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↑震災から6年が近づいて。

芸術の意義、歌詞の文学性、おすすめアニメ、ヒグラシ。
           2017年2月12日〜18日 記
早いものでもう2月も中旬。時間め〜超特急だな。
日中はかなり暖かい日がありますが、夜はまだ寒いですね。
今年も古い電気ストーヴ1ッ丁とホカロンでなんとか乗り切れそうです。
学生さんはもうすぐお別れの季節ですね。慣れ親しんだ教室や友人・先輩たちの顔も見納め。ちょっと寂しくなる時期ですね。
でもそのあとに出会いが待っています。
また、まだ入学試験や就職で最後の追い込みに取り組んでいる人たち、くじけずもうひと頑張りしてください。どういう結果になったとしてもその場所その場所で人生の喜びと発見があるはずですから、あまり張りつめすぎずに、ど〜んとぶつかって行きましょう。
私は試験目的ではないですが、ドイツ語の勉強に図書館へリクエストしていた本がきて、少し角度を変えてじっくり進めています。

 もうすぐ東北大震災から6年が経とうとしています。
いまだに避難生活を強いられている人たち、ほんとに悔しいことと思います。毎日つらいことととお察しいたします。
 あの頃、あんなに多くの日本人がエネルギーとはどう供給されているか、自然の力の大きさというものを思い知って、電気やガソリンを節約していたあの気持ち、どこへ行ってしまったのでしょう。
のど元過ぎれば・・というのは日本人の特徴ですが、苦しい生活を強いられている人を尻目に享楽を謳歌する人たち、利権の裏工作で私腹を肥やす黒ダヌキ達、 責任逃れで隠蔽したり押し付け合う泥ギツネ達、ことあるごとにイルミネーションできらびやかに過剰に電気を消費する姿勢、私は納得いきません。
沖縄で基地問題や犯罪の地位協定、オスプレイについてももっと考えなくてはいけません。だれかの犠牲の上にだけなりたつ平穏な生活なんておかしい。無知が上に成立するおしゃれなスマホ生活、なんとあさはかなことか。
 国としては今「止めてしまっている水力発電」を再開したり、太陽光・風力発電の効率アップ、バイオマス発電、波力発電や海水温度差発電の研究と普及に力を入れるべきだし、大学等の研究団体、ベンチャーへの援助をすべきです。
 オリンピックの施設増設やあのアホな競技場作り直しだの、豊洲移転での建設だの、これらに使われた資材と人材とエネルギーと予算を使えば、仮設ではない 避難住宅はとっくに完成していたと思うし、津波対策や復興も進んでいたと思います。大切な資金が魑魅魍魎のふところへ流れ込んでほくそ笑んでいるのです。
 わずかにですが、築地移転問題や文部科学省の天下り問題などを暴いて追求する「勇気と力」を持った人たちがいる、こうした動きが救いです。
ぜひとも、私たちの税金をどのぐらい違法にせしめたかを明確にして、返還させて欲しいです。今までこうした事件で捕まった後、国庫金なり地方税なりにいくら返還されたと報道されたのを目にしたことがないので・・。
 天下りダヌキに支払われてきた膨大な額の退職金や、公務と称して使われた豪遊費、企業との癒着で使われたリベート、東北復興の為の予算を無関係で緊急でもない事業に回した・・こういうお金を本来のところに戻すだけで、たくさんの笑顔も取り戻せるはずです。
その額たるや日本の景気がたてなおせるほどでしょう。官僚のミスで消えたり少子高齢化で足りない年金だの、医療控除を下げるだのは一瞬で解決されます。税金をあげる前にまずやるべきことです。ン間違いないッ。
 そして政府の機関にそういう悪ダヌキ退治の監査部署はもちろん、お金を取り返す専門部署を作ってほしいです。さらにそれを正確に還付しているか監視する第3者機関も作るべきですね。(懐柔されたり、着服することにならないために)
 こうして、景気が少しでも回復して若い夫婦が安心して暮らせて出生率が増えれば、この先GDPなり働き手なり増えて国のためになるわけですから。やはり国のリーダーが正義感もって成熟した政治をおこなって行くのが「基本」ですね。
弱者を踏みにじって表面だけの成功を繕ったり、強者に振り回されて方針をあたふた変えるごますり政策では先が安心出来ないし、世界に恥ずかしいですね。

 逆に芸術家はもっと追求を深めて、目に見えているものだけに頼りすぎず、テーマになりうる核やコンセプトを練り上げてほしいものです。それには世界の歴史や哲学、場合によっては文学、神話や叙事詩、生物学などにたいしての知見も持つべきでしょう。かつてのユマニストた ちはそうしたことを高いレベルでおこなっていました。今のように簡単にネットで調べたり本を入手したりできない時代、交通網も発達していない不便さの中、 古文献の写本を探して、古い言語もあやつり、調べて分析・記録をまとめ、絵画・演劇・音楽を解し、自分の作品も発表する。
その中に為政者や貴族を揶揄したり、愛にまつわる残酷性、宗教に対する疑問、自然賛美、人間心理の掘り下げなども織り込んでいた。
  ところが昨今、どうも表面的な技法や目新しさ、現象にとわれがちのように思います。美術大学の作品を見ても、雑誌の芸術特集を見ても。
たんに現代の生活で目の前に見えているものばかりを題材にしているものが多く、しかもそれは冒頭に述べましたように、誰かの犠牲を必要としていたり、腹黒ダヌキや企業に知らず知らずのうちに誘導されている嗜好性ミスリードされているニュースに影響された価値観の上に成り立っているものだから、なおのこと意義あるものから遠い。たんなる「現象」に翻弄されているだけに感じてしまう。それを鑑賞する人がさらに現象に翻弄されて、これは芸術の役目から遠ざかっているのではないだろうか・・・。
 また、ミュージシャンも私たちをとりまく社会の問題や、平和に必要なもの、掘り下げて行く偉人達の人物像、イデオロギーの矛盾、生命の不思議などを題材にしたものがもっと出てこなければおかしいでしょう。
ノーベル文学賞をとったディランや、影響を受けたビートニク系の作家アレン・ギンズバーグ、彼が師とあおいだウディ・ガスリー、反戦の騎手ジョーン・バエ ズ、公民権運動の象徴とも言えるピート・シーガーといった人たちはもとより、PP&M、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤング、ポール・サイモン、 ニーナ・シモン、ジャニス・イアン、のちにはスティング、スザンヌ・ヴェガ、ジュエル、こうしたポップフィールドながらも世界中で支持される人たちは、社 会を冷静にとらえ、何が愚かしいことか表現している。強い精神と深い知性で、影で暗躍する勢力を糾弾している。だから「信頼」されるんですね。
 そして文学的知見と技術を持って綴っていることを忘れてはならない。日本人はここを見落としがちです。
彼らの背景には、多少なりとも古典や伝説の知識があり、名作を読んで、伝承曲もかえりみた上で現代作家の様式を吸収している、といった土壌があるのです。
詩を歌う以上、これを支える前提の確立に時間とエネルギーをさいているということです。
 たんに好きだよォ〜、会いたいィ〜を連呼したり、君の味方だよぉぉといった中学生が書くような「散文」ではないのです。
 バラエティー番組に出るよりもシェークスピアを読む、ファッション雑誌のインタビューに答える時間があったらケルアックを読む、ラブレーやマーク・ トゥェインを読む。これは時間のかかることです。だからレジェンダリーなアーティストはあまりテレビ等に出なかった。まず作品ありきだから。テレビに出る ならもちろん生演奏で。
 例えばディランがノーベル文学賞をとった時の日本の報道、ニュース系ではまともなものはひとつもなかった。まずキャスターがディラン作品を聴いていない し、プロデューサーが「Blowin' inThe Wind」か「Like a Rolling Stone」ぐらいしか知らんくてバックに流されてさわりを紹介するだけ。何十年前の使ってんだ。一方彼の変遷、1965年のニューポート・フォーク・ フェスティバルでの電化ロック化問題、ユダヤ教からクリスチャンに改宗して「Slow Train Coming」か らのゴスペル三部作(超かっこいい)で作風が変わったこと、不調時代を経てジョージ・ハリソン擁するトラヴェリング・ウィルベリーズでの活動、カトリック 教会の世界聖体大会で教皇ヨハネ・パウロ2世の前で演奏なども紹介されない。USA for Africa (We Are The World)や南アフリカのアパルトヘイトを糾弾する「I Ain't Gonna Play SUN CITY」への参加も大きい。
その後再評価の兆しが出て来て2006年「Modern Times」ビルボード1位で返り咲いて、「Together Through Life」でまた1位に。ピューリッツァー賞特別賞(2008年)大統領自由勲章を受章(2012年)といった軌跡も触れられない。
そうして「Shadows in the Night」でシナトラの愛唱歌をカバーというまた別のアプローチに進み、昨年の来日公演でも絶賛されたわけですね。
 おそらく番組スタッフ、調べてもいない。たんにロックミュージシャンがノーベル文学賞、といった驚き面だけフォーカス。何を高く評価されたのか、どういうことがクリエイティヴなのか、触れない。Beee〜cau〜se・わからないから。
音楽番組でさえ同様。Bee〜cause・学んで来たプロデューサーがいないから。それが今の日本の音楽レベルを象徴しているわけです。なにもかもが浅い ネットニュースと同化みたいな。重要性に関わらず並列された表面的概要の報告と1枚の写真。(しかも詳しい記事は有料で、の延長すら無い。)
そのくせ誰が結婚とか、こんなダンス(振り付けね)を披露したとか、誰と誰がコラボ、とか映画の主題歌担当、とかはしつこいほど取り上げる。別に深い背景もないからたいしたステイツメントもないのに根掘り葉掘り尋ねる・・。インタビュアー文化がないからボロの出にくい簡単なものに群がってしまうわけです。
 本格派、硬派、通向けの番組がないんですね。ちぇ〜ぽっぷのプロデューサーが出て来て、ちぇ〜ぽっぷの稚拙な内容をあたかもすごいことのように持ち上げ て、のたまうのはよくあるが。むしろ、みうらじゅんや山田五郎が詩を解説してReiちゃんあたりにちょこちょこ弾いてもらいながらやればわかりやすく本格 的になると思う。そこに完璧バイリンガルでシルキーヴォイスの加藤円夏さんが加われば最高。こういうこと思いつくコーディネーター、プロデューサーがいな いんだ。
 もちろんペプラーさんや尊敬するジョン・カビラさんが参加してくれれば楽しく広がるし、キャロル久末さんが登場する回も作って海外で模索するリアルサイドの視点が加わればもう伝説的な番組になるでしょう。
FMの「今日は一日○○三昧」で洋楽深い歌詞の読みとき三昧なんてやるといいかもしれない。曲数をかせぐより、いかに原詩を訳しながらメタファー、オマージュ、韻律法修辞法、引用、メッセージ内容などを掘り下げるか、分かりやすくやる。できれば上記のレジェンドたちだけでなく、キング・クリムゾンやピンク・フロイド、Yes、ビートルズ、ブルース・コヴァーン、バフィー・セントメリー、スザンヌ・ヴェガ、ボブ・マーリィ、ピーター・ガブリエル、ビヨーク、ミルトン・ナシメント、ジョアン・ボスコ、カエターノ、伝承系でペンタングルやジョン・レンボーン、チーフタンズなども取り上げれば、海外のポップス、ロック界がいかに文学性・芸術性を含んでいて、リスナーがそれを聞いて耳が育ってきたかが分かると思います。また年代でこの曲の影響下でこれが登場している、といった歌詞発達の関連と変遷がわかるし、日本が完全に取り残されていることに気づくでしょう。歌詞のガラパゴス化。

  そうやって歌詞の深い有名洋楽ヒットを掘り下げる番組をやれば、日本のポップスも多少ましになるでしょう。リスナーも成長して質の高い作品を求めるし。 (もしそれに答えられるアーティストが少なすぎるため余計CDが売れなくなる、と思ってやらないんだったら、これは悪しき政治家と同じ方策になっちゃう。 サッカー過保護と同じ。)
 唯一ピーター・バラカンさんの番組はリスナーもレベルが高いので、割と詳しくやりました。ディランがアメリカでラジオ番組をやったものをインターFMで毎週放送したとき、その日の内容を訳して説明してくれたのがバラカンさんだったし。
 このラジオですが、私は、かなり以前ディランが「音楽家としてものを世に出すなら自分の少なくとも100年前ぐらいからのものは把握してから作るべきだ」と言っていて、全くそのとおり!と思う一方、彼はそれを実行した上での作品なのかな・・とやや疑問を感じてはいました。それを払拭させるほど、アメリカの古い音楽に関して詳しく、あの独特のダミ声で解説を加えたりジョークを交えてテンポよく、相当の回数やっていました。
 日本に未曾有にある、司会がミュージシャンのくせによく知らないでただ現在の企業的ヒット曲と自分の曲を流して、リスナー投稿の恋バナやゲストと食べ物 のトークをする「あれ」とは全く別次元のものです。ほとんどアメリカポピュラー年代史としての資料性も帯びて来るほどだった。
 その上で「やっと私もクリスマスソングを歌うようなアルバムを作ってもいいような気がしてきているんだ」と語るわけです。その文脈でシナトラの愛唱曲や ジャズ・スタンダードばかりをスチールギターをバックに一発録りで歌う、ということにつながるので納得がいくわけです。つまり一時的な思いつきやスポン サーからの指示ではなく、芸術家が文学的に社会を俯瞰でとらえる視点から、一般家庭での喜びや慣習といったある種ディテールでありながら普遍性につながる ものへの視点へシフトしてきたのだと思う。
これは、よくある、世界に発信しようと気負ってやって来たけれど自分の趣味的な世界もやってみたいと思ったんだ〜、とか、やっぱり自分のルーツに帰ってみようと思ってぇ〜(しかも“Roots”を見ていないくせに)といったたぐいのものとは全く違うので勘違いしないようにしたい。

ア、今年は品よくと思っていたけれど、結局「能勢節」になってきちゃった。

とにかく、なかなかいい曲のない日本ですが、僕は田中茉裕(まひろ)さんの「小さなリンジー」のような作品には大きな可能性を感じ、希望を託します。
なんとかライブを聞きに行きたいものです。

 それにしても津波で土地を奪われたり、放射能の汚染で避難生活をしている人たち、なんとかしなくてはと思うのですが、私には資金も政治力もないので、と にかくこの人たちの気持ちを忘れずに、質素な生活をすることでエネルギーを無駄使いしないようにして、苦労と怒りの気持ちをともにすること。それぐらいし かできません。
そしてとりくんでいる芸術を高め、いつかこの人たちの役に立つようにしたい。
一時的に寄付したり物資を送っても、それで終わりじゃない。どんどん汚染水があふれて行くし、毎日の電気はどこから来るのか、原発の理由に火力発電だとCO2排泄が増えて温暖化に影響するからというのだったら、なおのこと節電が必要。これが一般市民の継続して努力すべきことだと思うからです。
今後もまた大きな災害は起きると思うし、しばらく電気が通じない状態で生活しなければいけなくなるケースもあると思う。
だから私の作る音楽において完全なアコースティックで表現出来るものも作らなければいけない。
それがギタリストでありながら木管楽器の編成をもとにした音楽を構築しようと試作と実験を繰り返している理由のひとつなのです。

★さて、やや話題を変えますが、おすすめということで。
昔からアニメーションは好きですが、朝などにやっている古い作品の再放送で面白いものがけっこうあります。少し前にやっていた「若草物語 ナンとジョー先生」そのあと放映中の「ロミオの青い空」は、ほんとにいい作品。こども達が困難と向かい合いながら成長して行く物語です。
キンキン声のメイドは出てきませんし、魑魅魍魎と魔法で戦ったり、海賊が殺し合ったり、親がブタになったりはしません。企業のゲームやライトノベルとタイ アップしてません。もちろん現在の展開スピードや作画の緻密さからは古めかしく感じるかも知れませんが、たんに牧歌的、慈善的、文科相推薦というのとは違 います。むしろ登場人物一人一人の心の変化や、生活と自然環境との関わり等、まっこう勝負という感じで、日本の正当派アニメーションの歴史を感じます。
「ナンとジョー先生」は何度も映画化された「若草物語」の第3部にあたるもので著者の実話をもとにした自然豊かな中の全寮制学校を舞台にしたもの。不良少 年ダンがなかなか共同生活になじめず事件を繰り返し、どうやって心を氷解させて行くのか、平行して不遇のヴァイオリン少年が疑いを晴らして平穏をつかむま で、おてんばナンの天真爛漫さと失敗による挫折など。・・泣いちゃう。
今まで何度か書いていますが、実際に仲間がやっているこども達と自然環境の中で共同生活して学んで行く活動によく参加するし、私自身教員だったので、リアリティーもって感じ取れるのです。金パッチもんせんせーよりずっと内容は濃いです。
「ロミオの青い空」はスイスに亡命したドイツの作家の小説をもとにしてオリジナルに再構築した作品。小さな村で育ったロミオが貧困と謀略から人身売買され てミラノで煙突掃除をさせられるのですが、嵐との遭遇や、親方の家の性悪むすこや、町の不良少年団、病弱な少女との交流、離ればなれになった親友など、ハ ラハラする展開です。初回は平和な村の行事でややものたりませんでしたが、火事が起きてから怒涛の展開で冒険になります。
 こういう作品、今はなくなったね。・・と、いってもどちらも原作は海外の文学なんだけれども。世界名作劇場(フランダースの犬やハイジなどのカルピス系)のシリーズ。結局ヨーロッパの文学の深いこと、歴史の長いということを思い知らされるというのは前回も書いたわけで、今ラヴレーの「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を図書館で借りて来て読んでいます。ところがこいつがまた難解かつ荒唐無稽で3行読むだけでクラクラして来るんですよ。
これはまた別の機会に書きます。

★最後に、ヒグラシ系で。
長年録り貯めて来たヒグラシの鳴き声ファイルを選んで、正月以降ずっと編集しているんだけれど、もうすぐ、ふたつ終わる。
何百というファイルから、今回は夜明け前の尾根での神秘的な鳴き声と、日中に川原で水の音と一緒に録ったものを選びました。編集というのは、例えば夜露が葉っぱからマイクの近くに落ちた時の音や、枝が落ちた音、小さな落石の音、近くを虫が飛んだ羽音などをCubase(音楽ソフト)でていねいに取り除いて、聴く人がゆったりと浸れるよう、自然な音響に調整するのです。
 一番難しいのは、現場にいれば分かる、遠くの沢の音やわずかな風で擦れ合う葉っぱのざわめき、小さな虫の鳴き声の集合、そうしたものが音だけを聞いた時 にシャ〜〜とノイズのように感じてしまうかも知れないので、どのぐらい弱めるかなのです。かといってイコライザーでそれらをみなカットしてしまうと野の開 放感、アウトドア感が失われてしまいます。これは自然の息吹なのだから。聴く人がどのようなスピーカーで聴くか、ヘッドフォンで聴くか、どのぐらいの音量 で聴くかで適切な音質は変わりますので、どう設定するかが難しい。
1時間近い長さから40分ほどを選び、周波数を弱めたりしますが、かなり根気のいる作業です。1回試しに書き出すだけで20分以上かかって、それをチェックするのにまた時間がかかるのですから。そしてなおす部分があればまたやり直すということで何百時間もかかります。
1分、2分のものや人工的にループにしたものはあるでしょうけれど、山奥等でこれだけの長さのものを録ってきて、緻密に精錬するというのは世界でも私だけかな?
完成した音は、かけっぱなしにして、すごく癒される音世界ですよ。読書のBGMやランニングのお供にいいと思います。マインドフルネスにも最適。
これを発売して、東北支援に寄付しようと思います。

Oki-doooki, 筆の置き時, それでは、皆の衆、アウフ・ヴィダーゼーンだぜ〜。
         2017年2月12日〜18日 記