Heal-jam   by SHOJIRO NOSE      music and insight


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レッスンの内容例として・・ 初心者にはコードチェンジを間に合わせる方法やFの克服法★経験者や弾き語り中心の方には切れ味のいいカッティングやハイポジションと開放を混ぜたアルペジオ、★ペンタトニックの手癖から脱却したい人にはコードトーンの位置やDim,Altスケールの覚え方★上級者にはクロマチックとブロークンコードの組み合わせ方やクリシェへの対応法、サブステューテッド・コード等プロ演奏者にはアッパーストラクチャーをレイキング、アウトサイドの様々な技法、2声以上を同時にコントロール★作曲・編曲も深めたい人にはキーボードで和音の転回型,4thBuild,テンションとメロディーの関係,L.I.L.など★ギター独奏研究家には正しいアポヤンドやP指のフォーム、10度,6度の複音、ボトムと旋律の関係、対位法など・・

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追悼ライル・メイズ

新型コロナウィルスと、電気エネルギー、ギフテッド、熱中症

    2020/3月後半〜6月  記 

 前回の続きです。東北震災からの関連でコロナウィルスへの対応について書きます。

 

 罹患されて現在闘病中の方がなんとか回復しますようにお祈りしております。また亡くなった方が御成仏できますように、ご家族の悲しみの癒される日が訪れますように。
現在陰性の方が感染しませんように。
そしてパチンコ中毒者がいなくなりますように。
飲食店や交通関係、観光業・宿泊業など営業に大打撃と思いますし、教育の滞りによって足踏み状態のこどもや学生がモチベーションが失われず学習に復帰出来るよう工夫が必要。
でもいつかは解決します。一番は、時間がかかりますがワクチンと治療薬の開発、それが必要な人に届くこと、充分な治療空間が確保されること。それまでは人々の生活様式の改善、PCR検査の促進が大切です。
そうして医療機関が通常業務に戻り、人々がまた通常に日の下に出られる日が来るはずです。あの太平洋戦争の爆撃の焼け野原の敗戦から復興したのですから。原爆の惨禍から、立ち直ったのですから。
ただ、政府の対応は力量不足すぎます。もっと最悪な状態を想定して、大げさでも対策して、過剰すぎたとしても大きな被害は無いと思います。対策不十分や「遅延」で死人が出るよりはましです。
今地球規模で人間の生き方が問われているのだと思います。
一見新しいウィルスへの対応方法、のようですが、付随して浮かび上がって来る、なおざりにされて来た大切な問題から目をそらしてはいけないのだと思います。
生活に必要なものが自国で作られているか。
政治のシステムこれでいいのか。
モラル・エチケットは強制や教育からでなく個々人の心から育まれているか。
ものの適正な価格設定とは?
情報の透明性は?
科学・医学知識の世界的共有。
個人情報の管理。
貧富の差。
人種問題。
そして職業とは何なのか?
芸術の保護。
経済事態の在り方。
自由と政治との関係。

 

こうしたことに加え組織の長の人間力も問われているように思います。

この新型コロナウィルスについては刻一刻と変化して行っていますが、ほぼ私が3月上旬に予想して書いたとおりになってます。オリンピックが延期になることも。(ちなみに来年でも「完全な形で行う」のは無理と思っています。それこそ選手スタッフだけでなく観客全員が入場時に陽性か陰性か即座に正確に判定できるシステムが開発されなければ。)
 さて、あまりに多岐に渡るので、まず一般的にテレビやネットの話にあまりのぼっていない視点のものや、エネルギー問題との関連で書こうと思うのですが、でもでもその前に、非常に悲しいお知らせがあり、哀悼の意を表したいと思うのです。

 

追悼ライル・メイズ

ライル・メイズ氏が亡くなりました。
とてもショック。寂しい。ご冥福をお祈りします。今年の2月10日に再発性疾患で亡くなったということで新型コロナウィルスが原因ではないようです。
本格的な音楽ファンでなければ知らないかもしれないけれど、ジャズピアニスト、キーボーディスト、作・編曲家で一番の功績はパット・メセニー(ギタリスト・作曲家)の盟友として数々のすばらしい録音、ライブを行ったことです。
何回も見にいきました。
その中でもシンセサイザーをいかにジャズやポップミュージックの中に溶け込ませるかということでたくさんの美しい先例を築き上げたことは大きな業績です。現在耳にするポップミュージック、映画音楽などのコマーシャル・ミュージックにおいて影響を受けていないものは無いのでは?というぐらいなのです。
もちろんシンセ黎明期からハンコックやチック、ヤン・ハマー、ザヴィヌル、スティーヴィーと名手はいるけれども、キーボードの延長やエレキバンドの中でギターやベースの代わりにという役割が大きかった。しかしライルのアプローチはもっとイマジナリーでアンビエントなもので、知的で洗練された中に郷愁感があり、時にどこかの民族楽器を彷彿させるかのような音色でアコースティックなアンサンブルに溶け込ませることも出来たのです。ある意味、私の青春をふりかえる音色とも言えるのです。
一方でそのアコースティック・ピアノではモダンジャズのアカデミックなプレイはもちろんのこと、シンセを使わなくても心理的にアンビエントな演出をもりこんだアドリブというスタイルを作り上げていました。
初期有名曲のピアノソロ部分から→San Lorenzo (1977)
40年以上も前の演奏です。私たちの心の中の情緒空間を広げてくれた、育ててくれたようなプレイです。最後の高音和音がライルのオートハープだったとは!このエンディング和音だけでも泣いちゃう。

彼のリーダー作からClose to Homeのlive音源
初めてライルの演奏を聴いたのはパット・メセニー・グループ初期作品のApril Joy で、ベースのメロディアスなイントロ、平坦な8beatにならないシンコペーションを紡ぎ合わせたリズム表現、素早いフレーズとマイナーフレーズと切ない旋律感、コード感を出す複音フレーズが次々切り替わって行くギター、と4人がシームレスに絡み合った表現に驚きましたが、ライルの弾く追いかけるようなオブリ、オーギュメント和音、ディミニッシュ和音、ピカルディ解決に衝撃を受けました。音域というものに気づかせてくれた演奏でもあります。あたかもこのスタイルのフォーマットがあるかのような完成度・密度ですが、このメンバー、この時代ならではのクリエイティヴなアンサンブルで彼ら自体同様の作風は現れないので私にとってなおのこと特別な曲なのです。

 また、彼はクラシック世界の現代音楽の系譜を継ぐポジションでも実験的な作品に取り組んでいます。
 この人はハービー・ハンコックやチック・コリアなどメインで興行を行うタイプではありません。サポートするミュージシャンの個性と感覚をより高い状態で結晶させるプロデューサー的視点と同時に実際の演奏で素晴らしい音を提供するといったミクロとマクロを両立させるアプローチでした。それだけでなく、さらに新しいテクノロジーを導入してサウンドの広がりやパフォーマンスの方法論も開拓したのです。
いうなればジョージ・マーティンとビル・エヴァンスが融合したような存在にロバート・モーグ(シンセサイザーの開発者)の才能が加わったようなものなのです。
 今では見られる光景ですが、ライブではよく彼のキーボードのかたわらにMacBookが置いてあってソフトが立ち上がっていました。まだ「ソフトシンセ」「プレイバックシンセ」というものが一般化していない時代からですから。彼らのように超高価なシンクラヴィアを世界各地に持ち歩いてライブで使用した人たちも珍しいですが、リアルタイムでコンピューターとシンクロしたり音色として利用した人たちも珍しいでしょう。
 また、数種のキーボードを並べるのは他のキーボーディストも行いますが、ステージにグランドピアノを置いて、そこからMIDI検出してシンセサイザーの音色を部分的に鳴らすということをやっていました。今でも珍しいと思います。やはりいくら技術が進んでも実物のピアノの鍵盤タッチや「胴鳴り」感を大切にしたかったのと、即興的に弾いた和音をシンセ音でも重ねてライブ感を出したかったのでしょう。
どんな最新テクノロジーを使っても出て来る音楽が良くなければ子供騙しですが、彼の場合グランドピアノに置いても「First Circle」など素晴らしいアドリブプレイを聴かせてくれるので、むしろ何か新しい機材を駆使しているな、というのは忘れてしまうのです。
実際メセニーグループで来日時にお忍びでライブハウスでジャズスタンダード中心の演奏会があり、確かECMのファンクラブ等の関係で友人が誘ってくれて見に行きましたが、スリリングで複雑な7連譜フレーズ等をすらすらと弾いていました。
彼をたたえてYoutubeにも分析やトリビュート映像が多数上がっています。その中からひとつ美しいものをあげておきます。
Letter From Home
ライル・メイズについては別の機会に詳しく書きたいと思います。
R.I.P. Lyle
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とにかく今回述べたいことは、能力の低い政治家や官僚がモッタもたしている間にどんどん感染が広がり、死者も増えていること、そして中小企業、自営業が 停止して生活出来なくなり、芸術家も生活が成り立たなくなる。何せ公務員はウィルスが増えても給料は減らないから、1時間、1秒の急を要するということが 理解出来ないのです。だからギフテッドの人たちに協力をお願いして解決策を練ってもらうこと。一日も早く!
 例を挙げましょう。台湾ではオードリー・タン氏(39歳・IQ高すぎて測定不能)が2016年よりデジタル担当政務委員(大臣に相当)に抜擢されていましたが、マスクの在庫を誰もが確認出来て、公平に買えるよう数日でシステムを構築しました。(ちなみに日本のIT担当大臣は79歳・はんこ議連会長)。
eMASKというシステムで、保険証にICチップがついたようなもの(NHIカード)で本人確認が出来て、携帯電話で予約しておいて買える。日本のようにPakaちんが買い占めして高値で転売したりオークションに出品したりということはできない。
台湾では昨年12月のうちに原因不明の肺炎が発生しだした、武漢からだ、ヒトからヒトへの感染もするから危険、という情報をキャッチし、すぐに入国を制限し、感染が広がるのを防いだのです。感染者総数443人、死者7人、回復429人(6/5時点)に押さえている。
メーカー各社にマスク国家チームの結成を要請、1ヶ月半で生産力が13倍になり、安定して供給出来ている。
一方無能なWHOは前回書きましたが1月22日になっても手泥す(わかりますね?)が「パンデミックの危険は無い」「マスクには有効性は無い」などと、お幼稚発信していたのです。もはや「人災」ですね。
★★つまりギフテッドさんが直接大臣になってしまうのが一番手っ取り早いという良い見本です。
そしてこの台湾の実績やノウハウこそWHOが世界に広めるべきだが、台湾はWHOには加入していない。中国寄りの指導者だった時期はオブザーバーとして出 席出来ていたが、独立志向のあるリーダーになってからは圧力がかかっているようで出席を阻まれている。なんと愚かな。手泥す(わかり・・)が大金を寄付してくれるChu〜国に忖度しているのか?という状態。国連と似たりよったりですね。
 日本も中国国家主席の来日会談があるため忖度して中国人の入国規制をためらっていた。この期間に感染していた中国人がたくさん来日し、ウィルスを拡散さ せてしまった。観光や例のバスツアーで蔓延してしまった。もう忖度ではなく損を選択してしまった「損択」ですね。その中国国家主席来日が結局ウィルスで延 期になったとたんに中国からの入国を規制し始めたが時すでにおそし。おそすぎし。恐ろしくおそかりし。
 というわけでこういう低次元のミスを繰り返す高給取りの政治家には任せておけないので、ギフテッドの方々を10人以上募ったり招待して感染拡大の阻止、どうやって感染が再増加しないように制限を緩和して行くかなど具体的な方策を練ってもらうのがいいと思うのです。
 これは、もちろん非営利団体としてです。政治的な権限も授けるわけではありません。(余計な反発を招かないため)いわばシンクタンクです。少なくとも 「あの臨教審」よりはよい導きを与えてくれるでしょう。例えば彼らが専門家会議とやらを30分鑑賞しているだけでも、この集団の問題点が分かるだろうし、 改善策が次々に出て来るはず。ただ、それを指摘したとしても「不要・不(!)のプライド」のために老人たちは受け入れられないだろうからギフテッドの会議は別の場所ないしはリモートで行う。常人はブレーキかけるだけだから。 
 

 ところでeMASKシステムもタン氏ひとりで作り上げたわけではない。トレード・バン・インフォメーション・サービス(関貿網路)という会社で許建隆(発音わかりまへん)氏を中心に50人のチームが編成され、不眠不休体制でOtoO(オ ンライン・トゥー・オフライン)をくみ上げたということ。オンラインで予約と支払いをしてオフラインで配送・受け渡し、これをNHIカードのシステムと連 結させ、金融機関と支払いの仕組み、郵政と配送連携、コンビニと受け渡しシステムの構築など5日間でおこない、2日間のテストを経て運用に。(466億円 かけて何週間経っても届かない、届いたものが黄ばんでいる、虫が混入、カビている、検品に8億円かかりさらに遅れるアベのろまスクとはずいぶん差がありますね。あげくに300人の学生寮に2枚だけ届く・・あきらかに国内生産出来るよう工場に補助したほうがよかった。アホのタスク
 この関貿網路という会社はもともと政府の一部署だったけれど、島国ゆえに「通関」に20以上の政府部門で承認を得る必要があったため、電子化で効率化を 進めて行き96年に民営化したということ。99年からは税申告システムもてがけて全てをオンラインで行えるようになっている。

 またg0v(ガブゼロと読む)という市民のコミュニティがあって協力しているようですね。これは代表を作らない透明性のある集団で、プログラマーやエンジニア、デザイナーなどITを中心とした技術で解決しようという非営利組織です。こういうのをシビックテック(Civic Tech)といいます。
まず政府の保険庁がマスクの在庫を30秒ごとにオープンソースCSV形式で公開している。(これ自体がすごいけど)これに対してシビックテックの方々がい ろいろアプリを作ったりする。地図で表示できるようにしたり。g0vも在庫を可視化するサイトを作ったりしていたので、政府の方針にあわせて在庫CSVに 緯度・経度情報を加えたりしてアプリ開発効率をあげるように協力したようです。
 タン氏はご自身では、政府側のテックチーム(Gov Tech)とシビックテックのパイプ役をやっていて、自分では手を動かしていない、と語っている。ほんまかいな!であれば台湾がいかにIT文化が発達していて、透明性、ボランティア精神、官民協力体制が成熟しているかに驚かされますわ。ユビキテる。
 これらによってさらにeMASKは改善されて行きます。当初、身分証番号の末尾が偶数の人は月水金、奇数の人は火木土に購入という制限をし、日本のよう にPakaちんが買い占めして高値転売ができないようにした。薬局に行ったら売り切れていたということにならないようどの店に在庫があるか分かるよう当局 がリアルタイムマップの公式アプリ提供→特定の店に集中しないようにできました。しかし日中薬局に行けない人も居る→インターネットで予約してコンビニで 予約票を印字して受け取れる(ローソンのRoppiみたいな)ように→1人が1週間で3枚買える→子供用と大人用と分けて入手出来る→家族分を同時に受け 取ろうとすると操作時間が長くなるので、スマートフォンの予約確認画面をレジで見せれば受け取れるように(Amazonの店舗受け取りみたいな)→2週間で9枚買える(1枚約18円)→自分に割り当て分のマスクがいらない場合は「他国に寄付」を選べる。というように短期間でも進化して行ったのです。アーbe〜のマスクとの差がすごい。

 タン氏ですが、幼い頃はギフテッド冒頭に書いたように学校でねたみのいじめにあい、3つの幼稚園と6つの小学校を代わり復学と休学を繰り返したといいます。台湾で もそうなんですね。インターネットで大学教授と交流を持つうちに通学の必要性を感じなくなって中学を中退し、プログラマーとして活躍し会社も起業し、アッ プルのデジタル顧問もやった。両親が文化的で聡明な人たちだったのが幸いです。このように日本でもギフテッドの人に環境の悪さを詫びて、なんとかお助け をぉぉ〜と問題解決のコンサルタントになってもらえばいいのです。

 医療の専門家は感染を防ぐ為に極力人どうしの接触を避ける、お店の営業を制限することを提言します。一方で経済の専門家はGDPが下がりすぎるとか、援 助金ばかりだしていたら国庫が底をついてしまうとか、早く各企業が再開しないと、と言うでしょう。ではどの「しきい値」で制限を解除しますか?また県ご と?国全体?
 こうした相反する要素の調整をして、成り行きをリアルタイムで監視して軌道修正できるような人材が必要なのです。いつも言うように優れたコーディネイターです。ファシリテーターといってもいいでしょう。
 私のアイディアはこれだけでは止まらないのです。
このウィルス危機のあとに別の危機が訪れた時(自然災害・原発事故・汚染水の置き場所が限界・少子化・領土問題・経済危機等々必ず!必ず来るから)、再度 招集して解決策を練ってもらう。もちろん新しいメンバーが加わったり来れない人が居てもいい。強制ではないから。リモート会議参加でもいい。
 私が提案したいのは、彼らギフテッドさんたちがメインでネット上の公開会議室を行えばいいと思う。顔は明かさなくてもいい。つまり議事進行の大筋はギフ テッドの人たちが行うけれども、一般人も参加出来るようにするのです。博学な東大生、国際機関で働いた経験のある人、元ギフテッドで抑制されて来た人、国 境なき医師団で活動した人、それから中村哲さんや板 茂さんのような既存の枠組みを越えて実績を展開している人も参加出来るようにして、ブレインストーミングも行えるようにする。これはただの無責任な匿名掲 示板と違い、確かなデータや出典も明かしながら進めます。なんならただ文章での投稿ではなくMindmap方式と併用出来て図も示せたりルートを複数に別 れられるようなフォーマットが良い。
 こうした会議が本当の透明性でしょう。当然横やり、迷惑書き込み、故意な妨害などの「荒らし」行為といった先ほどの低俗な14パーが入って来ることは2 ちゃんねるなどでも日常化しているけれど、これらが軽蔑される風潮がネットの上では生まれているようになっていなければいけない。それが日本が成長して行 くということ、成熟して行くということ。
 もちろん極端に攻撃的とか異常なものは自動的に削除されるべきだが、検閲とか恣意的と批判されることも予想されるから、故意に話題をインターラプトする とか茶々を入れているとかヤジレベルのものは横のスペースに外されるなどのシステムにする。そうすればア、こいつ横やり入れたがはじかれた、と恥ずかしい ことになるから。現在のAIならすでに可能です。その構築がめんどうならば、このフォーラムに参加する人間はきちんと素性を明かして登録するという方式で もいい。匿名だから無責任な攻撃を書くわけで、実名では安易な批判を書く勇気がない。とはいえ会議に参加時はハンドルネームで良いが、登録時に免許証等で 確認が必要で管理者からは特定されていて、誹謗中傷を書いた場合は警告が来て、参加出来ないようロックされる、ということでもいい。
 そして24時間365日継続では疲弊してしまうし管理が難しくなるので、例えば3日間開放されて、2日間ほどは整理期間として出されたアイディアや問題 点をある程度分けてまとめてから表示し、次の3日間またそれぞれの焦点に絞って討論を深めて行く、というのを何回か繰り返して行くのがいいかもしれない。
 あるいはテーマを決めておいてこの期間にやるよとあらかじめ告知しておく。例えば「放射性廃棄物をどこに処理したらいい?」とか「自然エネルギーを日常レベルで一般的に活用出来るようにするには?」というテーマでこの日から10日間やります、など。そうすればそれに向かって資料を用意しておいたり勉強し たり新しいアイディアを練ったりしておけるから。それでネット会議のひと区切りのあと、まとめを表示し、その中から実行レベルに移せるものがあって挑戦し たい人がいる場合は、やってみると明言する。クラウドファウンディングで資金が集まったり、企業が連携したりも出来るから。(もちろん失敗に終わったって いい。その結果を報告して次の会議で解決出来るかもだから。)
そうして1年後などに同じテーマでまた開く。すると前回の提案をもとに実動してみた人の経過や、あらたなアイディア等、1ステップ上がれるのだから。いかが?「官」にたよらず本当の知性をもち、社会を良くして行こうという人たちのアクションです。
 ぜひこの高機能フォーラムが実現してほしいけれどもすぐには出来ないと思うので、当面はギフテッドの人たちに解決策を練ってもらった案を何通りも公開した上で、政府はこれを選択した、とするのがいいでしょう。
 じつは私は東北震災原発事故の際、ネット上のMindmap機能でエネルギー問題解決のアイディアを募るページを構築しました。中心から棒線でつなげた 先にアイディアや情報を書き込み、そこからまた線で広がってと樹の枝葉のようになるやつです。でも、ただ匿名で散文を書き込む一般的なものではないので、 ほとんど認知されませんでした。今でも一般的な手法ではないので何かバズる方法を考える必要があるのでしょうけれど。
 その分、電力節約のため個人の活動として昨年の夏もクーラーを使わず小さな扇風機と換気扇と扇子だけで乗り切ったし、冬も石油ストーヴや電力をとても使 うオイルヒーターなどの暖房を使わず、電気毛布と厚着とホカロンで乗り切りました(室内5℃になったりする)。不便な生活を自分に課すことで東北への贖罪 としているのです。常に意識を向けるという意味でも。その分作品作りは遅くなってしまうのは否めないのですが・・・
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次の話題です。 
★熱中症の激暑が迫っているのに対策は?
インフルエンザ系と夏の気候は組み合わせをイメージしにくいと思いますが、今回のウィルスは長引くと思います。ただでさえ夏には毎年熱中症で多くの人が亡くなります。年間では1000人を越える年もある(2010年・13年・18年)。厚生労働省
昨年は7万1千人が救急車で搬送され、1581人が亡くなっています。4割は屋内。
(厚生労働省と総務省消防庁とで数値は違う)
そもそもこれに対する長期的、恒常的な対策を考えなくてはいけませんが政府も建築家も衣料品メーカーも涼しくなると忘れてしまう。自分がクーラーの効いた室内ワークで満員電車も乗らないので、利益が感じられず、取り組むモチベーションが湧かないのでしょう。一方で未だに小学生に炎天下の校庭で運動会の練習させたりする。高齢者(65歳以上で70%以上)が住居で高温多湿で脱水症状に。低所得者が狭い部屋で冷房が無く脱水症状に。道路や駐車場スポーツ観戦で直射日光。
加えて今回はマスクも着用しているのでなおさら体温が上昇しやすい。国としてなんとかしなくちゃいけないでしょう!(これ書いてるのは3月)
 今回のウィルスの怖いところは自覚症状が無いけれどすでに感染していて、人にもうつす、というところ。無症状キャリア。HIVと同じようなことです。だから病院に交通事故で運び込まれても、火傷で救急車で担ぎ込まれても、食中毒、転倒、脱水症状、心筋梗塞として搬送されてきても、それだけじゃなく新型コロナに感染してるかもしれない。
その患者があとでCovid-19陽性と分かり、治療に当たった医師や看護師が感染してしまっていたという事例が多い。あるいは必ずしも全員感染したとは限らないが、濃厚接触者として可能性が高いので別の患者さんにうつしてクラスターに発展しないように、PCR検査して陰性が確認される、または2週間自宅待機して発症しなかったと確認出来るまで治療には当たれない。これが病院の人手不足に拍車をかけてしまう。
 さらに病院の管理職がしっかりしていなくて、この患者のPCR検査をしなかったらどうだろうか。実は陽性で治療に携わった人が感染したのに気づかないままになり、他の患者の治療で感染が広がってしまう。病院クラスターです。
また、産婦人科で生まれたばかりの赤ちゃんが母親から感染していてお産に立ち会った医師達が感染するケースも出ています。
 だからあなたが現在新型コロナウィルスの自覚症状が出ていなくて、骨折で、あるいは食中毒で、腰痛で、病院に治療に行った時、他の人にうつしてしまうかもしれないし、うつされてしまうかもしれない。
つまりPCR検査しない限り自分はすでに陽性なんだと思って行動する方がいいのです。
こういうことがパチンコ依存症者たちには理解出来ていないようですね。自分がうつされるかどうかしか意識にない上に自分は感染しないと思い込んでいる。あたかもアクション映画の主人公が敵の銃弾にあたらないのと同じように。
 さて熱中症が多い理由なのですが、これはしょっちゅう書いてきたように、まず服がいけない。量産店などで安売りしてる半袖シャツの宣伝文句「吸汗」「即乾」「涼感」あれは99%ウソです。特にお安いものは素材が「100%ポリエステル」となっているので買う前に見てください。これは汗を吸わず、水分は下に垂れて行くだけです。そもそもほとんど吸っていないのだから乾きもしません。気化熱による涼しさもおきませんし、脱水症状になりやすい。ようは穴あきビニール袋を着ているのと同じ。レインコートを着ているのをイメージすれば良いでしょう。それに加え摩擦が大きく、袖を通す際にすでにずりずりと抵抗感があるでしょう?着たあとに動けば皮膚とこすれて摩擦熱も起きる。それが涼感になるわけないでしょ!
 肌に密着している箇所は蓄熱しやすい。綿なら細かな凹凸による隙間が多く、四方八方への伸縮性もあり、厚み方向での弾力もあります。それがポリエステルにはほとんどなく熱がこもります。生地自体の放熱効果も望めない。気化熱効果もない。だからメッシュ状にして物理的に窓を増やすしか無いわけです。スケスケになっちゃうレベル。
 私はもし、熱中症になった人の衣服を調べればかなりの割合でポリエステル100%を着ていると思います。熱中症が増えた年と安価なポリエステル100%が量販されはじめた年とだいたいシンクロするはずです。
 汗を吸わせるなら綿がよい。コットン。ところがよく吸ってくれるけれど、乾くまで時間がかかる。気化熱は発生するけれど、重くなるし肌にくっついて皮膚呼吸の妨げにもなることもある。乾きの早さなら麻(リネン)でしょう。ところが型くずれ、縮みやすい、触感がチクチクする場合も多い。そこで石油化学製品の繊維を混紡した生地で形の維持と強度を補うといいのです。一長一短を補いあうように組み合わせて通気性の良い編み方で作った生地を使うのがよい。それこそ政府がその方法を確立するのに研究費を出したり、機械を導入するのに援助金を出すぐらいでいいと思うのです。
一流スポーツ選手用のウェアは、ポリエステルを使っていても混紡で綿とレーヨン、場合に寄っては麻や毛と組み合わせた生地になっています。長時間外に居るゴルフ選手用のグレードの高いウェアの素材を見るとわかります。
 そしてサッカーでは背中、脇の下など、場所によって混紡の割合や生地の織り方を変えたりスケスケのメッシュになっていてベンチレーションしていて、肌との距離があくようにゆるゆるの立体裁断でカットソーして体と擦れにくいようにしてあるし、強度も考えてある。当然値段も高いので一般人の普段着向けではありません。テニスウェアでもこれがうまく機能しないと熱がこもってしまう。有名日本人選手が体温上昇で顔を真っ赤にして、試合中に何度も着替えているのを見るでしょう?対戦相手の海外選手はそれほど暑そうではありません。クローズアップになると、脇腹、背中など明らかに薄くて通気性のよい生地で種類を変えてカット・ソーしてあります。伸縮性が良さそうで、汗が蒸発する気化熱も作用しているようです。もちろん体質もあるでしょうけれど天候条件は同じです。
 電気工事や建築現場、道路工事、引っ越し業者、自転車での宅配などはもちろんのことですが、制服ぐみなどラフな服装が許されない人たち、セールスや現場視察など外まわりの仕事の人、交通整理、葬儀、警備員、刑事、モデルルームの案内・・。下着にも工夫が必要と思います。私が教員だった頃、背広と白Yシャツにネクタイの時は汗だくだくでした。そりゃそうです、高温多湿ではない国の服装を取り入れたわけですし、首もとを密閉すれば体温や効かした水分が上に抜けて行かずこもる。白Yシャツの生地も厚手で通気性の悪いもの。これがその後改良されていって、ある時白Yシャツ専門店で相談して夏用に改良された生地のものを買ったらずいぶん良くなっていました。まず生地が軽く、通気性がよくさらさらしていて、まさに吸水・速乾性に優れていたのです。ですから制服の背広はもちろんのことポロシャツTシャツ、作業着など現代の科学分析や製造技術、そしてギフテッドの力を借りれば「着た方が涼しい」ぐらいのものを作れるのではないかと思うのです。
同じ素材の生地でも編み方が違えば吸水率や発散速度が変わりますし、糸や織り方、縦糸と横糸の種類を変える、同方向でも列単位で糸の種類を変える、張力を変える、撚りの強さの違う糸を交互に使う・・とか柔軟な発想で組み合わせるとか、クレープ(強撚糸)、サッカー(しじら織り)、鹿の子、レーヨン・リヨセル・キュプラ(どれも石油製品ではなく植物繊維を再生したもの)、ワッフル織り、ドビー織り・・また、着たことは無いですが新しい糸クレメルマスター、中空糸や毛細管現象など工夫して内側から外へ水分を移動させる仕組み、肌との接触を極力少なくする表面、下着ともう一枚上に来たシャツとの関係性で気化熱を増加させる工夫など、本気で取り組めば体温上昇を防ぐ方法はまだまだ編み出せると思うのです。現在スタンダード化している生地の織り方だって、当時に開発された機械によってあらたに生まれたものですし、その時々の要望、必要性もあったわけですから、現代の知識・知恵・技術で「超吸汗」「超涼感」「超速乾」の生地を生み出すのは理にかなっているし特許を取れば経済の立て直しの役にも立ちます。
 私は、ものに触れた時にその物質の持つ独自の温度があるように感じています。同じ気温の室内でも触った時に温度に差がある。気温にどのぐらい左右されるかも関係していると思います。特に金属はひんやりします。同時に熱が伝わりやすいから暖まってしまう面もある。だから繊維の中に織り込むとか、上に着るメッシュ状の放熱ベストみたいなアイディアや、保冷剤ポケットと連動してみたりもできるのではないか。他にも毛細管現象を利用したり、柔軟性のある細いパイプを使った水冷式等、実験、改良を繰り返せば何か生まれるはずなのです。これによって密閉の空調で体調を崩しやすい高齢者や、原発解体作業に従事している人たちやウィルスからの防護服を着る場合にいかせると思うのです。
これもギフテッドの人たちとテキスタイル技術者やデザイナーが協力することで素晴らしいものが生まれるはずです。
 以前ジーンズに和紙を撚って糸にして混紡したものを売っていたので買って着ました。私は前にも書きましたが手漉き和紙を一時期研究して自分のアートに取り入れたりしていました。それで現代の新しい利用法は無いものかと気にしているので、このジーンズはいいなと思ったのです。涼しく、軽く、薄く、乾きも早かった。けれど耐久性は今一で私のようなヘヴィーデューティーなユーザーだと1年たつと擦り切れて来て、2年では膝が破けてしまいました。でもこれは研究を続ければ強くする方法があるはずです。また、シャツや下着の生地としては充分な可能性があります。日本古来からの手漉き和紙の職人さんが失われて行く中、世界に伝統と現代カルチャーの素晴らしい融合と評価される事になります。これが本当の「クール」ジャパンでしょう。
 町田 誠之さんの本に、平安など古い日本の家屋には和紙による障子、ふすま、屏風が満ちていて、夏の空気中の水分を吸ってくれる役目があったということです。そして乾燥しがちな冬には逆に水分子を放出してくれる。そうやって高温多湿の気候を乗り切る工夫があったわけです。木と紙の家です。ところが先ほどの背広Yシャツと同じように西洋の「石」系の建築を導入したがために密閉・通気性の悪さ・輻射熱・湿気によって、より冷房に電力が必要になった。
 各施設、家、自動車で冷房を使えば熱気が外に出される→ますますヒートアイランド現象を加速し、外気温が上がる→暑いので余計冷房を使う→の悪循環。しかもコンクリやアスファルトは土や漆喰などに比べ蓄熱して中々温度が下がらない。日中直射日光を浴びた道路やビルディングは深夜2時になっても暑く、熱中夜を招きます。明け方やっと放熱が終わるかという時に日が昇り始め、すぐに温度が上昇します。これは異常気象を招きますし、突然の豪雨につながります。これはビルディングの東向きの外壁の角度や材質を工夫することで軽減出来るはずで、都市部の林立するビル群では一棟だけでなくたくさんのビルで行えば周辺の外気温が下がるはずです。蓄熱しにくい素材にしたり、二重構造で空間を作りその隙間の空気を循環させる、グリーンカーテン、屋上菜園、打ち水などでビル内の室温も少し下がりますから冷房も少なめになり、室外機から出される熱気も減り、電気の使用料も軽減される。建築法である程度規制してもいいぐらいですが、効果の高い建物にできた場合、不動産の税率を下げる法律や、気温上昇抑制ボーナスのような援助金をあげるのでもいい。ある種建築界の「ブーム」になるぐらいに仕掛けて、抗高温多湿化の日本独自の景観が生み出されるのではないか。
 能力の低い政府は目前のことにあたふたで、それにも間に合っていないぐらいなので、夏にどうなるか全くイメージしていないと思う。
Stay homeで建物の中に居る人が多くなればエアコンを使う。電気調理も、テレビなど家電も使用時間が増える。時間帯も重なる。学生さん等勉強や調べものをする人たちは空調の効いた図書館の机でおこないたいが制限されて家で空調を使う、一番暑い昼から3時頃、大きなショッピングモール内のベンチで休憩したり、飲食店で過ごすことは危険を伴う、プールが営業していないかもしれない。個々の家で冷房を使う比率が増えます。
 ストップした工場の分、電力は少なくはなるけれど、大きい工場では重油等で自家発電を使っているところもあるので、その分は変化しません。それよりも本来親が働きに出て子どもが学校にいる時間に、Stay homeでそれぞれの家で電気を使うということの方が使用量が増加すると思う。こういうことも経産省や大学等の研究機関が先手で先読みしなくてはいけない。「あの」東電にStay home割引させらる力量があるかな。

★そんな中での原発作業員(事故後の冷却作業・瓦礫の撤去作業・廃炉作業)のマスクは?汚染水放出の件は?
電気の使用量が増える、ということは原子力発電が必要という口実を与えてしまう。あまり知られていないけれど、国中の原子力発電所を全部停止しても電力は 補えるのです。むしろ今、水力発電を止めてまで原発を優先しているのです。かつて古くから住んで来た人たちを追い出して村を貯水湖の底に沈めて、巨額の費 用、年月をかけてまで作った水力発電施設!もったいないことにこれを停止して原子力を優先している。それは、原子力の場合、いったん止めるとまた稼働させ るのに非常に手間がかかるからです。臨界状態を作って核分裂を安定した状態に持続させ、安全に冷却して蒸気をコントロールしなくてはいけない。ガスコンロ を消す、つけるというのとは全く違うのです。一方水力発電は「すでにそこに水がある」のですから、こちらを使うべきです。
大きな話題や問題が起きるとその前にあった未解決の問題への意識が薄くなります。森友学園、加計学園、桜を見る会・・もりそば・かけそばにさくら餅?。選 挙スタッフへの増額支払い(→実は贈収賄が発覚)。検事の定年延長問題とか、何かと抱き合わせで法案を通そうというこすずるい手法をとりたがる。だから Covid-19対策にだけ意識が行っていると、いつのまにかやられてるということになる。そこで汚染水を気づかないうちに海に流さないか心配なのです。
 ★みなさん忘れがちですが、毎日170トンもの汚染水が作られているのですよ。(以前は540トン!)原発事故でメルトダウンした核燃料いわゆる「燃料デブリ」は今も高熱を発生し続けていて冷やさないといけない。電気を作ってもいないのに。
どばどば水をかけてそれが放射線で汚染されてからタンクへと貯蔵される。毎秒2リットルということなので、今みなさんがこの文章の1〜2行読む間に大きな ペットボトル1本の汚染水が完成する。セシウム134、137、ストロンチウム90など62種類はAlpsで吸着させて濾過していくが、トリチウムだけは取り去る方法が無い
これは薄い濃度なら海や川に放出しても問題ないという。
 ほんとーかぁー?じゃあんた飲んでみてよってわけです。当時の東電役員や、安全委員会、まっだら目、西山ひでぇ〜ひこ(連日記者会見で冷たい答弁をしたメガネのやつ→その事故対応の重大期に不倫→更迭されたのになぜか福島除染推進チーム次長に就任→なんと副社長に天下り) とか、その「安全な汚染水」でお風呂に入ってごらん。復興大臣に任命されて被災地の知事にサッカーボール蹴りつけたり稚拙な暴言パレードで復興を一挙に失 速させたぼっちゃん議員松本ぴゅうとか、絶対事故は起きないから安全だからと地元有力者を買収した議員や次官、一家でプールがわりに泳いでいいですよ。今 は首相に噛み付いているが当時与党で「ただちにぃ」健康被害は無いと答え続けた枝豆野くん、お家のウォーターサーバーに100年分は補充出来ますので毎日 美味しいコーヒー飲めますよ。その汚染水だけの水槽で養殖したお魚や貝でお刺身食べてください。得意の料亭の接待で使ってください。桜を見る会でごちそう に使えます。出来ますか?その覚悟ありますか?できないなら東北で海に流すのはやめましょう。
Alps処理後も基準値の2万倍の放射性物質が出たという事実もある。ストロンチウム90などが1リットルあたり約60万ベクレル!トリチウム以外も検出されてるのに→隠蔽
いいか、とー電ならそんなことやるぞ。わかった?(ぼっちゃん議員風

 もう東北はありあまる実被害、風評被害で電力使う都会の身代わりになっているようなものだから、一番電気を使う東京等に運んで流してみなよ。もちろん反 対されるし、体内に入れたくない。せっかく埋め立てからきれいになってきた江戸前の漁業がダメージを受ける。じゃどこに流す?各都道府県で押し付け合いに なる。もうタンクを置く場所が無くなってきた。113万トン、タンク1000基以上!月平均28基増えていき22年半ばに限界に達する。
 しかも実は7割はトリチウム以外の放射性物質も排出時の規制基準を超える濃度で含まれているのです。これは、浄化処理が始まった当初は、まずは規制基準を守るため、敷地境界(原発敷地内と外の境界)における追加の被ばく線量を下げることを重視していたためだとか。
しかも通常運転してる原発でも放射性廃棄物は出続けるよ。使用済燃料は約19,000トン以上存在してます
まずウランを鉱山から採掘するのに放射性の残土が出ます。ウランを精錬したり、濃縮・加工するのに劣化ウラン等出ます。天然ウランには約0.7%しか含まれていないウラン235を2〜5%に濃縮します。遠心分離機でぐるぐる回しながら六フッ化ウランガスを注入して重いウラン238(同位体)を外側に移してから抜き取るのですね。(濃度が20%以上の高濃縮ウランは原爆など核兵器に使われますので特に危険です)化学処理で粉末状の二酸化ウランにしてからペレットという粒状に焼き固めます。

  こうした採掘から燃料加工までをフロントエンドと呼ぶようです。

 

燃料ペレットを棒につめたようなものが燃料棒。これを並べて設置して核分裂して発生する熱を水の中で冷やしてコントロールし、蒸気熱で回るタービンで電気を作ってから、使用済み燃料棒になって行く。さてこの後をバックエンドと呼び、特に問題だ。私たちのように専門家でない者が調べる情報では、使用済み燃料にはまだ使える物質が多く残っていて、これを取り出して再使用するのだ、というところで終わる。

  あたかも再処理工場なるものがあって、すでにサイクルが確立しているんだな、と思わせるような文面や図がほとんだ。しかし、あれ?そうだっけ?高速炉「もんじゅ」の事故 多発で実現してないとか、Mox燃料問題、六ヶ所村問題とかもっと社会的な課題で、苦しめられている地域の人や、利権がらみで癒着とか、貯蔵施設押し付け 合いとか、問題が山積しているはずだけど?でんじれんじゃー(分かります・・よね?)のマスコミコントロールや心理的プロパガンダとかで気づきにくくしているのかな?

 ここで「一 般的な一般人」はめんどくさいと無関心になってしまうでしょう。クラスのいじめで立ち上がらなかった人たちですから。しかし心のどこかに正義を残している人間や公平性、弱者の声を聴くアンテナを失っていない人たち、あるいは実践型エコロジスト、そして冒頭に書きましたように芸術家は、おかしいぞ・・・と調 べてみる。

 

このようなページを発見する。

なぜ核燃料サイクルはできないのか

破綻している核燃料サイクル環境市民団体の比較的分かりやすいpdf

 

核燃料サイクル政策 撤退すべき

完成20年遅れ、でも3兆円税金投入

 

もんじゅ停止中も、維持費は1日5500万円

 

もんじゅの事故

 

六ヶ所再処理工場から出る放射性物質

 

核燃料サイクルマネーで選挙買収

 

ようは核燃料サイクルって実現出来てないってこと

 もともと2種類の原発、高速増殖炉と軽水炉のセットでプルトニウムを消費するのが目標だった。軽水炉を運転するとウラン燃料が核分裂してより危険なプルトニウムが発生するが、原爆など核兵器のもとになるので保有してはいけない。日本はすでに46トンも持ってしまっている。だからこれを燃料として発電所で使うのだ、という状態にしたいわけだ。ウランの燃え残りも再利用しようと。

 事故続きのまま廃炉が決まった「もんじゅ」のような高速増殖炉( FBR=Fast BreederReactor)は中性子を高速でぶつけて連鎖反応を使う、燃料はMOX燃料を使う。(Mixed oxide、ウランとプルトニウムの混合で作る燃料)プルトニウムは燃料に使った分より増えるから原料を掘って来たり輸入したりせず軽水炉で発生した分を利用出来るというのでセットで考えられた。

 ン?おかしくない?プルトニウムが増えちゃうじゃん。計画通り動いたら「増殖」するわけだから核兵器の原材料がどんどん作られる。もちろん国連系のIAEAが監視するわけだが、一般にはプルトニウムがどこ行っちゃったか分かりにくくなってる。実は再処理などフランスとイギリスに運んでやってもらってる。(情けない・・トホホ状態)

  内閣府によるプルトニウムの所在

  • イギリスに21.2トン
    フランスに15.5トン あわせて36.7トン
  • 国内   9.0トン

そして高速で中性子を扱うため冷却に水ではなく溶解金属(ナトリウム)を使う。この特徴のどれもが技術的に難易度が高く危険で、ナトリウム漏れの火災、原子炉内に装置が落下、機器の点検漏れなどで「もんじゅ」は22年間まともに動かなかった。

他の国の高速炉は?

  • アメリカ→実験炉や原型炉が1940年代から10基ほど作られたがどれも閉鎖。中には炉心溶融事故をおこしたものものもある。
  • イギリス→実験炉や原型炉が1950年代から2基作られたがどれも閉鎖。商業炉も計画中止。
  • イタリア→実験炉が1970年代に着工したが計画中止。
  • フランス→実験炉や原型炉が1960年代から3基作られたがどれも閉鎖。アストリッドの計画も中止。高速炉開発は終わり。
  • ドイツ→実験炉、実証炉など1970年代に進めていたがチェルノブイリ事故で反対運動が高まり本格運転せずに計画中止に。ワンダーランド・カルカーというテーマパークになった。また福島原発事故を受けて脱原発を進め軽水炉も次々停止・廃炉解体中、残りも停止予定。
  • ロシア(旧ソビエト連邦)→実験炉4基は運転終了。BN-1200計画は頓挫中。

 はい、無理と。

そこでMOX燃料を強引に軽水炉で使おうということになった。これがプルサーマル利用=プルトニウムのプルとサーマルニュートロン・リアクター(熱中性子炉)のサーマルを繋げた造語、plutonium thermal use。

しかし通常の軽水炉(LWR=Light Water Reactor)はウランを使うことを前提に設計してあるので、プルトニウムを混ぜたMOX燃料を使うのは安全性が落ちる。→長年研究して訴えている小出先生のpdf。特に10ページあたり。たしかに灯油前提のストーブにガソリンを混ぜれば危険ですよね。お医者さんの団体でも警鐘を鳴らしています。日本科学未来館の特設ページでも安全性だけでなく経済性についても触れています。

再稼働した5原発9基のう

全国の原発で16~18基の導入を目指したが、プルサーマル炉として利用可能なのは9基で、3.11福島原発事故で全国の原子炉を停止し、再稼働しているのは現時点で4基にすぎない。しかもこれもサイクルできていない。

 プルサーマル利用は1997年に開始する予定だったのが10年以上遅れました。これは、まずMOX燃料を日本では大量に作れないので、ベルギーとイギリスで作ってもらって運び込んだのだけれど、関西電力用にイギリスの会社BNFLが作った燃料に不備があることが発覚し、イギリスに返品したんですね。これにともなって福島第一原発3号機用のベルギー製のものは製造基準がイギリス製より低いということでの使用反対運動が起こりました。市民側の敗訴になりましたが、とー電が複数の原子炉に亀裂があることを隠していたことが発覚して、保留になった。新潟県の柏崎刈羽原発でも反対運動が起こりました。

 整理するとすごいことになりますよ。つまり高速炉を動かす為のMOX燃料を海外で作ってもらい運んで来る(六ヶ所村の工場は未完成)→しかし使うはずの「もんじゅ」は失敗続きで22年間まともに動かず廃炉に→プルトニウムを持ちすぎて危険なので軽水炉で無理矢理使うことにするプルサーマル計画で利用(たった4基だが)→使用済みのMOX燃料は日本では処理出来ず、フランス等に持って行ってやってもらっている。

 なんていうか・・ひどくない?通常運転でも放射性廃棄物が出て来て最終処分場も決まっていなくて、海外で処理してもらっていて、高速炉技術失敗したのにそれ用の燃料を無理矢理軽水炉で使うが、そのあとの処理もできず海外でやってもらう。その他とりあえず臨時保存中。資源の少ない日本が自国でエネルギーを作れるようにすることが大目標なのに、他国におんぶにだっこ、しりぬぐいという状態。本末転倒だし恥ずかしい・・。

 とー電でんじれんじゃー(わかりますね)や、やーれんそーれん(きっとわかるはず・・の組織)や、国の原子力組織はこういうことを一般の人に知られたくないんですね。WEBサイトを見ても○○予定とか、可能になりますとか目指していますとか未来形で、稼働中とか、今年の実績という現在形のところがない。もんじゅが成功した前提の六ヶ所村の再処理工場&MOX燃料製造工場だったのが失敗になった今、進める名目・大義が無くなってしまったんだ。

 もんじゅは1994年に運転開始から22年間で数ヶ月しか稼働せず、建設や運営に1兆円かかっています。

 電力会社は原発を建設する立地自治体に対し、使用済み燃料(プルトニウム含む)は冷却プールに一時保存してから再処理に移動する、と約束して来た。ところが六ヶ所村のほうでは再処理工場で再処理を行わないとなれば原材料ではなくただの核のゴミなので受け入れられません。現在ある分も持ち出さなければいけません。ところが行き先がありません。置いておく場所が無いのです。だから再処理はする予定だ、核燃料サイクルは続けるンだというスタンスをとり続けるのですね。そしてこれには莫大な税金が使われて行くのです。

 しかもMOX燃料は使用済みになるとTRU廃棄物(超ウラン元素)、放射性物質の種類が増えて処理が大変になる。また舘野淳氏のこのページ下の方にデータもありますが、プルトニウムにも種類があり同位体で数が多いものになることを「高次化」と言います。放置するとα線によってアメリシウムに変化し、燃料としての燃えやすさは低くなって行きます。等価フィッサル値で比較すると大幅に低下する上にダーティ・プルトニウムというガンマ線の被爆が多く扱いにくくなり燃料としては価値がないので使用済みのMOX燃料を処理してまた使うということは無意味で、経済性でも安全性でも愚かな行為ということになります。

 

 このように「核燃料サイクル」はお題目だけで全く実現出来ていないのに、税金や電気料金からものすごい額が投入され続けていて、そのほとんどが利権がらみで腹黒妖怪タヌキたちの私腹を肥やしているのが現状なんですね。

とにかく通常発電しても、危険物が増産されます。制御棒やチャンネルボックス、使用済み燃料の再処理で水溶液にするためにできる放射性廃液、燃料棒の部品、ガラスに溶かし込んで・・といった核のゴミです

 ウラン廃棄物は200リットルドラム缶で10万本以上保管中になっているのです。

  1966年に東海村の東海発電所で原発が発電し始めてからフロントエンド、バックエンドと膨大な放射性廃棄物が蓄積しています。こうした放射性廃棄物の処理や使用済み燃料の再処理、福島原発事故後の処理、廃炉作業・・危険で時間がかかり、お金もかかる。かつて「オメガ計画」というものがあって、放射性廃棄物をただガラスに閉じ込めて地下に保管するのではなく、半減期の違う核種を分離したり、半減期を早めるという研究があった。1989年スタート。半減期が30年と言われるセシウムをなんと45分で処理できるとか。福島の原発事故の汚染でなぜ活用されなかったのか?ある議員が文部科学省に問い合わせるとデータを紛失した、という。当然多額の税金が投入されたはずだが、ネットで探しても出てこない。汚染地域を予測するSpeediが100億円かけたのに情報公開されず、放射性物質が濃い地域へ住民を避難させたのと同様に隠匿されたか。

MOX燃料を本来の高速炉ではなく軽水炉で使った場合、アメリシウム等が余計多く出てしまうので、今こそオメガ技術を駆使すべきなのだが?それとも研究してるフリだけでただの机上論、無かったことにしようとしているのか?

  放射性廃棄物はこのままずっと青森県や福島県に押し付けるのだろうか?ソ連時代に秘密にされ、発覚後も過小評価されてるウラルの核惨事のような事が起きないと言い切れる?除染した土を入れた袋(フレコンバッグ)の山はどうすればいいの?まさか津波対策の土地のかさ上げに使ってはいないよね?誰かチェックしてる?廃炉作業で出た汚染された瓦礫や、毎日出る作業員が使った防護服やマスク類、Alpsで吸着させた放射性物質のゴミ、どこに置くつもりなのかな?
ギフテッドの人たちに助けを求めたいんです。助けて!もう愚か者たちの手には負えないのです。腹黒タヌキ、二枚舌キツネの妖怪たちに牛耳られたままでは放射性物質であふれかえっちゃう、ガン患者が増えて、白血病の子どもが増えちゃう。
それこそクラウドファウンディングでシンクタンクを設立して招くのがいいのかな?ギフテッドの人、もしこのページ読んでいたら助けて!

 

このバックエンドに膨大な金額がかかるのですが、いろいろな設定の計算方法で額が変わってきます

1993年から約2兆1,900億円超の費用をかけた青森県のた六ヶ所村にある再処理工場。

電力自由化で2016年から原子力でない電気を使っている人もバックエンド事業のコストを負担させられているようだ。

 

 ここで私の疑問ですが、事故後の福島原発に冷やす為にどばどばかけて汚染された水、Alps使ってトリチウム以外は取り除けるというのならそれをまた使えばいいのに、って 思う。あらたな水を使うから汚染水が増え続ける。濾過後の水をタンクから太いホース等でまたデブリ冷却に投入して、汚染されたらまた濾過すればいいのでは ないか?というかAlps濾過後にタンクへ移動せずにそのまま冷却に回すことはできないのかな?あわてて応急処置の1年目ではないんですよ。9年経ってる んですよ。
そもそも毎回使う水の水道料金っていくらぐらい?毎秒2リットルを24時間、8年、9年、10年・・・の膨大な水道代、普通に支払ってるのかな?誰のお金で?そこに癒着とかないよね?電気料金にその分負担されてるとか?まさか密かに税金で負担させられてるとか?
 しっかしこれだけ社会に問いかけるべきことがあるのに、ラッパーの人たち、お互いをディスりあってる場合じゃないでしょ?

  さらに 再処理関連施設も老朽化したり使用しなくなるのでこちらも解体・処分します。

 まだまともに稼働してないけど。


 福島原発の汚染水ですが、もう少し調べてみたところ、まず油分を除去する、ということです。以前は吸着剤を入れて泥状のスラッジとして沈殿させていたが現在は吸着塔という円筒フィルターで濾しとる。使用済みの吸着塔は容器で保管する。
 次に海水の塩分を取り除いて淡水化。初期に海水を使って冷やした時の塩分がまだあるようですね。この際に廃液が発生。そのあとでやっとALPSで放射性物質を吸着させる。ここで吸着させたスラリー(泥状のスライム)は高性能容器(HIC)で保管するけれど、その場所の8割が埋まっている。ポリエチレン製で、一個2,6立方mは要る。月平均28基で22年半ばに限界に達する。

 

  初期Alpsでは取り除けなかった核種が残ったままの、つまり高濃度汚染水がいまだにある。それを現在のシステムでもう一度濾過するという。すると未処理の高濃度汚染水、初期の高濃度汚染水、Alpsが故障していたときの高濃度汚染水、それらの高濃度汚染水を再除染した低濃度汚染水・・と種類があるのだ が、こういうの管理出来るのかな・・。どのタンクがどれでどのぐらいの放射線量を放っているとか。まだ許可が下りてないが、もし海に放出することになった 時、これはトリチウムだけですからと初期の高濃度汚染水を間違って流したりしないかな?(または故意に・秘密裏に)

 

  さてさて膨大な文章量になって来てしまいました。

エネルギー問題についてはこのぐらいにしておきたいと思います。といっても毎日電気を使い、このページをアップするこの瞬間の私も、読んでくださるあなたも電気の恩恵の上になりたっているのだから無関係ではいられないわけで、部屋の灯りをつける時、テレビをつける時、冷房の温度を調整する時、掃除機をかける時、洗濯機を使う時、あるいは冷蔵庫で食品を保管する間「どのぐらいのウランを使ったのだろう?」「プルトニウムも混ざっていたのだろうか?」「このために発生した放射性廃棄物はどのぐらいだろう?どこに保管されるのだろう?」「だれが処理するのだろう?」と想いを馳せてみる事は大切だと思うのです。また新型コロナ患者の治療の為に、あるいは検査の為に使われる電気、医療従事者用のマスクやフェイスシールドなどを作る為にも電気が必要とされます。

 今回取り上げましたのは毎年の3.11コメントからのつながりで新型コロナ問題について考えを深めているわけで、医療従事者だけでなく、福島原発の事故処理、除染作業、廃炉作業で過酷な作業を続けている人たちのことも忘れてはいけないということなんですね。そういう人たちのマスクも足りているのかとか、心配なのは新型コロナは血管に悪影響を及ぼし、血栓が出来たりしますので、被ばくによって白血球の状態が変わっているところにウィルスの相乗効果で、急な脳梗塞、心筋梗塞、肺炎などにならないか、人類がまだ出会ったことのない状況にさらされるのできちんとPCR検査を受けられているのかとか、クラスターにならないよう管理者は対策を練ってあるのかとか・・という点なのです。政府がよく使う「手」の、あることを知られたくないがために、他の問題を強調して意識をそちらに集中させる、という誘導に乗せられていないか、今は注意を高める必要があるということもあるのです。汚染水をいつのまにか海に流していたということがないか、警戒を高めたいということもあり、原発の様々な問題に言及いたしました。MOX燃料、プルサーマル利用、プルトニウム保持量、放射性廃棄物の行方・・常に心の隅にとめておいて、テレビの情報だけで判断しないように気をつけていきましょう。

 

次に移りたいと思います。

★テモファ、無知の愚。
冒頭のギフテッドのところで中間の「一般的な一般人」は基本的には善良と申しましたが、積極的に悪事を働かなくても意識が低いためにイライラさせる人たちや本人の知らないうちに迷惑をかけている人たちが居ます。
例えば大きなショッピングモールなどは通路が広いですが、子連れで横に広がって歩いて来る家族ですね。そのまま来ればぶつかるよってやつです。入り口のガラスの自動ドアでもそうです。透明だから前を見ていれば見えるでしょ、っていうところに全面に広がって通ろうとする。まるで相手が自動的によけてくれるかのように。
 非常事態宣言のさなか、5月の連休に沖縄旅行6万人も予定している。沖縄に限らず島は医療体制が万全でないため、もし感染して重篤な状態になったら観光客の方でも島民でも救うのは困難ですよと表明しても行こうとする。ニュースで批判的に取り上げてやっと減ったらしいが、それでも8千人は行ったという。こういう部類の人たちです。自分たちは陽性患者の居ないところへ行きたいというもくろみなのだろうけど、自分達がばらまいてる、ってことに気づかない。
 外出自粛の期間、神奈川県の湘南地域、茅ヶ崎等にサーファーやレジャー客が大勢来ていた。非常に残念。サーファーは遊んでいるかのようで実は自然の怖さを知っているから、いざという時は公共のためになる行動をすると思っていたので、非常に残念。
私は以前、年に1回だけは湘南に行って潮風を感じながら作曲したりすることにしていましたから、駐車場事情が分かるのですが、浜辺に隣接した何カ所かの駐車場にむらがって早朝からずらーっと渋滞になります。これが閉鎖になれば、あとは町中にあるわずかなコインパーキングしかありません。
市長さんが意を決してテレビで「来ないで」と訴えかけ、苦渋の決断で駐車場を閉鎖して、やっと少なくなりました。おそらく訴えるだけで駐車場が開いていれば人ごみになったでしょう。あらかじめ駐車場が封鎖される映像が映ったのが効果的だった。行ってもとめられない、と断念したんでしょう。
 他にはコンビニの中を走り回るこどもを野放図にしている親。ガードレールの無い道で幼児を車道側に歩かせて手も繋いでいない親(ふらふら車道に出て事故にあっても運転手の責任にされてしまう)。川原にバーベキュー(実際は鉄板焼き)に来て油の付いた鉄板やら調理具やらを川で洗って行くファミリー。そういったレジャーに来てゴミを帰りに寄ったコンビニに捨てて行く楽しいファミリー。自分たちは自然を満喫し、子ども達にいい経験をさせたと思い込んでいる。
 こうしたレベルの人たちを私は「テモファ」と呼ぶことにしているのです。

低モラルファミリーの略です。
自分の一家や仲間だけ良ければいい、という感覚の人たち。身内に甘く、稚拙な権利を主張したがる、概して環境問題や社会問題、芸術に関心も知識も無い。簡単に懐柔されて与党に投票してしまう。テレビの宣伝やネットの「いいね」に操られてしまう。

 
 大企業手動のイベントやテーマパークに行きたがる。親も少年ジャンプ系マンガの戦うアニメや映画にはまりがち。(実は懸賞ハガキ等の人気投票やアンケートで読者の希望するストーリーを訊いてそうよう作られている。だから暴力や超能力で相手を倒してスカッとするという安易なものが多い。テモファの希望通りだだから商業的にヒットする。さらにこれに感化されて相手を倒してスカッとしたい実生活にフィードバックするというサイクル。)
 ある時、夏に冷房節約のため、朝のうちから比較的近くの涼しい川縁に行って音楽の専門書を読んでいました。するとワゴン車でゾロゾロと家族連れが来る。親戚か友人家族で複合で来るのもいる。私は心の中で「あ〜テモファでありませんように」と祈るのですが、前に来ている人たちのことなど全く気にかけず大量物資を持ち込むと「キャー」「ぎゃー」バシャバシャ騒ぎ始める。私はやむなく上流の方へ移動しました。多少足は濡れますが浅めなので河原の石に荷物を置いて、倒木の上に腰掛けてギターで作曲を始めました。するとさっきの場所では父親と小学生らしい女の子が川に石を投げています。はじめは近くでボッチャンとやっていたのが、向かいの崖に投げて当てはじめます。ガチンッ、カキン。遠くに投げたいだけで上流のこっちの方へ投げてきます。水の上で石けりならわかりますがただ稚拙にストレス発散で投げるのです。そこにだれかいるか安全性を考えずに。バシッ、ゴキーン、とこっちに近づいて来たのでさすがに「危ないから石を投げないでっ!」と言ったらやっと止まりました。もちろん「すみません」の言葉はありません。低モラルファミリーですから。親の親も教えてこなかったわけですから。さて娘にどんな顔をしたのでしょうか?教育上よくありませんね。学校でいじめっ子になる可能性大です。
 別の日、この川のもっと上流へ行きました。そこは私がサンクチュアリと名付けている、ヒグラシの鳴き声を録音する、ほとんど人の来ない静かな峰へと続く途中の場所です。きれいな川が続いていてこの辺一帯の人の飲み水をとるところです。ですからあちこちに看板があって「飲み水をとる場所ですので汚さないで下さい。水遊び、キャンプ、バーベキューなどはしないでください。」と表示してあります。ところがやや広めになっている場所があり、本来は林業や水道局の人や森林保全の人が車をとめたりUターンするためのスペースだが、そこへテモファがワゴン車をとめて、川に入ってぎゃーぎゃーやったりバーベキュー(実は鉄板焼き)をやったりしている。それを苦々しく思って通っていたのだが、毎年10家族ぐらいがやってくる。環境のこと等みじんも考えない利己的な生活の人たちですね。子どもにも見えるよう看板があるから、大人も平気で違反する、親がいいっていうんだからいいんだ、みたいにこどもに伝承されて行くわけです。文化感染といいます。
 そしてある年、その辺一体に高い金網が出来て、一切入れなくなった。さすがに市のほうで業を煮やして予算を使ったのでしょう。これによって全くテモファ汚染が無くなりました。良かった。だから湘南で駐車場を封鎖してるニュースを見た時、ああ同じだなと思ったのです。

こういうあさはかな人たちの心ない行動で感染が止まらないのだと思います。

このあとさらに続きをアップします。

(そ れにしてもこのJimdoというWebサービスは使いづらい。私のMacBookとも相性が悪く現在下書きしつつアップみたいな状態になってますので、 時々続きを見てください。以前はGoliveでhtmlも書き足したりしてアニメーションタイトルも付けてちょこちょこアップしていたんですけどね。時代 ですね。)


↓ 前回アップした内容です。


★震災9年目+新型コロナウィルス
   2020/3/11  記
久しぶりの更新です。このHeal-jamでは毎年終戦記念日と3・11には襟を正してというか、新しい情報も精査して、自分の認識も再確認してコメントをアップしています。
本来の本格的な長文ですのでご注意あれ。(2回に分けようと思います)

☆震災から9年目です。
今回は新型コロナウィルスの蔓延で追悼式典も縮小でしかできないような状態で残念です。私はお寺で般若心経を唱えてきました。
被災して亡くなった方々、ならびに避難生活で心身疲労や病気で関連死された方々のご冥福をお祈りいたします。
いまだに原発事故の放射能などでふるさとに帰れずにいる人たちの心が安静になれる日が来ることを願っています。
加えて、原発産業で私腹を肥やし、責任も問われていない「やから」に正義の鉄槌が下ることを、そして復興に関して本当に適切で有能な人材が配されることを、心から願います。

★それにしても災害の多い日本で対応の悪さの原因を落ち着いて俯瞰してみると「過小評価」しているということではないでしょうか。
自然が及ぼす力の大きさに対しても、原子力がもたらす危険に対しても。また温暖化がもたらす災害に対しても。未知のウィルスによる感染力に対しても。
そして「想像力の欠如」が問題だと思います。
津波・原発事故・豪雨・台風・そして感染症と共通していえる事だと思うのです。
「情報が適切でない」というのもあると思います。
新型コロナウィルスについては1月後半に中国で発生してからすぐに反応しなければいけなかったのに、国会では桜を見る会でのホテルの割引がおかしいとか、検察官の定年を延長するのはおかしいとか、緊急ではないことの「口論」に時間を延々と費やしていた。
野党もいったんおいておいて、ウィルス対策はどうするんですか?という質問をしていかなければいけなかった。指摘されないと動かないところもあるので。
 また、このところWHOの能力も低下しているように思う。1月23日の緊急委員会でPHEIC(国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態)には該当しない、と発表したのが痛かった。→こちら
 私はえ?と危機感を覚えました。予想通り、これに従って「甘く見た」各国の衛生機構は対応程度を設定したためにパンデミックになったわけですから。そして今頃になってパンデミックだと言っている。もう1ヶ月も世界中で続いているのに。これって福島の原発事故でいつまでもメルトダウンではないと言い張ったのとすごく似ている。事務局長テドロス・アダノムの判断力はもう信用に値しないように思う。
 これは前任者が2003年のSARSコロナのパンデミックに続き、2009年から10年にかけての新型インフルエンザもフェーズレベル6/6としてパンデミックと警報を宣言したけれど、実際は通常のインフルエンザとあまりかわらない程度のものであった、というミスがあったためと思われます。その際に大手製薬会社が影響を与えているのではないかとか、欧州議会から追求されたため、自分も同じミスを犯さないようにと及び腰になったのだろう。
 すでに昨年末に発症しているのだから、早急にヒト→ヒト感染を調査して1月には各国BSL4(バイオセーフティーレベル第4段階)で対応、研究の体制をとっていなければいけなかった。
 初期段階での空港検疫や入国管理、バスツアーにクルーズ船での対応や追跡が遅すぎた。

 もちろんすべてをお国がパーフェクトにできなければアウトだというわけではありません。万能ではない。国民一人一人の意識が高くなければいけないし、より正しい行動を心がけるべきです。
しかし個人個人では対処出来ないことには組織で対応する必要があります。そこに「国」の意味がある。だから税金を払っている意味がある。それを無駄遣いしたり着服していて、肝心な実務がお粗末になっているのが許せないのです。
 政府も市民も「甘く見ている」ということですね。
原発の危険性を訴える科学者やジャーナリストがたくさんいたのに過小評価したり押さえ込んで、せっかくとりつけた緊急時の冷却装置をはずしてあったり、予備電源が津波で水浸しになる位置に設置したままにしたり、いざという時の為に大気中の放射性物質の流動を予測するシステムSPEEDを活用しなかったり隠蔽したり
すでにスリーマイル島事故(1974年)やチェルノブイリの事故(1986年)で恐ろしさは知っているはずなのに。国内でも原子力船「むつ」放射線漏れ(1974年)、高速増殖炉「もんじゅ」事故(1995年と2010年の2回)、東海村JCOでのバケツ裏マニュアル臨界事故(1999年)も起こしていた。にもかかわらず大丈夫だろう、と対策を怠っていた。まるで「うちの子に限って」思想です。
 そこには産業が不振で原発産業に頼らざるを得なかった地域の経済を改善できなかった首長たちの力量不足や、政府の思惑があり、電力会社や原子力委員会、暴力団のなすがままにされてしまったことも絡んでいます。
原発を誘致するかわりに地域に膨大な交付金が入るという構造、雇用が増えることで農民が出稼ぎせずに済むことや、建設人員や操業人員の住宅作りで億単位に儲かる一部の人たち。原子力委員から関連会社への「天下り」。こういうどうしようもない暗黒面を改善しなければいけない。また、これらのことを知りもせず(あるいは知っていても真剣に考えず)湯水のように電気を使う都心の生活や企業、製造業。
結果現在も電力を産んでもいない事故処理のために冷却することで毎日170トンもの汚染水を作り出してタンクにためこんでいる。このことを忘れて電気を使っている国民。そのタンクの水はALPS多核種除去設)で放射性物質をフィルターで濾過するようだがトリチウムだけは処理出来ず、これを近いうちに海に放出するという。

当然漁師さん達は反対です。
私はこのALPSで濾過や吸着させた放射性物質はどう処理するのかも心配。まだマスコミは取り上げていないけれど、結局放射性物質を移動させただけになるのだろうか。そして作業員さん達の防護服などの汚染された品々も含め、フレコンバッグのようにどこか「臨時」の場所に密かに貯めているのだろうか。
あまり密集させるとクラスターじゃないけど放射線量が高くなる。
もちろんこの黒いフレコンバッグを保管する「中間貯蔵施設」をどこに設置するのかはまだ決まっておらず大きな問題になっています。
つまり9年もの間棚上げにして、さらに最終処分場もどうするか決まっていない。にも関わらず現在も原発は各地で稼働しているのです。そして私たちは電気を使っている。

★また、毎日のニュースで今日の感染者はどこで何人という情報は必要とは思うけれど、だんだん麻痺して行くのではないかというのが怖い。
なおった人の数も報道すべきです。何かいったん感染したら終わりみたいな雰囲気になっているので。
新たに感染が確認された人と回復した人との差し引きで、現在陽性の人は何人ということが大切。どの国が一番危険か累計数だけが公表されると、誤解を生む。まだワクチンなどは出来ていませんが人体が本来持つ治癒力で回復する人たちもいるのだから。
例えば陽性から陰性に変わる率、つまり回復率と致死率も公表すべきです。

現在の新型コロナウィルスの蔓延はまだまだ続くと思う。おそらく1年以上は。
「山場」とか言って学校を休みにしたりイベントを取りやめにしたりしているけれど、その期間を過ぎたら感染がなくなるのかというと、そう簡単には行かないと思います。残念ですが。
例えばAIDSがなくなりましたか?エボラ出血熱や高熱病デング熱、コレラがなくなりましたか?
3ヶ月程度で片がつくようなものではないのです。
ばい菌ではなくウィルスなのでワクチンが作られなければいけないけれど、当分出来ないし、認可が下りなければならないし、大量に製造する力量、接種提供する環境がなければならない。エボラ出血熱の場合1976年に最初の患者が出てから有効とされるワクチンが発揮したのは2015年頃になってからですから実に40年近くかかっています。そしてなお確実な治療法はまだ確立されていないのです。
もとはアフリカのendemic (エンデミック- 地域流行)でしたが、なんとかパンデミックを防ぐことができた。
明治時代にはコレラで10万人以上の死者が出ました。ハイチ地震でも多くの死者が出ました。
今回は現代の化学、情報手段をもってしても感染拡大が続いているのでは、オリンピックは無理でしょ。少なくとも有名選手は来日したくないでしょうから記録の価値が下がってしまうし、もし無観客で行えばただの記録会になってしまうのだから。森さん「考えてません」じゃなくて考えぬいて各方面と協議してください。選手は4年のピークを持ってこようとトレーニングしているのだから。

★私は常に思うのですが、上記の様々な問題の解決には「ギフテッド」と言われる人たちの助けを得るべきだと考えています。(次回詳しく)
★あと、アメリカ合衆国も感染者がもっと増えると思います。大統領選挙で大規模集会は続けるということですが、ニューヨーク州では、郊外のニューロシェルがあるウエストチェスター郡で州兵を動員して封鎖に踏み切りました。万が一バッファロー方面に進むとナイアガラによる水力発電がストップという大問題に発展するし、心配。
     ・・・次回に続く。
               2020/3/11  記


  ↓ 前回アップした内容です。


★完成した。

 2019年9〜11月 記  11月16日アップ

完成した。そして終了する。
    何が?新作?
いえ、オーケストラです。
    お、ついに企画していた室内楽ジャズの小型オーケストラか!?
すいまへん。自然界のオーケストラです。
    んがくく?
毎年聞き惚れている秋の虫達のオーケストラです。スズムシにマツムシにコオロギ、キリギリス・・
美しい鳴き声。その響き合い、澄んだ空気が漂う中に広がる宇宙的な振動、サラウンドな音響、タイミング、本当に素晴らしい。魂がマッサージされるよう。
多少不便でもあきる野市に住む大きな理由になるのです。
 実は夏でも鳴いていて、猛暑日の日が暮れて涼しくなって来た頃に、セミとは別に地面から流れて来る鳴き声も好きなのですが、やはり9月〜10月は宴たけなわとなります。
  鳴くと言っても羽をこすり合わせるわけですが、どうしてこうも大きな音が出せるのか、そしてこんなに多彩で様々な音が出るのか不思議。すぐ近くで聴く時に 個別に認識出来る状態と、少し離れたところで風景の一部として聴くのと、さらに離れて様々な鳴き声が混ざって“面”として聴こえる時、そしてそれら遠景、 中景、近景がブレンドされた時の立体的な音響が絵画的で美しい。
 これはある程度広いところでないと生まれない効果なのです。

   ヒグラシの鳴き声を長年研究して気づいたことですが、強弱のパルスが複数で鳴いてズレますからスティーヴ・ライヒのミニマルミュージック的な効果になりま す。木造の大工さんが家を建てる時に釘をげんのうで打ったり、ほぞ等の組み手を木槌でトン・トンと叩く時、数人の叩く音がずれて2拍3連のように聞こえた り、シャッフルのリズムのように聞こえたりするのと似ています。
 鳥と違ってその姿は中々見えない。そこが神秘的。
また、大雨でも台風でも次の日にはまた鳴いている。すごい生命力。いったいどこでしのいでいたのか?セミのように木の幹につかまっていることは出来ないから、じゃぶじゃぶの川のようになる地面でどうやってサバイブするのでしょう?
 寒くなるとだんだん元気がなくなりますが、今年のようにふりかえるように夏日になって気温が上がるとまた復活して大きな合唱になります。
  今まで何回も録音をしてきましたが、中々難しい。フィールドレコーディングを経験したことのある方ならご存知と思いますが、遠くの車の音や電車の音などが かすかに入ってしまう。私たちの耳は目的にしたがってフィルターをかけて、聴こうとしている音を優先しています。だから虫の鳴き声に注意を絞っていると、 他の音を遮断して認識しているのです。ところがマイクはただ波形を記録するだけですから、録音時に気づかなかった遠くの音やかすかな自然音・生活音も入っ てしまうのです。
  もちろんコンピューターである程度はカット出来ますが、肝心な虫の鳴き声も少し影響をうけて変化します。空高く飛んでいる飛行機の音も入ってしまいます。 また、マイクが風に吹かれると、ボワボワとすごいノイズが乗ります。これも対処法はあるにはありますが、ちょっとした工作や工夫が必要になります。
 さらに今年はとある事情があって、鑑賞するだけにしました。残業でヘトヘトになって帰ってきて車からよろよろと降りた瞬間、フワ〜っと繊細な微風とともにこのオーケストラが迎えてくれます。しばらくたたずんで感覚を預けます。
 あきる野市に住む大きな理由になるのです。

 こうした秋の虫達の鳴き声、都会でも場所によっては聴けるでしょう。公園や川原に垣根のしげみ。川原だと川の音が大きくてかき消されてしまうことが多いです。
郊外に行くに連れ、カラフルで多様で大きくなります。
東村山市や小平市など・・・。
さらに檜原村に近づくに従って場所は増えてきますし、広い場所も。
田畑や空き地、大きめの自然公園、大きめの庭、丘のふもとの家のまわり、林道、そして山の中。
  今まで私はあちこち録音に回りましたが、不思議なことに人の居ない山よりも、家の近くの方が鳴き声がいいです。野生動物に食べられないからなのか、人間が 生活の中で出す何かが彼らの鳴き声をよくする効果があるのか・・? 人間の活動音が録音にはいらないように山の中や開けた谷津田、川原などでも録音してみ ましたし、他の人の家の近くも聴いてみましたが、私の家のまわりがいちばん素敵なオーケストラなのです。裏が山なのと、前が畑で、横が雑草の多い駐車場で 庭は木がいっぱいという条件が関係してるのかも知れません。すわ〜〜っと一面に混じり合っている中から、チー、チー、チー、とかキュッ・キュッ・キュッと かスイーッチょ!とかソロが浮かび上がります。何の虫なのかぴーぴーと小鳥のように鳴くのもいて、他の場所では聴けません。ちょうど風の通り道なのも関係 してるかも知れません。でもここで録音しようとすると、やや先にある通りの車の音や、家の生活音などが入ってしまうのです。来年はなんとかいい録音をして 皆さんが聴けるようにしたいと思います。

 このオーケストラ、さすがにもうそろそろ終楽章に入りました。生命力の強い者だけがわずかに鳴いていて、晩夏のセミの終焉もそうですが、これはこれで寂しげな風情があります。これから4月頃までは自然界はかなり静かな状態になります。

  というわけで、今回の完成は虫のオーケストラでした。


                 2019年9〜11月 記  11月16日アップ


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前回のアップです↓

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完成した
2019年7〜8月 記 8月15日アップ


完成した・・。
何が?
ついに新しいCD!?
すみません、残念ながら違います。
山が完成しました。
山が。
7月も半ばになった時です。

どういうことか。
私は生活の中で自然を感じ取ることを重視しています。家の近くの木々の変化、草の種のつき方、花のつぼみ、薬効成分、匂い、雲の色、観察して発見したり、感動したり、驚いたり、インスピレーションを得て作曲したり、地球上で生かされていることを実感したりします。
それでも見慣れたいつもの場所でも新たなことを発見し、こんなことも知らなかったんだな、見過ごしていたんだな・・・って自分の小ささを思い知らされたりします。
 昨年、紅葉が例年と違った感じがしました。
うちのまわりの山々が、いつまでもモザイクのようにオレンジ色のように残っていたり美しかった。
派手なもみじも素晴らしいが、真っ赤になってすぐ終わり、というのではなく、いろんな木が微妙な色合いで長く彩っていたのです。
いつもこんなだったっけ?ってたくさん写真や動画を撮っておきました。
やがて正月にもなろうかという時期にやっと葉が落ち、寒くなり、無彩色に近い山の状態が続きます。グレーの骨のような幹と枝が露出して、青空の日も少なく、虫のオーケストラは長期休暇、鳥達の鳴き声も少なく、やや殺伐としたものが多くなり、寒々とした季節が続きます。
 年を越し(きらいな年号になり)少しずつ気温が上がると、また生き生きとした葉が広がっていきます。
でもそれが今年はやけに遅いな・・・と感じていたのです。
普通、4月は透明感のある若葉が初々しく輝き、5月になると色が濃くなり、葉の厚みも増し、少しだけ「怖い」感じになって来る。そしていつ梅雨なんだ?という時期を過ぎるとニイニイゼミが鳴いて空を高くして、いつの間にか激暑になる、というのが近年のパターンだけれど、今回は中々葉が成長しなかった。
異常気象との関係?昨年紅葉が長かったのと関係あるのかな?
それともついに世界の終わりが近いのか?またはレイチェル・カーソンの沈黙の春なのか?
などと不安になっていたのです。
それが、遅れながらも葉の厚みが増し、木々が濃くなり、山が威厳を醸し出したのです。
それは、今年の山の完成です。

 もちろんただ見た目が美しいとかではなく、花が咲いたり、実がなったり、匂いを出したりしますし、深い森に迷いこめば、危険です。高山でなくとも遭難します。方角が分からなくなって抜けられなくなったり、毒性の植物や、危険な動物と遭遇したり。
しかし森は虫達に豊かな環境を与え、水を調節して山の一部となり、鳥を住まわせ、動物達の世界を確保し、また葉が散り枝が落ちては土になるのです。
 ああ、今年も美しい山になった。ああ、今年も恐ろしい山になった。
また紅葉でカラフルになるまでの間、王者として毅然と君臨するんだな、というある意味安心感と、畏怖感と、敬う気持ちで山を見るのです。
その気持ちを知って頂こうと思いました。終戦記念日ですが、今回は直接戦争のことではなく、戦争があってもなくても自然の営みは続いている・・。という思いを馳せて書きました。
今年の山が完成したのです。

2019年7〜8月 記


 

 ↓ 前回アップした内容です。



★東北大震災から8年が経ちました。
今年もコメントを表示したいと思います。

  2019年3月11日 記


毎年同じことを書くようですが・・11日に向けて意識を高めるためテレビ等の報道番組が重要のはずなのに年々少なくなって来ています。今年はついにほとんどなくなってしまいました。当日の本日少しあるぐらいです。被災していない多くの日本人にとって、現状は伝わりにくい。果たして津波被害で流されてしまった町はどうなったのか?どんな助けが必要なのでしょうか?
以下様々な問題をざっとだけでもあげてみたいと思います。
仮設住居の期限が来て出なければならなくなった人たちはどこへ行ったのでしょうか?
土地をかさ上げして家を建て直すというのはどの程度進んだのでしょうか?そしてどのぐらい住民は帰って来たのでしょうか?
放射能で強制避難になった人々は移転先でどんな生活をしているのでしょうか?帰郷のめどはあるのでしょうか?
また、避難指示が解除された地域ではどの程度の住民が帰って来ているのでしょうか?その際、学校、病院、生活必需品の商店、交通機関などに問題は無いのでしょうか?引っ越したりか奥を修繕したり自営業を再開したり費用がかかりますが、その援助は?
原発事故で汚染された土や落ち葉を集めた黒い袋「フレコンバッグ」はいったい何百個になって、どこに置かれているのでしょうか?それらを保管する「中間貯蔵施設」はどうなったのでしょうか?→関係ページ
事故を起こした原発を冷やす為に投入される水は毎回汚染されるわけですが、それを貯蔵するタンクから漏れ続けていたのは解決したのでしょうか?またそうした汚染水や原発内で地下に染み込んだ汚染水が海に流れて行き魚類が汚染されるのは食い止められたのでしょうか?
それを土中に「氷の壁」を作って食い止める計画は失敗を繰り返していたが成功したのでしょうか?またこれにかかる費用はどのぐらいのもので誰が負担しているのでしょうか?→関係ページ タンクの設置場所自体が満杯になってしまうのはどうすればいいのでしょうか?
廃炉作業等に従事する作業員が浴びる放射線の限界値が限度に来たら人員は足りるのでしょうか?
このリンクには日々起こる福島原発での問題、廃炉作業中の事故等が写真入りで報告されています。

そして重要なことは、東電や政府から表示されるデータがどこまで信頼性があるのでしょうか?
さらにそれについてどうやって確かめればいいのでしょうか?
時間が経つにつれて避難者や地元で復興をがんばる方々もどんどん高齢化していっています。体力、気力ともに限界も来ます。
私はあの津波が起きて、原発事故による恐ろしい日々、そしてガソリン不足で車が遅めに譲り合って走っていた日、電力節約で夜は暗めになっていた町、工場の稼働を消費電力が分散するように配分したり、自分に何か出来ないかと寄付したり物資を送ったりボランティアで片付けに行く人が多かったあの日々を覚えています。
今は夜の町にネオンが光り輝き、車はあおり運転で死亡事故に追い込んだり、イベントだということで膨大な量のLEDでイルミネーションを発行させ続け、すでに美しい建物なのにプロジェクションマッピングを映し出す。
人々の、エネルギーの出所に関しての意識はどうなったのでしょうか。
過去にこのヒールジャムの冒頭ページに書いたコメントを見つけたので、まずそれを再録したいと思います。まず3年目のものです。
それからまた考えて続きを書きたいと思います。↓

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★前回アップした内容です。↓

Frohes neues Jahr!
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
  2019年1月5日 記

年末に過労と寒さでダウンしてしまい、更新も年賀状もその他もろもろずれ込んでしまいました。咳と鼻水がなかなかなおらないのです。しかもプリンターが2台とも故障で年賀状作業が滞り、結局悩んだ末新しいものを買いました。使っているMacのOSが古めのため、機種の選択肢は限られていましたが、だいぶ割り引いてもらい複合機にしました。(Epsonは2度と買いません)

 毎年「音によるお年始の挨拶」として新しい曲を作って、年賀状に楽譜をプリントして発送しており、これは私の音楽創作の方向の近況報告もかねているのです。だから精密に印刷出来るプリンターが必要なのです。毎年ハガキ面のスペースにおさまるよう作曲しつつクオリティを維持するのはかなり苦心するのですが、今回は若干このルールは緩め、はみ出す長さでもいいことにして作曲しました。それは、たまには自分の写真をプリントして送ろうと思い、楽譜とオーバーラップして配置するので完全に網羅した楽譜である必要がなくなったからです。まあ、実際私から毎年楽譜で届いても弾いている人は一人か二人ぐらいかな、というのと、こちらへ届く年賀状には送り主と家族の写真をプリントしている人が多く、結婚した→赤ちゃん生まれた→子どもが受験→こどもが大学生→こどもが社会人→孫が生まれた(!)など姿も変わって行く様子、人生の縮図を見るような感じなのに対し、長く会っていない人には私の顔も忘れられちゃうかな?ということでたまには写真を入れようということにしたのです。近所の自然の風景をバックに撮ったものがあったので。

 まあ自分にとっては曲がこどもみたいなものなのですが。今回はクラリネット・ピースで3拍子ピアノ伴奏です。のんきな旋律ではじまりますが、意表をつく転調に発展し、時にケオティックなホールトーンのようになり、最後は穏やかに終わりますがアウトロでは抽象的な鳥の鳴き声のようなシークェンスに至ります。わずかにミニマルミュージック風になりますが、実はイントロ等にこのシークェンスの断片を使ってあるのです。

 今回の収穫は3拍子中に4連符を使ったり、5連符のブロークンコードなどリズムに変化を付けたこと、旋律と低音位の関係を使って新しい転調法をいくつか開発したこと、トニックディミニッシュやトニック上のドミナント系ディミニッシュを工夫したり、sus4を低音に持って来たディレイドリゾルブ等、聴きやすさとコンテンポラリー感を同居させたことです。

 私から年賀状(もしくは年賀メール)をもらった人はそこに書かれている「ある操作」をするとネットで聴けるようになっているので、当座は「エクスクルーシヴ」チューンというわけです。いつかはおおやけに発表するつもりではいますが。


 前回の更新の続きも途中まで書いてあるのですが、ブルーディスクの使い勝手やなぜそんなに映像を保存する量が多いのか、それと紅葉がいつまでも終わらなかった不思議についても写真をいっぱい撮ってあるのです。同じ場所の変化をとらえた定点観測的な写真のまとめも含め、一段落したらアップロードいたします。

 昨年はとにかく自然の写真を撮りまくりました。iPad proで近くの林、川、山そして空。朝5時から4時間運送会社で働いた後、森の中に入って行ったりして撮影しました。私は植物の専門家ではありませんが、さまざまな葉の美しさや、近づいて良く観察すると新しい芽が隠されていたり、花と思っていた部分が実は葉だったり、花びらが散ったあとの種のしくみとか、普通だったら気づかずに過ぎてしまうことに目がいくようになり、日にちを追ってどう変化するのか興味が湧いて来たのです。

 特に雲の美しさ、不思議さが例年より際立っていて夏の畑やイオンモールの屋上等でよく撮りました。まるでヨーロッパの絵画のような鮮明な雲の形、緻密なグラデーション。でも一眼レフカメラにはかないません。夕方の微妙なグラデーションや夜勤明けで夜明けの平原の壮大さはなかなか伝えられるレベルで撮れないのが残念。
 教員の頃はオリンパスのカメラでフィルムで撮っていました。リバーサルフィルムで撮影してスライドで映写するのです。学校の文化祭で「レンズの魔術師」と題し、体育館に大きく映し出して、バックミュージックは作曲、多重録音したものを流して映画か青春ドキュメンタリーのように発表しました。中学生たちが、普段一緒に暮らしている仲間や先輩が部活や運動会で活躍する瞬間瞬間が大きく映し出され、それぞれ歓声が上がり、終わると自然と拍手が起きてうれしかったものです。
リバーサルフィルムは現像すると普通のネガフィルムと違い反転せずにそのまま見ることが出来るのが魅力。35mmのコマの中にまるで博物館かミニチュアの用に取り込まれて並んだ風景や人物。その中から「マウント」に選んで白い枠にセットして専用のアルバムにしまいますので場所はとりますけれど。
 これをプロジェクターに映写したい順に差し込んで準備しておき、スイッチをオスとカシャ、カシャ、と写真が変わって面白いんです。
 現在のデジカメ系でも機器をそろえれば可能とは思いますが。
 音楽でもCDやダウンロードではなくアナログレコードというのが魅力なのは、ジャケットがアートととして飾れるし、丸い板を丁寧に扱って針を乗せる、何曲目はこの溝だ、B面を聞くには裏返す、しまう前に拭く、とか今手に持っている物体に記録されているという確かさがある。ただし場所をとるし重いけれど。またハイエンドなオーディオファンには真空吸着式のターンテーブルとか、黒くしていないビニール版の方が音が良いとか真空管のアンプ等、凝る人は凝るようで、ピーターバラカンさんのFM番組で高級機材で毎週名盤がかかる。
 写真もフィルムを交換したり現像や管理、保管と面倒だし費用もかかるが、レンズのF値とか被写体深度のコントロールとか、超望遠とかフィルターとか、凝ればより芸術性が出せるようになる。
 今はとにかくあらたな室内楽形式の完成にむけて集中しなければいけないのでカメラにはこれませんが、iPadやiPhoneの可搬性・機動性、映像も撮れて画面ですぐ見られるというのは別の可能性を秘めています。
そしてパノラマ機能があるので横だけでなく縦にも細長〜い写真をたくさん撮りました。このHPでも左の枠など時々使っています。これからはYoutubeで活躍させる予定です。
 ただ私の現状ではファイルの転送や、色の調整のソフト等まだ改善しなくてはいけないことが多く、iPad proやiPhoneの可能性を完全には引き出せていません。
 とにかくUSB端子がついていないので、Lightningから変換しなければならず、いちいちメールで自分あてに送信したり、AirDropで転送しなければいけないのですが、MacBookのOSが古いせいか、AirDropが認識出来ないんです。iOSどうしとMacBookどうしではできているのですが・・。
 それで変換ケーブル+ハブを注文した所です。これによってUSBフラッシュやSDカード、おそらくHDDもつなげられて、ファイルの移動やバックアップがしやすくなるはずです。さらにオーディオインターフェイスにもつなげられれば、iPadでの録音、作曲、楽譜作業等が円滑になり、当初目的としていたことが果たせるはずです。
 ★今年の抱負など詳しくは後日アップしますね。
とにかく今年もよろしくお願いします。新しい音楽をネットで発表して行く準備中。資金がたまれば楽団を募ってコンサートにこぎ着けたいです。
    2019年1月5日 記

 


★近況報告・・体力バランスとりつつ芸術の秋、ブルーレイ

 2018年11月12〜18日 記

 

久しぶりの更新となります。
秋晴れの清々しい日もあれば、冬を思わせる寒さの日もあるこの頃。
みなさんいかがお過ごしですか?
うちの周りはかなり紅葉付いてきました。一方、秋の虫たちは気温が低くなり、やや元気が無くなってきました。
 少し前までのあの恐ろしい猛暑の夏がまるで遠い過去のよう。
それにしても今年も激暑、酷暑、極暑、獄暑(!)の夏でしたが、私はまたエアコンを使わず小さい扇風機でしのぎました。なぜエアコンを使わないかは、1つは電気を極力使わないで暮らせるかということと(人類が原発なしで生活できるよう)、2つ目に各人から排出された熱気が地球温暖化やヒートアイランド、異常気象につながると思うからです。また、震災や豪雨などで避難生活する方々の不便さを忘れないようにするという自分への戒めもあります。
どうしようもない暑さで熱中症になりそうな時は、近くの川に入り、体温を下げました。(後述)
洗濯も極力、洗面器で手洗いで。天日ですぐ乾きますので。

 さて近況報告としては・・・★自分の作曲した室内楽を演奏する小管弦楽団を設立・活動するため、ギターレッスン以外に早朝の配送アシストや、深夜の工場と、無茶なスケジュールで働いて資金を作ろうとしています。直したい楽器などもあるし、レコーディング環境改善のためもあります。それで手首などちょっと痛め気味。(その現場では私が積み上げてきたスキルは通用しません。音楽を作る能力、絵を描くこと、精密な工作、自然素材を使った活動、教育活動、文章を書く、発想力、会話力→役に立たない・・。ただ目的に向けて機械に合わせて秒刻みで体を酷使する。ヘトヘトになります。)
★ここ何年も取り組んでいる、クラシック楽器での木管五重奏作りで、毎年多摩地方に演奏に来てくださるウィーンの木管五重奏の方々と再開して交流を持てたこと。私の新曲を聴いていただき好評価頂いたこと。
★竹の弦楽器作りを再開したこと
★MacBookのバッテリーが弱って持ち運んでの作業が厳しくなったので、止むを得ずまたamazonで買って交換して改善したこと。(ただ、クラシックやジャズ、語学のインターネットラジオを録音し続けているため、HDD容量は常に苦しい。)
★物語作りの勉強では図書館利用で世界の伝承を読んでいること(イランやモンゴルの昔話などで発見が多い)
★歯医者に毎週通って何本も治療したこと(あまりにヤブ医者が多いので前回は都心の大学病院に通って直したのですが、数年たって被せ物の中が虫歯になったりなどしてるようで、時間に融通がききそうな地元のきら○歯科に行ったのですが、やはりヤブでした。それで公立の口腔外科に通いました。レントゲンも撮り直しで余分な出費させられた。)
★ムサ美の芸術祭(ジャズセッションや洋楽弾き語り。ひさしぶりに洋楽歌コピー、ジェームス・テイラーやビリー・ジョエル、ドン・ヘンリー・・やっぱりすごいや)。
★久しぶりに弦楽器フェア(パク・キュヒ生演奏)に行ったこと。
★iPadで身近な自然を撮り続けています。パノラマ機能を使った写真、このページ左にも載せています
★番外編としてブルーレイ・レコーダーを購入して今までHDDに録画してきたドキュメンタリーや放送大学の授業、語学番組、映画などをディスクに移し始めたこと、など・・・良いこともあれば良くないこともありで。
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★前回2回書いたのは終戦記念日に際して改めて太平洋戦争について学び直したこと。自分が平和な国で生存できているということを認識し直すと同時に、未だ解決されていない戦争の爪あとや、人類が抱えている「業」についてみなさんにも考えて頂くという意識喚起の意味もあって。
こういうことを書くきっかけになったのは以前南太平洋の島を旅した時に、図らずも出くわした生々しい戦争の残骸や現地の人に聞いた話から受けたリアルな 、その恐ろしい出来事が青々とした美しい自然との対比によってより悲惨さを帯び、人間の愚かさを思い知らされたからです。特にスーサイド・クリフでの悲劇。以前にも書きましたが、もちろん学校では習わなかったこと、本で読んだり映画になったりしていないことです。
前回の続きを書いてアップロードしようと思っていましたが、毎年新しい事実が明らかになったり、隠匿されていたことが暴露されますが、中々短期間では網羅できず時間が経ってしまいました。手持ちの資料や放送の録画を精査して揺るぎない自分の意見をまとめるというのは難しいことです。
ノモンハン事件、ルソン島、満州からの引き揚げでの悲惨な出来事、平和協定を突然破って北方の島に攻撃してきたソ連軍の蛮行・・。
すでに学校で歴史の授業で習った一般的な認識では浅はかすぎるという段階ではないでしょうか。
でも歴史研究家や社会学、文化人類学、の専門家ならともかく、私は芸術家として作品を生み出し届けるのを生活の主軸にする者、客観的な視点で中々これだという認識を作り上げるには時間がかかりすぎるのです。匿名のネット書き込みとは違いますので、間違った認識を広めてしまわないよう注意が必要なのです。
違う情報源や角度の違う視点からの検討、できれば体験者の話を聞く、それらから共通する部分が信頼できる事実として自分の見解の土台にするのか、バイアスのかかった情報ははじいいて、より俯瞰でニュートラルな選び方をするか、その場合でも見抜くには訓練が必要。

 一見、歴史を学びなおすのは過去の出来事が主軸で、逆に芸術家は今まさに見出したものを主軸にする分野だからということで相反する活動のように感じられます。
 しかし一方で過去の過ちから今進行中の政治経済の問題点、宗教対立や人種問題、難民、エネルギーの枯渇に温暖化、病気の蔓延、異常気象、自然災害など、起きかねない災いを遠ざけるすべを見出すということにしっかりと繋がるとすれば・・・芸術も単に今流行のスタイルや素材に頼ったり商業的な成功を意識し過ぎたり、話題性に といった軽薄で一過性のものではなく、「なぜ自分はこれに人生を注ぐのか」「なぜ表現し続けるのか」といった原点を見つめる時、ダダイズムであったり印象 派の活動を時代背景とともに見直したり、ルネサンスやバロック、イコンと教義を照らし合わせた上での宗教絵画、古代ギリシャ、さらにはロスコーの壁画と いったところまで遡り、たんに個人の感情吐露とか嗜好性や技法のアイディアといった次元ではなく、なぜ人間は図像を書き残すのか?なぜ歌を歌うのか?なぜ 踊るのか?そしてなぜ祈るのか?というところに向き合い、より価値ある活動に繋げるということでは共通してくると思うのです。
かといって自力で情報を精査して確固たる意見を築くには膨大な時間を要する、その時の一助となるのが学者やジャーナリストではないでしょうか。絞った分野ごとに多くの資料や 実地におもむき事実確認、概論、各論にまとめる。調査代行のようなもので、いわば時間短縮装置のようなもの。ただし専門用語が多くなって読みにくくなった り、他の学者と対立する見解に至ったり、場合によっては名誉欲などのために恣意的な変更(考古学の捏造のような、あるいは新聞記者が故意におこなうミスリーディングのような)が行なわれることがあり、どれが信頼できるのかわからなくなる時がある。これでは逆に時間がかかってしまい、本末転倒。
むしろ一般の方々がどのようにケリをつけているのか知りたいです。
というわけで、ひとつひとつの点について理解が深まれば別の機会に書いてアップいたします。


★さてブルーレイディスク・レコーダーについて。
自分が購入時、苦労したのは各社の各モデル、どこが良く、何が問題か、ということがメーカーのカタログやWEBページでは「もちろん」わからなくしてあるし、購入して使っている人のきちんとした感想やフィードバックも少なくて比較する段階にはなかったこと。
こうしたデジタル家電ではわざとそうしていることがあるみたいで、例えばプリンターのインクのコストや印刷スピードとか(特にトナー交換が高価なレーザーのカラープリンター)、暖房器具で同一の部屋を同じ温度にするまでの時間や消費電力量とか、Wi-Fiルーターで家庭内でデータや映像を共有する際の対応機種や転送スピード・・・
会社ごとに単位が違ったり、カタログの目立たないページに1mmの文字で但し書きしてあったり、比較しにくくなっているのです。ひどいのは「自社製品比較」だの「当社比」というヤツ。自社製品の旧機種より良くなっているというわけで、そんなの当たり前で、じゃ前のどの機種で、それはどういうスペックだったの?というと書かれていないことがほとんど。
ネットショップで買った人の感想でも、自分の前使っていた機種よりは少し早いとかここが面倒になった、などのコメントで頼りにならない。
例えば自動車ではトルクだったり馬力だったり、加速力だったり、燃費だったり、ある程度統一されている。そしてそのデータを額面受け取らず、何割でということで販売店やモータースさんが相場を教えてくれる。(タイヤはやや事情が違うが。)録音機材ならS/N比や周波数特性など。パソコンならCPU速度やメモリ量、記憶容量など。
 ということで、どの機種にすべきか中々踏み切れなかったけれど、拡張した何個もの外付けHDDは日々いっぱいになって「早く見て消さなきゃ」状態が続いたので、思い切って東芝のレグザシリーズDBR-W1007にしました。テレビも前のチューナーもレグザシリーズだから互換性が良いだろうということで・・・。
 一番知りたかったのはすでに外付けHDDに録画してある分を「レグザリンク」機能によって購入するブルーレイ・レコーダーに入れたディスクにムーヴ(ダビング)できるのか?ということだが、この情報が少なすぎて、例えばどの機種ならできるとか、どういう場合はできないとか、どのぐらい時間がかかるとか、使い始めないと分からないことが多い。
結果から申しまして、「できるけれど工夫は必要」という感じですね。

 買ってからも分厚い説明書が極端に分かりづらく(説明がド下手)、辞書のように何ページ参照で飛ばされる。飛ばされた先でも分からず、URLが書いてあってインターネットで調べるようになってる不親切さだが、そのWEBページに行こうとしても存在していなかったり404エラーになる。東芝の配慮の無さ、不備に驚きます。

 大手電機屋店頭にその説明書を持って行って店頭で尋ねたが、はじめはネットワークを構築した上でダビング先を指定するというような手順と言っていて、それにはいろいろな設定、ユーザー登録等しないといけない。そんなに大変なものなのか・・?と思っていたら、店員が何人も入れ替わってタブレットで検索したりでやはりレグザリングのページは存在しなかったり、で結局、明日メーカーに問い合わせておきますという感じでした。
 結果、ネットワークを構築しなくてもテレビとレコーダーそれぞれがインターネットにつながっていれば出来るということのようだが、それぞれの機器のメニュー表示からインターネットへの接続を設定するが、片側からは認識出来ないようでダビングが出来ません。両方の機器から相手を認識出来ないといけないようです。

 それでまた大手電気屋店頭に行って店員にたずねてみると、メーカーの人の返答は無線LANだと時間が極端にかかったり、通信品質によっては途中でエラーが起きて最初からやり直しになり、場合によってはダビング元の録画が消えてしまう、という恐ろしいもの。メーカーの人も自信持って薦められないらしく、LANケーブルで物理的に繋いだ方がよいということでした。

再び家に戻り、どちらの機器もネットの接続をいったん切る設定にした上でもう一度つなぐように設定しなおすと、ダビングが可能になりました。テレビ側から無線LANでデータを送信しブルーレイレコーダー本体のHDDへも、挿入したディスクへもできます。しかし非常に時間がかかります。そしてテレビとレコーダー、どちらかが録画中はダビングできません。だからスポーツの長い番組や映画を録画中の場合、終わるまで待たなければいけない。ダビングの方は予約機能はありませんから。

 また現時点が録画中でなくても、ダビング完了までの予想時間内にテレビで録画予約があると開始できません。レコーダー内で本体HDDからディスクにダビングする時は録画予約が近くても可能だが、その録画がブルーレイディスクへの録画予定の場合はHDDの方になる場合がある等の警告が現れます。

またディスクにダビング中はそのディスクの再生はできず、録画番組の一覧も見られません。

ですから寝る前に複数番組を選んでダビングを開始してから寝るとか、外出前に開始するなど時間について工夫が必要なのです。また、起きてみるとダビングが失敗していることがありますが、どういう時ダメなのかまだはっきり分かりません。

今のところ元録画が消えたというのはありませんが。

また、時々全くダビングが出来なくなる現象もあります。どのディスクに入れ替えても、レグザリンクどころか、本体内でのダビングも出来ない。ダビングのアイコンがブラックアウトしていて選択自体が出来ないのです。近い録画予約もないのに。これには困り、結局本体の電源コンセントを抜いて少し待ってからまたつなぐと、可能になりました。

 このようにいつでも手軽にというわけではないんですね。こういうのは使い始めないと分かりませんし、果たして高級機種だと不具合が無いとか書き込みが早いのかとか、録画中もダビング出来るとか差があるのかどうか・・?

 また、テレビの方はつないだHDDの残量が少ないと何かが削除され、録画が優先されますので消えては困る番組は保護しておかなければいけない。でも何か録画中はこの指定や解除ができないのです。一方レコーダーの方は残量が不足していると録画が中断してしまう。それで容量の残りが重要なのだけれど、13時間と表示されていて大丈夫と思ったいたのがあっという間に0時間になっているということが多いため、重要な番組はテレビのほうと両方予約しておく必要があるのです。

 これからブルーレイディスクレコーダーを買う方は参考にしてください。

また、書き込むディスクはBD-Rを買って来るわけですが、私のようにダビングしたりHDDに戻したりと自由に書き換えるにはBD-REでなければいけません。

 ところが一般的に販売されているのは25GBのもので、ドラマや語学番組などシリーズ物を記録しようとしてもすぐいっぱいになってしまう。すると頻繁にディスクを抜き差ししなければいけませんが、昔のカセットテープと違っていちいち読み込むのに時間がかかるのです。となると容量の大きいものが必要で50GBと100GBのREが使いたくなるわけですが、当然価格が上がってきます。また、100GBのREは現在Sonyからしか販売されていないようです。これなら円盤形リムーバルHDDのようなイメージで使えます。まだ高いですが。

こうしたことが情報の洪水といわれる現代でもなかなか分からないようになっています。Sonyからは125GBのREが発売になったようですが、まだまだ入手しにくいようです。

 なぜそんなに録画したいものが多いのか・・。

   続きは明日?アップします。


↓前回アップした内容です。

自宅近くで撮った写真です。
自宅近くで撮った写真です。

★みなさん、今日は何の日かお分かりですか?今日は終戦記念日です。

  2008年9月2日 記
 え?前回8月15日に同じこと書いたじゃない、と言われるかもしれませんが、本日9月2日は世界的に第2次世界大戦が集結した日として認知されているのです。「対日勝利記念日」です。
海外ではVictory over Japan Day とかV-J Day、またはV-P Dayと呼ばれ、記念切手やコインが発行されました。
終戦時の夏、ポツダム宣言を「黙殺」したために原爆が2発も落とされ、日本各地で無差別爆撃を受けたが、軍上層部や御前会議では終戦の決断ができずグズグズしてどんどん犠牲者が増えて行きました。本土決戦が迫り結局8月14日になってやっと降伏することが決まった。翌15日に「終戦に関する詔書(玉音放送)」がラジオで流れ、国内では負けたんだ〜、終わったんだ〜となるわけだけれど、海外では別にその放送聞いてるわけじゃないですから大きな意味は持ちません。太平洋上の島や北海道の北の島など、日本兵自体に伝わっていないケースもあったのですから。( なお本土に敵が上陸しても民間人含め玉砕するのだと主張して玉音放送を流させまいとする陸軍のクーデターまで起こる始末でしたが、これは以前書きましたので繰り返しません )
この国内向けの日本語放送よりも、ポツダム宣言をやっと受諾して「降伏」するということで、東京湾に浮かぶ巨大な戦艦ミズーリの甲板で9月2日に調印した、これが重要なのですね。
写真やネット動画でも多く見られます。→こちら等
 これだけ大きな戦争になると終結には確固たる手続きが必要。いくら連合国側に連絡だけしても、口約束だけで破る可能性があるからです。しかも開戦時の日本軍によるハワイ攻撃が、宣戦布告前の卑怯な行動とされているため、信用がないから。(本当は宣戦布告の通達は真珠湾攻撃の前に送信済みだったが、大使館での担当日本人が解読・翻訳・伝達をまごまごしたために遅れたのが真実。だがあまり知られていない。一方で米国は独自に傍受・解読して知っていたが卑怯な悪者相手に闘うという大義が必要だったため、伏せていたらしい。米自国民は知りたくない事実。)
 例えば当時ヒトラー率いるナチスは日本と同盟だったが、仮にもし降参しますと連合国側に連絡だけして来ても信じられないでしょう。やはり各地で武装解除した上でナチ本人なりヒムラーなりヘスが正式な場に同席して降伏条件を記したしかるべき書類にサインや調印しなければ、認定できないでしょう。(これをせず、自殺したわけですが)
 というわけで東京湾に浮かぶ巨大な戦艦ミズーリの甲板でマッカーサーや連合国各国代表が立ち会う中、日本からは陸軍、海軍、外務省の代表たちが参列し、外務大臣の重光葵、参謀総長の梅津美治郎が9月2日、署名した。
ちなみにアメリカ軍は、この際にひときわ大きい兵隊を選んで並べさせ、体格的にも優れていることを強調したといいます。

これにて総数8千万人を超える犠牲者を出した大戦が終結したのだ。
それで私は8月15日と9月2日は特別な日としてお経を唱えたり、前後には毎年新たに浮かび上がる情報からドキュメンタリーを元に学んだりします。
その中で、一般的な学校教育や、日常的な報道では伝えられていないけれど、重要なのではないか?と思うことを書いて、みなさんに知っていただきたいと思う次第なのです。

 以前は体験した人がなぜもっと語らないのか、伝えないのか…と思っていました。
でも、よく考えたら戦場で兵士として戦った人は相手を殺さざるを得なかった人も多いから、戦争とはいえその事実を講演などで語るのは、抵抗があって当然なのです。こどもたち相手の会では触れるべきかどうか色んな意味で慎重になるべき。また相手国の人からも恨まれるわけで危険にさらされる恐怖感もあります。
また直接手を下していない人や、民間人で命からがら極限の危険を生き延びた人も、つらく悲惨な体験は長い年月が経っても心を締め付けるのであって、仮にその後家族ができて幸せな生活をしているようでも拭い去れず、夢に出たり、人に話せず苦しんで過ごす方も大勢いる。話すことで何か大切なものが壊れてしまうのではないか?偏見や軽蔑にさらされてしまわないか、自分はともかく家族がいわれのない差別にさらされはしないか、という恐怖もありましょう。
だから講演会や、学校やNPOなどの催し、メディアのインタビューなどで体験談を明かしてくださる方はとても勇気のある方で稀有な存在なのだな、と思います。

★兵隊さんで悲惨なのは、やはり太平洋上の島々やニューギニア戦線で食料も医療も弾薬も供給されず、飢え死にしたり病死したりした人たち。
現在の装備を持ってジャングル入りしても、その高温多湿、スコール、ぬかるみ、吸血動物(ヒル、蚊など)、蛇、など難航するのを、予防注射もなく、ろくに食べられず、疲労困憊に栄養失調状態で、マラリアで死んだ人は多い。
ガダルカナル島では1万5千人、インパールでは4万人、ルソン島では5万人以上が羅患して亡くなった。これは本人も家族も悔し過ぎる死因です。敵と戦って散ったというならばまだしも、食料が届かなくてやせ細って動けなくなり、置いてけぼりになっていったのです。中には靴が豚皮でできているので煮て食べた人もいたということです。やがて空腹の中、意識が混濁していきますう。体力が落ちていれば当然マラリアに対する抵抗力もありませんから、熱にうなされますます動けなくなります。やがて餓死して打ち捨てられ、虫や動物に食され、スコールを浴び、泥に沈み、白骨化していく。そして今も回収されず、ジャングルの中で眠っているのです。日本政府これらを調査、捜索、回収する意識はありません。
生き延びたり捕虜になった日本兵の写真を見ると、ガリガリであばらが浮き出して、ミイラ寸前。敵兵も驚いたことでしょう。いかに司令部が無能で指揮官が思考力不足だったかが分かります。
ジャングルには逆に獲物、食べ物はあるはずなので、一旦無意味な行軍をやめてこれらを採取する方法を確立すればもう少し違ったはず。実際に小野田少尉(ルバング島に29年)や横井さん(グアム島に28年)のように終戦を知らず長年ジャングルで生き延びた人もいるぐらいだから。兵士が倒れていけばそれだけ戦力不足になるということが分からなかったのか。
または蚊に刺されて感染して死んだというのも悔しい限りでしょう。有効な薬のキニーネは不足していたため支給されたのは上官だけで、兵隊は消耗品扱い。このような戦い方の意識で兵器の性能、体格、兵士の数、情報に勝る大国相手に勝てるはずがないでしょう。
ですから終戦記念日にはこうした無念の犠牲者が成仏できますようにと、せめてものお祈りを捧げるのです。

★民間人にも悲惨な出来事がたくさん起きました。
大東亜共栄圏という名目のもと「満州国」(現在の中国東北部)という植民地支配状態で入職してい た日本人は、敗戦と同時に、追い出されます。もともと住んでいた先住の農民たちは土地を取り上げられて差別されて来た恨みを晴らすため、棍棒やナタなどを持って集団になって日本人の家を襲い、略奪します。ほとんどの地域、兵隊に出ていて抵抗できる男性はいません。女子どもと老人だけです。棍棒で顔の形が変 わるほど殴られたり、性的暴行を加えられたり、殺された人も多いということです。
皆で畑の中に隠れて、夜の闇に紛れて少しずつ移動して、なんとか 日本へ逃れる手段を探します。でも港までははるか遠く、交通手段はありません。軍は武装解除や捕虜になって助けには来てくれません。皆さん、もしそのような状況下に置かれたらどうなさいますか?食べ物もなく、怪我人もいる、小さな子どももいる、病気になるものも出る。
 運良く列車に乗れても線路が破壊されて進めない。こういう地域ほど国が引き揚げ対策は遅れて、特にソ連の占領地域は引き揚げに関して全く無関心だったということです。
港まで遠い地域は何ヶ月もケアが遅れて、満州にいた日本人推定155万人、帰国できたのは127万人。
 ある人の告白によると、集団で隠れていたが、年老いた村長さんはじめ、皆で話し合って逃亡をあきらめ、夜の畑でお互いが殺しあう集団自決を行なったということです。といっても毒薬も武器もない。はじめに力のない幼子を首を締めて殺し、大人どうしが首を絞めあって殺すのだそうです。泣きながら、すぐ後から行くからねと我が子の首を絞める母親、そして大人どうしでも、という地獄絵図。しかし生き残ってしまった子どもがご本人で、山の中を隠れ、何日もかけて命からがら港に着いて引き揚げ船に乗って帰って来たということです。
このような体験をした人たちは沢山いて、焼き討ちにあったり、ソ連兵に襲われたり、収容所に捕らえられたり、戦争は終わっているのに、心にも体にも忘れ得ぬ苦痛を刻み込まれて、気の遠くなるような過酷な道のりを経て日本に帰って来た人たち。
 また、生き延びる手助けをしてくれた中国人の人たちも多くいた証言があります。幼子を連れては逃げ切れないということで、子供だけ預かってもらって、後ろ髪 ひかれる思いで引き揚げた人たち。その時の子どもが「中国残留孤児」で、のちに政府が親子再会の手はずを作って船で帰国できた人もいます。もう大人になっ ていて記憶が曖昧な人も。
このように戦争の及ぼす悲劇は戦闘そのもの以外に多岐にわたります。

★同時多発で太平洋上の各島で、中 国大陸で、朝鮮半島で、硫黄島で、シベリアで、ビルマで、フィリピンで、沖縄で、ニューギニアで、極寒のアリューシャン列島で、国内で、悲惨な出来事が起きた。それらのすべてに熟知していなければ意見を述べてはいけないということは無いはず。
それにしてもどう考えたって、巻き込んだ地域が広すぎ る。素人が考えたって、資源のない小さな島が地球上のこれだけの範囲に軍隊を置いて、気候も必要装備も違う地域に適切な弾薬の補充、医療と食料の供給、相 手に分からぬよう正確に連絡して勝つなど到底無理でしょう。現在の技術でも無理。
そして戦場で亡くなった兵士は、実際の戦闘より、食料不足による餓死、ジャングルでの病気によるものが多い。
これはほとんどが軍上層部の作戦ミスや自国軍の兵士をゲームの駒以下にしか見ていないような、人命を軽視した机上の地図上でただ動かすだけ、失敗は隠す、軍派閥での意地の張り合い化かし合い・・・。
高 級軍属、大本営の司令官はどろどろの前線の実地体験がないので、想像力の欠如が著しい。標高の違い、湿度の違い、降雨量、蚊など昆虫の媒介による感染病、 地面のぬかるみによる体力のロス、熱中症、脱水症、栄養失調。むしろ登山家や医師、動物学者など専門家を招集して対策を練るぐらいでなければいけないので はないでしょうか。
こういう無能な指導者、指揮官をポストにつけたことが罪なのです。そういうお国の構造だったのですね。
 今私たちはこういうことを繰り返さないために、全ての被害や戦況を学んでいなければ意見を述べてはいけないということはありませんが、せめて終戦記念日などにじっくり調べてみるのは大切と思うのです。
もちろん洗脳に近い教育によって天皇は神であり、日本は特別な加護を受けているカミカゼの国、と盲信してやまなかった人たちもいて、民間人やメディアも歯止めが効かなかったということは理解しておく必要があります。
当時の子どもたちの絵日記を読んでみると、完全に国粋主義に染まっています。兵隊として戦うのが憧れで、誇りで、兵隊さんごっこをします。伝えられる戦況で一喜一憂します。そして鬼畜米英に捕虜になるぐらいなら自決すべしという「戦陣訓」が叩き込まれていきます。
一方で知性のある人たちは疑問に思いましたが、意見を述べようものなら憲兵に逮捕されてしまいます。非国民と村八分にされた人もいるでしょう。しかし桐生悠々のように堂々と新聞で批判を書いて、「関東防空大演習を嗤ふ(わらう)」を発表するような強者もいました。
また小説家で軍部の命令で、仕方なく戦争を賛美する作品を書いたり、兵士の活躍を書いた者、逆に拒否して投獄された者、軍隊を鼓舞する曲を書いた音楽家・・など芸術表現にも恐ろしい影を落としました。
 こうしたことは知っておくべきです。細かな戦況の変化の日時や、犠牲者数を暗記していなくても、今後意識を操作されないか防御する準備は必要と思うのです。 つまりプロパガンダやミスリーディングに騙されないように、あるいは加担しないように注意を払う必要があること。それは考えもしない手法で意識に滑り込ん でくる。ある時は楽しいイベントとセットで、ある時は前回書いたように新たなストレスを生み出し、それを解決するためにお金を払うという偽りの必要性に よって、あるいは敵のように想定されたものに対する正義という衣をまとって現れるかもしれないのです。
技術や情報の洪水の中でかつてはなかった手法で産み付けられるかもしれない。
だから私たちは過去の出来事を注意深く分析し、記憶にとどめ、結局は人間の根源にある純粋さ、情緒、思いやり、発想の豊かさを持って生きて行くべきと思うのです。

まだ書き足りないことは沢山ありますが、一旦ここで筆を置くことにします。

    2008年9月2日 記
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↓ 前回アップした記事です。


7月、雨の朝、ヒグラシたちは悲しげに鳴きます。

  凛とした響きで、悲運に去る者たちを見送るように。
8月、雨の朝、ヒグラシたちは哀しげに泣きます。

  息も絶え絶えに、まるで自分たちを弔うかのように。

   2018年8月15日 記

 豪雨によって亡くなられた方のご冥福を祈ります。またその親族の方々の悲しみ、未だ行方不明で探している方々、家が倒壊したり砂まみれになって復旧に困っている方々、避難所で暮らしている方々、その苦しみが少しでも軽くなる日が来ることを祈っています。

★終戦記念日です。 

  皆さん、今日は終戦記念日です。毎年この時期には、このヒールジャム冒頭ページに戦争の歴史や、新たにわかった事実などのコメントを書いております。
  私は右翼でも左翼でもなく、アナーキストでもなく、政治団体にも宗教団体にも属しておりませんが、現時点で日本という場所で生活している以上無視し続ける のは無責任になる、ましてや芸術家として作品を送り出す以上は立ち位置をしっかりしておく責任もあると思う点で、学んだこと、体験したことなどをもとに書 いています。
 毎年繰り返す部分もありますが、初めてこのサイトを見る方もいらっしゃいますし、自分の確かめの意味もあって書いています。

 ここ数年、かつて若い兵士として戦場を経験した人、こどもとして満州からの引き揚げや、ソ連の突然の条約破りで終戦後進侵攻して来た北の島での卑劣な暴挙を目の当たりにして来た人々が、もう80過ぎて、今まで語らなかったことを、死ぬ前に伝えねばと語り始めています。
 アメリカの公文書の公開によって明らかになった記録から当時の様子がまざまざとよみがえるという部分もあります。

  これを機に例えばルソン島(フィリピン)での悲惨な戦い、戦争孤児達がどのように差別を受けて来たか、原爆投下時の悲惨な光景、満州に取り残された人たち の集団自決や逃避行、工業地帯でない港町への戦闘機による襲撃、秘匿されて来た日本の諜報部隊の様相、その他学校教育では触れられない残酷な戦争犯罪の 数々、これらはテレビのドキュメント番組、ラジオ番組でも明らかになってきました。でも意識していないと見過ごしてしまいますし、バラエティー番組やスポーツ中継等の影に埋もれてしまいがちです。

 それを、こういうことが報道されましたよ、とお知らせする意図もあり、書いております。

★人間は自分の日常から遠く離れた、忌避的な内容からは、目をそらしたくなる。
聞かなかったことにする、知らないふりをしたくなる。自分の身に起こったことでさえそうして心の安定を保とうとします。

 ですから遠い過去に起こった想像を絶する悲惨なことごとを、伝えられて真正面から捉えて、解決方法はないのか、と向かい合える人は多くはないです。
学校教育の中で戦争の悲惨さを写真などを交えて教えても、今ひとつ入ってこない。
その理由の1つに、自分が無力で重火器の前にさらされた時、ということを想像できないこと、重火器の威力自体を知らない、ということがあります。
カッコイイ漫画や映画の主人公は、敵の軍団が撃ちまくる弾幕の中でも当たらず、こちらが撃った弾では敵が次々と倒れる。
 もし主人公が撃たれてもすぐ治る。こういうことに慣れてしまっているのです。
チャンバラの昔から「活劇」というものはそういうものとして描かれてきました。
その後、死後の世界でも特訓して生き返る、又は幽霊として参戦する、という設定も登場する。
 ですから一回撃たれれば終わり、やり直しはきかない、という恐怖感が想像出来にくくなっています。
 この40年ほどはビデオゲーム(コンピュータやケータイ、ゲームセンターの機器)では、撃たれて死んでも次のゲームができるのが普通です。格闘技で闘って、残酷に倒されてもすぐ第2ラウンドが始まり無傷のコンディションで再戦します。これを子供の頃から1日に何十回も繰り返し、成長過程で何万回も行う。
これでは「やられる」という恐怖を想像するのは身につかないと思います。
実際に総合格闘技の試合などに出たとして、殴られれば痛いし鼻血もでるし、まぶたが腫れて見えにくくなります。蹴られれば、その激痛に、内臓が破裂したか もしれない、足が折れたかもしれないと動揺します。腕を絡まれれば、肘の靭帯が損傷するかも、首を絞められれば息ができず、死ぬかも、と思います。そうし た恐怖感、焦燥感、絶望感、恥ずかしさ、悔しさ、そういうものがビデオゲームにはありません。自分は柔道や少林寺拳法を学んだことがありますので、想像で きます。
 しかし銃火器では全く通用しないでしょう。遠くから引き金を引く(クリック)だけでお腹に穴が開いたり、頭が吹っ飛んでしまうのですから。
ゲームの中では簡単に続きができるし、相手を弔ったり、家族に謝罪に行ったりしません。
 もしコンピューター側がやられた時に勝手に再起動して再戦して来たら?泥沼の復讐合戦になって終わりがなくなります。そうなれば睡眠時間や、友人との交流、学びの機会は浸食され、肉体的にも精神的にも不健康な状態になるでしょう。
そう、つまりこれらは人間が、「わざわざストレスを作り出して、それを解決したくなる欲望を利用した商売」なわけです。これに踊らされてお金を払い続け、マインドコントロールされている状態ってもしかしたらたくさんない?
ドラマや映画での敵対設定、パチンコや競馬などのギャンブルとか、コレクターズアイテムとか、ジェットコースターとか、おばけ屋敷とか、入手困難なチケットとか。

  パチンコ場に行かなければ「負ける、すられる」という悔しい状態には出会いません。いったんお金を損すると取り戻したいという欲求が生まれ、抜けられなくなります。その中で適度に時々勝たせる設定に なっているので、「ラッキー!運が向いて来た」とか勘違いして続けてしまうのです。でも商売ですから、お客の方が儲け続けるようにはできていません。倒産 しますから。1ヶ月単位、1年単位で使ったお金、戻ったお金をメモしておけばマイナスになっているはずです。そしてその収益は、実は国外に吸い取られていたりします。
有名なアニメの設定やキャラクターなどもこの産業に利用されます。契約すると凄い利益になるため断れないのでしょう。
  かつて「たまごっち」というおもちゃがありました。小型の丸っこい端末のビデオゲームで、架空の生き物を育てますが、頻繁に面倒を見ないと死んでし まったり、凶暴になってしまったりする。そこで子どもたちは常に持ち歩き、育て具合を見せ合ったりしますが、授業中もいじったりするので、学校では困らさ れました。(私はかつて教員でしたので)
さらにこれが、生産数を少なくしたり、出荷を制限したりすることで「欲しい人が買えないというストレス」を生み出し、レアもの感を演出する。
するとお金に余裕のある人は高値でも買うということで、ネットオークションなどで法外な値段で取引される。話題にもなり注目される。ただしこの出品者がBAN○AI関係者でないという保証があるのかな。
     今、似たようなことがあります。「ガチャガチャ」とか「ガシャポン」と呼ばれるカプセルトイですね。昔から駄菓子屋の店頭や遊園地などにあって、お金を入 れてダイヤルを回すとゴロンとプラスチックの卵のようなものが出てくる。この中に様々なアイテムが入っているわけです。かつては文具だったり、おもちゃの 指輪、ガム、知恵の輪などでしたが、やがてキャラクターグッズやミニカー、リアルな動物フィギュアが増えて来ます。似たようなものにカラフルな銀紙に包ま れたチョコの内側にプラスチックの卵型容器が入っていて、開けると色々なアイテムが入っているという、キンダーサプライズとかチョコエッグ、チョコQ等も あります。
本来、何が入っているのかな?というドキドキと、これは何だろう、あ、そういうことかと理解する、という喜びだったので、他にどんなものがあるのかわから ないという、謎も楽しみだった。それがだんだん、こういうシリーズですよという写真付きの紙が封入されていたり、貼ってあったりする。すると「収集癖」が 刺激され、全部揃えたくなる。飾る楽しみ、持っているという所有欲、他の人はあまり揃えられていないという優越感、中にはネット上で写真を披露して自慢す る人もいるでしょう。こうしてシリーズ化したものを揃えたいという欲求が「創られ」ます。
アメリカの「Spawn 」ブリスター・フィギュアの革新(一時期集めました)か ら日本の小型おもちゃ造形も飛躍的に進歩して、今ではコンビニの食玩や缶コーヒーに付属した筒型容器、このガシャポンでも精妙な仕上がりのフィギュアや根 付けが展開されています。ユーモアのある造形、猫に被せるかぶりもの、などなど。ところが販売のおじさんと話をしてみると、そこにあるケースの中でコンプ リートできるとは限らないという。同じものが2回出てきてしまったり、目当てのものはなかったり。すると「ギャンブル性」というものが出てきます。
そしてたまごっち方式で、揃えてあるぞとオークションに出品されて競い合い高額になる。それを高値で買ったことで、所有欲は満たされるがある意味「ズル」 なのでギャンブルでは負けたことになるのだが。この中で、子供が欲しがるアイテムがあり、たまごっち方式で数が少なく中々出てこない。すると子どもは何回 もやってお小遣いを使い果たし、欲しくないものがたくさん手元に残る。かつての仮面ライダースナックのカードみたいなことに。
そこでお金に余裕のあるお年寄りがネットなどで何万円もかけてゲットして孫にこれがあるから遊びにおいで、ということになるのだそうだ。つまり遠くにいる おじいちゃんが孫の顔を見たいが中々きてくれないので、喉から手が出るほど欲しがっているガシャポンを法外な値段で入手して、それを目当てに遊びにきても らうわけですね。これって正常?
出品してる人誰?
このように新たに色々なストレスを産み出してそれを解決するためのお金で儲ける、という手法。これに踊らされるのって寂しくない?
 例えば手の込んだ食べ物で1日にこれだけしか作れまへん、という手作りのお店、行列になって、結局完売でたべられないひともでる。こいうのは仕方ないで しょう。品質が低くなって大量に作るよりも、作り手が納得いくものを丁寧に作っているから数に限界がある、ということ。これは工場で大量生産できているの に出荷を制限して「インチキの希少性という付加価値」を作るのとは違うのだから。つまり何のためにやってるの?という原点が問われる。自分が工夫したこ と、努力を重ねたことをお客さんが理解して評価して、喜んでくれる。その対価としてお金をもらい、生活する。農作物でも、建物でも、演劇でも、漫画でも、 音楽でも!それを、イライラさせる元を作って儲けようというのはどうかな・・。
  話は戻ります。ゲームの世界でゾンビやモンスターを殺しまくる、時には一般人も。この逆の状態を表示したらどうでしょう。モニターの中に自分が選んだ キャラクターがこちらに銃を向けて発砲する、私の胸に穴が開いて血が飛び散る、または大きな剣で切りつけてきて私の腕が切り落とされる、お腹から内臓が出 てしまう。あなたはこういうことをして楽しんでいるんですよ、と認識できる逆の視点。やられる側の立場が想像できるようにするゲーム。もちろん売れないで しょう。爽快なストレス解消にはならないでしょう。
でも、戦争で、どう?無人攻撃機を飛ばして、離れた基地や戦艦の中でビデオゲームのように画面を見て爆撃。もし撃ち落とされてもこちらは生きている。しかし病院を誤爆して民間人やお医者さんがたくさん死んだら生き返りません。
 誰が償うの?どうやって償うの?

・・・・終戦を機にいろいろ「病んでる」な、と思うことに触れるのも能勢流で、私がテニアン島など南太平洋で見たり、現地の人から伝え聞いたスーサイドク リフの出来事や原爆ピットといった実際に見たなまなましい傷跡と関連づけて掘り下げたいのです。一見無関係のように思える事象は実は同じような構造を持っ ているかもしれないとも思えます。

 戦争自体が「ストレスを作り出して、それを解決するためにお金を払わせる商売」の手法じゃないのかな?と感じるからです。

 この続きはまた後日・・・。

家からは近いけれどあまり人の来ない清流の脇で、戦時中と同じせみの鳴き声、水の音を聞きながら書きました。お昼には正座して般若心経を唱え、各地で散って行った未曾有の命の冥福を祈りました。

  2018年8月15日  記



★東北大震災からもう7年 関連死3,647人について考え直す必要あります。避難者はまだ7万3千人。

  2018年3月11日 記
家族・親族を亡くされた方、お悔やみ申し上げます。後年に関連死で亡くなられた方、ご冥福をお祈りいたします。
また、地震からも津波からも被害を免れたのに原発事故によって今も遠く離れた不慣れな土地で暮らす方々の悔しさ、怒り、お察しいたします。

私は3月11日14時56分に黙祷いたしました。毎年、この未曾有の大災害を振り返って、自分の生き方を問いなおすことにしております。
 また、年々世間一般では危機感やいたわりの意識が薄れて来たように思いますので、このページを使って黙祷だけでなく「文祷」もするようにしております(造語ですが)
 亡くなった方1万5895人、未だに行方不明の方2539人という状態です。

震災関連死で亡くなった方が3647人ですので、2万人を超える犠牲者の出た大災害なのです。
 その後土地の高さを2〜3mかさ上げする造成が進み(3県30地区4800億円)、住宅が建てられたり、交通機関が再開してある程度商店が戻った地域もありますし、人口が少しずつ地元に戻っている地域もある。夏に限定的ながら海開きをした浜もあります。一方で未だに故郷に帰れず、失った家や店を建て直せない、放射能汚染によって職業を再開出来ない、鉄道路線の修復が終わっていないところもあります。
あまりにも範囲が広く、土地ごとの事情が違うため十把一絡げに東北は、と言うことは失礼に当たるでしょう。
 ただ、避難者はまだ7万3千人いらっしゃいます。(復興庁調べ)
とても「復興の仕上げ段階に入った」とは言えないと思います。
復興庁のサイトで避難者の内訳を見てみると・・
仮設住宅や公営住宅、民間の賃貸住宅等にいる方が5万3446人で前年度より1894人減、
親族・知人宅が19632人で36人増、
病院等が271人で1人増  
73349人で1857人減
地域別では福島県17189人、宮城県9795人、岩手県8855人なのでやはり福島県が圧倒的に多い。いかに原発事故の影響が大きかったかを示しています。
 また仮設住宅の人が減ったのは強制避難だった地域が解除されたことも多いでしょうけれど、仮設住宅の無償提供が昨年11月に終了してしまったことも関係しているでしょう。必ずしも故郷に帰れたのではなく、親族・知人宅の数が増えていますのでそこへ移らざるを得なかったというケースもあると思います。
★また、毎年書いていますように「震災関連死」で亡くなる方がまだ増えています。
ですから亡くなったことで仮設住宅使用者が減ったという分もあると思います。なんと調べてみたら未だに毎年100人以上が亡くなっているのですよ。
「震災関連死」とは阪神淡路大震災で認識されて来たもので、仮設住宅や移住先の生活環境が悪く、精神的なストレスから睡眠不足、水や食料を十分に取れないことから脱水症状になったり、ストレス過多で心不全が増してしまうのです。
 東北大震災・原発事故の場合は津波や火災で家族が亡くなったことによる精神的ショックや周囲となじめない孤独感、言われない差別、といった過酷な避難生活が長期にわたっています。これは交感神経を緊張させ、血圧が上昇し、脱水も加わり、血液粘度が増して血液の塊(血栓)ができやすくなり、脳卒中・心筋梗塞を引き起こします。
加えて医療機関が遠くなったり交通の不便によって持病の悪化などから体調を崩し、免疫力が低下し、感染症、肺炎のリスクも高まります。さらに高齢者は生きている間に故郷に戻れる見込みが無いという絶望感からの病死や自死というようなケースもあります。
累計でなんと3,647人が関連死で亡くなっています。

阪神淡路大地震の犠牲者が6435人ですから、その半数以上の人数がこの関連死で亡くなっているのです。
 復興庁のサイトのデータを見てみますと、福島県で66歳以上の方が累計1984人と半数以上を占めていることはやはり原発事故の罪の重さを示しているように思います。
半年ごとの調査のpdf書類がありますが、表が非常に分かりにくく、冒頭に書いてある数字とも一致しないので、毎回の報告に文面で書いてある総数を地道に書とめ、前年度との比較を自分で計算して整理しておきましたのでご覧下さい。おどろくべきことが分かってきます。

時期 累計 年間死亡数 経過年数  
昨年9月までで 3647人   6年半後  
29年3月 3591人 119人 6年後  
28年9月 3523人      
28年3月 3472人 141人 5年後  
27年9月 3407人      
27年3月 3331人

242人

4年後  
26年9月 3331人      
26年3月 3089人 401人 3年後  
25年9月 2916人      
25年3月 2688人 1056人 2年後  
24年9月 2303人      
24年3月 1632人 1632人 1年後  
         

未だに毎年100人以上が亡くなっていることをみなさんご存知ですか?報道されていますか?
せっかく地震や津波から助かったのに、避難先で無念の死を遂げる方々・・。可哀想すぎます。
1年目は初期の混乱や仮設住宅設営が間に合わないとか不足、不備があったと思いますが、2年後までに2千人以上亡くなって、その後現在までおよそ1000人亡くなっています。
ところが復興庁の書類の冒頭を見ると毎回半年間で亡くなったのは4人とか8人とか書いているのです。いったいどういう計算法なのだろう?これを読んだ人は減ったんだな、改善されたんだなと感じます。対策も消極的になるでしょう。こういうのをミスリードというのではないでしょうか?
続く別表をじっくり見ればおかしいことが分かるのですが。公文書の書き換えとか政府がやりますし・・。

★ところで、福島県各地には、汚染した表面を削り取った土や草木といった「除染廃棄物」を入れた黒いバッグが積み上げられています。今はフレコンバッグと呼ぶそうです。フレキシブル・コンテナ・バッグの略で、化学繊維で折られて1トンほどの収納に対応しているようです。土嚢(どのう)として使ったり穀物や飼料を保管したり、土砂や粉末状のものを運搬するのに使われるものです。
これに各地(福島、宮城、岩手、栃木、茨城、群馬、千葉)で線量の高い地域部分を削り取った土砂などを入れて、膨大な量が積み上げられているのです。4段まで積み上げるとショベルカーが埋もれそうなほど。もちろん袋に放射線を遮断する機能はありませんから、ある場所を除染して線量を下げても、別の場所に集めればそこの線量が上がります。
上や横には汚染されていない土を入れたフレコンを積んで覆って放射線が外に漏れにくくし、その外側に雨除けの巨大ビニールシートをかぶせるということになっているようですが・・・→こちら
私が見たテレビの映像や写真ではただ積んで一面が黒い面積になっているものだけです。→こちら等
 こうした広い「仮置き場」はおよそ福島県で1100カ所。民家や学校に置かれている「臨時保管」13万7千カ所もある。近所の人が不安になるのは当然のこと。
 これらが事故のあった原発に近い双葉町と大熊町で建設中の「中間貯蔵施設」に運び込む予定。そこの収納限界は2200万袋分(東京ドーム18杯分だそうだ)。
ある仮置き場からは8台のトラックで1日3往復160袋を中間貯蔵施設に運ぶという。ということは一台で6袋しか積めないんだね。
この中間貯蔵施設に置くが、そのあとどうするかは決まっていない。
それでこれを「除染」ではなく「移染」だと思っている人も多いようです。
場所を転々と移動しているだけでたらい回し。かといって子ども達もいる生活圏内で高い線量を放ち続けるのを対処しないでおくわけにもいかない。

 私の住んでいる地域で以前ゴミ処分場建設の問題がありました。山の中に新しい最終処分場を作るということで反対運動が起き、長期間に渡る裁判が行われました。これは、その近くの廃棄物広域処分場へ多摩地域26市1町で燃やされた焼却灰や処理された不燃ごみを埋立てていた22haが容量限界になるので、新たに第2処分場を作るというもの。→こちら参照。
 非常に自然豊かな山の森を広大な面積(59.1ha)で木を切り倒して、埋め立て場を作るというわけですが、地面との間に敷いたシート(薄くちゃちなもの)に穴が空き、上にどんどん捨てられて来る燃焼後のゴミからダイオキシンや重金属類等、毒性の成分が流れ出しているというもの。ここの地下水は立川や国分寺の飲み水になっているわけだから、徐々に健康を害する、奇形児が生まれると警鐘を鳴らして抵抗したのです。団体は弁護士を数人雇ったり、都が出したり隠したりするデータを別の科学者で検証して信憑性を疑ったり。ちょうど原発の汚染水問題の小型版のような感じです。
 私は主要メンバーではありませんでしたが、寄付したり山の中で行われたコンサートでPAをやったりしました。母校の武蔵野美術大学の教授もインスタレーション「緑の森の一角獣座」を作って破壊しないようにという活動をしたり、田島征三さんが絵本を何冊も発行してうったえたりしましたが、結局強制失効で都に押し通されました。

    こちら参照
ちなみにこの処分場ではエコセメントというものにリサイクルして各地で建設用資材として活用されています。
これは、運び込まれる焼却灰からでる焼却残渣(ざんさ)や溶融飛灰を使って作るという。1日平均、なんと約430トンも生産していると表示されています。東京駅や東京スカイツリーにも使われたようだ。
これがまた安全なのかという問題がある。

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続きは週末にアップロードいたします。下書きは出来ているのですが数字など間違えないよう確認もありますので、もう少々お待ちください。


↓前回書いた内容です。


シューベルトの「野ばら」はリートの代表、アスリートの代表は・・
       2018年2月19日 記
★前回、年賀状用に毎年作曲する件でシューベルトの「野ばら」(Heidenröslein)の影響があるということを書きましたのでその続き。
シューベルトについてクラシックにあまり興味が無い方の為に、一応一般的な解説を付けておきます。(自分ももともとはロックやジャズ方面からきたものでだいぶ後から学んでことですし、まだ勉強中ですが)
フランツ・ぺーター・シューベルトは1800年代前半、ロマン派初期に歌曲をたくさん書いたことで有名なオーストリア、ウィーン生まれの作曲家です。交響曲 も作曲しました。通称「ザ・グレート」「悲劇的」が有名ですが未完成のもの、楽譜紛失も多い。ピアノ曲では「楽興の時」が有名。オペラも作曲しましたがあ まり演奏されません。室内楽は弦楽がありますが、やはり歌曲が中心の人です。ショパンがピアノ曲に集中したのと似ていますね。
とにかく作品は総数1000曲以上!と言われています。
 その中でも「野ばら」はシューベルトの代表曲でもあり、リートの代表曲でもあるのです。
私の環境には無かったけれど、学校等のチャイムや、駅の合図でも使われるようです。

先日降った雪の時、家の近くの公園の写真です。
↑先日降った雪の時、家の近くでトレーニングや作曲をする公園の写真です。


「リート」というのはピアノ伴奏で歌う芸術的歌曲です。民衆の歌謡よりは高尚で技術を要し、詩も文学的な深い表現のもの。
「野ばら」はすでに文豪だったゲーテの詩につけたもので、私はあとでこの詩の意味を知り、いつ読んでも胸が締め付けられるような思いがします。詩としても名作として知られる作品。これを明るい曲調で書いてしまうなんて。ペーソスのコンセプトもあるのですね。
この同じ詩にウェルナー(ヴェルナー)、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスが旋律をつけたものがあります。

他にリートの名曲としては「魔王 (Der Erlkönig)が有名。
私は習わなかったけれど、よく中学の音楽の授業で聴かされて恐くなっちゃうらしい。これは父親が風の吹く夜、自分のこどもを抱えて馬で走っているシーンで短編恐怖映画のよう。こどもには悪魔が見えてささやきが聞こえ、魂を奪われると恐れ父親に訴えるが、父親は錯覚だよととりあわない、さらに悪魔のささやき、そしてやっと宿についたが・・・。という話。
 ピアノ伴奏だけで、緊迫感と幻想世界を作り出すのはさすがで、映画のクライマックス部分から見始めたかのよう。低音の3連は弾くのを想像すると指がつりそう。遠隔調の和音が移り変わり、ポップス系や汎用系の16小節単位で繰り返すのとはわけが違う。まさに「ロマン派」。
3者のセリフを織り交ぜて構成しながら、父親には魔王の声が聞こえない孤独感とサスペンス感を盛り上げる手腕がすごい。
しかしシューベルトはこの楽譜を巨匠ゲーテのもとに送ったがなかなか返答がもらえず、かなり経ってから凡庸という評価が帰って来てショックを受けたようだ。時代はまだ彼を認知するだけの耳になっていなかったのでしょうか。
しかしゲーテは作曲者死後にこの曲の演奏を聴き「全体のイメージが絵のようにはっきりと浮かんでくる」と高く評価したといいます・・。生前言ってよ。
いつの時代もこういう悲劇は起こる。サティ、ゴッホ、モディリアーニ、アンリ・ルソー、フィリップ・K・ディック・・でもシューベルトのまわりには彼を評価する友人達の集まりがあって、シューベルティアーデという仲間内の歌の会が催され、泊まるところ、食べ物、手伝い等支えてくれていた。私の想像では、ゲーテはまだ無名だったシューベルトの曲を聴きもしなかったか、使用人か弟子がきちんと彼の手元に届けなかったのではないかと思う。

「鱒(ます、Die Forelle)
これはゆったりとした曲調でややユーモラスで、テレビのちょっとしたコーナー転換なんかでよく使われます。弦楽四重奏に編曲された版もあります。主人公は川辺で鱒のみごとな泳ぎを見て感心していたが、釣り人が老かいな技でとらえてしまう。これは若い女の人に警告するという意味なんですね。

「糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)
これも素晴らしい。幻想的で、テクニカルで早いパッセージの伴奏ラインはくるくる回るスピンドルを感じさせ、これに優雅でものうげな旋律が乗る。グレートヒェンとはゲーテの有名な戯曲「ファウスト」に登場する数奇な運命に翻弄される悲劇のヒロイン。歌曲ですが、私は今世界中で演奏中のユジャ・ワンさんのピアノ独奏版が大好きです。素敵すぎる!続けて「魔王」を弾いてる映像もあるけど、指の動きが速すぎて分身の術みたいになってる。ハチ鳥の羽状態。「海の上のピアニスト」の対決シーンみたい。ゲームの高橋名人も真っ青(笑)。それでも背筋はぶれず肘から手首まではほとんど上下動せず、手首から斜め下に向けた指先までが柔らかに鍵盤を踊るという私の考える最適のフォームを体現しているのです。ギターでこう弾きたい。

★ちなみに「アリア」といった場合は、劇場で衣装を着てオーケストラを伴う長時間の物語オペラの中で、旋律がはっきりしていて印象に残る曲をさします。(実は宗教曲の中にもあります)
リートがピアノ伴奏だけか小編成のものがほとんどなのに対し、アリアはオーケストラをともなって劇的な展開を伴います。
 かなり前ラジオで劇場で記録された貴重な古い録音(たぶんテープではなく鉄線に記録)を聞きましたが、あまりにみごとなアリアだったため観客の拍手やかけ声が止まらず、まだ劇中なのにアンコールで歌ったのがすごかったです。それだけオペラが身近で、民衆の文化だったのですね。天井桟敷の人々!
 有名な曲としては、フィギュアスケートでもよく使われるプッチーニの「トゥーランドット」からの“誰も寝てはならぬ”。(まあ、これって残酷な女王が、自分に出された謎が解けるまで部下たちに寝ないで考えろと命令してるんだから身勝手なもの)
同じくプッチーニ「蝶々夫人」からの“ある晴れた日に”。
アメリカ海軍士官と結婚した日本女性の悲しい物語。舞台はなんと長崎。結末が悲しすぎるよォ〜・・。

モーツァルト「魔笛(Die Zauberflöte)から、素早い高音が特徴の、夜の女王のアリア“復讐の炎は地獄のように我が心に燃え”。コロラトゥーラという高音の素早い技術を要します。時々サスペンスものに使われる。同じ歌劇から「パパゲーナとパパゲーノのアリア」などユーモラスなものもあります。

など多数。あ、聴いたことある、というものが多いと思います。
一方、物語進行のためのセリフ的なもので旋律がそれほどキャッチーでないものは「レチタティーヴォ」といいます。また、「アリア」は、オペラの舞台ではなくコンサートとして抜き出して演奏、歌うこともあります。あるいはスタジオやホールで録音してレコード作品にしたものもあります。圧倒的名手マリア・カラスのアリア集は有名。情熱と、正確なコントロールと、低音から高音まで滑らかなトーン、オケとの有機的な融合、ほとんど宇宙空間。神話の世界から響いて来るよう。

「コラール」という場合はキリスト教の宗教歌。
宗教改革でプロテスタントの源流になったマルティン・ルターが、信者がドイツ語で歌えるようにと作り始めたもの。それまでラテン語で専門の合唱隊が歌っていたものに対し、教会に来た信者が歌いやすいような単旋律を重視していたのですね。
 この旋律にヨハン・ワルターやゼバスティアン・バッハが聖歌隊の歌う別パートを作って4パートの合唱等になって行きました。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」が有名で卒業式や結婚式等で器楽演奏されますが、日本人の多くは内容を知らない。実はカンタータ第147番「心と口と行いと生きざまもて」の中の、イエスへの絶対的な愛を歌ったもの。卒業とは一切関係ありまへん。(別の機会に書きます)

「ア・カペラ」も宗教歌。
よく伴奏無しの歌だけの合唱ポップスと思い込んでいる人が多いが、コラールからさかのぼり、15世紀から16世紀のルネサンス期に、作曲家が複雑で豪華な曲調で競っていたことに対し、パレストリーナ等が簡素な旋律で歌詞を聞き取りやすく作ったもの。
 日本ではゴロが赤、ペラと似てるのでアカ・ペラと勘違いしている人が多いが、これはドンキー・ホーテと思い込んだり、ジャンヌ・ダルクで勘違するのと同じ。a cappellaのカペッラは教会や聖堂のこと。だから「聖堂にて」という意味だし、必ずしも無伴奏とは限らない。
その後、正教会では器楽伴奏をつけるのを禁じていたので無伴奏のものが多く作られて歌われた。
 一方黒人霊歌では埋葬時などに無伴奏で行われたり、教会でのゴスペルソングが無伴奏のものがあり、これは綿畑等での労働歌が原型にあるようです。奴隷として強制的につれてこられて、もともとの宗教は禁じられて、新しい宗教と音階システムを強要されたが、なじまないということや、貧しくて鍵盤楽器を備えられなかった、という面も関係しているでしょう。
 これらが大衆化して「Doo-wop」に転化された。同時期に発展していたジャズのハーモニーを取り入れたものが商業音楽として広まった事でポップミュージック、ソウルミュージックに大きな影響を与えました。山下達郎さんがこの分野の筋金入りのコレクターなのが有名で、毎週ラジオで紹介されてます。
白人にもクリスマスに町中をまわるキャロルの習慣があったから、Doo-wopに影響を受けて無伴奏で流行歌を歌う4人組コーラスなどが出て来るわけです。商業音楽の実権を握っているのは白人ですから。高度なジャズハーモニーを取り入れたグループ、フォー・フレッシュメン等が席巻します。これらの形式がア・カペラ的ということで商業音楽界で流用したのがそのままになったようです。
 その後Rockapellaや現代的なThe Singers Unlimited などがポップス界で話題になり、やがて黒人のTake 6という決定版が出現、スティーヴィー・ワンダー的なフェイクや半音階的和声、コンテンポラリーなアレンジ、超絶技法を展開しました。さらにボビー・マクファーレンが器楽的唱法や音響法、一人アルペジオ、現代美術的視点を取り込んで、多重録音も駆使しました。それらを吸収した若き天才Jacob Collierの登場になるというわけで、ネット動画の効果によって世界に波及しているのですね。
 この進化ぶりを聴くといかに日本のレベルがお粗末かが浮き彫りになります。まあ、一回マイクでズクツク言うのはやめにして、ハーモニーの仕組みからやり直した方がいいですね。(ただしタイムファイブさんだけは別格。楽器も出来るし。早すぎたのかも。)
 余談ですがドン・キホーテはセルバンテスの小説に出て来るマンチャ村の男の話で、ドンとは爵位のある人や医者、教員など家柄がよくて尊敬される人につけるもの。だから我輩はマンチャのキホーテ様だぞ、という感じ。donkeyだとロバ、そこから愚か者、のろまと揶揄する意味だから逆になっちゃう。鈍器だと刑事物になっちゃうぞ。
ジャンヌ・ダルクという聖女はアーク村のジャンヌ( d'Arc )→ジャンヌ・ドゥ・アークを早く言ったわけでダルクという名前ではありまへん。英語ではジャンヌ・オブ・アークでほとんどジャノボークみたいになります。リュック・ベッソン監督、ミラ・ジョボヴィッチ主演の映画ではっきり聞き取れます。
 あ、レオナルド・ダ・ヴィンチをかっこつけてダビンチが〜とか言うのも赤っぱじで、Leonardo di ser Piero da Vinciつまりヴィンチ村のピエロさんの息子のレオナルドという意味。ダ・ヴィンチだけ言ったとしても、だからヴィンチ村の誰?ってことに。こういうの多いので、東京オリンピックで恥かくナレーターやスタッフがいないか心配・・。
 少なくともサッカー等で「フィジカルが強い」「メンタルが弱い」とか繰り返すのも浅はかで恥ずかしい間違いのでやめてほしい。形容詞だから「肉体的強い」となっちゃう。全国の中学校の英語の授業で教えるべきです、これは間違いですと。フィジカル○○が強いならわかるけど。physical abilityに優れているとかphysical strengthが足りないとか。○○が思いつかないんでしょうね。「メンタルトレーニングが不足」「メンタリティに弱点がある」ならわかるけど。かといって不用意にphysicsにすると物理学になっちゃうしphysicでとめると薬になっちゃう。体格について言いたいならphysiqueと言えばいいんですがフランス語からなので言いにくいし、ただ体格と言えば良い。ひとつに海外選手に比べ体の頑強さの差を感じていると思います。ならばbody rigidity(車で使う剛性)がいいと思うけど日本人には言いにくい。つまり外来のスポーツだからハイカラに言いたいが語学を勉強するのはめんどくさいし、カッコつけてると批判されたくないという中途半端さ。
 そもそも肉体的何なのか○○のところが日本語でもつかめていない、このぼんやり感が実力にも投影されているのでしょう。背の高さなのか、耐久力なのか、跳躍力なのか、加速力なのか、体幹の強靭さなのか、反射神経なのか、胸板の厚さなのか、体重バランスのコントロールなのか、動体視力なのか、しっかり言い切らないと。ボクシングの場合ははっきりリーチが長いとか、スタミナ面で勝てるとか、打たれ強いとか具体的に認識しているから世界に通用しているのですね。野球もそうですが中継や解説が適切だと見る人の目も肥える。すると若い競技者の意識も高くなる。現役選手も自分の試合や対戦相手の試合のビデオを見るから、視点を学べる、トレーナーも参考になる。で、これらは音楽にも全くあてはまるんですよ。日本には本格的な音楽批評がないから。
 あ、おまけとしてポルトガルやブラジルのサッカー選手をロナウドというのは間違い。Rが始めに来ているからホナウドです。インタビューやファン達の声、中継を聴けば確認出来ます。私がブラジルを回っていた時に、たくさんの人たちに肖像デッサンを描きましたが、もみあげを長くしてリーゼントにした人が、似てるだろ?「ホッケンホー、ホッケンホー」というので何の鳴き声のことかなと思ったらRock and Rollのことでした。エルビスそっくりさんというわけです(笑)。同様にホナウジーニョ、ヒバウド、ホベルト、ヒカルド、ホビーニョ、ホマーリョです。ヒオディジャネイロ、分かりますね?サッカー雑誌記者、解説者、間違いをなおしましょう。

英語読みするならロナルドと言わなきゃ。かつての大統領みたいに。スペイン人が日本のことをハポンと言うのはいいですがヒッポンと言われたらどうですか?
今回のオリンピック中継、以前より良くなって来ているけれど、ルールの解説等まだまだ改善したいですね。もっと多重放送やデータボタンを活かしてほしいです。

前大会の時も書きましたがカーリングで投石したあとの選手の顔をいつまでも超どアップで撮るのはやめにしたほうがいいですね。早く石がどうなったかを上から映すべき。それもごしごしスィープをアップにするんじゃなくて、サークルとの関係で見える構図で映さないと意味が無い。サッカーで言えばフリーキックを蹴った選手のどアップを延々と見せられるのと同じ、早くボールがどうなったか見せてよってわけです。

フィギュアスケートも、音声切り替えで不要な解説無しに出来るようにしてほしい。どの選手もやっている技なのに脅かすような早口で「フライングシットスピン!!」とか聞きたくないです。音楽と現場の音だけで見たい。その美しさが分かるし、振り付けがどういう意図で行われたか、選手が音楽にどう乗せているか心境が伝わって来るはず。むしろ主音声を解説無し、第2音声で解説付きにしてもいいくらいです。日本人の、芸術性の理解力をスポイルしないで欲しい。

★というわけでアスリートではなく「リート」の代表曲「野ばら」ですが、無伴奏でも印象に残るハーモニー感がすごいなと思うのです。
 軽くアナリーゼしてみますと、まず出だしに同音4音Mi・Mi・Mi・Mi(=Terz)を置くことでリズムを定着させると同時に長調であることを提示してから、この音を挟むように上がって下がるライン。(So→Fa・Fa→Mi・Re〜)ハーモニー面で見るとドミナントコードのコードトーン(SolとFaとRe)が経過音でつながっている状態(So-Fa-Mi-Re)。それぞれに倚音をつけて(Sol→Fa・Fa→Mi)Reに着地する。リズム面で見ると2音単位になっています。
提示されたReはドミナントコードのコードトーンであると同時に上主音(Super Tonic)で、最近のお手軽な理論本ではただ第2音というわけですが、すぐ下の主音に下がって安定したいという性質を持っているのです。そしてこれを受ける句が来ることを予想させます。
 受ける句は下がらず上昇して行き、上の主音に解決して一段落になる(Re→Re・Mi→Fa・Sol〜↑Do)。
この時に冒頭で置いた4つの音が生きて来る。ここがRe・Re・Re・ReではなくRe・Re・Mi・Faと2つ続いた後に上がって行くので次に来る音に期待がかかるわけです。
 次に来たSolはいったん伸びてジャンプ台のようになって上の主音に跳躍します。
このSolは第5音で支配音(Dominant Note)であると同時に主和音のコードトーン(Quinte)でもあります。どっちのつもりかは伴奏の和音が鳴れば明白ですが、4度進行で跳んで主音に帰るという動きをすると(Sol↑Do)戻った、安定したことを示します。ベースラインでよくこの動きが使われますが、思い切ってメロディーでこれを使っているのですね。しかもその前に上がって来てますから。
ちょうどスノーボードの競技ハーフパイプみたいに斜面を滑り降りてボトムから勢いよく駆け上ってジャンプするのに似ています。
 和声としてはRe・Re・Mi・Fa・So〜lFa→Miと下がって解決するのもありですが、躍動感が不足します。また、この次に冒頭と同じMiから始めたいのでMi続きになってしまう。それで上の主音に行くことで一段落感を出しているのです。
 ここまでシンプルながら、わずかな部分でリズムとハーモニーを提示して品があって覚えやすい、詩も野原の情景を描き、場面設定が完成する、という達人のなせる技になっています。1音1音に意思があるのですね。昨今の凡庸なポップスだとRe・Re・Re・Reをやってしまうでしょう。ぜんぜんぜんぜん、みたいに。
 一段落の後、次に冒頭の同音4音(Mi)が来るが、いったん上がって下がる時のFa音がもうさっきと違って半音高い(Sol→Fis・Fis→Mi・Re〜)。ここが私が影響受けたポイントです。
ハーモニーセンスの悪い人が聴くと、間違って歌ったと勘違いしそうですが、このファ#、合唱の世界では「フィ」と呼ぶ音で、ドミナントコードに対する導音(Leading Note)です。もしこれがハ長調(C dur, C Major)でスタートしたとするなら第5音Solの世界すなわちト長調(G dur, G major)に転調したくなるわけです。
「導音」とは通常、半音上の主音に磁石が吸い寄せられるように解決する性質を持っているのです。
イタリア語ではSi→Doのところ。(トニックソルファではTi→DoとかFi→So。なぜシと言わずティと言うか・・は、短調ではGis→A=So#→Laを短いシラブルでSi→Laと歌うためにSiを使いたいから。音階7番目の音はもともとなかったので、ある程度自由に設定出来るのですが、イタリア語で作られたSiをもとにするとSi↑Do、第3音から第4音へもMi↑Faとどちらも母音が i なので、半音上に行く時に– i で統一したいということに。それでFaもFiになるのです。ところが短調のエオリアでは7番目のSoと主音である8番目Laが全音で離れており終始感を出すには半音上げる必要があった。今で言う和声的短音階( Harmonic Minor scale )、または旋律的短音階の上行( Melodic Minor scale- Ascending )ですね。そこでSoをS-iにしたいが、もとのSiと重複してしまう。そこで長調のほうはTi、短調でSiにするというように決まったんですね。以前も書いていますしここでは詳細は割愛します。(ミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージックのドレミの歌を聴きましょう、TiはジャムとパンとTeaで覚えましょうというのが元の歌詞)
で、このフィを成就させるのをドッペル・ドミナンテ(Doppeldominante=Double dominant)と言います。ドミナントに進むドミナントだからです。
 この曲ではFisを下がるラインで組み込んでいるところが大きなポイントです。
こどもの頃聴いたときは、ただ妙な音、エキゾチックと感じましたし、ある程度成長してからはSFのパラレルワールドにスリップする感覚をもち(結果的にこれは正しかった)、またジャズを研究し始めた頃はリディアン・モードになったのか?と思ったものです。
 また、はじめにReに下がったときはすぐ下のDoに行かず上のDoに行ったし、今は変化したFiが来てもすぐ上のSolに行かず下がって来る、というところに単純そうで実はあまのじゃくなアプローチなのですね。
 さてReに着地しても、すでに上主音(Super Tonic)ではなく、属調の音階に移行しているので第5音「Sol」の役割に変化しているのです。
Solは先ほどのように4度上がって主音に行きたがります。(Sol↑Do)
そして行きます。で続く音はDo・Do・Re〜Do、Ti-Do-Re-Mi↓Doと一段落になる。(元の調のまま言うとSo・So・La〜So、Fi→So→La→Ti↓Soにあたる)
これはドッペル・ドミナンテを成就させて、属調での上主音(Super Tonic)に上がって戻る「刺繍音」の動きDo-Re–Doと、導音から戻るTi→Doをつなげ、Do-Re-Do-Ti-Doと新しく設定された主音の上下で刺繍していることになるのです。(モリコーネのガブリエルのオーボエも同じ動き)ところが、ここで止まらずTi→Do→Re→Miと上がって行くところが非凡なのですね。そのあとDoにすとんと解決するのです。ジャズで言えばⅤ7の13th音→主音なので今はそれほど特別なものではありませんが、まだ古典主義の残っている時代のことです。
私はこのMi→Doはふたつの意味を持っていると思います。もとの調で言うとSol→La→Tiと上がって来た音にあたるので、導音として元のDoに引き戻されそうになるので、違うもんね〜と断ち切って、今向かおうとしている属調の主音に折り返しているのだと思います。
もうひとつは伴奏をよく見ると低音が属調の主音に行っておらず、属調の平行短調の主音La(ⅵ)に行っています。ハ長調(C dur)スタートで言うなら属調ト長調(G dur)の平行短調でホ短調(e Moll)です。コードで言えばEmになります。Cから数えたⅢm(トーニカゲーゲンクランク,Tonikagegenklang)ではなくGから見たⅥmなのです(ドミナントパラレーレDominantparallele)。
 日本の理論本には書いてありませんが、こういうのを「対和音」といいます。ポップスやジャズと違う点でクラシックの格調高い和声のとらえかたです。というか歴史的には先にこれがあったのですが、どのコードにも7thをつけるようになったり、7つの音階和音を並列的に考えファンクションを薄める傾向等のせいか、英語系大衆音楽には受け継がれなかったのでしょう。
とにかくこれによってMi→Doはマイナーコードの5th→3rd(kleine Terz) すなわちDo→Laというつながりに読み替えられ、一瞬だけ悲しげな趣が出ます。ここは歌詞が2番で野バラが自分を折ろうとしている少年に私を忘れないように刺しますよというところで、denkst an michの部分、3番では少年には痛みも効かずのdoch kein Weh und Achの部分にあたるのでほんのわずかだけ翳りが隠されているのです。
こういう工夫で伴奏無しでも転調を感じさせる効果が出ているだけでなく、伴奏がつくことで隠された別の意味が現れるというところに影響を受けているのです。

このあとはDo–Mi–Re–Do→Ti–La–Si–La→Fa〜Ti→Doと一段落になります。
これは属調になったことを強調しているのですね。ここの骨格は属調の主音Do、下属和音コードトーン3rd(Terz)のLa、ドミナントのトライトーン、属調の主音への解決になってます。
それでDo–Mi–Re–DoはコードトーンTerzに行って経過して戻る、私が「見返り型音型」と呼んでいるもの。続くLaに対しては上下からの倚音で刺繍するようになっていますが、上からはTi↓Laの全音(Scale width)で、下からの倚音はSol↑LaではなくSi(So#)↑Laとなっているのが注意点です。これはLaに対して一時的に導音になって半音で引き寄せられている。だからひらひらと滑らかな流れを印象づけるのですね。
そして、Laは先ほど書いた属調の平行短調の主音でもあります(Dominantparallele)。さっきは伴奏の低音で鳴った根音が今度は旋律の方で現れているのですね。ところが逆に今度は低音がⅣを鳴らしているためマイナーコードではなく属調での下属和音として響くのです。
ここで、もう一点クラシックの和音でよく使われる和音がメジャーコードでの6thです。三和音で単純すぎると感じるとき、ジャズ系ではやたら△7、ポップス系ではadd9にしがちですが、付加6和音にするのですね。特に下属和音(Sub Dominant)の時。少し曖昧な性質になります。するとFa,La,Do,Reなのですが転回するとRe,Fa,La,DoになりⅡm7と同じになります。これがⅡmのファンクションがサブドミナントとするいわれなんですね。そしてこれは下属調では平行短調Ⅵmにあたります(Subdominantparallele)。
市販の「なんちゃって理論書」では書いてありません。
しかも、ここでは伴奏が6thを入れて5thは省いて三和音なので、もろにⅡmの第1転回(erste Umkehrung=Sextaakord)になっています。その結果Si↑Laはマイナーコードの5th(Quinte)に半音倚音(Chromatic Lower Neighbor tone)で接近しているわけです。つまり旋律はⅵに解決したかのようでバスがⅣ、だが付加6でⅡmの転回型ということでぼかしてあるのです。
これによってLaに導かれながらもそれほど悲しげではなくひらひらのスラローム感だけを演出し、続くトライトーンへのジャンプ台となっているのです。
さらに低音はその前の属和音(属調での主和音)も第1転回でⅢが来ているため、Mi→Faと半音で吸い寄せられているのです。
このように単純そうであまのじゃくな工夫があって微妙な色彩を含んでいるのが、200年も世界中で歌い継がれる秘密なのですね。
 続くFa〜Ti→Doでやっとストレートな属調主音へ解決する一段落感が印象を残します。Fa,Tiはトライトーン(トリトヌス)という関係で1オクターヴを半分に割ったようなインターバル。FaからTiへは増4度(übermäßige Quarte)TiからFaへは減5度(verminderte Quinte)ですが、どちらも全音に置き換えると3つ分で等距離関係にあります。
 教会音楽を中心に発達して来た西洋音楽において、このインターバルは悪魔の音程(ディアボロ)として延ばすことを禁じられました。もともと西洋の音階は古代ギリシャから受け継がれたもので、一本の弦を半分、その半分、または1/3、というような整数比で得られる音程から構築されて行きました。この整数比で得られる純粋な響きを神に見立て、これに不協和を成すものを悪魔と見立てたわけです。詳しくはここでは述べませんが、ピュタゴラス音階や純正律、平均律についてはたくさん研究があって本もたくさん出ています。
それでFaは半音下のMiに引き寄せられ(Plagal Cadence、アーメン終始)Tiは先ほど書いたように半音上の主音Doに導かれます。この2つが成就するとDo&Miが完成して安定します。これがドミナントモーション=ケーデンス(der Kadenz)です。そのためこのトライトーンは悪魔であってもあえて使うわけです。神の力で正されるような感じ。古典でドミナントコードだけはFaの7thを入れた4和音(Septakkord)にしていたのはこの解決を使うためです。だから昨今の理論書でただⅤがⅠにと塊でしか書いていないのは片手落ちで、日本人がハーモニーを理解出来ない大きな要因になっているのです。
 それで野バラではここのFa〜Ti→Doによってはじめてストレートな音使いで伴奏もRootを弾いているという状態になります。さて、このあとどうやって元の調に戻るのでしょう。それはまたの機会に!

これも先日の雪の時に家のすぐ近くで撮った写真です。もう溶けましたが冬期オリンピックの話題にあわせて。。
↑これも先日の雪の時に家のすぐ近くで撮った写真です。もう溶けましたが冬期オリンピックの話題にあいますので。



★さてさて、冬のオリンピック盛り上がってますね!
前回ソチからもう4年。テレビで見る側は「ア、もう?」っていう印象の方が多いと思います。テレビ映像がデジタルになって、雪景色と鮮やかなユニフォーム、華麗なジャンプや回転の技、が新鮮に映ったからでしょう。
私はこの雪のスポーツで応援する女性選手が2人居ます。
★一人はスノーボードアルペンの竹内智香選手!ソチでは銀メダル、その前の世界選手権では優勝している。尊敬しています。
このところ海外の転戦先で体調を崩しているようですが、きっと復活して活躍してくれると祈っています。
まだスノーボードが日本では認知度も低かった頃から活躍して、今回五輪4回めのベテラン。
日本での練習環境や評価基準が整っていなかったことを不満に思い、海外強豪チームの練習に合流しようと奔走、当然その国では練習メニューや技、器具の情報などが漏れますから断られましたが、スイスチームにだけは熱意が認められて入れました。
英語は話せたそうですが、より密接に、仲間として認めてもらい評価してもらう為にドイツ語を勉強して習得したということです。私は音楽のために勉強しているわけですが、本当に文法が難しく、聞き取るのも大変。それを現地で覚えてしまうなんてすごい。
また、日本国内でもこの種目を普及する為に奔走。たしかに、スキーがヨーロッパで雪国の生活必需品として発達して歴史も種目も多いのに対し、スノーボードはサーフィン文化から陸上の練習用としてスケートボード、そして雪上でと移行したわけで、スキーより低い存在として認識されることが多い。スキー優先でライセンスをとらないと滑らせてもらえないゲレンデとか多かったし、未だに全面滑走禁止のところもあるぐらいだから。
 私はスキーはトラウマがあるのでやりませんが、かなり前にジャズ研OB会で企画があってスキー宿で演奏こみの合宿があり、スノーボードを体験程度やってみました。私はこどもの頃、体操部だったのもあり、スケートボード上で逆立ちして坂を降りたり、自分はジャンプして棒を飛び越えて再び走っているボードの上に着地するとか、情報が無く映像も見たこと無いのにドッグウォークにスピン等、それなりにバランス感覚はありました。でもスノボは雪上のでこぼこがダイレクトに足に来るし、常に斜面で動き出してしまうのですごく難しかったです。ステッキを使わないからむしろスキーより技術を要するし、危険度も高いと思いました。(これで高速でスラロームとかジャンプとか信じられん!)
 竹内選手は北海道出身ながら広島でもイベントを企画したりガス会社とエンドースしたり。さらにスイスの仲間とスノーボードのブランドを立ち上げて、ご自分でデザインした製品も出しています。きっと体格の違う日本人にあうシェイプ等工夫があるのでしょうね。
一流アスリートとしてだけでなく、社会人としても、ビジネスマンとしても高い能力、コミュニケーション術も持っていてあこがれます。もうひとつ、スキーに対するスノーボード、強豪国に対して環境の不十分さ、男性選手に対して女性選手という、マイノリティ側からの反逆的立場という面や、スイスで信頼を得ながらもやはり日本チームで出場しなければという決断や、普及の為の活動や広報というアカデミック側の活動もするという、相反するかのような立場の活動を同時にやりとげているところがすごいなと思うのです。下克上をしようとしているサムライがお殿様の為にも働かなければいけない的な、またはヤマアラシのジレンマ的な。自分も教員の立場だった時に、革新的なこととアカデミックなこととか、こういうことによく出くわしましたし、今もクラシックとジャズとか、芸術的音楽と商業的音楽、緻密に楽譜でコントロールするアレンジと即興性、など相反する要素のバランスをとらなければいけないことが多いので、葛藤が想像出来るのです。
というわけで毎回正座して観戦してますが、天候で試合日程が延期になって、テレビ放映がまだかまだかと過ごしていて、アルペンと書いてあるので見てみるとスキーだけだったり、スノーボードと書いてあってもクロスだったり、情報が分かりにくいけれど、たぶん26日になったのだと思います。宿敵で親友のクンマーを破れるか?みなさん応援しましょう!

★もう一人はアイスホッケーのゴールキーパー、藤本那菜選手です。
日本ではマイナーなスポーツで、かつ防具やヘルメットでほとんどお顔が見えないため、あまり知名度がありませんが、素晴らしい選手。氷上の格闘技と呼ばれる激しいスポーツで大柄な海外選手が怒涛に攻撃して来る中、小柄なのに瞬発力と勘でゴールを守ります。自分は以前柔道をやっていて、本当に「柔よく剛を制する」は可能なのか?といつも自問自答していたので、すごいな〜と思います。この人も日本の環境だけではダメと、アメリカでスタートしたプロリーグチームNWHL(National Women's Hockey League) のトライアウトに応募して合格、ニューヨークのチームにはいって活躍しました。チームの選手達と共同生活したり、男性チームの練習に混ぜてもらったり切磋琢磨して、世界選手権でセーブ率の高さからベストGK賞もとっている実力です。
オールスターゲームにも抜擢され勝利しています。体が小さければゴールとの隙間が広くなって不利なのに、判断力と動体視力が素晴らしいのでしょう。アイスホッケーではgoaltenderと言うみたいです。
 今回は予選でスェーデン戦で1:2で負けてしまい、さらに強豪のスイス戦は1:3で破れてしまいました。
こちらが数的有利の「パワープレイ」の時間帯に得点出来ず、相手のパワープレイ(自分たちはキルプレー)では入れられてしまいました。スイスのゴールテンダーは前回大会MVPの大きなフローレンス・シェリング選手が守っており、38本シュート中1本しか決められませんでした。日本は前の試合の反則からFW浮田選手が欠場して決定力にかけていたが、スイスはFWザラ・ベンツが2本決めています。選手は試合続行中に次々交代して行くのですが、そのタイミングでスキが生じます。審判がパックを落として取り合う「フェイスオフ」でもとれる率が低いですね。体格で劣る場合、かつてのサッカー女子みたいに、相手を上回る何かが必要だと思うのですが・・。
 残念ながら決勝ラウンドには進出出来ませんでしたが、韓国・北朝鮮合同チーム戦では4:1で勝ちました。藤本選手は、格下相手だからか休ませる為か出場せず、でもチームは勝ちました。まだ順位決定戦があるのですが日程や経過が一切報道されません。残念。衛星放送は見れないし、テレビでやらなければ、あとでネット動画で探すしかないのかな。

お2人とも成し遂げようとしている分野でまわりに充分な環境が整っていないため、本場にアプローチして、語学も習得して技量を高めて切り開いて行く、それを日本に還元するというところが共通しています。

私のチャレンジしていることにもつながるので、共感出来ますし、尊敬しちゃう。自分の場合スポーツではなくジャズとクラシックのはざまをシームレスにするアプローチ、さらに被災地でも演奏出来るよう電気を使わない木管楽器を中心とした合奏で追求、という他にやっている人がほとんど居なくて、かつ専門家を納得させながらも一般の人に広めるということに挑戦していますし、行動力や語学力、精神力など参考にしなければと思います。この人たちのような国際的な活躍やオフィシャル団体の肩書きはありませんが、まあmp3ドットコムで試聴数が世界2位になったり、全国手作りコンテストの演奏で優勝したりはしていますが・・現在はウィーンの音楽家に作品を渡したりメールはしています。まだまだクオリティを高めて、Youtubeなどで世界に反応をあおがなければと思っています。

というわけで、このお二人は強い意思と努力をすればできるんだというお手本なので、励まされるのです。

 Oookey dokey, 大〜きいドキドキ, そういうわけで最後まで読んで頂き「あいがとさげもした」。「リート」「アスリート」も高いレベルのものを勉強して自分を高めたいと思います。まだ寒い日が続きますが・・みなん衆、風邪ば引かんようきばいもんせ!   
       2017年2月19日 記



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Glückliches Neues Jahr! 

    2018年1月14日 記
皆さま今年もよろしくお願いします。
本年の目標は・・もちろん引き続き全身全霊で音楽の結晶化に取り組むことに変わりありませんが、「不屈の精神、鋼の心臓」を座右の銘とします。
雑 事、雑音にダメージを受けず、作品に集中する。自分はいわば一種の楽僧、修行僧のようなものですから、精神の汚濁から身を遠ざけて粛々と音の真理を探求、 純化して成果をまとめることに精進すること。これが音の表現によって社会に還元していくには重要。ライフワークを達成する唯一の道なのでしょう。

さて、暮れから正月まで、非常に忙しくしておりました。どこのおうちもそうですよね。
私の場合ちょっと特殊なのは、お年始のあいさつとして新曲を作り、年賀状に楽譜をプリントして送るというのをやっています。そしてホームページで「あること」をするとその曲を聴けるという仕組みを作っておき、方法を書いておくわけです。
ライブもCDも間隔が開いてしまっているので、今私の音楽はこういう方向になってますというSheet Music Postcard なのです。海外の友人にはメールに添付して送信します。
いただく年賀状にも「次のCDはいつ?」「ライブの時は知らせて」というお声を頂いているので、近況報告として重要なものなのです。
  また、この年賀曲シリーズはCDには収録してませんしライブでもやらないので、私と年賀状をやりとりしている人間だけが聴けるという「エクスクルーシヴ」 チューンなわけで、応援してくださる方への特典という意味もあるのです。いつかは年賀曲集としてCD化するか、アップロードするとは思いますが。
忘れ去られてしまわないように、作品の進化をセルフレポートしているのですね。
未来的には楽譜ではなくQRコードの画像などをプリントして、スマホをかざすと音が出る、となるかもしれませんが、現時点ではアナログです。

 また毎年末「こん詰める」たびに火事場のバカぢからというか「ゾーン」(笑)に入って、新たな表現獲得するのです。(ちなみに昨年のバトミントン奥原選手には非常に強く感銘を受けました。) 過去のお年始曲を聞き直すと確かに次の段階へのステップアップになっているのです。

 今回もこの15㎝×10㎝ という範囲に入る楽譜にまとめるのが一番の難関で、研究中のたくさんのことから、どれを主体にして何を省略するか、挑みました。
主体とした「無伴奏でも感じ取れる遠隔調への新しい転調方法」は昨年の手法を深めるという事で、ここに半音階旋律と跳躍を組み合わせる方法、ハーフディミニッシュ前後の新しい連結、少ない跳躍で和音進行を感じさせる方法、オルゲンプンクト(保続音)でクロマティック進行やエンハーモニック転調、部分無調性、単旋律擬似2声などを少しずつ残し、切ったり、組み替えたり、調を変えたり、と実験を繰り返しました。かつ曲として新鮮さ、楽しげな生命力も出すのをおろそかにしないように。
  いつも短い曲の中で工夫を凝らすということではシューベルトの「Heidenröslein( 野ばら)」が心の中にあります。はじめに提示した主題が2回目にエキゾチックに変化して・・・詳しくは次回書きます。
    毎年12月中旬からこれに向けて徹夜続きでヘトヘトになります。しかも楽譜のスペースは、縁取りに若干の装飾、挨拶の言葉のマージンも空けますから、実際は14㎝×8㎝ぐらいになります。長い曲にしてしまうと縮小して読めないぐらい細かいものになってしまうし、プリンターの解像度を越えてしまいつぶれ気味になってしまう。
和声に興味があるのでピアノの2段譜で記したいところですが、小節数が半分になってしまう。そこでジャズでよく使う「リードシート」式、つまりメロディーを5線譜に書いて、上にコードネームを添えておくという方法を使う場合が多いです。
 ところが私の設定した和音をきちんと記すと、例えばB7♭13#11/A♭E♭aug△9/G、というテンション表記になってしまい、相当ジャズをやった人間でなければ弾けませんし、音楽大学出身者でも無理でしょう。
  興味がもっとポリフォニックなものになると、これだけでは表しきれませんから、音符の棒を逆方向にして2パートを書き込むべきですが、見づらくなるし、果たしてこれを見て弾く人がいるのだろうか、ということになっては無意味です。
ここが悩みの種なのです。海外のグリーティングカードぐらいのサイズなら、まだ自由度があるのですが。そこで和音自体のテンションは少ないが転回形、分数コードを連結する事でシンプルにする方法を編み出しました。
しかし困ったことに、印刷する段階でプリンターが不具合を起こす(かのEpson)。高いインクを買って交換して、テストプリントしてヘッダー調整してまたテストプリントして、やっと刷れんのかというところで「◯色のインクが少なくなりました、交換してください」だって。この繰り返し。今まで2台使ってきましたが同様。しかも黒に2種類あるうちの片方フォトブラックだったり、色ですらないグロスオプティマイザー(透明コーティング、不要なのに!)だったりする。ふざけんな、2度とエプソンは買わない!この作業で今までどれだけ睡眠時間とインク代を失ったか。
 結局以前ギターを教えていた方が買い換えるのでと寄付してくださった、古いCanonのプリンターを使わせて頂いています。ネットで対応の安いインクを入手して。
それでもドライバーソフトが現行OSのものがないので、工夫して、と風前の灯火。本来はレーザープリンターが必要なのでしょう。レッスン時の資料やコンサート時に渡すパート譜も綺麗にプリントできるし滲まず、CDジャケットも教則本も再販が希望されているギターノートも作れるはずです。
  ソフトも以前使っていたイラストレーターが、今のOSでは動きませんが、買い直そうとしてもフォトショやウィーバーなど全部セットのものを買わなきゃいけなくなっていて「法外な値段」。ほんと、あこぎな商売しますね。だから無料ソフトをダウンロードして使うわけですが、代表的なGimpはテキストツールで日本語が使えないときている。
それで他にレイヤーが使えて日本語テキスト入力のできる描画無料ソフトを探し、結局マンガ原稿用のものをダウンロードしてやってみました。
・・・と全てがブレーキベクトルで、私のクリエイティヴな活動を止めにかかってくるわけですが、精神力と睡眠削減で乗り越えるわけです。まあお金があればもう少し楽なんですが。
 事務所に属していませんから、プロモーションとしても、ある音楽家が生きた記録としても、この年賀状新曲は一大イベントで取り組みます。まあ極真空手の寒稽古のようなものです。
  かといってあまり、教条主義的に、完璧主義、強迫観念的になりすぎないように気をつけたほうがいいのかもしれません。(いや、すでになってんじゃないのってわけですが)

 ということでお年始曲作曲、年賀状プリント、音源のアップロード、あて名とコメント書いてから発送、と七転八倒し、1枚のハガキにしか見えないかもしれませんが、膨大なエネルギーが詰められているのです。これがひと段落してやっと私の1年が始まります。

★他には、ドイツの親戚に、ウィーンの音楽家とやりとりしているメールを添削してもらったりして、やはり日本のドイツ語教本の信用しすぎに注意しないといけないなと勉強になりました。

★あと、久しぶりに地元の同級生とセッションしました。

小・中学の同級で、高校時代は一緒にバンドもやったギターの友人ですが、当時私はヴォーカルでした。ゆったりできる広さにギター、アップライトピアノもある羨ましい環境で、今回は私がピアノを弾き、彼がギターを弾きながら歌ったりしました。あくまで遊びですが、こういうドメスティックな環境での小編成でもハーモニーを高めていけば良いアンサンブルになるはずです。日本ではあまり行われないでしょう。カラオケが日本の生音楽を殺したと言ってもいいですね。
各地のピアノ教室の先生がコードの読み方やさまざまな伴奏パターンを教えるだけで状況は激変すると思いますが、やらないですね・・・。題材にすべき日本の歌曲がないというのも原因ですね。アメリカならカントリーやフォスターの歌曲、フォークリバイバル以降のフォーク、カーペンターズやバカラックなどのポップス、1900年代初頭からのミュージカルや映画の曲などがあるし、イギリスならブリティッシュ・トラッド、もちろんビートルズ、ケルト民謡、スキッフル、ダスティ・スプリングフィールドらのヒット曲、フランスならシャンソンやルグランの映画主題曲、イタリアならカンツォーネ、ブラジルならサンバ・カンソン、サンバ、ボサノバ、ロマンチカ、MPBなど。つまり電気楽器やドラムが無くても国民の多くが口ずさめる曲ですね。そうしたものは家庭や酒場、パーティー、学校の放課後等でピアノやアコーディオン、ギターの伴奏で歌われてきた。年代を問わず浸透しています。これが日本にはないのですね。
この問題はまた別の機会に詳しく書きます。

★さて、昨年は私のライフワークでもある音楽と自然について、バランス的に植物の性質と近づけました。学生時代から常に絡めながら活動してきましたが、恒常的に管理しながらというのが難しいのです。現在はハーブが寒さに弱いので家の中に入れて簡易ビニールハウス的にして、夜は不織布をかけています。東京ですが家の中でも0度になりますので。果たして春になって復活してくるか・・?
    このテーマというのは入れ子をひとつ外に行くと「芸術表現と宇宙」ともいえます。弦の振動は空気を震わせ、聴くものの鼓膜を通して耳小骨を揺らし、リンパ液の中の細胞が電気信号として蝸牛神経に伝達され、脳に感情の変化を引き起こします。時には鼓動や血流の変化をもたらし、健康に影響を及ぼすこともあります。これは食べ物が体内に入り、エネルギーになると同時に筋肉細胞や骨、神経細胞の材料となることに似ています。汚染されたものを多く摂取すれば、新陳代謝に寄って汚染された肉体に傾き、汚染された精神を生み出し、悪循環を招くことと似ています。
つまり良い振動を伝えるには私が汚染されていない状態でいる必要があります。シューベルトやバッハ、ショパンなど素晴らしい作曲家の作品が今も心に響くのは、こういうことが関係していると思います。Devotionですね。
 これが私が精神を磨き、筋トレをして、語学の努力、自然へ耳を傾ける理由でもあります。
ただし、時間がかかります。その分、成果があがるまでお金もかかります。
鍛錬、集中、積み重ね、あるのみです。

具体的には、今年は★鍵盤の習得にもっとエネルギーを注ぎ、★ギターは前回書いたような変速ハープチューニングの活用、★クラシック音楽の専門書の勉強(前回書いたような古代脚韻ーメトゥルムーダクテュロス ,アナパイストス,イアンボスなどがどのように旋律に反映されてきたのか、対位法の元になった定旋律はどこからきたのか、近代以降Olivier Messiaenのmodes of limited transpositionを使った和声法、チェレプニンの9音音階,LevyのNegative Harmonyなど) を深めつつ、★木管楽器のジャズ的室内楽の作曲と実現に結実させる。これが目標。

 長いスパンのものなのでそれほど昨年と変わりはしませんが、資料を国立図書館から取り寄せたりネットから翻訳したりするようになってきました。買うとお金がかかりすぎるからです。ただし届くまで時間がかかるのが難点で、持ち帰れない場合も多い。音楽大学の資料室も使えればと思います。ドイツ語で原書を読めるようになるともっと加速できるのですが・・・。
そして発表にはインターネットの活用も促進しようと思います。
  さらに他にも竹の弦楽器の完成、ハーブからの精油抽出、庭の収納の修理、11弦ギターを修理して練習、ロングネック・ギターの再活用、録音システムの効率化、3rdCDの完成、語学の強化(ポルトガル語、イタリア語も)、録画してある各分野の講座の勉強、ヴォイストレーニング、5弦フレットレスベースを再活用してギターとの新しいアンサンブル法、サックスの練習し直し、教則本の完成と販売、ヒグラシ録音の編集とCD化、インターネットラジオ録音物のライブラリー化、不要物のオークション出品など整理、4月には自動車の車検、HDDデータの重複を解消してデフラグし、どの端末からでもアクセスできるようにする、テレビの録画DVDに焼いてHDD容量を空けられるシステム作り、レーザープリンターを導入、オリジナルギターノートを増刷して販売、ゴダンのGR信号でVP-9000を使った表現、などなどやるべきこと、なさねばならぬこと、なんとかせねばならないこと、なせばなること、やれば道が開けること!など沢山あります。
でも1番の優先事項は良い作品を作って、インターネットで発表することです。
「不屈の精神、鋼の心臓」です。
それでは皆皆の者、お互いコツコツ頑張りまっしょー。

Schönen Jahr noch. Bis bald !

              2018年1月14日 記


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↓ 前回の内容です。

★大晦日!    

        2017年12月31日  記

今年もあっという間でしたね。

この間までセミの鳴き声の中タンクトップで汗だくになって竹を加工したり、虫さされ対策でハーブを育てて成分を抽出したりしていたのに。

なんか今年は急激に寒くなった感じ。そして雨も多かったので、あまり青空の下で秋を満喫することが出来なかったように思います。

でも晴れた日はとっても空気がおいしいです。

 

★さて更新がだいぶ久しぶりになりました。

主に通信環境の変化でいろいろエネルギーを使う必要があったのと、もらい事故で車の修理に1ヶ月以上というのがとどこおった原因です。あと各種保険の見直し。

 メインで契約しているDion( 現au One net )がホームページ公開サービスを10月いっぱいで終了、というので、徐々にこのJimdoサービスに移行していたのですが、完全に移りました。

そのためもともとアップロードしていた膨大なコンテンツを自分のMacにダウンロードする必要があったのですが、FTPソフトで作業していた古いMac(G4)が起動しなくなってしまい、さまざまなパスワードがわからなくなってしまいました。そこでau One netに問い合わせて本人証明して郵送で送ってもらったり、これが種類に寄って別便になったり、かなり手間がかかりました。

そのコンテンツをJimdoに移植しようとしたら、今度はJimdoがログイン方式を変えてきた、という感じで手間取りました。

 また、20年ほど使って来たPHS(携帯電話)、運営はウィルコムから現Yahooモバイルになっていたわけですが、ブラウザーを一切使っていないのに請求が極端に高くなる月が時々あって、あまりに信用出来ないので解約しました。問い合わせても誠実さが無く、「Yahooモバイル以外」でiPhoneに変える計画を遂行したのです。驚いたことにこんなに長期継続していたのに、やめると損になるという要素が無かった。まあ、ひどい会社ですね。正式キャリア(通信会社)の劣化版なんですね。みなさんお気をつけあそばせ。

 熟考の結果、出先で調べものやメモが出来て、録音も出来て、デジカメが今手元になく(理由は以前書きました)写真や動画を手早く撮影出来て、自動車運転中に道に迷った時地図として使えたり、渋滞を回避する役にも立ち、レッスン時に伴奏音源を鳴らすことも出来るし、自分の作品を聞かせることも出来るし、PHSサービス自体が削減されていくことになっている風前の灯ということ等かんがみて、さすがにスマートフォンが必要になってくると判断しました。(その他アドレス帳や目覚まし時計代わりにもなっています。電話は5分まで無料。)

音楽作品を世界に発信するためにも必要な機材と判断して、Yモバは解約でキャリアもので契約しました。

 コースや条件などよく調べてからにしないと、2年縛りがありますし、割引は1年目だけだったり、不要なオプションを自動でつけられてしまったり等、セールス勧誘情報が大半で真の情報を得て試算するのは結構難しい。端末本体だけ買って格安SIMというのが対抗馬でしたが、キャリアでは売っていないのでAppleで買うか中古を探すかです。Appleで買うとやはり高いし、中古もかなり探しましたがiPhone6はあるが6S以降が少なく、あまり安くならない。と、以前書いたようなことをネット、実店舗、店員情報と調べて比較し、検討に検討を重ねた結果、iPhone7で安く運営する最善策をひねり出して移行しました。

 同じキャリアでも店舗によって割引サービスが違うので実際に何店舗も回って試算したりしました。特典の商品券分も換算に入れて。そして同時に自宅でのインターネット接続を無線通信方式のものに変えると割引になるのですが、固定電話も無線通信に出来るモジュラーが安く提供されだしたので、思い切って全て切り替えました。これによって今まで払っていたNTT料金は不要になります。つまり自宅でWi-Fi電波でネットも固定電話も出来る状態になり、携帯も含めて番号を変えずに済んで、毎月の割引要素に出来たというわけです。さらに不要になるPHS端末を下取りに出すことで、毎月わずかながら割引になりました。移行にかかる手数料も無料の方法で。これらの総額を24で割って2年分の毎月の平均を出して比較したのです。けっこう時間と手間がかかりました。

★10月にセブンイレブンに車を止めていた時にセブンイレブンの商品搬送トラックがバックして来て追突されました。両者怪我はありませんでしたがバックドアがへこんでバンパーが傷ついてしまいました。昨年末も追突されてなおしたばかりなのに。当然100:0であちらが全部修理費を負担してくれるわけですが、私のダークグリーンの部品がディーラーで生産中止で、中古で探すことに。しかし同じ色のものが出ないので、他の暗めの色のもので探して塗装しなおすと。これに時間がかかりました。

 次に修理工場に出すにあたってラウムを空っぽにして、ある程度掃除するのでひと作業かかる。修理期間は代車になるわけですが、このヴィッツがひどいしろもので、まずCDドライブが無く常に勉強するドイツ語や英語などをかけられないし、研究すべき音楽CDが聴けない。自分の作った曲はCD-Rに焼いて音質等チェックするのですがそれもできない。ラジオも感度が悪く、とぎれとぎれという具合で語学番組やFM番組を聴くことが出来ない。走行系もアクセルペダルを軽くしか踏んでいないのに、時おりエンジンが「ゔお〜〜」と不意に回転数が上がる。そのくせ馬力が全然ない。オートロックではないので乗る時は常に鍵であけ、降りる時は運転席にシンクロしないためそれぞれのドアでポッチを下げていないといけない。こういうイライラって精神を削られる。私のラウムは両側スライドドアなので、出張レッスンのときギター等をすぐ降ろせるが、ヴィッツはいちいち後ろに回って後続車やスペースに気を使って開いて取り出したり載せたりしなければいけない。その他、筆記具等すぐ使うようなものは普段定位置に入れているのが、方法を変えなければいけなかった。(こういう不便さって、相手の負担でレンタカーに変えられると後で知りました。私の保険会社の担当がだいぶ力量不足で、肝心な情報が得られなかった。)

 そして1ヶ月、やっと修理が終わって返還する際、空っぽにして掃除してガソリン満タンにして返すと言う作業が必要。なおったラウムに今度はもとの状態に復元、つまり筆記具や語学CD、記録簿、楽譜類、ティッシュペーパー、地図、雨具やトレーニングウエア類などを使いやすいよう配置しなければいけない。職場との往復に使うだけの人と違って移動事務所でもあるので、手間がかかります。

 また、この事故・修理に関連した連絡を、保険会社、相手の会社、工場と何度も自分で電話しなければいけなかったり、都合の悪い時間にかかって来たりします。とにかく加入している保険会社の担当者が今一でイライラさせられたり。最後に工場への支払いは相手が行うけれど、保険を使わずやるというので示談書が郵送されて来て証明やはんこを押して返送したり・・。こういうことがこまごま積み重なり、いちいち作曲や研究、入力を中断しなければいけない。

 私が行う作曲とは出来合いのフォーマットでイージーに踏襲するのではなく、新しいハーモニーの方法論を開拓したり、音階自体をあらたに設定したりしつつ、同時に西洋音楽1000年の進歩をしかるべき資料で調査し、演奏実技や読譜力、コンピューターのハンドリングの技量も常に切磋琢磨しなければいけないので、「深い領域」に入るには集中できる環境でまとまった時間を確保しなければいけない。画家や彫刻家と同じようなものです。もともと私の過失ではないものなのに、ちょこちょこ中断しなければならなくなる、何時までに電話しなければいけない、というのは、腹立たしいし、芸術活動としても精神衛生としてもダメージを受ける。これは制作活動に没頭したことの無い人には理解出来ないことですね。

 それで年末に保険の更新なので解約して最近のネットで加入する格安のものに変えるか、または人身障害の額を下げたり車内携行品の保障をカットして額を下げるか・・などまた電話したり調べて、変更しました。またこれはこれで慎重に検討しないと、教員時代に入っていた協栄生命保険が、他の保険会社の破綻があいつでいたので大丈夫か大丈夫かと何度も確認したら「大丈夫、傾いて来たら他の保険会社が支えるという会社自体の保険で支え合うシステムになっているから」ということでしたので、退職する時に解約しようとしたら、破綻しました。ウソつき。(現ジブラルタ生命に)。そのため積み立てて戻って来るはずのお金が極端に少なくなった、というのがあったため慎重になるのです。

 ということで更新が滞りましたが、晩夏以降をざっと、近況報告的に↓。

 

★秋にはウィーンから毎年訪れてくださる木管五重奏団の演奏がとても勉強になりました。私はギタリストですが、いざ電気のない状況、被災地等では音量的にほんの少人数にしか聴かせられないという楽器の特性なので、管楽器のアンサンブルを研究しています。管楽器なら完全にアコースティックで表現が出来る。ところがこの編成でジャズやブラジル音楽などやっている人たちは世界にほとんどいません。ドラムとベースを入れずに可能なのか?ジャズの和声をやるには5声は必要なので難しい。サックス5重奏では時々あるようですが。今年の演奏曲ではモーツァルト等クラシック曲以外に「チコチコ」「メイプルリーフ・ラグ」などリズミカルな曲もあり、編曲が参考になりました。

 この人たちと今年も交流を持つことができてクラリネットとファゴットの二重奏曲を作って献呈したり、ドイツ語でメールをしたりしています。首席奏者や音楽大学の教授もいます。

 

★毎年恒例で美大の芸術祭で弾き語りライブをしました。「Just Way You Are」など。研究室に自家製の梅酒や杜仲茶を提供したり。

 

★図書館で音楽構造の専門書や語学の本を取り寄せて勉強したり。国会図書館にしかない本も取り寄せられますが、来るまで何週間もかかり、持ち出せないのが難点。しかしなかなか情報の無いトロカイオス、ダクテュロスなどのメートゥルム(古代言語からドイツ語等に受け継がれたメロディーのリズム単位)について調べたりできました。自分では独自に作曲やアドリブの構成要素として音型を分類していましたが、やはり古代の人も形式を分類して叙事詩や旋律に使っていて、それがクラシック音楽に受け継がれていたと分かりました。ゲーテやシラーもこれを踏み台にしており、ベートーベンやシューベルトもそれを曲に使っているわけですね。まあ、君の味方だよ〜、幾千のォ〜、会いたいぃ、をコピペするちぇ〜ポップとは次元が違いますね。

 

★一方ドイツ語能力はなかなか深まらなくて、安全策的に英語も勉強。テレビの洋画やドラマなどの音声を切り替えて聞き取れるかやったり。英語で書いた分をドイツ語に翻訳したりその逆をやったり。古本で受験英語の参考書を入手しておさらいしたり。

年末に他の市の図書館も広域利用で登録して文法解説書や会話例などCD付きでたくさん借りられました。

 

★音楽実技面ではゴダン・ギターをハープチューニングにしたり。

変則チューニングで何通りか構築してます。「モザイク」「ナッシュビルⅡ」など編み出しましたが、弦によってオクターブを変えるにはゲージも変えなければいけませんから何度も張り替えて、調も替えて実験するので大変。ネックに妙な負担がかからず、弾きやすさも考慮したり。これで対位法はやりやすくなるけれど、ジャズ的なアドリブは難しくなる。いずれアイバニーズの7弦に応用しようという計画です。

 

★紅葉の変化を定点観測で撮影したり。(これは綺麗に撮れているので、動画として連結したりして後日Neighbor Nature Everのコーナーにアップロードします。以前これを分解写真のように年賀状にプリントしたら好評でした。iPadの導入であらためて美しい自然の変化を観察・撮影しました。)

 

★日常的には資料用にクラシックを中心にジャズ、民族音楽と語学をインターネットでMacに毎日録音して曲目や作曲者データの編集。テレビは放送大学の語学、音響と大脳生理学との授業、芸術論、錯覚や記憶に関して心理学、等を録画してかいつまんで勉強。

 

★ギターや作曲法、即興理論とエクササイズの教則本原稿を書き進めています。pdfでネット販売か、レーザープリンターを導入して自分で印刷・製本するか?・・

 

★鉢植えで育てているハーブ・が元気なくなっちゃった。

秋にいったん元気がなくなって葉っぱがしょぼしょぼしていた後、復活してみずみずしい葉っぱも増えて来ていて安心していたんだけど、上記のいろいろなことやっているうちに、しなしなのカサカサになっちゃった。庭の木や公園の木は落葉樹以外いつも元気なので木ッてすごいなー、この寒さの中風にさらされても、雨を浴びても大丈夫なんだなすごいな〜強いな〜という印象をもっていたので大丈夫と思っていたのですね。・・ごめんなさい。

そりゃそうだ、最近は氷点下になってますので。夜帰って来て懐中電灯あてると地面がキラキラ光ってきれいだけど。朝なんか車の屋根とフロントガラスが真っ白になっている時がある。家の中も寒いので冬物だしてきたり寝袋など自分が凍えないよう対応策やっていたら、わっさわっさに茂ってたミントもあっという間に枯れかかっちゃって、しまった!

今は室内に入れて簡易ビニールハウス的な状態にして養生してます。さらに夜には不織布をかけてます。

春に復活するかな?いい香りはしているので。

 

★昨日パンク修理しました。おとといの夜イオンモールの駐車場に止めて食糧買って戻ったら、左前タイヤがぺちゃんこになってました。んがックク。スペアに替えて自走して帰り、今日までのタイヤ館でぎりぎり修理して前後のリプレイスもしました。どうも釘が刺さったようで。ああ〜もうこんなのでいちいちブレーキがかかるんだ。

 

★あとは体力トレーニングで、走ったり腕立て、シャドウボクシング、体幹トレなど。腹筋の時もジーブン・ウント・ツヴァンツィヒ、アハト・ウント・ツヴァンツィヒ・・とドイツ語で数えるようにして頭と体と同時トレしてます(笑)。でもシューズがぼろぼろで、ジャージもまともなものがないので重ね着を工夫したり最近は手袋して。準備に手間がかかるとおっくうになりがち。

 

★Ohkiii〜Dooooki、それではまだこのあと年賀状作業に掃除、除夜の鐘付きと石仏周りするので、このあたりで。あ、年越しそばはさっきゆでて食べましたよ。野菜と豆腐もゆでて。

それではみなのもの、良いお年を。

 

            2017年12月31日  記

 

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↓以前にアップした内容。


ハーブで虫除けスプレー作り

摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。
摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。

★合宿から戻って来ました。

                  2017年8月17日 記

いつも行く茨城県の田舎にある分校跡で、後輩の美大生達が子供達を集めて作ったり、遊んだり、食べたり、踊ったりします。(5月に書いたブログを参考に)
私自身の今回のテーマは植物との共存。薬用植物を身近に活用ということ。

 前回書いた6月の梅や杜仲の葉ワークから、発酵を調べたりしているうちに、ハーブの研究をしだしました。ミントやレモンユーカリ、ゼラニウム、ステビア等、苗を買って来て育てたり、エッセンシャル・オイルやドライハーブを入手したり、メディカルハーブの本を図書館でたくさん借りて、勉強してます。でも一般的なハーブティーやアロマテラピーという利用法よりも、虫除けスプレーと、痒みどめを作るというのがまず目標。カやブヨに刺されるのはいやですからね。理想は自分で育てたハーブの葉から蒸留して成分を抽出して、スプレーや軟膏等を作ることです。

 どの本を見ても、精油(エッセンシャル・オイルのこと)を何滴混ぜるとか、インフューズドオイルやチンキの作りかたなどは書いてありますが、精油そのものの作り方は載っていません。そこで調べてみると、結局ハーブの葉や花などを蒸すかゆでるかして水蒸気として取り出したものを水滴に戻す感じとわかりました。あまり家でお手軽に行う感じではなく、専門店では5mlで1000円などで売っていますが、チャレンジ精神が旺盛なもので、いろいろ試してみました。本来は理科室などにあるビーカーやガラス管、アルコールランプ等でしっかり組み立てるか、高い機械を買うものですが、スペースもお金もありませんので、いろいろな図を書き写してみて、梅の発酵観察等で利用した100円ショップのガラスコップでできないかな、ということでやってみました。

 まずは水だけ入れて水蒸気をホームセンターで買ったシリコンのチューブを通って水滴で取り出せるか、いろいろ実験した結果、できました。いったん冷めてからセージのドライハーブと水を入れ、徐々に温度を上げて行くといい香りがして来て、ポタ、ポタと器にたまってきました。とても強い香りです。これが精油なんですね。チューブはとても熱くなるので水を溜めたボウルを通して指で角度を調節しながら冷まさなくてはいけません。(注:これを読んでまねして事故にあっても責任を持ちかねますので、安易に行わないでください。)

100円ショップのガラスコップでハーブの蒸留。精油がとれます。管を冷やすのにコツがいります。右下に見えているのは持って行ったステビアの鉢。食べると甘いのでみんなびっくり。
100円ショップのガラスコップでハーブの蒸留。精油がとれます。管を冷やすのにコツがいります。右下に見えているのは持って行ったステビアの鉢。食べると甘いのでみんなびっくり。


★それで道具類と買った精油2種、ドライハーブ、育て中のハーブの鉢2つを持って行き、写真のようにセットして蒸留してみました。

 そうして虫除けスプレーを3種類作りました。まずミントの精油からと、育てたゼラニウムのチンクから作れました。ローズマリーを水蒸気蒸留したものはやや濃いため、割合を探り中で、先の2つを寄付してきました。

こういうことを“ぶんこう”空間でやることでこの手法に興味を持ってくれる学生がいたら独自の文化として広がるかも、というきっかけの意味もあります。

 

 また、近所の農家の方とお話しできました。するとやはり例の「梅肉エキス」がお腹に効くとか、日常的な発酵食品の作り方、民間療法など話が通じて盛り上がります。例の杜仲茶の葉に興味がおありのようで乾燥させた葉を差し上げて来ました。代わりに取り立てのナスを頂きました。
また、古くから交流のある近くの乾物屋さん(お菓子屋)に例の完熟梅ジャムをお分けしたら自家製ブルーベリージャムを頂きました。こうした自作の食べ物で、ある種の物々交換的になるって田舎ならではですね。
 実は私はこうした、生ものでの交流は本来苦手な方で、学生時代仲間がそうした活動している間、音楽や芸術表現の追求にエネルギーを向けていました。その分を今になってなにか償おうとしているのかもしれませんね。少しだけ進歩出来たということです。また、近年の活動内容に“ぶんこう”ならではの広がりが薄くなってきているので、失なわれないようにという意識もあります。

★ブヨ刺され対策にはなんといっても「ヘビイチゴの焼酎漬け」です。これの2年ものを持って行ったので、刺されたこどもに付けたら、やはり効きました。(写真、右の瓶)

さらに天日干した杜仲の葉を持って行っていたので、煮だした葉っぱをパップ(直接当てて絆創膏等で止めておく)のもやってみました。これは最近自分でかゆかったところにやったら効果があったので。

 

 そして例の自作の2種類の梅酒も学生達に好評でした。焼酎で作った方は、ベニシアさん(イギリス出身→インド長期旅行→京都で古民家使ってハーブ中心のオーガニック生活)の影響で、レモンバーベナの葉も漬けてあります。ブランデーで漬けた方は超濃厚になってます。

 氷や冷水で割ったところに、持って行ったミントの鉢から、目の前で葉っぱをもいで乗せて、爽やかな「モヒート」状態にして。新鮮! このあまじゅっぱ〜くて、ス〜っとする元気の出る味に、ハマる人はハマるみたいで何倍もおかわりしていました。詳しくはまた後日写真入りで。

 

★その他、「スイカ割りの棒」が必要ということで、中学生たちと学生で、木の枝から作りました。まっすぐめの硬い枝を選び、細い枝葉はナタで落とし、外皮を削り落とし、滑らかになったら火であぶって小さなささくれを排除しました。さらに焦がしては「皮手」 などでこすってすべすべにして持ちやすくし、ハーブ作業用に持って行っていたマカデミアナッツオイルを少々塗りこみました。これは保護の為ですね。

 前にも書いたバルカン半島の笛Kavalを作る映像を見ていたので、やってみました。

さらにオリーブオイルを塗っては拭いてと、染み込ませて耐久性を出しました。学生時代に、木を削って作った器に「拭き漆」をやらせてもらったことがヒントになっています。(自分は油絵専攻だったのですが、熱意があると木工の先生が特別にやらせてくれたのです)

最後に、焦がして色の濃くなっているところに、一緒に作った人たちの名前を各自が刻んで記念としました。

 まあ、たんなる「木の棒」なんですが、アフリカの杖みたいな、代々伝わる的な、魔術的な、渋〜い風情が出て、ほんのりいい匂いもして、こども達にはかなりお気に入りの一品となりました。

 私は、こういう風に「どこでも図工教室」というか、「はじまっちゃう系」というか、自然素材を使って即興的に、ちょっとした知識の応用と道具の手作業を使って作る活動が好きです。あまりインスタントでちゃちなものは物体も心にも残りませんし、かといってあまりにも難易度が高くて時間がかかりすぎるのもついて行けない子が出てしまいます。なんとなく作業が見えて、変化が起きて、五感で受け取るちょっとした驚きがあって、充実感を得られる活動がよい、そして私がいつも気にかけているのは、大災害や、まわりに便利なものが無かったり、遭難したり、という時に機転を利かせれば役に立つような要素を含んでいるのがいいな、と思うのです。私は教員時代、授業でこういうことを重視していました。それも学生時代にこの“ぶんこう”での活動に感化されたからです。

 この棒作りも、校庭のまわりを歩いて枝選び、ナタでの作業、火を使った作業(熱の体感、湿った時の火起こし、皮手の耐熱性、火男=ひょとこの話)、油を塗りこむ、名前を刻む細やかで美術的な作業、手触りの良さ、匂い、そしてスイカ割りに使うという実用性、と多様なフェイズを持っている点、多様性に惹き付けられるものがあったのかもしれません。

 しかしこういう充実した状況を創出するには、リードする人間にそれなりの力量が必要とされます。デジタルではなく、刃物類を扱う技術、水や火や油、土、木、石、風などの性質を体験的にも科学的にもある程度理解していること、対象の素材が適しているか判断する経験や感性の蓄積、いっしょに作る人を飽きさせない話術やリズム、その活動にまつわる余談的な関連知識を持っていてイメージの広がりを喚起できる技量、必要になりそうな道具をあらかじめ察知する嗅覚と調達する能力、安全性の確保、もちろん体力、最後に魂、といったものです。

 今の学校教育の現場では教師がなかなか持ち得ない部分ではないでしょうか。

(教員を育てる大学や養成学校、教育委員会自体がこれを理解出来ていませんから。何せその上に鎮座する文部科学省があのザマですからね。さらにその上の内閣が、国を成り立たせてるのに重要な「エネルギー」について真剣にとりくんでいなくて、もう一方のエネルギーである「人材」そしてそれに必要な「教育」について真剣にならないわけだから。真剣になるのは私腹を肥やすシステム、天下り先、特区などを利用したリベート、次期選挙、マスコミ対策、ぐらいですか。)

 私の場合は彫刻科の先輩方や、職人さん、林業に携わる人、そしてアマゾンで先住民のおじさんから少しずつ吸収してきましたが、まだまだ力量不足と思っています。今ハーブを育てるのに土の水はけのことや、葉を増やすのに摘心(剪定)したらすぐ芽が増えて3日後には新しい枝が広がっていく生命力(冒頭の写真)など、今更ながらの発見が多いのです。

 そして今は革細工をやろうとしています。実はお財布が壊れてしまったので、皮で作ろうというわけです。というのは、壊れて次のものを買う時に、毎回実用性のよいデザインの財布が無いな〜と腹立たしく思っているからです。よさそうと思うものはべらぼうに高く、安いものは耐久性も劣る、という状況。教員時代の工作用の皮(確か太鼓を作る為だったかな)が余っているのを思い出し、思い切って自分でデザインして作ってみるか、というわけです。カード類の多い昨今たくさん収納出来てすっぽぬけにくく、小銭の出し入れもしやすく、レシートも収納出来るもの。それで図書館から資料をいろいろ借りて来て用意しつつあります。なるべくジッパーなど出来合いの部品を使わず、「その手があったか!」という機能的なデザインを目指しております。

 

 

★あと、小さな子達と粘土で器作りもありました。学生がやっていて手伝ってほしいということでこれも即興的に参加して。以前は“ぶんこう”ででもさんざんやって、陶芸家になった人も多いのですが、最近は「土のこと」のとりくみが少ないようです。教員時代の授業でもやりましたが、短時間だし小学2年生だったりで「手びねり」なわけですが、ヘラも無いし、ドベ用の皿も無い、切糸用の針金も無い。大きい扇風機で乾きやすくなっていて粘土もいまいち粘りや可塑性に乏しい。

まずは簡易型の笛を短時間で作って吹いてみせました。このことによって粘土の可能性や興味と、私への信用を持ってもらうわけです。

 コップを作りたいと言う子もいる。そこで板状に延ばして組み立てることにしました。ひもを重ねて行くのは時間がかかるし、空気が入らないように押さえつけるには経験が居るので。

 手のひらで押さえつけて平らな状態を作り、ヘラの代わりに鉛筆の先で周りを切って底の丸い部分、壁の長方形を作り、接合部は鉛筆の先でギザギザバッテンに荒らしてからドベ(同じ粘土を水で薄めたもの)を塗って壊れないように押し付けます。うまくいきました。手で持つための「把手(とって)部分はコロコロころがして作った棒を慎重にカーヴさせて、接合部はギザギザバッテン+ドベで。ある女の子は「はにわ」にしたいということで、上向きカーヴと下向きカーヴにした棒を左右に接着し、顔は削って書きました。

  こういうことは蓄積が無いととっさに指導するのは難しいです。粘土や竹、木工というのはあらかじめ自分で試作したりして性質を把握しておくこと、年齢ごと の難易度を理解して、道具類を準備しておかないと気に入った作品で残すところまでたどり着くのは難しい。さらに焼き物の場合はいつ・どこで焼成するか、 こどもに立ち会わせるか、釉がけして本焼きまでやるか、壊れないように管理出来るか、など多様で時間を要する側面があります。「土や水」「火」いわば地球 へのリスペクトも持つべきと思います。そうしないと男の子なんかはちぎっては投げてといういたずら道具になってしまったり、途中でやめてしまったり、ただの固まりで作ってしまったり(気泡が入っていて膨張したりで爆発する)、焼く作業は人任せ感覚になって自分の作品と言う達成感がともなわなくなったりして しまいます。

 かといってあまり「やきもの道」感や教条主義的になりすぎても、とりくみにくい もの、めんどうくさいもの、として敬遠されてしまいます。これはやきものに限らず、和紙作り、竹細工、染め物、織物など日本が自然素材と育んで来た文化が 失われて行く原因でもあります。まあ指先で触れるだけで相手を殺すゲームや、辞書を持ち歩かず文字を入力するだけで調べ物が出来たり、名前も明かさず批評できるといったデジタルガジェットに囲まれ「単一動作」で育った人たちにとっては手強すぎるし、「我慢弱い」世代にとっては職人さんに習おうにも気難しい人が多くて面倒、ということになりましょう。

 となると技術や経験は上回っていて、でも一緒に探求してくれる、社交性のある人物、という存在が重要になってくるのですが、現代の生活ではそういう機会も空間も時間もありません。学校も政府もこのことには気づいていません。定型を権威で押し付けて来るか、いかにもお役人仕事の一過性の体験教室、すでに興味を持った人への強化制度、といった感じで、職業として専門家になるとは限らないが、仕組みや技術を理解してある程度再現性のあるように体得させて日常に根付かせるという視点がありません。だからこどもたちにとってはいきなり職人になりますか?それとも関わりにはならないですか?というような二者択一的な雰囲気になってしまう。ちょこちょこおじいさんの手仕事を手伝う、という空間にはならないんだ。

 すると安易に欲求を満たしてくれるガジェットに走る、ということになって行くのですね。

 音楽界も同様で、すでに定型のあるクラシックでは習得システムが熟成して来て裾野も広いので、世界的に通用する人が出て来てます。これは野球界も似ています。ところがクリエイティビティやオリジナリティが重要とされるポップスなどでは世界に全く通用しません。児戯以前です。国内でもこのクオリティでは・・恥ずかしいです。CDが売れないのも当たり前。

 ワンパターンではない素晴らしいものを作るには、音階一音ずつの性質の把握、それが和音が変われば変容すること、セカンダリードミナントの意味や借用和音、分数コードやテンション、ポ リコード、ペダルトーン、クリシェの応用、インターモジュレーション、非和声音、アンティシペーション、カウンター、既出の名曲のアナリーゼ、音域の棲み分け、リズムフィギュアの精査、当然演奏技術、音域を広げる歌唱力などを学ばなければいけませんが、めんどくさがって敬遠して安易な切り貼りに終始しているのです。教えられる人もいないし。中学・高校の音楽の先生で今書いたこと例を示しながら教えられる人、5人居るかな・・というところでしょう。

 こうしたことは既にビートルズなり、バカラックなり、デヴィッド・フォスターにクィンシー、スティーヴィー・ワンダー、スティーリー・ダンらがとっくに確立していることで、それらをアナリーゼして手法化できる人がいないのですね。メソッドがない。あわせて歌詞の世界もメタファー文化が無いし、ポエトリー文化は低迷の評価も低い、文学のステイタスが低い、哲学的思索も敬遠されるという日本において発達できないのですね。ディランやジョニ・ミッチェル、ニール・ヤン グらから学びとろうという動きも無い。英語が苦手だからですね。

その結果、ただの散文になってしまい、使い古された単語のコピペ、使い回し。

まさに毎日新発売の駄菓子オンパレードという様相。

  いい音楽を作るというのはやたらコンプレッサーで音量をあげまくったり、下手な歌をデジタル修正しまくったり、歌唱力不足をユニゾンでごまかす、タイアップやお化粧でビデオ売り込みする、お遊戯振り付けで取り上げられることをねらう、ということではございません。デジタル機材の普及によってますます安易に切り貼りできるようになり、作り手も低年齢化、本格的リスナーには通用しないから対象も低年齢化、低精神年齢化、曲そのものよりもイベント化・・・。

これでいいんでしょうか。

よかーない。だから先述のように技術や経験は上回っていて、でも一緒に探求してくれる、社交性のある人物、という存在が重要になってくるのです。ギターはある程度弾ける、でもスティーヴィーのこの部分どういう仕組みなの?ビートルズはなぜこの和音進行を思いついたんだろう?という時、または鍵盤である程度コードを弾ける、でもドナルド・フェイゲンのこのハーモニーは?という時に一緒にひも解いてくれるような人物、それが日本のポップスを底上げしてくれるわけですが。そういう人物を育てなければいけない。かつてPP&M等フォーク初期や、ベンチャーズ・ブームという時はギターなので、まああったんでしょうが、鍵盤の技術とジャズ・ハーモニーの手法が取り入れられたものになってくると、無理なんですね。それは日本のピアノ教育が楽譜偏重主義で、和音の仕組みや編曲の根拠、即興力を教えていないからなんですね。作られたものを弾くことは出来る、だがメロディーと和音がどうしてそうなっているのかわからない、この和音進行で自由に旋律弾いてごらん、という学びが無い。だから専門的な学校で学ぶか、イージーなものに終始するか、ということになっちゃう。

 というわけで、身近にありながら奥の深いものと、知識不足の我慢弱い人たちとの関係の難しさについて、伝統工芸もポップスも同じような構図なんですね、ということを述べました。

★さて、私は上記の活動のさらにアナザーディメンションでいつもの「ヒグラシ録音」をしてきました。朝4時です。以前書きましたように「UFO鳴き」を解明する為です。

 長くなりましたので合宿関連は今回はこの辺で。

東京に戻って、雨続きもありヒグラシはもう息絶え絶えですね・・。寒戻りならぬ「梅雨戻り」?

✴︎帰って来ると世界陸上もすごかった。
ボルトのラストラン、ガトリンの念願かなう、超人ファラー、アリソン・フェリックス健在、と見所たくさんでしたが、私的にはダフネ・シファーズ(本来の発音はスキッパーズ)選手に釘付けでした。これらはまたの機会に。

 

 

✴︎最後に、8月15日は終戦記念日です。

みなさんいかが過ごされましたか?

  私は近くの大悲願寺という大きめのお寺に行ってお経を唱えてまいりました。戦死者が安らかに成仏できますように、そして世界が平和でありますようにという祈りを込めて。それも表面的な儀式に終わらないよう、できる限り亡くなった現場をイメージして。
終戦記念日といってもそれは日本国内で言っているだけ。昨年詳しく書きましたように、世界的には実際に武装解除して調印した 9月2日が終戦です。
今年も秘匿されていた情報や映像が公開されたり暴かれたり、今まで語るのをためらったり拒んでいた人たちが思い口を開き出したり、聞き取り録音テープが発見されたりして、今まで情報操作されていた部分など明らかになって来ました。

次回書きますね。

 

 それではアッリヴェデルチ!

                  2017年8月17日 記

 


 

以前アップした内容です。↓




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★オリンピック前に盗作予防
2016年8月3日

久しぶりの更新です。ハードディスクのOSのインストールしなおし、導入したパソコンへの移行、故障ハードディスクからのサルベージなどで時間がかかってしまいました。常にインターネット・ラジオを40時間ほど録音しながらドイツ語、ポルトガル語を勉強して、作曲、練習、ギター教室、さらに夜明け前と夕方にヒグラシの鳴き声などのフィールド・レコーディングにでかけるといった毎日で、なかなか新しいMac環境が完成しませんでした。でもオリンピックにむけてあらかじめアップしておいた方がいいと思うことがあるので、取り急ぎ更新いたします。
★熊本の地震についていろいろ書いたのですが、別コーナーで後日アップいたします。

★さて完全に夏ですが、もうすぐ開催されるリオのオリンピック・パラリンピックのオープニング、開会式でまた私のアイディアが無断借用されないか心配になったので、あらかじめアップしておきます。
 どういうことかというと、かつてカナダの国際的なパフォーマンス団体に入団するため、モントリオールや国際便でさまざまな資料を提出したのですが、大きな大会で「無断で使われて」しまったのです。オリンピックの閉会式、ワールドカップの開会式、彼らの音楽イベントで舞台で行われるパフォーマンスとして、など。もちろん連絡も無く、使用料どころか発案者の私の名前も出ません。
提出したのは上や右の図のようなカラーのパフォーマンス図と英語で解説をつけた図といったアイディア集のポートフォリオです。1999年に書いたものです。
この中から舞台装置や演技方法をそのまま使用されてしまいました。
しかも私の提案より劣化した状態で。
 それで、今回、もうここでいくつか公開してしまおうと思いました。ポートフォリアにはまだたくさんのアイディアを入れてありましたので。
もしリオのオリンピック・パラリンピック開会式(&閉会式)の中で以下のものに酷似したものが出て来たら「あ、能勢さんのアイディアまた無断使用されたんだ」と認識してください。
また、世界がほしがるアイディアの宝庫というわけですから、何か依頼したいことがあれば、ご相談ください。
★まずスーパーホッピングです。
これはこどもが遊ぶ、バネ付きの棒「ホッピング」を強化して高く飛べるようにして、アクロバットを含むダンスを展開するというものです。

金属の棒に手で捕まるT字の横棒と、足を乗せる踏み台で、これがバネで上下するようになっていて、ピョンピョン飛ぶ、あれです。これの跳躍力を スーパー高めるため、スプリングの素材、太さ、巻き数を工夫します。自動車やMTBのサスペンションなどで発達した技術を応用します。訓練したアスリート が使えばかなり高く飛べるでしょう。
もちろんパフォーマーの体格、体重に合わせて調整するわけです。考案した技として、
★ジャンプしている間にスティックを水平に1回転させてまたホールドして着地します。
★ジャンプしている間に手を離して両手両足でポーズをとり、またホールドして着地します。
★2人のパフォーマーが高く飛んで空中でお互いのスティックをいれかえます。
★ジャンプしている間に自分のスティックを時計の針のように大きく1回転させてもとの位置に戻して着地します。(ロックヴォーカリストがマイクスタンドを振り回すように。)さらに
訓練すればスティックと一緒に空中回転も可能でしょう。(スノーボードのように)★ハンドルのT字部分の上に逆立ちします。

★このイクイップメントですが、設置面となる接点はエラストマーを使用します。舞台床に付く傷や負担を減らす為です。
また、おおまかにふたつのタイプを設定します。もう一方はストロークが長く、深く踏み込んで高く飛べるタイプで、バレーボールでアタッカーと同じような跳躍動作です。スプリングのストロークが長く、ちょうどトランポリンで深く沈んだのが戻るのにあわせて加速して飛びます。空気圧のシリンダーを本体に組み込んでもいいでしょう。体重のあるパフォーマーが適しています。あまり小気味好い動作には向いていないでしょうけれど、演技中で大きく飛ぶ役に割り当てます。

 

スケートボードなどストリートのエクストリームスポーツに興じている人にある期間与えれば次々あたらしい技も生まれるでしょう。
★私の考案はたんに高く飛ぶ、危険な技を披露するというだけではなく、音楽に合わせ、バレーのように格調高く舞うところにあります。シンクロナイズド・スイミングやマオリ族の「ハカ」にも敬意を表したいです。
例えば9人で細かく飛んだりスピンしたりする中で4小節ごとの旋律の切れ目に全員が片手と視線で右をさすとか。3人ずつのグループで特徴のある、違う振りを割当て、舞台で小刻みなジャンプで行進して行き、すれ違うとか。ヴァイオリンのレガートなメロディーにあわせ、ジャンプせずに傾けたスティックで旋回するとか。コレオグラフですね。そうした演舞のなかに大技を入れます。
★飛ぶだけでなく、地面の上でいろいろな演技もできます。
例えばスティックを斜めに倒してT字ハンドルの端を片手で持ってもう一歩の手は伸ばしてバランスをとる。傾いたスティックに斜めに乗っている状態です。これを全員でぴたっとそろえる。観客の目が上下動に慣れている時に静止するのは効果があります。
ここで延ばした方の手を別のパフォーマーとつなげばさらにバランスとれます。
また、踏み台に片足を乗せ、別のスティックにもういっぽうの足を乗せてバランスをとり、肩に一人が乗っかって立ち、組体操のようにもできます。そこから飛び降りる時にまたスティックの踏み台に着地するとか。アメリカで発達したチアリーディングのパフォーマンスの技術も取り入れられます。
たんにアクロバットだけでなく、優雅でエキゾチックなダンスを見せるところが特徴なのです。
途中で音楽が止まり、実際のスプリング音や着地音を聴かせたりもします。そこに生声で歌って、ある種、儀式のような空間も演出します。
★また、ストーリー性を持たせて、演劇的な構成にすることも出来ます。例えばパフォーマーがホッピングを担いで歩いて来て、パントマイムでお互いに自分のスティック自慢をする。オレの方が高く飛べる、オレのほうが素早くできる、みたいな競い合いから仲間が出て来て、次々技を繰り出す。まあ、バトルものミュージカルのように展開するわけですね。
 あるいは特別な「伝説のスティック」があって、通常のジャンパーでは反応しない。それが物語のある状態でヒーローが可能にする。(そのときとっておきの技を繰り出して盛り上げていくわけです。)
 またはラヴェルの「ボレロ」のオマージュとして、酒場のようなところでホッピング・スティックがいくつもころがっていて、なんだこれは?と。いろんな人がいじってみるが、興味なく放置される。そこに主人公がきて、ジャンプし始める。いろいろな演技をするうちみなも興味持ってそれぞれのスティックで飛び始める。中央の主人公がやる技を円形のみんなもとりいれて、壮大な演舞となって行く。
 または、女性パフォーマが出て来てかわいらしく飛んでいる。それを口説く男性ジャンパー(もちろんパントマイムで)。これは衣装等で妖精の世界か神話をモチーフにしたロマン派のような演出です。別の男性ジャンパーがきて口説く。お互いにどちらが女性を魅了するか、さまざまな技を競い合う。そこに馬のような異形のかぶり物をした登場人物。娘に肩に乗るよう身振りで伝える。娘が肩に乗るとそのままスティックでジャンプする。娘が大喜びしているとかぶり物がユニコーンの姿に変わって、そのまま娘を乗せて舞台から去ってしまう。残された男性ジャンパーはきょと〜んとして見送る。など・・。
いくらでも思いつきます。
これをメイン演目でなく、他の演目の合間にショートストーリーとして登場させてもいいわけです。

いかが?見てみたくない?
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★次に「不思議な音楽隊」です。
これは、音の出るしくみを使っていろいろなオリジナリティーのある楽器・音具を使って合奏するものです。
もちろん、ただ変わった音具を鳴らすというのではなく、図にありますように、訓練された体術に寄って演奏します。
★そのひとつで、ウォーター・シロフォン

瓶に水を入れ、マレットで打楽器として叩きます。これ自体は、昔からあるものですが、円形に並べて、通常届かないような方向もコントーションで、届かせます。
コントーションというのは、昔からある体の柔軟性で魅了する演目です。この信じられないポーズで、ガムランのような演奏をするわけです。一部マレットを持ち替え、ガラスならではのきらびやかな音も使います。
綱渡りによるコントラバス

私が普段演奏するメイン楽器はギターですが、弦楽器は、弦の長さと太さ(材質・質量)で音程が変わります。指で弦の途中を押さえると振動する長さがそこまでということで音程は高くなるわけです。そして弓でこすればヴァイオリンやチェロのような擦弦楽器、つま弾けばギターのような撥弦楽器、叩けばピアノのようになります。この原理を使い、綱渡りによって音程を決めて、その綱を弦として叩きます。それほど大きくはないセットで、綱の端は共鳴する箱の駒(ブリッジ)上を通ってから固定されています。高所でのタイトロープのスリルではなく、目の前でバランスをとって舞い、音程を変えるというところに主眼を置きます。

綱の上を素早く移動して、もう一人が鳴らします。綱のたわみを利用して軽く飛ぶと「開放」の音程になり、低くなります。もちろん大きなもので低い音ですから、通常のメロディーを素早く演奏するのは困難ですが、ジョン・ケージ的なアプローチの楽曲を設定します。また、訓練すれば、1/2、1/3、1/4といった地点で軽く足を浮かせて「ハーモニクス」という倍音を出せるかもしれません。

 私はブラジルの民族楽器「ビリンバウ」を持っていますが、これは弓のような形をしていて、金属の弦に石を押し付けて音程を替え、若干しなる木の棒で小刻みに叩き、ひょうたんの共鳴を使います。手にはカシシというシェイカーを持って同時に鳴らします。

 こうした、エキゾチックな音色ででリズムに重点を置いた演奏を取り入れるのです。また、隣に別の長さでもうひとセット設置して2人のコンビネーションによってメロディーやリフの種類は増やせます。このコンビネーションはアンデスのフォルクローレで、「シーク(サンポーニャ)」を吹く2人が息を吹き込むタイミングと選ぶ筒を変えることで、つながった旋律のように聴かせる手法を参考にシークエンスを作ります。例えばドレミレドと鳴らすにはひとりがをダウンビートで吹き、の担当の人はアップビート(裏拍)でド・ミの間のリズムで吹きます。すると、と・が組み合わさってとつながるのです。もちろん延ばす音や休符でもっと複雑になりますが。

私はかつてアイマラ族の来日公演を見に行きましたが、スペインに侵略されてギターやチャランゴといった弦楽器が入る前の伝統楽曲を演奏する際、この手法をたくみにあやつって倍音を含む低い音を大きく出していました。しかもボンボという大太鼓を叩きながらです。
 私のアイディアは現代美術的な印象を持たれると思いますが、スピリットは「土」に根ざした、古来からの文化をリスペクトしているのです。

スティール・パンをヨーヨーで叩きます

左の図のように球面内側のようにセットしたパンをヨーヨーを操って当てることで鳴らします。

2人が背中合わせ、向きを変えて方向を変えながら、先ほど説明したようなリズムコンビネーションを利用して、ミニマルミュージックのような音楽を奏でます。

 

★竹の空中シロフォン

2人がジャグリングのように筒を投げて交換しますが、それを空中で衝突させると音がします。これを利用して奏でます。

もちろん跳ね返ったものをキャッ チしなくてはいけませんから、訓練が必要です。タイミング、角度。手で持ったり支持体に固定しませんから、振動は阻害されず、さらに空中を移動しますので独特の音がします。

訓練次第で、手元に飛んで来た筒を、持っている筒ではじき返して飛ばせると思います。この時にも音がします。
材質と肉厚で音程を替えます。竹を切っただけの筒でも肉厚で密度があるとよく響きます。実物のシロフォンのように筒の中程を少し削ることで振動しやすくしたり音程を調節します。もちろん長さや太さを変えればかなり変えられますが、衝突のコントロールが難しくなりますので、サイズの違うものの場合はセットを持ち替えたり、別のコンビが担当します。

 

 

★次にストンプ・オルガンです。

空気で鳴らす鍵盤楽器には、教会のオルガンが古くからあります。小型で持ち運べるアコーディオン、バンドネオンなどがありますが、「ふいご」を足で踏むことで空気を送り込む楽器を考案しました。ハーモニカやアコーディオンと同様、鍵盤一つずつにフリーリードがついていて空気で振動して音が出ます。肩からかけた鍵盤を踊りながら足踏みポンプで空気を送って演奏するわけです。両手で演奏出来ます。
メロディカとか鍵盤ハーモニカとか手軽な製品もありますが、和音や低音を鳴らすにはかなり空気の勢いと量が必要です。とても口から送り続けるのは無理なので、足下のふいごを踏むと送られるようにしています。無いようにあわせたステップを踏んで踊るように弾きます。電気を使わずあくまでもアナログで。

★こうした楽器・音具群をあやつって、ちょっとボッシュの絵にでてきそうな奇妙なオーケストラというアイディアです。
もちろん私は音楽家ですので、作曲出来ます。エキゾチックで無国籍な博覧会的な曲です。
ヨーロッパの古楽的なイメージ、ミニマル・ミュージック、ジョン・ケージ的な通常音階でない音の組み合わせ、ピグミー族の輪唱、それらをあわせた、ネオ・ワールドミュージックのようなものです。
 パフォーマーの錬度にあわせて、それが出来るようになったのならこういう曲もできるはず、と作・編曲出来るわけです。

他にもいろいろアイディアがありますが、長くなりますので、このへんで。夜にまた追加しようと思います。 能勢

続きです・2016年8月3日 記

★あとバウンシング・クラッカーです。

昔クラッカーボールってありました。ふたつのプラスティックの球体を紐で吊るしてあり、タイミングよく上下に振るとお互いにぶつかって反発して、また戻って、というおもちゃです。上手になると下だけでなく、上側でもぶつけて倍の早さでカチカチやったりします。

この左の図は、そのクラッカーボールのような球体の振り子の大きなものを作り、人が乗るスリリングなパフオーマンスです。上に乗ったパフォーマーがブランコのように体重でこいで、徐々に大きな振りにして行きます。

もちろん球体はある程度の弾力があるエラストマー物質で衝撃が強すぎないようにしてあります。

見た目にはドーンっとぶつかって跳ね返り、ダイナミックなものになります。上に乗っている人は球の上でくるっと回転したり、ロープから離れて球体の上を歩いたり跳ねたりとパフォーマンスします。衝突の瞬間にお互いに反対の球に飛び移ったりも出来るでしょう。

 

また、下の面にぶら下がれるハンドル(とって)がついていて、別のパフォーマンスが空中ブランコ的な技を披露できます。勢いが出るよう体の振りでこいだり、足をかけて逆さにぶら下がったり、ぶつかる瞬間に反対の球に飛び移ったりします。  

これは、2つの民族、2つの文化が出会う時に反発するが、それを橋渡しする者もあらわれ、理解し合ったり、融合したりするということのメタファーなのです。

2人いるほうの球は質量が大きいので、もう一方をはじき飛ばしてしまいます。その時に体術でコントロールすると、2人乗りの方は衝突した時にほぼ静止出来ると思います。そしてはじかれた球が戻る時に、今度は止まっている方がはじかれる等、バリエーションができると思います。

 

また、ぶら下がっていない球で伝統的な「玉乗り」を登場させ、人員を増減したり、動きのスピードやダイナミズムを対比します。うまく行けば地上の球にも足にかけるフックをつけて、振り子の球にぶら下がって連結出来るかも知れません。

これもエキゾチックで映画音楽のような曲にあわせます。その曲を私が作れるところが、演技とシンクロさせられて、強みなのです。

 

さて、こうしたアイディア集、他に、下からの風で空中に舞う演技、(これは無断使用されました)それを周囲に配したトランポリンや昆虫のような衣装と組み合わせるもの、大きな時計の針をぐるぐる回し、そこに乗った孤独な救済者が支持する民衆の人数によってシーソーのように上下するもの(これは音楽イベントに無断使用されました)などもありますが、今回はこのあたりにしておきます。すべて1999年に書いたものだから17年ぐらい前です。今ならもっといい絵で表現出来ます。

それにしてもどのページにも必ず私の名前とサイン、住所と電話番号を書いていたのに、無視してあちこちで使われました。まあ、スキャンして削除したりしたのでしょうね。佐野られたのですね。しかし原案より劣化した状態で使われるのが余計イヤになります。そうじゃないのに〜という形で。そしてだれか悪いやつのところにお金が流れたんだな、というところがまた悔しい。

 それで、残りのアイディア、どうせ使われるなら、先に公開しておこうというわけです。

以前、フランスの国立サーカス学校でパントマイムを教えていた知人に、このアイディアどうかな、ってお見せしたら、うかつに見せない方がいい、アイディアを盗まれるよ、と真剣に忠告されました。その時はアートパフォーマンスをする人たちにそんな悪い人はいないでしょう、って思っていました。でもいるんですね。そして大きな企業団体になってくると、スカウトマンだけでなく、そういうサノラー要員が世界中でパクってきて組み合わせるのですね。海外の組織は恐いな〜。

 ダ・ヴィンチにはおよばないけれど、私も現代の(プチ)ユマニストとして作曲・演奏だけでなく絵画、オブジェ、アイディア実用品デザイン、ステージデザイン、独自の楽器作り、作曲法や即興理論につながる練習メソッドの考案、と広範囲に取り組んでいたのが、佐野られるのを懸念してエネルギーを音楽だけにフォーカスしていました・・が、こうした能力をもっと公開してもいいかな・・。という気にはなってきました。実はSFめいた小説を少なくとも3つは下書きしてあります。これを映画化または漫画化してくれるスタッフも探してはいますが・・。ネット上でアニメーションとして公開するのも面白いですが、時間がかかるし、お金がない。クラウド・ファウンディングというものを使わせてもらう日がくるかも。

当座は取り組み中の小管弦楽団による室内楽ジャズやボサノヴァの確立をメインにドイツ語の上達、ポルトガル語の上達、ビジネス英語の勉強に集中したいです。

 あそうだ、ン10年、何百と録り貯めて来たヒグラシの鳴き声の発売を緊急におこなわなければ。それもたんなるCDではない形にしようと思っているのですが。これは東北大震災の被災者を支援する為にも使うのです。だれか共同で作業してくれればいいんですけれど・・。

   2016年8月3日 夜  記

 

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ご覧のページはリニューアルしつつあるバージョンです。

  この「冒頭コメント」は次の分に更新したあとは「コラム」のほうに載せることにしました。このメインページに長過ぎる時は短くまとめたショート版にして、コラムコーナーの方にもとのバージョンを載せることもあります。  こちら→コラム  過去に書いた内容から重要なものは新しくコーナーを設けて再録しました。→過去コラム

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↓一昨年秋の内容です。★今だ捜索中なのでこの記事は残しておきます。

もとの詳しい内容はコラムのページで→こちら

 

リュックをなくしてしまいました。残念。

   2015年11月3日 記

オレンジ色に黒のストラップ類で、頑丈なハンドル(持ち手)がついたデイパックをなくしてしまいました。11月25日(日)の夜に小平市鷹の台付近か、あきる野市でなくしたと思うのですが、わかりません。

 

 中に、音楽ノートを3冊入れていました。しかもそのうち1冊はここ2年間ぐらいの、ハーモニーの研究成果を書いた分厚いものです。これが一番くやしい。

 他にはオリンパスの小型デジカメ、ギターにとりつけるカポダスト2個(しかも片方は特殊なパーシャルカポ)。楽譜用の筆記用具類。などなど・・。

 

 もしどなたか拾った方、私に連絡お願いいたします。

こちらです→ generate311-heal○yahoo.co.jp 

○を@に変えてお願いします。迷惑メールに仕分けされないよう件名に私の名前「能勢」と書き添えて頂けると助かります。

 または「お問い合わせ」のコーナーのフォームから送信頂くこともできます。

お近くの交番に届けていただけるのでもありがたいです。

中身をばらばらに散乱して捨てられた可能性もあります。デイパック以外に単体で上記のノートや品々を発見された場合もぜひご連絡お願いいたします。

 

 製品はまたお金を貯めて買うことは出来ますが、音楽ノートを失ったのが悔しい

 もしリュックを拾った人が中身をばらばらに捨てていたとしても、このノートだけでも誰か拾って届けてくれたらいいのに・・と祈っている毎日なのです。

 

   2015年11月3日 記


↑前の内容の写真です。記事はこちら→コラム

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本格コラム

もとはメインページに冒頭コメントとして書いていましたが、時事問題についてなど長文になって来たので、別ページに仕立てました。

このコーナーは私が思うことを書いています。終戦記念日に思うこと、学んだこと、音楽について探求したこと、などなど。かなりの文章量なのでリンク先にアップしてあります。月刊誌か季刊誌ぐらいのつもりでどうぞ。

ソロギターマガジン

ギター1本での表現方法を追求する、演奏例の音源つきWEBマガジンです。(無料)
マル秘の内容てんこもりです。音楽の歴史からメロディーの作り方、コードの換え方、ベースラインに、アドリブ。ギターを弾く方はPCの前にGを構えて、実際 にマネしてみて下さい。音の位置関係がわかります。もしギターでなくピアノを弾く人でも、意外と参考になると思います。クラシックの伝統和声とジャズの コード手法をつなぐようなポジションです。楽器をやらない人も、EXナンバーを順にクリックしていくとmp3音源で、単純なメロディーがだんだん精妙な ハーモニーに変化してジャズテイストに変わっていくのを聴くことが出来ます。

第2号 「経過音~withリハーモナイズ、アンティシペーション~」 

ギター教室
こちらは個人レッスンで、出張で行っております。まったくの初心者から上級、プロのかたまでどうぞ。ボサノバ、ジャズもOK。1時間2800円からで長時間にも対応可能です。相場を調べて頂ければお分かり頂けると思いますが、格安です。
 アコースティックでもエレキでもガットギターでもOK。作曲やアレンジに興味のある方やアドリブの仕組みをマスターしたい方、音楽の仕組みの疑問を解決したい方は特にお勧めです。
 ちまたの短時間グループ・レッスンでは納得のいかない方、お仕事で定期的に通えない方、一人で伴奏とメロディーを同時に弾きたい方にはぴったりと思います。
★学生はチケット制にしました
詳しくはこちら→
詳細

キーボードコースを開設しました。
普段ギターを弾いているけれど、作曲やアレンジ、DTMのためにピアノも弾けるようになりたい、という人のための個人レッスンです。

詳しくはこちら→詳細

Neighbor Nature Ever

「ネイバー・ネイチャー・エヴァー」

身近に有る自然を紹介するコーナーです。

現代の生活ではなかなか日々の自然 の変化を味わうゆとりがありません。私も以前そうでした。忙しくて朝も夜もなく頑張って、気がつくと紅葉は終わって葉が落ちていたり。そこで、主に近所に ある自然の変化をとらえて紹介しようと思います。特別に遠くまで旅行しなくても、意外に美しいものと出会えるものです。
忙しかったり体の状態で外に出て変化を味わえない方、このコーナーで外の空気を想像して楽しんで下さい。

写真をクリックすると拡大されます。



大晦日!

★大晦日だす!ぐは。    

        2017年12月31日  記

今年もあっという間でしたね。

この間までセミの鳴き声の中タンクトップで汗だくになって竹を加工したり、虫さされ対策でハーブを育てて成分を抽出したりしていたのに。

なんか今年は急激に寒くなった感じ。そして雨も多かったので、あまり青空の下で秋を満喫することが出来なかったように思います。

でも晴れた日はとっても空気がおいしいです。

 

★さて更新がだいぶ久しぶりになりました。

主に通信環境の変化でいろいろエネルギーを使う必要があったのと、もらい事故で車の修理に1ヶ月以上というのがとどこおった原因です。あと各種保険の見直し。

 メインで契約しているDion( 現au One net )がホームページ公開サービスを10月いっぱいで終了、というので、徐々にこのJimdoサービスに移行していたのですが、完全に移りました。

そ のためもともとアップロードしていた膨大なコンテンツを自分のMacにダウンロードする必要があったのですが、FTPソフトで作業していた古い Mac(G4)が起動しなくなってしまい、さまざまなパスワードがわからなくなってしまいました。そこでau One netに問い合わせて本人証明して郵送で送ってもらったり、これが種類に寄って別便になったり、かなり手間がかかりました。

そのコンテンツをJimdoに移植しようとしたら、今度はJimdoがログイン方式を変えてきた、という感じで手間取りました。

  また、20年ほど使って来たPHS(携帯電話)、運営はウィルコムから現Yahooモバイルになっていたわけですが、ブラウザーを一切使っていないのに請 求が極端に高くなる月が時々あって、あまりに信用出来ないので解約しました。問い合わせても誠実さが無く、「Yahooモバイル以外」でiPhoneに変 える計画を遂行したのです。驚いたことにこんなに長期継続していたのに、やめると損になるという要素が無かった。まあ、ひどい会社ですね。正式キャリア (通信会社)の劣化版なんですね。みなさんお気をつけあそばせ。

 熟考の結果、出先で調べものやメモが出来て、録音も出来て、デジカメが今 手元になく(理由は以前書きました)写真や動画を手早く撮影出来て、自動車運転中に道に迷った時地図として使えたり、渋滞を回避する役にも立ち、レッスン 時に伴奏音源を鳴らすことも出来るし、自分の作品を聞かせることも出来るし、PHSサービス自体が削減されていくことになっている風前の灯ということ等か んがみて、さすがにスマートフォンが必要になってくると判断しました。(その他アドレス帳や目覚まし時計代わりにもなっています。電話は5分まで無料。)

音楽作品を世界に発信するためにも必要な機材と判断して、Yモバは解約でキャリアもので契約しました。

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↑ハーブで虫除けスプレー作り

摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。
摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。

★合宿から戻って来ました。

                  2017年8月17日 記

いつも行く茨城県の田舎にある分校跡で、後輩の美大生達が子供達を集めて作ったり、遊んだり、食べたり、踊ったりします。(5月に書いたブログを参考に)
私自身の今回のテーマは植物との共存。薬用植物を身近に活用ということ。

  前回書いた6月の梅や杜仲の葉ワークから、発酵を調べたりしているうちに、ハーブの研究をしだしました。ミントやレモンユーカリ、ゼラニウム、ステビア 等、苗を買って来て育てたり、エッセンシャル・オイルやドライハーブを入手したり、メディカルハーブの本を図書館でたくさん借りて、勉強してます。でも一 般的なハーブティーやアロマテラピーという利用法よりも、虫除けスプレーと、痒みどめを作るというのがまず目標。カやブヨに刺されるのはいやですからね。 理想は自分で育てたハーブの葉から蒸留して成分を抽出して、スプレーや軟膏等を作ることです。

 どの本を見ても、精油(エッセンシャル・オイルのこと)を 何滴混ぜるとか、インフューズドオイルやチンキの作りかたなどは書いてありますが、精油そのものの作り方は載っていません。そこで調べてみると、結局ハー ブの葉や花などを蒸すかゆでるかして水蒸気として取り出したものを水滴に戻す感じとわかりました。あまり家でお手軽に行う感じではなく、専門店では5ml で1000円などで売っていますが、チャレンジ精神が旺盛なもので、いろいろ試してみました。本来は理科室などにあるビーカーやガラス管、アルコールラン プ等でしっかり組み立てるか、高い機械を買うものですが、スペースもお金もありませんので、いろいろな図を書き写してみて、梅の発酵観察等で利用した 100円ショップのガラスコップでできないかな、ということでやってみました。

 まずは水だけ入れて水蒸気をホームセンターで買ったシリコ ンのチューブを通って水滴で取り出せるか、いろいろ実験した結果、できました。いったん冷めてからセージのドライハーブと水を入れ、徐々に温度を上げて行 くといい香りがして来て、ポタ、ポタと器にたまってきました。とても強い香りです。これが精油なんですね。チューブはとても熱くなるので水を溜めたボウル を通して指で角度を調節しながら冷まさなくてはいけません。(注:これを読んでまねして事故にあっても責任を持ちかねますので、安易に行わないでください。)

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↑完熟梅ジャム作りました。杜仲茶の葉も。&ヒグラシ初鳴き。

★完熟梅ジャム作りました。&ヒグラシ初鳴き!

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↑連休の薪割り

               2017年5月12〜17日  記

今年もGWに茨城県の「分校」に行って参りました。
2日間チェーンソーで丸太を切りまくり、斧やくさびで割って薪にしました。

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完成した。そして終了する。
    何が?新作?
いえ、オーケストラです。
    お、ついに企画していた室内楽ジャズの小型オーケストラか!?
すいまへん。自然界のオーケストラです。
    んがくく?
毎年聞き惚れている秋の虫達のオーケストラです。スズムシにマツムシにコオロギ、キリギリス・・
美しい鳴き声。その響き合い、澄んだ空気が漂う中に広がる宇宙的な振動、サラウンドな音響、タイミング、本当に素晴らしい。魂がマッサージされるよう。
多少不便でもあきる野市に住む大きな理由になるのです。
 実は夏でも鳴いていて、猛暑日の日が暮れて涼しくなって来た頃に、セミとは別に地面から流れて来る鳴き声も好きなのですが、やはり9月〜10月は宴たけなわとなります。
 鳴くと言っても羽をこすり合わせるわけですが、どうしてこうも大きな音が出せるのか、そしてこんなに多彩で様々な音が出るのか不思議。すぐ近くで聴く時に個別に認識出来る状態と、少し離れたところで風景の一部として聴くのと、さらに離れて様々な鳴き声が混ざって“面”として聴こえる時、そしてそれら遠景、中景、近景がブレンドされた時の立体的な音響が絵画的で美しい。
 これはある程度広いところでないと生まれない効果なのです。

   ヒグラシの鳴き声を長年研究して気づいたことですが、強弱のパルスが複数で鳴いてズレますからスティーヴ・ライヒのミニマルミュージック的な効果になります。木造の大工さんが家を建てる時に釘をげんのうで打ったり、ほぞ等の組み手を木槌でトン・トンと叩く時、数人の叩く音がずれて2拍3連のように聞こえたり、シャッフルのリズムのように聞こえたりするのと似ています。
 鳥と違ってその姿は中々見えない。そこが神秘的。
また、大雨でも台風でも次の日にはまた鳴いている。すごい生命力。いったいどこでしのいでいたのか?セミのように木の幹につかまっていることは出来ないから、じゃぶじゃぶの川のようになる地面でどうやってサバイブするのでしょう?
 寒くなるとだんだん元気がなくなりますが、今年のようにふりかえるように夏日になって気温が上がるとまた復活して大きな合唱になります。
 今まで何回も録音をしてきましたが、中々難しい。フィールドレコーディングを経験したことのある方ならご存知と思いますが、遠くの車の音や電車の音などがかすかに入ってしまう。私たちの耳は目的にしたがってフィルターをかけて、聴こうとしている音を優先しています。だから虫の鳴き声に注意を絞っていると、他の音を遮断して認識しているのです。ところがマイクはただ波形を記録するだけですから、録音時に気づかなかった遠くの音やかすかな自然音・生活音も入ってしまうのです。
 もちろんコンピューターである程度はカット出来ますが、肝心な虫の鳴き声も少し影響をうけて変化します。空高く飛んでいる飛行機の音も入ってしまいます。また、マイクが風に吹かれると、ボワボワとすごいノイズが乗ります。これも対処法はあるにはありますが、ちょっとした工作や工夫が必要になります。
 さらに今年はとある事情があって、鑑賞するだけにしました。残業でヘトヘトになって帰ってきて車からよろよろと降りた瞬間、フワ〜っと繊細な微風とともにこのオーケストラが迎えてくれます。しばらくたたずんで感覚を預けます。
 あきる野市に住む大きな理由になるのです。

 こうした秋の虫達の鳴き声、都会でも場所によっては聴けるでしょう。公園や川原に垣根のしげみ。川原だと川の音が大きくてかき消されてしまうことが多いです。
郊外に行くに連れ、カラフルで多様で大きくなります。
東村山市や小平市など・・・。
さらに檜原村に近づくに従って場所は増えてきますし、広い場所も。
田畑や空き地、大きめの自然公園、大きめの庭、丘のふもとの家のまわり、林道、そして山の中。
 今まで私はあちこち録音に回りましたが、不思議なことに人の居ない山よりも、家の近くの方が鳴き声がいいです。野生動物に食べられないからなのか、人間が生活の中で出す何かが彼らの鳴き声をよくする効果があるのか・・? 人間の活動音が録音にはいらないように山の中や開けた谷津田、川原などでも録音してみましたし、他の人の家の近くも聴いてみましたが、私の家のまわりがいちばん素敵なオーケストラなのです。裏が山なのと、前が畑で、横が雑草の多い駐車場で庭は木がいっぱいという条件が関係してるのかも知れません。すわ〜〜っと一面に混じり合っている中から、チー、チー、チー、とかキュッ・キュッ・キュッとかスイーッチょ!とかソロが浮かび上がります。何の虫なのかぴーぴーと小鳥のように鳴くのもいて、他の場所では聴けません。ちょうど風の通り道なのも関係してるかも知れません。でもここで録音しようとすると、やや先にある通りの車の音や、家の生活音などが入ってしまうのです。来年はなんとか諸小禄して皆さんんが聴けるようにしたいと思います。

 このオーケルトラ、さすがにもうそろそろ終楽章に入りました。生命力の強い者だけがわずかに鳴いていて、晩夏のセミの終焉もそうですが、これはこれで寂しげな風情があります。これから4月頃までは自然界はかなり静かな状態になります。

  というわけで、今回の完成は虫のオーケストラでした。

完成した。そして終了する。
    何が?新作?
いえ、オーケストラです。
    お、ついに企画していた室内楽ジャズの小型オーケストラか!?
すいまへん。自然界のオーケストラです。
    んがくく?
毎年聞き惚れている秋の虫達のオーケストラです。スズムシにマツムシにコオロギ、キリギリス・・
美しい鳴き声。その響き合い、澄んだ空気が漂う中に広がる宇宙的な振動、サラウンドな音響、タイミング、本当に素晴らしい。魂がマッサージされるよう。
多少不便でもあきる野市に住む大きな理由になるのです。
 実は夏でも鳴いていて、猛暑日の日が暮れて涼しくなって来た頃に、セミとは別に地面から流れて来る鳴き声も好きなのですが、やはり9月〜10月は宴たけなわとなります。
 鳴くと言っても羽をこすり合わせるわけですが、どうしてこうも大きな音が出せるのか、そしてこんなに多彩で様々な音が出るのか不思議。すぐ近くで聴く時に個別に認識出来る状態と、少し離れたところで風景の一部として聴くのと、さらに離れて様々な鳴き声が混ざって“面”として聴こえる時、そしてそれら遠景、中景、近景がブレンドされた時の立体的な音響が絵画的で美しい。
 これはある程度広いところでないと生まれない効果なのです。

   ヒグラシの鳴き声を長年研究して気づいたことですが、強弱のパルスが複数で鳴いてズレますからスティーヴ・ライヒのミニマルミュージック的な効果になります。木造の大工さんが家を建てる時に釘をげんのうで打ったり、ほぞ等の組み手を木槌でトン・トンと叩く時、数人の叩く音がずれて2拍3連のように聞こえたり、シャッフルのリズムのように聞こえたりするのと似ています。
 鳥と違ってその姿は中々見えない。そこが神秘的。
また、大雨でも台風でも次の日にはまた鳴いている。すごい生命力。いったいどこでしのいでいたのか?セミのように木の幹につかまっていることは出来ないから、じゃぶじゃぶの川のようになる地面でどうやってサバイブするのでしょう?
 寒くなるとだんだん元気がなくなりますが、今年のようにふりかえるように夏日になって気温が上がるとまた復活して大きな合唱になります。
 今まで何回も録音をしてきましたが、中々難しい。フィールドレコーディングを経験したことのある方ならご存知と思いますが、遠くの車の音や電車の音などがかすかに入ってしまう。私たちの耳は目的にしたがってフィルターをかけて、聴こうとしている音を優先しています。だから虫の鳴き声に注意を絞っていると、他の音を遮断して認識しているのです。ところがマイクはただ波形を記録するだけですから、録音時に気づかなかった遠くの音やかすかな自然音・生活音も入ってしまうのです。
 もちろんコンピューターである程度はカット出来ますが、肝心な虫の鳴き声も少し影響をうけて変化します。空高く飛んでいる飛行機の音も入ってしまいます。また、マイクが風に吹かれると、ボワボワとすごいノイズが乗ります。これも対処法はあるにはありますが、ちょっとした工作や工夫が必要になります。
 さらに今年はとある事情があって、鑑賞するだけにしました。残業でヘトヘトになって帰ってきて車からよろよろと降りた瞬間、フワ〜っと繊細な微風とともにこのオーケストラが迎えてくれます。しばらくたたずんで感覚を預けます。
 あきる野市に住む大きな理由になるのです。

 こうした秋の虫達の鳴き声、都会でも場所によっては聴けるでしょう。公園や川原に垣根のしげみ。川原だと川の音が大きくてかき消されてしまうことが多いです。
郊外に行くに連れ、カラフルで多様で大きくなります。
東村山市や小平市など・・・。
さらに檜原村に近づくに従って場所は増えてきますし、広い場所も。
田畑や空き地、大きめの自然公園、大きめの庭、丘のふもとの家のまわり、林道、そして山の中。
 今まで私はあちこち録音に回りましたが、不思議なことに人の居ない山よりも、家の近くの方が鳴き声がいいです。野生動物に食べられないからなのか、人間が生活の中で出す何かが彼らの鳴き声をよくする効果があるのか・・? 人間の活動音が録音にはいらないように山の中や開けた谷津田、川原などでも録音してみましたし、他の人の家の近くも聴いてみましたが、私の家のまわりがいちばん素敵なオーケストラなのです。裏が山なのと、前が畑で、横が雑草の多い駐車場で庭は木がいっぱいという条件が関係してるのかも知れません。すわ〜〜っと一面に混じり合っている中から、チー、チー、チー、とかキュッ・キュッ・キュッとかスイーッチょ!とかソロが浮かび上がります。何の虫なのかぴーぴーと小鳥のように鳴くのもいて、他の場所では聴けません。ちょうど風の通り道なのも関係してるかも知れません。でもここで録音しようとすると、やや先にある通りの車の音や、家の生活音などが入ってしまうのです。来年はなんとか諸小禄して皆さんんが聴けるようにしたいと思います。

 このオーケルトラ、さすがにもうそろそろ終楽章に入りました。生命力の強い者だけがわずかに鳴いていて、晩夏のセミの終焉もそうですが、これはこれで寂しげな風情があります。これから4月頃までは自然界はかなり静かな状態になります。

  というわけで、今回の完成は虫のオーケストラでした。