されるような感じ。古典でドミナントコードだけはFaの7thを入れた4和音(Septakkord)にしていたのはこの解決を使うためです。だから昨今の理論書でただⅤがⅠにと塊でしか書いていないのは片手落ちで、日本人がハーモニーを理解出来ない大きな要因になっているのです。
 それで野バラではここのFa〜Ti→Doによってはじめてストレートな音使いで伴奏もRootを弾いているという状態になります。さて、このあとどうやって元の調に戻るのでしょう。それはまたの機会に!

これも先日の雪の時に家のすぐ近くで撮った写真です。もう溶けましたが冬期オリンピックの話題にあわせて。。
↑これも先日の雪の時に家のすぐ近くで撮った写真です。もう溶けましたが冬期オリンピックの話題にあいますので。



★さてさて、冬のオリンピック盛り上がってますね!
前回ソチからもう4年。テレビで見る側は「ア、もう?」っていう印象の方が多いと思います。テレビ映像がデジタルになって、雪景色と鮮やかなユニフォーム、華麗なジャンプや回転の技、が新鮮に映ったからでしょう。
私はこの雪のスポーツで応援する女性選手が2人居ます。
★一人はスノーボードアルペンの竹内智香選手!ソチでは銀メダル、その前の世界選手権では優勝している。尊敬しています。
このところ海外の転戦先で体調を崩しているようですが、きっと復活して活躍してくれると祈っています。
まだスノーボードが日本では認知度も低かった頃から活躍して、今回五輪4回めのベテラン。
日本での練習環境や評価基準が整っていなかったことを不満に思い、海外強豪チームの練習に合流しようと奔走、当然その国では練習メニューや技、器具の情報などが漏れますから断られましたが、スイスチームにだけは熱意が認められて入れました。
英語は話せたそうですが、より密接に、仲間として認めてもらい評価してもらう為にドイツ語を勉強して習得したということです。私は音楽のために勉強しているわけですが、本当に文法が難しく、聞き取るのも大変。それを現地で覚えてしまうなんてすごい。
また、日本国内でもこの種目を普及する為に奔走。たしかに、スキーがヨーロッパで雪国の生活必需品として発達して歴史も種目も多いのに対し、スノーボードはサーフィン文化から陸上の練習用としてスケートボード、そして雪上でと移行したわけで、スキーより低い存在として認識されることが多い。スキー優先でライセンスをとらないと滑らせてもらえないゲレンデとか多かったし、未だに全面滑走禁止のところもあるぐらいだから。
 私はスキーはトラウマがあるのでやりませんが、かなり前にジャズ研OB会で企画があってスキー宿で演奏こみの合宿があり、スノーボードを体験程度やってみました。私はこどもの頃、体操部だったのもあり、スケートボード上で逆立ちして坂を降りたり、自分はジャンプして棒を飛び越えて再び走っているボードの上に着地するとか、情報が無く映像も見たこと無いのにドッグウォークにスピン等、それなりにバランス感覚はありました。でもスノボは雪上のでこぼこがダイレクトに足に来るし、常に斜面で動き出してしまうのですごく難しかったです。ステッキを使わないからむしろスキーより技術を要するし、危険度も高いと思いました。(これで高速でスラロームとかジャンプとか信じられん!)
 竹内選手は北海道出身ながら広島でもイベントを企画したりガス会社とエンドースしたり。さらにスイスの仲間とスノーボードのブランドを立ち上げて、ご自分でデザインした製品も出しています。きっと体格の違う日本人にあうシェイプ等工夫があるのでしょうね。
一流アスリートとしてだけでなく、社会人としても、ビジネスマンとしても高い能力、コミュニケーション術も持っていてあこがれます。もうひとつ、スキーに対するスノーボード、強豪国に対して環境の不十分さ、男性選手に対して女性選手という、マイノリティ側からの反逆的立場という面や、スイスで信頼を得ながらもやはり日本チームで出場しなければという決断や、普及の為の活動や広報というアカデミック側の活動もするという、相反するかのような立場の活動を同時にやりとげているところがすごいなと思うのです。下克上をしようとしているサムライがお殿様の為にも働かなければいけない的な、またはヤマアラシのジレンマ的な。自分も教員の立場だった時に、革新的なこととアカデミックなこととか、こういうことによく出くわしましたし、今もクラシックとジャズとか、芸術的音楽と商業的音楽、緻密に楽譜でコントロールするアレンジと即興性、など相反する要素のバランスをとらなければいけないことが多いので、葛藤が想像出来るのです。
というわけで毎回正座して観戦してますが、天候で試合日程が延期になって、テレビ放映がまだかまだかと過ごしていて、アルペンと書いてあるので見てみるとスキーだけだったり、スノーボードと書いてあってもクロスだったり、情報が分かりにくいけれど、たぶん26日になったのだと思います。宿敵で親友のクンマーを破れるか?みなさん応援しましょう!

★もう一人はアイスホッケーのゴールキーパー、藤本那菜選手です。
日本ではマイナーなスポーツで、かつ防具やヘルメットでほとんどお顔が見えないため、あまり知名度がありませんが、素晴らしい選手。氷上の格闘技と呼ばれる激しいスポーツで大柄な海外選手が怒涛に攻撃して来る中、小柄なのに瞬発力と勘でゴールを守ります。自分は以前柔道をやっていて、本当に「柔よく剛を制する」は可能なのか?といつも自問自答していたので、すごいな〜と思います。この人も日本の環境だけではダメと、アメリカでスタートしたプロリーグチームNWHL(National Women's Hockey League) のトライアウトに応募して合格、ニューヨークのチームにはいって活躍しました。チームの選手達と共同生活したり、男性チームの練習に混ぜてもらったり切磋琢磨して、世界選手権でセーブ率の高さからベストGK賞もとっている実力です。
オールスターゲームにも抜擢され勝利しています。体が小さければゴールとの隙間が広くなって不利なのに、判断力と動体視力が素晴らしいのでしょう。アイスホッケーではgoaltenderと言うみたいです。
 今回は予選でスェーデン戦で1:2で負けてしまい、さらに強豪のスイス戦は1:3で破れてしまいました。
こちらが数的有利の「パワープレイ」の時間帯に得点出来ず、相手のパワープレイ(自分たちはキルプレー)では入れられてしまいました。スイスのゴールテンダーは前回大会MVPの大きなフローレンス・シェリング選手が守っており、38本シュート中1本しか決められませんでした。日本は前の試合の反則からFW浮田選手が欠場して決定力にかけていたが、スイスはFWザラ・ベンツが2本決めています。選手は試合続行中に次々交代して行くのですが、そのタイミングでスキが生じます。審判がパックを落として取り合う「フェイスオフ」でもとれる率が低いですね。体格で劣る場合、かつてのサッカー女子みたいに、相手を上回る何かが必要だと思うのですが・・。
 残念ながら決勝ラウンドには進出出来ませんでしたが、韓国・北朝鮮合同チーム戦では4:1で勝ちました。藤本選手は、格下相手だからか休ませる為か出場せず、でもチームは勝ちました。まだ順位決定戦があるのですが日程や経過が一切報道されません。残念。衛星放送は見れないし、テレビでやらなければ、あとでネット動画で探すしかないのかな。

お2人とも成し遂げようとしている分野でまわりに充分な環境が整っていないため、本場にアプローチして、語学も習得して技量を高めて切り開いて行く、それを日本に還元するというところが共通しています。

私のチャレンジしていることにもつながるので、共感出来ますし、尊敬しちゃう。自分の場合スポーツではなくジャズとクラシックのはざまをシームレスにするアプローチ、さらに被災地でも演奏出来るよう電気を使わない木管楽器を中心とした合奏で追求、という他にやっている人がほとんど居なくて、かつ専門家を納得させながらも一般の人に広めるということに挑戦していますし、行動力や語学力、精神力など参考にしなければと思います。この人たちのような国際的な活躍やオフィシャル団体の肩書きはありませんが、まあmp3ドットコムで試聴数が世界2位になったり、全国手作りコンテストの演奏で優勝したりはしていますが・・現在はウィーンの音楽家に作品を渡したりメールはしています。まだまだクオリティを高めて、Youtubeなどで世界に反応をあおがなければと思っています。

というわけで、このお二人は強い意思と努力をすればできるんだというお手本なので、励まされるのです。

 Oookey dokey, 大〜きいドキドキ, そういうわけで最後まで読んで頂き「あいがとさげもした」。「リート」「アスリート」も高いレベルのものを勉強して自分を高めたいと思います。まだ寒い日が続きますが・・みなん衆、風邪ば引かんようきばいもんせ!   
       2017年2月19日 記

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↓ 前回の内容です。

 

 

 

★秋にはウィーンから毎年訪れてくださる木管五重奏団の演奏がとても勉強になりました。私はギタリストですが、いざ電気のない状況、被災地等では音量的にほんの少人数にしか聴かせられないという楽器の特性なので、管楽器のアンサンブルを研究しています。管楽器なら完全にアコースティックで表現が出来る。ところがこの編成でジャズやブラジル音楽などやっている人たちは世界にほとんどいません。ドラムとベースを入れずに可能なのか?ジャズの和声をやるには5声は必要なので難しい。サックス5重奏では時々あるようですが。今年の演奏曲ではモーツァルト等クラシック曲以外に「チコチコ」「メイプルリーフ・ラグ」などリズミカルな曲もあり、編曲が参考になりました。

 この人たちと今年も交流を持つことができてクラリネットとファゴットの二重奏曲を作って献呈したり、ドイツ語でメールをしたりしています。首席奏者や音楽大学の教授もいます。

 

★毎年恒例で美大の芸術祭で弾き語りライブをしました。「Just Way You Are」など。研究室に自家製の梅酒や杜仲茶を提供したり。

 

★図書館で音楽構造の専門書や語学の本を取り寄せて勉強したり。国会図書館にしかない本も取り寄せられますが、来るまで何週間もかかり、持ち出せないのが難点。しかしなかなか情報の無いトロカイオス、ダクテュロスなどのメートゥルム(古代言語からドイツ語等に受け継がれたメロディーのリズム単位)について調べたりできました。自分では独自に作曲やアドリブの構成要素として音型を分類していましたが、やはり古代の人も形式を分類して叙事詩や旋律に使っていて、それがクラシック音楽に受け継がれていたと分かりました。ゲーテやシラーもこれを踏み台にしており、ベートーベンやシューベルトもそれを曲に使っているわけですね。まあ、君の味方だよ〜、幾千のォ〜、会いたいぃ、をコピペするちぇ〜ポップとは次元が違いますね。

 

★一方ドイツ語能力はなかなか深まらなくて、安全策的に英語も勉強。テレビの洋画やドラマなどの音声を切り替えて聞き取れるかやったり。英語で書いた分をドイツ語に翻訳したりその逆をやったり。古本で受験英語の参考書を入手しておさらいしたり。

年末に他の市の図書館も広域利用で登録して文法解説書や会話例などCD付きでたくさん借りられました。

 

★音楽実技面ではゴダン・ギターをハープチューニングにしたり。

変則チューニングで何通りか構築してます。「モザイク」「ナッシュビルⅡ」など編み出しましたが、弦によってオクターブを変えるにはゲージも変えなければいけませんから何度も張り替えて、調も替えて実験するので大変。ネックに妙な負担がかからず、弾きやすさも考慮したり。これで対位法はやりやすくなるけれど、ジャズ的なアドリブは難しくなる。いずれアイバニーズの7弦に応用しようという計画です。

 

★紅葉の変化を定点観測で撮影したり。(これは綺麗に撮れているので、動画として連結したりして後日Neighbor Nature Everのコーナーにアップロードします。以前これを分解写真のように年賀状にプリントしたら好評でした。iPadの導入であらためて美しい自然の変化を観察・撮影しました。)

 

★日常的には資料用にクラシックを中心にジャズ、民族音楽と語学をインターネットでMacに毎日録音して曲目や作曲者データの編集。テレビは放送大学の語学、音響と大脳生理学との授業、芸術論、錯覚や記憶に関して心理学、等を録画してかいつまんで勉強。

 

★ギターや作曲法、即興理論とエクササイズの教則本原稿を書き進めています。pdfでネット販売か、レーザープリンターを導入して自分で印刷・製本するか?・・

 

★鉢植えで育てているハーブ・が元気なくなっちゃった。

秋にいったん元気がなくなって葉っぱがしょぼしょぼしていた後、復活してみずみずしい葉っぱも増えて来ていて安心していたんだけど、上記のいろいろなことやっているうちに、しなしなのカサカサになっちゃった。庭の木や公園の木は落葉樹以外いつも元気なので木ッてすごいなー、この寒さの中風にさらされても、雨を浴びても大丈夫なんだなすごいな〜強いな〜という印象をもっていたので大丈夫と思っていたのですね。・・ごめんなさい。

そりゃそうだ、最近は氷点下になってますので。夜帰って来て懐中電灯あてると地面がキラキラ光ってきれいだけど。朝なんか車の屋根とフロントガラスが真っ白になっている時がある。家の中も寒いので冬物だしてきたり寝袋など自分が凍えないよう対応策やっていたら、わっさわっさに茂ってたミントもあっという間に枯れかかっちゃって、しまった!

今は室内に入れて簡易ビニールハウス的な状態にして養生してます。さらに夜には不織布をかけてます。

春に復活するかな?いい香りはしているので。

 

★昨日パンク修理しました。おとといの夜イオンモールの駐車場に止めて食糧買って戻ったら、左前タイヤがぺちゃんこになってました。んがックク。スペアに替えて自走して帰り、今日までのタイヤ館でぎりぎり修理して前後のリプレイスもしました。どうも釘が刺さったようで。ああ〜もうこんなのでいちいちブレーキがかかるんだ。

 

★あとは体力トレーニングで、走ったり腕立て、シャドウボクシング、体幹トレなど。腹筋の時もジーブン・ウント・ツヴァンツィヒ、アハト・ウント・ツヴァンツィヒ・・とドイツ語で数えるようにして頭と体と同時トレしてます(笑)。でもシューズがぼろぼろで、ジャージもまともなものがないので重ね着を工夫したり最近は手袋して。準備に手間がかかるとおっくうになりがち。

 

★Ohkiii〜Dooooki、それではまだこのあと年賀状作業に掃除、除夜の鐘付きと石仏周りするので、このあたりで。あ、年越しそばはさっきゆでて食べましたよ。野菜と豆腐もゆでて。

それではみなのもの、良いお年を。

 

            2017年12月31日  記

 

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以前アップした内容です。↓

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★オリンピック前に盗作予防
2016年8月3日

久しぶりの更新です。ハードディスクのOSのインストールしなおし、導入したパソコンへの移行、故障ハードディスクからのサルベージなどで時間がかかってしまいました。常にインターネット・ラジオを40時間ほど録音しながらドイツ語、ポルトガル語を勉強して、作曲、練習、ギター教室、さらに夜明け前と夕方にヒグラシの鳴き声などのフィールド・レコーディングにでかけるといった毎日で、なかなか新しいMac環境が完成しませんでした。でもオリンピックにむけてあらかじめアップしておいた方がいいと思うことがあるので、取り急ぎ更新いたします。
★熊本の地震についていろいろ書いたのですが、別コーナーで後日アップいたします。

★さて完全に夏ですが、もうすぐ開催されるリオのオリンピック・パラリンピックのオープニング、開会式でまた私のアイディアが無断借用されないか心配になったので、あらかじめアップしておきます。
 どういうことかというと、かつてカナダの国際的なパフォーマンス団体に入団するため、モントリオールや国際便でさまざまな資料を提出したのですが、大きな大会で「無断で使われて」しまったのです。オリンピックの閉会式、ワールドカップの開会式、彼らの音楽イベントで舞台で行われるパフォーマンスとして、など。もちろん連絡も無く、使用料どころか発案者の私の名前も出ません。
提出したのは上や右の図のようなカラーのパフォーマンス図と英語で解説をつけた図といったアイディア集のポートフォリオです。1999年に書いたものです。
この中から舞台装置や演技方法をそのまま使用されてしまいました。
しかも私の提案より劣化した状態で。
 それで、今回、もうここでいくつか公開してしまおうと思いました。ポートフォリアにはまだたくさんのアイディアを入れてありましたので。
もしリオのオリンピック・パラリンピック開会式(&閉会式)の中で以下のものに酷似したものが出て来たら「あ、能勢さんのアイディアまた無断使用されたんだ」と認識してください。
また、世界がほしがるアイディアの宝庫というわけですから、何か依頼したいことがあれば、ご相談ください。
★まずスーパーホッピングです。
これはこどもが遊ぶ、バネ付きの棒「ホッピング」を強化して高く飛べるようにして、アクロバットを含むダンスを展開するというものです。

金属の棒に手で捕まるT字の横棒と、足を乗せる踏み台で、これがバネで上下するようになっていて、ピョンピョン飛ぶ、あれです。これの跳躍力を スーパー高めるため、スプリングの素材、太さ、巻き数を工夫します。自動車やMTBのサスペンションなどで発達した技術を応用します。訓練したアスリート が使えばかなり高く飛べるでしょう。
もちろんパフォーマーの体格、体重に合わせて調整するわけです。考案した技として、
★ジャンプしている間にスティックを水平に1回転させてまたホールドして着地します。
★ジャンプしている間に手を離して両手両足でポーズをとり、またホールドして着地します。
★2人のパフォーマーが高く飛んで空中でお互いのスティックをいれかえます。
★ジャンプしている間に自分のスティックを時計の針のように大きく1回転させてもとの位置に戻して着地します。(ロックヴォーカリストがマイクスタンドを振り回すように。)さらに
訓練すればスティックと一緒に空中回転も可能でしょう。(スノーボードのように)★ハンドルのT字部分の上に逆立ちします。

★このイクイップメントですが、設置面となる接点はエラストマーを使用します。舞台床に付く傷や負担を減らす為です。
また、おおまかにふたつのタイプを設定します。もう一方はストロークが長く、深く踏み込んで高く飛べるタイプで、バレーボールでアタッカーと同じような跳躍動作です。スプリングのストロークが長く、ちょうどトランポリンで深く沈んだのが戻るのにあわせて加速して飛びます。空気圧のシリンダーを本体に組み込んでもいいでしょう。体重のあるパフォーマーが適しています。あまり小気味好い動作には向いていないでしょうけれど、演技中で大きく飛ぶ役に割り当てます。

 

スケートボードなどストリートのエクストリームスポーツに興じている人にある期間与えれば次々あたらしい技も生まれるでしょう。
★私の考案はたんに高く飛ぶ、危険な技を披露するというだけではなく、音楽に合わせ、バレーのように格調高く舞うところにあります。シンクロナイズド・スイミングやマオリ族の「ハカ」にも敬意を表したいです。
例えば9人で細かく飛んだりスピンしたりする中で4小節ごとの旋律の切れ目に全員が片手と視線で右をさすとか。3人ずつのグループで特徴のある、違う振りを割当て、舞台で小刻みなジャンプで行進して行き、すれ違うとか。ヴァイオリンのレガートなメロディーにあわせ、ジャンプせずに傾けたスティックで旋回するとか。コレオグラフですね。そうした演舞のなかに大技を入れます。
★飛ぶだけでなく、地面の上でいろいろな演技もできます。
例えばスティックを斜めに倒してT字ハンドルの端を片手で持ってもう一歩の手は伸ばしてバランスをとる。傾いたスティックに斜めに乗っている状態です。これを全員でぴたっとそろえる。観客の目が上下動に慣れている時に静止するのは効果があります。
ここで延ばした方の手を別のパフォーマーとつなげばさらにバランスとれます。
また、踏み台に片足を乗せ、別のスティックにもういっぽうの足を乗せてバランスをとり、肩に一人が乗っかって立ち、組体操のようにもできます。そこから飛び降りる時にまたスティックの踏み台に着地するとか。アメリカで発達したチアリーディングのパフォーマンスの技術も取り入れられます。
たんにアクロバットだけでなく、優雅でエキゾチックなダンスを見せるところが特徴なのです。
途中で音楽が止まり、実際のスプリング音や着地音を聴かせたりもします。そこに生声で歌って、ある種、儀式のような空間も演出します。
★また、ストーリー性を持たせて、演劇的な構成にすることも出来ます。例えばパフォーマーがホッピングを担いで歩いて来て、パントマイムでお互いに自分のスティック自慢をする。オレの方が高く飛べる、オレのほうが素早くできる、みたいな競い合いから仲間が出て来て、次々技を繰り出す。まあ、バトルものミュージカルのように展開するわけですね。
 あるいは特別な「伝説のスティック」があって、通常のジャンパーでは反応しない。それが物語のある状態でヒーローが可能にする。(そのときとっておきの技を繰り出して盛り上げていくわけです。)
 またはラヴェルの「ボレロ」のオマージュとして、酒場のようなところでホッピング・スティックがいくつもころがっていて、なんだこれは?と。いろんな人がいじってみるが、興味なく放置される。そこに主人公がきて、ジャンプし始める。いろいろな演技をするうちみなも興味持ってそれぞれのスティックで飛び始める。中央の主人公がやる技を円形のみんなもとりいれて、壮大な演舞となって行く。
 または、女性パフォーマが出て来てかわいらしく飛んでいる。それを口説く男性ジャンパー(もちろんパントマイムで)。これは衣装等で妖精の世界か神話をモチーフにしたロマン派のような演出です。別の男性ジャンパーがきて口説く。お互いにどちらが女性を魅了するか、さまざまな技を競い合う。そこに馬のような異形のかぶり物をした登場人物。娘に肩に乗るよう身振りで伝える。娘が肩に乗るとそのままスティックでジャンプする。娘が大喜びしているとかぶり物がユニコーンの姿に変わって、そのまま娘を乗せて舞台から去ってしまう。残された男性ジャンパーはきょと〜んとして見送る。など・・。
いくらでも思いつきます。
これをメイン演目でなく、他の演目の合間にショートストーリーとして登場させてもいいわけです。

いかが?見てみたくない?
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★次に「不思議な音楽隊」です。
これは、音の出るしくみを使っていろいろなオリジナリティーのある楽器・音具を使って合奏するものです。
もちろん、ただ変わった音具を鳴らすというのではなく、図にありますように、訓練された体術に寄って演奏します。
★そのひとつで、ウォーター・シロフォン

瓶に水を入れ、マレットで打楽器として叩きます。これ自体は、昔からあるものですが、円形に並べて、通常届かないような方向もコントーションで、届かせます。
コントーションというのは、昔からある体の柔軟性で魅了する演目です。この信じられないポーズで、ガムランのような演奏をするわけです。一部マレットを持ち替え、ガラスならではのきらびやかな音も使います。
綱渡りによるコントラバス

私が普段演奏するメイン楽器はギターですが、弦楽器は、弦の長さと太さ(材質・質量)で音程が変わります。指で弦の途中を押さえると振動する長さがそこまでということで音程は高くなるわけです。そして弓でこすればヴァイオリンやチェロのような擦弦楽器、つま弾けばギターのような撥弦楽器、叩けばピアノのようになります。この原理を使い、綱渡りによって音程を決めて、その綱を弦として叩きます。それほど大きくはないセットで、綱の端は共鳴する箱の駒(ブリッジ)上を通ってから固定されています。高所でのタイトロープのスリルではなく、目の前でバランスをとって舞い、音程を変えるというところに主眼を置きます。

綱の上を素早く移動して、もう一人が鳴らします。綱のたわみを利用して軽く飛ぶと「開放」の音程になり、低くなります。もちろん大きなもので低い音ですから、通常のメロディーを素早く演奏するのは困難ですが、ジョン・ケージ的なアプローチの楽曲を設定します。また、訓練すれば、1/2、1/3、1/4といった地点で軽く足を浮かせて「ハーモニクス」という倍音を出せるかもしれません。

 私はブラジルの民族楽器「ビリンバウ」を持っていますが、これは弓のような形をしていて、金属の弦に石を押し付けて音程を替え、若干しなる木の棒で小刻みに叩き、ひょうたんの共鳴を使います。手にはカシシというシェイカーを持って同時に鳴らします。

 こうした、エキゾチックな音色ででリズムに重点を置いた演奏を取り入れるのです。また、隣に別の長さでもうひとセット設置して2人のコンビネーションによってメロディーやリフの種類は増やせます。このコンビネーションはアンデスのフォルクローレで、「シーク(サンポーニャ)」を吹く2人が息を吹き込むタイミングと選ぶ筒を変えることで、つながった旋律のように聴かせる手法を参考にシークエンスを作ります。例えばドレミレドと鳴らすにはひとりがをダウンビートで吹き、の担当の人はアップビート(裏拍)でド・ミの間のリズムで吹きます。すると、と・が組み合わさってとつながるのです。もちろん延ばす音や休符でもっと複雑になりますが。

私はかつてアイマラ族の来日公演を見に行きましたが、スペインに侵略されてギターやチャランゴといった弦楽器が入る前の伝統楽曲を演奏する際、この手法をたくみにあやつって倍音を含む低い音を大きく出していました。しかもボンボという大太鼓を叩きながらです。
 私のアイディアは現代美術的な印象を持たれると思いますが、スピリットは「土」に根ざした、古来からの文化をリスペクトしているのです。

スティール・パンをヨーヨーで叩きます

左の図のように球面内側のようにセットしたパンをヨーヨーを操って当てることで鳴らします。

2人が背中合わせ、向きを変えて方向を変えながら、先ほど説明したようなリズムコンビネーションを利用して、ミニマルミュージックのような音楽を奏でます。

 

★竹の空中シロフォン

2人がジャグリングのように筒を投げて交換しますが、それを空中で衝突させると音がします。これを利用して奏でます。

もちろん跳ね返ったものをキャッ チしなくてはいけませんから、訓練が必要です。タイミング、角度。手で持ったり支持体に固定しませんから、振動は阻害されず、さらに空中を移動しますので独特の音がします。

訓練次第で、手元に飛んで来た筒を、持っている筒ではじき返して飛ばせると思います。この時にも音がします。
材質と肉厚で音程を替えます。竹を切っただけの筒でも肉厚で密度があるとよく響きます。実物のシロフォンのように筒の中程を少し削ることで振動しやすくしたり音程を調節します。もちろん長さや太さを変えればかなり変えられますが、衝突のコントロールが難しくなりますので、サイズの違うものの場合はセットを持ち替えたり、別のコンビが担当します。

 

 

★次にストンプ・オルガンです。

空気で鳴らす鍵盤楽器には、教会のオルガンが古くからあります。小型で持ち運べるアコーディオン、バンドネオンなどがありますが、「ふいご」を足で踏むことで空気を送り込む楽器を考案しました。ハーモニカやアコーディオンと同様、鍵盤一つずつにフリーリードがついていて空気で振動して音が出ます。肩からかけた鍵盤を踊りながら足踏みポンプで空気を送って演奏するわけです。両手で演奏出来ます。
メロディカとか鍵盤ハーモニカとか手軽な製品もありますが、和音や低音を鳴らすにはかなり空気の勢いと量が必要です。とても口から送り続けるのは無理なので、足下のふいごを踏むと送られるようにしています。無いようにあわせたステップを踏んで踊るように弾きます。電気を使わずあくまでもアナログで。

★こうした楽器・音具群をあやつって、ちょっとボッシュの絵にでてきそうな奇妙なオーケストラというアイディアです。
もちろん私は音楽家ですので、作曲出来ます。エキゾチックで無国籍な博覧会的な曲です。
ヨーロッパの古楽的なイメージ、ミニマル・ミュージック、ジョン・ケージ的な通常音階でない音の組み合わせ、ピグミー族の輪唱、それらをあわせた、ネオ・ワールドミュージックのようなものです。
 パフォーマーの錬度にあわせて、それが出来るようになったのならこういう曲もできるはず、と作・編曲出来るわけです。

他にもいろいろアイディアがありますが、長くなりますので、このへんで。夜にまた追加しようと思います。 能勢

続きです・2016年8月3日 記

★あとバウンシング・クラッカーです。

昔クラッカーボールってありました。ふたつのプラスティックの球体を紐で吊るしてあり、タイミングよく上下に振るとお互いにぶつかって反発して、また戻って、というおもちゃです。上手になると下だけでなく、上側でもぶつけて倍の早さでカチカチやったりします。

この左の図は、そのクラッカーボールのような球体の振り子の大きなものを作り、人が乗るスリリングなパフオーマンスです。上に乗ったパフォーマーがブランコのように体重でこいで、徐々に大きな振りにして行きます。

もちろん球体はある程度の弾力があるエラストマー物質で衝撃が強すぎないようにしてあります。

見た目にはドーンっとぶつかって跳ね返り、ダイナミックなものになります。上に乗っている人は球の上でくるっと回転したり、ロープから離れて球体の上を歩いたり跳ねたりとパフォーマンスします。衝突の瞬間にお互いに反対の球に飛び移ったりも出来るでしょう。

 

また、下の面にぶら下がれるハンドル(とって)がついていて、別のパフォーマンスが空中ブランコ的な技を披露できます。勢いが出るよう体の振りでこいだり、足をかけて逆さにぶら下がったり、ぶつかる瞬間に反対の球に飛び移ったりします。  

これは、2つの民族、2つの文化が出会う時に反発するが、それを橋渡しする者もあらわれ、理解し合ったり、融合したりするということのメタファーなのです。

2人いるほうの球は質量が大きいので、もう一方をはじき飛ばしてしまいます。その時に体術でコントロールすると、2人乗りの方は衝突した時にほぼ静止出来ると思います。そしてはじかれた球が戻る時に、今度は止まっている方がはじかれる等、バリエーションができると思います。

 

また、ぶら下がっていない球で伝統的な「玉乗り」を登場させ、人員を増減したり、動きのスピードやダイナミズムを対比します。うまく行けば地上の球にも足にかけるフックをつけて、振り子の球にぶら下がって連結出来るかも知れません。

これもエキゾチックで映画音楽のような曲にあわせます。その曲を私が作れるところが、演技とシンクロさせられて、強みなのです。

 

さて、こうしたアイディア集、他に、下からの風で空中に舞う演技、(これは無断使用されました)それを周囲に配したトランポリンや昆虫のような衣装と組み合わせるもの、大きな時計の針をぐるぐる回し、そこに乗った孤独な救済者が支持する民衆の人数によってシーソーのように上下するもの(これは音楽イベントに無断使用されました)などもありますが、今回はこのあたりにしておきます。すべて1999年に書いたものだから17年ぐらい前です。今ならもっといい絵で表現出来ます。

それにしてもどのページにも必ず私の名前とサイン、住所と電話番号を書いていたのに、無視してあちこちで使われました。まあ、スキャンして削除したりしたのでしょうね。佐野られたのですね。しかし原案より劣化した状態で使われるのが余計イヤになります。そうじゃないのに〜という形で。そしてだれか悪いやつのところにお金が流れたんだな、というところがまた悔しい。

 それで、残りのアイディア、どうせ使われるなら、先に公開しておこうというわけです。

以前、フランスの国立サーカス学校でパントマイムを教えていた知人に、このアイディアどうかな、ってお見せしたら、うかつに見せない方がいい、アイディアを盗まれるよ、と真剣に忠告されました。その時はアートパフォーマンスをする人たちにそんな悪い人はいないでしょう、って思っていました。でもいるんですね。そして大きな企業団体になってくると、スカウトマンだけでなく、そういうサノラー要員が世界中でパクってきて組み合わせるのですね。海外の組織は恐いな〜。

 ダ・ヴィンチにはおよばないけれど、私も現代の(プチ)ユマニストとして作曲・演奏だけでなく絵画、オブジェ、アイディア実用品デザイン、ステージデザイン、独自の楽器作り、作曲法や即興理論につながる練習メソッドの考案、と広範囲に取り組んでいたのが、佐野られるのを懸念してエネルギーを音楽だけにフォーカスしていました・・が、こうした能力をもっと公開してもいいかな・・。という気にはなってきました。実はSFめいた小説を少なくとも3つは下書きしてあります。これを映画化または漫画化してくれるスタッフも探してはいますが・・。ネット上でアニメーションとして公開するのも面白いですが、時間がかかるし、お金がない。クラウド・ファウンディングというものを使わせてもらう日がくるかも。

当座は取り組み中の小管弦楽団による室内楽ジャズやボサノヴァの確立をメインにドイツ語の上達、ポルトガル語の上達、ビジネス英語の勉強に集中したいです。

 あそうだ、ン10年、何百と録り貯めて来たヒグラシの鳴き声の発売を緊急におこなわなければ。それもたんなるCDではない形にしようと思っているのですが。これは東北大震災の被災者を支援する為にも使うのです。だれか共同で作業してくれればいいんですけれど・・。

   2016年8月3日 夜  記

 

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ご覧のページはリニューアルしつつあるバージョンです。

  この「冒頭コメント」は次の分に更新したあとは「コラム」のほうに載せることにしました。このメインページに長過ぎる時は短くまとめたショート版にして、コラムコーナーの方にもとのバージョンを載せることもあります。  こちら→コラム  過去に書いた内容から重要なものは新しくコーナーを設けて再録しました。→過去コラム

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↓一昨年秋の内容です。★今だ捜索中なのでこの記事は残しておきます。

もとの詳しい内容はコラムのページで→こちら

 

リュックをなくしてしまいました。残念。

   2015年11月3日 記

オレンジ色に黒のストラップ類で、頑丈なハンドル(持ち手)がついたデイパックをなくしてしまいました。11月25日(日)の夜に小平市鷹の台付近か、あきる野市でなくしたと思うのですが、わかりません。

 

 中に、音楽ノートを3冊入れていました。しかもそのうち1冊はここ2年間ぐらいの、ハーモニーの研究成果を書いた分厚いものです。これが一番くやしい。

 他にはオリンパスの小型デジカメ、ギターにとりつけるカポダスト2個(しかも片方は特殊なパーシャルカポ)。楽譜用の筆記用具類。などなど・・。

 

 もしどなたか拾った方、私に連絡お願いいたします。

こちらです→ generate311-heal○yahoo.co.jp 

○を@に変えてお願いします。迷惑メールに仕分けされないよう件名に私の名前「能勢」と書き添えて頂けると助かります。

 または「お問い合わせ」のコーナーのフォームから送信頂くこともできます。

お近くの交番に届けていただけるのでもありがたいです。

中身をばらばらに散乱して捨てられた可能性もあります。デイパック以外に単体で上記のノートや品々を発見された場合もぜひご連絡お願いいたします。

 

 製品はまたお金を貯めて買うことは出来ますが、音楽ノートを失ったのが悔しい

 もしリュックを拾った人が中身をばらばらに捨てていたとしても、このノートだけでも誰か拾って届けてくれたらいいのに・・と祈っている毎日なのです。

 

   2015年11月3日 記


↑前の内容の写真です。記事はこちら→コラム

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本格コラム

もとはメインページに冒頭コメントとして書いていましたが、時事問題についてなど長文になって来たので、別ページに仕立てました。

このコーナーは私が思うことを書いています。終戦記念日に思うこと、学んだこと、音楽について探求したこと、などなど。かなりの文章量なのでリンク先にアップしてあります。月刊誌か季刊誌ぐらいのつもりでどうぞ。

ソロギターマガジン

ギター1本での表現方法を追求する、演奏例の音源つきWEBマガジンです。(無料)
マル秘の内容てんこもりです。音楽の歴史からメロディーの作り方、コードの換え方、ベースラインに、アドリブ。ギターを弾く方はPCの前にGを構えて、実際 にマネしてみて下さい。音の位置関係がわかります。もしギターでなくピアノを弾く人でも、意外と参考になると思います。クラシックの伝統和声とジャズの コード手法をつなぐようなポジションです。楽器をやらない人も、EXナンバーを順にクリックしていくとmp3音源で、単純なメロディーがだんだん精妙な ハーモニーに変化してジャズテイストに変わっていくのを聴くことが出来ます。

第2号 「経過音~withリハーモナイズ、アンティシペーション~」 

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こちらは個人レッスンで、出張で行っております。まったくの初心者から上級、プロのかたまでどうぞ。ボサノバ、ジャズもOK。1時間2800円からで長時間にも対応可能です。相場を調べて頂ければお分かり頂けると思いますが、格安です。
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Neighbor Nature Ever

「ネイバー・ネイチャー・エヴァー」

身近に有る自然を紹介するコーナーです。

現代の生活ではなかなか日々の自然 の変化を味わうゆとりがありません。私も以前そうでした。忙しくて朝も夜もなく頑張って、気がつくと紅葉は終わって葉が落ちていたり。そこで、主に近所に ある自然の変化をとらえて紹介しようと思います。特別に遠くまで旅行しなくても、意外に美しいものと出会えるものです。
忙しかったり体の状態で外に出て変化を味わえない方、このコーナーで外の空気を想像して楽しんで下さい。

写真をクリックすると拡大されます。